はてなキーワード: ついカッとなってとは
タブレットFireHD10がBluetooth接続で外付けキーボードとペアリングできない状況が続き、ちょっとイラっとする。ついカッとなって、工場出荷状態に初期化。
小一時間ほどで、だいたい作業環境を復元。キーボードも無事につながり、満足、満足。
ひと昔前のパソコンの頃は、初期化して環境を再構築するのは一日仕事だったっけ。まずソフトの再インストールだけでも、フロッピーとかCDを探して大騒ぎ。
今のタブレットやスマホは、ストアサイトのマイアプリからダウンンロードするだけ。進歩だなぁ。
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ちなみにE1-2ボスマスS勝利ガチャは、やたらと夕張が多い感触。アタイの直近20周のうち、夕張は4回もドロップ。
夏向きに髪をカットしてもらった。
先月行った時はコロナの緊急事態宣言下で、店もピリピリしていた。今日はコロナ以前と変わらない感じ。
来月は、どうなっているかな。
全年齢対象の書籍となっているが、例えば小学校1年生には見せたくないなと思った。じゃあ何歳ならOKかというとよくわからない。このあたりは人によって感覚は違うのだろう。
3話でマッサージチェアを使うシーンがあって、そこは性的な描写だと自分は感じた。
具体的には、
「だってこれ・・・すごくっ気持ち・・・っよくっ♡♡てえええ♡」
擬音で「ビクンッ」「ビクッ」等が描かれていた。
このコマのセリフと、キャラクターの表情が、エロを想起させる表現なんじゃないかなと思った。でも、そう思わない人もいるかもしれない。
「※マッサージチェアに座っているだけです」
という注が入っていたのだが、これは方便というかジョークというか、逆に「エロ表現ですよ」的なネタ的なアナウンスだと受け取れると思った(こういう表現夜方法の名前がわからない)。でも、額面通りマッサージチェアに座っているという説明だと思う人もいるかもしれない。
逆にこのマッサージチェアのシーンがなければ、自分だったら小学校1年生くらいの子供にみせてもアリかなと思った。
感覚は人それぞれ違うので、それを持ち寄って、
「そうかもしれませんね」「いや、ちょっとそれは私は違和感ありますね」
みたいな話を積み重ねていけばいいのだと思った。
「それは言い過ぎかもしれませんよ」「確かに言いすぎたかもしれませんね。次から気をつけますね」「いやまあ、そこまで問題ではないかもしれませんが、まあ。。」「いえいえ」
みたいな話をしていけばいいのではないかと思った。
「奇形」とか「クズ」とか「狂人」という過激な発言には、ついカッとなって言ってしまったものもあるだろうし、そこにはマウントをとらず穏やかにたしなめるような空気があればいいなと思う。双方、大事なものを守りたいという想いからの表現だろうし、売り言葉に買い言葉という文脈もあるのだろうなと思う。
それで、最終的にはレーティングとかガイドラインみたいなのができるといいのだと思う。
全年齢が目にする場所の広告は、この表現までにしておきましょう。みたいな。
もしくは、どんな場所でもすべての表現がOKとなるかもしれない。
それで、そのレーティングやガイドラインみたいなものが時代にそぐわなくなったら、一度その議論の蓄積に立ち戻ってまたガイドライン作ればいいのだと思った。
子供を産んだら20年間365日24時間専用の施設に預けるルールにした方がましではないだろうか?
理由は以下だ。
・設備投資費
1.設備投資費
子供ができた家庭は、おもちゃや小さい滑り台やウレタンマットを購入する。また、机や箪笥の角には頭をぶつけても大丈夫なようにゴムを取り付けている。
子供ができたすべての家庭がこれらをそろえるのは無駄ではないか?
