はてなキーワード: つっつとは
ブコメ見ると増田が挙げた逆恨み的な理由以外でも、山田太郎のこういう政治的態度が気に入らないみたいな理由が上がっているけどさぁ……、それ自体は政治なんだし賛否両論あって当たり前だから別に良いんだけど、山田太郎に投票した普段は比較的無党派層的な一オタクの立場から言わせてもらえば、いくらお前らが枝葉末節をつっついてやり込めた気になっていても、俺は、あるいは俺たちは、二次元コンテンツの表現の自由を守るのに山田太郎以上に有益と思える候補者が出てこない限りは山田太郎に投票し続けるよ。
うだうだ文句言うくらいなら、お前の推している政党からもっと二次元コンテンツを守る意思と影響力を持っている候補者ブチあげてくれよ。
ただの個人でしかないはてなーに言ってもしょうがないけど、政党レベルで見た時、それってそんなに難しいことかね?
今、左派がポリコレ的な人達と仲良しこよしなのは知っているけど、もともと表現の自由に関しては規制的な保守寄りの政党であった自民党ですら山田太郎を引き入れることができたんだから、「本気でオタクの味方になってくれるつもりがある」のなら右派政党でも左派政党でもやればできることなんじゃないのかね?
ぶっちゃけ「えっちな漫画を規制するか否か」って改憲or護憲とかみたいに党是となるようなテーマではないと思うしさ。
それができないってことは結局、「本気でオタクの味方になる気はない」、あるいはもっと質の悪いヤツらだと「口ではアレコレ理屈をこねても本音じゃオタクに自由を与えることが気に入らない」ってことなんじゃないの?
モテるモテないは個人の問題であって社会的な「問題」ではないと思う。容姿とかは本人にはどうしようもないから自己責任とは言えないけど、お前がモテないのはお前の問題であって社会の問題じゃないでしょ。少なくとも俺は振られ経験しかなく告られ経験なんて漫画やアニメの中でしか味わったことがないけど、それを社会に訴えかけるべき「問題」とは思わない。
そらあおっしゃる通りだけど、
そもそもそういう話って女性の不平やフェミニストの主張に対するカウンター・バックラッシュとして始まったものだと思う。
だからそのヘンテコさは業界用語使うなら一種の「ミラーリング」なんじゃあないの?
ノータイムで「女性差別!」「政治を変えよう」ってくるじゃん。
いやいやいやいや。
統計的に、社会制度として、女性が不当な不利な境遇にあることが確認できた事柄について、それは改善しましょう。
って話ならばそれはよくわかるし賛成できるよ。
でも実装されてるフェミニストってそんな建設的でクールな話をする人じゃないですよね?
それこそ自分の個人的な恨み辛みや妄想をフェミニズムでございってパッケージにして
キモオタとか童貞とかおっさんとか弱そうな男狙って殴りつけようとかそういうのを沢山見せられてるじゃん。
twitterの自称フェミニストの話もそういうボンクラな話ばっかりでしょ?
自分の人生で嫌な思いをしたことを凄く拡大してなるべく広範囲巻き込もうとする、
あわよくば男全員を八つ当たりで殴ろうとする。
男全員が人格的になっとんらんとか日本はダメな国とかそういう感情的で人格的なダメ出しと否定をしてくるじゃん。
自分が育てた恨みつらみを八つ当たりでぶつけて嫌な気持ちにさせようとしてるだけですよね?
合理的な社会制度改革と女性差別解消の議論ならなんにも反対しないよ。
きれいごととして差別反対弱者救済って言いながら弱そうな男は見下してるし死ねって思ってるのが漏れ漏れ。
そういう行儀の悪さや欺瞞に対して、カウンターとしての弱者男性論なんじゃないの?
自分にはあれってフェミニストを難じるためのストーリーな気がするんだけどな。
本当の弱者男性ってネットでバカなフェミニストをつっついて遊ぶような能力や知識や関心がないと思う。
「個人の感情を社会問題のように言うな」とか「テメエの不平を関係ない人に聞かせるな」っていうのはその通りだよ。
でもそれフェミニストに向かっても全く同じツッコミが成立するよな?
