はてなキーワード: なる子とは
子どもが欲しいかもしれない状況なんだけど、自分の中でほんとに子どもを生んでも良いものか、みたいな整合性?が取れなくて、
実際に産んだ人はどのように考えて子どもを産もう!育てよう!となったのかが知りたいです。
私は記憶を遡れば保育園の頃すでに見た目のことでからかわれ、学生時代は常に容姿をきっかけにいじりやいじめを受けてきました。たしかに客観的に見てブスと言われるポジションです。
自分の容姿に自信がなく、自分の容姿によって辛い思いばかりしてきたので、この容姿を引き継がせてしまう可能性が高いことが申し訳なさすぎて子どもを産むという選択を取れずにいます。
もちろん絶対に私に似るとは限らないですし、自分の容姿を受け入れて楽しく過ごしてくれるかもしれません。でもそれは「かもしれない」の話です。
そういう微々たる可能性に賭けて私の「子どもが欲しい」欲を満たすのはあまりにも子どもに申し訳がないです。
結婚の次のステップとか、私が充実した人生を歩むために子供の命や人生を利用しているのでは?と思ってしまいます。
夫はどうしても子ども欲しいわけでもないし、何より私の健康やキャリアにも影響することなので私が納得するならどちらでも良いと言ってくれています。
自分が納得していないもの(私の場合は容姿や容姿を嘲笑する社会のあり様)を、自分にとって大切な存在となる子どもに押し付けてしまう、ということが自分の中でどうしても許せず、この気持ちを抱えたまま子どもを産むのは絶対に良くない、仮に産むのであれば客観的に見て整合性のとれる理由が必要だと感じています。
子どもを生んだ人の中にはさすがに私までと言わなくても見た目に自信のない方や、生活する上で苦労する身体的特徴や体質を持っている方もいると思いますが、そうしたものを子どもに受け継がせてしまうかもしれないことをどう自分の中で整理して出産に至ったのかが知りたいです。
ちなみにブスなのになんで結婚できてるんだ?と聞かれるかもしれないので話しておきますと、夫とは趣味を通じて知り合い、趣味を通じて仲良くなり、友人関係が5年以上続いた後、付き合い始め結婚となりました。
夫と仲良くなれたことも付き合えたことも本当に奇跡だと思っています。
分かりやすく私のブス度合いを言うと、振り返って二度見される、通りすがりの人と偶然目が合ったときにギョッとした顔をされる、は日常茶飯事です。
先週土曜日のホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季の黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかわからない。
開幕前、現在の首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。
理由は監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生のときの担任と黒田監督が激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。
その担任はメタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹そのものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。
贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較的勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子、可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子、勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生のときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。
黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。
は????あいつ今高校サッカーの監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。
まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部の試合は見られない。
でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。
やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督が一年目で昇格を決めた。
あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。
テクニカルコーチを持っていかれたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています。
ああ、別に、移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。
話を戻して
重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね
てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど
アルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督・コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。
ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。
なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後の最後になんとか一矢を報いて終わる。
ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段でしかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてからの判断が遅い、悪いケースが多すぎる。
それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。
パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインでボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか。
と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます。
2003年11月23日の初昇格を決めたあの日から、J2降格を経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。
上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と
ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と
そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。
でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。
大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。
たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。
嫉妬とは、自分が努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情。
J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督のサッカーを継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと
結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷や罵倒は論外ですが。
反町監督がいたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果からの判断は、やはり切り離して考える必要がある。
札幌や京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。
去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども
すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。
中部精神事務所から、申し立て人が広汎性発達障害に該当する旨の理由書および弁明書の提出があるがそこに記載されている内容は不合理に過ぎるものでとうてい認められない。
理由は、申し立て人の30,40年間の人生について都合のいいような抜き書きとまとめをしているだけの診断書で何の根拠もないこと、明らかに虚偽であること、本件診察医においても
明らかに虚偽であることを理解していてあえて診断書を書いていること。専門的技術的な知見に基づいても申立人を昭和63年以来の広汎性発達障害が存すると認定したことについて
およそ精神医学的な根拠、理由は存在していないという他ない。申立人にアスペルガー症候群が存するか否かについては結局、 申立人が、逮捕され刑務所に入るまでは明らかに祖母と一緒
に暮らしていた単なる子供であったこと、申立人がASDに罹患したのは黒羽刑務所の訓練の結果であることは明白であり、黒羽刑務所の訓練の内容の分析いかんによってくるのであるから、
その訓練の内容を分析し、訓練によって申立人がどのような精神疾患に罹患を完成されたかを決定するのが相当である。申立人の精神疾患は、平成26年9月25日からの野田クリニックでの
診察の結果、生来の自閉症で応答に乏しく母親が殆ど答える、留置所の待遇を批判し法務局に行う、気に入らないことがあると大声を上げ、暴力はない。夜間に2時間~2時間30分の
ジョギングをしており、規則に拘ることからASDで、被害妄想があることから統合失調症であって、精神障害の程度も、④で重度であると評価されていた。
関東信越厚生社会保険審査官は、幻覚妄想自閉感情平板化意欲の減退という状態を呈しており、気に入らないことがあると大声を上げるし服薬しないと寝られないなどがあるとして、
その程度も、④であり、軽いとは言えないとして、年金等級を2級としている。しかし申立人が、逮捕以前に祖母と暮らしていた子供であったこと、違法な判決で刑務所に服役したなどという
どゆこと?
25年続いている魚拓サービスやblogサービスやホームページサービスがあるか探せって言ってるの?
Amebaはまだ20年、goo blogも大昔からある気がしたけど20年らしい
個人のホームページで真面目な個人の日記なのでリンク貼るのやめとくけど、
1999年から2024年まで書いてる記録とかゴロゴロあるやで
1990年代は『キメー』とか『だりぃ』とか『スノボ』とか書いてた人が、
『社会人になる子どもに最後のお年玉をあげるよ。自分たちの子供として産まれてきてくれた事、無事にちゃんと育ってくれた事に感謝して』とか書いてるの感慨深い
でも妙にネトウヨだったり、やっぱ根本って変わらないなって思ったり
あと、毎年家族で海外旅行+国内旅行に行ってるけど、投資もやって、家買って、車買って、子ども大学行かせて、趣味もやってる人が、
