はてなキーワード: ときわとは
まさにその通り。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd19a43ba743942c2f2c87bc69989544f5a4d724?page=2
>確かに、今回SaRa選手は即日Twitterで謝罪しており、会社の対応も早かった。“失言”以外の失策は見当たらない。ではなぜ失言は起きたのか。
>「一般のスポーツだと、練習と公式の試合でまったく意識が違うと思います。でもeスポーツは、そこの境目が難しい。普段とまったく同じ環境で、趣味のプレイなのか大会なのかという違いになるんです。使い分けがいっそう難しいかもしれません。
>また誰でも、身内で遊んでいるときには、多少乱暴な言葉遣いをすることもあるでしょう。僕も、ひとりでプレイしているときは、人に聞かせられない暴言を吐くことがあります。でもeスポーツは、そうした白熱したプレイを配信するところに難しさがあります」(山田氏)
>「野球やサッカーといったスポーツ選手でも、プレイ中に言葉が荒々しくなることはあるのではないかと思います。でもそれは配信されないから問題になりにくい。プレイ中の言葉をすべて拾って公開されるeスポーツのプレイヤーは、ひときわ自制心とマナーが求められるんです」(竹谷氏)
ーーーーーー
結局、プロ野球選手やプロサッカー選手に毎日配信させてたら、もっとエラいことになるってだけの話。
野球界隈でもサッカー界隈でも人格否定、差別的な暴言や暴力が、プロゲーマー界隈以上に昔から蔓延していたのが現実だからね。
いまだに秀岳館高校みたいにコーチや先輩が下の人間に対して人格批判、差別的な暴言どころか身体的暴力を振るう学校が多いのが日本の実態。野球部でもそう。未成年飲酒、喫煙、暴行、窃盗、レイプ。そんなのがずっと続いてきたのが日本の野球やサッカー界隈。
つい先日もプロ野球の新庄剛志監督が職業差別発言をしていたし、選手が外国人選手に対して嘲笑めいた差別発言をしていた。だが、それは”何故か”メディアで大きく取り上げられず、炎上もしなかった。
これは大手メディアがスポンサードしているからというのが大きい。だから炎上しにくい。大手メディアが騒ぐことを、巨大メディアがカネのチカラで黙らせるから。
プロゲーマー界隈はまだ成長途上で大手メディアがスポンサードしていない+毎日選手が生放送してトークを展開している、という環境があるから炎上しやすい。それだけの話。
最初にも書いたが「結局、プロ野球選手やプロサッカー選手に毎日配信させてたら、もっとエラいことになるってだけの話。」という結論にまとまる。
それに「生娘シャブ漬け」発言にあるように他業種でもとんでもない人間は一定数居る。コンサルタント業界では常識的な用語だったという話もあるほどだ。
Eスポーツ界隈だけをやたら叩いてるコメントを見るたびに、野球離れが進んでるのにEスポーツ人口が増えてる状況に焦って、大手メディアがバイトでも雇ってツイートやヤフコメして、それが目立つようにイイネ押しまくってるのではないかとね。
日本の大手メディアのカネの力を使えばそれができるし、そういった情報工作をするのに何の抵抗もないほどモラルが腐ってるのが日本のマスゴミでもある。
日本は大手メディアの中枢人物に「日本の癌でありお荷物なほどの野球カルト」が一定数居てしまっているのが日本の不幸なところでもある。
年収と婚姻率には明確な相関がある。この結果を見ると、多くの人は「年収が一定以上ないと結婚できない」とか、「年収が少ないことによって人々は結婚を諦めている」と主張する。おそらく、この推論は間違っていないのだと思う。しかし、その一方で、逆の因果関係もあったりしないだろうか、と思ったりすることがある。
社会の平均よりも年収の高いコミュニティとかかわることがある。そこに属する人々のプライベートを熟知しているわけではないが、知る限り、婚姻率は明らかに世間平均よりかなり高い。ややもすると、結婚しないという人生なんてこの世に存在しないかのような錯覚すら覚えるほどだ。
確かに、これは件の相関に一致している。しかし、年収の話を一旦忘れても、彼らはやはり結婚というものに対して親和性が高いように見える。彼らは、本来の意味での真っ当な自己肯定感を持ち、他者への思いやりがあるとともに良好な関係を築いている。もっと平たい言葉で言うと、他者を愛し、そして他者から愛される、そういう風に育ってきた人ばかりだ。間違っても人間や人間社会を嫌う人はおらず、むしろその社会ときわめてシームレスに馴染んでいる。そして、そういった他者や社会とのシームレスなつながりによって、高い収入を得られる複雑な仕事を着実に遂行している。
自分の回りの狭い世界の話でしかなく、何の根拠もないことは分かっている。ただ、このような状況を見ていると、逆の因果が部分的にも存在するのではないかと考えてしまうのである。結婚と親和性が高い性格因子を持つ人が、高い年収を得ているのではないか――
2月24日の昼間はそれでもちきりになった。
この文書が面白いのは信憑性ではない。むしろ、いま起きていることがちゃんと過不足なくそのまま表現されているという印象だ。
私は一般の人間でただウクライナ戦争に興味を持っただけだが、わたしの目から見たこの戦争のポイントを書き残してみたいと思った。
現在の諸国の指導者の中でも、プーチンはキャラがトップクラスに立っているほうだ。
ウラでは、プーチンという権力にとって邪魔な人間がバンバン消えている。
事実がどうということはおくとしても、明暗のコントラストというだけでもすごい。
しかし、対するウクライナのゼレンスキー大統領のキャラも、ぽっと出にしては立ちすぎている。
ゼレンスキーは、テレビドラマで大統領役をやって好評を博し、そのイメージのまま大統領選挙に出たら通ってしまったという経歴だ。
しかもそのコメディアンであったときの持ちネタのことも散々話題になっている。
そのうえで、大統領として首都キエフに残って戦い続けるという姿勢を堅持していることから支持率も爆上がりしているらしい。
そりゃあそうだろうな、という気分である。
いや、まったくキャラが立っている。
プーチンというデフェンディングチャンピオンと、挑戦者ゼレンスキーの戦いという観点からするととてもいい勝負だと言わざるを得ない。
もうその時点で目が離せない。
この対決で例えば普通の指導者を失脚させるという場合には、よく、スキャンダルのようなものを引っ張り出してきてどうにかするということがある。
プーチンはもう20年もトップにあるので、あらかたスキャンダルのようなものは出尽くしてしまっているし、そのうえで、余計なものは洗い出されて消されている。
対するゼレンスキーは、Twitterでも散々話題になっているが、そもそもが、テレビに出て壇上で男性自身でピアノを弾くという、ある意味ノーガード戦法フル・モンティ戦術で立っている。
これを見て、内心で楽しまないひとというのはやはり人間として「どうか?」と思う。
ロシアが他国に攻め込むということはもう言い古されたことだが重大すぎる意味を持っている。
議決で拒否権を行使すると他のどれだけの国が賛成していたとしても否決される。
国連安保理で意思表示をしましょう、という議決があって、200近い国のほぼ全部が賛成しても、たった1国、常任理事国がNOと言ったらNOなのだ。
それがロシアだ。
ロシアは常任理事国だから拒否権を行使するだろうとみんな思ったし実際にそうなった。
ただ、今回の戦争で、この仕組みにも、ちゃんとフェイルセーフがあることがわかって勉強になった。