ちっちゃい子供が過ごす場所を社会として限定すれば、設備投資費が少なくて済む。
家賃問題もある。夫婦二人なら四畳半のボロアパートでつつましく暮らすことも可能だ。しかし、子供が騒ぐと近隣住民の迷惑になってしまう。だから、子供ができたらそれなりの防音設備のある部屋に引っ越さなければいけない。それが不可能だったら最初から子供を作ることをあきらめてしまう。残念だ。だったら、子供が暮らす部屋と両親が暮らす部屋を完全に分けた方が良いだろう。
地味な問題だが、自宅に救急箱をちゃんと用意していない家庭もあるだろう。子供が転んでけがをするたびにマキロン探しをしている親は多いはずだ。「最後にマキロン使ったやつ誰だ!」と。保育園はちゃんと備品管理をしているはずなのでそういうことは少ない。こういう些細なことでも、各家庭と育児専用施設の設備力の差が感じられる。もはや子供が両親の家に住む合理的な理由はないと思う。
率直に言って世の中の親の大半は育児が下手だと思っている。
知識や技術や体力や精神面でプロの保育士のレベルに達していない人が大半だと思う。
僕だって子供をまともに育てられる気がしない。こんなの素人には不可能だと思う。
僕は特別におかしなことを言っているとは思わない。自分の子供がプロ野球選手になれるかもしれないと思ったらリトルリーグに入れてコーチに野球を教えてもらうだろう。名門中学に入れるかもしれないと思ったら専用の塾に入れるだろう。であれば、自分は子育てが下手だと自覚している親がいたとして、その親が育児を一切放棄して専用の施設に預けたとして、それは正しい選択だと思う。親にとっても子にとってもそっちの方が良いはずだ。そして、ほとんどすべての親は子育てが下手だと思うのでそうすべきだ。
例えば「叱る」と「怒る」は違うとよく言う。しかし、口で言うほど簡単なことではないだろう。あまり表に出さないだけで、苦しんでいる親はたくさんいると思う。
ついカッとなって子供をキツく罵ってしまったり手を出してしまったりして後悔した経験がある親はたくさんいるはずである。
社会制度の方が変わっていかないといけない。親を支えないといけない。
ニュースを見ていると「こんな奴が子供を作るなよ」と思うことは多いだろう。しかし、それを言ったところで子供は救われない。また、そういうことを口に出す人が増えると「自分なんかが子供を作っていいのだろうか」と気後れしてしまう人が増える。それは不本意だ。
問題の本質は「子供を作った人が責任をもって子供を育てないといけない」というルールにある。「子供を作っても育てないでいい」というルールにするべきだ。
核家族はピークコントロールがしづらい。もし2人の親に2人の子供がいたとする。これならぎりぎり回る。しかし、突然片方の親が熱を出して寝込んでしまったとする。急に一人で二人の面倒を見ないといけなくなる。詰む。
これが保育施設であれば、(普段からゆとりを持った人員配置ができているなら)保育士さんが一人か二人寝込んだとして、何とか融通可能だろう。
また、夜泣きという問題もある。日中働いている両親が深夜に数時間おきに起きて授乳をして、睡眠不足なまま朝から会社に行くのは、不健康だし非効率だ。施設であればシフトを組んで夜勤を作れる。こっちの方が良い。
特に「家で資格試験などの勉強をできるか否か」が大きなポイントだ。これはいくら社会が子育て世代に受容的になったり経営者が寛容な制度を作ったって関係ない。
「日本は子育てしている人に冷たい社会だ」などという言説は(事実かもしれないが)本質を外している。
子供を作ると家で勉強する時間がほぼ取れなくなる。その時点で社会がどう変わろうと無理なものは無理なのだ。
だったら、子供を育てる専門の人とそれ以外の子供を育てない人に分けたほうが社会の効率が良くなる。
キャベツを作るのが得意な人とニンジンを作るのが得意な人が、それぞれ別々に5キロずつキャベツとニンジンを作るより
片方がキャベツを10キロ、もう片方がニンジンを10キロ作るほうが効率がいいだろうという理論だ。
親は子育てに時間を取られるよりも、子供を施設に預けて自分のキャリアのために時間を投資した方が社会全体が豊かになるに決まってる。
いくつか反論があると思うので先回りして答えておこう
1.子供がかわいそうだ
