はてなキーワード: さがみとは
前回同様、爆サイのハッテン場掲示板における書き込み頻度を尺度とする。https://bakusai.com/thr_tl/acode=3/ctgid=149/bid=2716/
結果、3店が突出していた。
城南地区トップ。何の王様だろう。1時間に1人以上の募集頻度を誇る。絹の湯(白濁湯)がよく使われるようだが、募集頻度の割にプレー場所や内容の書き込みは少ない。むしろ近くのビルやホテルでハッテンするための待ち合わせ+品定め場所として使われている。
神奈川県の湯快爽快に匹敵する頻度。サウナと黒湯が定番。ただ混雑するので浴場では待ち合わせにとどめ、別の場所で欲情するゲイも多いようだ。またスーパー銭湯扱いするには狭い銭湯であるためか、スリムな男が好まれるようだ。
ゆ〜シティに比べてデブの男が募集している傾向が強い。170cm台・100kg以上の案件が毎週のように出てきている。黒湯と休憩スペースがよく使われる。
書き込み頻度の割に浴場内でハッテンすることが少なく、待ち合わせ場所として使われている印象を受けた。混雑しがちなためと思われる。それでも朝イチと閉店間際(深夜帯)は狙われやすいようだ。
発達障害的には、これはたとえばの話だが、「頭が割れるような痛み」って言葉使っててちゃんと意思疎通できてるのかと思う。
脳か頭蓋骨の膨張によって骨か頭皮を内側から押し上げて圧迫するような感覚の痛みなのか、頭頂を斧でおもいっきり叩かれたらこんな痛みだろうなって想像したのと等しい痛みなのか。
特に後者は単に激痛というのと変わらない気もするが、その一方で、わざわざ激痛と言わず割れるような痛みというからには、何か具体的な質感を伴ってるはずと思うんだよな。
しかしどっちにしろ明らかなのはどういう意味でこの言葉が使われているのが判然としないということ。
痛みがあるときに痛みがあると告げられた相手に期待される行動は限られているから、この痛みの中身がブラックボックスでも、つまり発話者側が前者の意味で言っていたのを受け取り側が後者の意味で捉えた場合、あるいはそのその逆の場合があったとしても問題が起こっていないというだけではないか。やり取りのすれ違いは起こっていないが、意味のすれ違いはそこかしこで起こっている。
それ以前に安易に「割れるような痛み」を使っている人が多すぎないか。なんとなく陳腐な比喩表現を使いたがってるさがみたいなものはないか。同じ陳腐ならだったら「激痛」で済ませた方が簡潔で合理的だと思う。
発達障害の文章で「コックピットに乗っている俺が俺自身の身体を操縦しているような感覚」とか「ビデオを同時再生している感覚」とか書かれていることがあるがこれが気になる。
あまりにも軽々しくないか。表現がおおげさではないか。それはちゃんと自分の意図する実体通りのものを読者に想像させる表現なのか。
なかにはまさしくそういう状態の人もいるのかもしれないが、多くは筆が乗って大げさに書いているというのが実態だと思う。
これはかえって認識の齟齬を生み、本当にコックピットに乗ってるようなと比喩するに等しい感覚なんだねと思った支援者もそう書かないときよりもうまい支援を難しくしていると思う。
文章上から立ち上がって来る実体は安易な比喩であふれている。そういう比喩に「規格化」されている。本当は痛みについても現実にはもっときめ細かに言語上の差別化が可能な多種多様な痛みがあるのに、それらが「頭の割れるような痛み」に文章上では規格化され、かくして読者が想像する痛みが実際に存在し得る痛みよりはるかに限られている。
小説なんか規格化という現象のさいたる対象だ。世の中いろいろな形の鏡が考えられるが、小説に登場する多くは、丸型か、縦長の長方形か、あるいはハート形か、変わり種で星型といったところか。
無修飾、あるいは「不定形の鏡」とでも表現すればその形は読者次第となりかなりありとあらゆる形の鏡が誰かしららの読者の頭の中で形成されうるが、それこそありうる各形鏡に割り振られた想像され得る割合というのは先述の丸型とか長方形に比べれば無限小に等しいだろう。