繰り返しだけど、あんたのツッコミ自体は正しい。全く賛同する。
でもな、フェミニストのスローガンは「個人的なことは政治的なこと。」だぜ。
そういう意味不明で低知能なお題目の積み上げに対するカウンターとして弱者男性論てのがあるんじゃないの?
「お前等のやってることを客観的に見る機会を与えましょう」っていう。
女性が上昇婚するのはどう考えても個人の自由。男性が若い女性や見目麗しい女性を選びがちなのと一緒。他人がとやかく言ったり矯正させようとするような話ではない。そもそも根本的にカネは再配分できるが女は再配分できない。当たり前。
これも上と同じで、基本的にはフェミニストの主張に対するおかしさの指摘だったと思うんだよね。
たとえばちょっと前のもっと野放図なミサンドリーが大手振ってた時代は
そういうバブル残滓とフェミニズムが悪魔合体したような発言が跋扈してた。
それ見て反発した人達はとうぜん
「あなた達がそういう無茶苦茶な傲慢な条件を出すから結婚できないんじゃないの?」とか言い返すでしょ。
増田は「男性が若い女性や見目麗しい女性を選びがち」であることを批判しないんだろうけど
「同じやんけ」って言うツッコミじゃあないの?
「男が若くておっぱい大きいメスを好むのも女が収入の多いパワフルで理解のあるオスを好むのも同じでしょ」と。
それでフェミニストという人達は自称としては男性社会だの家父長制社会だのに対抗する建前で
男性個人の選好や価値観にも常に「男性社会的なもの」「動物的なもの」を見出しては槍玉に挙げてアップデートを叫ぶくせに
女性については「男性社会的な勝ち組」や「パワフルなオス」を好むような個人的選好・価値観を批判しないよねと。
ガバガバじゃんと。
建前の通りなら金持ってない頼りにならない男と結婚するように「アップデート」なさったらいいんじゃない?
でもそうはしないよねっていう。
「自分の動物的な欲望には居直る癖に、社会に対してきれいごとを言ったり男性にだけアップデート迫ったりするのはアンフェア」って言ってんじゃないの?
一部に本気で金持ち女性との結婚を夢見る逆玉志向くんもいるのかもしれんけど。
そこまで夢見てないんじゃないのあの人たち。
あの人達こそ真っ先に「アップデート」が欺瞞であることを看破してるんだからさ。
フェミニストの人が男と言い合いになって二言目か三言目には
「童貞」とか「こんな奴はどうせもてない~」とかいう発言が飛び出すのを何度見たことか。
これはネットフェミニストだけじゃなくて上野千鶴子先生のような界隈で尊敬を集める大物もこういう姿勢を垣間見せてますよね。
どうしてもセックスがしたい? それなら風俗行けばいいと思う。お金さえ払えばセックスできると思うよ。風俗に行くカネがない? 政府に怒れ。雇用者を糾弾しろ。最賃アップを勝ち取るんだ。少なくとも俺は衆院選の比例区と地方選挙ではなるべく共産党に入れることにしてるぞ。憲法とか他の面では意見が違うけど少なくとも労働問題に関してはガチで俺たちの味方だからな。
弱者男性論てそんなこと言ってるかなあ。
風俗どころか。アニメ絵の女の子のポスター見ただけで「気持ち悪いオタクがシコってそう」というクオリアを得て
社会的に排除せんと乗り出すようなすっげーくだらねー活動を熱心にやるような人達ですよ。
はっきり言ってあいつらは「可哀想な女性を助ける」という本願すら怪しいと思う。
君みたいなやつが風俗へいくこともキモオタコンテンツでおシコリあそばすことについても
フェミニストは本当はそんな権利取り上げて取り締まりたいと思ってるよ。
フェミが憎いのはわかる(俺も献血よく行くマンなのであいつらは大嫌いだ)けど、だからと言って
ここまで色々言っておいてなんだけど自分はフェミは全然憎くない。
献血のポスターも気持ちわりい絵だしどうでもいいと思ってるんだ。
その程度の思考の浅さで「頭捻ってくれ」とか言ってるの見ると途端に「は?死ね」って思うんだ。
フェミニストだって同じで、本来の「女性差別反対」「社会制度改革」までなら素晴らしいことさ。
弱い頭の中では理想も理念もまとまらないから、自分と社会の区別もつかないし
ネットで八つ当たりやミサンドリー撒き散らすことが立派なフェミニズムだということになって発狂が止まらないんだ。
「一人一派」とかいうバカ御免状を発行したせいでバカが集まる思想になったんだよ。
お前についてもだぞ。
そもそもお前の自称する境遇ってお前が重度身体障碍者でもない限り頭捻ってねえ証拠なんだよ。
今の日本社会で雇止め寸前の非正規なんかやってる奴が人様に「頭を捻れ」てw
笑わすな。
「自分の目の丸太を放置して兄弟の目のおがくずを取ろうとするもの」
とdisっている。
弱者男性論が単独で存在してたら自分はもうそいつらを死ぬまでシバキ上げてるけど
先行するフェミニストに対するツッコミとして仮に言ってるものとして理解してるから今のところは許してるわけ。
想像してみてくれよ。
もういちいち女性差別反対とかなんとか差別反対とか言う必要も無いんだ。
バカじゃなきゃそんなことやらねえしさ。
フェミニストも弱者男性論もお前も、バカのくせに社会にモノ申してるだろ?
