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はてなキーワード: たことは

2024-05-06

anond:20240506175053

面白い考えだけど俺はちょっと違うなと思う

なぜならリベラル資本家を敵視してるので、休まず働けという論理には否定的から

それに海の向こうで女がしている負担を都合よく無視する傾向もある

俺の結論は「休ませたことでキャリアが断絶してしまうから限定で更にキャリア下駄を履かせるべき」の方があり得るな

女性管理職の増加ではなく女性管理職の枠を作る方向で保護するだろう

そこに育休女性が選ばれるかはフェミニスト内の力関係次第

オタク好きな物はいくらでも金を使うというのは幻想ではないか

以前Twitterオタクはこんなに経済を回している、と言う広告か何かの文面が賛否を呼んでいた。

自分個人お金を使っているのが偉くてアイデンティティである、と言う価値観には懐疑的だがそういう考えをあえて否定する気はあまりない。

ただオタクかそうでないかに関わらずオタク金持ち好きな物に湯水のように金を使っているか金が無くても身の周りの物を削って『推し』に投資していると思っている人が大半な気がする。

勿論そういう方もいるのだろうが世の中なるべく安くコンテンツを楽しもうとする倹約オタクもいるだろうし自分がそうだ。

自分漫画ゲーム守備範囲だが小学生の頃から好きな漫画ブックオフで揃え新刊はほぼ買ったことが無い。

最近では基本は無料漫画アプリで読みブックオフの110円棚で集めた本をメルカリに売り格安漫画を読んでいる。

活字本も読むがほぼ全て図書館で賄い無ければリクエスト中古で買うとき買い取り価格リセールバリュー意識して買う。

一番好きなゲームも最新のNintendoSwitchを最近まで買っておらず去年ようやく貯金して有機ELモデルを買った。

それまでは3DSプレイステーション3我が家の最新機種でメイン機種は中古ソフトが安く揃うスーパーファミコンプレイステーション2だった。

もちろん実機プレイである

ハードオフジャンクコーナーに足繁く通い110円で良ゲーを揃え遊び終わったときリセールバリューまで考えて買い物する。

漫画ゲームも楽しんだ後元手を最低でも半分以上回収するためリセールバリューを考え買う。

ダウンロード版は売却できないのでほぼ買わない。

漫画は110円棚に並んだ日がその本の発売日だと思っている。

このような事を書くとお金持ちの方々から作者やメーカー利益を訴えられそうだが作者やメーカーだけでなくユーザーにも生活があるのである

新作が出なくなったら旧作を遊び尽くせばいいじゃない。

もちろん富裕層オタクの方々は全力で経済を回して欲しい。

ただダウンロード版を買わず現物を買い堪能した後は安く中古に流して欲しい。

養育費を払っても会わせてもらえない父親に会ったことがある

知人の男性

「いつかは会えると思い毎月養育費を払っていたけれど成人しても子どもに会わせてもらえなかった。後悔しているのは倫理に従って子どもを連れて出なかったこと。家を出た瞬間から敵だとみなされましたよ。」

と話していた。

あくま一方的意見なのでどこまで本当かはわからないが男性側は悪の権化のように奥さんから子どもに伝わっているらしい。

ニュース見ていると芸能人

「たまにしか会わない人が父親面するな」

とか言っているけど、きちんと養育費払っているけれど奥さん側の意向で会わせてもらっていない人もいるのは知っておいて欲しい。

本当は養育費を毎月払っているかもしれませんよ。

anond:20240506115921

ここで俳句解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアル相談した方がいいよ。

…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト文脈)に依存する芸術からだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力もつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。


それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。

「ここで昼餉(ここでひるげ)」

初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わず17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこち公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。

ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)

「真赤な夏の/花佇つゆゑ」

最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初のんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。

もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。

一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くそ花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的楽天的天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。

二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかたからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反用字である

結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。

そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的俳句もっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用物語調で独特だ。一般的俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか

まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。

anond:20240506151820

町議リコール結果的に正当であったからといって、リコール手続きが不自然であったことに対する指摘を謝罪しないといけない理由がわからない 両者は並立するでしょう

anond:20240506160611

法律にも穴はあるんだよな…

特に産休育休関連の話で

「でも法律で決められてる権利から、使って何が悪いの」

って言い訳思考停止する人多いけど

社会実態に合ってないか改訂される法律なんていくらでもあって

産休育休関連も社会実態に合ってないよねって言ってるんだが?