つまり、緊急会合という、常任理事国の拒否権の及ばない形で、国連として意思表示ができる仕組みがあり、ちゃんとそれが発動したことは、よく考えられているなあと思った。
これはとても意味がある。
国連はロシアの行動を公式に戦争と認めたということにほかならない。
明治維新で言えば、菊の御紋、錦の御旗だ。
こうなれば本人がどれだけ「特殊軍事作戦だ」と言い張ろうと、戦争は戦争だ。
アメリカは第二次世界大戦のあと、何度も他国に軍を派遣しているが、朝鮮戦争以後の戦争でペイしたのは湾岸戦争である。
つまり、安保理が動かないことにはどんな国も動きたくないのである。
そういう、世界の安全保障に対して大きすぎる責任を負っている安保理常任理事国が、よもや侵略戦争をおっぱじめるなんて思いもしないことがおきたというわけだ。
侵略戦争というのはつまり、他の国の領土をぶんどろうということである。
日本の首相も「武力による現状の変更」と繰り返しているが、そういうことだ。
G7の会合で首相が、ロシアが核兵器を行使することをちらつかせることに対し、自分の地盤である広島を持ち出して、反対の意思を表明したのはなかなかいいなあと思った。
結局ウクライナの戦争というのはNATOの話なので、日本としては関係ないのだが、まあ、そういう形で「核兵器は許さん!」と息巻いてもふつうならドッチラケになる。でも、ホームタウンが広島ということになると意味が随分変わってくる。
だから議論がどう変わるかということは一切ないけれど、「ああ、このひとはそういう強いお気持ちがあるのね」というのは伝わるだろう。
ヨーロッパの軍事連合体のNATOはロシアの拡大の可能性に対して身構えるなか、一気に大きな動きがあった。
歴史からすれば「まさか」ということがいくつも積み上がってコピペまとめになっていっている。
いくつかあるが「ドイツが軍拡を表明するレベル」「スイスが中立を破って経済制裁に加わるレベル」というものだ。
ドイツが作った車を売る。
まわりの国はドイツに働きに行って車を作る。
ただ、その都度イキってしまって空気読めなくて調子乗って、それで戦争おっぱじめてボコボコにされるというパターンだった。
今回は満を持して、連合国側に入った。これがアツい。
背景となったことで重要なのはロシアが、SDGsという国連の枠組みを追い風にして、他の欧州諸国に対して自分たちの輸出するエネルギー・資源に依存するように仕向けていった流れがある。
グレタ・トゥーンベリなんかに対してプーチンはずいぶん肩を持っていた。
いまにしてみるとなるほどと理解できる。
SDGsから石炭を回避して、天然ガスにしたいという世界というか特にEU・欧州の流れを、資源大国であるロシアは歓迎していたのだ。
展開としてひときわ興味を引くのは、その超大国ロシアに攻め込まれた小国ウクライナが、意外にも持ちこたえてしまったことだった。
ウクライナを攻略せんと投入された戦車は、道路をなんと64キロも埋めつくしているという。
なんという数の大軍だろうか。
その戦車は、なにをしているかというと、1週間以上待機している。
なぜ道路しか通れないかといえば、ウクライナの平原は現在の時期、雪解けのために泥濘になってしまっている。
この泥濘はいかな戦車といえど突入するやいなや沈んでしまい、行動不能に陥る。
しかもそのタンクローリーは、ウクライナ軍に狙い撃ちされてあえなく喪失してしまった。
なんだよ、このコントみたいな展開は。
戦車だけでなく、投入された兵士たちも練度が浅く、すぐに戦線を離脱しているというウクライナ側の発表も続いている。
それを鵜呑みにするのではない。
アルファブロガーのfinalventは、この戦争の基軸を、クリミアとアゾフ海の保全だろうJK、とYoutubeで言っていた。
これは3週間経った時点でもいちおう一定の見通しとしてはまだ成立してはいる。
彼以外でも、ロシアの動きとしては(ウクライナの)「北では雑、南は緻密」という見方が広がっているようだ。
北が雑と言っても、もう流石に北も飽和してきている。
総攻撃まで時間の問題だろうというのはペンタゴンも言い始めている。
やはり露助の物量はすさまじいので、おおかたのひとが予想したように、ロシアは悪虐街道を爆走中である。
しかもその悪虐を全部ウクライナ側のやったことだと主張している。
どうやらマンションに地対空ミサイルが突っ込んだのはウクライナ側らしいとも言う。ただ、街の広場に巡航ミサイルが突っ込んだのはロシアのものだともいう。
大事なのは、そうした主張・発表の整合性を、政権の中枢や、大本営発表だけでなく、駐日大使あたりまで全部整合性を取るように徹底している。
もちろん、古来、大使・外交官という存在は、リモートかつオフラインの状態でありながらも、自国が駆動している根本の論理を考え詰めて、どんな状況を突きつけられても、その場で取り繕えるような論理の訓練をしているのだということは、例えば佐藤優が書いていたように思う。
もっとも佐藤優はこの事変のさなかで随分、親プーチン的な姿勢を批判されているが。
専門家としてTwitterでながく生息していたミリオタのひとが有識者としてメディアに出ずっぱりになっているのも面白い。
そのハンドルネームが「丸の内OL(27)」だったり「コスメ女子@美容垢」だったりしてネタになることも華を添えている。
いまは「人」だ。
ただ、彼を中心とした専門家たちも結局ほんとうにどうして起きたのか、何が起きているのか、これからどうなるのかということはわからないでいる。
わからないでいるのであれば何も考えなくていいいかといえば、そうではない。
事実として、現在進行系で、ひとは確実に死んでいるということがわかる。
これは重大である。
米国は、ロシアが侵攻するまでの意思決定をかなりの精度で把握した上で、それをおおっぴらにすることで、かえって侵攻を抑止しようとしたと言われている。
そういうわけで、わたし自身は、基本的に情勢を、ペンタゴンの分析を軸に見ていくのがいいと思っている。
ともあれ、現状では何もわからないままだ。
だから、開戦1週間はずっとこのウクライナの話題を追いかけてしまった。
しかし、1週間をすぎたあたりから、戦況が膠着から、どんどんウクライナ市民の被害が拡大していくなかで、冷静に恐怖が高まってきた。
どう考えても落ち目の国のロシアだが、資源と核を握り続けている分、他の国は手を出せない。
そういう、暗い、なんというか耐え難いビジョンを前に、正気を保つというのはそれ自体が困難な挑戦だ。
さて、笑い話ではないところとして、この事例は、顔貌がよく似たひとびととの実力行使のうらで生じうる破壊工作がどのように起きていくかという現在進行系の事例であることだ。
そうした、個々の情報がリアルタイムで出てくることに対して、どう反応するかということを自分で鍛える絶好の機会である、ということだ。
これは日本にとっても決して見逃してはいけない瞬間であると思う。
似た顔、似た容姿、深い断絶の関係から、潜入してくる存在にどう対処するかという格好の事例となるだろう。
特にSNS、つまりリアルタイムで情報端末に全世界のひとびとがつながっている状態で発生した戦争ということで、乱れ飛ぶナラティブが、ロシアもウクライナ側もすごい。
陰謀論はかまびすしい。
この二週間で、いろいろなプーチン擁護やウクライナ陰謀論が出てきた。
それがロシアから出てくるならわかるが、ぜんぜん関係ない日本のタレント評論家勢がそうしたことをタレ流しているらしいことが伝わってくる。
肩を持たないまでも、「両論併記」のようなことをいう。
