はてなキーワード: どんくさいとは
三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれた。
葉渡賢治が12,375票で1位、みつはきゅんが265票で2位、みっちゃんが76票で3位だった。みつはきゅんが三ツ葉市のゆるキャラに最もふさわしいと思ったので、葉渡賢治はみつはきゅんに投票したが、選ばれたのは圧倒的に葉渡賢治であった。そんな馬鹿なと思った。だいたい葉渡賢治は三ツ葉市のゆるキャラに立候補していない。しかし、それを言うならみつはきゅんもみっちゃんも、第4位の葉っぴぃも自らの意思で立候補したわけではないから、異議を申し立てる根拠としては不足しているだろう。第2位のみつはきゅんは緑色がイメージカラーのアニメのヒロインのようなキュートなキャラクターであった。第3位のみっちゃんは二頭身にデフォルメされた中性的なキャラクターで頭部に三箇所結った髪が三枚の葉っぱのように見える。第4位の葉っぴぃはギザギザの葉っぱが特徴の植物が地雷系ファッションに身を包むキャラクターであった。葉渡賢治は葉渡賢治だった。葉渡賢治38歳。三ツ葉市立三ツ葉第一小学校、三ツ葉市立第一中学校を卒業、三ツ葉市立三ツ葉高校入学・卒業、三ツ葉市立三ツ葉経済大学入学、大学卒業後は三ツ葉市の老舗和菓子屋・三ツ葉堂に就職、3年前に看板商品である三ツ葉大福製造ラインの責任者に就任、で今に至り、三ツ葉市のゆるキャラに就任。
市の命令で、葉渡賢治は市役所から徒歩10分の場所にある8畳1Kのアパートに引っ越しをすることとなった。他の自治体では大抵のゆるキャラは市役所の倉庫に押し込められているので、専用のアパートを与えられることはゆるキャラにとって異例の待遇である、と市の観光課の人間は言った。これまでは6畳1Kの部屋で生活をしていたので、わずかにグレードアップしたことになる。普通ゆるキャラはクルマを運転しないだろうし、ゆるキャラが交通事故で人を轢き殺すなどすればそれは前代未聞の事案で、どのように対処すればいいのか誰にもわからないので、リスク管理のためにクルマは売却が推奨され、それに従った。引っ越しとクルマの売却に伴って勤務先である三ツ葉堂への出勤が困難になったため、退職した。
就任式には何を着て行けばいいのかわからず、葉渡賢治はスーツで行った。市役所の3階。「それでは三ツ葉市の新キャラクター、葉渡賢治38歳さんです、拍手でお出迎えください」と女性の司会役が言い、俺が入室する手筈になっていた。葉渡賢治のゆるキャラとしての名前は、本名の他「38歳」まで含まれているのだと葉渡賢治はこの時に知った。つまり「葉渡賢治38歳」がキャラ名である。来年とかどうするんだろう、と思った。葉渡賢治は拍手で出迎えられ、ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿がみなさんにお披露目された。ゆるキャラとしての葉渡賢治の姿というのは、この場合、スーツ姿の葉渡賢治のことである。昨日は髪を切り、家を出る前に入念に髭を剃り、ヘアオイルを付けて髪を乾かし、化粧水を顔に塗りたくるくらいのことはしたが、葉渡賢治が葉渡賢治であることには変わりなかった。
思ったよりも厚みのある会場の拍手の音で薄々気付いてはいたが、おびただしいカメラのフラッシュに意表を突かれた。葉渡賢治を見に来ている人がたくさんいた。マスコミとかだろうか。フラッシュの眩しさにしかめっ面になりそうになったが、そうだ、俺は三ツ葉市のゆるキャラなんだと思い出し、できるだけゆるキャラとしてふさわしい振る舞いをしようと心掛けた。少なくともゆるキャラはしかめっ面はしないだろう。そんなゆるキャラを葉渡賢治は見たことがなかった。三ツ葉市のゆるキャラに葉渡賢治が選ばれてからというもの、葉渡賢治はゆるキャラの勉強に余念がなく、大抵のゆるキャラの顔面にはうまく言語化できない愛嬌があることを発見していた。だから、葉渡賢治は笑顔とも微笑みとも無表情とも言えない、強いて言えば、いつも行っているラーメン屋でいつも通りの醤油ラーメンAセットをオーダーする時の表情(よく観察するとわかるが、殆どのゆるキャラはこの表情をしている)をして、大量のフラッシュをやり過ごした。
会場は大きな多目的室のような場所で、皆の衆目が集まる正面に、緑色背景に白抜きで三ツ葉市と書かれた市松模様の大きなボードが聳え立ち、その上に「三ツ葉市 ゆるキャラ就任式」と書かれた横断幕が設えられている。簡素な作りではあったが、今日の葉渡賢治のために用意してくれたかと思うと率直に感謝の念が溢れた。市長は既に市松模様の大きなボードの前面にいて、登場した葉渡賢治に手を差し伸べ、我々は握手をした。市長の手は大きくて温かく、焼き立てのパンのようだった。フラッシュが一層大きく焚かれる。醤油ラーメンAセット、醤油ラーメンAセットと葉渡賢治は念じて、パンのことはひとまず忘れた。マイクを持った市長が司会に促されて喋り始めた。
