はてなキーワード: すかいらーくとは
映画館でスマホ見る奴って底辺だろ?120分集中できない、時間に余裕がない、躾のなってない。子供の病気が心配なのに映画館に入る思慮のなさ
1000円で入れる映画館作って、そっちに行ってもらおうぜ。硬い椅子、照明の落とし具合も弱めで。オマケに自由席(さすがに入れ替え制にはすべきだが)。ポップコーンとジュースも自販機のみ
要は最低限のルールも守れない人間に1900円払わせて映画館に行かざる得ない現状が問題なんだよ。ちゃんとそういう人種にはそういう映画館を準備してそっちに行ってもらえばいい
例えるなら、すかいらーくやジョナサンしか世間に無いからガストやサイゼリアを作るべきって感じ。そしたら身の丈合った店に行くだろ?そういう奴らは
紙新聞
・購読する。
利点:他人と競合しない、チラシも入る、敷物や乾燥剤や焚付につかえる
弱点:捨てるの面倒
利点:ほぼ競合しない。
弱点:捨てるの面倒、夕刊ない、チラシない
・喫茶店、ホテル、すかいらーく系列で朝ごはんかランチ食べる。
利点:タダ同然
・公営図書館にいく。
利点:タダ、以前のも読める
弱点:競合者による独占、遠い、暇がないといけない
・親と同居して購読してるのを読む。
利点や弱点は状況次第
・電車で折りたたんでよんでる人の前に立つ
利点や弱点は状況次第
利点:軽い、動画が見られる
弱点:地方ニュースにたどり着きにくいあるいはどの新聞も取り扱わない
(7時半をすぎるとスポーツや芸能ニュース、8時すぎからバラエティかワイドショー寄りになる)
利点:なんとなく場が持つ、最低限のことが映像前提で伝わる
・「ファクトフルネス」あたりを読んであとは自力で統計を見に行く
以上
すかいらーく プラスチック製ストロー全廃へ 国内初 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180817/k10011579951000.html
偉いね、こういう事考えられてるのは。
外食産業なんて成長性のないものこそ、こうやって健全性アピールを拠り所して生き残って欲しいね。
レジ横にストロー置いておいて、欲しい人が勝手に取ってくようにすれば良いじゃない。
もちろん一気に取られるといけないからそこは1本1本出るような容器に入れてって工夫してさ。
というのもマックはそれやってんだよね。
ただし欧米で。
この違いはなくすべきだと思うな。
欧米だと、客は注文用のドデカイスマホみたいな端末で支払いまで済ます。
だから店員は基本的に客としゃべることもなく作って渡すだけの単純作業。
バイト経験が評価されてしまう程度には店員のスキルに依存したシステムになってる。
日本人の特性に合わせたつもりかも知れないが、それは誤ったカルチャライズだよ。
ねぇ!ガキじゃねぇんだからさ!
サイゼリヤのほかにも、すかいらーくの高級路線店で働いてたことがあるのですが、このふたつは客層がまったく違いました。立地はどちらも住宅街でどちらも同じS区内。
高級路線のファミレスでは、全体的に富裕層が多く落ち着いた客層で、おしゃれをした上品な家族が4人で来て、全員コース料理を頼んだりということが普通でしたし、超有名落語家が綺麗な女性とデートしにきて2人でワインをグラスで注文し乾杯してたり、超有名モデルが彼氏と一緒に来て、店の売店でキティちゃんグッズを彼氏におねだりしてお土産にするといったことがありましたが、サイゼリヤではそういったことはありませんでした。
ランチタイムは、寝癖をつけたままの部屋着の近所の人が来るような感じです。
基本的に店長(マネジャー)とサブマネージャーどちらか一人最低いる感じで営業するんだけどやっぱ彼らは10:00ぐらいに来るからどんだけ残業しても12:00回る前には基本帰るわけ。平均的に11:00ぐらいの帰宅だから明らか働きすぎだけどまあ置いとこう。
02:00ぐらいまで二人で朝方までは一人の営業(フロア、キッチン一人ずつね)。
まあ02:00すぎの営業で人がぞろぞろ来ることは都心でもなきゃ滅多にないから一人でも良いだけど問題は12:00前後の営業よ。
二人の内どっちかが風邪とか引いたときにこのシステムだと破綻するんだよね。
ワンオペでは正直12:00前後の営業は回せないし、かといってマネジャーは残れないしって感じ。
あれ、でも結局12:00前後の営業時間は二人なのは変わらないから風邪休みとかでたら今まで通り破綻するのか。