本稿はどちらが正しいかを論じるわけではないけれども、私は西側主流派の見解をいちおう沿って考えているので、そうした見方を、両論併記まで含めて、ある程度の陰謀論として遇する。
ここで言いたいのは、陰謀論というのは、「認知的不協和の否認」として出現するのだなということがハッキリわかったということだ。
あと、歴史を除く人文の研究者らしきひとがTwitterとかにでてきて「いまこそ思想の研究が大事なんだ」と絶叫する例が流れてきたりした。
そりゃないだろ、と思う。
せいぜい役に立つとしたら、人間の社会性にビルトインされたバイアスをときほぐす、社会心理学のような取り組みにとどまるだろう。
つらつらと書いてきたが、おおっぴらに書けないことばかりなので、増田に上げる。
まず、「コロナに飽きた」ということからして、オモテでは書きづらい。
医者だからといってまともじゃないのもいっぱいいるが、医者だからといってちゃんと考えられるわけでもない。
私がコロナについて知りたいのはもっとどうして発症するのかとか、どうして死ぬのかとか、そうしたメカニズム面でのことだった。
小学生でも頭がいい人は頭がいい。
しかも余計な前知識を持ってないし、素直だし、記憶力や集中力も高い。
たとえば適当な公演をやってからレポートを書かせるとして、偏差値40ぐらいの大学生を集めて書かせるのと偏差値60の小学生を集めて書かせたのとではどっちが上なのかは分からないだろう。
まあこれは穿った見方なので「平均的な偏差値50ぐらいの小学生」を考えてみるとしよう。
でもこれだってその小学生には人並みの理解力は備わっているし、前述の通り頭の柔らかさはそこらの社会人じゃ比べ物にならない。
じゃあ実際にそのラインの相手を想定してパワーポイントなんかを作るとたいてい失敗する。
信じられないような勘違いをしてきて、「いいやこれは説明の仕方が悪いんだ」なんて平気で行ってくる。
10年前まで信じられていたAという俗説が覆されたのですというテーマで話していたものを、「そのAって50年前に発見されたことですよね。Aが新たに発見されたみたいに貴方はいいますけど50年前に発見されているんですよ」なんて信じられないような勘違いをする。
これじゃあどうしようもない。
じゃあ「頭の悪い小学生にも分かるように」なんて想定をすると、今度はにっちもさっちもいかなくなる。
下限がなくなってしまう。
「小学生にも分かるように」で本当にいいたいのは「IQが80あれば分かるように」なんじゃないだろうか?
つまりは「10人に1人レベルの馬鹿は最初から無視していいが、それより上にはなんとか伝わるように」というである。
こう考えると俄然なにを目指すべきかが分かってくる。
「10人に見せたときわからない人が2,3人出てくるような気がする表現や説明は避ける」を徹底していけばいいのだ。
マニアックな表現はさけ、専門家だけの常識となっている部分は噛み砕いていけばいい。
対象とするグループが決まっているのなら、そのグループの中に偶然IQ80未満が10人に1人紛れ込んでいることをイメージしてそれ以外の相手には伝わるように努力する。
というかそもそもIQなんて持ち出さずに「10人に1人しかいない馬鹿や頓珍漢以外には理解してもらえるように」という考え方でいいんだろうな。
ただこういった言い方を多用すると説明が伝わらなかった時にその馬鹿が「俺を馬鹿だと思ってるんだろ!」と切れてくるから、「小学生にも分かるように」というちょっと意味の測りかねる表現が流行ってるに違いない。
なるほど、納得したわ。
https://anond.hatelabo.jp/20211226230142
上の記事を書いた増田なのだけど、思っていたより反響があったのでブコメに上がっている疑問点に可能な限り答えたいと思う。内容の重複するコメントが多かったので、要旨を丸める。
Q 本当に死にたい人間はこんなに精力的になれない、婚活も結婚もしようとしないはずだ。
A 友人は、婚活をしていたし、結婚もしていたし、国内外の旅行にも行っていたし、資格の勉強をし、亡くなるほんの数か月前に簿記2級に合格するような知性とバイタリティを持っていたし、貯金もあった。だが、死んだ。
活動的であるかどうか、「自分が生きると思わせてくれる何かがあるかもしれない」という一縷の望みに賭けて努力する(婚活や資格取得)かどうかということと、死にたい気持ちは全くの別物であることを理解されたい。寧ろ努力した結果、報われなかった、あるいは何らかの果実を得たものの「やっぱり生きたいと思えなかった」と落胆することで死に一歩近づくことがある。
そしてこれは言っておかなければいけないことだと思うけれど、「本当に死にたい人間なら」というのは、単に「私の観測範囲内では」という話に過ぎない。実際のところ、死にたい人間も多種多様だ。
希死念慮者は死によってでしかその意思が肯定されないのか、それは違うと思う。希死念慮者は、「死にたいという気持ちを抱えた生きた人間」だ。単に自分の想定に沿わないからといって「ニセモノだ」という話をされたのでは、サバイブした事例の話は出来ないことになってしまう。
Q 2019年に破産の申請が通り、仕事がうまくいかなかったにもかかわらず2020年にはバイクを買って数か月も働かずに旅に出られるだけのお金が貯まるのか?
A 裁判所から破産の決定が下りたのは2019年だが、相談をしたのは2018年であり、相談時点で全ての債務の返済及び利息の加算は停止する。その為、2年近く給与を貯蓄し続けることが出来た。仕事がうまくいかなかったのは、単に自分の無能さに嫌気がさしているということ。私は歩合の無い普通のサラリーマンなので、無能でも減給になったりはしなかった。
A 実際ひときわ美人だから。もはや生きることにうんざりしていた私は、「まあ、この人でも良いかな」みたいな妥協をしてまで他人と付き合う気はなかった。なので、ひときわ美人だったことはやはり俗っぽいけれど重要な点だったと思う。しかし最も重要なことは、このエントリは妻も監視しているということ。
Q 2020年年末から「新潟経由スタートで南下」し「冬の北海道をバイクで走破」は、積雪によって不可能ではないか?
A 年末という書き方が悪かったと思う。これは「12月」と読みかえて欲しい。当時、新潟から日本海沿いに寒波が下りてきていた。私は寒波から逃げるように日本海を南下したので、日本海では積雪に遭遇していない。九州では、大分の九重連山で積雪に悩まされたが、それは乗り切ることが出来た。また、東北・北海道については春に入り雪解けを待ってから上陸したので、「冬の北海道を走破」はしていない(春季でも所どころ積雪はあったが)。
A 実際に行動を起こした(自殺未遂、友人の自死、発信し続けたこと)という点において、漠然と死にたいと思うだけで気付いたら理解ある彼くんが人生をリードしてくれたという案件とはフェイズが違うと思う。
が、「人間を救えるのは人間しかいない」と結んでいるように、一度袋小路に陥り自力では抗えないほど閉塞してしまった人生は、理解してくれる(しようとしてくれる)他者によってしか救われないと思う。犬も歩けば棒に当たるみたいなことが伝わってくれれば嬉しい。
Q 首を吊っても縄が切れることはあり得ない。
A 私の場合、購入して数年経った中型犬用のロープを用いたので、劣化していたことと、そもそも中身がスカスカだったこともあり切れたのだと思う。また、これは私が体験談を聞いた範囲での話だが、縄が切れて首吊りが失敗する事例は割とあるようだ。
Q 「遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた」ってどういうこと?
