はてなキーワード: しくじり先生とは
途中で切れてたのでごめんなさい、続き。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま実家で今まで通り家族以外に会わずにそれなりのハッピーライフ☆を過ごしているかもしれない。
でもこれだけは言えるのはこれまで頑張ってきた分どっちの判断に転んでも痛くないこと、私はこの何ヶ月かで考え方やものの見方が良い方にも悪い方にも変わって、今日がもしかしたらその区切りだったのかもしれないこと。多分後悔はしない。
これまでいろいろ学んできて、先生にならなくても私が思う強い大人にはなれるはずだから。
最後に、知ってる人間に私が書いたと思われない状態で客観的に状況を整理したいと思いよく2.5界隈で使われているこのサイトに行き着きましたが私が書いたせいでかなり主観的になってしまった。自分を援護する表現が多く出てきてしまったために読み手様を不快にさせていたら申し訳ないです。それだけ私はまだ弱い。
医療従事者の皆さんも教授も、みんな現状打破のために頑張っている。ホストだってキャバだって、多分それぞれの暮らしがある。Gotoキャンペーンだっけ?それについても「あちらを立てればこちらが立たず。」
これからどうなるのかなんてわからないけれど、何も考えずに遠征してたそれなりに平和な日々が戻ってきますように。
クソクソクソクソ長いひどい文章なのに最後まで読んでくださった皆さん。ありがとうございました。
先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!!
私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????
567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルのオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人からの身バレ防止のためここからの大学の描写はボンヤリとしたものになります。コメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的に批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!!
誤字脱字はすいません。
いままで約20年間、数学や物理、化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。
大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。
私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。
もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。
読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章の稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。
①去年~今年2月の話
学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。
趣味だったイラストのサークルにも加入し、高校が同じだった友達が学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校のクラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。
サークルの友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。
安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。
私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系の学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)
私の大学受験のサポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。
有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生や担任の先生、大学で理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。
私が受験に合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。
これが理由で、理系学部に進んだ私は自分の学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。
もちろん授業が倍になるなら試験もレポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。
1年間やりきった。成績も上々でモチベーションは入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。
2月、実習も終わって大体の友達が実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。
実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルスの話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。
その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazonで教科書を用意した。
友達は出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元の友達とショッピングセンターや居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元の友達と毎日のように遊んでいたらしくてラインもzoomも使わなくなっていた。
私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュースで危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学の友達が理解できなくなった。
ほとんどの大学の友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。
4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレにメイク、同人誌を作れるレベルで二次創作もした。自担(地下)の過去の映像を見て1ライブできるぐらいにはダンスも練習した。(クソデカ過大評価)
むしろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手にピザだのウーバーだの頼まれて友達が勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分の感覚で自分を許すことができるこの時間を人生の夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。
5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。
連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベルで課題が出るのだから家から出ることが本当に、絶対、多分無理。
オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達はもっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽にイライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分の性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSでみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。
そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかったことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語もせっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ
そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。
なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系と教育学部、医学部、薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子と出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークルの男子が教えてくれた。マジで無理だった。
こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。
インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。
正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから、他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。
メンタルボロボロのまま毎日徹夜でレポートを書いた。エクセルで演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推しの夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタルが回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。
コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネット・オンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。
リアルの人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターのフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまり家から一歩も出なかった。5月から1ミリも変わらない暮らしをしていた。
大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名のフォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能な距離にあるのかという内容であった。正直に送った。
しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情をメールして渋々だったが郵送させて頂いた。
その後も何人もの教授が大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールにファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部で実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家で講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。
もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。
教授の気持ちはわかる。高校の部活で演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離で暮らしている子もいます。Word文書は気持ちが伝わりにくいなら、手書きはどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学にプリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。
この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドルの現場でお会いしたことのある方で事務所を経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前で鬼のように検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。
しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブを自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。
その頃だった。コンカフェの店舗を構える予定の歌舞伎でクラスターが発生したのは。
もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。
捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味の雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)
ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。
いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチ重メンヘラコーナー)
そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日を実家で送っています。最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています。
私はこれでも勉強に趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京で毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手にロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。
そしたら今日、大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。
8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要な書類は大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。
実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生が教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。
だから私はどうする?
教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事もネットにはいっぱいある。
メールが来てから2時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。
県内で感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?
介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所で感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいから明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?
私今まで通り大学生活送れる?
もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。
なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいものは教師じゃないのかも知れない。
私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから。
ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。
意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要な書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20
巷の予備校じゃあ合格体験記ってのが配られるらしいじゃないか。
大学受験でも、就職試験でも。経験して思ったのは、成功する手段なんて十人十色なんだよ。大学受験で言えば、才能がある人ならMARCHは3ヶ月なんだよ。だけど、失敗する原因には共通して言えるものがあるんじゃないかい?勉強量が不足しているのは共通して言える失敗理由だ。
巷の大学就活課じゃあ就活が終わった学生が3年生のサポートをするらしいじゃないか。
一部の就活勝(?)者の話の何がウザいって、彼ら彼女らへの嫉妬よりも、自分の事を一般化して話して来る所なんだよぁ(=聞いても役に立たないことが多い) それよりも一般化できる失敗談の方が為になると思う。
最初はよかったんだけどな。人気が出てくると番組が調子に乗って、あとネタ切れで、視聴者投稿に無理があるため、嘘松まみれ
だって嘘かどうかなんて証明できないし、こういうことがあったんです!って創作投稿してうまくいけば3万貰える
多分沢山の常連が3万貰うべく毎月投稿していて、テレビ局も嘘と分かっていて採用している
最近毎回同じような展開になってて、もうこれパターン化してて、絶対嘘だな、って感じ
だからネタが切れないように注意しないといけないんだけど、最近は少し流行ると3時間番組を連発し、ネタをあっという間に使いつくし終了、ばっかり
安易な乱発をせずに、人気のある番組でも1時間通常放送を続けている番組は長寿化している
どうも、しくじり先生の18卒女です。
・中堅大文系
そう、就活解禁日の2017年3月から翌年2月末まで内定が貰えませんでした!
という訳でこれから就活をする皆さんへ、私のようなしくじりを犯さないように、アドバイスしていきたいと思います。
大企業を受ける気が無いなら、使わなくて良いです。
特に私のような、希望職種・業界の無い人間には使いこなせません。
得られる情報が膨大なので、情報を精査するのはかなり難しいと思います。
あとタッチ1つで沢山エントリー出来るので、選考にエントリーしている意識が薄くなり、企業研究や志望動機の作成が疎かになりがちです。
適当にフィーリングでエントリーして説明会へ行き、「残業が100時間ある社員もいますが、本人はやりがいがあると言っています」と言われ即帰宅、なんて事もよくありました。
もし、絶対に大企業じゃなきゃ嫌だ、というこだわりが無いなら、就活エージェントをおすすめします。
自分の希望条件(勤務地、残業時間等)に合った求人を紹介してくれるので、多少マシになります。
私はそれを鵜呑みにし過ぎて、事前に教えられた事しか対策せずに爆死しましたが。
でも、自分についた担当がちょっとでも合わないと感じたら、すぐチェンジして下さい。
そして、就活エージェントは最低2社くらい同時に使った方が良いです。
ただ、12月過ぎてから入る求人は希望条件ガン無視の求人(地方転勤、深夜工場勤務等)しか無いので、この時点で内定を貰えていない人は、エージェントと縁を切ってください。
中小企業のみや既卒向けといった、よりニッチなサイトに切り替える事をおすすめします。
■しくじりその2「コミュ力が無い 」
前述した通り私には大学の友人がいません。
アルバイトも接客業ではなく、1人でコツコツやるオフィスワークでした。
無理でしょう。
面接後の就活エージェントからのフィードバックでは「話し方が子供っぽい」「自己主張が強い感じがする」「馴れ馴れしい」と散々でした。
レジ打ちでもファミレスのホールでも、何か「初対面の人と話す機会」のあるアルバイトを短くても良いからやるべきだったな、と今は感じます。
そういった経験の無い人は、とりあえずNHKアナウンサーの話し方を意識してみてください。
多少はマシになります。
雰囲気とか。
就職指導課で面接指導を受けられますが、それを申し出るコミュ力すら無いんですよね。
大学指定の履歴書を貰いに就職指導課に入る事自体、緊張していつも吐きそうでした。
■しくじりその3「面接で話す事が無い」
あと「大学には友達が何人いますか、またその友達からあなたはどんな風に思われていますか」という質問が来たら終わりです。
それを怠った同志達よ、地獄へようこそ。
対策は無いです。
このように、なんだかんだやらかしながらも、今は無事2社から内定を頂き(SE職、事務職)、親もヤケ酒から解放されました。
「売り手市場」なんて言いますが、中堅大やMARCHクラスでも、なかなか内定が取れず、そのまま就活を諦めてしまった人もいます。