なんかどうでもいいや。今日は風邪気味でしんどいけどマネジャー休み取ってるし、ナイトの代わりいないし出勤しないとなー。あー店潰れないかなぁ‥
マクドナルドの業績悪化のニュースが頻繁に聞こえてくる。それは良いとして不思議なのが、反応の多くが「批判」であり(ヤフコメは勿論、はてブもそうである)、さらに批判の多くは「昔は良かったマクドナルドが今はこんなに・・・」という文脈なことである。「良かった昔のマクドナルド」は藤田田のマクドナルドであり、原田泳幸のマクドナルドである。そう。それはそれで皆さんが叩きまくった両社長のマクドナルドである。
たしかに藤田田、原田泳幸両氏は、終盤では手法が消費者から飽きられアイディアは枯渇し、施策の迷走が見られ、その印象から今では全否定のような書き込みも目立つが、日本マクドナルドを実力値以上に牽引してきた手腕は確かにあると思われる。日本の外食というのは生き馬の目を抜く業界である。古いビジネス流行語で言えばレッドオーシャンの代表格といえる。参入障壁がもっとも低い業界であり、個人経営店が大規模資本のチェーン店を向こうにまわして費用対効果込みで切り伏せるほぼ唯一の業界である。
外食業界では勝ち組と言われる企業ですら薄利であり、更には長く勝ち続けることもできない。「勝者なき血みどろの戦場」である。
・すかいらーくは低価格店ガストのヒットで上昇カーブの寿命を永らえたが2000年代には沈没し、野村、その後米国系ファンドに買収された。
・吉野家は倒産から立ち直ったもののBSE問題を契機に再度沈没しまるで今のマックのように経営不振を取り上げられ続けた。今は立ち直ったイメージがあるが前年決算は売上1800億円に対して最終利益はわずか9億円、何かひとつ事故なりあればあっという間に赤字転落である。
・吉野家を凌駕した業界の新覇者ゼンショーは労働問題を契機に沈没し昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
・創業から成長が小説にもなった立志伝中のワタミも労働問題を契機に沈没し、昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
モスフードは健闘しているかのように言われるが670億円の売上に対して最終利益はわずか6億円台。ロッテリアはファンドの傘下。日本ケンタッキーは昨年5億円の赤字、三菱商事が経営してこの状況である。ファミレス復活などと言われるロイヤルも1200億円売って最終利益は18億円。最近では東京ちからめしが彗星のように店舗を100店舗以上に増やし、彗星のように13店舗(たった今HPで数えた)まで減らしたことはまだ東京都民の記憶にあるはずである。なぜ堅実だった三光マーケティングが牛丼を焼いただけでイケると思ってしまったのか、理解に苦しむ。ロードサイドのハイエナ率いるステーキのけんも業績が悪化しているという。
このくらいにしておこう。キリがない。
マクドナルドは、システムは洗練されているが提供するものは十年一日の米国発ファーストフードチェーンであり、少なくとも食の世界では米国への憧れが消えた90年代以降にあって世界でもっとも厳しい日本の外食市場で今まで大健闘してきた、というのが正しい評価ではないかと思う。現在のカサノバマックの状況はちょっと酷すぎるが、原田氏後期の状況は不振というよりもそれが実力値であり、実力値にアジャストが起きたにすぎないと思う。ライトサイズまでリストラされて経営者変えればまたそれなりになるだろう。
1980年代くらいまでのマックは今のスターバックスのポジショニングであったのだろう(当時のことをよく覚えていないので想像だが)。当初日本で成功させたのが藤田氏であり、マックが日本で飽和し日常と化して飽きられた頃に再度息を吹き返させたのが原田氏である。原田氏も10年近くたって飽きられたわけだが、当時原田マジックは確かにあったのだ。2人に肩入れしているわけではない。私個人としては彼らの主義主張にあまり好感を持っていない。しかしながら事実の評価は正当になされるべきと考える。業績のかなり落ち込んだ原田マックを引き継いだはずのカサノバ社長が更に底なしに業績を悪化させているのは一つの証左である。日本の外食のプロでない人がなぜ経営できると思ったのか、過去に日本で勤務していたというがどこまで自身が現場で深く市場と格闘していたのか、本社のこの判断誤りは内部で責任を問われるに相当である。失敗が予想され、予想通り失敗している。アメリカやカナダとは市場がまったく違うのだ。