「えー、葉渡賢治38歳さん、今日からあなたは我が三ツ葉市をより一層盛り上げる存在として、大いに期待していますし、市一丸となってその活躍を後押しをしていきたいと考えています。よろしくお願いしますね。さて、三ツ葉市を躍進していく政策としては三枚の葉っぱがあります。昨日考えました。一枚目は教育。日本に誇る三ツ葉市立三ツ葉経済大学。ね。これがその大きな役割を担い、地域経済をますます活性化して行くでしょう。すごいですね。二枚目は産業。三ツ葉堂の三ツ葉大福がブランチで何回取り上げられたか知ってます? それはもうね、何回も取り上げられてるんですか? 三ツ葉市ってのは交通の要所ですから、お土産もたくさん売れるってもんですよ。ね。そして三枚目。それがこのゆるキャラですよ。これから、はま……、は……、はわ……、はわたり、けんたろう、だっけ? そうそう、あはは、ねぇ? ってーかビシッとスーツで決めちゃって、ゆるキャラなんだからゆるい格好でよかったのに。パーカーとか。あ、でもゆるキャラはパーカー着ないか。ね。誕生日いつ? いま何歳? あーね。そうそう、歳とったら名前の歳も一歳増やして、葉渡賢治39歳になるから。直木三十五みたいで格好いいだろ? あ、どうせなら漢数字にする?」
市長の演説が終わると、委嘱状が授与された。市長から確かに委嘱状を受け取った。酔っ払っているのかなと思ったが、その挙動は素面のそれで、特に酔っ払っているわけではなさそうだった。額縁に入っていて重みがあった。正面にそれを掲げるとたくさんのフラッシュが焚かれた。やがてマイクが手渡され、司会者が「葉渡賢治38歳さん、意気込みをお願いします」と言い、葉渡賢治が喋る番になった。何を言うべきか迷ったが、「大好きな三ツ葉市を盛り上げて行きたいと思いますので、よろしくお願いします」と言って礼をしたところ、隣の市長が「君、ゆるキャラってのは喋らないんだ。喋ってるゆるキャラを見たことがあるかい?」と耳打ちし、うっかりしていたと思った。「何かそれっぽいポーズでもしておきなさい」と市長は続け、俺はとっさに左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたそれっぽいポーズをした。会場からは笑い声が漏れた。俺のゆるキャラとしてのコミカルさが会場の笑いを唆したのであれば、ゆるキャラとしての初めての仕事としては上出来だろうと思われた。やがて葉渡賢治は音楽に合わせて「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」を踊った。ワルツだった。式典の最後で披露するから覚えてきてくれと言われていたやつで、おそらくこれも上出来だった。キャラソンで三拍子の音楽はあまりないように思われ、攻めてるな、と思った。左手を自らの腰に当て、右腕を天に掲げたポーズでダンスを終えた時、会場に迎えられた時と同じくらいの拍手の音が鳴った。
俺はこれからゆるキャラとしての自覚を持った暮らしをしていくことになる、と葉渡賢治は思った。給与は前職のものが引き継がれ、家賃は半額の補助が出る点も同様だったから、ひとまずは生活には困らないことになっていたのは幸運であった。おそらくゆるキャラはコンビニ弁当を買って食べないから、しっかりと自炊をすべきだろう。三ツ葉市を後押しするキャラなわけだから、肉よりも野菜多めの生活がいい。ゆるキャラにサプリメントを摂取するイメージはないが、活動を下支えする健康のためには取り入れるべきかもしれない。アルコールはこの際やめるべきだ。タバコはそもそも吸っていないが、タバコの原材料は葉っぱなわけで、敢えて喫煙を始めたほうがいいだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだ。タバコをスパスパ吸っているゆるキャラがどこにいる。夜は早めに寝て、朝は早めに起きたほうがいい。過度な筋トレはゆるキャラとしての外見を毀損するから、きっと避けた方がいいだろう。どちらかと言うと、ご飯をもりもり食べて丸々と太った方が愛嬌が出るだろうな。