とにかく、もし就活が上手くいかなくても悲観するのは良くないです。
自暴自棄になり過ぎない事。
大丈夫、お祈りしてきた企業はあなたのいるべき場所じゃなかっただけ。
それでは、皆さん、頑張ってください。
阪神に在籍していたときに新庄が甲子園球場に出場するときは、その日の売り上げ(グッズ・背番号入りのレプリカユニフォーム・ビール・飲食物)が2億2千万に増えたらしい。普段は1億円以下なのに。
(カレンダーやお土産ものみたいなものは、アイドルや観光地とビジネスモデルが似てそうではある)
仮にプロ野球の試合は、だいたい年間130試合ぐらい?で、半分は他球場で、30日は夏の高校野球が甲子園で使われるとして。
甲子園球場で50試合開催されたらば、通常と比較して110億円は新庄効果で稼いでいたことになる。
売り上げだけでだけど。。
結局、彼は年俸の約10倍の売り上げ高を球団にもたらしていたわけだ。
https://shikujiri-matome.com/shinjyoutsuyoshi/
買う人がいるんだからね、そういう商品を。一人のプロ野球選手が出ると言うことで、さ。
それぐらい極端に売り上げが変わるかは分からないけれど、テレビの視聴率やスポーツ新聞の売り上げ・野球の雑誌の売り上げにも変わっていたんだろう。
今は、衛星テレビ?スカパーとかで、スポーツチャンネルなんだろから、下火だろうけれど。
この選手がいるので、テレビを見るとか、視聴料を支払うとかという構図はあるだろう。
2万人のお客さんが5000円分の何かを買えば、1億って計算だけどー。
バブル世代なのかな。
国家を破綻させて誠に申し訳ありません。おそらく2050年まで国は持たないと思います。
今のペースで老人が増えて、少子化が収束しなければ、当然です。そのころに少子化対策をしたって母数が小さすぎます。何の効果も出ないのは明白でしょう。
企業は何の競争力も確保できず、国際競争では勝てません。さらに内需も期待できません。
税収なんてどこからも期待できないのです。防衛費なんて1円も出せませんよ、その頃には。日本の領土は日本のものではなくなっているかもしれませんね。
あなたがたの年金は将来ありません。簡単に申し上げますと、死ぬまで働け、そういうことです。
民主主義というか、ただ老人と癒着企業にだけ優しい社会を築いてしまったことを深くお詫び申し上げます。
まず政界というのはですね、法が行き届かないようになっておりまして、簡単に経費を私物化出来てしまうわけですね。
監視システムがまずありませんから。もう先進国にあるまじきシステムです。メディアに追求されない限り、まずバレません。仮にバレたとしてもいくらでも濁せます。
考えてみてください。お金が出てくるボタンがあります。政治資金が必要なときはいくらでも押せます。でも何に使うか厳密に管理されていないんですよね。報告書なんて黒塗りだらけにしておけばOKですし。そんな簡単にお金が出てくるボタンがあれば誰だって押すでしょう?
我々と医療機関との癒着は簡単に切れないわけですよ。無駄とわかっていながら、寝たきりの皆様には死ぬまで税金を投与して生きながらえさせる、医者からすれば楽〜に儲かりますからね。すごいですよ、多額の税金がこれによって消失します。なぜなら医療費だけでなく介護費、さらに年金まで税金で補いますからね。こういった人ひとり1ヶ月生きながらえさせるのに、100万以上の税金が投入されます。そりゃいくら増税したって足りません。
でも医療は進化しています。こういった人が10年でも20年でも生かせてしまうわけですね。年間1500万の税金がかかるとすれば、20年寿命を闇雲に伸ばすだけで一人あたり3億円ってところでしょうか。いや〜恐ろしい。
老人を無駄に生きながらえさせることをやめて少子化対策をしれいればって、そりゃ思いますよ。
さっさと安楽死を導入して、子育て世代への支援をしていれば、もっと今の日本は健全な社会だったと思います。
でもねえ、票が集まらないんですよね。票が集まらなきゃ政策も何もないでしょう。
年寄りっていうのは自分たち政治家も含めて自分のことしか考えていませんから。
そりゃそうでしょう、老い先短い人間が自分のことより将来の日本のことを心配しますか?しません。
でもこんな状況でも私らはいくらでも経費で好き勝手出来ますから、ありがたいものですよ、政界って。
日本の社会は搾取するかされるか、どちらか2通りしかありません。当然私たちは搾取する側です。
右翼のみなさんも、私達がちょっと都合のいいことをいえば、ころっと騙されてくれる。扱いやすいものです。こうも洗脳しやすい国なのは政治家にとってとても好都合でした。
日本を立て直すには政治システムを根本から見直すことですが、現実的に不可能です。
なぜなら政治家私たちは今の自分達にのみ都合のいいシステムが非常に気に入っているからです。
日本は歴史ある国で、建国後一度も侵略されたことがありません。
なんかしくじり先生でDNA鑑定でどの程度触ったかまで解る!とかやってたらしい。
超便利じゃん。なんでやらないの?やりゃいいじゃんそんな便利なら。一つの判断材料になるじゃん?
まぁ満員電車ってぎゅうぎゅうだから意図的でなくても強くこすれる事もあるだろうけど、それはまた別の話じゃん?