A 友人がわざわざ自宅から持ってこなければ、通常、携帯料金の請求書は手に入らない。そういう紙の裏に書くと、遺書が自発的に書かれたものである(私に無理やり書かされたのではない)という事実を裏付ける証拠になる。
Q ホテルで死のうとするなんて、ホテル側に迷惑だと思わないのか?
A 誠に申しわけございません。
Q 実話? 創作?
A この種の疑問に回答しても栓ないと思うけれど、実話。読んでくれてありがとう。
今年のうちには死のうと思っていたのだが、あれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの半年前のことだ。
そうして2021年ももう終わりに近付いてきたところで、希死念慮もとりあえず脇においておけるレベルになっていることに気付いた。
経緯をはてぶにでも簡単に書き残しておくことで、誰か必要な人に届けば良いと思う。
私はかなり重度の希死念慮の持ち主だ。
元来、基本的に薄っすら死にたい気持ちを抱えて暮らしてきた。健常の人には中々理解されないことだが、「生きているだけで苦痛」なのだ。
学生時代も挫折の連続でそれはそれなりに辛いこともあったけれど、普通のサラリーマンとなり受験や就活といった目下の目標を見失った後は気を紛らわすようなものもさして見当たらず、ずっと「一体、何のために生きているんだろうか?」という気持ちに苛まれてきた。
趣味でも、仕事でも、誰か大事な人の為に生きなければいけないでも、何でもいい。生きる苦痛を贖うだけの理由が必要だった。
そして特に趣味はない。そういうものを探す努力もしてみたが、見つからなかった。元々無能の社会不適合なので、立身出世を夢見て仕事にまい進することも出来なかった。婚活をしてみたけれど、お恥ずかしいことに誰にも愛されることは無かった。
誰にも求められず、自分さえ何のために生きているかわからないまま東京で過ごす日々は着実に心を擦り減らしていった。
婚活で出会う女に金を遣っているうちに貯金の残高もなくなり、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはカネが必要なのだと思った。そして、はやりの言葉でいえばFIREをしたいと熱望するようになった。
リスキーな投機を繰り返し、あっという間に2千万円という多額の債務を抱えてクビが回らなくなった。
首を吊った。失敗した。縄が切れたからだ。次はもっと丈夫な縄でやろうと誓った。
いずれにしても、「実行できた」。希死念慮を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「オレは本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんだ!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた私は、破産手続きをすることにした。
法テラスに連絡して弁護士と破産手続きを進め、裁判所から「お前の破産を認める」という通知が来たのは2019年も半ばに差し掛かった頃で、私は30歳になっていた。
「破産」という言葉の強さに、「これが不幸の底だったら良いな」と少し楽観的に思っていた私だったが、そこから坂道を転がり落ちるように不幸が立て続けに起こった。
職場で上司に暴力を振るわれ警察沙汰になったり、身内が亡くなったり、別の身内がニュースになるような事件の当事者になったり、海外で車にひかれ、その勢いでインフルエンザに罹り入院したりした。短い期間に事故って負傷したり損害を負ったことも一度や二度ではない。
もちろん仕事がうまく行くようなことはないし、婚活をしたって破産者で更に未だ債務のある人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして鬱々としているうちに、そういう態度に愛想の尽きた友人たちの多くは私の下を去り、余計に孤独を深くした。
もう何をやってもこの人生は上手く行かないと悟り、いい加減に死んだ方が良いと思った私は、前回の失敗を活かしAmazonで丈夫な大型犬用のリードを購入した。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
結局、思うところあった私はその申し出を断った。その代わり、友人の自死を看取ることを約束した。
看取る。つまり友人が自死に失敗したときには、私が殺すということだ。
私も自殺をしくじった人間だ。自殺の恐ろしいところは、死それ自体ではない。失敗して、欠損した心身で生き残ってしまうことだ。
少しでも苦しまずにいけるよう、寄り添っていたいと思った。何があっても味方でいると誓った友人が君にはいて、クソみたいな人生だったかもしれないが、孤独ではなかったと思っていて欲しかった。
そして友人は死んだ。ホテルの一室で首を括った。傍らには私がいた。
私は、服役することを覚悟していた。調べる限りにおいて、類似の事件はみんな実刑になっていたからだ。
しかしそうはならなかった。友人が書き残した遺書に、しきりに私のことを庇うような言葉が書かれていたからだ。遺書は、私に書かされたものではないことを示すために、自宅に届いた携帯料金の請求書の裏に書かれていた。
そして遺書には、友人の大事な人に私がメッセージを届ける役目を託すという旨が書かれていた。
警察から解放された私は、確固たる希死念慮を携えて、友人に託された遺書に書かれた内容を遂げていった。遺族や友人に会い、顛末を伝えた。
会うのを拒んだ人もいたし、友人の死で心が落ち着くのに時間を要した人もいたが、おおよそ「これ以上はもうできないな」というところまで遂げるのに、半年以上の月日を要した。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
職場から逃げ出し、仕事を放り出した私は、ブログにこれまでのことの経緯を書き残した。ずっと書きたいと思っていた小説も書き上げた。それはほとんど誰にも読まれることはなかったけれど、別にそれで良かった。
そしてバイクを買って、旅に出た。行きたかった場所を見尽くし、この国の何処を探しても希望の無いことを確認して、そして、友人と同じホテルの一室で、ドアノブに首をかけて一人で死のうと思った。
不幸中の幸いなことに、破産してから特に散財していなかったお陰で手元にはいくばくかのカネが貯まっていた。コロナ禍のお陰でホテルも安かった。
東京から一旦新潟に出て、冬の日本海を南下し、九州を一周し沖縄へ行った。東北を抜け、北海道を反時計回りに一周し、小樽のフェリーに乗って新潟に戻り、東京へ帰って来た。
大雨の日も雪の日も、風の日も氷点下の日も、宿が見付からない日もあった。凍った道も崩壊した険道も通ってきた。スリップして転ぶことも凍傷で手足が紫に腫れる日も、腱鞘炎や捻挫で痛みに堪えて走った日もあった。だが、東京で死んだように生きるよりずっとマシだった。とにかく前に進み、少しでも多くの景色を見て、希望が無いことを確認しようとした。
そうして全ての都道府県を見て回り、日本を一周し終わったのは、今年2021年の春頃だ。
数か月にわたる旅の間、SNSにその模様を呟いていると、当地に住むフォロワーの人たちが声をかけてくれて物資を提供してくれたり、ご飯を奢ってくれたり、宿をとってくれたりした。
本当に有難いことだったが、それでも今後に希望を見出すようなことは無かった。
多くの人は「生きて欲しい」と言ってくれたけれど、だからといって彼らが私の人生に責任を負うこともなければ、依然として私は孤独だった。
日本中を探し回っても希望が落ちていなかったように、今後そういう類のものが現れることは無いだろう。それを確認し尽くした、と思った。
旅の間見たどんな絶景も私の心を埋めることはなかった。景色は、しょせん景色でしかなかった。
