はてなキーワード: とっぽいとは
AIの遺伝子という漫画に「VRゲームをやっていても、ベッドで寝ているもう一人の自分がいる感覚はなくならないんだ」という話が出てくる。
この話を読んでしばらくしたある日、俺は夢の中でふとその感覚が自分にもあることに気づいた。
それまでの自分は夢の中で感じる平衡感覚の違和感に苦しんでいた。
でも夢の中で仰向けになっていることは滅多にない。
夢の中で空を飛んでいる時、腹を地面に向けて空を飛んでいるはずなのに重力を逆方向から感じていた。
立って歩いてるはずなのに重力は垂直に来るものだから地面がドンドンせり上がっていく。
上手く歩けない。
上手く走れない。
この「肉体が感じる重力が夢の中の自分の状態と一致しない」という状態が原因で脚がほつれたり空に吸い込まれたりして飛び起きたことが何度もある。
だが、俺は気づいてしまったのだ。
夢を見ていても本体がベッドの上にあるということを受け入れれば、むしろ重力の違和感こそが明晰夢のトリガーとして使えると。
明晰夢における自己認識は幽体離脱だと思えという伝統的な作法においては、なぜ幽体に意識が飛び出しているのに肉体の感覚が残っているのかという疑問が発生する。
幽体離脱とはそういうものであると考えらればいいのだが、自分はそこに違和感を持ってしまって躓いた。
他にも異世界に意識がワープしているという理論もあるのだが、この場合は重力の来る方向がおかしいのはそういう異世界だと割り切るにしてもかなり無理が来る。
そこで、「俺は今VRゲームを遊んでいるので、ベッドの上に自分の感覚が残っている」という新しい認識を導入してみたのだ。
現実の肉体の感覚が残っているのは当たり前で、その上で夢の中にある肉体の感覚も存在するのが当たり前という認識でいれば、2つの肉体感覚があるのは何もおかしくないことになる。
このルールに気づいたことで俺の明晰夢発生率は大きく向上した。
更にこれには副次効果で「自分が今どこで寝ているのかを夢の中で確認できる」という利点があった。
職場で机に突っ伏している時は淫夢を見るどころかヒーローごっこさえやるわけにはいかないが(独り言を聞かれたら恥ずかしいので)、家でベッドに寝ているならそういうのもアリになってくる。
夢の中でふと現実の体を意識してみて、今自分がどこから重力を受けているのかを確認してみる。
家で寝ているならベッドに身体が沈んでいる感覚や、身体に垂直にやってくる重力を感じ取れる。
更にベッドの横に置く消臭剤をアロマの香りにすることにより、アロマの香りがするから家の中にいるはずであるという確証も得られるようにした。
二重の肉体感覚を利用することで明晰夢への移行だけでなく、寝ている場所の確認もできるようになったのである。
電車や職場で寝ている可能性を感じたら耳の感覚を強めて周囲を経過しつつ、その状態でも夢の中に居続けられるように二重感覚トレーニングの時間に使う。
前もって断っておくと、この文章は自分が読んだ本をあしざまに貶すために書かれている。信じてもらえないかもしれないが、自分は普段ならフィクション、特に小説に対するネガティブ感想は書かないようにしている。新刊だとネガティブな感想が売上=作家の収入にダイレクトに響きかねないからである。他人の収入に影響を与える覚悟はない。ただ、本作はもう書店に並ぶことがないのが確定しているので、その点は心配しなくていいだろうと判断したので、放流させてもらうことにした。
樋口毅宏が書いた『中野正彦の昭和九十二年』という小説がある。この本、本来なら12月19日発売だったのだけれど、イースト・プレスが発売日前に回収を決定したことで話題になった。以下、その際の回収理由である。
https://www.eastpress.co.jp/information/detail/2034
その内容の表現手法の個性から、出版にあたりしっかりとした社内議論が必要であると考えます。しかし、今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。
この回収理由、一読して意味がよくわからないと思う。法的見解の精査とはなんぞや? 契約書の締結とは? そういう疑問がわいたので、この記事を書いている増田は書籍回収の報が出てすぐ書店に駆け込み、回収前に購入することができた。で、いざ読んでみて、「あーそういう意味ね……」と朧気ながら理由らしきものも推測することができたのだが……。