私は女で、痴漢の被害(冤罪なんて言わせないってくらい確信があるもの)を受けた事が何度もある。
一度だけ時間に余裕もあったし、悪質さに耐えかねて痴漢ですよね。降りてくださいってやった。
でも警察に目撃者が居ないからどうしようもないって言われた。警察は終始痴漢の味方で100%加害者とは断定できない人間を糾弾する事に罪悪感を感じないのかって説教までされた。
詳細は割愛するけど、私としてはそいつを痴漢と断定するだけの根拠はあった。でも目撃者が居ないとねって言われるだけだった。
(蛇足だけど、この経験があるのでこの人痴漢です→人生終了って見方には懐疑的だったりする)
あの時DNA鑑定してくれたらあいつは逮捕できたと思う。痴漢被害者側にも冤罪被害者側にもメリットがあるんじゃないの?
じゃあやればいいじゃん。なんでやらないの?
あのぉ、まぁそうっすね〜。まぁちょっと話すか話さないかちょっと迷ってて。まぁ直前までどうしようかなと思ったんですけども。まぁマエケンさんの話なんですけど。あのぉマエケンさんが倒れた日の夕方くらいに、あのぉ病院のICUに、ぼく行きまして。それであのぉマエケンさんのお兄さん、が、そのちょっと面会させてくれるように頼んでくれて。あのぉ、会ったんです。
ほうほうほう
うん。で、そんとき、まぁICUで、まぁね、いろんなこう、なんつうんだろうな管というか、まぁ付いてはいたんですけど。なんか、すぐに起きて、起きそうな、寝てるだけみたいな、すぐ起きそうな気がしてね。それでなんか、手なんかも握ったんですけど、全然暖かくて、顔色も悪くないし。
へー
そうそう。ていう感じで。なんだろうなー、春日さんはようくご存知だと思うけど、マエケンさんてなんつうんだろうな、なんつうんだろ、なんかこう、そういうさ、死の淵から蘇ってきて、なんかこう、ものすごい作品を作ったりとかしそうな、感じ? あるじゃないですか。で、まぁ、なんか、しくじり先生で松村さんの授業とか受けたり。したりしたのもあるのか、あー、なんか、絶対意識もどるだろうな、ってなんかこう、確信みたいな感じがあって。で、まぁICU出て。出たんすけど。でまぁ、ここ何日かはずっと、みんなもそうだとおもうですけど、ずっとマエケンさんのことを思い出してるんですけど。
あのぉ、いろいろ思い出すし。なんだったら、うちの事務所で俺が一番叱られてんじゃないかなと思って。
あー、それはあるかもしれんなー。
ショーパブのね、キサラが一緒だったから。キサラのあとは必ずご飯連れてってくれたりしてて。なんかね、いろいろ思い出してね。初めて会ったときのことを思い出して。ケイダッシュステージになんか、「今月から入ります若林ですよろしくお願いします」って楽屋で言ったんだよシアターDの。そしたらなんかね、他の先輩はね、「おぅ」とか「おぅ、よろしくねー」みたいな感じなんだけど。なんかマエケンさんだけはなんか、胸に手を当てて、「前田健です。よろしくお願いします」すっごい綺麗に頭下げたんだよね。
笑
それがなんか、
独特だな。
すごい後輩にこんなきれいに頭下げる人いるんだなぁ、なんて思って、それからなんか、挨拶は後輩でも敬語でしようかななんてちょっと思ったりしたりして。
なるほど。
で、なんかそのあとに。初対面よ。顔をジーっと見られて。「みんな死んじゃえって顔してるね」って言われたんだよね。
ほう。初対面で。
で、実際なんかその時、二十一歳くらいだけど、俺。実際みんな死んじゃえって思ってたから。
バレたねー
そん時はね。だからそういうことすぐ見抜くみたいな。心眼みたいなのがある人じゃない。
まぁそうだね。
そうそうそう。そういうこととか思い出して。で、なんかそれで何年か経っても、俺初めてお前と会ったときなんて言ったんだっけ。って話しして、みんな死んじゃえって、言われたんすよ、つって(笑)、二人で笑うなんてこともよくあったなとか。でね、なんかね。まぁ怒られたね。春日さんにも訊きたかったんだけどね。いろいろマエケンさんのこと思い出して。ネタ褒められたことあったかね?
ネタ褒められたこと?
テレビ出始めたあとも。
あとも?ネタを?
褒められたことって無いよね、たぶんね。
まぁ面白いとかはあんまないかもね、よかったねとはいわれたりしたよね
世にでることができて良かったねみたいなことはあるけど。あのネタ面白いねとかはないかもね。
ないんだよ。で、俺も思い出せなくて。褒められたことを。でねえ、そういえばよく叱られて、正直に言えば、認められたいっていう気持ちの裏返しなんだけど、見返してやるっていう気持ちのほうが、育んでくれたな、っていう人で。
うんうんうん
でー、あのね、褒められたことあったかなぁと思ってね。ずっと思い出してたんだらね、一個だけあって。
あーそう。
あー、これアリの?
