はてなキーワード: だがそれがいいとは
おっ!ワイのヒッゲと同じくらいの剛毛さんだな!だがそれがいい!
映画版「愛しのアイリーン」の主人公みたいに労働→帰宅してAV見ながらオナニーするしか楽しみのなかった俺なんだけど最近、映画を見る趣味ができた。FANZAのプレミアムコースといくつかのサブスクに登録して映画→AV→映画→AVとローテしてる。なんなら映画の途中でムズムズしてきたら中断してAVを見たりするんだけど、そのせいで最近ちょっと体調がおかしい。
最近、ホラーにハマっててもう映画から投稿系から怪談系から何でも見てるんだけどちょいちょい中断してAV見ながらシコってるのね。ホラーがめっちゃ得意、全然怖くないってわけじゃなくて、正直「出るぞ、出るぞ」ってシーンだとヘッドフォン外しちゃうことがあるくらいには怖がりなんだけど、だがそれがいい。それこそがホラーの楽しみ!で、AVも見て二重の意味でふぅ……ってなるんだけど、それを繰り返した結果、怖いシーンになるとナニがバッキバキになるようになってしまった。
カヤコ「あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛」僕「ひぃいいいいいい」ナニ「ムクムクムクッ」
ホラーに集中できないんじゃ……いや、元からホラーの途中でAVにスイッチングしてたりはしてたけどさ。困るのはホラーの見過ぎで、深夜の帰宅途中とかで路地の奥が真っ暗で、うわー……こわっ、ってなった瞬間ナニが反応しだしたりする。こう、日常のちょっとホラーポイントで鬼太郎の妖怪アンテナばりにナニがビーンとなっちゃうのはマジで困る。
まさかこんなことになるなんて思ってなかったのでわりと普通に後悔してる。ホラーはホラー、AVはAVで棲み分けすべきだった。なぜこんなことになってしまったのか。
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
湯を沸かせ。その間にフィルムを剥がし、かやく、液体ソース、粉末ソースを取り出し、かやくをあけておく。
パチンッ! 沸いたな。注げ。そして1分待つ。湯切りだ。ソースをかけて混ぜる。
俺の塩が完成した。記念に一口食べておけ。
皿を1枚用意して、半分に分けろ。
片方に、昨日のチキンマックナゲットの残りのレモンタルタルソースを混ぜる。
もう片方に、昨日のチキンマックナゲットの残りのアラビアータソースを混ぜる。
食べろ。オゥ! レモンの爽やかさ! 次第に俺の塩味に戻る。だがそれがいい。
食べろ。オゥ! これはスパゲヘッティだ。頭から尻まで。よく塩茹でされたスパゲヘッティだ。
交互に食べろ。オウフ! 新しい食べ物! そして新しい食べ物!
冷める前に食べきったか?
よくやった。これが3分クッキングだ。
「学園戦記ムリョウ」の脚本がムリョウ公開された。無料でムリョウが全て読めるなんて素晴らしい。
今更ながら、Blu-rayが出ているのを知った。DVDBOXを購入したくらい好きなのに恥ずかしい。
正直、恐る恐る脚本を読んだ。ハマってから年月が経ち、始と年齢が近かったのが今じゃ親たちの世代だ。感覚が変わって、好きなものが好きでなくなったら悲しいなあと思ったのだ。
3話までは、主人公に突っかかるただの嫌な奴と地味な女の子である。主従関係があるのにちょっとエロスを覚えた。
4話を過ぎると訳ありな描写が増えてくる。嫌な奴は愛せるおバカさんであり、地味な女の子は一足先に大人の階段を登っていたのだ。
京一が晴美に振られるのは最高の瞬間であった。大切な人だからこそ見せられない本心がもどかしい。あらゆる緊張と耽美が一斉に襲ってきた。
雨の中を絶叫しながら走る人を、笑ったらいいのか哀しんだらいいのかわからない。
空蝉の時は晴美最強伝説が築かれてワクワクした。「ムリョウ」は女性が強い。主従と見せて、実のところ京一は晴美の尻に敷かれてる!京一のことを分かっている晴美がたまらん。
お互いの気持ちが少しずつ通じ始めたところで、俺はデートだはアホだ。今度は砂浜を爆走している。だがそれがいい。
アホになった後、晴美が頑なに主従関係を貫く理由を明かした。あーやっと相思相愛なのが伝わったよ!泣いたよ!