 

「この法律おかしいよね?」という問いかけに

「でも法律で決まってることだから」って返してくる人が多すぎる

うーん、それぞれのスタンスがズレて空中戦になってるんだろうなあ

エスパーなっちゃうけど、取る側からしたら法律おかしいかどうかは知ったこっちゃないしこっちに言われても困る死ね、をオブラートに包んで「法律で決まってることだから」と返してんだろうなあ

おかしいというのはまあ結構だけどそれはい相手を選ぼうねえ

身長にこだわってるの男性しかたことない。」

さすがにそれは個人観測範囲ってレベルこえてる。常識的感覚がずれてるとおもいます・・・

とある観光地で聞いた話

信じるか信じないかはあなた次第で。

GW中に行ったとある国内観光地での出来事

同行者が若干スピ好きで、パワースポットを案内してくれる女性ガイド個人ツアーをお願いした。

どんなもんかなと思ったが解説が丁寧で人柄も良かったし楽しかった。

で、その女性ガイドは「見えるひと」なんだそうで、オプションで「おつなぎ」をしてくれた。

守護霊を見るか、親しかった故人からメッセージをもらうか、みたいな感じ。

守護霊って誰にでもいるというけど、スターとか有名起業家とかはその数も多いんだって

応援隊みたいなもので何かあったとき助けてくれる存在から守護霊の数が多い人は常に大勢から応援されアドバイスされ、

なんか困ったときにも救いの手が無数にあるってことらしい。

それを聞いてちょっと羨ましく思った。

大谷翔平サンには守護霊何人いるんだろ、とか。

で、自分も同行者も守護霊を見てもらった。

同行者には中国人商人3人がついててずっと喋ってるらしい。

同行者は話好きなのでらしくて笑ったけど、その雰囲気を見て言ってるんじゃないかとも思った。

自分は「今見えるのは1人です」って言われてちょっとがっかりした。

守護霊はどこかへ出かけてるときもあるから」って言ってたけどフォローじゃないのかな。

先祖にあたる女の子なんだそうで、絵を描いてくれたらおかっぱに着物で、座敷童みたいだなと思った。

まあそれはいいんだけど、女性ガイド曰く「女の子が、あなたが困っていると言ってる」と。

それで「知らない人から悪口を言われたことはありますか?」と聞かれた。

すぐに思いついたのは少し前にネット上で叩かれたこと。

詳細は伏せるけど、炎上してインフルエンサー個人情報拡散されて、まとめサイトにまとめられて叩かれた結果何が起こったか想像してもらえれば大体合ってる。

正直あんまり思い出したくない話だし、ましてや初対面の相手に言いたくない話なので、自分は「いやー、どうでしょうねー」ってはぐらかしたんだよね。

そうしたらその女性ガイドが、

インターネットの中は念が行き来しやすいです」って言った。

ネットことなんて言ってないのに。

まあ現代で「知らない人から悪口を言われる」状態って、大体インターネットのことかもしれないけどビビった。

なんか自分も生き霊飛ばされてる、みたいなイメージがずっと頭にあったから。

ここからは、その女性ガイドが言ったことの自分なりの要約。

メモとかとってなくて一度聞いただけの要約なので、ちょっと間違ってるところとか、自分勝手解釈しちゃってるところもあるかもしれない。

インターネット世界は目に見えないものだけど、目に見えないものにも念は宿るし、生きる。

大勢の念が集まっているので、それはそのうちに合体・成長して生き物みたいになる。

昔はよく、古い鍋とか皿が妖怪になるって言われたけど、今はインターネットの中に妖怪がいるみたいなものだって

それでその妖怪寄生先を探している。なぜかというと、そのほうが行動しやすいから。

幸せなパワーはパッとその場で散りやすいけど、悪意はジワーってシミみたいに残る。

悪意の念の方が圧倒的に強いので、基本的インターネット妖怪は悪意妖怪

悪意妖怪は仲間を増やすために、寄生先にもっと悪意を書き込ませる。

寄生先は人格を乗っ取られちゃって、今は悪意妖怪ネットの中だけじゃなくて現実にうじゃうじゃいる。

