はてなキーワード: しっちゃかめっちゃかとは
タイトルで解ると思うけど女オタクのお気持ち長文だから嫌な人は速攻でブラウザバックしたり「うんち」って返信したりしてね
あと今から書くことは全部嘘だよ
人間関係がヤになったとか運営がカスになったとかそういうのではなくただ単に熱が失せたから
引退に伴ってTwitterのアカウントも消すわけだけど、その前に「アカウント消します!今までありがとうございました、、、」みたいなツイートしたのね
界隈では良く見積っても中の下くらいの感じだったから反応は少なかったけど、何人かはDMをくれた
その中にあったんだ、「あなたの作品を読んで筆を折りました」っていうのが
その人とは直接はリプライしないけど互いのツイートにいいねしあうみたいな距離感だった
作品欄確認しに行ったら確かにある時期からパッタリ投稿やめてる
ビックリした
たかが二次創作の、それもたかが私の書いたもの読んで筆折るとか
その次に思った 今まで貰ったどんな感想より嬉しいなって
明日には消えてる人に送る最後のお世辞だったかもしれないけど嬉しい
心底どうでもいい文章だったら流石にここまでは言えないもんね
小説なんか誰でも書ける それもかなり簡単に スマホ1台あればいいし
だからこそ読んだ人に「筆を折ろう」とか、それに準じた感情を抱いて貰えたのがとにかく感動した
おこがましいけど、読んだ人の頭とか心をしっちゃかめっちゃかにしたくて書いてるから、祈りが通じたような気分だ
いま新しく沼ったジャンルでまた何か書こうとしてて、思い出したので書きました
よーし、たくさん書くぞ!また誰かの筆を折ることができたらいいな!
偉いな 自分は逃げか追い込み一極集中や 追い込みにしたって馬場がしっちゃかめっちゃかで間に合わんくらいギリや
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
男の娘(おとこのこ、おとこのむすめ)とは、肉体的な性別は男性でありながら女性にしか見えない容姿を持つ人物を指す言葉である。
漫画やアニメ、ゲームといったサブカルチャーに触れている人であれば、一人か二人は該当するキャラクターが思いつくであろう程度にはよく知られている存在である。言い換えれば、一定の需要のあるジャンルなのだ。
不満が溜まりに溜まってしまったので、今回は「私が男の娘を苦手な10の理由」をここに吐き捨てていく。
先に言っておくと、私の肉体的な性別は男で、性自認は男、恋愛や性的関心の対象は女性である。
それを前提とした上で読んでいただきたい。
冒頭で挙げた通り、男の娘は女性にしか見えない容姿をしている。
これがもうとにもかくにも厄介である。
というのは男の娘が登場する作品では日常茶飯事である。私も何回かやられた。
女の子を恋愛や性的関心の対象にしている人間からしてみれば、男の娘は詐欺や罠としか思えない。この悪質さがよく分からない人は性別を逆にした「男の娘に見せかけた女の子」をイメージして欲しい。本質的にはそれと同じだ。
一番悲惨なのは、男の娘キャラクターを女性だと思い込み、女性キャラクターとして性愛の対象にした後に判明するパターン。強烈なトラウマになるほか、一部の猛者はそれが原因で“目覚める”らしい。
風の噂では、同人作家がとあるキャラクターの同人を女の子であること前提で作っていたら、後に男の娘であることが判明し、ちんちんを描き足す作業が必要になったとか。
今日も「男じゃねえか!」という悲鳴がインターネットの海に反響する。
これは男の娘がメジャーになったが故の(私にとっての)悲劇と言える。
女児向けアニメにすらいる。ポケモンにすらいる。深夜アニメにも当然のようにいる。
というか草分け的存在の一人、「男の桜ちゃんが好きなんや」でおなじみの有栖川桜はコロコロコミック連載『バーコードファイター』出身だったりする。
もはや「この作品なら男の娘は出ないやろwwww」みたいなのは通用しない。震えて眠れ。
男の娘は女性にしか見えない容姿を持っていることは再三述べた通りだが、彼らは性格や振る舞い、言葉遣いも女性的であることが多い。理由は様々であり、「女性的な外見がコンプレックスであり、それを指摘されないよう最初から女性のように振る舞う」「女性として育てられた」「性自認が女性」といったものがある。
