はてなキーワード: にしこりとは
日記というものを書くのは初めてです。自分の記録用です。それをふまえて読んで欲しいです。
同じような状況に陥っている人のために書こうと思い立ったのですが、一応解説しておくにこしたことはないかと思って。ちなみにお医者さんに言われたこととネットで読んだ記事のまとめですので丸々信用はしないでください。書いてる人が底辺JKですので。
病名→伝染性単核球症(でんせんせいたんかくきゅうしょう)
原因→多分EBウイルスらしい
症状→発熱(38.5度前後が7日間)、鼻づまりと喉いた(これは薬で治った)、リンパ腺の腫れ(首の右側だけにしこりがあってずっと痛かった)、あと熱が下がってきた頃に脾臓が痛くなってきた
EBウイルスとは→EBウイルスはEpstein-Barr virusの略でヘルペスウイルスのお仲間。EBウイルスは唾液中に存在していて、それを介して感染するためkissing virusとも呼ばれているとか。日本だと3歳ごろまで7割の人が感染していて、20歳ごろには9割ぐらいの人が抗体を持っているらしい。青年期以降に初感染すると5割の確率で伝染性単核球症になるそうで。
伝染性単核球症とは→EBウイルスが主な原因の病気。潜伏期間は4~6週間。キス病とも呼ばれる。これマジでキス病って呼び始めた奴の首絞めたいですよね。症状は前述の通りで、風邪に似ている。高熱が1,2週間続くのとリンパ腺の腫れ、脾臓とか肝臓の痛みが特徴っぽいので当てはまる人は病院に行ってください。第3種感染症として扱う学校もあるらしいので校則を確認しましょう。運が良ければ出席停止になります。
自己語りします。重要なことなので。まず、何回か書いていますが私はJKです。そしてこの病気を発症した心当たりがありません。このウイルスに感染した心当たりがありません(大事な事なのでry
キス病とかいうクソみたいな名前の通り多くの場合はディープなキスをして感染する。JKなんだしそういうお年頃なんでしょ(笑)とか思ったそこのお前。心当たりがあったらこんな記事書いてねえよ( ゚д゚)クソが
八つ当たりをしても無駄なのでやめますが、本当にしていません。神にだって仏にだって誓えます。年齢=恋人いない歴で春を売ったりもしていない。スカートを折っても化粧をしてもいないし痴漢をされたこともない。もはや異性と手を繋いだのとか小学生のときの運動会が最後だよ。喪女まっしぐら。
じゃあキス以外に感染経路はあるのかという話です。単純な接触感染や空気感染はないし、飛沫感染も可能性が低いらしく、ありえるのは回し飲みなどの行為。
……これもしてないんだよなあ。
残念すぎるが私には友達がいない。同じ部活の子は友達なのかもしれないが、一緒にお昼ご飯を囲む仲の人間はいないのだ。べ、別にクラスで孤立してるってわけじゃないんだから。話せる人はいるよ一応。
そんなわけで、いわゆる女子グループによくある「お弁当の食べさせあいっこ」や「回し飲み」はしていないという。悲しきかな。
本当に何で感染したんだ??
最後の可能性として家族です。まあその、私は両親と仲が悪いわけではないので、スイーツ食べてて「一口いる?」とか期間限定の飲み物を買ってきて「飲む?」とか普通にやってます。私からもするし親からもしてくれます。なので感染しやすい状況にあります。
ところがどっこいですよ。この病気、「青年期以降に初感染すると5割の確率で」発症するんですよ。つまりどういうことかって?
親が原因なら、私は青年期どころか幼児期には感染してるってことだよ!!
赤ちゃんの頃はちゅーとかされまくってますやん。んで大きくなってからは回し飲みとか普通にしてますやん。重要なのは「初感染」ってところです。つまりこの病気、青年期に発症したなら親からの感染はほぼありえないってことですよ(自ら首を絞めていくスタイル)
普通の人は青年期にこの病気にかかったら、それはまあ春を知ったということです。もし親の立場でこの文章を読んでる人が居るなら、そっとしておいてあげてください。娘の立場からのお願いです。そういう行為をしたのかどうかはお子さんの反応を見て察してあげてください。でも、もしお子さんが否定の立場を一貫して譲らないのであれば感染した原因を一緒に考えてあげてください。こうやって親にあらぬことを疑われて、痛くもない腹を探られて、ましてや濡れ衣まで着せられて。散々な気持ちにさせられるのは私だけで十分です。親がちょっと嫌いになりました。
……ここまで書いておいて思い出したことがあります。 発症時から見て1ヶ月半ほど前に調理実習しました。エプロンと三角巾はしましたがマスク着用の義務はありませんでした。え、原因これ以外にありえなくね???