うん。ちょっとなんつーの。ゆとり世代っていうの?サイコパスっていうか、あれはお前だよね、ってすごい言ってくれて。褒められたことないもんだから。あーマエケンさんそれすごい、褒めてくれたなーって
あー。
なんか、あの、どっちかっていうと、お芝居が好きだから。
うんうんうん
漫才がし、好きっていうのはあんまりなかったよね。話しててね。
コントが好きだよね。でね、すごい怒られて。なんかまぁ生意気言うんだよねきっと俺も。でね、いろんなとこ連れてってもらって。ご飯、食えないから、お金がないから。腹を凹ませて写メを撮るのよ。で、『限界です』って送ると、あのぉ、店の住所と名前だけ送り返してきて、ご飯おごってもらうっていうの、俺もう何食やったか。
あー、あるなぁ。
あるでしょ
飯はだいぶ食わしてもらったなー。
で、すっごいおしゃれなところ連れてってくれんのよ。青梅街道沿いの知る人ぞ知るステーキ屋とか。ビーフシチューが美味しい家族でやってるとことか。あとなんか、四谷だったかなぁ、なんか、熱帯魚が水槽泳いでるような。おっしゃれーな、長細いグラスで出てくるみたいな、ジンジャエールがみたいなとこに深夜連れてってくれて。「お前、こういうとこ知っといたほうがいいんだよ。こういうのが世の中にあるってことを」なんて言って。で、熱帯魚が泳いでて。なんか、なんだろう、和三盆の、を使ったプリンみたいの二人で食べてさ。ほかもうカップルだらけなのにさ、俺二十五くらいだったかな。マエケンさんが三十……六くらいだったのかなぁ? 三十三とかか。周りカップルだらけのとこでそんなの食べたり。なんか代官山の民族音楽がずーっと流れてるみたいな、カフェみたいなとこで、チャイ飲んだり。「チャイっていうもんがあるんだぞ」なんつって。とかね。そういうの思い出してね。でまぁ怒られたね。もっと謙虚になれと。人にもっと。それもでも関係ないっすよとか。よく言ってたりして。あん時よく言い返してた。あとなんか、まぁ愚痴? ライブのこういうとこが気に食わないとか。先輩の誰がとか。よーく聞いてもらって。でなんか言われんだよね。謙虚さが足りないみたいな。でなんか言い返すんだよ俺がきっと。生意気だから。
うん
で、なんか、下向いてね。自分ではロジカルなつもりでね、こうこうこうじゃないですか、みたいなこと言ってて、パッと目線上げるとねマエケンさんがね帽子を取ってね、あの、俺のことをジーっと見てんすよ。あの、で、俺が、「めちゃくちゃ禿げてるじゃないすか!」つって。「いや、違うんすよ俺真剣に話してんすよ」みたいな。なんかその俺の机上の空論? みたいな屁理屈をなんかね、禿一発で吹き飛ばすようなね。
ということがあってね。夜中行くと、なんか電気消してろうそくに火を灯しだすんすよ。マエケンさんが。部屋で。
ほう。
で、いっつもバスローブなんですよ。
で、屋上を、改造したから、見に行こうって見に行ったら、屋上マエケンさんが自分でDIY? して。なんかウッドデッキみたいになってて、なんか、リノベーションていうの? なんかわかんないけど。全部ちょっと朽ちた木で打ちっぱなしてあって。
工夫すんなよ、何だよそれ。はははは
真冬の1月なのに、二人でダウン着てさ。マフラー巻いてろうそくに火を灯してコーヒー飲んで俺もう寒くて。寒くて寒くて。話が北風で入ってこねえし。
わはははは
で、わざとでかい声でしゃべって、近所に迷惑になるから中入ろうって言ってもらうために、わざとでかい声でしゃべったりね。
うーん
で、原付き、あーそうね。あのだから、それで、原付き、電車賃でお金がなくなるつって、ライブに行けないんです、つったら、「おぉ原付きあげるよ」つって、いきなり原付きもらったりして。あれもう5年位乗ってたんじゃないかなぁ。
あったね。
それで、でね。原付きもらって。原付き乗ってたんだよ。でね、三日後くらいにね、マエケンさんがクイズ番組かなんかの懸賞でね、原付き当てたのよ。
あ、なんかあったね。
そう、そしたらなんかね、得意気にね、「人にね、プレゼントすると自分に返ってくるんだよ、こうやって」つってねってね、言うんですよ。それで、原付きが、商品が届いて。夜中二人で外で乗ってみようつって。で、エンジンかけて、で、走りだしたら、ブーン、ドガガガがガガーン!ってそれから一切エンジンかかんなくなって。二人でね一キロくらいね深夜開いてるガソリンスタンドまで押してったらね。ガソリンスタンドの人に見てもらったらね。届けられたでしょ。プレゼントで。エンジンオイルが入ってなくて。
ほう
エンジンかけちゃったから、エンジンが焼け焦げちゃって。それでオシャカになったんですよ。
新しい方が? ケン姉の方のやつが?