初めての仕事は就任式から4日後の葉渡マラソン大会であった。パーカーを着て行った。一ノ葉町、二ノ葉市、三ツ葉市、四ツ葉町を合わせて葉渡地区と言い、一ノ葉町のいちかてゃ、二ノ葉市のにのの、三ツ葉市の葉渡賢治38歳、四ツ葉町のよもぎんが会場に来ていた。よもぎんを見るのは久しぶりだった。実は俺は小学生の頃、隣町である四ツ葉町のお祭りに行った際にたまたま会場に来ていたよもぎんを友人と共にふざけてボコボコにしたことがある。よもぎんはよもぎ団子を模した緑の丸いキャラクターで、そのふくよかな見た目は子供たちをして、体当たりをしてくれ、サンドバックにしてくれと言わんばかりのように思えた。よもぎんは複数の子供たちにもみくちゃにされながれも笑顔を保っていて、それが更に子供たちの加虐心を駆り立てた。子供のやることだったし、よもぎんは丸くて厚い「側」に覆われていたように思われたので、死活問題になるようなダメージはなかっただろうが、いま思えばむごたらしい仕打ちをしたものだと思える。
葉渡マラソン大会の会場にはキッチンカーなどが集まり、老若男女大勢の人で賑わいを見せた。マラソン大会という名のお祭りであり、我々ゆるキャラは集客のための賑やかしだろう。俺はランナーに手を振ったり、子供たちと触れ合ったりしながら、かつてのよもぎんのように四方八方からボコボコにされやしないか懸念していたが、杞憂であった。かねてより思っていたことであるが、最近の若い人は礼儀正しくて、思いやりがあり、優しい。「本当にリアル葉渡賢治だー」などと子供たちは言い、俺は求められるままに子供たちと握手をしたりした。
ひとしきりの子供たちが離散すると、大きな丸い物体が視界に入った。俺の記憶にある若々しい新緑のよもぎ色ではなく、数年に渡って浴び続けた太陽光線で色褪せ、汚れや黒ずみが目立つ、言われれば確かによもぎ餅かもしれない、という物体であった。側面にはわずかにへこみがあり、これはあの時に俺が蹴りを入れたへこみだろうか。よもぎんは俺の眼前に佇み、俺を見つめていた、気がした。実際のところは俺を見つめていたかどうかわからない。たいていのゆるキャラにはどこを見ているのかよくわからないようなところがある。何か言いたげなようにも思えたが、やはり実際に何か言いたいかどうかはわからなかったし、そもそもゆるキャラは喋るべきではなかった。やがてよもぎんは去っていった。俺の目は確かによもぎんの背を見つめていたが、何を思えばいいのかまではわからなかった。
葉渡賢治39歳は全日本ゆるキャラグランプリで審査員特別賞を受賞し、その名を全国に知られることとなった。同年、地上波テレビに初出演。つぶあん同盟という深夜番組で、芸人さんが1〜2分程度のネタをする番組だった。葉渡賢治には人を笑わせるようなネタがあったわけではないが、「おまかせで」というオファーを頂いていたので、三ツ葉市のPRをし、フル尺でオンエアされた。SNSや動画サイトでも切り抜かれて大いに拡散し、コアなお笑いファンを中心に話題になった。三ツ葉市は葉渡賢治のテレビへの出演オファーは全て受け入れ、それとは別にインターネット動画配信も精力的に行い、着実に人気を獲得していった。葉渡賢治39歳のグッズが制作され、三ツ葉駅で販売された。特にアクリルスタンドは好調な売れ行きのようで、葉渡賢治39歳を前面に押し出したパッケージデザインに刷新した三ツ葉堂の三ツ葉大福は前年に比べて売上が約25%向上したとのことである。
葉渡賢治40歳は全国を飛び回る多忙な日々を過ごした。市のPRのみならず、県や地方の宣伝にも駆り出された。グッズは39歳のものから40歳のものへ刷新され、商品数を増やしたこともあり、売上金額を更に伸ばした。アクリルスタンドの他、クリアファイル、Tシャツ、トートバッグは特に人気だった。終売となった葉渡賢治39歳のグッズはフリマアプリでプレミア価格で取引された。
葉渡賢治41歳は全13話で深夜アニメ化され、毎週のようにSNSでトレンドに浮上した。これは葉渡賢治の声優デビュー作でもある。実は葉渡賢治40歳10ヶ月あたりで極東経済という雑誌が「なぜ葉渡賢治は40歳でブームが終わるのか?」という挑戦的なタイトルで記事を出し、かなりページビューが回っていたようで、このまま葉渡賢治は終焉に向かうかと思われたが、アニメが起死回生の立役者となったというわけだ。
翌年には葉渡賢治42歳のマンホールが市内に5か所設置された。これは葉渡賢治の聖地巡礼をする観光者への秘策であった。さすがにマンホールは毎年デザインを刷新するわけにはいかないから、葉渡賢治アプリのカメラで撮影するとARで葉渡賢治の現状の歳が浮き出てくる仕様になった。就任時に動画サイトに投稿していた「みんみんみんなの三ツ葉ダンス」は葉渡賢治43歳4ヶ月の時点で1000万回再生を記録した。
葉渡賢治は45歳になり、葉渡賢治45歳になった。葉渡賢治45歳はアニメの時ほど多忙でもなく、しかしイベントに呼ばれればそれなりに盛況という、ライフワークバランスの取れた時期であった。できるだけ丸々とした愛嬌のある体型を維持しようとしていた葉渡賢治であったが、ここ最近は太りやすさを感じており、愛嬌のある体型をオーバーしているようであることが気になっていた。愛嬌とは丸々としていることであり、腹がだらしなく出ていることではないだろう。以前よりも頭髪が劇的に薄くなっているような気もしていた。