先に言っておくと、回収騒ぎの責任は100%版元にあり、その点において樋口毅宏氏に責任はない認識である。フィクションはなんでも書いていいからフィクションなのであって、版元はフィクションの書き手である作家を守らなければならない立場だろう。誰が悪いにしろ、配本が始まってる段階で回収することに対して版元は作家に対して極めて不誠実である。というか回収の原因と思しききっかけが、Twitterでイースト・プレスの社員が騒いだことっぽいのも最悪だ。最低限コンプライアンスは整えろ。大体フィクションの記述をヘイトって騒ぐんじゃねえ。
※編集者が抗議した件は→https://togetter.com/li/2008033
……が、そもそもこの本は絶対買わなくていい。作品の記述がヘイトだからではなく、単に小説として苦痛だからである。小説読んで「小説のていをなしていない」って感想が出てしまったの10年振りくらいだぞ。それくらいきつい。
正直、自分と同じ被害を誰にも受けてほしくないので、以下にきつい理由を苦痛度・ドン引き度を添えて列挙しておく。
『中野正彦の昭和九十二年』は、安倍晋三を「お父様」と仰ぐネトウヨ青年の主人公が、昭和92年=2017年の2月~11月にかけての日々を語るという構成になっている。
いきなりネタバレになるが、本文の殆どはブログに書かれた内容を引用しているという体裁である(終盤で判明する)。なので、「実際にあったニュースに対して主人公が意見を開陳する」という構成になっているのだが、そのパートが長すぎて苦痛なのである。たとえば、連載時の本文を引用すると、以下のようなものである。
https://twitter.com/byezoushigaya/status/1275385842286997505
6月8日 「驕るな! 安倍首相」現職文科幹部が本誌に激白 「不満を持っている人は大勢いる」
【緊急特集】 政権批判で“更迭”釜山総領事私的会 話をご注進したのは誰だ? 読者調査では「前川喚問」 賛成 86% 内閣支持率2 2% (週刊文春)
青天の霹靂とはこのことか。
これまで無条件で寄せてきた信頼がすべて音を立てて崩れ落ちた。記事を読むまでもない。まさか中韓による見えざる言論弾圧がここにも......?
わかった、編集長がハニートラップに嵌められてゲス不倫をしたネタで脅されているに違いない。
一刻も早く会社ごと共謀罪で逮捕→お取り潰し。芥川賞と直木賞は安倍お父様と昵懇の見城徹に譲渡すべき。幻冬舎で二大文学賞を運営していけばいい。直木賞の選考委員長はもちろん百田尚樹大先生。選考委員長に就任と同時にこれまでの全作品を対象に直木賞を獲得。芥川賞も同時受賞されるといい。
夢が広がる。希望が出てきた。
それよりきょうの菅官房長官の定例会見で気になるところがあった。
東京新聞の望月衣塑子とかいう記者が、「前川さんだけでなく、複数の告発が出ています。もう一度真摯にお考えになって、文書の公開、第三者による調査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」などと執拗に質問を重ねていったのだ。事務方が何度も「同じ趣旨の質問はやめて下さい」と頼んでいるにもかかわらず、「きちんとした回答をいただけていると思わないので繰り返し聞いています」と返した。
おかげで通常十分程度の会見は四〇分に及んだ。菅官房長官はおまえのようにヒマではないのだ。
もしこの間に北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするのだ?おまえひとりのアピールタイムのせいで日本が崩壊したらどう責任を取るつもりなのか。
もっと空気を読め。他の新聞社、テレビ局の政治記者を見習え。一流大学を卒業して、難関と呼ばれる大手マスコミに入り、自分の意見は一切絡めず、官邸の発言を一語一句正確に国民に届けることを至上としているではないか。
ひとりだけジャーナリズムを発揮したつもりになって目立とう精神はやめろ。共謀罪が成立したら東京新聞は取り潰し。女だてらに記者をやる生意気な奴