素人の親が子供を育てるほうがよっぽど子供にとってかわいそうだと思う。
小学生にもなってお箸が持てなかったり敬語が使えなかったり虫歯だらけだったりする子供を見たらかわいそうに思う。
有名国公立大学に入れる才能を持っていたのに高卒の両親が上手に伸ばしてあげられなかったりすることがある。残念だ。下層社会の再生産になってしまう。
補足として個人的な感情を言うなら僕は親が嫌いだ。こんな奴が子供作るなよと思っている。
2.親がかわいそう
子供は親のために生きてるのではありません。
少子化の観点でいうと「自分で育てれないなら子供を作らない人」と「自分で育てなくていいなら子供を作る人」の量を比べると、どちらも一定数いると思うが、後者の方が多そうだから子供が増えると思う。
親にとっても悪い話だけではないと思う。
親にも親の人生がある。
今の社会で子供を作ると人生のほとんどを子供に持っていかれる。
現代社会では子供を最優先にしない親に対する風当たりが強すぎる。変えていかないといけない。
あと、こう言う意見を言うと「自分にとっては子供が全てだ。自分は子供のために全てを捧げている。他の人もそうすべきだ」的なことを言う人が出てきそうだ。
多分そういうことを言うせいでみんな困ってるんだと思う。自覚して欲しい。
大体会社にいる「自分は仕事に全てを捧げています」系の人は仕事できてない人が多いので、そういうこと言っちゃう親は子育て下手な親だと思う。
それはそうだが、デメリットも大きい。
ジジババに子供を預けた時に「これはアレルギーだから食べさせないでください」といったら、ジジババが「好き嫌いはよくないから」と言って食べさせた結果マーライオンになった。というような話はよく聞く。
4.ポルポトがー!
それはポルポトが悪いのであって制度が悪いわけではないと思う。
5.今の保育園の現状分かってんのか
親のキャリアのところで触れたが、比較優位の法則で説明がつく。税金を減らして各家庭で親が育児にかかわる時間を増やすのと、税金を増やして親が育児にかかわる時間を減らすのでは、後者の方が生産性が高い。よって税金を増やせばいい。
殺人事件の加害者も児童に対する性的虐待の加害者も身内が一番多い。
知り合いの介護士も、他人の介護はできたが自分の親の介護はめちゃくちゃ辛かったといっていた。程よく他人じゃないと感情が入ってしまって逆に辛いんだろう。
わたしの人生のうちで陰毛がない期間、生えてくる前と、生えているのを剃ってパイパンにしている期間を合わせたほうが、生えていた期間よりとうに長くなっていることに気付いて、ふふ、と笑いがもれた。
大学に入った年だから、わたしが18のころ、少しの間パイパンにしていた。ふと思い立って、ちょっと形を整えるくらいのつもりだったんだけど、左右バランスよく整えるのって結構難しいんだよね。剃ってるうちにだいぶ小さくなってしまったので、ついカッとなって全部剃ってパイパンにしてしまった。
そのときは1ヵ月ほどでやめてしまって、しばらく生えるままにしていたのを、正確な時期は覚えてないけど、またパイパンにしてからもう何年も経ってる。(2009年9月の時点ではまだ生やしていた気がする。友達と温泉に行ったから。)
どんなふうに生えていたかももう覚えていないし、伸びてくるままにして確かめる気にもなれない。割と濃かった気はする。残念なことに。
邪魔だし、部屋を掃除して落ちているのに気付くのとか考えるだけでもう嫌だし。
何が言いたいかって、永久脱毛でなくても、わたしみたいに剃るだけでもだいぶ楽になるから一度やってみたらいいよ、っていうお話。
もう1回剃ろうよ。わたしも一度くらいは行っておきたいなぁ
横だったんだけど見ててついカッとなって書いた。後悔はしていない。
煽り運転嫌いの増田(https://anond.hatelabo.jp/20180511024117)読んだ。
自分もそうだ。なにかあるとついカッとなってしまう。一人で運転している時はそういう傾向がある。
例えば、追い越し車線でどかない車とか、無理に割り込んでくる車とか、指示キー出さずに曲がる車とか、そういうのが目の前を走ってると顔が真っ赤になって煽ってしまう。
