はてなキーワード: だがしかしとは
暇空茜はせこいマウントや自慢(*)をしてきて、気に食わないやつへの絡み方がいじめっ子のそれ(**)であり、自分に都合のいい人間を求めているような人なのでリアルでは好きになれないタイプの人間だが、
それはそれとしてWBPC問題では勝ってほしい。
個人的な好き嫌いの問題よりも社会的な問題の解決の方が優先すべきことだからだ。
だがしかし、今は大義名分があるから大衆の支持を得てるが、そういうことがなければこの人は割と嫌われて批判にさらされるような人間だと思うよ。
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*いつの動画だったか忘れたが、このTwitterの使い方は俺が初めにやり始めました(ドヤ って主張してたときには何やコイツって思った
今となっては古典的な、スパムを踏む→やり取りしてしまう→iTunesカードで支払うというのを。
いやはや「実は詐欺にあった」と聞かされて、寝耳に水でしたわ。
幸い??金額は15万円とのこと。7桁万円とかではないのは不幸中の幸いですわ。
それを聞いてしまった時、そこそこ強めな言葉で罵倒というか文句を言ってしまった。
自分としては抑えたものの、まぁ結構ボロクソに言ったものですよ。
12時間くらい経って調べたら、当たり前だが被害に遭った家族を責めるのは良くないとのこと。
わかる、頭ではわかる。
だがしかし、相談もなく振り込んでしまった家族に「そうだったのね、話してくれてありがとう。えげつない金額じゃなくて良かった、起きたことは仕方ない!」
とは言えないよね~正直。
家族の言葉が追い詰めてしまうケースもあると見て、頭では理解できる。
けれど、「突っ走って相談もせず騙された人間を、全てを飲み込んでケアしながら対応する」というのは無理ですわ。
勿論、詐欺師が悪いんだけどね。
朝、NHKのローカルニュースを見ていたら、近くの温泉ホテルで現代アートのフェスをやってるというのが流れてきた。
個人的に美術には造詣が深くない。持っている美術知識といえば大学の一般教養で受けた西洋美術史概論(途中でいかなくなったため単位未取得)とダヴィンチコード(序盤で読むのやめた)くらい。
特に「現代アート」なんてものはわけがわからない。ルネサンス絵画や印象派の絵なら実物を見て、「あ、これ知ってる!」「すごい!」、「うまい!」、「きれい!」などの感情を抱けるが、現代アートと呼ばれるものは、見ても「?」、「これがアートなのか・・・アートってなんなのかよくわからんわ・・・」みたいな感情しか持てない。
なので普段なら見流すところだった。
だがしかし、前日にスーパー銭湯でブルーピリオドを読破していた私は俄然興味を持っていた。
今なら、わかる気がする。
もしわかんなくてつまんなくても温泉に入れるみたいだし、温泉ホテルで美術館ってなんか珍しいから話のネタになりそうだし。
というわけで行ってみたんだが、結論から言うと、行って良かったとは思うがそれが現代アートのおかげなのかどうなのかは正直よくわからん、というところ。
会場は半径500mくらいの温泉街の5、6個のホテルに点在していてる。高低差が50mくらいある。結構歩く。つらい。
鑑賞エリアがわかりやすく区切られているわけではなくて、ロビーの一角だったり、エレベーターホールだったり、客室、ゲームコーナー、ラウンジなんかに自然な形で展示されていて、それが意図して作られたアートなのか、元からあったホテルの什器なのかよくわからなかったりする。
どのホテルも年季が入っていて、80年代、90年代のバブル、平成レトロな空気が漂ってるように感じたんだが、これがアートのおかげなのか元からそうだったのかよくわからない。
作品展示以外にもロビーで劇をやっていたり、夕日が沈む海の前でバイオリンを弾いていたり、日常空間が非日常空間になっていてよくわからない気持ちになった。
穏やかな海と冬の午後の暖かい太陽がとにかく美しくて、ノスタルジックなホテルで展開されるよくわからない現代アートと相まって、不思議な空間を作り出していた、気がする。
いやほんと、気がする。確信が持てない。なんとなくでしかない。ずっとほわほわしていた。
ブルーピリオドを読んでいたおかげで、作品が絵や彫刻でなくても「これがインスタレーションってやつね!」と自分を納得させることはできたが、それ以上の助けにはならなかった。
なんだろう、映えスポットだらけだった。現代アートと映えスポットの違いがわからない。若者はあまりいなかったけど、いたらきっと至る所でパシャパシャしてるんだろうな、と思った。