お前等自身が腐海の瘴気そのものなのにそれぞれ口々に「腐海が問題だ!」って言ってるんだ。この粘菌が。
リベラルの今の問題ってバカがリベラルやるようになったって言うことに尽きると思うな。お前らの脳では無理なんだということを理解してほしい···。
小学校1年生のときに学校の帰りに特大ウンコを漏らしたが学校から家まで遠くしかもウンコがパンツの中でブラブラ動いて歩きにくいので家に着くまでにかなり時間がかかってしまった。家に着いた頃には半分以上のウンコはパンツから落ちていたが逆にお尻から足首にかけてはびっしりとウンコがくっついて乾いていた。家にいた母が怒りながらも私の下半身を濡れた雑巾でゴシゴシと拭いてくれたがウンコは肌に頑固に張り付いていてなかなか取れない。業を煮やした母は私に庭の池にしばらく入ってふやかすよう言った。私は言われた通り裸になって池に爪先からそっと入った。池の水は冷たかったがしばらくじっとしているとじわっとした暖かさが身を包み出し心地よい感じになってきた。やがて石影に隠れていた池の鯉たちがそろそろと出てきて私の周りを泳ぎ始めた。鯉たちは興味深そうにつんつんと私の足を口でつっつき出し肌に張り付いたウンコをパクッと食べた。
文章の修辞ってのは沢山あるわけじゃん。
あえて常識や道徳に反する表現をぶつけて読者を驚かせてからなんでそういう言い方になったか述べるとかさ。
結論を組み立てるのに十分な材料は並べた上で、最後のまとめは一歩踏み込まないままにしといて読者が自分で考えて辿り着くようにするとかさ。
面白い文章技法ってのは沢山あるのに、インターネットに載せられるとそれを読み取らずに否定する人がしこたま発生するようになってそういう技法を使うこと自体が悪みたいになって「そんな言い方をした奴が悪い」みたいになってるの、くだらなすぎるよ~。
1:比喩とか反語とか云々という列挙の個々に注目し例をつっつく。誇張とかは否定されて当然の悪い表現、みたいな空気を持たせやすいからオススメですよ。山ほどご飯を食べたって表現に「山よりずっと少ないのに誇張するな」とでも言っとけ。無限キャベツにも怒っとけ。
2:レトリックを読み取れない人は昔からいると指摘する。読み取れない人間でも文章を読むようになり、そしてズレた文句を言うようになり、それが周囲に大真面目に同意されるようになる事例が増えた、とまで言わなきゃ伝わらないか? 読み取れないって言い方は誇張かな、読み取るのが苦手な、の方がいいかな?