平日昼の帯番組「ひるとん」で、リリースされたばかりの新曲「三ツ葉にあつまれ!」のプロモーションのために生放送でダンスを披露することとなっていた。良く言えば安定、悪く言えば停滞していた葉渡賢治の人気を今一度ブーストするための満を持してのリリースであった。楽曲制作、MV作成、振り付けなど、「三ツ葉にあつまれ!」には潤沢な予算を投入したと聞いている。気合いを入れなければならない。
「さーて、今日は、三ツ葉市から特別ゲスト、葉渡賢治45歳さんが新曲を披露してくださいます。それでは聴いてください、「三ツ葉にあつまれ」です、どうぞ!」とアナウンサーが言い、スタンバイしている葉渡賢治の姿がモニターに映し出されたのが見えた。モニターに葉渡賢治の姿が映し出されたということは、生放送で全国のお茶の間のテレビにも葉渡賢治が映し出されているということだ。音楽が鳴り、葉渡賢治45歳は周りに従えたちびっこダンサーと共に踊り始めた。やはり子供の人気は不可欠とのことで、ダンサーは10〜14歳の男子2人、女子2人の4人であった。葉渡賢治の両隣に男女2人、後方に並んで男女2人という体制であり、葉渡賢治を合わせた計5人がステージで新曲を披露した。新曲の振り付けはデビュー作よりもテクニカルで、葉渡賢治の加齢と体重では踊り切るのが難しく、MV撮影時にはNGを出しまくり、現場はピリピリしていたように思った。葉渡賢治は醤油ラーメンAセットのことを考えながら生放送を踊り切ろうと思ったが、最近ではにんにくたっぷり餃子付きの醤油ラーメンBセットも気に入っており、迷いが生じた。曲の終盤、メンバー全員が2回転スピンを披露する箇所がある。2回転スピンとは、2回くるくるとその場で高速で回ることである。葉渡賢治はこれを苦手としていて、これがこの日最大の山場だろうと考えていた。
事件は起きた。いざ2回転スピンの場面になると、加齢、肥満、緊張など様々な言い訳はできると思うが、葉渡賢治は2回転目によろよろと右にバランスを崩した。葉渡賢治の右にはダンサー最年少である10歳の女性(本名非公開)が配置されており、不覚にも葉渡賢治は彼女に激突、葉渡賢治は彼女に覆い被さるように倒れ込んだ。この場面はSNSや動画サイトで切り抜かれて大いに拡散し、ネット民による数々の自発的な検証が行われ、「葉渡賢治の右手が女児の胸を掴んでいる」「葉渡賢治の唇が女児の首すじに触れている」「葉渡賢治の右膝が女児の脚と脚の間に入り込み、女児は開脚を余儀なくされている」「葉渡賢治の汗とよだれが女児の衣装に付着している」「葉渡賢治の息はにんにく臭そうである」「それ以降の女児の泣きそうな顔は見ていられない」「それでも最後まで踊り切った女児はプロ」「人生で一番気分の悪いものを見させられた」「葉渡賢治とかいうセクハラ野郎」「犯罪者」「消えろ」などという書き込みがあった。
どのゆるキャラにも否定的な意見は最低一つはある。養老塚市のよろよろには「どんくさい」、木宮町のきのやんには「アドリブが効かない」、千脈市のちーおには「正面を向け」など。しかし、彼ら/彼女らゆるキャラがいちいちSNSをチェックしてそれらネガティブな意見を閲覧して真に受けているようには思えないし、何しろ彼ら/彼女らにはゆるキャラという「側」が鎧のように装着されているように思われ、その無機質な「側」がダメージを吸収あるいは反発して無効化しているように葉渡賢治には思われた。その点、葉渡賢治はそれら誹謗を生身で受けざるを得なかった。葉渡賢治は葉渡賢治それ自体がゆるキャラだったからである。葉渡賢治はSNSはもちろん、ニュースサイトのコメント欄、匿名掲示板への書き込みなど、自らへの誹謗中傷を全てチェックした。なくなった仕事の退屈を埋めるように、まるでそれが葉渡賢治の仕事 Permalink | 記事への反応(1) | 17:38
バイトの休憩中、他の人と皆でスーパーに買い物をしに行く時間がある お惣菜とか弁当を買うんだけど
セルフレジと普通の有人のレジがあって、皆セルフの方に行くから自分もそうしてる 有人の方は並んでるし
でもなんか毎回緊張する
元々どんくさいタイプだからしょうがないけど、なんか他の人よりレジの作業が遅いような気がして
あわわ…早くやらなきゃ…って内心焦りながらやってる
先に会計済ませたバイト先の人がこっちをじっと見てくるのも緊張する うまくバーコード読み取れてないこの一瞬のこととかも見られてるんだろうなと思うとこわい 早くやらないとって焦る