結局私には現代アートはわからないままだった。でもこの日の体験は行ってよかったと思えるものだった。
今更ではあるがこんな呼びかけをTLで目にした。
https://mimemo.io/m/3kyw8o3mNB46Lrg
ReSo(レゾ)とは「名前はない+とも×とも言いがたいクソデカ感情の二人組を描いた作品」向けのタグとして作られた(と解釈した)らしい。
内容は別にどうでも良い。必要な人が必要な時に使えばいいだけなので。使用者をとやかく言うつもりはない。一応二次創作向けに作られた棲み分けタグのひとつだと読み取っている。
だがしかし、後半に突如として現れたこのルールで全て台無しだ。
まあこれだけなら分からんでもない。私自身は「だれうまwww」という感覚でその手のタグを見ているが好き嫌いが分かれるものなのは頷ける。嫌いな人は絶対嫌いだろう。寒いしきしょいと思われても「わかる〜」としかお返事できない。
>その表現の成り立ちがどのようなものであっても、現実の社会に確かに存在する同性愛という関係性を描いた作品を、「腐っている」とは表現してほしくない、という思いのためである。
私の中で今「違う、そうじゃない」が大音量で無限リピートしてるわ。
男性向けジャンルは存じ上げないが、女性向けジャンルのpixivに多いこの「ジャンル名をもじった腐向けタグ」(以下腐向けタグ)は大体のジャンルでこういうルール(マナー)で動いていると認識している。
それが「公式作品名タグとの併用禁止(もしくは非推奨)」というものだ。
その作品では微塵も付き合っちゃいないエッチもしないキスもしない男キャラ同士のBLを見たい人だけが見て、そんな原作破壊行為と言っても過言ではない作品なんて見たくない人は避ける為の棲み分けのタグだ。女性向けジャンルの棲み分け文化の是非については各々思うところがあるだろうが、実際問題女性向けジャンルはそうやって棲み分けているところが多い。先述したことと被るがどう考えても腐っているのは「本当に原作読んだのかお前」と言われても仕方のないような無茶苦茶なカップリングをしているオタク側であって、罷り間違ってもカップリングされてる側を腐ってるなどと思っちゃいないのだ。
ド勘違いも甚だしい。誰かこの類の人全員包める包帯持ってこい。
その主張は一次創作か、推してるBLが原作で公式カプだった時にはいい。その通りだ同性愛は腐ってないと言おう。私もそれに異論はない。
だが棲み分けタグができているようなジャンルやカプはほぼ確実に非公式カプだ。だから棲み分けタグなんてできているのだ。このタグを使うオタクは原作者の意図やそのキャラの文脈や人生、セクシャリティ、性的指向をガン無視して自分の理想を好き勝手押し付けオナニーしているにすぎない。大前提としてそういう業を背負っている。もうその時点で腐っていると言われても何も反論できない。
それを何?「同性愛は実在するし腐ってない?」なんでナチュラルにお前自身の業を推しカプに擦りつけて庇ってるフリふんの?シンプルにキモすぎ。お前の話してんだよ。
同じことを「腐女子じゃなくてShipperって言お!」みたいなオタクにも言える。理由が全く同じだからだ。アイツらも非公式カプを勝手に妄想してるくせに「同性愛は腐ってないから私たちも腐ってない」などと宣う。馬鹿なのか?誰もお前の推しカプが腐ってるとか言ってねえよ。お前自身の話をしてんだよ。
これBL好きと非公式BL好きで話を混ぜるから何年も何年もこんなクソくだらない話が湧くし勘違い腐女子腐男子が跡を絶たないんだよ。非公式カプやってる奴はみんな広義の腐だよ。自分がキモい存在であることをせめて自覚して生きてくれ。私もそうしてる。100%勝手に2人で妄想してる私がキモい。
法律やルールは属性(男女など)で区別するのではなく状況(経済状態など)で支援するしないを決めた方がよいだろね。人間の本能には今となってはバグといえるような物もある
140年前にサムナーが「忘れられた男」で指摘したとおり、法の下の平等の前提は行政や司法から情緒を廃して機械的に運用することなんですよね。情緒がからむと泣き叫ぶ者が優先され、黙っている者が割を食います。
対象がよくつかめなかったのだが氷河期世代の見捨ては私も怒っているよ。男性のためを銘打った相談窓口ももっと手厚くあっていいと思う。女子供ばかり二重三重にそりゃ見えるよ
https://president.jp/articles/-/65205?page=1