日本の外食を知っているやり手を経営者に据えれば原田マックの後期くらいには復活できると思われるので、外部に売却するというマックグローバルの方針のニュースを見たときには「え???早過ぎないか?」と思ったが、今後店舗整理で日本のマックはまだまだ損失を計上すると思われ、親会社決算に損失が反映されるのを避けたいのだろう。現在の持ち株比率は49.99%で連結はせずにおさえているけれど、損失は取り込まれるからね。持分法で簿かは切り下がっているから売却損も大きくは出ないし(更に優待目当ての個人投資家で株価は割高だというし)、立ち直って将来買いなおすと、キャッシュ的には安値で売って高値で買い戻すわけだから損だが、PL的には高値で買い戻しても損失が計上されるわけではない(のれんに計上されるだけで減損されない限りPL損は出ない。損を出す頃には次の経営者である)。米国投資家のEPSへのプレッシャーはとても強いし、短期思考の米国流経営ならではである。
日本の外食市場が世界で最も厳しい、というのは感覚値の話で、これを定量的にサポートすることは難しいが、ひんぱんに海外に出張する人なら同様に思うのではないかと思う。アジアを除く海外では安く食事できる外食の種類がそもそもあまりないし、ファーストフードの店舗は往々にして荒れている。店員の態度も、愛想があるないとか、そういったこと以前の水準である。下記のページをみつけたのだが、各国人口比のマクドナルドの店舗数が掲載されている。大量閉店前の2014年のデータではあるが、アングロサクソン系(US、CA、AU、NZ)以外の国では日本の人口比の店舗数が最も高い。一方食事のうまい国はおしなべて低い(FR、IT、SP)。日本は一応ミシュランの星数が世界最高だというので、食事のうまい国に入ると思われる。さらに内需の規模があるため群雄が割拠しており、サービスの品質もマックのマニュアルに頼らなくても非常に丁寧で高い。日用品市場で日本の消費者は世界一厳しいと言われるが、これはおそらく外食でも同じで、1000円以下の食事で定員の態度から清潔さからすべて完璧に近い水準を求めるのが日本の消費者であり、ライバルもそこで戦って鍛えられている会社たちなのである。
http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html
ところで本エントリを書きながらUSのマック本社の決算も見てみたのだが、今のレートでざっくり換算して、売上3兆円強、最終利益5700億円といったところである。たしかにこの3年ほど停滞しているようであるが、この絶対水準で業績不振と言われているのだからツライよな、と思った。
http://anond.hatelabo.jp/20151030211546
http://anond.hatelabo.jp/20151031092741
>店舗数は牛丼チェーンが圧倒的に多い。だから、日本一のカレーチェーンはココイチじゃない。
これ実は都市伝説じゃねえの?
まずざっと調べたけど、牛丼屋のカレー、松屋しか具体的な数字は見付からなかった。
松屋は全部で約1000店だから、単純平均で各店が毎日カレー55食ずつ出してることになる。
まあ、実際の店を見ても、そうズレてる気はしない。
カレーハウスCoCo壱番屋の1200店と比較すると、多いといっても1.67倍。
当てずっぽうですき家店舗が松屋の倍ペース、毎日カレー110食ずつ売ってたとしても8000万食どまり。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151002-00000016-pseven-bus_all
ココイチの客単価は約800円で年間売り上げが800億弱だから、そこから計算してもそのぐらいの数字になる。
すき家が実際には毎日130食売ってたらココイチ超える計算だけど、前に聞いたすき家の1店あたりの来客客数って1日300人程度らしいんで、カレー130食って相当厳しそう。
どっちみち、単価が全然違うから、もし数量ベースで日本一のカレーチェーンがすき家だったしても、金額ベースで一番カレーを売ってるのがココイチってのは揺るがないと思うのだが、いかに?