その時考えることってあとになって冷静に考えたら「自分が嫌な思いをちょっとしたから、相手にも嫌な思いをさせなきゃ気がすまない」っていうのはわかる。いやなやつですね、俺は。
でも考えたら、俺だって、無理に割り込んでしまうことがあるし、指示器忘れて曲がってしまったこともある。その時に「申し訳ないことをしたな」って思うことはいくらでもある。
でも、こんな運転を続けていたらいつかは事故も起こすだろうし、ゴールド免許もなくなる。
煽り運転されたせいで貴重な時間を棒に振ってしまった増田。貴重な話を聞かせてくれてありがとう。
「いまから運転中は冷静になります」なんて事は言っても、多分すぐには治らないだろうけど、増田の話を心に刻んで煽り運転を控えようと思います。
40歳を過ぎた今でも忘れられない。恐らく一生忘れられない。
母親と話していて、「なんでお前のために苦労しなくちゃいけないんだ」と言われ、ついカッとなって「小さい時から親らしいことをまったくしてくれなかったじゃないか」と激昂して捲し立ててしまった。
その言葉に、母親は「今思えば、いじめられていたのかもしれないという気もするが、当時はそんなこと分からなかった。お前は何も言わないし、知らなかった」「そんな事は忘れて、強くならないと成長できない」「お前にも悪い部分があったんじゃないか」と言う。
やっぱり、自分は望まれて生まれてきた人間ではなかったのかもしれない。
シングルマザーだったこと。仕事が水商売だったこと。「◯◯の息子さん」という呼び方で通用するほど閉鎖的など田舎では、この二つの要件だけで、十分子どもはいじめの対象になる。
ついカッとなってやった、というのが冗談ではないと思っている。
私なんかは何事かにおいて敗北感を味わうと突沸して勝った人間などに対して殺してやりたい、と思ったり実際に胸ぐらをつかんでしまったり、ということがあり、困っている。
最近はスプラトゥーン2を楽しんでいるが、ナワバリだろうが負けた段階で相手チームに殺意が湧く。
ぶん殴ってやりたいとか軽いもんではなく、明確に「殺したい」と思っている。
プロのスポーツ選手なんてなろうものなら負けた試合ごとに相手ベンチにぶん殴りに行ってしまうんじゃないかと思う。
【追記あり】
このエントリを見てとても悲しい。
私たちブライダル写真屋は土日に仕事が集中する生業なので、大安などには社員だけではカメラマンが足りなくなります。
なのでフリーカメランにも委託し、何件もの結婚式をこなします。
私たちは毎日結婚式という現場で仕事をしているので、本気でブライダルに向き合い、お客さんの笑顔の為に頑張っています。
フリーカメラマンには、ブライダルだけしている人と、コマーシャルなど他の仕事と並行してこなしてる人がいます。
ブライダルだけしている人は、平日はアルバム作りやデスクワークと前撮りなどの撮影もしています。多分この人達も本気でブライダルに向かい合ってる人達です。
本気じゃないと食っていけませんもんね。
そして、この増田さんのように他の仕事と並行している人達です。
コマーシャルの仕事をしていて仕事がなくてブライダルの委託を受ける人、増田さんのように機材のテストがわりにしてる人は、はっきり言ってブライダルをただの記録写真くらいにしかおもってない人が沢山います。
コマーシャルと比べて、ブライダルを誰でもできる下等な仕事…とおもっています。
実際、コマーシャルのカメラマンから、お前はどうせブライダルだろ…と袖に扱われた事があります。
なぜ、コマーシャルカメラマンはブライダルを下等な仕事と扱うのか
若い2人の財布から出てくるお金です。色々差っ引いてギリギリなんです。
そして、コマーシャルと比べてカメラマンになるハードルが低いです。日本中何件もの結婚式に対応するには何人ものカメラマンが必要だからです。それだけ修行の場も沢山あります。
一握りしかなれないコマーシャルカメランと違うんだぜっておもってるカメラマンがいるみたいです。
でも、ブライダルだって簡単な技術ではありません。当たり前ですが。
そして、1番大事なことは
毎日コマーシャルだけをやりたかったカメラマンにとって、ブライダルはやりたくない仕事だということです。
考えて見てください。
答えは、最低限のクオリティです。
ブレてずに適正露出で過不足なく撮れてるけど、そこにあるのはただの記録写真だった。
ちがうんだよ!