上に引用したのは沼田牧師が書かれたかわいそうランキングに関する上記記事に付けられたブコメの一部だが、この3つのブコメはどれも司法、行政の平等について論じていて、概ね司法、行政にはかわいそうランキングに影響されない価値中立性が確保されるべきだという意見だと思われる
あくまで例として引用させてもらったが、他に付けられたブコメも概ねこの様に司法、行政の観点から論じたものが多い印象だ
だがしかし、沼田牧師が件の記事で論じているのはそういうことではないだろうと俺は思う
共生社会について考えるなら、一流のアスリートを見るのもいいけれど、まずは「この人、ほんとうに嫌な人だな」という感情を避けられない人とどうやって生きていけばいいのか、そこから考えてみませんか。
上に引用した部分には沼田牧師がこの記事を通して読者に訴えたい内容が端的に表現されていると思う
かわいそうに思えない弱者
そうしたかわいそうランキング下位者を我々個人が拒絶せずに関わり続けていくためにはどうすればよいのか、それを沼田牧師は問いかけているのだと思う
一方で記事に付いた多くのブコメはあくまで司法、行政の平等についての言及に留まり、かわいそうランキング下位者と我々個人との関わりについての言及は少ない
これは俺の偏見かもしれないが、かわいそうランキング下位者については公共セクターが対応すればよい、といった雰囲気さえ感じられた
もちろん、公共セクターはかわいそうランキング上位者と下位者を差別することなく運用されるべきだが、仮に女性相談窓口と男性相談窓口が、女性センターと男性センターが均等に配備されたとしても、それはあくまで公共セクターの平等性が高まっただけの話であり、かわいそうランキングを超克したことにはならない
我々一人一人が、かわいそうランキング下位者を拒絶することなく関わり続けていくこと、その実践を通して初めてかわいそうランキングを超克することができる
俺も、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県の船橋あたりで生活していた。千葉県はカスだ。東京まで微妙な距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城のゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元の船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼は津田沼でゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原が微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一本とはいえ、微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲食店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給食費を無駄にするために通ってきていた。市立船橋高校はスポーツが盛んで、イキリ散らした民度の低いカスみたいなスポーツマンたちが船橋を不快な街に育て上げていた。あと、船橋高校のゴミどもも、もっと渋幕とかに行けばいいのに頭いいような面してイキリ散らしながら歩いていた。自然豊かといいつつそれは小室とかいう飛び地の話で、友達がそのへんの団地に住んでいたのだが、子供心に「こんななにもねえ田舎に住んで何が楽しいんだか」と考えつつ、スマブラをやりに行っていた。俺も競馬場に通うおっさんたちと同じ、人生を無駄にするのが好きな人間だったと言えるだろう。
小学校の時は色んな道徳教育を受けた覚えがあるが、ある日、うちの親戚のおっさんが登壇して「阪神淡路大震災の記憶」を語っていた。俺は幼心に、いや、お前関西住んでたっけ?と思ったが、無事に講演は終わり、無意味な感想文などを書いた。のちに親戚の集まりで、おじさんは講演会の人が来れなくなったので代打で登壇したと聞かされた。「わかりゃしねえよ」とのことだったが、まあどうでもよかったのでそんなもんか、と思い今日まで忘れていた。俺と震災には深い結びつきがあったと言えるだろう。