Pornhubにはライブチャットサービスがある。もちろん無料。でも寄付はできるので、世界中のえっちな人たちが顔を晒している。
性欲がクソ強いので毎日3回は抜いているのだが、10年間のえろえろ人生(ただし孤独)でライブチャットを体験したことがなかった。
なぜって、俺は女の人が好きなのでえっちな女性の暖簾をくぐるんだけど、そしたら「はろー増田ちゃっとしよー」みたいなことを言ってくるのよ。美人が。
相手には今誰がライブチャットを見ているのかがわかってるのね!これ怖い!10年間一方向のエロ動画を見続けてきて、女性と話す機会も多くなかった俺にとって、俺に反応してくるえっちな女性は怖かった!しかも外国語!
一方的に覗くという行為は安全圏からえっちな光景を楽しむわけだから、心の底から安心しきってるけど、ライブチャットってコミュニケーションのエロなんだよな。反応があるのよ。チャットしなくても、そこにいるだけで「はろー増田」になっちゃう。
さっきとんでもないブロンド美女のライブチャットを覗いたらさ、俺しか見てる人がいなかったみたいでさ、ひたすら「はろー増田!はろー増田!」ってやられて怖かったよ。チャットで返事しないと困らせちゃうんじゃないかと思って。
やっぱ、ライブチャットで沈黙するのはマナー違反なのかな。会話とかどうでもいいから一心不乱にしこりたい人間には向いてない世界なんだろうか。
なんか人気ありそうな人のライブチャットの片隅でコソコソとシコるのは楽しそうだけど、客のいない美女にひたすら「はろー増田」やらせるのはなあ…
ジムがいいんですか?
まず「行きたくなるような一言」。
ただ、個人的にはジムをあまりおすすめできないのですよね。私自身がおおむね週2のペースで1年ちょっと続けたくらいで挫折してしまったので。
あごの下辺りに違和感が出てきて、最初はほとんど気にならない程度だったのでジム通いを続けていたのですが、1か月ほど(かなり前のことなので記憶が曖昧なのですが、だいたいそれくらいだったと思います)のうちに酷くなっていき、その部分にしこりがあることが指で触って分かるほどになりました。しこりは熱を持ち、痛みのようなしびれのような感じもあって、筋トレで力を入れるのに支障が生じる状態だったため、やむなくジム通いを中断したところ、しこりはほどなくおさまりました。
無論、しこりとジム通いとの間に関係があるかどうかはまったく分からないのですが、ジム通いを続けているうちは悪化し、これを中断するとすぐにおさまったこと、またジム通いはあくまで趣味として行っているものであって不安を抱えながら続ける意味もないと考えたことから、それを機に私はジム通いをやめ、以後そのような状態になったことはありません(念のために付け加えておくと、ジム通い以前にそのような状態になったこともありません)。
私自身の挫折の原因は上記に尽きるのですが、もう1つ経験上ネガティブな情報というか注意すべきことを申し上げておくと、ジム通いは腰痛の危険があります。私はそれまで腰痛の経験などまったくなかったのですが、トレーニング中に動くこともできないほどのものすごい腰痛におそわれたことがあります。これは私のトレーニングの仕方が悪かったというだけの話ではあるのですが、特に自治体の施設などを利用する場合には最初に簡単な講習を受けてあとは各自で勝手にやる、というケースが多いでしょうから、注意が必要だと思います。
ペースはやはり週2程度、1回の利用は500円(時間制限なし)と少し高くなりましたが、現在まで体調への悪影響はまったくありません。あくまでも私個人の経験に基づく印象論ですが、減量という見地にたつならば、ジムよりも明らかに効果も高いと思います(私自身はジムも水泳も必ずしも減量を目的としていたわけではないのですが)。
素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。
幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。
乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。
でも全然カンタンではなかった。
家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。
判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。
手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。
いろんな後悔が今も心に残っている。
こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみて下さい。
ほんの些細なこと。
10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。
その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。
それから1ヶ月が経った頃、
朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。
違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。
ピンク色の東京タワー、ピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。
ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。
夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。
大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安にかられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。
しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。
人間、不安なときは都合のいい方の考えに飛びついてしまうものだ。
私は、
と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。
翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。
考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。
今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。
一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がんを検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったから検討がつかない。
よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。
そういって若い女性の医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。
その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。
診断は
違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。
乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常の生活に戻った。
「大丈夫でしょう」という自分の安易な判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。
それから2年、私はしこりのことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。
日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日。
その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。
夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。
暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。
私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。
夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。
とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」
との回答。
しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。
「乳がんの専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見を採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。
まずは触診。先生の無表情さが不安を掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。
終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます。検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。
もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。
これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分が乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。
この一週間は今まで感じたことのない長さだった。
加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。
診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。
先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。
何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。
我を取り戻した私は、
「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。
結論は手術。
私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。
女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘を選択した。
医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。
まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。
ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。
次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。
母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。
と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。
親の前ではやはり自分は子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。
仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。
私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。
仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると
という反応。