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(2915-10-31 09:51追記)
消されたのでキャッシュにトラックバック先を修正。内容は変えてません。
本当に「大手外食の人間」の人間が書いていたのか、騙りだったのか。ま、ゼンショーの社長でも、和民の店長でも、すき家のバイトでも、すかいらーく系のセントラルキッチン勤務でも、「大手外食の人間」だから、そこに嘘はなかったと思いたい。
★某塾のテストで、
「スーパーマーケットの店舗レイアウトで、肉や魚は店のどこに陳列されているでしょう?」
「そして、それは何故でしょう?」という問題がでたらしい。
(正解は、「店の一番奥まった部分」。顧客の回遊動線を考えると、結局共通の店舗レイアウトに収れんしていく)
★でも「ドンキホーテ」って、塾や社会科教科書に反した店舗レイアウトだな
その問題解いた小学生で、「ウチの近くのドンキは、こんな教科書通りのレイアウトしてません」と反論したら、どうなんだろう?
成城石井や紀伊國屋スーパーのような、真っ当なスーパーを使わなきゃ、受験で落ちろぞ」と教師に叱られる?
★なぜ成城石井や紀伊國屋が「中学受験に効く」のか、わかるかな?
これらスーパーでは、ちゃんと「旬のモノ」を正しく売ってるからだね。
中学受験では、理科や社会の問題で食品や動植物の旬を出題するから、旬を守ってるスーパーで買い物するように、お母さんにお願いしようね。
★でも、植物工場が急速に普及して、野菜の旬が無意味になった将来の、中学受験の内容が気になる。
子供が「ウチは植物工場の野菜食べてますから、年中●●が食べれます」となったら、教師はどう反論する?
ちょっと前の教科書なら、「レタスは主に長野県とか群馬県の高原地帯で採れます」と書いていたが、
あと5年もしたら、この記載は無効になるだろうな。
「工場の遊休スペースで、全国で広く栽培されてます」と記載が変わるのか?
★そもそもレタスという野菜自体が日本に定着したのが最近(70年代以降)だからな。
生サラダの食習慣とか、サンドイッチに挟む、という食習慣、つまりパン食の普及とセット。
ちなみにすかいらーくの元役員が著書で「レタスを日本に定着させたのはすかいらーく」と豪語してた。
生サラダの食習慣が定着した、というのは、裏を返せば「堆肥農業から化学肥料農業に転換し、寄生虫の心配がなくなったから」なんだよな。
ぜひ、中学受験では「なぜレタスが日本に定着したのか?」というテーマで、寄生虫の問題とか化学肥料の発明とかまで「発展学習」して欲しい。
★冗談抜きで、そろそろ「植物工場」は、小学4年の社会科教科書なんかで掲載を開始してもいいレベルだと思う。
あと、「どの農作物が、どの地方で、どの季節で採れますか?」を教育するより、
「どの農作物は、気温何度で生育しますか?水量はいくらいりますか?背丈は?生育期間は?投入エネルギー量は?」を教育した方が、植物工場時代には有用。
なぜなら、将来は植物工場時代で、産地の知識より生育条件知識のほうが、はるかに役立つ
でも、「農水省さん、植物工場を社会科教科書に載せましょう」という文部科学省の提案は、
「あれは邪道な農業。相談するなら経産省にしてよ」という農水省のツレナイ反応で、ボツになったのだった(※想像)
★自分が子供の頃(70年代)の社会科教科書では、「デパート」「商店街」は登場しても、スーパーマーケットは登場してなかった記憶がある。
既にダイエーが三越を抜いて、日本一の小売事業者になった時点(70年代)の社会科教科書でも、そんなもの。
では70年代の時点で、社会科の教科書は「スーパーマーケット」を大々的に取り上げるべきだったか?