守口父と峯尾父の友情もいいし、今となっては親の方に感情移入するようになって、残して逝った守口夫婦と、残された側の両方に揺さぶられる。
19話は泣きっぱなしだった。京一と晴美の話としてはほぼクライマックスである。あれほど天敵扱いだった無量を信じるのである。あの京一が?全ては大切な人のため。
Pixivコミックで連載中の「モブ子の恋」をずっと読んでいて、更新をすごく楽しみにしている。
主な登場人物は地味で目立たなくて大人しい主人公の女子大生・田中信子(モブ子)と、バイト先の同僚で同じ学年の入江君(メガネ・シュッとしている・真面目そう・モブ子が好きな相手)だ。
田中はモブ子ということになっているが普通に可愛い。この顔はモブじゃない。
また,入江君は最初恋愛に興味ないって感じだったのに、いつの間にかモブ子のことを好きになっている。
この辺は作者の甘さが見え隠れしているかんじがあるが、まあそれはいい。
ネタバレすまんけど結局相思相愛になるんだけど、それまでの過程、すなわち
一言以上しゃべるようになって、お互いに好意を自覚して(でも相手が自分を好きということはわかってない)、連絡先を(周りの協力を得て)交換して、
バイト先の集まりで出かけて、二人で出かけるようになって、告白して、恋人同士になる
という流れがも~~~~~~~~~~~~~~~~めちゃくちゃスローでもどかしく、だがそれがいい。
こんなシーンがある。
モブ子が,入江君と以前より少し仲良くなって話せるようになって、
バイト仲間に好意がバレて「告白しないの?」みたく言われて、今の関係を崩したくない、つながりを持った状態でいたい
と答えたら,そんな状態いつまでも続く保証なんてどこにもないと言われる。
それで、二人で出かけるようになって2回目くらいの日の前夜に、
「これまで,私は自分が何も行動しなかった未来と向き合ってこなかったな」と思い、
今日全部終わってもいいから、気持ちを伝えたかった、入江君のことが好きだと告げる。
入江君もその日同じこと思ってて、まあうまくいくんだけど。
この話を何度も読み返して、
好きな人の特別になるために、恐怖を感じながら、今までの心地よい関係を壊してでも想いを伝えるモブ子は強くてかっこよくて美しいなと心が震えた。
そして、すごくうらやましかった。
自分には好きな人がいて、その人とは月に何回か会う機会があり、連絡先も知っているが
その人のことはほとんど知らない。どこに住んでいるかも何歳なのかもどこ出身かも、恋人や配偶者がいるかどうかもわからない。
聞けば教えてくれるだろうけど、聞くタイミングがない。言い訳である。
知り合って2年くらいで,最初はそういう気持ちは全くなかったのだが、長い期間にわたって接しているうちに特別だと思うようになった。
相手のことをほとんど知らないのに、なぜこのような感情が起こったのかはわからない。
自分も、このままときどき会う機会があって、話して、それで嬉しくていろいろなことを頑張ることができるこの状態がずっと続けばいいなと思っていた。
でも、モブ子の恋を読んで、自分は精神的にすごくダサいなと痛感した。
いきなり告白するのは論外だが、もし食事に誘ってみたところで、断られたらどうしよう?と思うと怖くなった。
行動に起こさなければ、自分の妄想の中でずっと甘い雰囲気を味わっていられる。
でも、万が一誘いに応じてくれて、それまで知らなかったことを色々質問して,恋人も配偶者もいなかったら告白して、と考えて
万が一受け入れてくれる未来を想像すると、もうだめだと思った。
こういう関係性の人に対して、どうやって食事に誘ったらいいんだろう?
自分は恋愛に対して疎く、自分から恋愛的行動を起こそうと思ったのは初めてで、どうしたらいいのかわからない。
その辺で歩いている仲のよさそうな二人連れも、こんな思いを乗り越えて今があるのだろうか。すごい。
今年の夏は、そう決意して実行にうつした読者の死屍累々が見られるかもしれないな。そして、自分もそこにいる可能性はとても高い。