特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。
更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。
中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。
私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベルの男性と結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。
昔から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那の愚痴。家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。
由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。
由美にも率直に
と伝えた。
ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。
するとA子は
と言い放った。
彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。
死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。
ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。
私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。
これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。
家族の不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブな感情を抱えながら私は手術に挑む。
スケジュールが出た。
手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘を選択したために術前の化学療法はなし。
手術2日前から入院となった。前日からは食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。
手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由はリンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。
乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。
でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。
翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。
わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。
術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。
7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。
そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。
左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分の身体から目を背けたくなる時期もあった。
でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。
気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。
期間は3週間を1クールとして、8クール、複数の抗がん剤を組み合わせての実施。
抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。
抗がん剤治療は想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気と貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。
覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。
2クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。
3クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。
それにしてもケアグッズも高い。
あまり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がんは治療以外にかかる金銭的負担も大きい。
4クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。
いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。
こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。
楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。
抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。
化学療法を無事に終えた私は最後の治療、放射線治療に入ることになる。
放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的な負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。
放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。
ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。
手術をしてから約半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。
毎日毎日通った病院。乳がんを発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。
検査のときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。
お陰で私は現実と向き合い、治療の目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう。
そう言えればどれだけ幸せだろうか。
一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。
こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。
そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活を改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。
乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。
幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。
ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のときは帽子を被るようにしている。
左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。
胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友の言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。
以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事と抗酸化作用の高い食品をメインにしている。
そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活のリズムを整える意味で意外と気に入っている。
家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事も積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。
夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。
先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。
親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。
こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。
でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。
どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。
乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。
もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・
早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスクも存在しない状態で治療が終わっていたと思う。
親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。
10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がんを自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。
乳がんは女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。
おかしいと思ったら指摘するし、
と考え、行動し、人にもそれを言うような働き方をしていました。
僕自身、それが果たして良い働き方なのかと言われると、いま自信はあまりありません。
言っていることはあまり間違ってないと思うし、
変えようとすることも悪いことじゃないと思うんだけど、
先輩たちにはたぶんしなくてもいい、言わなくていい、そう思われてる気がする。
実際、数値としても成果は出せているし、仕事量も先輩たちより多くこなしている。
常に改善を繰り返して効率化させて、質量ともにできる人だと成果で示してる。
先輩たちよりも上に行こう、行きたいと思っていて、これまでも先輩を追い抜いたりもしてる。
断言できないが、同じ職位や近い職位の先輩にはたぶん結構嫌われている。
具体的に教えてくれなければたくさん質問して、問題点を指摘して、
今まで先輩たちがやってきてることは違う、と言うから。
後輩には嫌われてないと思う。
ちゃんと具体的に仕事を教えるし、自分のノウハウを伝えることも惜しまないから。
みんながおかしい、分からないと思うことを率先して先輩たちに質問、要求するから。
少し職位が離れた上司にも普通に評価されてると思う。数値や成果を見られた上で。
そんななか昨日、とある先輩に「なんて言ってほしいのか。お前が正しいと言えばいいのか」と
いう旨のことを言われた。
気にするつもりはなかったけど、なんだかそれが自分の中で胸の中にしこりのように残った。
「何を言われたいとかじゃなくて、正しいことと間違っていることは明確にして正して、仕事を進めるべき。先輩の気分でそこを適当に決められたら困る」
こんな風に普通に反論したけど、あれ、よく考えるとこんな反論に意味なんかないよね?
あれ、僕はなにと戦っているんだ?