これ自体はネトウヨ文章のよくできたパロディで、個人的にはそんなに違和感がない。
ただ、作中では毎日~2日置きにブログを更新している体裁になっているので、上記のような文章が約8ヶ月分、延々と続くのである。2-3ページとか4-50ページならまだいい。300ページある分のうち200ページだぞ。正直、きつい。きつすぎる。
あと、前述のとおり本文がブログの記載であることを終盤で明かしてるのは小説技法として失敗してると思う。事前に知っていた方が読者も読むときのスタンスの置き所が安定する筈。自分は少なくとも知っていた方がすんなり読めたと思う。
引用したような文章が続くのはまだいい。ただ、個人的にきついと思った理由がもう一つある。主人公の人となりがほとんど開陳されないのである。
主人公の中野正彦は、ピザ屋のバイトをして糊口をしのぐ男である。近所の既婚者女性と不倫関係にある一方で限られた金で風俗通いをする日々を送っていたが、作品の冒頭で彼は沖縄の基地運動をする男を暗殺する。ネットで知り合った「会長」に心酔し、彼から命じられたのだ。中野正彦は国を救うための次の指令を待って日々を過ごしている……。
こう書き出してみると、それなりに設定は盛られている。ただ、前半200ページのうち、その辺りの記述に費やされるのはおそらく30ページに満たない。そして、その描写があまりにも「薄い」。不倫や風俗パートは実質タダのサービスシーン以上の意味が見いだせない。
何より、一番気になる「どうして彼がそのようなネトウヨにハマったのか」という部分が殆ど説明されないのである。たとえば、どんな生い立ちで、どういう家庭環境で、どういう趣味嗜好でどういう性格の人物か、それが200ページかけてほとんど開陳されない。されたとしてもあまりにも薄っぺらい。
個人的な趣味の話になるが、この手の「嫌悪されるような人物を主人公にした小説」は、その人物に共感させてこそそのグロテスクなネトウヨ描写に効果が生まれると思うんだよ。その「共感」がない。結果、「ただきつい文章を読まされる」だけになっている。せめてそこは「きつい文章を書いているような人物に共感してしまう」くらいのことはしてほしかった。
正直、この本は200ページくらいから話が動くので読むなら終盤100ページでいいよ……と言いたいのだが、こっちはこっちできついのである。終盤の展開は以下のようなものである。
せめて設定考証をしろ!!マグニチュード11.3は荒唐無稽だがまだいい、高さ50メートルの津波も千葉神奈川沿岸全滅もまだ許す。東京湾沿岸から20キロメートル地点まで津波が来たら中野も壊滅しとるわ!!!Googleマップをみろ!!!!!
そこから先の被災生活の描写はそれなりに読ませるものがあるのだが、この時点で小説としては〇〇の判定を下した。ググれば、あるいは校閲に出せばツッコミの入る内容を残すな。
ここまでが「小説として」きびしい理由である。ただ、それ以外にも、ここからは個人的な感覚で「ちょっとどうかなー」って思った部分を書いておく。この辺は多分回収理由にも関わってくるのでそこそこ大事な話題でもある。
東京大震災が起きたことで東京は大パニックになって、大久保とかでは外国人、というか朝鮮人虐殺などの暴動が起きたりする。で、左派的な人達も暴動によって処刑されたりするのね。その際に殺される人の名前が実在の人物なんですよ。「江川紹子」「タマガワトオル」「青木理」の3人は確実、それ以外にもいたかもしれないが読み飛ばしてるかもしれん。
これ自体は別にやっちゃ駄目とか言うつもりはない。朝鮮人虐殺するような人は左派も吊す。それはそう。ただ、実在の人物名出して作中で処刑させちゃうのには結構ビビった。政治思想がどうとかそういう話じゃなく、実在の人物やぞ。それができるのがフィクションのいいところだけど、マジで殺したぞおいってなる。
上記でわかるとおり、本作の特徴は実在の人物名をガンガン出してくるところにある。安倍晋三をはじめとして、先に引用したところでも見城徹とか望月衣塑子とか出してるしね。
でも、本作の中で1人だけ仮名にされている人物がいる。田永クリニックを運営する田永克哉という人物である。高須克弥やんけ! 実在の人物名出して殺すまでやっといてそこは仮名にするのなんなんだよ!!!!!
