はてなキーワード: すべからくとは
摩天楼の隙間をスタスタと通り抜けるような絵面の映画と、気が狂いそうなほど延々と続く住宅街やさびれたダイナーの出てくる映画ではやっぱり空気感が違うような気がする。共同体への帰属意識だとか、人との距離感だとか。それは意図された描かれ方なのかもしれないし、作り手の心象風景がそうさせてるのかもしれない。
でもアメリカの実態なんて何も分からないし、一握りの都市部のリベラルと田舎のゴリゴリのコンサバみたいな対比も情報上のものとしてしか知らない。本当にそこまでの差違があるのかも分からない。
自分の住んでる日本ですらも住んでる近辺くらいしか知らない。別に冷たくもないけど、温もりを感じるかって言ったらそうでもない。人の靴踏んどいて謝らないカスもいるけど、最低限の敬意を持った人だってごまんといる。人間すべからく労働して結婚すべしみたいなものをごく当たり前に内面化していそうにも見えるし、テレビで見聞きする新たしいジョーシキに迎合するポーズを示そうとしたりもする。別にどこもそんなもんじゃね思ってる。旅行に行ったくらいじゃ、人の違いだとか空気感の違いをそう感じる訳でもない。
自分の行動範囲や人付き合い、視野が狭いのかもしれないし、場所が変わっただけで人がそう変わるもんなんだろうかって気持ちもある。
社会人サークルなので、年代は幅広い。20〜40歳の男女である。
顔(口や鼻、頬)に触れたり、腕を組んだりするのである。
正直見苦しいは見苦しいのだが、まあ女→男であるし、被害を受けた男性メンバーからも不快という声はないので、これまで看過してきた。
そして最近。
飲み会の席で、とある男性メンバーから肩に触れられたり、話す距離が近すぎることがあった。不快であるから、幹部から何かしら注意をしてほしいとのこと。
それはいけない。いくらサークル活動とはいえど、セクハラはあってはならない。
当該の男性メンバーを呼び出し、個別に指導し、サークル規約に則って誓約書にサインを求めた。
今後このようなことが必ずないように。
誓約書の内容は、次があったらブラックリスト名簿に入れて、サークルとの関わりを断絶することを記している。
すると、当該の男性メンバーは、女性メンバーへの身体的接触があったこと自体は認めたものの、不服な部分があったらしい。
「アラサー女性の過激なセクハラがつね日頃看過されているのに、自分のことだけ指導されるのは不服。アラサー女性にも指導があるべき。」
幹部側としては、
「接触行為がセクハラであるか否かについては、セクハラを受けた本人がどう感じたかに依存する。アラサー女性の接触行為に関しては、被害の報告がないため、指導にあたらない。」
という回答を出した。
そんな会話をしながら、
アラサー女性の「セクハラになりうる接触行為」を看過している事自体が、「セクハラとなりうる行為」そのものを助長する環境の温床になってしまっているのかもしれないなあ…なんてことを思った。
また、サークル規約のブラックリストにかんするルールで、セクハラの扱いが、「された人がいやだったかどうか」というフワっとしたものであるのも、ちょっと良くないんかな…と思った。
「セクハラとなりうる行為」の具体的な内容は、アラサー女性の接触行為のほうがよほど悪質であるのは確かだな…と。
明確な悪意というか、害意がなかったのは、アラサー女性も、当該男性も、同じだと思うんだ。
酔っ払った席で行き過ぎてしまっただけ。
それとも、同意が無い接触行為に関しては、被害者の感情に寄ること無くすべからく平等に裁けるルールであるべきなのか?
難しいぜ。
「そんなんで(大人、社会人、親、等の文脈上は然るべき他者への配慮をすべからく持つべきである、といった意味合いが込められたと思われる任意の単語)として恥ずかしくないの?」
この問いかけは疑問ではなく反語であり「はい恥ずかしく思います」という返答を想定している。
想定通りの返答をすると、こちらが立場に応じた然るべき義務を果たさなかった事を認めた、と相手は受け止める。これにより相手はこちらに非があったという結論を相互間の認識とし、納得してその場が収まる。
また相手はこのようなの流れを然るべきものとして想定している。
想定に反し「いいえ、特に恥とは思いません」と返すと、そうですか、それは価値観の相違ですね。と話が終わってしまう。
相手はこちらに非があったと認めさせる事、また場合によってそれに応じた何らかの措置を要求しているため、このまま話が終わる事を望まない。
議論の続行を目論み、道徳観が共有されていない事を承知の上で、自分の価値観こそが正常なものでありこちらのそれは誤ったものであると主張する。また、場合によりこちらの価値観を改めるよう要求する。
このようにして、価値観の相違により生じた紛争をこちらの道徳観に還元して解決を図ろうとする。
この場合、「人間性(この場合、社会性と同様の意味で用いられていると考えられる)を疑う」といった表現が用いられる。
こういう文脈でよく使われる「人間性」って言葉が嫌いです。ほとんど「お前が気に入らない」と変わらないような意味なのに、なんか自分は正当な側に立っているって信じて疑わないような感じがするんで。責める内容が常識の範疇に収まるような妥当なもんならともかく、こういう言葉を使う人に限って自分のマイルールに過ぎないようなことを他人にまで要求してたりする。
私ふと気付いたんだけど、
スプラトゥーンのフェスのさ100倍マッチとか333倍マッチとか10倍マッチもしかり
貢献度の絶対値ってもしかして関係なくない?ってことに気付いた誰か数学の偉い人教えて?って感じだけど
1つ勝つ一生一勝することは確かに大切だけど、
貢献度のポイントはもしかして割合だからそんなに10倍でも333倍でも関係ないのでは?って思ってしまうこれももしかして数字のマジックに私たちは騙されていたのかしら?