はじめてのズル休みだ。
駅を出て、ふと見上げたら青空だった。
すごく体が軽い。
こんなに体が癒えていくのはどうしてだろう。
睡眠や運動や瞑想の習慣もつけて、毎日三食しっかり手をかけて自炊し、野菜もちゃんと心がけてた。
病んでるつもりも疲れてるつもりもなかった。
なんでこんなに「解放された」気分になるんだろう。
少し自分を変えたほうがいいのかなと思った。
休みがあけたら、どんな風に働くべきなんだろう。
俺はどーも、モテるために努力というのにしこりがあったんだけど。
狩猟みたいなもんだしな。
スポーツのために、体を作ったり、装備を整えたり、長期間トレーニングをして、試合をする。
これモテると考えても同じじゃん。
いやね。どーも、恋愛って気持ちの問題じゃんって思ってたんだけど。
そもそものフィジカルで勝負できないんじゃあ、スポーツでも勝負できない。
重量上げ、相撲、テニス。それぞれに適応したからだと戦略がある。
というのも、今xvideosで白人同士のセックス動画見てたんだけど。
おっさんは禿げてて、ヒゲも白いんだよ。いかに白人といえど、これは、、、。
って思ったんだけど、セックス始まって脱いだら、腹筋凄くて、腕も明らかに筋トレしてるなって腕なんだよ。
この肉体美は女には無理。
イケメンとかもここまでの肉体は無理。
もちろん、この肉体に魅力感じる女がどれだけいるのって感じだけど。
これはあるんじゃないか。
単にデブって筋力とかではなく、
技術に合わせた体つくりってのはありそう。
BMIだと、20~25で、服は筋肉強調されるような。ん?ホモファッションじゃねーか?
そうか。なるほど。
好きなものが一緒で
少しずつ話しているうちに好きになって付き合って
胸騒ぎがして彼女の家に行ってみたら
付き合って一月もしないうちに
元彼と事が終わった状態でお布団の中だった
あの時は本当に辛かった
家に帰ってお酒を飲んでも酔えないし
眠りたくても眠れない
この時は本当に辛かった
そのあとメールやら会って話し直して一度別れた
それから数ヶ月後に
心にしこりが残っていても
それでもまだ好きだったから付き合い直したんだけど
やっぱりどこまでいっても
本当は結婚まで考えてたんだけど
生まれる子供が自分の子じゃないかもしれないという思いもあって
数ヶ月後に最終的には別れた
自分が浮気をしそうになった、浮気をしたとかあったならまだしも
それから数年
たまに人肌が恋しくなる事はありますが
ひとつひとつの情報は小出しになっていて、少しずつ状況は飲み込めてくるんだけど、三巻まで読み進めても描かれている社会全体のシステムや、「なぜ」「それら」が「そうなっている」のかがいまひとつ分からない。というかむしろ物語の基盤をなすそれらの謎がより大きくなっていくのがすごいところだし、面白い漫画なんだと思う。
どの巻も帯の煽りが不穏なのが気になる。三巻では天国の街の様子も描かれていて、それが一層この漫画の分からなさを加速させている。またかつて天国というか現実社会で巨大な地震や津波のような天変地異に見舞われた描写もあって、瓦礫を処理している場面や、それらと無関係に過ごしている現実社会の人々の暮らしぶりを対比させると、東北大震災以後の社会をテーマにしているのかなとも思うんだけど、それだけじゃランドの存在が説明できなくてもやもやする。
全体的に分かっていることと分からないことが明白に色分けされた漫画だから、ミステリー好きが読んで損はないと思う。
番組の尺は有限じゃないですか
人となりにスポットを当てる時間があるなら、「そもLEDとはなんぞや」から解説してほしい
これだけ普及していても、恥ずかしながらなんでLEDが光るのかの原理を知らないし
赤と緑が先行してできていて青が難関だったってのも初めて知って、何がそんなにネックだったのかなと思った
いや、ぐぐればいいんだけどね、せっかく尺があるならもっと解説に使ってくれたらいいのにな
窒化ガリウムってポーンと物質名だけ言われても、教養のない自分にはなんのこっちゃですよ
って思ったんだけどさ、自分の周囲の勝ち組さんを見てると、人となり報道を好きみたいなんだよね
ちょっと前のにしこり選手とか小保方さんとか、ニュースになった翌日に「ドコドコ出身なんだってね~」「ナントカが好きらしいね~」みたいなことばかり言ってて
試合内容とか研究内容(オボさんの場合はアレだけど)には興味ないのかな?クッソつまんねえ話してやがんな?と思ったんだけどさ
考えてみれば、その勝ち組さんってスゲー人づきあいに気を遣う人なんだよね
他人の誕生日とか家族構成とか、出身地とか、好きな俳優さんとか、一度話しただけのことでもスゲーちゃんと覚えてるの
ひるがえって自分はどうかと胸に手をあててみると、そういえば他人に興味無いわ
人づきあいを円滑にやっていくための情報にまったく興味が持てないし、聞きだす努力も放棄してるわ