高校生にもなると、俺は自由だった。エスカレーター式の東京の学校に入学していたので、誰も受験勉強なんかはしていなかったのである。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。そう。割れ厨である。エロゲや音楽を無料あるいは格安で手に入れてくれることは後輩の俺達にもすぐに知れ渡った。サブスクの走りみたいなものだ。ちなみに、その先輩は生徒会長だったので、なんか体育祭で頑張った的なスピーチをしていたことを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
震災当時、俺は秋葉原にいた。試験も終わり、余裕綽々でカードショップで萌え萌えなスリーブを買い漁りに行っていたのである。その時、震災が起きた。スリーブはあたり一面に散らばり、混乱の中、店員さんに言われ、店の外に出た。駅に行くと、そこには人が沢山いた。だがしかし、電車は動いていなくて、そこで東北で大震災があった、という情報を聞いた。
震災なんてものはどうでもよかった。ただ、俺の心配は家に帰れるかどうかだった。録画していなかったのだ。その日、放送される「まどか☆マギカ」を。深夜だしリアタイ視聴余裕という慢心があったのだ。しかも、当時は確かものすごく盛り上がる10話の放送を控えていた時で、まどかを見られるかどうか、というのは俺の死活問題であった。あと、まどマギとか略すやつは当時のオタ仲間の間ではにわかの象徴だった。
さらなるハプニングが俺に起きた。ゲームのやりすぎで俺のガラケーは充電がなかったのだ。その上、萌えスリーブを買いすぎていたせいで、財布には100円の金もなかった。コンビニで充電器も買えやしない。もちろんクレカやキャッシュカードなんて持ってなかった。電車が動く気配はない。俺は、仕方無く歩いて帰ることにした。ぞろぞろと、他の帰宅難民の秋葉のオタクたちと共に。
途中で、公衆電話を見つけたので、並んで家族に無事である旨を伝えた。だが、当時オタバレを嫌っていた俺はプライドから、録画を頼むことはできなかった。まどかマギカくらいで何を、と今の世代は思うかもしれないが、当時はまだオタ差別は著しく、まどかマギカなどという萌えアニメを見ていることがカミングアウトできなかったのだ。
数駅くらい、歩いたところで俺の体力は尽きた。帰るのがダルくなったと言ってもいい。周りの人間たちから漏れ聞こえる被害状況を聞くに、心のどこかで動くと思っていた電車も、動かないことがわかってきたからだ。俺は近くのスーパーでなけなしの金でバナナを買って、フードコートの水を飲んで飢えと乾きを満たした。まどかマギカの10話が見られるかが心配で、その次にそもそも今日、どこに泊まるんだ?という思いがあった。
ということで、俺は近くの駅のポッポ屋さんに聞いて、避難所の小学校を紹介してもらった。たどり着いたのは、夕方ごろだろうか。そこには、俺と同じ帰宅難民のリーマンが何人かいた。俺が一番若くて、寝床のマットレスを運んだり、先生たちの手伝いをした。教室備え付けのテレビで、炎に燃える気仙沼を見て「関係ねえな、明日も仕事行かなきゃ」と語っていた、リーマンのおじさんの茫漠とした表情をよく覚えている。夕飯は乾パンだった。
夜。少し冷静になって。俺は件の割れ厨の先輩のことを思い出した。学校近くの公衆電話から、まどかマギカの録画を頼むために、俺は駆けた。「大丈夫だよ増田くん。MBS版はもう放送されてるからね。違法うpされたデータ回すよ」。先輩は、相変わらず元気そうだった。俺は大いに安心して、また気仙沼の火事を見に学校に戻って、ちょっとまた先生たちを手伝い、制服のブレザーをかけて、教室で眠った。
翌日、なんとか帰宅したが、普通にまどかマギカは10話以降放送延期になった。あ、あと親戚が2人ほど死んだ。例の阪神淡路のスピーチをした親類もそこには含まれていた。
そして大人になったある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東北出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。親戚や家族が死んだこと、放射線関係で差別されたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は東京だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。俺も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。歩いて駅まで帰ったんやぞ、まどかマギカのために。と嘘をつくと、彼は気まずそうに「なんやアンタ」と呟いた。
