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はてなキーワード: どん底とは

2024-04-21

anond:20240421235514

実は優秀とわかったら捕らえて洗脳魔法や脅しで屈服させて死ぬまで奴隷にしたり

こっちをザマァしたのなら幸せ絶頂の所でどん底に叩き落としてやりたいよね

雑魚のし上がるのは駄目だ、潰さなきゃ

2024-04-18

新卒女の子はどうせ俺を裏切る

優しくしてやっても

どうせ彼氏がいてセックスしてるオチ

から意味がない

俺がどれだけ優しくしても意味がない

こういう女をは不幸のどん底に落ちるべきと考えている

許さん

2024-04-06

anond:20240406175246

しろ日本大人大学遊んだあと社会に出てからまともに勉強しないしズルのやり方ばかり覚えるので、経験も知性も高校生ピークで相対的にそのあとはどんどん底辺化してくよね

大学鬼のよう勉強する場所で、社会に出た後も学び直ししたり大学に行きなおしてキャリアを広げたりする社会大人になってからもどんどん経験と知性を積み重ねるから

2024-04-03

anond:20240402155339

ゼロトレランスは疑いの声が大きいぞ。

それで未来の性被害者人生をまたズタズタにしてどん底に落としたらどうするつもりだ。

2024-04-02

会社しんどすぎワロタ

15年目でも普通にめちゃくちゃしんどい

今の会社がまあまあおかしいのも大きいが、どん底気分の日そこそこある。

2024-03-31

anond:20240331151307

物事楽しくとらえた方がうまくいくからな!!どん底でも笑えればコメディ

夏季休暇に米国都市部から日本に戻る飛行機の中で、隣席の若い日本青年雑談をしたところ、

短期留学に行ったのだが騙されてお金を巻き上げられた…とどん底の表情で告白され、思わず聞き役になってしまった

帝国ツアー会社詐欺師を雇い若者客の迫害活動をしている疑いが濃いが、確証が得られておらずまだどうしようもない、と言っておいた

統一教会だったかもしれないなぁ

創価学会員はひとまずは親切だしカミングアウトするよね(諜報活動だろうけど)

2024-03-30

このどん底人生から這い上がるにはやはり芦田愛菜ちゃん陰毛必要・・・

なんとか、一本でもいいので手に入れて人生を反転させたい

おしっこ匂いがついてたらきっと人生逆転できるはず

人生が手遅れになる前になんとかしたい

2024-03-26

『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』

単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。

その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である

たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジム所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。

対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイド生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。

でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。

持つ者はいいよな~?

それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから

畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガン綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。

金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。

じゃあどうする?

正攻法じゃ勝てねぇから、腹を決めてぶっ壊れるしかない。

そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――

とても悲しい事だが、持たざる者努力をすると、自律神経が乱れ、情緒不安定になり、ノルアドレナリン闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキー毎日突入やすい。

怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。

そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。

しかしながら、試行錯誤――破壊再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。

そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。

一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップワードだろう。

ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生でろでろに腐ってゆく。

からこそ、ファイトクラブ名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしくフルスイングで開き直って、「人生自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫びハイリスクな一歩を踏み出すしかない。

というのも、代表的弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。

そんな絶望境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギー必要になってくる。

寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。

そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。

であるからハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。

いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。

その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。

その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。

そして、精神コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。

やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズ人生渡り歩ける訳じゃない。

人類社会に立ち向かって、一所懸命努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。

とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。

すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。

そうなれば必然的に、こちらの心も殺伐としてしまう。

そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である

といった流れで、『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』という、悲しき物語が広がってゆく。

2024-03-20

年を取った発達障害者の末路。人生の虚しさがヤバい

ADHD……ASD……LD……。

というよりか、学歴職歴資格も、手に職もないままに、年齢だけ重ねてしまった、社会不適合者の虚無感が、マジでやば過ぎて恐ろしい。

この僕にしても、ちょっと油断しただけで、虹の橋が見えてきて、生きた心地がしなくなる。

からこそ最近は、自宅でひとりきりの時も、シャドーボクシングならぬ、シャドートーキングとして、目の前にドッペルゲンガーの僕がいると想定し、ひっきりなしに喋るようにしている。