旅が終わって数日もしないある日、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。ひときわ美しく、人前に立つ仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。ブログも、Twitterも、配信も、全部追っていて、そして旅が終わる頃になって、私の生活を追えなくなるのがイヤになってしまったらしい。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、私はブサイク陰キャコミュ障無職借金破産非モテ希死念慮の役満人間である。彼女のような聡明で美しい女が、私のことを好きになるはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪わるもののない私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。
だからといって希死念慮がすぐに消えるわけもなく、「自分はきっとこれからも生きていけるのだろう。妻と一緒なら乗り越えていけるのだろう」と思うのにはそれなりの紆余曲折と妻の説得があった。だが結局、女に拾われて節操なく生きることになってしまったことに変わりはない。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで死ぬのを延期していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、死ぬのを何度も延期した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。仕事を放り投げて旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。Twitterやキャスをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も死を僅かずつ、ほんの少しずつ延期していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして友人の死と、私がその死に向かい合っていたことが、パズルのピースのように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私が友人のことを悼み続けることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと無能者扱いされると思うけれど、きっと大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは毛頭ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
私は、自分が友人にしたことを後悔していない。友人のことは救えなかったし、最期に孤独にしなくて良かったと今でも思っている。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
明日はマックの新商品が出るから今日はとりあえず生き抜くだとか、私みたいにお金と体力が尽きるまで放浪してみるのも悪くない。映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
そしてあなたの大切な誰かが自分の前から去ろうとしているときは、遠慮がちに手を差し伸べてみて欲しいと思う。
課金は不可/ダウンロードと削除は自由、R-18のコンテンツは検索しても出てこない設定にして子供用のタブレットを与え好きにさせていたら、少し前に広告で見たようでエバーテイルをダウンロードしていた。
けっこう難しそうだしGUI周りも会話もビッシリ漢字が混じっているから、訳がわからなくて先に進めずすぐ飽きるだろうと思っていたら意外と続いている。新しいイベントが出るたび、めちゃくちゃに強いよそのプレイヤーの強さの助けを借りてはガチャ石をゲットしてガチャを回しまくっている。残念ながら私は携帯端末のRPGはまったく経験がないため攻略の役にはほぼ立てない。
この手のガチャつきゲームにはつきもので、女の子の露出が非常に高い。「君それはマイクロビキニを着ていた方がまだエロくないのではないかね?」みたいな服装ときわどいポーズのうら若い女性が山ほど出てくる。私は「こんないやらしい格好の人が出てくるゲームなんかしてダメでしょ!」と言って無理やりやめさせるみたいなのは好きではないので、「こりゃあ(露出度が)スゴイ! 現実にこんな服着たらすぐに落ちてきて(胸が)丸見えになっちゃうね!」などと茶化しつつも見守っている。
娘も流石に察して「なんでエバーテイルの子はみんなえっちな格好しているの?」と聞いてくるが、「えっちな格好の人がSSRになっているとみんながたくさん本当のお金を払ってガチャを回してくれるからね。そうやって本当のお金をたくさん使ってもらえないとゲーム会社の人がゲームを作り続けられなくなって、そのゲームが終わっちゃうからだよ。大変だね!」と正直に答えている。
娘はクラリスというメイド服を着た女の子を気に入っており(メイド服が好きなのかもしれない。厳密にはメイド服と異なるが以前もシャドーハウスのアニメを毎週見ていた)Amazonプライムで「メイド」と検索したらしく、最近では「小林さんちのメイドラゴン」というアニメを毎日観ている。小林さんの声の人が「吸血鬼すぐ死ぬ」のアルマジロのジョンの声の人と同じだよと教えてあげたら驚いていた。
特にオタクになるように育てたつもりはないのだが、順調にオタク趣味を覚えてしまいつつある(一応オタクコンテンツばかりでなく、プリキュアとミュークルドリーミーと妖怪ウォッチとポケモンと鬼滅の刃といった普通のキッズが好むアニメも毎週楽しみに観ている)。
よそのご家庭から見たら眉を顰めるような放任DQN家庭なのだろうがまあしょうがない。クソみてェなオタクのお母さんですみません。
経緯としては、デイリーメールによって、2019年にバルサが来日した際に以下の様な動画が撮影され、その内容が問題であることを報じられた事に始まった問題だけど
デンベレ選手やグリーズマン選手らを処罰して個人の意識の問題にすることに違和感を感じている、と言う話。
個人的には、両選手が日本人を特別に嘲笑って差別しているという風には感じなかったけど、問題の根はもっと深くてエグイなとも感じた。
https://www.youtube.com/watch?v=xgZJC6QAZgA
フランス語の以下の英訳が差別的な発言であるという印象を強めている。
スラング入りなので意訳してみると
「この連中は何だ?お前がPESを遊べるようにするためにいるのか?そんなことの為に、こんな連中呼んではずかしくねぇのかよ?」、この連中を直訳して醜い顔の連中と置き換えるとセンセーションではある。
「は?何言ってんだか分からねぇよ」、どんな遅れた言葉だよ、って直訳するとヤバさは際立ちますね。
「お前らはこの国じゃ技術のある人間じゃないのかよ?」、これは直訳も糞もなく字義通りでしょう。
俺の最初の印象としては、「なんだ?このガキは。癇癪起こしてんじゃねぇよ」って感じだったけど、世論は一気に吹き上がった感があって不思議ではあった。
辻氏だけではなく複数のフランス語話者が、意図的な誤訳が含まれるという点を指摘しているけれど、俺は英語は使えてもフランス語は全く分からんので真偽の判定は難しい。DeelL翻訳で英語にしてみる。
フランス語の抜出を辻氏が嘘をついてる可能性も考えないではないが、公開されている映像で、辻仁成ほど名の知れた人がそれをやる意味が見いだせないので内容は信じたい。
Toutes ces sales gueules pour jouer un PES bordel! Ils n’ont pas honte?
All these ugly faces to play a PES damn! Don't they have any shame?