予防線張りまくって、イチからジュウまで説明して、ネットで発表される文章表現からどんどん豊かなレトリックが失われ、無駄な冗長さばかりが増している。
そりゃあねえ、まずい発言を怒られて「いや、言葉の綾だから」の一点張りで逃げようとする悪人ってのが実際沢山いるのは確かですけどね。(そして実際に悪人なのか、言葉の綾・レトリックとして使っただけなのに私や世間が読み取れてないのかを確定させることはできないが)
そいつらを咎めるために、わかりやすさが至上で、誤解や人によって解釈の違いが生まれるレトリックは悪で、レト即斬ってになってるのは、悲しみくって涙がチョチョ切れるぜ。
カウンセリングを受けてみようかなあ、と前から思っていて、マッチング診断とかカウンセラーのプロフィールとか見てみた。
なんとなくこの人かなあ、と予約可能な時間を見ただけなのに、ぶわっと急に汗が出てきた。予約しようとしたわけでもないのに、具体的な実感が湧いたのだろうか。
怖い。単に人と話す機会が少なくなったからでもある。それ以上に急にあれもこれも浮かんできたことに慄いてしまった。考えないようにしていたことも、解決可能性が見えたら噴き出てきた。これ、思い出しちゃっていいのか。
いつかはなんとかするつもりだけど焦らず付き合っていこう、なんて言い訳だったのかも。押し込んで見ないふりしてどうしようも無くなった倉庫みたいになっていた。もう火でも点けたい。無理でしょ。少しずつっつったってひとつ取り出そうとしたら崩れて出てくる。明日から生活できなくなる。
病院には行っているから、もう少し話す機会を増やそうと、でも訊いてもらう感じになるだろうから友人ではなく、仕事にしている人にお金を払ってサービスを受けようと思っただけなのに。
多分、より受けた方が良いのだろうとは思った。でも仕事もしなきゃいけないし今は崩れたくない。フリーランスだし休職もできない。金銭的にも余裕がない。
どうしたものか…一回忘れるか…そしてもっと問題を増やすのか。もう限界なのかもなあ…色々と。
このタイトルは失礼すぎるがどう直していいか分からない。問題を認識しそうになったことが怖い。押し込めるのも怖い。人生が怖い。
ドコモのahamoプランへ大多数が移行した場合大量の失業者が出ます。
なんで?って思った人が大多数だと思いますが関連しているのです。
ここが問題です。
(丸の内とかはドコモ子会社のCS運営ですが直営店ではありません)
他キャリアもキャリアショップ運営はほとんど代理店で、直営店は首都圏に十数店舗しかありません。
代理店が何で儲けているかと言うと、新規契約などによる携帯キャリアからインセンティブです。
インセンティブは新規加入、オプション加入などで携帯ショップに支払われます。
アクセサリーの販売も収入源なので、高額SDカード販売などもノルマになっていたりします。
(a○店員はウォーターサーバーのフ○シャスもやってるせいで水商売って呼ばれることも)
その携帯キャリアからのインセンティブですが、年々渋くなっています。
総務省がキャッシュバック規制とか始めた頃から怪しくなっていますね。。
来店がないということは店頭で新規契約とったり、アクセサリー販売する機会はありません。
要するに新プランは代理店に払うインセンティブを払いたくないということですね。
MNP移行も鈍ってきたし用済みということです。
携帯ショップが潰れたところで、携帯キャリア社員が減るわけではないし痛くもなんともないということです。
携帯代理店はインセンティブ減少で携帯ショップを維持するのが困難になります。
携帯ショップが潰れたら携帯ショップを必要とする既存プランのユーザーも不便になります。
最寄りの携帯ショップが5kmから50kmになることもありえます。
料金安くして、ちゃんとサポート料を取るという方法を取るべきでした。
既存プランがなくなるわけではないですが、今回のプランはいきなり、極端すぎると思われます。
増やしすぎです。そのあと減りすぎです。
乗り換え競争バブルに乗って代理店が店舗増やしたあと、総務省がつっついて弾けてます。
総務省がすべての原因では?