「実在の人物を出して酷い展開を描く」が徹底されているなら好き嫌いや作品の是非は置いといてその心意気は買ってやろうという気持ちにもなれたよ。でも高須克弥で日和るのは流石になしだろ。いい加減にしろよ。
これ以上続けると血管がキレそうなのでそろそろまとめるが、つまり『中野正彦の昭和九十二年』には「①全体の2/3近くが薄っぺらく、読んでいて苦痛」「②ググればわかるレベルの設定考証ができてない」「③実名を出す態度が一貫してない」という3つの欠点があるわけである。
正直、本件を問題にしたイースト・プレスの編集者は失敗だったと思うよ。こんな小説として苦痛の作品、つまらなさから世間から黙殺されて仕方ないレベルで、話題にするような対応にさせたのが良くない。単につまらないよ。というか話題になったから買って読んだの失敗だった。金の無駄。金返せ。あと作品自体はヘイトではない。作品の中にヘイト描写がたくさんあるのはたしかだけど、「フィクションの描写としてのヘイト」と「作品の主張としてのヘイト」はわけて考えなきゃ駄目でしょ。
……で、ここまで整理したところで、あらためて回収理由の件に戻る。
「社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断」「契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧」ってあるけど、これ多分実在のニュースをめちゃくちゃ引用してること、実在の人物が作中で殺されたり、ネトウヨ男の語りであしざまに貶されたり(例えば、山口敬之の事件の被害者の方とか)することへの法的リスクを精査できてなかったんじゃないかなと思う。
1箇所2箇所とかならまだいいけど、前述のとおり「ネトウヨ男の語り」って体裁で実在人物をあしざまに書くパートが200ページくらいあるんよ。これは推測だけど、
みたいな展開があったんじゃないかな……と勝手に妄想してしまった。
なんというか、この本は回収されたことで本文にアクセスできずキャンセルカルチャー云々の話に回収されそうになっているのが結構つらいなと思うところで、プレスリリースのとおり実名人物出してフィクション書く時の炎上リスク全然精査してなかったって話だと思ったのである。信じるかしんじないかはあなたしだいですが……。
あと、それはそれとして作品は本当につまらないから変に神格化されないでほしい。この増田は「2200円が本当に無駄だった、金返せ」「メルカリで数千円単位で転売されているのが本当に勿体ない、100円でいい」という二つの気持ちから執筆されました。
ただ、本作は続編として「橋下徹が首相になった二〇三九年の日本を舞台に、弁護士の主人公小林大助が、死刑囚中野正彦の再審弁護人として奮闘する」という展開の『小林大助の昭和一一四年』という構想が存在するらしい。本作の出来からするとあまり期待はできないのだが、気になるは気になるので出たら買って読んでみようかなとは思う。この増田は「読まずに批判をするな」のモットーの元運営されています。
うちの会社にはプログラマーとデザイナーがいる。で、デザイナーはプログラミングもできるようになれと言われていて、勉強しないと評価が出ないらしい。
それは前からだったのだが、今度は営業もできるようになれと言われ始めたらしい。客先同行とかプレゼンってことで、つまり職域を広げろってこと。
で、デザイナーが次々辞めてる。プログラマーも営業もデザインを勉強しろとは言われないのにおかしいってことらしい。
多分、上が、プログラマーは人間性的に客先に出せないと思ってる。営業は血の気が多くて強く出れない。結果、デザイナーに皺寄せが行く。ってことっぽい。デザイナーも分かってて辞めてく。求人出してもいい人は来ないらしくて(辞めたデザイナーが有能多かったから残当)自分もこっそり転職活動を始めた。
昔を懐かしみながら書いた
まだまだ出てきそうだけど飽きたからもういいや
これ年代バレるな
朝起きて「今日も腹が痛いな〜生理終わったのにな〜」と思っていたら突然激痛が襲ってきて汗がダラダラ出て立ち上がれなくなった。怖すぎ。トイレにいっても吐くばかりでどうにもならないし、通っても様子見としか言わないクリニックに行くよりも救急行く方がちゃんと診てもらえるかもという期待で救急車にお世話になった。先に#7119にも電話したけど、思ったより痛みで口が回らず救急につなげてもらった。持っててよかったスマートフォン。
運良く近くに大きい病院がある地域ゆえ搬送先はすぐに見つかって、レントゲンだのCTだのとってもらったけど結局は婦人科での検査でチョコレート嚢胞の破裂が原因っぽいことが発覚。「破裂」の言葉のインパクトが強くてちょっと泣いた。結局痛み止めだけもらって帰ったけど、こんなにしんどくて検査たくさんしてもらっても対処療法しかないんだな〜。つまり放置できる痛みじゃなかったけど放置するしかないってことなの?つらいが?