その結果、同じ作品に登場する他の女性キャラクターがボーイッシュだったりお転婆だったりすると、女性的な振る舞いをする男の娘がより女性的ではという風潮が出来上がってしまう。
そこまではまあネタとして許せる範疇なのだが、それが発展して「ヒロインよりも可愛い!」「こいつが真のヒロイン」とか言われてるのを見ると他のヒロインを推している人からしてみれば腹が立つ。
こんな記事を書いている私にこれを言う資格はないかもしれないが、何かを褒めるときに何かを貶める手法は多大なヘイトを買うのでやめた方がよいだろう。
上と近いことを言っているが、微妙にニュアンスが違うので分けた。
性別の違いがある以上、男性目線で言えば、女性には怖いものであるとも言える。
それを考えると、女性の見た目をした男性である男の娘は、「女の面倒くさい部分が嫌な人向け女の子」と言えなくもない。ヴィーガンが大豆で作った肉を食べるように。
だが、それを理由に本物の女の子を否定して欲しくはない。何かを褒めるときに何かを貶める手法は(以下略)。
男の娘が登場する作品において、以下のようなシチュエーションを見たことはないだろうか。
男性主人公と男の娘ヒロインが仲良くなり、ついに恋愛にまで発展する。
だが、男の娘は自分が男であることに負い目を感じており、このように尋ねる。
「私(僕)は男なのに、それでもいいの?」
男性主人公は広い心でこれを受け止め、男の娘と結ばれるだった。
私はこのようなシチュエーションを見ると、「いや、女の子じゃないと無理でーす! なぜなら私は女の子が好きだからでーす!」とか考えてしまう。
男の娘を受け入れることのできる主人公と、受け入れられない私。
完全に被害妄想なのだが、「お前は俺と違って、男の娘を受け入れられない差別主義者だ」とマウントを取られているような感覚に一方的に陥ってしまう。
最近ではポリコレの圧力があるので、それと男の娘が悪魔合体して本物の女の子が好きな我々が攻撃されるのではと、内心ビクビクしている。
ただ顔が女っぽいだけのタイプ、趣味で女装しているタイプ、女の子として育てられたタイプ。
その中でも私が特に苦手なのは、男である自分が嫌で本気で女の子になりたいと思っているタイプの男の娘である。
男はつらい。
いや、女の人にもつらい部分があるのも分かっている。生理があれば体調はしっちゃかめっちゃかになるし、性犯罪に遭遇する危険性もある。
だが私は男なので、どちらかと言えば男のつらさに共感してしまうのだ。どうしても。
強くあれという圧力。女の人と比べて性的な価値が低いことによる、支援や同情を得ることの難しさ及びそれによる孤独・将来への不安。異性から性的な承認を得られないことによる悔しさ。自分の肉体や性欲を汚らわしいと感じてしまう自己嫌悪。それら全てに心当たりがある。
最近オタクが「美少女になりたい」と語っているのをしばしば見かけるが、これは男であることのつらさが関係していると思える。
私は男でありながら女性らしくあるタイプの男の娘が持つ「男である苦しさ」がなんとなく分かってしまうので、見ていてつらいのだ。「生物学的メスに成り損なった落伍者」「性別ガチャの敗者」といった悪口を吐き捨てては、それがブーメランになって返ってくる。創作物の世界ぐらい、正真正銘の女の子を見て癒されたい。
(7)荒れやすい
その理由の一つは男の娘という属性が、他の属性と混同されやすいからだろう。
具体例としては女装男子というものがある。これは単に女装している男を指すので、一目で男と分かる場合でも含まれる。つまり、男の娘と女装男子は異なる定義を持つのだ。混同すれば、愛好家からのバッシングを受けることだろう。
他にも、美少年・ショタ・TS娘・ふたなりといったものと男の娘をごっちゃにした言動を取れば、炎上すること間違いなし。
このように定義付けで荒れる男の娘界隈には「怖い」という印象があるのだ。
長々と男の娘が苦手な理由を語ってきたが、これをもって男の娘を滅ぼそうとは思わない。
こんなにも広まってしまった以上、男の娘を蛇蝎のごとく憎んでいる私の方が時代に取り残された淘汰されるべき存在なのだろう……そう考えているからだ。
私は世界から隔絶された洞窟に潜み、生物学的に女性であることが保証された女の子だけを愛好し続けることにする。
Twitterで色々な意見を読んでいて、多くの点がこんがらがってないか?と思ったので書きまとめる
読みやすいように書いてないから読みにくいとか知らん 私が一番読みにくいわ