ブライダルってのはドラマなの!ストーリーなの!雰囲気なのー!!
腹が立って長文乱文になりましたが、
ブライダル頼む時は、ブライダルだけで食ってる人をえらべば良いと思います。
コマーシャルやってる人でも、本気でブライダルやってる人を見極めてください。
【以下追記】
なんだか、
ブライダルを馬鹿にしてて、二人の門出を祝いう気持ちなんてなくて
気持ちのこもってない写真ばっかりとってたカメラマン思い出して
ついカッとなって書いちゃったんだけど。
たしかにコメントやトラバで頂いたように報酬が少ないからやる気が出ない構図は
元増田の記事を読んで、祝儀渡す人が増えて世のブライダルカメラマンの収入があがれば、それもいいなって思います。
なんでじゃあ書いたかって、祝儀もらう前から真摯にブライダルと向き合ってる人を選んでもらいたかったんですよ。
そういう人もちゃんと居るから、選べたらいいなって。
クオリティの話って難しいと思うんです。どんな写真が良くて何が悪いかって。
元増田さんは撮影ももちろんだけどレタッチとか撮影した後の処理をたくさんするよって書いてました。
新郎側に居たけど何となくそれに気づいて行ってみたら、おばあちゃんがもう感涙しちゃってる…
どんんだけアンテナはってそこで起こってることに気づいて、新郎新婦の代わりに見ておいてあげれるか。
(元増田さんが気づけないカメラマンだと断言しているわけじゃないです。)
自分の時間を削ってサービスするのがクオリティじゃなくて、現場でアンテナはって一歩踏み出せるかどうか。
接客業で、同じ給料なのに気の利く人と、気が利かない人がいるみたいな感じです。
なんだかふわっとした話になって申し訳ないです。
悲しい気持ちが消化不良で書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20170426074045
こちらのフリーカメランさんが、技術面について的確に書いてくれています。
本当にその通りです。
コマーシャルフォトとれるから、祝儀渡されて急にブライダルが上手く撮れるもんではないということです。
皆が専門分野に長けてるのです。
「この人が核兵器のスイッチを持ってると考えると怖い」こんなブクマを目にするので、少し違った見方で話してみたいと思う。
まずトランプがどんな人かという前提を持っているのか、私は、「自分の理想や欲求を何がなんでも実現させたいすごくわかりやすいタイプの人間」だと考えている。
この理由は、まず第一に、過去に事業を何度も何度も失敗させてはチャレンジしていること。
第二に、選挙戦でずっと劣勢に関わらずまったく諦めたり路線変更することはなかったということ。
第一、第二はどういうことかというと、大統領選が始まる前の昔の発言(名言)からわかるように、不屈や努力が絶対に成功を導くと言っており、自分の成功や理想は追求し続けることで絶対に達成できると大真面目に信じてるということ。
第三は、メキシコの自動車工場にしても、オーストラリアの難民にしても、ここは私も譲れないけど代わりにこういう利益上げるから許して、ってのが一切通じないこと。自分がやる!って言った提案は絶対にやり遂げる、という行動原理がある。
ここから少し考えを進めると、トランプ大統領は中国やイスラム圏の嫌いな国々に対して、核の打ち合いをすることを心から望んでいるのか、公約や発言として言っているのか?