ドコモショップのトラブルから考える業界の『構造的な問題』 - ケータイ Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/1233033.html
「iPhone売らないとヤバい」――元店員が振り返る、重い「販売ノルマ」 - ITmedia Mobile
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1809/03/news042.html
キャリアショップは全国に7912店舗、この1年で295店減 - ケータイ Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/1241902.html
集約化が加速する携帯代理店業界 - ケータイ Watch Watch
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/mca/740196.html
25歳にして童貞ではなくなった。あまりに呆気ない終わり方だった。
ゆきずりの関係というやつだ。中高生の時の僕に聞かせたら卒倒していただろうし、当日もまさかそんな事になると思いもしなかった。
25歳にして童貞、世間様から見ればこれほど不名誉な話はないらしい。職場の先輩も、大学で出会った人も、この「童貞」というワードがあまりに面白いらしい。散々ぱら馬鹿にされたしネタにされたし、そして心配された。
そしてこの童貞は一刻も早く捨て去るべき物であり、卒業するべき物であり、人によっては女の子をあてがおうとする者までいたのである。
男は往々にして初体験の経験を堂々と語りたがるものだ。それは中学時代の彼女であったり、クラブで知り合った年上の女性であったり、はたまた風俗嬢であったり(これはある程度不名誉なこととされている。「一般人」とヤることが大事なのだ)。そして皆一様に「初体験は一生忘れないだろう」といった内容のことを言う。なればこそ、そうした話題が飲みの席の鉄板となっているのだろう。
今回、僕が童貞卒業を果たしたことを周囲に漏らせば、皆これを馬鹿にしながらも祝福し、その詳細を根掘り葉掘り聞こうとするだろう。そして、卒業を誇りに感じ、更にはまだ童貞である人間を同じように馬鹿にし、心配することを求められるだろう。セックスはいいぞ、いい経験だぞと、したり顔で。
ゆきずりのセックスで童貞を捨て去ることとなった(しかも相手は一般人である)が、今、僕はまるで嬉しくない。一方で悲しくもない。
粋がっているように思われる人も多いだろうし、知人にこんなことを話してそう思われたくもない(だから僕はこれからも「童貞」を貫くだろう)。
だからこそ童貞を卒業した記念に、この匿名ダイアリーに記し、同じような感性の持ち主に共感して貰えればと思って筆を取ったのである。
これまで生きてきた中で女の子と接する機会はそれなりにあったと思う。中高は男子校であったが、塾に行けば女の子はいたし、大学には勿論沢山いたし、会社にも当然いる。ただ、女の子と深い仲になれない人間なのである。要は彼女がいたことがない。そしてかなりの程度まで純潔、と言えるかどうかはわからないが、親密な関係とセックスをする関係を結び付けて考えてきた人間である(これは結局のところ今でも変わっていないが)。
なぜ彼女ができないのか、真剣に悩んでいた時期もあるが、最近ではそういったことは専ら諦めてしまっていて、考えることすらない。自分には彼女はできっこないし、彼女ができない以上童貞のまま(これは不覚にも今回卒業したが)であろうし、結婚もできないだろう。ある意味、男女関係における純潔や現代の恋愛結婚至上主義とでも言うべき価値観を心の底から内在化させてしまっている非モテが僕と言えるかも知れない。
友人らからは「結婚相手には良さそう」だとか「いいお父さんになりそう」などと言われ続けてきている。これは言われる度に、今でもどうしようもないコンプレックスと妬みを感じる。思うに顔は老けていてよく言って温厚そうかも知れないがその実頑固であるし、何より変わり者(とよく指摘される)である事が、そういった評価につながっているのだと思う。とにかく外面も、内面も、人に好かれる要素がまるでないのだ。繰り返すが、僕は所謂非モテである。