もしくは、僕の作業部屋――、後ろでいつも見守ってくれている、グッドガ人形チャッキーに、「おめめパッチリ可愛いな」「おまえのクレイジーさを見習うぜ」などと話し掛けて、心を上向かせてゆく。

要するに、『セルフトーク(心の声)』の狂気版であり、なるべくアホでポジティブ話題を、たった1人の時にもばら撒いて、頭を前向きにバグらせる……という寸法。

ではなぜ、これらの事を全力でやるのかと言えば、いつだって鬱々しさのスタートは、『自分視線が脳に向かう感覚』『意識が内側に閉じこもる感覚から始まるゆえ、思いつきの言葉物理世界に投げ込むことで、悩ましさから脱出するのだ。

それだけじゃなく、なるべく貧乏揺すりをしたり、部屋の中でも歩き回ったり、横になる時間を減らしたりして、自動的思考を止めるようにしている。

正直な話、なんの安定感もない暮らしの為、横断歩道を渡っているとき、4トントラックで跳ねられたくなったり、交番の前を通っているとき発狂した警察官に射殺されたくなったりと、「そろそろ魂を休ませたいな」と、しょっちゅう願ってしまう。

これってのは、鬱症状だとか、考え過ぎだとか、そうした個人問題ではなく、社会病理――是正されない格差問題だ。

たとえばアメリカでは、学歴格差経済格差により、尊敬されたり、感謝されたり、愛し愛されたりする機会を損失し、やり甲斐をなくして不健康になり、そのままぶっ倒れてしまう事を、『絶望死』と呼んでいるらしい。

よくよく思い返してみれば、そんな別大陸の話をせずとも、僕たちが住む日本――『氷河期世代』以降の人々はとくに、薄給非正規ゴロゴロといて、ストレスだらけで暴飲暴食し、孤独な日々で自暴自棄になり、身も心もズタボロであるから、「続々と早死にするのではないか?」と言われている。

やはり、どこまで行っても、ここは資本主義の国である

稼ぎを得る体力/知力/精神力も……技術も人脈も資金力もないとなれば、年々、生命力が衰えるごとに、より不安定で貧窮した暮らしになりやすい。

こうした現実直視すると、「不幸のどん底に堕ちる前に、若年性のぴんぴんころりで、さくっと全てが終わったら良いな」と、巨大なる虚無感に襲われる。

からこそ、頭のネジを外して問題を起こしまくるか、死んだ魚の目でぼけ~っと過ごすか……そうやって自分の心を守る為に、極端に生きがちになる。

よく世間では、『中庸こそが幸せ秘訣』と叫ばれる――「何かに偏らずに、真ん中の道をゆっくりと進もう!」という教えだが、そんな悠長な事は言っていられない。

統計的に見ても、経済的に困窮した弱者は、健康を害しやすく、孤独を来しやすく、早死にしやすいからだ。

――そうは言いながらも、闇雲に生き急いでしまうと、ちっちゃなミスを連発し、コツコツと修行できなくなり、周囲の人間をないがしろにし……などなど、より一層、ピンチを招きやすくなる。

からこそ僕は、カオス型の幸福論――『矛盾を愛する、混沌を愛する、狂気を愛する』、そんな姿勢を磨き上げて、ぐちゃぐちゃな日々に突入しても、それを全てネタにして物を書き、腹の底から喚き散らして、己が生きている全時間を、無条件で肯定してゆきたい。