そうそう笑
しょうがねえな笑
で、俺の原付きジー、ずーっと見てんすよ。「いや、マエケンさん、もしあれだったら、あの、全然返しますけど」つったら「いや、いい」みたいな。
そりゃもう受け取れないわな
そうそうそう。そんなことあったりね。あと、ナプキンにね、ファミレスで、俺もちろん彼女なんかできないときにね。自分のね、好きなタイプとかバーっていって言ってみろってなんか言ったらね。それはね、ファミレスのナプキンにね。絵うまかったじゃん。すごい。すっごい絵上手で。マエケンさん。俺の理想の彼女を描いたんですよ。マエケンさん。したらね、ビッ、ドンピシャでタイプだったの。
ホー、すごいね。
だからね、俺ね、それずーっと財布に入れてね、それを彼女として過ごしてた時期あったんだよね。
気持ちわりいな。何だそりゃ。
ははははは
そんくらい、ドンピシャの彼女だったんだよね。それなんか、具現化してくれてさ。もしかしたら、実家行ったらとってあるかもしれない。
あーなるほどね。
よくね、何が一番怒られたかなっていうとね。俺ね。あの、マエケンさんが言ったことに対してね、「でも、」って話し始めるの。「お前『でも』って言うな」ってすごい怒られて。「人の意見はちゃんと入れてから、自分の意見を。『でも』ってすぐ突っぱねるな。」みたいな。ということをよく、ほんとに言われてて。「『でも』って言うな。」って人に。あのたまに俺このラジオ、たまにっていうか毎回このラジオ聞くんすけど、車の中で。ぜんぜん『でも』って言ってるよね。
(笑)あー、まだ治らず。
うん。ぜんぜん治んないんですよ。
まぁ簡単に治るもんでもないんだろうね。
そうそうそう。だから、なんか、治さなきゃなぁとか思ってて。それで、たまに三ヶ月に一回くらい『今幸せ?』っていうメールがよく来てたんすよ
ほう
うん。もうほんと毎回だから。なんか、うるせーな、とかって返しちゃってたんだけど。で、なんかあったね。『楽しいですけど、それだけじゃないすね。』みたいな。『お前の性格だったらそうだろうね』みたいなことを、言ったりして。このラジオでも散々メールでもトークでもイジってるけど、全然それは、なんか、なんつーんだろうな、許してくれたっていうか。笑ってくれてたけどね。
あー
「Twitterに来るよ。お前んとこのリスナーから」つって。
そうか、それがあんのか。
そういうのでそうか、ばれんだな。
「でも、そういういじるのも良いっすよね」って言ったら、「『でも』って言うな」みたいな、めちゃくちゃ怒られたり。
その「でも」もだめなんだね。厳しいな「でも」に。
そのくらい「でも」って言ってきましたから。まぁただ、映画、マエケンさん撮ったじゃない。それをね、ちょっとね、見直したんすけどね。あれほど、あーやって観ると前田健が詰まってる作品はないね。小説もそうだけど。
あー、そう。
うん。改めて、すごい、そう思ったね。なんね、よく言われてたよ。「なんで俺が芸名じゃないかわかる?」みたいな。前田健て本名じゃない。
なんかその、やっぱり、自分の名前を残したい、みたいなことを言ってて。一番印象に残ってるのがね、いつもね、深夜話してて最後の方にね、足の裏を撫でるんですよね。
ん? 誰が?
自分の足の裏を。マエケンさんが。でね、何でかっていうとね、足の裏を愛おしそうに見るんすよマエケンさんが。自分の。
うん。
なんかね。自分のね、身体の中でね、好きな部分がね、足の裏だけなんだって。
それどういうこと? (笑)どういうこと?
どういうことなんすか? って訊いたらね、「自分の身体の中でね、足の裏だけが、美しい」んだって。
だいぶ少ないね。
先日のこと。俺はフォロワーが6000を超えるアルファツイッタラーなんだが、会社帰りに飯でも食おうとデフレイタリアンに足を踏み入れた。
俺はパソコンを店員に覗かれるのが嫌なのでいつも壁際を背にして座る(この気持ち、フォロワーが少ないみんなも一緒だよな?)。
すると、目線の先にあるテーブルで、対面になるように座っている女がいた。30代半ばぐらいだった。小太りだった。一人でワインを飲んでいた。
こちらが安くて美味いスパゲティを食べていると、チラチラと視線を感じた。
ズルズル チラッ ズルズル チラッ
最初は気のせいだと思っていたが、明らかにこっちを見ている。いくら俺でも気になりだした。しくじり先生を見ながら、こちらもチラチラ見ると視線が合う。そのとき、俺の脳内にあるインターネット情報がスパークした。
そうなのか? そういうことなのか? いや、でも勘違いだったらどうなのよ。そう逡巡しながら、しくじり先生に視線を戻す。すると画面が「しくじったって笑いに変えればいいじゃないか」と言っている気がした。
「……ヤるか!」
「僕ら前に会ったことあります?」
なんと彼女は俺のフォロワーだった。プロフィール写真と似ているので何度も見たということだった。これは……そういうことなのか?