深い仲になる即ちセックス(その逆もまた然り)ではないことは重々承知しているものの、やはり人に身体を許すと言う行為は僕にとって、ある種の神聖性というか儀式性というか、何か特別な関係性を感じざるを得ないものだ。そして、そのような特別親密な関係になりたいと思えるような人は、女の子に積極的に関わる機会が少なかったこともあって滅多に現れず、現れたとて僕に興味なぞない子であって、それは結局表にすら出てこない片思いで終わってしまっていたのであった(意中の子から恋愛相談をされた時の胸の苦しさよ)。
会社で働き始めると人間関係も固定化してしまい、今度こそ本当に何もないまま歳を重ねていくのだろうなと、童貞(これは僕にとって特定の女性と親密な関係になって身体を許されることを意味している。僕にとっての童貞と世間的な童貞ーつまり女性器に男性器を挿入する行為をしたことがないと言うことーには幾ばくかの隔たりがあって、それこそが今回僕が感じる違和感の原因なのだと思う)を馬鹿にされても全く動じない程度に諦めてしまっていた。
そのような背景がある中でゆきずりな事態が起きた。経緯としては簡単で、一緒にお酒を飲んで、終電無くなっちゃった、である。
相手はとある集まりで一度会って連絡先を交換した、酷くはないがまあブサイクだよねと表現されるであろう女の子だ。
会うのが金曜ではなかったこともあって、普通の飲みだろうと僕は考えていた。金曜であればそれなりに覚悟していたやも知れないが。
「酔っちゃった」と言う言葉と「終電なくなっちゃった」はあまりにあからさま(そもそも前の集まりはもっと遅く終わって、君は電車でしっかり帰っていた)であったし、僕がもう少し選り取り見取り出来る立場であれば断っていたと思う。ただ、あんまりにあからさまだったのである。
そしておそらく僕は今後、そういった機会に出会うことはない。確かに明日も出勤で、好みでもない女の子に付き合うのには労があるが、一方でこれを逃せばどうか、そう考えればじゃあまあこれがタイミングなのかなぁなどと思ってしまったのだ。
結論から先に言えば、僕は彼女を利用して童貞は捨て、彼女は自身の性欲、と言うよりも承認欲求を満たすために僕を消費した。
店を出た後、だいぶ寒くなった夜の街で女の子が手を絡めてくる。暫く歩いて、チェックインしたのは普通のビジネスホテルだ。
女の子の方はまるで準備が万端で、バッグの中に男性用のコンドームを持ち合わせていた。
部屋に入るなり電気もつけないままキスをされ、服を脱がされ、申し訳程度に愛撫をされた後、騎乗位で挿入された。
全く情けない話であるがここまで全て受け身である。今でこそ偉そうな文体で文章を書いてはいるものの、僕は正に童貞であったのでセックスのやり方なぞまるで分からなかったのである(そして今でも分からない)。
女性器に、そして何より女体の全身に触れたのも初めてであった(付き合いでピンサロに行ったことはあるが、結局申し訳程度に胸をつっついただけだった。これが8千円のサービスか、と思いながらフェラチオをする女の子の頭の上下するのを眺め、結局イけなかったことを覚えている)し、ここを弄れだのなんだのと言われるがままに指を動かしていた。
女の子は僕のモノをしごくなどして射精させようとしてはいたが、彼女が喘ぎ扇状的な言葉を発し、そして私のこと好き?と囁く度に、僕はピンサロの、突然恋人面してくる女の子を思い出して益々萎えてしまうのであった。情けない事にブツは勃ちっぱなしだったが、心はどんどん離れていった。
そうなるといろいろなことが細かく気になってくるもので、例えば女の子は顔が大きめでかつしゃくれ気味の出っ歯であったので彼女とキスをするとその口腔の大きさがよく分かるし、フェラチオされる時もよく歯が当たる。なんなら口臭が田舎のおばあちゃんちの臭いがする。部屋を暗くしているのは肌がくすんでいるのを隠すため。熱い股間と裏腹に僕はどんどん冷めていくのである。適当に脱がされたスーツの皺が気になる。明日も出勤なんだぞ。
結局僕はイくことができず、夜もだいぶ遅かったのでそのまま寝てしまった。女の子はそれでも、僕にひしと抱きついて足を絡めていつの間にやら寝ているのである。ブサイクな女の子である。こうしてゆきずりの関係性を通じて自分の価値を感じている、あるいはそうせずにはいられないのだとすれば、それはあまりに哀れなことであるなと感じた。これじゃあ僕はただの肉バイブじゃないか。