しかし、自分で救急にかかってみて、自分の感覚を言語化できるスキルと記憶力がないとまともに診断出ないのかもしれないと思った。しかもたらい回しだから誰も総括してくれない。いや、まああらゆる可能性があるから断言できないのもわかるんだけど。最後に診てくれた産婦人科医の「うーんここ(エコーの写真)の黒くなってるところ、チョコレート嚢胞が破裂したあとっぽいねーでも血液もそんなに流出してないみたいだから痛みが大丈夫そうなら今日は帰ってもらって」を聞くために休日1日を費やして救急車で運ばれてきたのか私は。破裂したらどうなるのか、これから何に気をつけたらいいのか、別の治療は必要なのか、聞きたかったけどその場では頭が回らず疑問符だらけのまま…。ウイルス検査をしてくれるそうなので結果待ちではあるけど、治療しないなら家で耐えてるのと同じだな、と結局思ってしまった。
Q.そんな映画あるの?
A.あります。(WOWOW 30周年記念アニメを劇場でも公開します…ということらしい)
いつもチェックしてるアニメ新番組一覧にもスルーされるという存在感のなさだが、上映館数なら地球外少年少女よりも多かったりする(むしろ地球外はあのデキなのに少なすぎた…)。たまたまどっかで存在を知ったので観に行けたが……神山健治監督・脚本でこのクオリティなのはヤバない…?
制作会社が「あした世界が終わるとしても」のクラフターということで期待せずに観に行ったが、その判断は正しかった。セルルックの3DCGアニメで、ほぼ全編モーションキャプチャーっぽくて動きはめっちゃリアルなのだが、顔の表情の演技がそれに追いついてなくて違和感アリアリ。
あとカット割りがすごく冗長。普通のアニメなら手描きでもCGでも……いや、実写でもこんなカットの作品はないのではないだろうか。観てる途中で気がついたのだが、PS1のバイオハザードみたいな三人称アクションアドベンチャーのプレイ動画に似てる。自キャラを動かして、画面端まで行くとカメラが切り替わる感じ。
ストーリーはいかにも神山健治っぽい政治ネタがふんだんに使われてて「またこういうのか…」感が無きにしもあらずだが、まあつまらなくはない。
作中の日本は「大災厄下にある」らしいのだが、その大災厄がなんなのか最後まで説明されないのがモヤる(時節柄コロナみたいな伝染病かと思ったが、震災のことっぽい…? でも、それだと「〜下にある(=現在進行形である)」というのはおかしい気がする…)
個人的には 2 は分かる。中高生くらいの頃は自分もそういう感じではあった(好きなミュージシャンの方向性が変わっちゃうのが嫌だ)けど、大人になると仕事とはいえずっと同じ事をやり続けるのがいかに辛いかを理解したので、変化していくことは自然でむしろ好ましいことと思うようになった(結果として趣味が合わなくなったら離れるけど)。そういう意味では「推し」とか言ってる人たちは若い人が多いだろうから、まだ 2 の段階なのかなと思うと納得できる。