ちなみに、僕がハマっているお笑い芸人ヘッドライト町田(50歳/男性/独身)は、寝る間を惜しんで、バラエティ番組を片っ端から録画し、DVD整理整頓をし続けている。

しかも、バイトダビング作業で忙しいゆえ、録るだけ録っておきながら、ろくに視聴していないらしい。

もはや録画の為の録画であり、ただの惰性というか、「きっと将来に役立つんだ」「大事な物なんだ」と固く信じて、心の安定を得る為の、儀式みたいなモンなのだろう。

こうやって頭をバカにせねば、売れていない現状で目が痛い……

お金地位も名声もお嫁さんもGETした同期の奴ら、

うだつの上がらない非正規生活

年齢的な厳しさ――など、

容赦ない現実タコ殴りにされてしまう。

まり一見かに見える事が、極大の虚しさ……精神崩壊を遠ざける為の、最善の手段な事もあるのだ。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

氷河期おじの末路

多分氷河期おじ最後希望インデックス投信積立が一番金が要る年代どん底になって死ぬんだと思う

2024-03-16

初恋の人が初カノになって結婚して離婚した

それまで恋愛なんか興味なかった俺が大学出会って一目惚れした人に人生告白したら上手く行って初カノになった後そのまま学生結婚して結婚式も挙げて友人に祝福されたあと大学卒業と同時に離婚切り出されてショックで就活うまくいかなくてバイト生活になります

20代前半にして人生の最高潮どん底を同時に味わった気分。

こんなんだったら彼女孕ませて子供人質に別れさせないようにできれば良かった

世間の真面目って相手にいいように利用されるだけなんだなって

彼女はどうせ今ごろ別の人と結婚してるだろうな

くそったれ

2024-03-09

(言えぬ…)

(この流れで、躁鬱の鬱気のどん底で外に全く出られず、通販置き配で買った乾パンで命をつなぎながら、

でも二駅離れた病院に行くこともできず、薬が切れ初めて死を感じているが、役所にも支援団体に連絡する気力もなく、

電気もつけずに布団にくるまって、Xと5chと増田でくだ巻いてるなんて、口が裂けても言えぬ…)

2024-03-04

ブッダの言うように執着を持たないことが本当に幸せなのか?

例えば、犬を飼っていたとする。当然犬に執着する。ずっと一緒にいたいし、出かけていれば早く犬に会うために帰りたくなるだろうし、病気になったらこの世の終わりが来たかの如く絶望するし、死んだら悲しみのどん底。つまり執着してる。

この一連の流れがあることを知っていながら、次の犬をまた飼う。死んだらとてつもなく悲しいことを知っていながらね。何故なのか?

答えは、犬と一緒にいる時間がとても幸せからだ。神様が与えてくれたその幸せ時間満喫するためとも言えるかもしれない。そして神様が与えてくれた寿命が尽きる時が別れの時だ。それはとても悲しいし言葉にはできないレベル

では執着がなければどうなのか?犬を飼いました、家に犬がいますかわいいっす。でも執着してないから。病気になったとしても、「そんなこともあるよね」と。「だって生き物なんだもん」と。亡くなりました、「そんな事もあるよね、生き物だから」と。

犬とずっと一緒に生活をしていて、こんな考え方になれるかどうかは別として、仮にこのような考え方になれたとして、それって幸せなのかなと思う。だってこれってあまり好きではないと言う事じゃね?と言う事は、本当は100味わえる幸せ10程度しか味わえてなかったんじゃね?だとしたら残りの90分を味わなかった。その分だけ人生損してないかな。

ブッダはこうも言ったとされている。この世は虚しいと。何故虚しいのかと言うと、死んだら全てがパーだからだ。もちろんそうかも知れない。死んだら全てパー。しかし生きている時間を少しでも幸せにしようと努力し、そして幸せを感じる事は無駄ではないんじゃないかな。

ちなみに仏教勉強をしていると色々な説があって、微妙に違ったりする部分があるし、なんなら僕自身解釈が間違っている可能性もある。ただ、仮に僕の解釈が正しければ、ここに書いたような疑問を持ってしまう。