日本や韓国は自分で核武装すべきだ、と言っているように、核の使用に関しては、あまり積極的にやりたいとは思っていないと感じる。
なぜ重要か簡潔にいうと、トランプ大統領は、マティス氏に一目置いていて防衛に関しては一任するだろうからである。
第一に、先に述べたように、トランプは仕事を愛せ的な発言が結構見られること。
第二に、マティス氏の反対によって、拷問尋問を開始する大統領令を諦めたこと。
第三に、トランプ大統領は軍事力や警察力の使い方にまったくの素人であること。
第一は、マティス氏は、戦う修道士、国と結婚した男、とも言われているように、生涯をアメリカの防衛のために捧げていたこと。部下にクリスマス休暇を取らせるために自分が休日を返上したこともあるし、きちんと議会の承認と信用を得て国防長官に任命されている。
右派のネットメディアを側近にそえるほどのトランプ大統領が、国に生涯を捧げたマティス氏をリスペクトしていないはずはないと考えられる。
第二は、解説するまでもなく、反対派に対してかなり強弁な物言いをするトランプが、一歩引くということ自体、マティスの意見を大切なものだと考えていると推測される。
第三は、トランプ大統領は軍事や安全保障に関して知識が少なく、大統領選でもこのことを指摘されて、テレビニュースで補っている的な発言をしていた。これに関して、他人に頼るしかないと考えているはずである。
ついでにいうと、実は、軍部や警察力の懐柔のノウハウがないので、巷に言われているような独裁者には決してなれるはずはないと思う。
つまり、核の打ち合いということに関しては、トランプ大統領の理想とは異なっており、マティスが存在する以上、無意味な核攻撃は起こらないだろうということを結論できると思う。
もちろん、トランプ大統領がついカッとなって、核に関するツイートをしてしまう可能性はある。だがそれはマティスが防波堤となって、使用には至らないだろう。
また、肝心のマティス氏に関してだが、実はオバマ政権の元で、中央司令官を解任されている。
これは、イランに対する方針の不一致のせいだ。核武装に対しては、厳しめの見方をしているわけである。
トランプが感銘を受けた本、そして政権運営に深く関わる、ピーターナヴァロの『米中もし戦わば』では、中国が、法的な侵略と、機雷、潜水艦、民間船、そして、核武装により、アメリカを南シナ海から追い出そうとしているとあるが、
マティス氏は、韓国や日本に対して、核迎撃ミサイル(サードミサイル)の配備を求めてくるはずである。
核の使用自体を無力化し、通常の海軍力を競争の場にしたいと考えているわけである。
だから、先制的に核を使用しようとすること、または、相手に使用させようとすること、は考えられないはずである。
だた、アメリカの措置に怯んだ中国が誤って弾道ミサイルを発射し、そこから核の打ち合いが始まる危険性はある。しかし、少なくともトランプ大統領が核のスイッチを持っているからといって、軽々しく使う状況は絶対に起きないだろうと私は考える。
文中、唯一の謝罪の言葉が追記の中の母親に向けられたものなのが気になる。
まともな大人なら、子供を泣かせたらたとえ他人の子供であったとしても罪悪感を感じるものだ。
子供の行動にイライラしてついカッとなって怒鳴ったり手をあげたりするというのはまだ理解できるが、その怒りが数時間も続くというのであれば子供にとっては虐待どころか拷問のような経験になるだろうし、その行為に対する反省はなく子供への憎悪をさらに燃やしているというのは明らかに情緒に問題がある。
子供の行動が「わたしへの嫌がらせにしか思え」ないというのは、子供を自分より弱い保護や指導の対象としてではなく、自分と対等な、自分の存在を何らかのかたちで脅かす存在として認識しているということなのだろう。
それはつまり、増田は成熟した大人としてではなく、子供と同じレベルにまで落ちて子供と接しているということになるわけで、そのように未熟な増田に接したカウンセラーが人格形成に大きな役割を果たす増田本人の親子関係について疑うというのは当然なことだ。