世界的には「パラフィリア 性嗜好障害」と断定されている。ただ、「忘れ物が多い人が全員ADHDである」ということではないのと同じように、小児への好意や性的な欲求、加害性などの諸々を鑑みて治療が必要か否かを判断するのではないだろうか。
「人を殺しまくるゲームが好きな人は全員現実でも人を殺したいと思っているのか」と同じ問いだと思う。
全員がそうでは無いし、そうである人もいる。単純にイコールでは結び付けられない事柄。
小児性愛は言ってしまえば特殊性癖でしかなく、社会に認められはしないものである。
それは、未成年に手を出すことは法律上犯罪とみなされているから。
ただ、個人の趣味嗜好を制限する権利は誰にもないため、小児性愛を抱えること自体は悪では無い、と私は思う。
もちろん、子を持つ親は小児性愛者が犯罪者予備軍のように見えると思う。我が子の身に降りかかりかねないことだからね。
だからこそ、あのレポ漫画はひっそりと仲間内で喋る程度に収めておくべきだったと思うし、「ラブドールいいぞ!!犯罪する前に買え!」という文章はまずかった。
あれだけを読んだ人は「この人はラブドールが無ければ罪を犯す人である」と思ってしまう。どれだけ作者が「現実に手を出しません」と言ったところで信憑性は薄くなってしまう。
ゲームで人殺してるんだ!現実で人を殺さないために!って言われたところで安心する?無理でしょ こいつヤベー奴だと思うでしょ
結局「小児性愛は社会からそう捉えられている」というのを認識できなかった点で落ち度があると思う。
仲間内でひっそり楽しむべきものなのか、公に喋っても大丈夫なものなのかを考えるべきだったのでは。
そもそも性的マイノリティというのは、マジョリティから外れたマイノリティの話で、それが性的嗜好、性自認などのタイトルが付いていること。(だと思っている)
なので広義的に捉えれば、社会的なマジョリティからは外れているという意味で小児性愛も性的マイノリティとすることは出来ると思う。
ただ結局、「未成年に手を出すことは犯罪」である社会で未成年に好意を抱くということの危うさは同性愛にはないと思う。(もちろん男性が男児に手を出したら同性愛だろうが犯罪)
もちろんこの理論は「同性愛が犯罪ではない」という社会でなければ成り立たないのだけれど、なによりは対象者が「大人が守るべき未成年者」である点ではないか。
対象が未成年だからってだけで犯罪とされるのか!未成年もひとりの人間!自由!って思う人は児童婚の実態とかを調べてね。
判断力のない幼い子どもを自分の欲求のために利用することがどんな事なのか目の前の箱で検索してね。
だからこの「小児性愛は同性愛と一緒」という意見は「社会に犯罪とみなされてきた性的嗜好」という点でしか見ていないのだろうと考える。
「なぜ小児性愛は批判されるのか」「なぜ同性愛は批判されるのか」に対しての回答は別物なのに…
と
ここまで書いたけどこれ「未成年者に手を出してもいい」と本気で思っている人には理解できない文章だよなぁ
未成年に本気で手を出してもいいと思ってる、未成年は守らなくても良いと思ってる人には分からないよな
結局「小児性愛は違法」という考えは「未成年に手を出してはならない 未成年は守らなければならない」という前提意識がないといけないので…
分からなくなってきたので一旦切る
追記すると思う
分かったかも
同性愛はそもそも「性的マイノリティ」と名付けされているだけで本来自由なものであるべきだし、公にしていいものなんだ
だけどペドフィリアは違って、行えば犯罪で好意を伝えたとしても人権侵害になりうるんだ
ぶっちゃけ未成年に手を出しもいいと思ってる奴は実際に手を出すんだよな
結論として
・ぺドフィリア自体は悪では無いけど、それを公にした時の反応を考えるべきだった
・実際には手を出すな
だな
セクションの付け方を教えてくれてありがとう心優しき人
ひとつのテーマで、前提がどうであろうと背景事情がどうであろうと絶対この考え方が正しい!この考え方は間違い!なんて現実問題では滅多にありえないだろ
相当多くのケースで、その判断は前提や背景の「程度」によって変わるのが正しいものだろ
たとえば戦争をなくすべき!とか、差別をなくすべき!とかだって、よっぽど極端な前提を置いたら揺らぐ場合もあるだろ
ましてや経済活動と感染リスクのどちらを優先するか、なんて微妙な問題で「何が何でも経済活動優先!」「何が何でも感染リスク対策優先!」なんてことになるはずがないだろ