2024-02-28

安楽死反対派全員を再起不能身体にしてやりたい

そしたら安楽死合法化して死ねるのに。

安楽死反対派は死にたい人の気持ちなんてわからんのだから話し合いは無理なんよ。

だって死にたくない人は生活が充実してて五体満足で後遺症もなくて健康幸せ毎日に困ってない人ばかりな訳で。反対するのも自分らの生活を支える奴隷がいなくなって困るからにすぎない。死にたくない人が~とか死を望まれて~とか詭弁しかならない。死にたくないやつは死なねぇし、死にたいやつは死ぬんだよ。同調圧力で死を選ぶと言うが同調圧力で生きることを選ばされてるのはどうなんだよ。

こっちの気持ち理解できねぇ奴にどん底人生なんて理解出来るわけない。

いい事あるよ!って言うけど治療法もなく完治せずだんだん悪化するが死ねるわけでもなくただただ苦しみに耐えるだけの病気の俺によくそんなもん言えるな。あまり解像度低くてびっくりするよ。病院行け?行ってるよ。治らないのにまた来たのかって顔される気持ち分かる?分かんねぇよな。あんたにとって病院は行けば治る場所なんだもんな。羨ましいよ。睡眠薬を飲まないと眠れない気持ち分からんだろう。出口が見えず永遠に光が訪れない気が狂う毎日を送ってないんだな。

水泳の某選手努力して治したから頑張れ?そりゃあの人は金も期待もあって病院だって医師だって看護師だって手厚く看病しただろう。運もある。俺みたいな金もなく孤独存在とそんな恵まれ人間を当て嵌めるな。金とコネが無いと良い病院に行けねぇの。お前だってなんでそんなくそ狭い家住んでるの?ビル・ゲイツみたいな家買えないの?って聞かれたら嫌だろ。

理解なんて無理。話し合いなんて無理。

俺が穏やかに死ねるために、お前らには同じような目にあって欲しい。今の生活がどんどん出来なくなって金もなくなって身体自由にならなくて視力も聴力もほぼ消えて芋虫のようになれば死にたい気持ちが分かるだろう。そうなることを願う。

anond:20240228083918

2007年7月6日(金)の夕方テレビインターネットニュース、はたまた狼を見た飯田ヲタ

翌日のバスツアーを楽しみにする気持ちが一転、絶望どん底に落とされることとなった。

そう、「飯田圭織:元バンドメンバー結婚 妊娠も」のニュースが流れたのである




バスツアーの前日の夕方デキ婚を発表するという前代未聞の事態飯田ヲタ簡単に受け入れることが出来るはずもなく、

バスツアーに参加した飯田ヲタにはまともに眠れぬまま集合場所に向かった者も少なくなかったという。

しかし19,000円(税込)という参加費もあってか当日キャンセルは思ったより多くなく、予定通りに出発。

バスが発車してすぐ目的地が千葉県野田市清水公園と判明、その際添乗員から飯田結婚も報告された。




762 名前名無募集中。。。投稿日:2007/07/07(土) 10:55:58.49 0

短冊を飾ってたらガイドが「七夕一年に一度織姫様と彦星が会える日なんです」とかいってさ、ファンの皆さんも飯田さんに会えて良かったですね、なんて言うんだよ



そしたら誰かが急にちいさいこえで「彦星様見つかってよかったねカオリン」なんて言ってみんながざわざわしてから口々におめでとうを言い始めた

俺はそんなこと言えるわけないから下向いて唾飲んでたんだ



どんなバカヤロウがそんな偽善ぬかしてるのかと隣みたらさ

おめでとうとかいってるオッサンがみんな泣いてた

俺も泣いた

2024-02-27

人生は運である

人生は運である

母子家庭で育ったが、もともと勉強はできた。中卒で内装工をしていたが、一念発起し現役から数年遅れで自腹で大学卒業卒業後は公務員となった。

公務員となった後に結婚。もうこれで人生安泰だ。勝ち組の仲間入りだ。ざまあみろ!と思っていた。だが結婚はうまくいかず、離婚することとなった。公務員もやめてしま無職であった。人生どん底で合った。