「この醜い連中はPESを遊ぶ為にいる、恥ずかしくないのか?」醜い顔が恥ずかしいと言ってる様な文脈にはとても思えない。
https://www.designstoriesinc.com/jinsei/daily-1980/
これは日本で起こったことですが、世界のどこで起こってもおかしくないことであり、場所に関係なく同じ言葉を使っていたと思います。特定のコミュニティに向けたものではありません
https://news.yahoo.co.jp/articles/b2ec34c371d23a3bc97547d6028d4d728f48906e
と言っているけれど、俺はこの発言は言い逃れやいい訳ではなくて、本当にそうなのだろうと思った。
理由は、経緯をおいつつ発言の内容を英語で理解しようとした時に、デンベレ選手は「作業がスムーズに進まないで、要求が満たされない事にキレ散らかしてる」としか思えなかったからだ。
あの場面で、作業をしている人にフランス語話者がいれば酷い罵倒に取られる訳で、いかに職業意識が高い日本人でも、要求にスマートに答えられない申し訳なさよりも怒りが勝つかもしれない。
それくらいリスペクトに欠けた言葉遣いだったことは疑いないけど、差別のつもりではなかったってのは、そうなのだろうと理解はした。
今分かる事は、日本人に対して差別の意識があるかどうかはともかくとして、デンベレ選手自身は、汚いスラングを使って日常的に会話する人であるという事だろう。
サッカー選手はジネディーヌ・ジダン氏からして、デンベレ選手同様に移民の子であり、犯罪率も高いスラムの様な場所で育ちサッカー選手としての才能と努力でのし上がって来た成功者が多い。
ブラジル人だと、毎日誰かが殺されるようなスラムから抜け出す事が出来て嬉しい、と言うようなことを来日した選手がいっていることはよくある。そして、彼らは家族や仲間への愛情がひときわ強い。
欧州に今もなお健在の階級の壁を才能によって超えたとはいっても、彼らの育ったバックグラウンドが消える訳じゃない。地元に戻って友達と話せば、上品な言葉ではなく、スラング交じりのカッコつけた言葉で話するだろう。
日本でも、ほとんど耳にすることもないけれど、ヤンキーが、サツカンとか、ポリとか警察を呼ぶような俗語があった。今も不良少年の間で、俗語が使われてるかは知らんけど、世界中のどこにでもあるだろう。
日本の不良少年は大人になり社会に出るとそういう俗語は捨てる(だけの教養は自然と備わる)が、同じような立場の選手も多いサッカー選手同士だと、そんな話し方が常態化してるのかもしれない。
フランスの中で放置され、隔絶され、隠されてる貧困層の文化を持った青年が、選手として成功する事で、地元の仲間内では普通の文化を表社会に見せてしまう事があるという事なんだろう。
フランス人も含めて世界中で、これは差別だと一斉に叩いているけれど、欧米人お得意のポリコレこん棒の過剰な振り回しの側面は否めないと思う。
同時に、フランスの恥部に向き合う事なく、選手個人の問題にして切り離そうとしてるのが更に酷い問題に思えた。
社会に存在する階級の差を放置したまま、ポリコレこん棒で叩いて表立った問題は起こさない様にしたところで、本当の差別は消えないだろう。
貧しいものは、自分たちの仕事を奪う移民を嫌うのは、昨今の欧米の時事を追えば誰にでもわかることだ。そこから差別が生まれ続ける。
デンベレ選手の問題を個人の恥ずべき行動だと切り離して、階級の差から目を背けている間は、フランスの社会が差別をなくすことなんて200%出来ないなと強く思う。
スラングが表に出てくるのが嫌なら、階級の差をなくして、移民差別黒人差別も無くして、きちんと教育して社会に送り出せ。これは、ただのフランスの恥でしかないし、日本人が付き合って怒ってやるのも馬鹿らしい話だ。
https://twitter.com/DabadieTV/status/1412191937495388160
フローラン・ダバディ氏が、本質的なところでは同意見だということで、ほらなと言う感じだ。
フランスが目を背けて逃げてる移民・黒人との階級の差が、成功によって日の目を見てるだけなのだ。十分な教育が行き届いてない事実が見えるだけだ。
昨年来、唐揚げ専門店の出店が加速している。市場調査会社の富士経済(東京・中央)によると、唐揚げをメインに提供するイートイン、テークアウト店の市場規模は、19年の853億円から20年は23.1%増の1050億円に拡大する見通し。21年3月9~12日に東京ビッグサイトで開催された「フランチャイズ・ショー2021」でも、唐揚げ専門店FC加盟店を募集する各社ブースがひときわ目立っていた。21年3月21日には、ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏がTwitterで、「からやまって何だ!? 食べに行ってみたい!!」とツイートして話題になった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90ddeda2c6b16e044e4ba73d8a7293c4205f0941
初めて、好きな人ができた。
ファーストコンタクト。垢抜けない奴らばかりのこの大学で、彼女はひときわ輝いて見えた。一生交わることのない生き物だと本能が感知していた。それなのに……
気づくと彼女は側にいた。人生のままならなさを共に嘆き、互いのアイデンティティについて語り合った。僕はいつの間にか彼女のことしか考えられなくなっていた。
初めての恋を自覚した瞬間、僕の精神は入れ替わったかのように組変わった。僕はエロゲーマーとして覚醒していた。オタクとして限界を感じていた当時の僕。自分の好きそうなアニメや漫画はほとんど触れてきたという感触があった。残った領域はエロゲ。何をやってもハマれないのに積みゲーだけが増えていった。それが恋愛感情がわかった瞬間、突然アクセス可能になる。水を得た魚のように貪った。
WHITE ALBUM2は三本目のエロゲだった。
「嫌ってないくらいであたしの心を乱すな! あんな、期待させるような、手を伸ばせば届くって錯覚させるような…」
「想い続けることに意味も価値も望みもなくて、だから、いい加減疲れて馬鹿馬鹿しくなって、そう思えたらあとはもう懐かしい笑い話だって…」
かずさが紡ぐ言葉は、まるで僕の気持ちを代弁してくれてるかのようで、夢中になってテキストを読み進めた。
かずさは、俺のことを全部わかってくれてるんだ……。かずさは……俺だ!俺はかずさだったんだ!
かずさとの繋がりを感じる日々。そして、彼女に彼氏がいることがわかった時には僕のかずさとのリンクは完成された。
僕は雪菜でオナニーをした。雪菜の女性としての魅力とあの子の彼氏の男性としての力の大きさを重ねながら。雪菜の方に行ってしまう春希の心をかずさの身体に持ち帰る。無力感に苛まれて火照る身体。かずさ、君もこんな気持ちだったんだね。雪菜には僕も勝てそうにないよ。
かずさの苦しみをこの身に引き受けて、僕の精神は次第に悪化していく。抗うつ剤も効かなくなった。そう、想い続けることに意味も価値も望みもない。春希は雪菜を愛してるんだ。雪菜なしでは生きていけないんだ。そのことに本当に気づいたとき、あの子と別れて家路を急ぎながら大声で泣いた。
頭が逆さになる感覚。どっちが右でどっちが左なのかもわからない。俺は……誰だ……?かずさはどこにいるんだ……?
かずさ!かずさかずさかずさ!!
