はてなキーワード: ねぎらいとは
同棲が始まって、一年間彼と一緒に暮らして、結婚して。私もひとつ、大きな目標を達成することができたりして。
それを成し遂げるまでのあいだに、彼との間で培われた色んな経験やエピソードが生まれました。
日々のねぎらいやいたわりの積み重ね、毎日の世話も苦にしないエピソード。
それをほかの誰かに「こんな人なんだよ」って語るだけで、もう、すぐに伝わるようになりました。
「その人、どれだけすごい人なんだ?」「旦那さんは何者なんだ?」
同居し始めてからの彼の普通でなさはヒートアップしてて、相変わらず得体が知れないけど、でも、人に話しやすい特徴もたくさん増えた。
それら全てが、彼の優しさが本物であると証明できる材料になった。
おめでとう。あのときの私。
彼の価値がほかの人にも分かってもらえるようになりました。
来客に対して突然酒を勧めることなど、ありえないだろう。お互いのことをある程度理解したうえで、「お酒は飲めますか? 親睦も兼ねて飲み会などいかがですか? お車は乗らないですよね? 」などと互いに細かく同意を取り、酒席では飲ませすぎないようにするのが酒の勧めかたと言えるだろう。しかし、コーヒーは違う。初対面であっても問答無用で勧めてくるのだ。ある程度気心の知れた仲なら断ることもできるだろう。「先ほど自販機で買って飲んだから」「利尿作用でトイレに行くことになるから」「カフェインを摂るとイライラする」「頭痛や腹痛になる」「心拍の負担になる」「今日は下痢気味なので、胃腸に負担をかけたくない」「今はリラックスしたいので、カフェインで脳を興奮させたくない」などと正直に言えばよい。しかし、初対面の相手にこのようなことを言って断るのも失礼だろう。勧められたコーヒーの扱いはマナーの問題として語られることはあっても、健康問題として語られたことは無いだろう。「アルハラ」は社会問題として定着したが、「カフェハラ」は問題にもされていないのだ。
エナジードリンクのような高カフェイン飲料ではなく、コーヒーごときのカフェインで大げさかと思われるかもしれないが、そんなことはない。カフェインの摂取許容量は個人差が大きいので日本では設定していないが、カナダ保健省では一日当たり最大400mgとしている。これはコーヒーだとマグカップで3杯の分量である。(参考:食品に含まれるカフェインの過剰摂取についてQ&A ~カフェインの過剰摂取に注意しましょう~[厚生労働省] https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000170477.html)
健康のために、コーヒーは1日3杯までにするべきだといっても過言ではない。そのうちの1杯を軽々しく勧めていいのだろうか。カップが空になったからと言ってさらにおかわりの分を置いてもいいのだろうか。もちろん、お茶出しする人は悪気があってのことではなく、もてなしの気持ちとしてやっていることだと重々承知している。しかし、もてなすのなら、コーヒーに砂糖やミルクを入れるかを尋ねて炭水化物や脂質(1日の摂取許容量に比べたら微量だ)の摂取に気を配ることよりも、カフェインの摂取そのものに気を配ってほしい。
これまでコーヒーを勧めることの害悪を語ってきたが、これからは私が希望とするお茶出しについて述べる。まず、単純にノンカフェインまたは低カフェインの飲料を出してほしい。ほうじ茶や麦茶、あるいはカフェインの無い(少ない)紅茶が良い。カフェインレスのコーヒーというのもあるようなので、それもいいだろう。しかし、人により場合により、カフェインを摂取して眠気を覚ましたい時もあるだろう。お茶出しする側でも「退屈な会議でうっかり居眠りをしないように」と考えているかもしれない。そこでもう一つ提案したいのが、カフェインの有無を選択できるように提供することだ。具体的には、カップにお湯だけを入れて、スティックコーヒーやお茶のパックを別に用意すればよい。こうすれば、各自でカフェインの摂取量をコントロールすることができる。
ここまで読むと、筆者はよほどコーヒーが嫌いだと思われることだろう。カフェインに耐性が無いのだとも。だが、そんなことはない。モーニングサービスのある喫茶店でコーヒーを頼み、トーストやゆで卵と一緒に味わうのが好きだ。漫画喫茶へ行けば、3時間ほどでコーヒーを4杯ほど飲むこともある。しかし、夕方以降から就寝前の間にカフェインを摂取するのは、眠りを妨げるから嫌いだ。それ以外でも自分の意図に反してカフェインを勧められることも嫌いである。
酒豪と言われるほどの酒好きでも仕事前に酒を飲むことは無いし、仕事以外の時間でも常に酩酊状態を維持しているわけではない。アルコール摂取とその効果は個人差が大きいので、酒を飲む時間や量は各々が管理していることだろう。しかし、コーヒーは違う。食事や間食などと共に用意されるだけでなく、来客対応、会議、肉体労働後の休憩時間、仕事終わりのねぎらいなど、様々な場面で勧めているのだ。まるで、社会が人類に対し、カフェイン中毒状態の維持を強要しているかのようだ。これはおかしい。アルコールと同様に、カフェインも健康に対する影響は個人差が大きいので、軽々しく勧めるなどの「カフェハラ」をしてはならないのだ。私が望むのは、カフェイン摂取をセルフコントロールできるような社会である。
そもそも雑誌が売れず、コンビニでも棚を縮小したり位置を奥まったところに移したり、
大した売上貢献もしないくせに槍玉に挙げられて、
扱うメリットがなくなったというのもわかる。
俺自身40年ほど生きてきてコンビニでエロ本買ったことないし、
どうでもいいといえばこれ以上どうでもいいこともないのだが、
エロ本というメディアが消えていくのは寂しいし、明日は我が身かという思いもある。
昔のエロ本てほんと無法地帯で楽しかったんだよな。とくに連載。
メインはグラビアだから、後ろの方のマンガとかコラムとか意味わからなかった。
蛭子さんや山野一のマンガだとか、青山正明とか、妙に熱量の高いプロレスコラムだとか、
なんかエロ本のモノクロページでサブカルというものに触れたんだなという気がする。
やめたいんだけど、家族を裏切るみたいで言えない。
嫌いなわけじゃない。でもずっと一緒は無理。
そう思って一人暮らしを始めたが、やっぱり平日五日間会うだけでも無理。
たぶんやめたら、もう家の敷居をまたぐなとか言われる。そういう親だから。
親は別としても、これから先何十年も付き合っていくであろう兄弟をも裏切ったような形になるのが嫌だ。
嫌いになったわけじゃない、ちょっと離れたくなっただけなんだよ。