その後バツイチ婚活をするも、好きになった女に断られること多数。もうこれ無理やな。。。と絶望していた。

合コン出会った女がいた。悪い人ではないな。と思っていたが特に興味もなく進展せず。しばらくして再度食事の機会を得て、その後何回か会うこととなり、やれるならやっとくか、くらいのきもちで事を致す。

しばらくはタダでやれるならやっておくか、くらいの感覚で性欲を満たすための存在であった。相手の家に転がり込み、いいように利用していた。

しかししばらくたつと情がわいてきて、こいつかわいいんじゃね?と思うようになり、またしばらくして結婚することとなった。そして子供が生まれた。

子供死ぬほどかわいく、これほどの幸せはあるのかと実感する。過去のすべての失敗はかわいい子供を持つことにより正当化された。もう人生に悔いはない。

振り返ってみると、過去にした決断は過ちばかりであったが、その過ちがあったからこそ今の幸福があるのである

そしてそれは運が良かったからに他ならない。どうでもいいと思っていた女としばらく一緒にいたら運よく子供ができただけである

絶望死に至る病であるが、生きていればいいことがあるかもしれない。

生き続ければ生き続けるほど、いいことがある確率は上がるのである

死ぬな。

2024-02-26

毒親に育てられて、

早期教育にのめり込んだ親に潰されて20代無職になったところから難関資格勉強で這い上がってそれでなんとか稼いで一馬力で子供食わせてるんだけど、自分トラウマが強すぎて子供には全く勉強をさせていない。もちろん小学校受験中学受験やらせてない。習い事子供がやりたいと言ってきたスポーツのみ。スマホも小5から買ってあげてて一切時間制限してなかった。一時期は派手目な友達に流されて夜中まで通話してたみたいだった。まあどん底から這い上がる術は知ってるから、最悪本当にどん底に落ちたら助けてあげようと思ってた。でも最近行きたい高校が出来たらしく、塾に行きたいと言ってきて、へえこんなんでも意外となんとかなるんだなと思ってしまった。やっぱり待つことが大事なんだと思う。子育て

2024-02-22

アイドルとでも付き合わないと釣り合いが取れないだろ

ガチ恋勢という生き物がいる。

絶対に叶うはずのない恋にその身を焦がす狂人である

誰に頼まれたわけでもなく地獄業火に焼かれている変態マゾであり、谷底に向って全力疾走しながら空を飛ぶことを夢見る哀れな畜生である

嫉妬の毒に侵されて徐々に正気を失いつつある地獄の住人であり、それはもちろん俺のことだ。

自分でも時々ふと正気に戻ったとき不思議に感じる。

はいったいどういうつもりだ?

付き合えるわけがないのなんて最初から分かっているし、これまでにそんなチャンスが巡ってきたことはない。

う~んう~んと考えた結果、カピカピの脳からひねり出されたクソがこれだ。

アイドルとでも付き合わないと釣り合いが取れないだろ」

自分でもわからない。

釣り合い」ってなんだ?何との釣り合いだ?

天秤の片方に乗るのはアイドルと付き合う自分だろう。もう片方は?

アイドルと付き合う自分釣り合うような質量を持った何かが、自分のこれまでの人生にあったのか?