彼女は会社帰りで、けっこうこの店には来ているらしい。俺のことも何度か目にしたことがあるという。俺は記憶にない。
二人でワインを飲みながら、楽しく話した。でも、そういうことなのか、確証がない。
「すぐそこにネットカフェあるよ」
「でも、会員証ないよ」(これも嘘)
「じゃあ、私の貸してあげる」
会計を済ませると、俺は確信に迫ることにした。店から出た瞬間、彼女のケツを揉んだのだ。
「あははははは」
彼女は笑うだけだった。これはそういうことだ! やった! そういうことなんだ!! テンションはぐんぐんと上昇した。やったー! そういうことなんだ!!
ネットカフェで個室で座敷のタイプの部屋を選んで入ると、そのままキスをして身体を弄った。
彼女は何度も「感じちゃうよお、声出ちゃうよお」と言っていたのが可愛かった。アラサーで小太り。でも、良いじゃないか。
ドアに小窓があって廊下から丸見え、というアクシデントがあったが、そんなことお構いなしにまぐわった。何度も腰を打ち付けあい、最後は口に出した。2回、口に出した。そのまま疲れて眠った。
早朝、彼女がパンツを履いて部屋を出ていく後ろ姿が見えた。そういえば名前なんだっけ……酔っていたから思い出せない。またサイゼリアに行けば会えるんだろうか。うう……定期的にヤリたい。セフレにしたい。できないかな。ツイッターでDM送ってこないかな。
おい! こんな良い思いができたぞ! 生きているって素晴らしいな! それじゃ。
当時からゲームが大好きだった自分にしてみれば他の芸能人や有名人なんかより本当に輝いて見える存在だった。
家には昼間から飲んだくれている父親が麻雀ゲームをしたいがためだけに買ったファミコンが置いてあった。
当然他のゲームなんて買ってもらえるわけもなく自分の小遣いでも到底手が届くようなものでもなかった。
おもちゃ屋に並ぶファミコンカセットそのものでさえ宝石のように輝いて見えていて、しかもそれを自在にプレイする名人はまさに神の如きオーラをまとっているかさえのように見えていた。
テレビ自体も家では禁止されていたために、学校帰りに本屋で雑誌を立ち読みしては彼のゲーム攻略を目を皿のようにして見入っていた。
そうして妄想の世界で名人と肩を並べては、有りもしないゲーム攻略を語り合う時間がゲームの出来ない僕にとって一番に楽しい時間だった。
当時の自分にとってのゲームとは、そうして紙の上にある情報を想像だけでつなぎ合わせながら楽しむものだった。
少ない小遣いを握りしめて、かろうじて手が届いたのがその頃に連載されていた高橋名人物語のコミックだった。
親が離婚して母の親元に引き取られたのち新しい生活に馴染めない自分にとって、高橋名人物語を読んでいる間は唯一の救いだった。
今でこそ下品な内容だが、名人が幼少期にうんこをちぎっては投げるシーンを見ているだけで、何もかもを忘れて笑うことが出来た。
何をちっぽけな常識に捕らわれて悩んでいるんだ。その気になればなんでもできる。
まるで自分にそう言い聞かすかのような名人からの応援に思えていたのだろう。田舎特有の冷たい視線にされされては、僕は心の中でうんこを投げた。
中学を出て働き始めた自分にとって、ゲームは縁遠い存在になってしまった。
街に出て一人暮らしをはじめた頃、ゲーム攻略雑誌の編集部に面接にいった事もあったが、実際のゲームプレイ経験がほとんどない自分が採用されるわけはなかった。
数年前のこと、当時拾ってもらえていたパチンコ店在籍中に出向いたアミューズメント向け展示会に彼は来ていた。
とはいってもステージの上にゲストとして出演していたとかではない。
ゲームとは全く無関係なブースで、アイドル写真集の売り子をしていたのだ。
高橋名人に気づく人さえわずかで、彼の周りにはほとんどといっていいほど誰もいなかった。
そんな状況に戸惑いつつも恐る恐る近づいていくと、そこに立っているのは紛れもなく高橋名人だった。
あまりの嬉しさと緊張で声が上ずってしまったことを記憶している。
「高橋名人ですよね?子供の頃からの憧れでした。とくに高橋名人物語が大好きで、何度も何度も読んでました。」
そういって握手を求めると、彼からは全く想定していなかった反応が返ってきた。
軽く鼻で笑いながらやや面倒くさそうに握手に応じると、一言「あぁ、君もその口か。」とだけ返してきた。
正直何のことかわからなかった。
なぜ彼がここでアイドル写真集の売り子をしているのかもわからなかったし、なぜ彼がそんなことを言ったのかもわからなかった。
なんとか「応援しています。」とだけ返すのが精一杯で、言いながら何を応援すればいいのかもわからなかった。
すでに30歳を過ぎ、それなりに大人になったつもりでいたが、その一言は怒りや悲しみといった感情よりもただショックでしかなかった。
