はてなキーワード: とんかつ屋とは
ひとくち食べた瞬間「こんなにソースカツ丼ってうまかったっけ!?」とびっくりした。
最後に食べた時よりかなりおいしくかんじるな〜なんて思っていたが、どれだけ思い出しても最後にソースカツを食べた記憶がない。
とんかつには味噌をかける家庭で育ち、たまに行くちょっといいとんかつ屋では特に調味料をかけずに食べていた。
まさか27年生きてきて、ソースがかかったとんかつを食べたことないとは思わなかった。食べたことがあると思い込んでいた。
料理のレパートリーが少なめの家庭で育ったから、もしかしたら食べたことがあると思い込んでいる食べ物がまだあるかもしれない。
なんて考えながらスーパーに寄ったら、モンブランが売っていた。モンブランも最後に食べた記憶が思い出せない。この世の中そんなのばっかりだったりしないかちょっと不安になった。
富裕層の課税が議論される時に必ずと言っていいほど言及されるのが、富裕層に課税すると彼ら彼女らが海外に移住してしまう、という意見。
海外移住は色々な点で大変だ。富裕層なので金銭的な負担は少ないだろうが、言葉の壁と向こうの文化に慣れることは大きな問題となる。そして、その解決のためには多大なる努力が必要で、お金だけでは解決できない。不自由なく意思疎通ができる語学力を身に着けたり、向こうの文化(食事・住まい・マナーetc...)を理解し慣れていくことには、結構なモチベーションとエネルギーが必要である。
そして、日本で慣れ親しんだ文化から離れることに耐えられる日本人は、どれだけ居るだろうか。あなたは、昼飯に悩んだとき、お気楽にラーメン屋やとんかつ屋に入ってうまい飯を食える生活や、家の風呂でザバザバ湯をかぶれる生活から離れられるだろうか。半年や数年程度であれば何とかなるかもしれないが、一生となるとかなり厳しのではないだろうか。少なくとも、私は幾ら金が有り余っていても絶対に無理だ。
また、日本で築き上げた人間関係から離れられる人も居るのだろうか。特に富裕層ほど人間関係が広そうだし、だからこそ金が稼げている面もあると思うのだが、そういった関係を「金がかかる」という理由で離れられる人はいるのだろうか。
ちなみに、富裕層に限らずインドネシアのような物価が低い国に移住すれば、かなり裕福な暮らしが可能である。メーカー技術者の知り合いからは、海外赴任先のホテルが5つ星ホテルだったり、使用人付きの家で暮らしていたなんて話を聞く。
しかし、長くても数年程度で彼らは日本に帰ってきた。そんな様子をみると、課税を理由に富裕層が海外移住するムーブメントは果たして来るのだろうかと思ってしまう。
障害児への介助だったり災害ボランティアだったり老人ホームのボランティアだったり子ども食堂だったり
そういう人たちに生じたいろいろなドラマを「善意では長続きしない」と冷笑するエピソードが好きな人はたくさんいるだろうけど。
ラーメンハゲの「対価の無い仕事に責任は発生しないホニャララ」の画像を貼って、悦に浸ってる奴とかね。(大体漫画の切り抜きって前後の文脈完全無視してるよね)
でも別に半分当事者としては「善意(単純な感情でもいい)では長続きしない」の連続でいいと思うんだよね
学童保育や子ども食堂みたいな零細の現場では、夢に溢れて学童に携わろうとしてきた教育課程のバイトとかボランティアもそれなりに来てたけど
当然「理想」と違って本当に物事の途中で去っていく者もいるわけだ。
子どもというリアルの生き物相手だから自分が抱いていた子どもの観方が圧し折られていなくなるひともいる。
力量の入れ方を間違えちゃって一週間で一ヶ月分の働きをしちゃって、疲れちゃって辞める人とかもいる。
で、そういう所だけ切り取ってすぐに制度の問題がどうとか「仕事には対価が必要!」とかいう人もいるけど違うんだよね。
それで周っている。そしてそれにとくに問題は感じない。
Aが去ってもBが来る。Bが去ってもCが来る。私もやめた側だけど、「善意の現場」はそれでいいと思う。
問題になるのは本当に場所が無くなる時だけで、言い換えれば「貢献」の場所がある限りはそこの人員がどう周っていてもいい。
それで助かる人がいる限り。
似たような例で、前に「老夫婦が長年経営して減価償却も済ませて学生に安く食わせてるとんかつ屋は地域経済を破壊する!」みたいな記事があったけど
あれなんか実際学生が助かって喜んで老夫婦も嬉しい以上そこに経済がどうとか、危機感がどうとか、ダンピングがどうとか言いくるめるのは無理なんだよな。
あの時も賢しらなコメント一杯ついてたけど、冷笑なんか、目の前の笑顔を知っている当事者にはそもそも意味をなさない。
→ どこに投票すれば良いか分からず、ググって一番上に出てきた政党マッチングサイトを使う。
→ 公明党が72%、自民党が70%と出るも、公明党には投票する気にならず、自民党の候補を調べる。
→ 朝日健太郎、生稲晃子という候補の2択だということが分かるも、HPを見ても具体的な政策が書いておらず(そりゃそうだろ、ということしか書いてない)、新聞が行っているアンケートを見てどちらを投票するか決めることにする。