例えば不幸のどん底にあって、この不幸を埋め合わせるためには宝くじにでも当選しないと釣り合わない、と考えるのは理解できる。

俺は不幸のどん底にあるのか?いや、そうでもない。一応普通に生活できている。

何か、不幸、あったかな。無いかもしれない。人並みの不幸しか知らないと思う。

まり、これだ。

「なんの物語も持っていない人生」という巨大な空虚との釣り合いを取るため、ということだ。

あー

嫌なことに気付いてしまった。

でも大丈夫

今日は偶然正気に戻って自問自答をしてしまったが、明日からはまた大脳真皮質を蕩かす生活に戻れるだろう。

2024-02-07

そんで関東の片田舎に来て

工場で働いて

工場なんかで初めて働くから辛くて

自分で決めたことなのに、しかも期限付きなのに

「なんで大学まで出て、こんな豚みたいな奴らと工場なんかで働いてんだろ」

とか

「このままずっとここから出られないかも」

とか思ってメンタルどん底の気分だったんだけども


今日なんだかだ、初めてこのエリア喫茶店に入ったら

地元の人で賑わってて

落ち着いた綺麗な身なりの青年カウンタ新聞を広げて

隣のテーブルは年配女性の集まり

入ってきた男性に「〇〇さん久しぶりじゃない、どうしてたの?」なんてやり取りをしてて

私の地元中心部よりも圧倒的に田舎なのに

それでも少し聞こえてくる会話なんかが違って、品があることに

腐っても関東であるこのド田舎と、私の地元

格差というか民度の差を感じずにはいられなかった


このあとも不安が続くけど

からないというのはワクワクも孕んでるのだ

地元は嫌だったけど、離れると恋しくて

今でも帰りたいと思うけど

多分、この選択は間違いじゃなかったんだろう


気持ちが落ち着いてくると

この街にある、今まで見えなかったお店や面白そうな所が見えてきた

今日自分の視界が変わったことに気がついて

安くていい花屋を見つけられたか

地元を出てから初めて切り花を飾った

2024-01-31

アラサーうつになりました

のようなタイトル、中身のエッセイが巷で溢れているけど、

どん底経験した私を献身的に支えてくれた伴侶も絶対描かれているよな。〜ちゃんは頑張っているからなどの台詞が多くみられ、作者がここが好きと他の人からしたらどーでもいいポイントをあげているあの感じ。うつ病漫画じゃないんかー。

生命維持活動の他一切を担ってくれる存在いるから救われたんでしょうか。

一人で立ち向かうのはやはり無理でしょうか。

参考にしたいけど参考になりません。

2024-01-25

贅沢は予防

自分へのご褒美というより、どん詰まり絶望どん底になる前に贅沢をしておくのが大事な気がしてきた

ワクチンみたいなもんですね

2024-01-24

anond:20240124125111

基本が在宅ワークライター取材だけは頑張って行く(その後寝込む)。体調が乱高下するから調子のいい日に徹夜して帳尻を合わせる。激安物件に住んで贅沢は一切しない。本当にどん底の時は貯金を切り崩す

anond:20240123213944

私も毎年寝込んでる。16時までベッドから起きられない日もザラにある 

どん底の日もなるべくやる】

朝ご飯を食べる(炭水化物たんぱく質野菜使い捨て食器で皿洗いをなくす)

・水分をとる

ラジオ体操

歯磨き

サプリを摂る(ビタミンB・C・D、鉄分亜鉛あたり)

・午前中にカーテン開ける

暖房ケチらず使う

【マシな日にやる】

風呂

日記を書く

・ひたすら散歩

・川や植物など自然を見る

・机や床を掃除する

・小分けしまくったタスクリストをつくる

特別メンテナンス

・散髪

歯科検診

鍼灸院

冬至の頃はマジでどん底だったけど先週ちょっと浮上して勢いで鍼灸院に行ってみた。「冬に調子を崩す典型例」と言われた。「普通は冬に交感神経が優位になるけど、あなたバランスが崩れすぎて副交感神経が優位になりっぱなしになっている。だから活動できない」らしい。

ガチガチだった肩こり首こりが軽くなってそっからちょっと仕事もできてる。通院継続するか迷ってる。高いんだよな〜。冬季うつ鍼灸院に通ったことある人いたらどうだったか教えてほしい。

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