帰ってから調べると色々あったことだけはわかった。でも、だからといってあんまりだ。僕は心の中で彼に向かってうんこを投げることでこの出来事を乗り越えようとした。
それまで別格のように憧れていた存在だった彼は、一転して最も忌むべき存在になってしまった。
それから数年して、彼がしくじり先生に出るという話を耳に挟んだ。
それはどうしても見る気になれなかったが、翌日、彼のブログが各所から流れ込んできた。
番組は見ていないけど話題になるってことは何かしでかしたのだろう。
そんな程度のつもりで軽く読み飛ばすくらいなら見てもいいかと思い、開いた。
それでやっとあの時の彼の言葉の謎が解けた。
それまでは、落ちぶれた自分を見られたくない気持ちの裏返し程度に思っていた。
でも違った。彼は苦しんでいたのだ。
独り歩きする自分の姿と、独り歩きした自分にあこがれていく子供たちに嘘をつき続けなくてはならないことに。
まさに自分がそうだということに気がついた。
僕が憧れていたのは、他でもなく独り歩きしていた彼だ。
彼のあの一言は、そうして騙された子供たちを幻想から解放するための一言だったのだろう。
そして彼にしてみれば、そんな呪いから逃れるための言葉だったに違いない。
その証拠に、今や彼に対する憧れは自分の中から一切取り除かれてしまったのだから。
だからあえて言わせてほしい。
あの時を乗り越えて今の自分があるのは、高橋名人のおかげに他ならないと言うことを。
昨夜、しくじり先生にゲンキングが出ていて、インスタでいいねをもらうために高級ブランド品を買い漁って自慢していたみたいなことを話していた。
そのときに、間接自慢という手法があって、主題ではないんだけど、写真に写っているものでさり気なく自慢するんです、ということを紹介していた。
へー、そんなのがあるんだなーと思って今朝のはてブ見たら、猪瀬元都知事がTwitterに投稿した写真で、ニコ生のことを紹介してるんだけど、そのブラウザのブックマークのところにXvideosが写っていたということで盛り上がっていた。
なんとなく昨日の流れから、猪瀬元都知事の間接自慢なんじゃないかと思った。こういうのを見るくらい元気なんですよ、みたいな。
しくじり先生のソニンを観ていて、まるで自分を見ているようで苦しくなった。
彼女の10代の頃の映像は、自分がそこにいて、わたしがやっているような気持ちになった。隣で見ていた母親の、「あーあ」「倒れる倒れる」という煽る響きもあるつぶやきが、わたしの子供の頃を思い出させる。惨めさ、悔しさ、怒り、恐怖、隣で見ている母親をなぐりつけたい感情がカッとよみがえった。
大人になったわたしは、ふと別の感情に気付く。わたしもまた、煽る側として楽しんでいるのだ。一人の人間を自らの手でコントロールし、破壊し尽くすことの快感みたいなもの、そして目の前で破壊されているのもまた自分であり、自分が惨めで苦しんでいじめ抜いていることへの快感、そういう暗いよろこびを感じている。
わたしは子供がいないが、もしいたら、虐待するんだろうなと思う。子供は自分の分身だから、自分を惨めなめに合わせ徹底的に破壊して追い詰めるだけ追い詰めたいという欲が、絶対湧くだろうし、子供とわたし一対一の関係性、そこにストレスが加われば我慢することはできないだろう。虐待とは他人を傷付けて快感を得るものでなく、自分を傷付けて快感を得る種類のものだと思う。そういう発想がそもそもない人は、かわいい我が子をどうして、と思うだろうが、わたしはよく分かる。自分のことをかわいいと、大事だと思わない人間もいる。そんな人間が我が子をかわいい、大事だと思うわけがない。幸せになることは許さない。
結婚とは、これを解決する手段ではなく、問題を抱えたまま持ち込んで生活するということだと思っている。それも生きるということだし、大なり小なり幸せもあるだろう。しかしわたしはもう、あのようなことを子供を通して追体験したくない。
・気軽に話しかけて気遣ってくれる
・叱る時は厳しく叱り褒める時は喜んで褒める
・リーダーシップがある
自分ではもう結果を残せなくなった人間が自分の立場を守るために、人望という盾を作ろうとするとこうなるのだ。
それにまんまと騙されて甘い環境でグズグズ育った人間に有能な人間がいた例しがない。
出来上がるのは従順で面白みのない、それでいて少しでも環境が悪くなれば文句ばかりいうクソ社畜だ。
有能な人間とはどのような環境下でも自らの役割を見出して活躍する人間のことだ。
どんなに人間性が破綻していたとしても、金を稼げる人間がそこにいるならば、そんなことは期待せず黙って働き金を稼げば良い。