朝は女の子の愛撫で目が覚めた。字面だけ見ればあまりに同人誌のような展開であるが、大事なことは相手がブサイクなことだ(尤も先述のピンサロ嬢はかなり可愛かった。が、同じ感想を抱いているので僕にとってあまり顔というのは重要ではないのだろうが)。出勤前にもう一回という魂胆なのだろう。前日のこともあったので今回は最後まで終えることが出来、女の子は一足先に部屋を出て出勤して行った。
出際にまたキスをされながら「また会ってくれる?」と聞かれたが、僕は何も答えることが出来なかった。お互いにまたね、と言って扉がしまった。
童貞は恋愛やセックスに対する幻想を抱えすぎだと人は言う。恋愛もセックスもそんなハードルの高いモノじゃないよ、と。セックスに関しては確かにそうであったと言えるかも知れない(恋愛はしたことないので)。確かに記号的なセックスはあまりに簡単で、呆気ないものだった。ただ、果たしてそれが幻想を砕く何かに繋がっているのだろうか。あの女の子はセックスを通じて、今回は僕を通じて、恋愛という幻想を体験していたのではないだろうか。
結局のところ人は誰かに、特別に認められることを渇望していている事に変わりはないのではないか。そう言った意味で童貞か、童貞じゃないかという区別には、激辛料理を食べられる人が食べられない人を馬鹿にすると言った区別以上に意味はないように思われる(ただより普遍的に経験の有無が問えるのが性交渉なのだろう。我々は生物であるので)。
僕は確かに童貞は捨てたが、だからと言って何が変わったわけでもない。僕は彼女に一時の満足を与え、彼女は僕にブログのネタを与えた。ゆきずりの関係はそこで終わりなのだ。ピンサロと同じだ。何も変わらない。なればこそ、感情の動きが生まれなかったのかも知れない。
皆が誰かの特別になりたがっている。童貞いじりは下を見て溜飲を下げる儀式に過ぎない。
尤も、彼女という存在もできればじゃあ何かが変わるのかと言われれば分からない。また、この問題に関してはいろんな切り口で話せてしまうので今は立ち入らないことにしたい。
兎に角、このややこしい、複雑な感情の動きを誰かに共感してほしくて筆を取った。極めて散文的になってしまったが、そういう人がいれば嬉しく思う。
昨晩の夕飯はボンゴレ・ロッソであった。アサリとトマトソースのパスタ。
アサリは真空パック(※)のやつを買ってくる。加熱も冷凍もまだなので、アサリは生きている。
サラダボウルに水、塩を加えて海水に近い環境を作り、砂や不純物を吐かせるためにアサリをざらざら投入。
しばらく放っておくと、ココハドコダ? と言う感じで、にゅう、と2本の角(入水管と出水管)が出てくる。指でつっつくと、ヒエーと言いながら引っ込む。放置しておけば、モウダイジョウブカ? とそろそろ出てくる。
可愛い。半日ほどそうやって余分な内容物を吐かせるうちに情が湧いてくる。
でも食っちゃう。にんにくとアンチョビ、唐辛子、トマトソースで作ったソースを塩とコンソメで整えて全アサリを鍋に送り込む。ジェノサイドだ。
アサリには脳がないらしい。そうすると、じゃあアサリには感情がないのか?
どうなんだろう、と思っているうちにソースに埋没したアサリは絶命。口を開いたら良い頃合いで、茹だったパスタを混ぜる。
今回のボンゴレ・ロッソは非常にうまくできて、すさまじく美味かった。旨味成分はコンソメしか使っていないが、アサリという海産の滋味がしとどに出まくっていた。
アサリを煮殺すぐらいでこのザマなので、俺には脊椎動物の屠殺とか絶対できない。でも食う。美味いからだ。今回使ったコンソメにも豚のエキスは使用されている。
屠畜場の職員は偉い。畜産業も偉い。大切な、ありがたい仕事だ。
「偉い」と外野から軽率に言われるのも、「俺なら絶対できないことを…」という含まれたニュアンスがかえって不愉快にさせるのかもしれないが、とにかくありがたい。ありがとう、と思いながら生き物を食ってる(今晩はカレー)。
ブコメを見て思い出したんですが、この日使ったのはプラスチックトレイをビニールでパックしたもので、「真空パック」ではありませんでした。
なんとなく真空パックと言いたかったのでこう書いてしまったのだと思います。すんませんでした。ピチッと真空されてシールされた場合、中のアサリはたぶん死んでるのではないかと思います。
『2020年6月30日にまたここで会おう』は、瀧本哲史さんが2012年6月30日に東京大学で講演された内容を1冊の本にまとめたもの。これが期間限定で全文無料公開されたので読んだ。