でも許してもらえないだろう。それが家族というものらしい。うちの家では。
やっぱり少し嫌いになってきてるかもしれない。
みんな私の扱いが雑なんだよ。
女だからって家事もやらせる、そして仕事もやらせる、あれやれこれやれうるっせえんだよ。
自分が作った夕飯、ごちそうさまも言われずさっさと食って立ち去られる虚しさ、父には一生わからないだろう。
唯一味方になってくれそうな母でさえこの家では敵。あの人は私に家事を押しつけて遊びに行くのだ。
いや、遊びに行くのはいいんだけど、やり方が自分と違ってても文句言わないでほしい。
あんたがいるから遊びに行けるよ、と感謝しているようなことを言うが、結局この家に私を縛り付けておきたいだけなのではと邪推してしまう。
知ってる人ばかりだから、気が楽だし。たぶんクビになることはない。自分からやめない限り。
とにかく、ここにいるとこんな感じで家族を嫌いになりそう。それが本当に嫌だ。
結構叩かれてるけど、現実小学校低学年の子供を何十人も、未知の暑さと言う慣れない状況で適切に管理するなんて
訓練積んでたって完ぺきにこなせるわけないミッションだよな
好き好んで生徒を熱中症にしたいわけはない、先生だって色んな圧力や限界と戦いながら道を探してるんだろう
まあ学校に限らず、みんな重く考えるべきクレームと煩雑なだけで役に立たないクレームを、一緒くたに恐れ過ぎな気もするが
自分だってそれは同じだし、たまたま重大な結果を引き起こしたかどうかで遡ってクレームの重大性が評価される部分もある
店長業務なんてしたことないし、教わったこともないのに一生懸命回した
まだ2年目入ったばっかりなのに
そこまで大きなミスもなく、どちらかというと成績よく乗り切った
なのに、上司が復帰後改めてありがとうもねぎらいもなく、ほんの少しのミスを、どうでもいいミスを揚げ足取りしてきた
ひとり言か何かで「ああ、たいしたことなかったんだな」って言ったのを聞いてしまった
なんの引き継ぎもなかったけど、大変だろうと思って休んでるお前には何も聞かなかったぞ
きっと、あの人の認識は「なにもなかったけどこんなことも間違えた」ということになるんだろうな
今日は久々に緊張感のない休みだったけど、どうでもいいミスで電話された
なんかもう、つらいな
野党支持の地元住民としてはもっといろいろ頑張っておけばなあと、
団体の構成員ではないものの、初めて少しだけ選挙運動にも参加してみた身として思った。
そうしたなか、社民系の候補で接戦に持ち込んだのは確かに健闘したというねぎらいの言葉はありがたい。
他方、国政の争点や原発への強硬姿勢を持ち込むことについては、
自民党が建設業者へ従業員や従業員の親族へ期日前投票を行くよう踏み絵を迫ったことを考えると、
農政の充実や、福祉事業者の支援など、幅広い公約を周知するためにくぎを刺す程度にしておいた方が良かったかもしれない。
圧力をかける候補がおかしいことは事実だが、どうせ投票所へ行かされる人が居るなら
ほかの政策を知っていればまだ引きはがせたかも、と思わないではなかった。
一方で、矛盾するみたいだけれども、
「国政や原発の主張以外に重点を置かなかった」(※演説等の時間配分が少なかった)
→「ほかに興味が無かった」
という連想が正しいのかというと、それは違うだろうと思う。
選挙期間中から原発や国政に傾斜しすぎだという批判が野党支持者からも寄せられていたが、
花角英世陣営はこういう三段論法を有権者に刷り込んできたわけだ。
業界団体を固めて逃げ切ることが戦略だったのだろうという印象もある。
世論調査でも最終盤まで花角を追い抜けなかったため、
そうした結果を交え批判を繰り返す選挙マニアの言動は野党支持者であったとしても極めて不愉快だった。
新潟県民も東京都民の気持ちが分かっただろうという感想もあるだろうが、
(県民が趣味で国政イシューを持ち込んだと思えるなら、都民も100%自分の意思で知事選にポピュリズムを求めているのだろう)、
反原発を直接新潟県民が東京都知事選に押し付けたかのような言いがかりは理解に苦しむ。
勿論、柏崎刈羽原発は東京電力が首都圏のために発電を行うための施設なのだ。それを考えればますます不謹慎である。
それでも、それにしても4万票差と言うのは米山当選時ほどではないがかなりの大差だ(米山は8万票差)。
国政審判の場になるではないかということは政権側も与党内会合などで触れていたことから、世論への怯えも感じる。
なので、それを防ぐ方法を考えてみたいし、考えて欲しい。
正直この締め付けへの抵抗方法抜きに現状与党に勝てないのではないか。
県民は騙されたから自己責任だ、バカなんじゃないかとけなされる筋合いもない。
(追記)
野党側の戦術としては与野党対決が投票率を押し上げたこと自体は認められていること、
先述の通り本来組織票を固める選挙を自民党が伝統的に行ってきたことから、
(分かりにくい書き方をしてしまったが)行わないよりは遥かにマシだった、と答えざるを得ない。
投票率の上昇は期日前投票へ行くことを脅された側と、与野党対決で伸びた側とを分けて考える必要があると思っている。
だからこそ自民党新潟県連が支持した会社へ期日前投票した社員や社員の家族の名簿を提出しろと命令したことに焦点を合わせている。
その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。
いつものようにSが近寄ってくる。
1名はすでに履歴書で確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。
Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社でペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。
少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。
しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。
準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。
ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。
あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。
そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらいの食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。
この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。
「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」
そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋でテーブルを囲うことになった。
はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。
Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。
僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバルの従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大でストレートに交わっていた。
世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。
こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。
聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。
ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。
「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」
よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。
Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。
すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。
Sと新人女性2名、自分と店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。
タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。
それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。
いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。
「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」
こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。
酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。
「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分の根性を見直してこい!」
自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所にはいかない。
お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要な儀式だと譲らないからだ。
居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。
しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。
怒りにまかせて身を翻し駅前のタクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。
Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。
それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。
このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。
唐突に孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話のアドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。
Hである理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。
しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。
「すまない。特別に理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」
「今から来る?」
色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。
何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。
その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。
仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。
結婚生活には満足している。
それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。
ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。
「30分あれば着きます。」
それだけいって電話を切った。
Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。
相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。
今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。
テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒だけがいたずらに消費されていった。
気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。
何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。
”申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”
「誰にメールですか?」
Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。
Hも「そう。」とだけ答える。
「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」
子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。
自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。
猛烈な後悔が押し寄せる。
涙で目の前はかすみ、アルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。
周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。
いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。
身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。
今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。
死にゆくときさえも後悔で終わっていく自分の人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。
ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気が身体へと流れ込んできた。
肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。
涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。
音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。
カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。
僕は一度死ぬことが出来た。
後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。
まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。
人に誘われて、お金もらってシステムを作ってたけど、色々あって一緒にやってられなくなって離脱宣言した。
つまるところ人間的な部分で相性が合わなかったというのが結論だったと思う。
相手を責めるような事はしたくなかったけど、これまでの事もあってやっぱり感情的になってしまった。
話がコロコロ変わる。
約束をすっぽかす。
金を払っているんだからとマウント取ってくるし、払ったことをことさら惜しむ発言ばかりする
(ただし、賃金レベルは納得の上雀の涙程度でいただいていたつもり、まともな仕事として受けたら最低でも今の数倍は必要)
要求聞いて仕様切って、資料作って納得してもらった上で作ったつもりだったけど、向こうは全然要求に足りてないって思ってたのも辛かった。
プロジェクトで使うシステム選定も、運用ルールも回し方もほとんど俺が決めていた気がする。
議事録すら書かないで毎回話しっぱなしなので、こっちで議事録フォーマット作ったら、俺が書くのが当たり前になっていたもんなぁ。
なんだかんだで向こうの要求は最大限受け入れたつもりだったけど、この辺のやり取りが我ながら上手くなかったなぁ。
一緒にやろう、のスタンスで行くのかと思ったら「こっちは金払ってんだから」ってさんざんマウント取ってきたのは辛かったなぁ、
お前経営者になったら社員に事あることにそれ言うのかよ?って感じ。
お前より優秀や奴はいるんだ的な発言もあったし、若い奴を騙して引っ張ってきて作らせればいい(ほぼ原文ママ)的な発言もあったし。
悪気はないけどクリティカル、いや、悪気が無かった分、もっとクリティカルだったな。
ネガティブな見方はしないようにしてたけど、よく考えたら、これちょっとどうなのって思うな。
それを想像したら「あー、この人と一緒に事を起こすのは無理だな」って思った。
優秀な未来の経営者というより、二度と仕事を受けたく無いお客さんのレベルだったな。
他にも色々やろうとしていることに対してちょっと器じゃないなーって思う事がたくさんあった。
けっこう頑張ったんだけど、出来て当たり前位に思われていたのか、ねぎらいの言葉もなかった。
システム屋っぽい事は言うけど、実際のシステム作る際のノウハウとか、指向とか全く持ってないし、その労力についての理解も無かった。
私も一緒に作ります。とは言っていたけど、結局、そういう風にはならなかった。
でも、挨拶をしないとか感謝の言葉が無いとか、雑談が面白くないとかそういうのも結構デカいかな。
些細なことだけど、自分はそういうのが欲しいし大事にしているって事を改めて発見した。
自分ができない事を人がしてくれたらやっぱり嬉しいし、それに対してどんな些細な事でも、言葉で感謝を述べるって大事だなと思った。
そういうの、自分は今まで他の場面でちゃんとやってたかな。とか逆に考えてる。
どこかかつての自分を見ているようだし、自分にも至らない点が多々あった事を反省して
あーってなってる。
ありがちですね。声の大きい人が勝ちみたいな?
だったらその「お返しで」評価の言葉を得ているだけかもしれません。
評価されている方は、勤続年数が長いとか、無視できない部分がありませんか?
あるいはみんな量だけあってスキルを必要としない仕事をしたくないので、それをする人を大げさに評価しているだけでは?
それとも同じですか。だったら辛いですね。
単に元増田が呑み会嫌いというだけなら、個人の趣向だし好きにしたらええとは思ったけど、
無駄に日本の労働者全体に広げてどうしたいの?呑み会がなくなりゃいいの?