そもそも誰だって親との間に嫌な思い出のひとつやふたつはあるはずで、それを振り返ってみて自分の人格にどういう影響を与えたのだろうと考えてみる程度のことはやってみて損はないと思うのがまともな考え方だろう。
本当に「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」のであれば過去を振り返ることになんの苦痛も感じないはずだし、過去を点検しろというカウンセラーに増田が怒りを感じるのは、増田にとって母との過去は本当は振り返りたくなるような良好なものではなかったのではないか。
謝罪の言葉が向かう先が長女でも夫でも次女でもなく母親であることや、人格にこれだけ明らかな問題を抱えながら「親の悪口を言わせようとした」という理由でカウンセリングを中断してしまうことから、増田にとって「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」というのはほぼ信仰に近い信念と化していて、この信念が嘘である可能性を疑うことすら増田にとっては身を切るような痛みを伴う行為になっているのではないかと想像してしまう。
親と自分との関係が実は良好なものではなかったのかもしれないと疑うことは楽しいことではないかもしれないが、「毒になる親」(ISBN:9784062565585)や、「不幸にする親」(ISBN:9784062814812)などの親子関係の問題を扱った本を何冊か読んでみて、いちど過去を点検してみるということをしてみてほしい。
今のままの増田と関わり続ければ、虐待を受けている長女はもちろん不幸になるだろうし、次女も増田の過干渉によって不幸な人生を送るおそれが強いから引き離すのは妥当だろう。
もしこのまま子どもたちと他人になったまま生涯を終えるのが嫌なのであれば、親子関係に限らず自分の過去を点検して、専門家や書籍の助けも借りながら自分の問題の原因を自分なりに探ってみてほしい。
世界で誰よりも自分を愛してくれるはずの自分の母親に「生理的に好きじゃない」と精神にも肉体にも暴力を与えられ続けた長女に対して、申し訳ないという気持ちが自分から持てるようになるときが来たとしたら、それから初めて長女と次女の両方ともう一度親子としてやり直せるよう頑張って欲しい。
「握手会は中止にするべきでは?」という胆略的な意見を割りと目にする。例のヤフコメとかで特に。
今回はたまたま、”アイドルとそのファンだったヤツ”という構図ではあったが、問題の本質はそこではないと思う。
何故なら、握手会が消えたところで、「若い女性が、行き過ぎたストーカーに刺される事件は無くならないだろう」と考えられるからだ。
つまり、一般的なストーカー事件として捉えるべき案件ではないだろうか?
地下を含めアイドル側からしたら、客との関わり方、プレゼント受け渡しの線引き、何かありそうな場合の事務所の対応などなど
考え直しも迫られるであろう。
しかし、プレゼントの返し方など、冨田さんの方にも悪手と思しき行動もある。
まぁその辺は日常的な男女関係でもあり得る話なので、アイドルの商売システムにどうこう言ってもしょうがない(すべての接客業にその可能性があるのだから)。
まず問われるのは、いつも「何か起こってからでないと動かない警察」の対応だろう。
警察が頼れない世の中ならば、一般人が気軽に(時給千円感覚で)オーダー出来るような
私設ガードマンの団体などどうだろう?ちょっとしたビジネスチャンスがそこにある気がしますが。
それから、ネットで常軌を逸した発言を垂れ流し続ける者を、マークするシステムの構築。
岩埼と思しき人物の悍ましきツイート群、あれはもっと重く見られるべきだった。
世に犯罪心理学という者があるようだが、時には憎悪の増幅装置として機能してしまうネットに長けた
ネットワーク(犯罪)心理学というものが確立してもいい気がする(あるのかもですが)。
岩埼のはツイートだけと思われがちかもですが、ブログもあって、前日のエントリーなどこうだ。