1 は分からんのだよな。ガチ恋みたいなのはまあ分かるけども。おそらく子供に小遣いやって嬉しそうにしてるお爺ちゃんお婆ちゃんみたいな感じなんだろうなという気がして、子供ができた途端それまでの自分はどうでもよくなりました!今は子供の幸せのことしか頭にありません!みたいになるタイプの人達はあれ要するに「子供を推してる」ということっぽいなと思っている。でも残念ながら俺は子供にそこまで強い感情を引き起こされることも無いんだよな。たぶん、オキシトシンが過剰分泌とかなんかそういう脳特性を持っている人が 1 のタイプの「推し」をやってるのではと推測してる。
3 はそういうのがいるっぽいなという感じはしてたけど増田と同様に意味不明。1 の子供の話と比較すると自分が果たせなかった夢を子供に押し付けるタイプがこれかな?という気はする。どちらも理解できない。他者を自分と同一視して他者を頑張らせることで自分が救われるということなんだろうか?それが特に自分の子供対象だと心理的に「同一視」がしやすいのだろうと思うが、子供がいないとか言うことを聞かない場合のカジュアルな代替手段としての「推し」なのではとか。
例えば出先で、「しまった、今日録画しようと思ってた深夜ドラマの録画をセットしとくの忘れた!」と思った時。
家に帰ってから録画予約すればいいんだけど帰る頃には結局忘れちゃうんだよなー。
リマインダーセットしたりするんだけど、リマインダー見るの忘れちゃうし。
そんな時にこうすると思い出せることに気づいた。
まず、やらなきゃいけないことを、漠然と「忘れないようにしよう」ではなく、具体的に「いつ」「どのような状況で」やるのかを決める。
例えば録画予約だったら「家に帰って手を洗ったら服を着替える前にやろう」みたいな感じ。
次に自分が実際にそうしているところを頭の中に思い描いてみる。
手を洗ってタオルで拭いて、部屋に入って番組表を表示してリモコンを向けている一連の動作。
それだけ。
で、案の定家に帰る頃には録画予約のことなんかすっかり忘れてるわけで。
だけど家について手を洗っていると不思議と「そういえば録画予約しなきゃ」と思い出すんだよな。
ポイントは、全く関係ない日常の動作と、忘れたくないことを結びつけて記憶しておくことっぽい。
なんというか、自分で自分にちょっとした催眠術をかけているような感じ。
お試しあれ。
もともとの抗議文 https://twitter.com/ogino_otaku/status/1435952341266493441/photo/1
もとの抗議文で挙げられた要素は4点「丈はきわめて短く」「腹やへそを露出」「大きな胸が揺れる」「極端なミニスカート」でしょう。
とくに目を引くのはローライズなスカート(スカートは丈が短いんじゃなくて股上が浅いように見える。)とへそ上で切られたセーラー服で、その間にセパレートの水着くらいお腹が露出しています。
襟周りのセーラー服風の意匠で想像される日常着としての制服のイメージと、水着レベルの肌の露出という大きなギャップが、強い異化効果とともに性的な感情を喚起するのは当然かと思われます。
また、絶対領域に代表される「四肢が一度隠れてまた見える、見えてはまた隠す」という見せ方も、生肌を効果的に印象づけ性的な感情を喚起するテクニックです。ショートデニムで見る生足よりも、ダメージジーンズの破けた穴から少しだけ見える腿の生肌のほうに、より性的な感情を喚起されるのは私だけでしょうか?同意がありませんか?