同行者がじゃあ悪意妖怪普通人間を見分ける方法はあるのかって聞いたら、○色と○色を好むようになるって言ってた。

これ何色か書いたら「お前それあのアイコンインフルエンサーのこと言ってるだろ」ってなるから書けねえ。すまん、適当想像してくれ。

Twitter連想させる青とか黒ではない。あまり暗いイメージの色ではない。

あとその女性ガイドから忠告っぽくパソコンの前で「○したい」「○にたい」とか考えない方がいいと言われた。

悪意妖怪寄生先に選ばれるからだそうです。みんな気をつけてね。

自分が叩かれまくったとき「こういうことしてくる相手はどうせ現実世界幸せじゃない」って考えようとしたんだけど、

悪意妖怪の話がマジなら、悪意や不幸は伝染して増えていく一方じゃね?って思う。

たぬかなってネット日本女性標準的な口の悪さだよな

フェミニストリベラルを見てたらそう思う

たぬかなの敗因はリベラルフェミニスト的な発言をしなかったことでしてたら英雄になって政治家になれたよ

電子書籍は急に読めなくなる」って言うヤツほど電子書籍向き説

電子書籍メリットなんてテキトーに調べれば出るしどう思うかなんて人それぞれだから省略して、見て見ぬフリすればいいのにわざわざ電子書籍を叩いてる人に提言したいのがタイトルのこと。


今まで買った本や漫画のうち、手元に残ってる割合ってどれくらいなの?

その中でさらに、火事か何かで失ったとしても絶対に買い戻したいものってどれくらい?


俺、今まで数えきれないくらい本も漫画も買った。紙も電子も含めて。kindleで数えたら600冊は買ってるらしいし、kindle unlimited含めたらさらに数百くらい上乗せされると思う。

でも、記録してる読書メモとか本のリストとかと照らし合わせたら、買い戻したい本ってたかだか30冊くらい。残りは「必要な時に買う」「どうしてもってほどじゃない」って感じ。


紙の本や漫画無尽蔵に保管できるならいいけど、そんなハズないから手放す必要があるでしょ。人によると思うけど年一くらいの頻度で本棚整理するでしょ。電子だとその手間もないし、サービスが続く限りは置きっぱなしにできる。

著者がやらかしたとか何かで読めなくなるケースは知ってるけど、そんなのレアケースだし、現に(見落としてるかもしれないけど)俺が持っている本がそうなったことはない。


から相対的に見たら紙で持つより電子書籍で持つほうがより長く保管できるんじゃない?

「急に読めなくなる」なんて、SaaSなんだからサービス元の都合で利用できなくなるなんて当たり前でしょ。そんなの理解した上で買ってるもんだと思ってたけど。

anond:20240506150148

別に元増田問題提起した時点で論点はあるんだが?

誰が問題提起してもそれこそ関係ないんだよなあ。都合悪くなったら、無かったことにしたいんだなあ

anond:20240506144410

論点があるから反応してるだろうに。都合悪くなったら無かったことにする。クソみたいな詭弁やね

プロフェッショナル流儀を見てコナンについて思ったこ

コナン殺人事件トリックありきでエピソードを作っており、ストーリーはそれに絡められそうだったら絡めているという制作スタイルだった

個人的には、ストーリーの進みが遅すぎる弊害が出ていると思う。

時が全く進まないのに、携帯がいまやスマホになるとか、人物思考がとってつけたように感じられるとか。

しろストーリーありきでその中にトリックを入れるくらいの制作の方が、ストーリーとしては自然になるんじゃないかと思う。

ギャグ漫画が途中からシリアスストーリー漫画になるみたいな進め方が良かったんじゃないかなと思う。

まり黒の組織編だけやれば良くないか

anond:20240506134216

いうてからあげクンレッドくらい食べたことあるだろ

と思うけどたまにそういうのすら無い人いる

anond:20240506134003

幼少のトラウマを今更言われても困る

それを大人になってもいい続けるの、醜いしみっともないしバカ

大人は『許す』ものだよ?