だから俺は、そういう主張が見えた場合には、結論が反対側に動くようなめちゃくちゃ極端な例を出すことにしている
議論をしっちゃかめっちゃかにして茶化したいわけじゃない。ただそれは「程度問題ですよ」「前提のとりかたによってどちらにもなり得ますよ」という認識を一致させたいだけだ
あるめっちゃ極端な事例ではAの判断が正しくなる。別のめっちゃ極端な事例ではBの判断が正しくなる。ならその間はグラデーションですよね?どこかにその判断を変えることになる境界があるってことですよね?じゃあその境界を探りましょう。
最近アメリカの暴動が話題になってるからreddit巡回してるんだけどやっぱリアルはちげーわ。
ニュースだと警察が悪いとか略奪が起きててやばいとかなんか単純化されがちだけど、現場の映像見てたらもう何が嘘で何が嘘かわからん。
公園で立膝付きながら演説してるだけで連行される黒人のデモ隊リーダー。
デモパレードに混ざりながら「トラックひっくり返そうぜ」と煽った途端「は?ふざけてんのか?」とデモガチ勢にボコボコに詰められるtwich配信者。
自宅の庭から見物してたら「家の中に入れ!」と有無を言わさずゴム弾を撃ってくる州軍。
「略奪なんかさせねーぜ」とARでがっちり武装しながらにこやかに笑うレッドネック。
トランプが言うように極左の謀略なのかそれとも国民の本当の声なのかはわからん。
けどとにかく現場はしっちゃかめっちゃかで何が起きてもおかしくない。
その地に足を踏み入れた瞬間、すぐに異様な空気感が襲った。
場所は先ほどいた庭と同じ。
目に映る景色も代わり映えしない。
だが「何かが違う」という感覚。
同じようで違う。
違うようで同じ。
確信はあるけれど、その“違い”を正確に表現しようとすると難しくなる。
表象だけ語ろうとすれば陳腐になり、個人的な思いを言葉にすれば漠然としすぎてしまう。
あえて言葉にするなら、俺のボキャブラリーでは“第六感が告げている”としかいいようがない。
「体全体がグラグラする……」
あの時が吊り橋の上に立っているような状態だとするなら、今回はその吊り橋から落っこちているような状態だ。
「“次元酔い”だね。跳んだ先の世界が近い場所だと、細かなギャップに体が拒否反応を示すんだ」
「……何でお前は平気そうなんだ」
他意はないんだろうが、言い方が妙に鼻につく。
「この分裂世界は、キミのいた世界でもあったんだから酔ってしまうのは仕方ないよ。むしろ、それくらいで済んでいるのは幸いといっていい」
そういえば別次元を旅行したとき、同行していたドッペルは大変なことになってたな。
“世界の分裂”ってのは“可能性の分裂”でもあるから、別次元では存在を保ちにくいとかで……。
「ん? だったら俺もここに長居したらヤバいんじゃないか? この世界にいるであろう俺に接触でもしたら、かなりの影響があるんじゃ……」
にわか仕込みのSF知識だが、そういうのは大抵マズいことになりやすい。
次元がしっちゃかめっちゃかになったり、未来が大きく変わったりするんじゃないか。
「そのあたりは大丈夫だよ」
ガイドはあっけらかんと答えたが、その態度がより不安を掻き立てた。
不思議な造形の小道具を取り出し、何かを解析しているようだった。
「よし、座標が分かった! こっちだ!」
どうにも要領を得ないが、俺は大人しくついていくことにした。
質問攻めをしてガイドが機嫌を損ねでもしたら、ここに置いていかれるかもしれないからな。
「それにしても、この時間帯にしては人通りが少ないなあ。というか、今のところ誰とも会ってない」
「あー、この喫茶店、こっちでは潰れてるんだな……」
冷静に辺りを見回し、その差異に思いを巡らせる余裕すら戻ってきた。
けれども駅前の広場を通りがかった時は、さすがに驚きを隠せなかった。
「さあ 皆さん 救いが 欲しければ 回すの です!」
突如として何者かの声が爆音で轟き、耳を劈く。
「な、何だ!?」
聴こえた方角に目を向けると、そこには白銀の世界が広がっていた。
その白銀の正体は、数え切れないほどの人、ヒト、ひと……。
白い装束の人々が、広場にごった返していたんだ。
「さっきから人を見かけないと思っていたが、まさか全員ここに集まってるのか……?」
そして、俺はその装束に見覚えがあった。
移民が原因でしっちゃかめっちゃかになってる欧州見てると乾いた笑いしか出てこない。