この衣装では「スカートとソックスの間」「上着のオフショルダー」「オフショルダーの先端と、なんだこれ手甲?アームカバーの隙間」と食傷気味なくらい隙間を設けて性的な感情を喚起させています。ちょっとやりすぎで逆効果な気はしますが、デザインの意図として隙間を設けていることは疑いようのない事実だと思います。
よく見ると上着も真ん中下から大きく切れ目が入って胸の谷間あたりは黒いネクタイ状のなにかと赤いリボンだけがかぶさっている状態にも見えるけどよくわからない。
あと、スカートずり落ちそうだよね。
「性犯罪誘発の懸念」という文言はもとの抗議文では質問2の一回しか出てこない。質問2は「女児を」「性的な対象として」描くことが「性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」と、今回採用されたキャラのデザインについて言っているだけで、Vtuberかどうかなんて一切言ってない。ただのイチャモンでなければ誤読でしょう。答える必要はないと思います。
あなた方の抗議活動は、「株式会社 Art Stone Entertainment」やVTuberを運営するクリエイターの公共空間における表現活動の場を奪い、経営者である板倉節子氏をはじめ、女性の自己表現の機会を潰す結果となっておりますが、そのことについて、女性活躍推進の観点からどのようにお考えか、お答えください。
これは知らんがなで終わりじゃないかなあ。地の果てまで追い詰められて発表の場をすべて奪われたというならともかく、案件が一個ミスマッチで没になったと考えるなら珍しくもない。中の人はともかく経営者の性別とPR動画の適切さには何の関係もないでしょう。
自らの肉体の年齢や性別と異なる姿になり、自らの意思によってその服装や肉体の在り方を決定するというVTuberという存在について、LGBT、特にクロスドレッサーの人権の観点から、どのようにとらえているかお答えください。
問題にあげたPR動画以外の場所で頑張れば良いと思うし応援できるんじゃないの。クロスドレッサーだからあらゆる場所でドレスコードを無視してもよい存在になれるわけじゃないでしょ。
(クロスドレッサーがLGBTに含まれるかはググってもよくわからなかった。用語としては趣味の異性装のことっぽいけど。)
戸定梨香氏の体型や服装は、VTuberとしてごく一般的なものと考えますが、そうしたVTuberの動画が「女児を性的対象とする」ものであり、「性犯罪を誘発する」と貴連盟が断定する根拠をお答えください。
Vtuberとして一般的なのが事実かはわからんが、それ今関係ある?全Vtuberとの敵対関係を無理やり作ろうとしてませんかねこれ。
もとの抗議文ではかなり引いた書き方(〜の懸念すら感じさせる)してるし、とても断定してるとは読めないんだけど、正直ここはもとの抗議文もかなり微妙。どうなんだろうね。
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途中からグダグダになってしまった。オタク〜側は「性犯罪を誘発する」ってワードで押しつぶそうとしてて、「固定観念と有害な慣行」という論点からは全力で逃げてる印象だけど、そっちのほうがもとの抗議文ではメインだったはずなんで、そのへんはうまくすり合わせしないと不毛な議論となって発散してしまうのではないでしょうかと心配になります。
たとえば、「私は優しい人間だ。何故なら私がそう思うから」というのは通用しない。他人に対して優しくない行動を繰り返していれば他人から「優しくない人」と決めつけられる。
それは現実だけではなく、創作においてもそうなのだが、現実とは違い、創作物の登場人物の性格はたいていまず最初に作者が設定する。設定がまずあって、それからその登場人物の優しさを表現する小さいエピソードの積み重ねにより、登場人物のその性格を証明してゆくのだ。
ところが、プロアマ問わずに登場人物の性格を「この人は優しい人なの。何故なら私が優しいと決めたから」とでもいうような、設定とは異なる人物像を書いて平気な作家がけっこういる。
私がとくに気になるのは、地の文が主人公の一人称モノローグになっている物語で、主人公の性格設定・他の登場人物からの主人公の人物評が地の文から読み取れる主人公の人物像と大きくかけ離れている場合である。
よくあるのが、主人公が何らかのポジティブな性格を有していると、作者も物語のその他の登場人物も認めているが、主人公のモノローグが糞ひねくれていて物事や他人を酷く意地悪で斜に構えた態度で見てはネガティブジャッジを繰り返している、というもの。
それは、根は腐れているが表面的にはいい人そうに見えるキャラクターだというのとは違っている。糞ひねくれた地の文に引き摺られるように、言動もやはり糞ひねくれており、しかし何か物語が動くポイントで形だけ良いことっぽいこと(これも深く考えてみるとなかなか怪しい)をしているだけなのだ。
物語を書くとき、登場人物の人物描写をするときというのは哲学の時間だと私は思う。優しいとは何か、意地悪であるとは何か、残酷だというのは何か。そういうことを突き詰めて考える時間だ。
と、思うんだけど、世の中には設定と実際の性格がちぐはぐの登場人物を書いて平気な作家はいくらでもいるし、そこらへんを一々つつく読者も滅多にいないので、「このキャラは優しいんです!」と言い切ったもん勝ちなのかな。
ちなみに私は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の「頭が固い」という性格と、鬼舞辻無惨の身勝手ワガママな性格が、徹底的に首尾一貫としていてすごく良かったと思う。