たぶんそのころだと、このように教科書に書かれただろう。
「スーパーマーケットは、駅前の立地で、広い売り場スペースを確保して、何でも買えるようにしています。」
で、「70年代的スーパーマーケット」を多数抱えていたダイエーは潰れたのは周知のとおり。
生き残ったのは、郊外に巨大駐車場を用意し、専門店も誘致したモール型のイオン
★30年前、カイワレダイコンの工場生産がブームになり、各社一斉に生産を拡大して、カイワレダイコンが大暴落して、多くの業者が倒産した。
現代の「植物工場レタスブーム」、カイワレダイコンの二の舞にならないか?少し心配。
★カイワレダイコンが工場生産で価格下落し、植物工場レタスも後を追う展開。
工場生産による価格破壊の「元祖」が鶏卵であることは、意外と知られていない。
戦前は鶏卵は貴重品だったんだよな。1960年代に鶏卵の「生産革命(=工場生産)が起き、価格破壊が起き、食文化が変わった
★食材価格ランキングって、生産体制や物流で全然変わるからなあ。
その背景には「エネルギー革命で木炭がダブつき、木炭原料を使った椎茸が価格破壊された」一方で「森林管理がなされなくなり松茸高騰」という実態がある。
★おそらく、植物工場革命で、食材価格ランキングがガラッと入れ替わる。
植物工場で生産最適化される食材価格は暴落し、植物工場じゃ生産できない食材は高騰する
逆にいえば、従来型農業しかできない農家、植物工場を作る資本力がない農家は、
「絶対に植物工場化されない食材」に特化するのが勝利の方程式。
生産に時間が掛かるミカンとか柿とかが、植物工場化される心配もなくて安全じゃないかな?
http://anond.hatelabo.jp/20140305234103
の「学校給食の美味しさ競争制度」の暴論書いた増田だが、一晩考えたら、
この「児童に美味しさの投票をさせる」という制度自体が、「教育的にもプラス」なように思えてきた。
おそらく、一部の教育委員会では、給食業者の競争入札なんかもやっていて、
栄養学的観点・コストの観点・安全性の観点等から選考がされていると思う。
あるいは、実際に「大人」が試食してみて、美味しいかどうかも選考ポイントに加えている自治体もあるかもしれないが、
この中に「本来のお客様である児童の声」が入り込む余地がない。
というか、「児童はお客である」という観点そのものが許されていない。
「(本来の受益者であり、「お客」である)児童自らを、競争制度のメンバーに加える」ということである。
児童の意見で100%決まるものではないが(例:栄養学的観点)、児童の意見を無視しては、成り立たないようにする、そこが肝心。
そして、
「競争によって、味がよくなります」「競争に敗れると、業者から外されます」という「資本主義の大原則」を、
子供の目の前で「わざと」可視化させること、それ自体が非常に重要なのではないか?
「給食業者を競争で選定し、競争に敗れた業者は外す」という過程を「わざと子供の前で可視化させる」ことが、
人々は幼少時の経験に左右されがち。
小学校時代に、「競争で学校給食がよくなった」と体感した子供は、「資本主義的競争」を体感的に「是認」するようになって、
「競争肯定な大人に成長」すると思う。
学校の世界というのは、資本主義的世界からは隔離されていて、というか、「資本主義的世界を持ち込むのは悪」ともされている。
一方で日本人の証券投資は少ない、金融リテラシーが少ないからだ、と「出前金融教育」みたいなのをやってたりしている。
学校給食というのは、子供たちが小学校で目にする、数少ない「財」の分野であり、唯一「資本主義社会との接点」でもある。
であれば、出前金融教育みたいなのをやる以前に、この「唯一の資本主義社会との接点」を活用しない法はない。
ブコメに「栄養バランスは?」的質問が多かったが、栄養バランスを維持するのは当たり前だ。
1か月トータルで栄養バランスが維持されながら、その制約の中でいかに美味しい給食を出せるか、その辺が業者の腕の見せ所だ。
それに、そこで得た「どういう味が児童に受けるか?」という経験ノウハウは、