彼は俺より少し年下だったから、もしかしたらまどかマギカのことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。劇場版から入ったにわかかもしれないし。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
俺は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った千葉はゴミクズだったと信じている。そもそも秋葉原から遠くなければ、俺も簡単に帰宅してまどかマギカの録画云々なんて悩まなくてよかったし、千葉のオタショップの品揃えさえ充実していればよかったのだ。
俺も、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、Z世代や氷河期世代両方から馬鹿にされる「最悪の世代」だと言われている。確かに、地震は俺にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まあ今になるとまどかマギカとか大した作品じゃねえな、と冷静な評価を下すこともできる。でも、震災の時にふと過ったあの感情を、たまに思い出したり思いださなかったりするのだ。リーマンってなんで震災翌日も働くねん、という。
まああれだ。震災は一時のスリルというエンタメとしては面白かったが、アニメの放送延期からわかるように日常生活に大きな影響を与えるのは間違いない。
そして、俺は思うのだ。
はてブでホットエントリ入りしていたので読んだけれど、中身については共感する部分もあるって感じかなぁ
でもさヨッピー、若いなぁ
結婚して子供ができて何かと色々考えるようになったんだろうけど考えてきた期間・年数・長さが足りてないよ
いやぶっちゃけて言うよ
俺はヨッピーが父親になって色々と今まで考えてこなかったことを考えるようになり、そしてその考えや思いつきを外部へ発信するということに対して物凄く好意的に見ている
ケツに青さが残る考えを開陳する恥ずかしさ、これを記名でできる若者がどれだけ居るよ?
ブコメでやいのやいの言ってる連中も、こうして匿名ダイアリーでお気持ちを表明している俺も結局は安全圏から物を言ってるだけよ
だからヨッピーはすごい、と言いたいわけじゃあない
ヨッピーの記事を読んでさ様々な意見が出たあと、後出し孔明的にヨッピーの考えのこの部分は確かにダメだよねと気付いた連中がどれだけ居るのか?って話だよ
議論が深まっ太郎じゃないけれど、こういう青臭い考えが公開されるからこそ気付く人たちが増えていくのは間違いないのよ
ヨッピーの子供産まれたの2021年の10月だっけ?しっかりググってないから定かじゃないが子供は1歳くらいか?
世に居る親父どもに聞きたいんだけどさ「父親歴1年の男の父親としての自覚や子供の将来を想う考えの深さ」ってどんなもんよ?
その道はいつか来た道、経験者としてさ、父親1年目のヨッピーの考えはどのくらいの歩みだと経験者として振り返ることができる?
俺はさヨッピーに父親の先輩としてこう言いたいのよ
「なるほどな!わかるぜ!」
だって俺も先輩たちからそう言われてきたからな、次は俺がそう言ってあげる順番なんだわ
そして「でもな?これからの時代、男だの女だの言うこと自体が間違いかもしれねぇぞ?」と続けるのが俺の役目であり、俺が先輩にやってもらったことなんだわ
自分の子供が男の子でも女の子でも親ならば、親父ならばどんな風に育つのだろうか?どんな風に育てられるだろうか?と考えるのよ。一部例外はあるかもしれんけど
そこで気付くんだわな、男の子には男の、女の子には女の、性別へ強固に紐付けられたキャリアパターンがあることに
そんな性別へ強固に紐付けられたキャリアパターンを打破することが理想的な社会だってのは万人が認めるところなんだよ
青臭いガキどもへハッキリと自覚させてやるから今から言うことを心の真ん中で受け止めろ!
「性別へ強固に紐付けられたキャリアパターンを打破する道を親として子に推奨できるのか?」
自分の子供がその道を歩むというのであれば、俺は親父だ、全力で応援してやるよ
だが、だが、だがしかし、右も左も分かっていない決まってない子供へ対し、親としてその道を推奨できるのかお前らは
お前らは俺の子供に困難な道を歩ませろと言うのか、お前らは他人の子供へ人生をかけた博打をしろと言うのか
性別へ強固に紐付けられたキャリアパターンを打破することが理想的な社会であり社会正義であることは間違いねぇよ!?