気づけばかずさがどこにもいなくなっていることに気づく。そうか……俺はかずさじゃなかったんだ。かずさは最初から他人だったんだ。
僕は泣いた。かずさを失ってしまったことが悲しくて悲しくて……。いつも隣にいたかずさ。僕と同じ気持ちを感じてくれていたかずさ。みんな全部幻想だった。長い夢に過ぎなかった。
翌日、あの子に対する恋情がきれいに無くなっていることに気づいた。かずさを失った喪失感だけが心を占めている。どうして俺がかずさと分かたれなきゃいけないんだ。かずさとずっと一緒にいたかった。
僕のあの子への恋はとっくの昔に終わっていたんだと思う。かずさとのリンクを保ち続けたばかりに僕の感情の中心は気づかないうちにかずさの方に移動を完了していたのだろう。これを書いている今となっては、かずさを失った悲しみが懐かしさに変わりつつある。
かずさと繋がっていたあの幸福―――。
雪が降りしきる。全てが凍った世界でただ一つ、ただ一人だけが僕を暖めてくれていた。あの人肌の温もりを、繋がりを、次はいつ感じることができるんだろう――――――。
当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングにオフィスを持つ貿易商、合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。
二十一歳から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事は会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤玉そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。
ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったからである。木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮ゆうそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般の美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。
内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女と言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事の共通なものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィスに彼女が入社して来たことすらが、誠に不思議なめぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである。
その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セルの仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。
HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……
見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。
私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、
「樋口さん」
と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、
「なあに?」
と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである。彼女は樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女は彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。
「あなた、樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」
すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである。
「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」
「じゃあ、樋口っていうのは?」
「何なんでもないのよ。……」
そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。
私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女が樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語の根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたからである。
この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車の停留所までと、電車にのってから、彼女は巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。
私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女の容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語に重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学を卒業して、そこの研究室である奇妙な実験に従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである。
彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。
それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末のホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルのカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。
「君、怖いの?」
私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。
それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど一時間もの間、黙っていたのである。
「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」
彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。
「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。
「話して下さい。君の身の上話を」
彼女は身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかばは子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである。
私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である。
「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪の川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察の手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」
彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖の名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである。
「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」
彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、
「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地の景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」
「ちょっと、ちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」
そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸の景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである。
「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」
初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。
「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」
私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットにしまいながら云った。
初代は、それから又、彼女が物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
ミライさんの良くないところは、自分は大人の良識ある女ですよ〜みんなのお母さんですよ〜っていう素振りをしながら無意識にメスを出してるところ。ミライさんって自分の地味な顔とか立ち位置とかを客観的に分かってるから、出過ぎた真似もしないし人から反感を買うことも少ないんだよね。でもふとした時にピンクのビキニとか着ちゃう。それでホワイトベースの童貞達に対して「この水着しかなかったのよ、恥ずかしいわ」とか言う。しかもミライさん「セイラさんはやっぱり素敵ね」とか「フラウちゃんは(私と違って)若いんだから」って他の人を自然に褒める。ミライさんが他の女の子を褒める時って本当に心から思って発言してるんだよ。これを計算じゃなくて無意識でやってるのがまた困ったところで、自分の生きやすい環境をつくるための発言なんだけど周囲はそれに気づかないから「ミライさんって性格がいいな」って錯覚しちゃう。一見献身的にも見える行動が全て自己保身から来るものなんだけど彼女自身もそれを認識していないのが怖い。こういう強かさに周囲も気づけないし指摘するとその人が悪者になっちゃうのが厄介なんだよなあ。リアルだ…
あとミライさんがシャワー中に部屋の水道が壊れてアムロが修理してくれたシーン、洗面台に落ちた蛇口ハンドルを回収して付けるだけなら別にアムロの助けっていらないんだけど丁度アムロが部屋に入ってきた時に全裸の状態でバスルームの扉を空けるの絶対!確信犯!アムロが自分の下着と全裸に赤面してることは勿論気づいてるんだよミライさんは。普通の女だったらキッカがギャアギャア泣き叫んでたらパッとバスルームから出て蛇口直すし、放置しておいてアムロが入ってきてもバスルームの扉を開けずに「アムロごめんね、後で私がやっておくわ。」って部屋から退出させる。下着も干してるしね。百歩譲ってアムロが修理してくれたとしても絶対にお礼を言うときわざわざ扉を開けて恥ずかしがる仕草をしながら自分の裸を見せつけない。ミライさんは後でアムロに「ごめんなさいね、キッカの声が聞こえなかったのよ。直してくれてありがとう。見苦しかったかも知れないけどアニメ的にもお色気シーンが必要だから許してちょうだいね。」とか言うんだよ。そんなこと言われたらアムロは何も言い返せないしミライさんを責めることもできない。全部わかった上で自己を正当化する小賢しい発言をするところが苦手。
