はてなキーワード: すぐきとは
子育ては苦労ですとかストレスが溜まりますと言ってる人はこうなんです。
私が「子育てなんて全然苦労しませんでしたけど」と言うとカンカンになって
「あなたは嘘ついてますね」「あなたが特別な人なだけ」と反論してきますが、
実際は私が特別なんではなくその逆で、ストレスを溜める人はストレスを溜める為の行為を繰り返してるだけなんです。
それ自体はまあ良いけどって感じだったんだけど、
「なんで靴を履かないで遊んでるの?」って聞いたら明らかにニヤニヤしてこっちを舐めきった顔で何も答えないの。
靴を履いて欲しいなら「靴を履かないといけません」と言えばいいのであって、
それでちょっとイラッとして、夕方遅くなってきたし、「もう帰ろう」って言ったけど相変わらずニヤニヤ。
あれだよ、友人と一緒に居て気が大きくなって身内に舐めた態度取るやつ、明らかにそれ。
そんなの「明らか」でもなんでもありません。
気が大きくなっているとか舐めているとか友達が居るからとかは全てあなたが考えたことです。
犬ですら、老犬なので私が特別に健康に配慮したご飯を作ってあげるんですが、呼んでもすぐきません。
ここで私があなたみたいにいちいち余計なことを考える人だったら大変です。
「私がこんなに苦労してご飯を作ったのに」
「呼ばれてすぐ来ることぐらい出来る筈なのに」
「何の仕事もせず寝てるだけの癖に」
「この犬はお礼を言ったこともない」
犬のご飯のたびにストレスがたまってたまって、心の病気になっちゃうでしょう。
犬を蹴飛ばすか、家族に当り散らすようになるかもしれません。
私の場合はご飯を作る時にも犬を待ってるときにも何も考えません。
「そんなもん」ということすらここで説明の為に書いてるのであって、意識もしていません。
怒った態度を相手にぶつけて相手が泣いたことでますます怒っています。
靴履かせて「その泥だらけの靴下誰が洗うの?」って言ったら「自分で洗う」って。
今まで一度も洗ったこと無いくせに。
「靴下が汚れたので洗うのが大変です」と伝えればいいでしょう。
そもそも私ならどろんこ靴下を洗うぐらい大変だと思いませんが。
なんなら一緒に遊んでたよその子の分でもまとめて難なく洗ってあげます。中が汚れた靴も。
「靴下が汚れてるから玄関で脱ぎましょう」と言えばいいだけです。
そこまで考えられなかったお母さんなのでない限り、
あなたはもっと怒るチャンスが欲しくてわざと子供の行動を待っていましたよね。
あなたはとっくにどうにかなっていますし、我慢なんかしていません。
「我慢している自分」「我慢させている子供」という次の怒りの燃料を得てもっと怒りたがっているだけです。
怒る人は怒るのが気持ちよくなっていつでも怒る材料を探しているんです。
怒って怒って誰かを憎んだり自分は可哀想だと考えたりしてる時に気持ちいいんです。
「んー。。。なんか、疲れちゃったから」
そうかあ、疲れちゃったかあ。私は疲れても朝食用意して仕事して買い物して掃除して夕飯作ってお風呂入れて洗濯干してってやってるけどね。
何も感じずにその時々の仕事に集中してきました。
私がもしあなたのように考える性格だったら「子供と夫にものすごく尽くして恩を施してきた!」「返せ!」と
いま恨みや怒りで一杯になって毎日暗い気持ちで過ごしているでしょうし、
あれだけ叱っても何にもこたえてないのかあと思ったら笑いながら泣いてた。
怒るのはその人の性格の問題であって、勝手に怒ってるだけです。
だらしのない行動でしか有りません。
でもあなたの了見では「私が怒ってるのは私が被害者だからで、私が可哀想な証拠」「私が怒ってるのは私が周囲に債権を持っている証拠」となっているでしょう?