たった1人5000円の食事が高いって言っていて、ワイの金銭感覚って死んでるどころじゃないのかもしれないなって改めて思いました
ていうかそういう報道をされたらますます加害欲から幼児をレイプしたがる男は増えそう
@Hoikushikaigai1
報道すべきだと思う。海外で幼児がレイプされた時の新聞記事を読んだら「内蔵の損傷、現場は血だらけ、将来子供が産めるかどうか分からない...」と書かれていて、両親と近所に住む人達の怒りのコメントもすごかった。日本人の私はこの記事を読むまで、被害状況を考えたこともなかったし知らなかった。
@jpmancomicoande
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病院勤めだった立場から言うとレイプされた6歳未満の女児ってわりといて内臓の損傷もすごいしずっと泣き叫んでたりその後数年以内に亡くなる子がほんと多いんだけどそういうことって報道されないよね。
https://twitter.com/Hoikushikaigai1/status/1769861386861937124
6年生担任が最高のパフォーマンスで学校を沸かしていると、知人がLINEで教えてくれた。当方、田舎の小さな学校だが、都会の大型校の話に驚くしかない(どこの県かは伏せる)。
とにかく、自分の学年とクラスの子供の自己肯定感を高めるために、ありとあらゆるネタを仕込んで、子供たちに実行させてるような気分にさせる。保護者からのウケもいいので、校長や教頭すら頭が上がらない。若い先生たちのヒーローらしい。いわば、最高の教師だと。
猛練習した結果、卒業生の2割が欠席。式の途中で気分が悪くなる子も続出。式の終盤になったところで6年生の一人に「揃っていない卒業式なんて意味がない、やり直ししよーぜ」と言わせた後に、最高の教師が大演説パフォーマンスをして、生徒と保護者を説得。その場で「卒業式のやり直し」を管理職に迫って、認めさせたという。
ほとんど卒業式が終わってんのに、別の日のやり直しをその場で決めるのかよ。テレビドラマみたいなだな、都会。
卒業式が2回もあってうれしいか?5年生とか、来賓とかスケジュールどうすんのよ。 そもそも、体調悪くするぐらい練習させてるとか、組体操とか、子供に現金扱わせたり、無駄に追加行事とか、ほかのクラス・学年を貶めかねない言動とか、私からすればダメ教師でしかないんだが。
知人は学校でなぜか動画を撮っていて、見せてくれた。私には、やはりダメ教師にしか見えなかった。
日本は広い。
赤ちゃんから幼児に進化しつつある我が子はとにかくかわいくてかわいくてかわいい。覚えたての日本語まじりの宇宙語でたくさん話しかけてくれるし、短い頭身で拙いダンスをするのも、見るもの全て新鮮に映る様子で走り回るお散歩も、絵本を持って当然のように膝に座ってくる態度も、全てが可愛い。もみじみたいな小さくて可愛い手が当たり前みたいにこっちに差し伸べられるのを、柔らかく握り返す度に「あぁなんて尊く短い時間を過ごしてるんだろう」と思う。
でも自分は臨月前に緊急帝王切開で出産し、低体重で産まれた我が子が新生児期に風邪で入院して。「尊い存在に出会えた」って感動からの「この子が死んじゃうのでは」って生涯一の恐怖を体感してから、産後うつを発症してしまって、長らく医療や福祉のサポートを得ているんだけど中々治らない。本当は上段に書いたみたいに、ただただ我が子の可愛さを感じつつ育児を満喫して過ごしたいんだけど、寝込んでいる時間や保育園に預けてる時間が長くてできていない。信じられないくらいすぐ疲れるし、疲れても頑張ると、すぐに死にたくなってしまう。子供をおいて絶対死ぬわけにいかないから死なないけど。死なないために今の育児になってる。半分以上夫に頼り、保育園に頼り、子供を一緒に過ごす時間は少ない。
子供のことを何よりも愛してる。この尊い時間をもっとずっと一緒にいたい。色んなところに連れて行って、だきしめて、体力の限りあやして、笑顔をもっとみたいな。でも実際はごはんを手作りして、1日3〜4時間くらい一緒に過ごして絵本を読んでお絵描きして、大好きだよと抱きしめて、週に一回近所のどこかに一緒に行くくらいしかできなくてごめん。ごめん。さみしい。
今でこそ勉強でいい高校だの大学だの行こうって奴は基本みんな塾に行くけどさ、昔は学校の勉強と自習だけなんて奴も結構いたわけじゃん。
それと同じで、今は自分の力で恋愛して結婚するのが一応主流ってことになってるが、今後しばらくしたら自分の力でそういうコミュニケーションを身につける奴の方が珍しいみたいになるんじゃないかね?
30過ぎて結婚相談所に駆け込んでから人生を取り戻すように異性との付き合い方やそもそも人としての所作なんかを金払って学ぶんじゃもう遅い。中学校やら高校やらの頃から「他人との適切なコミュニケーションの取り方」を教える塾みたいな所にある程度通って、その辺りのことが整った状態で社会に出てくるようにそのうちなる。
だってガチの非モテって結局「モテないけど友達は多い」とかじゃなくてそもそもコミュニケーションがおかしくて友達もまともにいない奴ばっかりじゃないか。
言ってしまえば幼児の療育や小学校以降の情緒学級なんてのは他人とのコミュニケーションの取り方が大きく普通と異なる子にその齟齬を減らすための教育を施す場なんだし、精神科でやる認知行動療法なんかもその側面はあるから、その手法自体はすでにこの世の中に存在するわけで。
あとはそういった内容を薄く広く皆に適応するような教材にして、コミュニケーション塾として中高生やその親に売り込めば出来上がりじゃないか?
30超えてからいきなりコミュニケーションの勉強しようったって大変だもん。突然今までと別分野の勉強してすぐに身になるような年じゃもうないだろ。
リクルートやベネッセあたりがそのことに気づいて真面目にセミナーや教材にしはじめたらもう流れは止まらないんじゃないかと思う。ていうかもうはじまっているんじゃないか。