こんなんだから一人で買い物するときは有人レジ使ってる 変な緊張感とかないし ぼんやり待ってお金だけ払えば全部終わる 楽ちん
・けっこう体力が必要。発達障害があると疲れやすい、また運動神経の発達も遅くて体動かすこと全般がどんくさいことが多い。「球技ができない」が発達あるあるになっている。
・セックスは非言語的な空気読みが重要。でも発達障害といえば空気が読めない、相手の表情から何も読み取れない。
・女性は毎月ホルモンバランスが変わり状態が変わる。でもASDに臨機応変は無理。例外にパニック起こす障害。鉄道撮影の邪魔な看板やキロポストを勝手に取り外す犯罪行為をするレベルで、特定の状態にこだわる障害。
先天的に絶対にセックスが下手で、それが性的じゃない関係でも漏れ出てるのが、日常会話のヘタクソさなのではないかと思う。雑談すらできないのになんでセックス上手くなれると思うのか。
セックスってコミュニケーションだし、スポーツ的な要素もある。コミュニケーションもスポーツも下手となると、出来ないのでは。
ASDの特徴(運痴・人の話を聞かない・人に興味がない・表情が分からない・変化に対応できない・パターン化されたこだわり行動)を見ていると、
再現性が高い機械類の取り扱いや再現性を見出す研究には適しているかもしれないけど、再現性よりもホルモンバランスに振り回されたり
ノリ・空気に左右される宿命みたいなところがあるセックスについては一生うまくならない、先天的に伸びしろが無く、一切の希望がないと言えるんじゃないかと。
もちろん性的同意とか嫌なこととか、言語化する必要があることもある。でも表情や声色といった非言語領域が何も分からないし、
再現性が無いことに対してはパニックを起こすとなると、さすがにセックスの伸びしろが無さすぎ。そういう風に生まれた瞬間から上手くなる可能性がゼロだと思う。
電車ビギナー多すぎ問題に対して、鉄道各社はきっちり対策考えてくれ
・乗ったらなるべく奥まで詰める
・すぐ降りるから…とか思う人は、乗車待ちの列の、なるべく後ろに並ぶとよい
・降りたいのに人がどかないから降りられない?「降ります」と言うとよい
・ガシガシ鞄でプッシュされてつらい?ごめんな、あんたさんどんくさいんじゃ。降りたそうな人いたら通してやってな
・降りる前には降りますオーラ出す人結構いるから、観察するとよい
・降りますオーラを出しても降りない、毎駅降りますオーラ出してる奴はギルティ
・降りる人の通路を塞いでしまったら、一緒に降りて、もう一度乗るよ
・満車なら健常者も優先席座ってよい
・慣れないうちは、人少ない時間帯ねらうよ
こういう基本的なルールがコロナのせいで共有されてないまま新大学生新社会人が増えてきてる。
電車ビギナー各位は、自分がビギナーかも?という疑いを抱こう。電車歴5年未満の人はビギナーの可能性高いかも。各位っていうのは、「皆さん」の丁寧な言い方です。
・けっこう体力が必要。発達障害があると疲れやすい、また運動神経の発達も遅くて体動かすこと全般がどんくさいことが多い。
・非言語的な空気読みがすべて。でも発達障害といえば空気が読めない、相手の表情から何も読み取れない。
・女性は毎月ホルモンバランスが変わり状態が変わる。でも発達障害があると臨機応変が絶対にできない。
先天的に絶対にセックスが下手で、それが性的じゃない関係でも漏れ出てるのが、会話のヘタクソさ(一方的)なのではないかと思う。
セックスってコミュニケーションだし、スポーツ的な要素もある。コミュニケーションもスポーツも下手となると、出来ないのでは。
ASDの特徴(運痴・人の話を聞かない・人に興味がない・表情が分からない・変化に対応できない)を見ていると、
再現性が高い機械類の取り扱いや再現性を見出す研究には適しているかもしれないけど、再現性よりもホルモンバランスに振り回されたり
ノリ・空気に左右される宿命みたいなところがあるセックスについては一生うまくならない、先天的に伸びしろが無く希望がない人の特徴とイコールなんじゃないかと。
友達に言われましたよ、次男のことをしゃべっている時の顔と、長男のことをしゃべっている時と全然違う!と・・・。
その当時、長男を見ては、なんでこの子こんな性格なの?ドンくさいし、本ばっかり読んでいるし、スポーツしろ、って言っても全然しないし、ぽっちゃりだし、でもすっごくよく食べるし・・・。お友達も少なく、電話して出かけることもせず・・・・。
逆に次男はスポーツ大好き、明るい、ずっと笑っている、機嫌がいい・・・。
しかし長男はママ大好き、なんでも一緒にしようよ~、とのたまってくる・・・。
次男は一人でごちゃごちゃと楽しそうに遊んでいると言うのに、なんで長男は一人で遊べない?!