これは私の思い違いなのかしら?
あとさ、
塗りって基本なんだけど
一番大事だなぁーって思うの。
それは攻めには弱かったりするし、
やればやるほど納得感が増してくるのよね。
私が思う
塗りも強くて射程も長くて攻めも強いと一瞬思った
即射の塗りは面積は広く塗れるこそ、
接近してきた敵には即キルには及ばない火力だし
本当にバランスよく考えられているわーって
ポイズンミストをかましてから相手の動きを遅くしてセブンファイブオーライダーで仕留める!ってやつ!
でもそれはそれで、
ポイズンミストをかましたとき残りのインク量は絶妙な減り具合なので、
その残りのインク量
つまり当てずっぽうに狙って当てようとするとインク切れになっちゃうので
もうさー
いい戦い方だけど、
これキル逃しちゃったらこっちはインク切れで逆に相手の逆襲を喰らうって。
よく考えられてるわー。
やればやるほどそう思うのよね。
あとやっぱり火力は強い最強だけど
チャージが遅くってどうにもならない超重量級の「ハイドラント」
私はそれに変わる手に馴染んだ新たなるスピナーのブキを探すべく色々と試し撃ちをしていたら
色々使っていてなるー!って思ったのは
そうね
なるー!って言うのはなるほどー!って言う略だから
秋の祭典スペシャルじゃない方のなるほどなのでそこは間違えないで欲しいところよ。
そんでね、
そのいろいろ試し撃ちをしているスピナーで
いろんな特徴を有していて
チャージ後インクを射出中にもかかわらず途中でまた再チャージできるものとか、
ああ!なるー!って思ったのよね。
そんな秋の祭典!
でもどうしても私が思う射程距離と火力のキルさ加減で好みなの「ハイドラント」に変わるブキは
「バレルスピナー」ってことで
旅のテーマが決まったところよ。
こっちもチャージが速くて飛距離も「ハイドラント」に劣らずキル力も高くって手に馴染みそうよ。
スピナーは「ハイドラント」しか勝たん!って思っていた時代が私にもあったけど
やっぱりいろいろなブキを試し撃ちして合点がいくまで試すしかないわよね。
あとさ
ブキチの試し撃ち場で撃つブキの射程はバトルステージより短く感じてしまうのは気のせいなことは気のせいかも知れないわ。
きっと気のせいね。
と言うことで、
「私とブキ」をお送りしたところで
うふふ。
鮭おにぎりね。
とにかく凄い自信なの!
新たに作るわ
二択だけど。
朝方もだいぶ涼しくなってきたから
そろそろ夜のエアコンもタイマー運用してもちょうどいいかもしれないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
例としては以下のような感じ。
課金 金を払うって意味ではなく、金を払わせるって意味。課税の意味を考えればわかる
確信犯 自分が正しいと思って行う犯行。政治的、宗教的な場合が多い。結果がわかっていながらやるのは故意犯
おもむろに 突然とかではなく、ゆっくりと
すべからく 当たり前のこととして
姑息 その場しのぎ
潮時 ちょうどいい時期、チャンス
役不足 本人の実力に対して、役目のほうが軽すぎること
もう世間では普通に使われている単語なので、いちいち指摘するのは野暮だとわかっているのだけれど、小説とか漫画のような本に出てきたり、不特定多数の人に発信するような人が使うと気になってしまう。
それが、自分が好きな作家とかだとちょっとがっかりしてしまう。
おそらく俺以外にもこういう細かいところが気になる人は居るとおもうんだよね。
そして大抵の人は周りに合わせて「ソシャゲで課金した」と言わざるを得ない環境にいると思う。
そういう人たちはどうやって折り合いをつけてる?
よく言われるのが「言葉の意味は変わっていくものだ」というものだけど、さすがに課金と納金みたいな真逆の意味が常識となってしまうのはおかしいと思うんだよ。