俺の子供がそういう道を歩むのであれば俺は自分の人生を命をかけて性別へ強固に紐付けられたキャリアパターンを打破する運動を展開できるよ
でもなぜ俺の子供が戦わなきゃならないのか、戦うのは、最前線に立つのは俺やお前ら大人たちなんだよ、他人様の子供に戦えと大人が押し付けるのは間違ってるんだよ
俺たちが、お前たちが今のクソみたいな社会を支えてんだよ
ヨッピーが女の子の職業として服飾などをイメージしてしまったのは、青臭いながらも自分の子供の将来を考えた結果なんだよ、その道がキャリアパターンとして強固に整備されてしまっているからこそなんだよ
俺が、ヨッピーが、お前らがこういうクソみたいな社会を支えてんだよ
俺は不自由でも良い、でも子供には自由で居て貰いたい
まだヨッピーはこの段階じゃないからこそ青臭い考えしか持ててないだけなんだ
子供が独り立ちした俺にはさ何を言っても良いから、世の中に少なからず居るだろう駆け出しの青臭い親父にほんの少し耳を傾け、優しく成長を見守ってやってくれねぇかなぁ
最初に断っておくとこれはどちらの陣営を揶揄・批判・擁護するものではありません。
例の団体に限らず左派は裁判やら記者会見やらネット工作(笑)やらでブルージャパンしてキャンセルカルチャーを批判対象に対して行っていた。
実際にそれは有効で、近年でも左派・フェミ界隈に対し批判的な言説を行っていた人物がお手紙でその地位から引きずり降ろされ
社会的地位と収入を奪われ弱者男性へと転落していった事は記憶に新しい。
実際に必殺・キャンセルカルチャーを繰り出す前にも、お得意のネトウヨ差別者レッテル貼りの連呼で
批判者を「こいつは社会正義に反しているからこいつの言動には価値が無い」という流れに持っていき、黙らせていた例は枚挙に暇がない。
もちろん一企業などの「そもそも反撃出来ない、し辛い」対象を選んで攻撃、悪く言えば殴りやすい相手を選んで殴っていたのが、今までの左派リベラルのやり方だ。
勿論批判者である左派は「正義の人」なので、キャンセルカルチャーに対する批判はアンチの悪質な嫌がらせとして一蹴していた。
そのやり方を多方面にし続け、ヘイトと恨みを青田買いした結果の先に、暇空という「キャンセルされる社会的地位も名誉も無いが資金力(戦闘力)がある」
本来であれば左派にいそうな無敵の人(社会的に)を産んでしまった。
彼は元より左派が自称している「正義の人、存在」でも無いので、彼をいくら悪魔化した所であまり効果が無く、逆に批判する言動の汚さが中立的な立場からも嫌厭される始末だ。
(恐らく氏の発信力が失墜するには、ここでは書けないレベルの「痛い腹」や所謂下のスキャンダルが無いといけないが、今の所は見えて来ていない)
目的はともかく手段は正しい彼の手法は、言ってしまえば今まで左派リベラルがやっていた「合法的な嫌がらせ」をパターナリズムして模倣している様にも思える。
虚実ないまぜの問題をぶちあげ世間へアジテーターしていく様は、一昔前の「ヘイトスピーチへのカウンター」活動を見ているかの様だった。
しかし暇空は左派リベラル的には「男でオタク」という倒すべき悪であり、世間からも同情されにくい属性を持っている。
対する左派リベラルは「女性」を押し出し、女性の弱者性を盾にして少々の批判や矛盾をさばいてきた。
「これは女性差別です!」というヤツだ。実質社会的強者である女性が使える最強の盾である。
恐らくColabo側には女性の盾がある限り、世間からの同情も買いやすく完全勝利とは到底いかないだろう。
だがしかし、左派に批判的な者が左派の手法を模倣して暇空という無敵の人を排出した様に、今後はアンチ左派・フェミ界隈に対するカウンターとしての存在が生まれる日も遠くないであろう。