勉強になるし、考えさせられる面白い文章だったのでぜひ一読をおすすめします。
瀧本さんは20代とかの若者に向けて話していて、いろんなメッセージがあるんだけれど重要だと思う前半からいくつか引用。
>> ・次の日本を支える世代である若者が自由人として生きていくために必要不可欠な「武器としての教養」を配りたい。
・外見だけは人間なんですけど、やってることは人間以下という人が老若男女問わず世の中にはたくさんいる。「自分で考えてない人は、人じゃない」
・「正解」なんてものはない。 自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。
・そのための「思考の枠組み」として、リベラルアーツがある。 自分自身を拠りどころとするために、学ぶ。
・まず「言葉」によって正しい認識にいたり、「言葉」を磨くことでその認識の確度を上げていく。そして「言葉」を使って相手の行動を変えていくことで、仲間を増やし、世の中のルールや空気を変えていくことが可能。
・ 君と君たちが正しい選択をし続ければ、いつか必ず世界は変わる。<<
歴史的なことを散りばめて語られるから、すごく説得力があるなと思った。現代史も含め、歴史は事実に近いことだから、知っていることはものすごく大事だよな。パラダイムシフトについてなんか眼から鱗でした。
で、これを読んで私が考えたこと。
これを「賢い」と言われる人たちに話す意味はすごく大きい。賢い人が世界を動かしていく(はず)だから。だけど、私はそれだけじゃ足りないんじゃないかと思う。
ある程度理解する力がないと、自分の中に噛み砕けなくて受け入れられないのは確かだけど、「賢くない」人の方が多いんだよ、世界。
しかも今は発言権(拡散力)はみんなが持っているし、賢くない人は、数の多い「仲間」=大衆に受けやすい。
けど、賢くない人ほど、こうした話は聞きたくないし、聞けない。受け入れられない(たくない?)。
じゃあどうするかって、もっと早くにこういう考え方をわかりやすく、広く、教えなくちゃじゃない?って思う。中学・高校、それも地方を含めた公立とか、「普通」なところで教えていくべきなんじゃないかと。やっぱり教育って大事と思う。
中学生って大人が思うより、考えられるよ。いろんな空気を読みながら生活してるし、いろんなことに影響されて学んで生きてると思う。だからこそ、そこで思想は固定されてしまいがちなんだよ。どれだけ勉強ができていい大学にいけた人だって、育った場所(家庭・小学・中学・高校)でできた思想ってなかなか変えられない。むしろガチガチな人も多いんじゃないかって思う。
そういうことでいうと、中学生って無垢ではないけど、まだまだ足りなくて、考えがかっちり固定されてないと思うんだ。(まだ変えられる、というか。)
でも既に、変に諦めてる子とか、頑張るのバカじゃん、どうせ自分バカだし、みたいな子も多いだろうと思うんだよね。そのまま行っちゃうと、世の中の、その地域での「普通」の道を辿ることに疑問をもたないまま進んでしまうことになるわけ。これって今の時代の「再生産」的な人間じゃん。
だからさ、できれば中学生とかの内に、せめて高校生のときに、こういう話を聞いて、自分の可能性とかを自分で考えてほしいなと思うわけ。
じゃないと多分、「パラダイムシフト」は起こんないよ。世代交代は必然的に起こるけど、次の世代もおんなじ考えの人が再生産されてたら意味ないんだよ。
パラダイムシフトを起こすためには、賢い・意欲のある20代に話しているだけじゃ足りない。
人の考え方は基本変わらない。歳を取ればとるだけ、変化は期待できない。
で、じゃあ中学生(賢くない)にどうやってこの話を伝えたらいいんだろう?って考えた。
メッセージの大ポイントは「自分で考えることをやめるな」ってことだと思うんだけど……
ってなるじゃん。これ、なんて答えたらいいんだろう……というのがいま見つからない。
だって中学生はまだ社会を知らない。今の社会のなにが未来にとってよくない考え方なのか、その考えがどれほどスタンダードなのか……絶望感を知らないと、「今のままじゃダメだ!自分たちの世代が変えるんだ!」なんて思えないんじゃないかなって。
この「なんで?」に対する答えをちゃんと伝えられる大人になりたい。
誰か手伝って!なんて答えたらいいと思う?