『許さない』なんて意地はって泣き続けるガキの所業

心がおこちゃまのまま、体だけおっきくなったんだねぇ〜

同じ話題を何回も持ち出すな

anond:20240401072248

毒親イジメトラウマを語る奴に言いたいのは

大人なら昔のことをギャアギャア言うなと言うこと。

大人なら許す。許さないのはガキ。

anond:20230914202841

虐待トラウマをウダウダグチャグチャ抜かすのはクズ

大人なら『許す』んだよ。

過ぎたことを許さずギャアギャアと根に持ち、事あるごとに親へ言う者は例外なくクズ

育ててもらったことを感謝しろ。出来ないなら口を噤め。

anond:20230507115807

いじめを根に持つやつはゴミ

大人なら「許す」のが普通

過去のことを根に持ちいつまでもグチグチギャアギャア言うやつは、いじめられて当然

いじめられて歪んだ?だから何だ?歪んだお前が悪い

昔のことを今でも根に持ち、恨み続けるカスには社会的排除必要

anond:20240506130018

あれ一人称が「私」だったこともあり最初女性が書いてると思った人も多く態度の表明に困る雰囲気だったのが

男だと判明した瞬間に「叩けー!!! 行くぞみんなー!!!」って燃え上がってて面白かったよな

新茶と聞いて美味そうだとおもってwikiとか調べるんだけど

こうやって調べたことってすぐ忘れちゃって教養にも何にもならないんだよな

かなしい

anond:20240506135107

真空の中に放り出されたら、

真空ってお前が言ってるだろ!

謝れ!!!

間違ったこと言ったことを謝れ!!

anond:20240506133950

一度も異性のオンリーワンになったことがないという呪いは相当強固やから

anond:20240506134003

許せないことをなかったことにされるくらいならガキのままでいい

恨みは大切に、後生抱えて生きていく

anond:20240506130619

自分ご飯選んでみたり、友達と食べに行ったりとかしてママンの作るもの以外の食べ物に興味持ったことないの?

たまに食に全く興味なくて母から提供されたもの以外発想になかった…みたいな人見る

女性の考える「強さ」がわからない

女性向けのフィクション女性主人公が強キャラから「お前は強いな」と言われるシーンがよくあるけど、納得できたことが一度もない。

最近読んだ例だと、[やり直し姫は夫と恋したい](https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496389553638) (女性向け漫画、おそらくは女性漫画家)。

[蜘蛛ですが、なにか?](https://ncode.syosetu.com/n7975cr/)(小説、おそらくは女性作家)でも、強いだヘタレクズだといろいろな評価が出てくるけど、どこに境界線があるのかまったくわからない。

発信という呪縛

SNSが普及して何でもかんでも気軽に発信できるようになって以来、本を読むにもゲームをするにも、その後に何かしら発信することを意識するようになってしまった。

意識が高くなったというよりは、得た情報を何らかの形で発信(アウトプット)しないと、時間をただ無駄にしたかのような焦燥感に襲われるといった方が感覚としては近い。

ネットには、アウトプットには得られるものが沢山あるという言説が溢れている。いわく情報を整理する能力がつくだとか、ライティングスキルが磨かれるだとか、そんな感じだ。

しか個人的経験でいえば、そういう発信行為を行ったところで、虚無感以外のものを得られたことはほとんど無い。

もちろん、これは単に書いたものが読まれていない / 見られていないことが大本の原因なのだが。

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