すっごくイライラ、あぁ、生理的に受け付けない、と思いました。まさにあなたのように・・・。
次男が生まれるまでは本当にかわいくて、べつにべったりしていてもかまわなかったのに・・・。
そのうちに、ママ友達にも「この子がかわいいと思えないのよねぇ~」なんて口走ってみたり・・・・。
「ママね、あんたのこと嫌いよ!」ととんでもないことを言ってみたり・・・。ギュッと抱きしめる、なんてしませんでした・・・。
そのあるときとは、長男のお友達家族をみた時です。家族みんな仲がいいんです。家族構成も我が家と同じです。
何が違うんだろう、と思ってみたら・・・・。
お母さんが一緒になって走ったり、遊んだりしてるんですよ。挙句にお母さんが長男のほうをギュッとしてみたり・・・。
でもよく考えたんです、スポーツをしない、出来ない、要するに一人で遊べない・・・。
私もスポーツ嫌い、外に出たくない、本を読んでいたいタイプ・・・、どんくさい・・・。
長男に動いて欲しかったら、やっぱり自分も動かないとダメ!ということに気が付きました。
次男はずっと家の中で踊っているので、そういう必要は無いのですが・・・。
表に出て遊んでもらいたいときはこっちから、「ねぇ、バドミントンしよう」、外で何かしようと声をかけることにしました。
いつも色よい返事はもらえませんが(笑)それでも、たまには二人でバドミントン、それこそキャッチボール、サッカーしてみたり・・・。次男もそこに入ってきて3人で・・・とか。
今は13歳、生理的に受け付けなかった当時がうそのように、まだまだべたべたしてもらいたくなりましたよ。
どうせ思春期、すぐに嫌がられるんだから・・・、とこちらからべたべたしてみたり。
ただ、食事のしつけはお母さんがずっとずっと言い続けないと・・・。
今10歳の次男なんてぺちゃぺちゃ食べますよ、長男が文句を言うぐらいです。
貧乏ゆすりは面白いことに、ドイツでは(私は国際結婚です)悪いことじゃないんですよね。
やっぱりはずかしい、やって欲しくないことは、聞かなくてもいい続けることが大切です。
あなたは偉いです。
これからやってくる思春期をどう乗り越えられるか、これからに掛かっていると思いますよ。
それでもそうだったんです。
生理的に受け付けないのは、2年ほど続きました。
同期女子に、めちゃくちゃに周囲に甘やかされている人がいる。
まず、どう考えても車が必須な地方で働いているにも関わらず、運転ができない。
困らないのかと聞くと、みんながしてくれるとのこと。両親とも兄弟とも、彼氏とも、友人とも関係が良好で、行きたいところがあれば誰かが乗せていってくれるらしい。姫か。
また困るとすぐに周囲を見渡す。その仕草が本当に当たり前のようで、びっくりする。しかもそしたら誰かが寄ってくる。
もちろん、彼氏にも甘やかされているようで、たまに聞くと答えてくれるエピソードがすごい。姫である。
本人は別に顔がかっこいい彼氏とか、お金をめっちゃかけてくれる彼氏ってわけではないというが、そんだけ愛されてればいいだろ。
そしてこの同期、仕事できないダメ人間だったり、いっそのことすごい美人だったりするならわかる。まだ理解できる。
でも、仕事に関しては同期一くらいできる。こんな異動、これまでにないよと周りに語られるようなエリートコースを歩んでいる。
そして顔は中の下で、少しぽっちゃりしている。多分BMI22。
基本どんくさい感じでぽやっとしているくせに、仕事のやり方などを聞くと訳がわからない手段の話をしてくる。うちの職場はセキュリティが厳しく、フリーソフトなどはダウンロードできないのだが、彼女は色々と勉強して、うちの職場でも使えるシステムで色々な作業を自動化しているらしい。
こっちは日々の仕事に追われて、そんな改善や引き継ぎ方法なんて考える暇はない。なんなんだ。作業が多くて残業が多い席なら大人しく残業してくれ。自慢を始めるな。
彼女は多分自慢だと思っていない。5歳児くらいのテンションで、こんなことが出来るようになったのと無邪気に話している。テンションはいい、内容がおかしい。そして無邪気にそのツールを分けてくる。分けてくるツールが普通に便利で逆にうざい。
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
19年も生きた。
病名など無い、まさしく老衰で、
もうすぐなんだとか。
19年も生きた。俺と4つしか変わらない。
気弱なねこだった。
うちに来た初日
ひと月早く来ていたメスねこに威嚇され、
小さい体をさらに小さく、
めいいっぱいにおびえていた。
後に嫁になるなどと、思ってもなかったろう。
キャットタワーに上らなくなったのは、
嫁のもとから連れ出して、
乳も出ないのにおっぱいを吸われ、
キリっと誇らしげな顔をしていた。
穏やかなねこだった。
一匹残った息子につきまとわれ、
寝床は奪われ、嫁には殴られ、
いつの間にか下腹がはげていた。
静かなねこだった。
鳴き声どころか喉を鳴らすことすら稀で、
家の周りに野良猫が来た時でさえ、
尻尾を膨らませるのみだった。
あれほど活発だった嫁と息子に先立たれ、
どうみても不健康そうなおまえが一匹残った。
静まり返った家の空白を埋めるように、
強いねこだった。
前に俺がひどく叱られ、反省のためにとおまえらのトイレ掃除をさせられていた時期があったろう。
その時ほんとうに思い知らされた。
生き物を飼うのはめんどくさいし、きたないし。