私はこの文章を23話時点で一旦完成させてたので33話のカムラン登場ででもう度肝を抜かれた。なんなんだこの女は!カムラン検察官に対して「ご自分で探してはくださらなかったのね」って何!?どの口がそんなこと言えて!?何様のつもり!?婚約者周辺の話はミライさんの隠しきれない性根の悪さとかプライドの高さみたいなのが発露してるんだよな。相手のことを本当に慮ってるなら多額の金を使って自分を探してくれたカムランに対してこんなこと絶対言えない。本当は自分で探して欲しかったとしても戦争中そんな簡単に出来ることじゃないしね。そもそも自分が婚約者に黙ってサイド7に移住したのが発端のくせに戦争やカムランに責任転嫁して被害者ヅラするその根性が許せない。ブライトさんもこんな告白の仕方ある!?私もブライトさんみたいな地味で不器用で真面目でプライド高そうで実直な男を精神的にサポートしたいよお〜ブライトさん絶対ドMだからめちゃくちゃいじわるしたいよお〜普段は理解のある妻だけどたま〜にワガママ言って困らせたいしタジタジさせたいよお〜でもブライトさんがストレスから「仕事辞めたい」とか言ったらデロデロに甘やかして一生よしよしして養ってあげたいよお〜。で、結局スレッガーさんに行くんだね。ミライさんスレッガーのこと最初迷惑そうに見てたのにちょっとビンタされたぐらいで絆されるなよ。スレッガーはミライさんが戦闘中にも関わらずメソメソメソメソしてるからキスしただけでミライさんみたいな芋女のこと好きなわけじゃないぞ!勘違いするなよ!それでスレッガーが戦死したからって悲劇のヒロインぶるの、本当にいい加減にしてほしい。
ミライさんはこれらの行動をほぼ無意識でしてるからタチが悪い。私がミライさんの前に出ていって前記の指摘をしたらミライさんは「気付かなかったわ、不快な思いさせてごめんなさいね。指摘してくれてありがとう。」って傷つきながらも素直に受け入れるし改善に務めてくれると思う。そうしてるうちにこんなに温厚で謙虚で包容力のあるヤシマ家のご令嬢にグチグチ言ってる自分に嫌気がさしちゃって、私がミライさんに嫉妬してるだけなのを認識してしまう。
やっぱりミライさんが嫌いだ………
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/42272
フェミニズムの主張の中でもひときわ強烈なラディカルメッセージだよね。
おじさんになんかなりたくないでしょ?ってたしなめて、誤った女性達を更生させて共感の輪を広げるつもりなのかな。
男性であるおじさん自体は気分を損ねようがどうでもいいけど、やりすぎて女性内部の分断を深めてしまうことがないよう気をつけたいね。
特に大学で専門的な教育を受けてこなかった我流フェミニストが、「おじさん」を別の意味に解釈しないか不安すぎる。
KKOにならないように気をつけよう、なら誤解を招かずに済むかな。
中学生の頃さぁ、いろんなクラスが学級崩壊しとって、とある新人の若い女の先生がいじめられて休みがちになっとったんよ。
家庭の事情で不登校気味やったわいはその事情をあまり知らんで、たまたま先生と廊下ですれ違ったとき、オモムロに「先生の車かっこいいなぁ!」って言ってしまったんよ。
先生は当時セリカ(5代目やったかな)乗ってて実際かっこよかったんよ。
なんでか知らんけど、すれ違ったとき咄嗟にそのこと伝えてしまったんよ。
先生はよく知らない奴に話しかけられたことにビックリしたのか、今終えば、イヤなこと言われると思って身構えたのか一瞬ビクッとしてたけど、すぐに少しニコッと笑って「ほんとー?」と返してくれたんよ。
先生と交わした会話はそれだけなんよ。
その1ヶ月後くらいに、とうとう先生は学校にぜんぜん来られなくなって、やめてしまったんよ。
噂では鬱病だとかで、学校に来ると吐いたり倒れたりしてしまうらしい。
それから1年くらいたって、わいが高校に入学するとき、わい宛に手紙が届いたんよ。
差出人はあの先生だったんよ。
きれいな字で、便箋3枚くらいに、あのときわいに声をかけられてどれだけ嬉しかったか、どれだけ励みになったか書いてたんよ。
わいは正直、えっ?たったあの1言だけで?あんなどーでもいい内容で?と不思議やったし戸惑ったんよ。
だから返事の手紙も、お世話になりましたとか高校がんばりますとか、そんなぼんやりした内容しか書けなかったんよ。
そのあとも年賀状くらいはやりとりしてたけど、だんだんとぎれとぎれになって、今はなにもやり取りがなくなった。
あのとき、どんな返事を書けば良かったんかなぁ。
いまでもわからんわ。
街中でかっこいいクルマ見かけて思い出したんよ。
十代の頃からずっと、抑うつ状態を伴う精神疾患を患っているが、薬を飲んでごまかしごまかしクローズで働いている。
仕事ができるわけでも熱意があるわけでもないが、見抜かれなかったのかそんなことはどうでもいいのか、今の会社にはあっさり就職できてしまった。
能力が低いからといって勉強をする気も全く起きないので、IT業界で長く暮らすことはできないと悟っているが、あまり考えないようにしている。
中長期的な視点を人生に持ち込んだことはそもそもないが、長年の抑うつも手伝ってか、将来をしっかり想像することは少ない。
そんな私が珍しく、未来のことを考えていた。
それは「男女平等がもっと進んだら、自分のような能力の低い男性は相対的に割りを食うかもしれない。」ということ。
女の兄弟がいるし、大学ではジェンダーやフェミニズムを主な関心のひとつとして勉強した。
だから自身は絶対に男女平等推進の立場であるにも関わらず、だ。
もしも私が女性だったら、これまでの人生だって可能性は大きく狭まっていただろう。
大学附属の男子校出身だが、附属に絞っても受験校を選び放題だった。
たまたま男だったので、ずいぶん楽して大学に行けてしまったのだ。
高校生の頃から疾患持ちだったので、内部進学以外の方法で同じ大学に現役合格するのは非常に困難だっただろう。
いや、仮に疾患がなかったとしても自信がないというのが正直なところ。
今の職場は圧倒的に男性の数が多く、数少ない女性はひときわ優秀に見える。
同期を見ても、男性は自分のようなポンコツも何人か混じっていたが、女性は精鋭だった。
もちろん、男女の不平等だけでその人数比が形成されたわけではないだろう。
それでも「いろいろな格差が解消されていくと、私のような属性の男性は今の立場を守りきれないのではないか?」と感じるにはもってこいの環境だ。
今ここ立っているのは、男性として甘い汁を吸ってきたからだと感じている。
女性が不利益を被ることなく活躍できるようになれば、そうなる前の社会よりも早く、「俺」の地位は下がっていくだろう。
それでも、それがいつか自分の首を絞めるかもしれなくても、信念として男女平等には賛成だ。
とはいえ、どんな社会が待っていようが、私にはあまり関係のない話かもしれない。
なぜなら、私が肩を叩かれるとしたらその理由は「男余り」ではなく「能力が低い」だからだ。
こんな日記を書く暇があれば、無能だなんだと嘆く前に勉強するなりしてその椅子を守るべきだが、やりたくないものはしょうがない。
「努力ができない」というのは、私が能力の低い人間であり続けることを大いに助長しているし、これからもそうし続けるのだろう。
香港のポスターの話、ちょいと話題になっているけど、ソースが痛いニュースだけじゃあ痛すぎるわよね。
承前:林祥焜という作家の描いた大型ポスター6枚が西九龍センターというショッピングモールに掲示されていた。"GOODGIRL"シリーズと呼ばれ、割ときわどい格好の女性を描いている(詳しくは画像検索でもして)。
① 10月6日:車淑梅という香港の有名ラジオパーソナリティー(元)が例のポスターの写真をFacebookに掲載して一言「マジかよ……(嚇一跳……)」と投稿。当地のネチズン間で議論が起こる。
② 同10月6日:同地区評議会メンバーである劉佩玉議員が(西九龍センターを利用する)親子連れから多数の苦情を受けたとして、何人かの女性を伴い(合流し?)西九龍センターに対してポスターの撤去を要求した。
③ 10月12日:西九龍センターは台風16号の接近に備え、全ポスターを一時撤去。
④ 10月25~26日:西九龍センターで一時撤去していたポスターを再掲示。その際、6枚のうち3枚は例のパロディー版(ギャグ漫画家の甘小文氏作)に差し替えられている。なおこの差し替えはオリジナル版の作者林祥焜氏も承知(というか歓迎)している。
⑤ これに対して劉佩玉議員は「また苦情が来たら考える」とのこと。
⑥ 【完】
香港の大型ショッピングモール。地上10階地下5階。屋内だけどプチ遊園地やスケートリンクがある。ちなみになぜか吉野家もあるわよ。AKB48のグッズ店もあるとかないとか。ガンプラも売ってた気がする。
外には大きな広告展示スペースがあり、ここの広告/ポスターはエロい/煽情的/きわどいものが多く、よく批判なり抗議なりされてきたという歴史があるわ。まあセンター側は全部ガン無視だけど。
例えばこれやこれやこれやこれやこんなのかしら。"西九龍中心"でググればもっといろいろ見れるわよ。あ、中国だからって百度検索はダメよ。きれいな画しか出てこないから。
今回は台風で一時撤去したけど、過去の対応を考える限り、台風来なかったら抗議ガン無視して掲載を続けてたと思うわよ。あのポスター群。
もう規制済みなんですわ。香港と言えど中国。やっぱどうしてもね。
"猥褻物品法廷"ってのが香港司法にはあるのよ。この法廷で猥褻判定食らったら発禁になっちゃうわけ。ド直球の事前検閲でびっくりしたかしら?
届け出せずに出版等することはできるけど、あとからNG判定受けたら……ちょっと悲しい結末になるかもしれないのよね。
ちなみに件のポスターは全部審査をパスしてるから、少なくとも当地の法的には猥褻でも下品でもないわ。
さあ?
この話の主要登場人物にフェミニストいないのよね。"痛いニュース"では「フェミが抗議」って言ってるけど、劉佩玉議員がフェミニストだという情報はないわ。
たぶん反エロ=フェミニスト的な連想ゲームなんでしょうけど、中国でエロ規制してるのって中国共産党なの。いやまあ中国で何かを規制できる存在はほぼ中共だけなんだけど。
本件に関する香港ネチズンの批判対象もほとんど保守(=体制派)だもの。劉佩玉議員が体制派と目されている(※)のも関係してるかもね。
ああ、フェミニストYoutuberの3人組が劉佩玉議員への抗議として、ポスターの女性と同じ服を着て事務所のドア前で自撮りするなんてこともあったわね。
※ 香港民主化デモの時に警察の暴力を擁護/容認するようなことを言ったり、(市民側に)外国の軍隊が紛れているかもという陰謀論じみた仄めかしをしたり。もちろんめっちゃ叩かれたんだけどね。
政府当局が当たり前の顔して検閲を、表現規制(当然エロも含む)をしている国で「フェミニストが萌え絵に文句を言う!表現の自由の侵害だ!」って言っても、ねえ?
フェミニストにしても「ポルノは女性蔑視を助長する、差別問題である」なんて言う暇もないわけよ。それより先に政府当局が「エロはいかん。不道徳だ。処す」って有言実行して、同じ口で女性差別もするんだから。
家庭内暴力の定義と法規制が2015年で、男性限定の求人が禁止されたのなんて去年なのよ、中国は。セクハラ啓発しようとしたフェミニストたちが当局に逮捕された事件もあったわね。
(ただまあフェミでポスター批判派もちゃんと探せばいるとは思うわよ?"痛いニュース"とかそこにコメントしてる人たちが調べた上で言っているとは思えないけどね。)