即ち、左派やフェミニズム言論に否定的で、キャンセルされる社会的立場も無く、拡散力が高く自前で資金を調達出来る能力のある「若い女性」である。
(個人的にはV界隈に候補者がいるのでは無いかと思う、何故なら彼女らの収入と社会的地位は所謂オタク文化の興亡と直結するからだ)
勿論彼女らのバックには「男」がいるのだが、女性を全面に押し出し最強の女性の盾を使うというのは左派の常套手段である。
左派アンチも馬鹿では無いので、この手法を模倣する日は遠くない。
ぐっ
しまった。すまなかった
なんども見たのだがまぬけだった
だがしかし、それはそれとして
指摘する側にもそれはふくまれてるのでは
(しかたなしだが)
簡単だとのたまってる御仁も、これはだめそれはだめともろもろためしてみると
思慮のほか楽しみをみつけられるのではと感じる
この魔眼に備わった力はとても恐ろしい力である。
まずこの魔眼はあらゆる情報を読み取ることができる。
今もこのスマホからあらゆる情報を読み取って自分に都合の良いデータを収集している。
そしてこの魔眼はその情報を蓄積することができる。
魔眼が蓄積するというか後ろにある脳味噌が上手いこと処理して覚えていてくれている。
更にこの魔眼はそうやって読み取った情報を出力することが出来る。
いやよく考えたら脳味噌を通して手とか口とか身体とかを使って出力している気がする、魔眼で出来る出力は目を合わせ続けたり、まずいことがあったら魔眼を標的から避けたりするぐらいだ。
そして何よりこの魔眼を持っていることで視線を感じさせることができるのだ。
恐ろしいだろう。
唯一にして最大のデメリット、それはこの力を使う度に視力が落ちることだ。
異能の力を使うには何かしらの犠牲が伴うものだ、この力を使いながら文字を入力している今も『────画面、眩しいな。』という想いを抱いて情報出力に勤しんでいる。
世界中の魔眼の使い手達はきっと何かしらの対策を持ってこの魔眼の力を制御しきっているのだろうが、俺はこの狂った異能をなんとか抑え込みながらこの日記を書いている。
この日記を通して俺の想いが世界中の魔眼使いに届くことを願う。
ラノベやアニメ界隈では、もはや王道モノのジャンルである「異世界転生」モノ。
現世で冴えない容姿や才能であるゆえに冷遇を受けていた者が突然死んで、顔良し頭良し能力良しな状態で違う世界でド級なリア充生活を満喫するアレ。
有能で美麗な仲間だけに囲まれて、お互いを尊重しあって、高めあって、毎日が宝物な、そんな世界。きっとどこかにあるんだろうと夢見させてくれる。
これは言うまでもなく、実際に日々冷遇されている者の「本来なりなかった姿」である妄想を具現化してくれるアイテムである。
リアルには異世界転生なんてできない、でも現実ではしょっぱい目に遭ってる。マッチ売りの少女の、マッチのようなアイテム。それが「異世界転生」モノ。
しかし現実には、顔良し頭良し能力良しな状態で現世を生きている者がいる。
きっとさぞかし良い毎日を送れているに違いない。
そう思う。
だけど実はそうでもなさそう。
たしかにモテてる。黙ってても可愛い系若手女子から話しかけられまくり。
だがしかし話しかけてくるのは有象無象。可愛い女の子ちゃんだけじゃない。
相手が面倒くさそうなおっさん、他者依存してばかりの小僧、そしてなにより最も鬱陶しそうなのが、独身をこじらせたおばさん。
更年期大爆発の異常なテンションで、ねっとりしっかり毎日長時間絡みついている。
だけどそれなのに呼んでねぇやつらが次から次に訪ねてくる。
特段やっかいそうなのが、冷え切った家庭を抱えたしょぼいおじさん。
ワンチャンスあるかも?!とギトギト油の顔をニヤニヤさせて来る日も来る日もどうでもいい用件で話かけてきてる。