俺は常々猫を飼いたいと言ってるが、
たぶん全部口だけだ。
まだおまえは死んでないのに、
どうしても涙が止まらない。
おまえは不幸じゃなかっただろうか。
不満はなかっただろうか。
苦しくはないだろうか。
伝えられていただろうか。
おまえの嫁と、息子にそうしているように、
きっとおまえの話をしよう。
どうか、幸せに生きてほしい。
今までずっと、ありがとう。
私はドライブが趣味で、特に深夜に山道を運転する機会が多いのだが、こういう道でチンタラ走るドライバーはことごとく運転が下手。道路の流れを無視し制限速度以下のスピードでチンタラ走り続け、後ろに行列を作ることが多い。
こういうドライバーは後ろから追いつかれても絶対に譲らない。チンタラ走り続ける。制限速度で走る場合その速度をキープしてくれればまだマシなのだが、上り坂でアクセルを踏まず大減速して渋滞を作るし、下りではローギアに落とさずブレーキをパカパカ踏んで減速するため傍から見ていても危なっかしい。カーブのライン取りも甘く、インから入って外に膨らみ、曲がりきれずカーブ後半で急旋回する。同乗者はたまったもんじゃないだろう。車内はきっとゲロまみれだ。
こういうドライバーは運転の三要素(認知、判断、操作)の三点すべてがグダグダで、前述のようにスピードを出さないこと以外にも問題があるのだが、この類のドライバーの一番の問題点はドライバー間のコミュニケーションが絶望的に下手で、空気が読めない所にある。
深夜の山道では、様々なペースの車が走っている。チンタラ走るドライバーは知らないだろうが、ある程度スピードを出して流れに乗れている車は、それぞれがうまい具合に譲り合っている。定期的にミラーを確認して、後続車を確認する。速い車に追いつかれたら、安全に追い抜きできる直線で、左ウインカーを炊きながら路肩に寄せる。すると後続の車はサンキューハザードを炊きながら、さっと追い抜いていく。
ある程度スピードを出して流れに乗れるドライバーの間であれば、このコミュニケーションが円滑に進む。他車に追いついた時、追いつかれたときに、お互い相手が何してほしいのかがわかるし、さっと行動に移せるのでお互いが気持ちよく走行することができる。
しかし、制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは、これが全くできない。いや、全くできないというより、やろうとしない。追いついてきた後ろのドライバーがどう思っていて、何を考えているのかを全く考えない。そもそも、追いつかれたことに気づいていないのかもしれない。そして、ちょっとでも車間が詰まろうものなら、あおり運転だと騒ぎ始める。
車間距離だって、立派なコミュニケーションの一つである。車間距離を詰めることは、大抵の場合「追いついたぜ」のサインであり、悪意のある嫌がらせのために詰めてくることは殆どない。車間を詰めてきた車は、譲ったときに必ずサンキューハザードを出してくれる。そこで車間を詰めたことに悪意が無いことはわかるし、お互いに良い気持ちになれる。しかし、チンタラ走るどんくさいドライバーは、譲ってもほとんどハザードを出してくれない。
以前、大切な荷物を車に載せ、制限速度を割るペースでいつもの山道を走ったことがあった。普段追いついてしまうようなチンタラ車にも道を譲ったのだが、こういう車は譲られるのが本当に下手だった。路肩に寄って減速しても追い抜かずに一緒に減速し、随分スピードが落ちてから追い抜いていく。追い抜く際もハザードなし。多分、譲られたという意識が無いのだろう。
さて、ここまで私の増田を読んでくれたどんくさいドライバーの中には、こう思う人もいるだろう。そもそも、法定速度を1キロでもオーバーしたらスピード違反ではいかと。たった1km/hのスピード違反すら許さず叩き出すブクマカも湧きそうなものだが、この考えこそどんくさいドライバーの空気の読めなさと融通の効かなさを如実に表している。
警察庁は毎年、「交通事故の発生状況及び道路交通法違反取締状況等について」という資料で、速度取締りの件数を公開している。この資料によると、令和4年の取締では、超過速度15km/h以上〜20km/h未満の件数は約28万件に対し、15km/h未満の件数はたった130件。昨年のみならず、例年15km/hの違反は多くても200件以内の数に収まっている[1]。つまり、警察も15km/hまでの速度超過はバッファとして容認しているのである。15km/hを超えない程度の違反は許容するから、それぞれのペースで譲り合いながら円滑にやってくれ、と警察は暗に言っているのだ。
ここまで山道のスピードについて話してきたが、周りを見て相手の意図を察し、譲り合えないドライバーははっきり言って危険である。交差点の右左折、車線変更や高速の合流、コンビニなどの店から道から出るシチュエーション...。お互い察し合い空気を読んで譲り合ってこそ、安全で円滑な交通が実現するのである。ただルールを守れば良いってもんじゃない。
実勢速度や周りの車の様子、そして警察の速度取締の様子を全く顧みず、制限速度を盲信してチンタラ走るドライバーは、他のシチュエーションでも空気を読めない可能性が高く危険だ。しかも自分は優良ドライバーだと思っている分余計にタチが悪い。
こういうドライバーが少なくなってくれることを望む。
【参考文献】
【追記】
大切な荷物積んで山道ゆっくり走った時の話書いてると思うんだけど、そこ読みましたか?