だからどんどん怒るのが正当だと思って怒ってるんです。
あなたのような人が「我慢してる」というのは本当はその間も怒り続けていて、
しばらくして「こんなに我慢したのにあなたは私を怒らせ続けた」とますます怒るための前フリの口実なんです。
実際には残念ながら、
人は誰かが怒っていれば嫌な気持ちが移ってくるので離れようとするだけです。
あなたのような人に「とっても可哀想!怒って当然ですね!」と擦り寄ってくる人は
あなたと同じように怒りを快楽に感じる性格を持っていて、お裾分けを受けに来ているだけです。
その人達の同調を受けてますます怒りまくっても、自分の性格がますます暗くなり、人生が破綻するだけです。
娘は「泣いてるの?笑ってるの?www」って笑ってた。
呆れたり怯えたりしています。
怒るための材料を沢山沢山探して心がくたくたになるまで探すんです。
こういう話に「あなたはおかしい」と書き込むと怒られるのは知っています。
けれども「あなたの怒りは正しい」と肯定されたらこのお母さんは同じこと繰り返しますよね。
おかしい人に同調する人達って、一見優しくしているようで無責任です。
私はこのお母さんみたいなこと考えたこと一度もありません。
だからなんですか。
それがよその子であってもまとめて洗ってあげますよ靴下ぐらい。
そんなの15歳の子でもそんなもんです。
たぶん25歳でも35歳でも。
まして靴下洗ったことがない子なら、まず洗い方を教えてあげないとやれるわけないでしょう。
私の子は中1から靴は自分で洗うようになりましたが靴下はいまだに自分で洗ったことがありません。
必要になったら自分で洗い方を学ぶか聞きに来てくださいという気持ちでいます。
どうでもいいです。
ここでテーマの変遷を見てみよう
年 | 24時間テレビテーマ | 参考:京大学祭テーマ |
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1978 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 振りかえれ人類の歴史を みつめよう青年の未来を もどすな歴史の歯車 我らの文化は我らの手で |
1979 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか |
1980 | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! | 友よ! この変革のとき 時代の胎動に耳をすまし 共に奏でよう 希望の交響楽を |
1981 | アジア・アフリカの障害者のために! 国際障害者年記念 | 今、戦争と平和の対峙の時 80年代の行く手を示す羅針盤を我らの手に |
1982 | ストップ!ニッポン姥捨て時代! | 草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひとおがんで むせび泣く 人は昔にゃ戻れないピーピーヒャララ ピーヒャララ |
1983 | 君の地球のボランティア! アフリカ飢餓緊急援助! 世界コミュニケーション記念 | 万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし |
1984 | この地球の未来は子どもたちのもの! | 海を、荒れた海を見つめながら 彼女は呟いた 「わたしは誰?」 |
1985 | アフリカ飢餓救援 | もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち |
1986 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! | えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん |
1987 | SAVE THE CHILDREN | 白い乳房の上の11月祭 |
1988 | 君は地球のボランティア お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! | 裏からのぞけば 見えてくる |
1989 | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! | 堕落への誘い |
1990 | 地球を救え!10年計画 | ・・・・・・そして創造-草の根からのルネッサンス |
1991 | 雲仙・普賢岳災害救援! 寝たきりのお年寄りにお風呂カーを! 障害者に社会参加を! アジア・アフリカに海外援助を! | ヤルハ粋狂、 ヤラヌハ卑怯 |
1992 | 愛の歌声は地球を救う | 人が右なら 私は左 |
1993 | 出会い | 花も実もある 根も葉もない |
1994 | チャレンジ! | 古今東西 有実無題 若気至りて無限大 |
1995 | もう一度、チャレンジ | 我輩は京大生である 理性はもうない |
1996 | ONE LOVE 〜つなげよう!ひとつの愛〜 | 知と痴の融合 |
1997 | 勇気を出して | 狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥 |
1998 | いま、始めよう | 堕落の道も一歩より |
1999 | 伝えたい…夢のちから! | 素晴らしき無駄なエネルギー |
2000 | がんばる…君のために! | 無人島ダンス |
2001 | 家族って何? | それはそれ これはこれ |
2002 | 家族で笑ってますか…? | 総長! 京都を占拠致しました! |
2003 | あなたを一番愛する人… | やっぱ京大やし。 |
2004 | あなたの夢はみんなの夢 | 倒れる時は前のめり |
2005 | 生きる | せっかくだから |
2006 | 絆(キズナ) 〜今、私たちにできること | 溢れる才能の無駄使い |
2007 | 人生が変わる瞬間(とき) | 満喫! モラトリアム。 |
2008 | 誓い 〜一番大切な約束〜 | 単位より大切ななにかを求めて |
2009 | START! 〜一歩を踏みだそう〜 | 失った常識のかわりに |
2010 | ありがとう 〜今、あの人に伝えたい〜 | 仕分けできないムダがある |
2011 | 力(ちから) 〜わたしは、たいせつなひとり。〜 | 年に一度の計画発電 |
2012 | 未来 みらい | NFって、出席点ありますか? |
2013 | ニッポンって…? 〜この国のかたち〜 | 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。 |
2014 | 小さなキセキ、大きなキセキ | 「 」 |