http://ameblo.jp/illion-0107/entry-12161958764.html
「ついカッとなって」どころではなく、「明日ヤッてやるぜ」という意思表示にしか思えない。
話を戻して、一連のをひっくるめて考えたら「これはヤバイ、キテますわ」と素人目にも思うこと、
岩埼は”危険度S”以上は免れないと考えられますが、そういった危険人物をただちに監視下において
対象に近づくことを阻止するべきなんだと思う次第です。
━ 握手会がなくなると困る男より
項目別で見るとかなりがんばってるね。
文章では読み取れない部分の「質」を少しずつ上げてみるっていうのはどうだろう。
(1) 測定
「体重を減らす」だと漠然としているので。体脂肪率を意識すること。
市販の体脂肪計は測定条件で差が大きいから、目安程度だけどね。
(2) 食事
食欲を無理に抑えるんじゃなくて満足感を上げてみる。
(3) 運動
できれば土日+平日のどこか1日で週3日くらい欲しい。
(4) 生活
運動にいれても良いかもしれないけど。
雨降った日のジョギング代わりに雑巾がけの拭き掃除なんてどうよ。
もっと詳しい人はたくさんいると思うけど、ついカッとなって書いた。
かなりがんばってるので、もう一押しの工夫で成果が目に見えると思うんだ。
某学会誌の表紙がアニメ調?な女性型ロボットだったせいで話題になった。
乱暴に要約しちゃえば、このデザインはパブリックな刊行物の表紙にはふさわしくない! これにGOを出した編集委員は無知すぎる、ということっぽいのだが、さて、お話はその問題提起の是非でも問題そのものでもなく、どうして、そういわれるとイラッとくるのか、ということだ。
ぶっちゃけったところ問題提起自体は、ああ、そうかもしれんね、と簡単に流せるようなもののはずだ。
「こども」の表記を「子供」とするか「子ども」とするかの違いみたいにジェンダーに関心がなければ、どうでもいいレベルの話のはず。でも、現実にはジェンダーに関心がなくても熱くなったひとがいるように見えた。いやいや、その女性型ロボット=女性蔑視とか短絡的すぎじゃね? みたいな反抗を生んだ。
この反抗したくなるイラつきの原因は、適当に歩いていたらいきなり「お前、馬鹿じゃね?」と言われたようなものだからだと思う。
問題提起だから当たり前なのだけれど、提起されるまでそこに問題は存在しなかった。だれもそれが問題だとは考えていなかったし、それを取りあげて問題にするとも思えなかった。だけれども、指摘は黒船のように唐突にあらわれて、鼻息あらく問題だ! と指摘された。キーワードは「海外」だ。海外では、学会誌でこういうイラストが起用された非難されるという指摘。もうね、それはどうしようもない言われ方だ。なぜなら海外ではこうなんです、と言われると、それが本当なのか嘘なのかを確かめることもできないうえに、ステロタイプみたいに海外は日本より優れているという劣等感が少なからず(ガラパゴス化という言葉があるぐらい)あるものだから、神経を逆なでにされる。ついカッとなって、反論したくなる。そうじゃないのだ、と。しかし、その反論はとどかない。なぜなら、問題を提起した人間も「海外」は日本より優れていると考えていて、海外を知っているという点で優越感を持っているから、ガラパゴス化した思考をした人間の反論は子供の戯言と流すことができる。
かくして、両者は平行線をたどり、指摘された側はうちにイライラを溜めていくのだ。
指摘した側はこれだから日本人は……と肩をすくめて、指摘された側はその指摘が理解できないんだけれど、とイラつく。
じゃあ、どうすればいいん? となると難しい。
ただ、「海外」が優れているという視点に立っての問題提起は、おそらく問題提起になっていない。問題を突きつけられた側は、その「海外」を知らないから問題を理解できない。歩みよりが必要なのだけれども、優れていると考えている人間は、みんなが自分と同じ過程をへて、ここに至ると考えているから歩みよってこない。手は差しのべた、あとは掴めばいいとか考えている。
伸ばした先には誰もいないのに。