抜かれたら抜き返そうとは全く思わないです。むしろ譲ったらさっさと抜けと言っているんだ。
私は譲られるより譲る機会のほうが多いし、実際この増田も譲る話を主体に書いたのに、私がスピードガンガン出してあおり運転しまくってると思われるのは、私の書き方が悪いんでしょうか。
この手の山道走行趣味という自称素人、普通にヤバイ運転してる奴が多い。〜中略〜15km/hのバッファて、山道で15km/hも違ったらヤバいだろ。
一言で山道といっても、カーブのキツさや制限速度、そして実勢速度は道によってバラバラです。制限速度50のところもあれば30の所もあるし、制限速度の看板なし(法定速度)でも、50km/hも出したら危険な道もあります。同じ道、同じ制限速度の区間でも、場所によってカーブが連続するところもあれば直線が長く続くところもあります。
常に制限速度+15km/hで走れとは言ってないです。スピードが出やすい区間で許容されうるバッファが+15km/hであるという話です。
このブクマカ以外にも、一言に「山道」と言っても色々な道があることを分かってない人が何人かいます。運転経験が足りないのでは?
やばいドライバーのお気持ち見本市みたいな頭のおかしさ。〜中略〜「15km以内は容認」で絶望。例え30km超過しても、法律は「他の奴が捕まるかどうか」で判断してはいけない。
いや統計みりゃ容認していることは一目瞭然でしょう。15km/h以内が容認されないのであれば、どうして警察は15km/h以内の速度違反を取締しないのでしょうか。
ちなみに、15km/h以内の取締をしたいけど諸事情によりできない、という訳ではないです。ゾーン30での取締など、警察は必要に応じて15km/h以内の取締もやってます。よその道で15km/h以内の取締をしないのは、容認しているからにほかなりません。
山道ってとんでもねえスピードで走ってる車いるよな。運転者は自分運転うまいと思ってるんだろうけど、欲望まみれの運転はむしろ下手の部類だぞ。
そのとおり。「自分のペース(チンタラ)走らせろ。後ろから来たドライバーには譲らん」っていう運転も自分中心欲望まみれの運転なので、後ろから車が来たら素直に譲ってね。
最後に、別に私はスピードを出せとは言ってないです。制限速度を割るスピードで走っていいです(私も荷物積んで走ったときはそうしました。)。その代わり自分のペースで走ってて他の車が追いついてきたら、走り続けず譲ってねと言っているんです。下手なドライバーとはスピードを出さないドライバーではなく、チンタラ「走り続ける」ドライバーのことです。
とまでは言わないけれど、身分証明書といえば運転免許証という風潮にはうんざりする。
運転免許証というのは、あくまでも車が運転できることを警察に認めてもらった証にすぎない。
俺みたいに、公共交通機関が発達している所に住んでいるから車移動の必要性を感じず、
金がないから車を買う余裕もなく、どんくさいから車の運転に必要なとっさの判断もできない。
そんなやつでも、身分を証明できるものがないと、まるで人権を否定されたような気分になる。
車が運転できるかできないかで、人権のあるなしが決まるような世の中はゴメンだ。
そんな俺たちに現れた救世主がマイナンバーカード。(別に俺は河野何某の回し者ではない。)
運転免許を取るには20万位かかるけど、マイナンバーカードの取得にお金はいらない。
今、自分の将来は暗く、おそらく近い未来、およそ1~2年のうちにホームレスになるしかないんだろうなっていうぐらいに追い詰められているアラサーなんだけど、
そんな中、最近強く後悔しているのは、10代~20代の前半という学生時代やいわゆる多くの人が経験しているときに、もっと異性と話したりセックスできればよかったということだ。
まあ自分の場合といえば、その頃から自分の容姿や要領の悪さに自信があり、そんなどんくさい自分を相手にしてくれる他人なんていないと思っていて、
人との接触を避けていたんだけど、今から思えばそれはまだマシな方だった。
今や、自分のように新卒就職にひっかかりもせず、ずっと非正規で明日生きていけるかわからないぐらいの低賃金の仕事をし続けるしかない、いわゆる社会の底辺を相手にしてくれる他人なんていないのだ。
だから、もっと自分の可能性が一応あるとされている時に、人と付き合うことができていたらと、最近強く感じるのだ。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
今、自分の将来は暗く、おそらく近い未来、およそ1~2年のうちにホームレスになるしかないんだろうなっていうぐらいに追い詰められているアラサーなんだけど、
そんな中、最近強く後悔しているのは、10代~20代の前半という学生時代やいわゆる多くの人が経験しているときに、もっと異性と話したりセックスできればよかったということだ。
まあ自分の場合といえば、その頃から自分の容姿や要領の悪さに自信があり、そんなどんくさい自分を相手にしてくれる他人なんていないと思っていて、
人との接触を避けていたんだけど、今から思えばそれはまだマシな方だった。
今や、自分のようにずっと非正規で明日生きていけるかわからないぐらいの低賃金の仕事をし続けるしかない、いわゆる社会の底辺を相手にしてくれる他人なんていないのだ。
だから、もっと自分の可能性が一応あるとされている時に、人と付き合うことができていたらと、最近強く感じるのだ。
どうしてこんな風になってしまったのだろう。