→ 二人のアンケートの回答が同じであることから、党のアンチョコに従って書いているのではないかとの記事を見つける。
→ 二人に対しての信用をなくし、選挙に行く気がなくなる。
→ いい感じの眠気でいい感じになる。
→ 今
先週はロースカツ200g。
すっぴんデカデカドリルで堂々入店、何が食いたいか…と店内を2周3周ぐるぐる回ってメニューのロースカツに目がいきましたわ
レジのお姉ちゃんは若くて美人で可愛らしい子でしたわ。「ご飯は大盛りにしますか」を断わらずにイートインへ。
かなり眩しかったので、お箸を右手に、左手でお茶碗を持ちましたわ
タレまみれになったとんかつを丁寧に食べてて退店。満足。
大きい一枚は大口を開けてポリポリいただきましたわ。一皿食べると流石にお腹いっぱいですわ。
30分ほどかけて食べ終わり退店。満足。
行きつけのとんかつ屋は通りに面してガラス張りなので、たまに通行人と目が合うこともありますわ。
とんかつお嬢様がとんかつ屋のイートインでとんかつをモリモリ食らいますわ。
さぞ豚かろう。
でも私は恥じませんわ。
髪型がドリルなのも語尾がお嬢様なのもしょうがないですわ。悩みませんわ。
それでありながら家庭的というよりはジャンキー寄りな味付けが好みだった。
多いときは週3くらいで行ってたのでまぁ自然と顔も覚えられて常連扱い。
「おっ、いらっしゃい」「大盛サービスしとくよ」的なイベントもあったがそれには特に何も感じず常連を続けていた。
1回来店でスタンプ1つ、15個集めたらとんかつ定食が無料みたいな内容だった。
それを見ながら、その店への愛着が急に冷めていく自分を感じた。
なぜ冷めたのかはハッキリとは言えないが。
その客が常連かどうかの判定は店主のさじ加減で、常連へのサービスもなにか特定のものを提示すれば自動で受けられるようなものでなく、
あくまで店主のきまぐれで行われるような、そんな曖昧な関係性を求めていたのかもしれない。
スタンプ集めというシステマチックな行為の結果で受けられるサービスの無機質なところに嫌気が刺したのかもしれない。
いったんは冷めた店への愛着。
ただ店主はその後もスタンプカードに関係なくサービスしてくれた。
食べっぷりが見てて楽しいとのこと。
スタンプはせっせと集めている。
(追記)
デブのふとした感情の機微に思いのほかトラバ&ブクマ集まったな。みんなサンキューな。
そういえばその店って、テレビや雑誌でよく特集される人気の料理店……のすぐ隣にあって、
内装は小奇麗な反面外っ側がけっこうボロくてヘンな豚の絵が描いてたりして謎な空気感出してんのよ。
あの原作を2時間にまとめられるのかと思っていたが、見終わると原作がむしろ冗長だったように思える。
「とんかつとDJって同じだったんだ!」の一発ネタから紆余曲折を経て名作になるまでの過程で積み上げたものを最初から全部つなげてリバイバルしてる。
つうかね原作だとちょっとだけ伝わりにくかったことが凄い伝わるんだよね。
まあ半分は単なるめぐり合わせなんだけど、もう半分の「本物を知っている」ってことが凄い伝わるんだよ。
とんかつDJのテーマって究極的には「とんかつもDJも、本気で客をアゲるためにやることは同じなんだ!」なんだよ。
「とんかつとDJって何が同じなのか?」がギャグだったのが、いつの間にかガチになってる所が面白いんだわ。
地元の仲間や縁に支えられながら恵まれた環境と自分のやりたいことがマッチしたとき、本物が産まれるその物語なんだよね。
DJってのは他人の褌で相撲をとってる部分がかなり多いんだけど、それは言い方を変えれば「素晴らしいものの素晴らしさを次の世代に伝えていく」ってこと。
オイリーはそれをアゲ太郎に伝えたくて「本当に好きな曲を知ってもらいたい」と伝えるけど、アゲ太郎はそれを最初形しか真似しないわけよ。
でもアゲ太郎はとんかつ屋として一皮剥けたときに「受け継がれた素晴らしいものを伝える。自分の虚栄のためじゃなくて、客のために、先人の努力に報いるために。それがひいては自分のためなんだ」って気持ちになるわけ。
オイリーがアゲ太郎に見た「本物をすぐそばで感じ続けてきた。受け継ぐべきものを伝えていく立場にいる」というDJとして滅茶苦茶恵まれた素質が覚醒するわけ。
客をアゲるためにやるべきことはいつも変わらない、だからとんかつDJが本物のとんかつDJになったら、それは本当に本物のDJになる。
その物語が見事に一本につながってくるんだ。
アゲ太郎がとんかつ屋として、DJとして成長する姿をじっくりと描く原作は面白い。
でもアゲ太郎がとんかつDJとして一皮剥けた、いや、一皮カラっとアガったその瞬間のアガりっぷりを完璧に描ききったこの映画も最高なんだ。
単に話題作に乗っかっただけのチャチな邦画だと思って見てない人は見てくれ。
原作ファンだからこそ、とんかつDJがこんな形で料理されるのが許せなかった人こそ、見てくれ。
これは生揚げでもカチカチでもねえ。
最高のアガり具合だ。