ちなみに、個人的には親睦会のひとつの形として呑み会があるのは良い、
呑めない人は呑まなくても良い、強要するのはアウトと考えているので↑みたいな意見。
ただ、呑み会という形でなくとも、
新しく配属されるならこれから一緒に働く人がどういう人なのかを知る場はあった方が良いだろうし、
仕事の途中ならこれまで一緒に頑張ってくれた人をねぎらいたいし、
辞めていくならその人が何か一言言える場を用意したり、送り出す言葉を伝えられる場が欲しい、
と思う。
自分の前の職場とかはアルコール抜きでもやってくれた。たまたま元増田の職場がアルコールに頼る文化だったというだけかと(良い/悪いではなく)。
アンパンマンで言うと
「僕の顔をお食べ」
と自分の顔をちぎって困ってる人にあげるの
言い換えれば身を削って相手のためになる。
でもさー、その顔を貰って腹痛起こしたとか、こんなまずいものいらねぇ、とか言って床に投げつける人っているよね。
善意を踏みにじる奴
別に見返りがほしいわけじゃないけど、踏みにじらなくてもいいじゃんね
逆に善意を喜んでくれる人もいるけど
とか言ってアンパンマンの顔全部食って、おまえは用なしとばかりに去る人
それもどうかと思うよね。
人からの善意が当たり前かつ、顔のないアンパンマンの心配を一切しない人
「貰った分は返せないけどせめてこの飴玉だけでも食べて」
っていう厚顔無恥な人々(魑魅魍魎)が溢れる中で、僕は生きなければならない。
友達なんていない。
【追記】
この人の相談に乗っても、疲れるだけで割に合わないとか結構思うので偽善なのかもね
偽善と言われても良いんだけどとにかく善意が当たり前かつなんの感謝もしない人が多い
もー人のためにしてあげるのがバカバカしく思うくらいに
そう思ってる時点で偽善なんだろうけど
人の足引っ張らことはもちろんせずに、自分の金・時間・労力を自分のために使う
これでファイナルアンサー
趣味でよくWindowsのパソコン修理、といっても簡単なレベルだが自作パソコンをかじってるので、素人よりかは毛が生えた程度にやっている。
仕事もパソコンではないがメンテナンス業務だから素人なりにパソコンのほうは趣味だが故障傾向や、ハードウェアの簡単な判断基準などや、あとまだなんとか生きてるハードディスクのデータ復旧などもする。
ただこっちも趣味のかたわらではあるが、得た知識と、技術、時間、それはある程度天秤にかかってることを相手にわかってもらいたいが所詮は「趣味なんでしょ?w」となる。
最初の一人は自分の仕事の時間がどうしても合わず、ただ相手も困ってそうだったので仕方なくSkypeだけは使えるから誘導してリモート操作でチェック。夜の21時から。
結果、事前に聞いてた内容で最悪ハードウェアの交換をしなきゃならんのかな?とか思っていたんだが、リモートですべてことたりた。
修理後、一通り話して。
「ありがと、じゃまたね」
スカイプ終了。
後日この人のスマホもgoogleのアカウントのログインができないって症状(結構めんどくさい症状だったから悪あがきしても結局は初期化)で治したりしたんだけど。
もう一人のパソコンはHDDのセクタ不良でWindowsが立ち上がらないからスタート。
HDD取り出して外付け化してCDIでSMARTの状況みたりしてダメだからデータ復旧ソフトで生きてるうちに復旧開始。
その間に新しい手持ち中古のSSD換装。Windowsの再インストール、ドライバの再インストール。
あとその他ハードウェアの不良個所チェック。(メモリのスロット側が死んでるのを発見)
結果はSSDの代金のみ。
こーいうとき、人にものを頼むことがいかに大変かとわかってる方々は時間にもよるが個人の趣味の範囲だったとしてもだよ、5000円か1万円を包んでくださる。
そんな風にいただけたら俺もこれを次のパーツとか買って勉強したりもする。
ただ、時間や技術、特にパソコンは放置するにもできない時間が多く、ただ画面を見てるだけみたいに見える時間が多くてどうしても効率化が難しい。
だから、そんな忙しいなら受けなければいいじゃないかといえばそうなんだが、人間関係的に受けとかないとなぁという実情。
せめて、お金とは言わないと、言いたいけど。
余裕がないならないなりに、あるならお金でもうれしいけど美味しいごはんに連れてってくださいよ。もっとほかのこと話しましょうよ。