2015 | つなぐ 〜時を超えて笑顔を〜 | 「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」 |
2016 | 愛 〜これが私の生きる道〜 | 「ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw 京大からのNFで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw や、漏れのモタクと化したことのNASAそりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ~」 |
2017 | 告白 〜勇気を出して伝えよう〜 | 戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ 軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ! |
2018 | 人生を変えてくれた人 | 未定 |
惰性も惰性で脳が完全に溶けてしまっている
バブル崩壊あたりから酷いが、リーマンショック後から知能指数が更に落ちた
短めの眉毛きれいにしてるところと睫毛が下向きで長いところと口が小さくてちょんってしてるところとわしゃわしゃするとかたい髪の毛が好き
鼻から唇と顎にかけてがまっすぐきれいなところといつも同じ場所に剃り残しがあるヒゲと、あと虹彩が真っ黒な目も焼けすぎてサーファーみたいになってる肌も、遅い心拍と自分より1℃も高い体温で包んでくれる腕の太さが愛しい
頭がたぶんすごく良い、周りに流されないで実はクソ真面目なところと赤ちゃん言葉が似合うとろんとした喋り方とすぐヨシヨシしてくるのに結局おっぱいには勝てないところ、酒飲むとすぐ真っ赤になって偏差値が下がるところ、朝起きて一番に電話かけてくるところも眠いと急にわがままになるところも全部可愛い
全部まるごとぎゅってしてあげたくなる.. 頭がおかしい...
それでも必ず振り向かせてきた
最低限の接点と、一対一で話してもちょくちょく笑いがうまれる和やかさが生じる範囲ならいける
3年から5年かける覚悟さえ最初にきめれば、どんな人間でも落とせる自信がある
まず人の縁はどちらかが意図的に更新を働きかけない限りだいたい2~3ヶ月で期限切れになる。(持論)
もし好きになった相手にちょっとでもお姫様基質があるならすごく簡単
人はみんな、自分はなんにも頑張らず、しかし誰かからちやほやされるという状態が大好きだから
戦略的に、定期的に、心地よい範囲で、常にこちらから話しかけることを続ければ、すぐ仲良しのポジションは得られる
「誰かと付き合った程度ではこの人は私をちやほやするのをやめないんだ」と学習する
「この人は見返りまでいらないんだ」と学習する
キャバ嬢に「ヤラせてくれないなら指名やめちゃうぞ」と言い出すおっさんがこれ
ださいよね、そこで全部終わるよね、やめましょう
それから大事なのは、どんな恵まれた人間でも「ついていない日」がある
そういう日が全部チャンス
あんなに好きでも喧嘩してしまうんだ、と同時に、この人はいつも変わらず優しくしてくれて精神的に安定するな、と思わせられることができる
おさえるポイントは
「相手のあるがままを尊重する」…矛盾の指摘などはNG、相手が羞恥をこえて内なる願望をこぼしてくれたら笑わずに聞く、その価値観を覚える
「元気になるまで最優先にする」…今すぐきて、には行く 交通費数万なんてすぐ取り戻せる 仕事なんて数日休んだくらいで誰も死なない
「元気になったらいつもの距離に戻る」…ここで束縛は絶対ダメ、二度と頼らなくなる
大事なのは嫌なことがあったときに気晴らしに選びたい相手になっておくこと
3年もあればそういう機会はすぐに二桁を超えるだろう
早ければ三桁いけるかな
そして自分の中の期限を守る
最初の3年とか5年がこれ
株でいう損切りと一緒で、ここでやめるという自分との約束を守る
もうちょっとこのままでとか思わない
「今日からこの都合の良さはあなたのものではなくなる」「むしろ他のものになります」とにおわせる
ずっと好きだったけどそろそろ他の恋を探そうとおもうとかなんとかいえばいい
そうすると「自分に恋愛感情をもちながら、一度も嫉妬をむけず、常に味方をしてくれていたのか」とあかるみになる
(敏い人なら勿論すでに察してるけど)
契約解除だけなら痛手じゃないけど、それが他に注がれるとなると
損失は実質二倍だから、かなりこたえる
その日のうちっていっていいレベルですぐ付き合ってくれるよ
あとは、落として満足するんじゃなくて
落とした後が本番だとおもって、幸せにするよう頑張ること
「自分が相手を幸せにするんだから」をお互いに想える状態を徹底して維持する
恋人同士になってはじめてぶつけあうこともあるし
世の中の人はなぜか、友達ならわかってくれなくていいけど、恋人にはわかってくれないとイヤ!というのが本当に多いので
途端に理不尽なことが激増する
恋人というポジションに結びつけて逃げにくくなってから欠点を小出し後出しする奴もとても多い
「そんなこと私にしてくれたのあなただけ」をプレゼントすればだいたいうまくいく
相手が高嶺の花だとよくあるのが
いろんな人間が自分より後に相手を好きになっては玉砕してくのを隣でみることだ
好き→告白→断られる→もう嫌い!をバカみたいな速さでこなして勝手に去ってくんだよね
同じく10年覚悟の選手がいたらこっちも警戒するけど1年ももたない早漏ばっか
結局相手より自分が好きな人なんだよね、そんなやつにはあげたくないから散ってくれて助かるけど
ただ落ち着いた人間としてそばにいるだけで、大好きな人にとっての己の存在価値が相対的にぐいぐいあがっていくのは気持ちいいよ
みんな「本気」っていいながら、しないよねえ
「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」
家族構成は父母私弟の四人。十年以上前に離婚して私は母親に引き取られた。
お金の問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情で離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。
父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。
自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。
その代表が高校を辞めたことだ。国からの奨学金で高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。
田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。
じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。
結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。
私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。
そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。
両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき、約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。
最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。
数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。
母親に言われた言葉は「弟が受験だから一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。
別に普通から逸脱してしまったのだから、一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。
弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。
来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。
後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。
犯罪心理学の勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。
ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。
偏差値は高く、しかし予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書や参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。
当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。
しかしバイトから帰宅してみると母親が電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。
電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」
当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。
三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。
「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。
結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。
自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。
母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。
なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。
専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。
二年後の卒業との時「私はあなたの言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」
弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」
弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。
一人暮らしをして、知ったのは自分は母親に洗脳されていたことだった。
上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリが黒猫で届きましたね」と言った。
別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。
年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってねだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。
スナックとコンビニでバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラスの飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業を目標に頑張った。
無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。
母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。
泣きながら話し合った。
私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。
洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。
後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。
泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。
一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。
月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。
母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。
そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。
「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。
今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。
父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかわからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。
父から見た私は、私が変だから関係がおかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。
父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。
父は知らないのだ。
私からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。
私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。
責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身の発言や責任を認めない母親は変なんだよ。
私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。
でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。
追記:20170312
まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。
トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。
私とは違った視点の意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。
また家族以外の言葉や意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう。
上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います。
両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているから家族の中で浮くのだと思います。
悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。
病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。
なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。
仕事で書く報告書に“事象”が発生したってバイト仲間が書いたら、
「そこは“症状”だろうがよ、俺は“事象”なんて書き方見たことねーよ」って言って譲らない奴(下士官ポジ)がいてうんざり。
そもそも機械の不具合について書いてるから“症状”って言い方の方が違和感あるけどな。
・(俺の観測範囲では)過去に“事象”って表現を見たことがない(報告書の過去ログ見てみると“事象”表現はいっぱいある)
・“症状”って言い方なら不具合感があるけど、“事象”って言い方だと状況の説明にしか過ぎなくてヤバみが伝わらない
って辺りが理由らしかった。言葉狩りってレベルでもなかったわ。
あー、常々思ってるけど頭悪すぎる。
しかもこの叩き上げ系上司、今後報告書の取りまとめをすることになりそうだからなあ。
こいつが黒といえば白いものでも黒くなる時代がもうすぐきちゃうんだよなー。
好きだったロックバンドが解散し、メンバーの一人がホストになったというので行ってきました。
それなりに楽しかったけど、自分にとっては好きなバンドのメンバー=崇める対象であるのに、横に座ってくれるのがあまりにも違和感で緊張しました。
そして、ホストクラブって料金高いです。ありえないぐらい高い。
初回料金は安いですが、二回目以降は居心地よく楽しく過ごすにはざっと見積もって1時間2万円ぐらいないと厳しいかなという感じ。
煽られたりハマったりしたら上はキリが無いので危険です。
だからなるべくなら行かないほうが良いです。
別にオチのある話でもないのだけれど、記録しておきたいのでぐだぐだと綴って行きます。
☆事前の下調べ
まず予算。
その店は初回料金が何種類かありました。一番安い「飲み放題○千円」は自分が飲み放題なだけでホストさんの分が入ってません。なので「飲み・飲ませ放題 2時間5千円(税・サ込6500円」にすることに。料金は消費税・サービス料(22%~32%)を含んでない表記のことも多いので注意です。
まー、行かないのが一番なんだけどね(笑)
そのホストクラブは私の住んでるところからかなり遠いので、初回以降なかなか行けない。初回荒らしみたいになって元バンドメンバーのZ君の顔をつぶしても悪いからシャンパンも入れちゃおうっと。ライブで楽しませて貰ったせめてものお礼です。ホームページに値段書いてないけど、4万円(5万2千円)あればいいかな。それにしても高いなー
初回セット料金の2時間もたぶんオーバーするだろうから、合計7万円の予算で行きましょう。
ネットでホストクラブってどんなところか、どうヤバイのか情報収集しつつ、お店のHPに出てたZ君のメールアドレスに○日は出勤してますか~って質問。(LINEもあり。)
バンド時代は感想のメール送ったりしてたけど返事貰ったことなんかない。それ当たり前ですし期待もしてない。
複雑…
☆お店に行く前
開店時間から行く予定だったが、前日Z君から「お客さんと同伴することになったので少し遅く来てもらえると助かります」とのメール。
お客さんついてるのねーよかったよかった。
時間あったから同行者のO子(年下だけど私の保護者みたいな人)と私が行きたかった焼肉屋さんでお腹を満たし一杯飲んでから店に向かった。 普通はホストクラブ行く前に焼肉は食べないと思います(笑)
O子ちゃんが事前に調べておいてくれたので、迷わず到着。
☆テーブルに着く前
年齢確認のための身分証明書チェック。見た目にかかわらず必ず提示させるのね。コピー取られたりしたら嫌だなぁと思ってたけど見て確認されただけでした。
そこでウエイターさん(内勤さんと呼ぶのかな)にどのセット料金にするかやZ君を指名したい旨など伝えた。
☆Z君登場
スーツ姿、髪型はバンドのときと変わらないZ君登場。スッピンでもイケメンなんだけど、少し酔ってるみたいでちょっと心配になる。ああーーーあっちのテーブルの女の人をもてなしてお酒飲んでたんだなぁーホストなんだから当たり前だけど!でもZ君ファンはどう思うだろう?辛い…よね。
バンドの話とかしてるうちに時間が来てZ君は他のテーブルへ行き、他のホストさんが来た。
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