元素成分分析のグラフで何か所(広義に有限な数だけということ)かだけ極端な高さでピークを持っていて、それ以外の領域では全てほぼ0みたいになっているという感じだ。
まあこの比喩自体規格化されてるかもしれない。ただまあこれは確率分布を元素分析にあてはめてるという点でグラフという次元では同等なのでそこまで齟齬はないと思う・
擦りガラスとはちょっと違うかもしれない隔てた先があまり透けて見えないガラスも全部すりガラス(もちろんマジックミラーならそう書くだろうけど)。
dorawiiより
かっこよすぎてズルいやん…と言う苗字集めたやで
・春夏冬(あきなし)
・暁烏(あけがらす)
・暁星(あけぼし)
・鴉鷙鳩鷺(あしくじ)
・阿世比丸(あせびまる)
・天ヶ瀬(あまがせ)
・伊大知(いだち)
・射手園(いてぞの)
・稲童丸(いなどうまる)
・戌亥(いぬい)
・威能(いのう)
・猪野頭(いのがしら)
・今久留主(いまくるす)
・忌鉄師(いみかぬて)
・魚返(うおがえり)
・鵜久森(うぐもり)
・内音坊(うちおんぼう)
・雲丹亀(うにがめ)
・大赤見(おおあかみ)
・大儀見(おおぎみ)
・戌法師(おおぼし)
・巨椋(おぐら)
・月下部(かすかべ)
・京(かなぐり)
・一七夜月(かのう)
・鹿伏兎(かぶと)
・甲楽城(かぶらき)
・貴伝名(きでな)
・九頭見(くずみ)
・九朗明川(くろめがわ)
・袈裟丸(けさまる)
・光真坊(こうしんぼう)
・黄金井(こがねい)
・神太麻(こだま)
「絶対に自分が嫌な思いをして自分を変えたりはしたくない」というお話。異世界モノって。
まあ端的に言えば「一切努力をせずに力が手にはいる」あるいは「元々才能があったが見いだされていなかっただけ」という発想。
人は基本的に、何かしらやりたいことや、目指したいことのために「できない自分」が存在する過程がある。
もちろん、RPGで勇者になるにも、レベル1からはじめて、クソ強い敵にボコボコにされる過程があって、初めて強くなる。
モテたくてめちゃくちゃファッション頑張るも「ダセー」と言われてフラれるとか、大学いきたくて勉強しまくったが落ちる、仕事がうまくいかずやめる………
それぞれ、挫折があって人は成長する。
ただし端的な挫折では行けない。「本当にやりたいことのためにマジで自分を削れるか」ということ。
「イヤなことキツイことやれとか昭和だな~」とかいうアホがいるが、別に軍隊に入れとかそういう話ではない。プロゲーマーで暮らしたいならプロゲーマーになるための努力するんならいいんじゃね?って話だ。
自己愛性の人間にとって、「本当にやりたいこと」とは「好き10 イヤ0」の比率で、すべてのことが好きで嫌なこととか存在しないと勘違いしているが、そうではなくて、イヤなこと2くらいは超えないと行けない。
だって、頑張る過程で絶対に「下手な自分」「うまくできてない自分」が出てくるからである。
一般の人間はそれを「まあそうだろうな」位に思っているが、自己愛性の場合そうではない。
「頑張る過程」で出てくる「雑魚な自分」、その存在を絶対に認めたくない。
だから早々に努力を辞める。プロゲーマーになる過程で、ゲームやってて8割楽しくても、2割の「イヤ」のために辞める。
なので、基本的に「一切努力せずに最強の力が手に入り、女も手に入り、「雑魚な自分」は一切出てこない」というストーリーが最高に好きなのではなかろうか。
異世界もののキモは、「異世界において、無能な自分は出てこない」ということである。つまりリセットされるのだ。
人間関係のリセットくせがある人間は、なんとなくこの意味がわかるんじゃなかろうか。
一切相手に、自分の悪い部分を露呈したくない、喧嘩したくない、喧嘩したらリセット、さようなら。無能さがみえて指摘されたらさようなら。
異世界モノなら、「異世界にいる人間は、有能な自分しか知らない」、つまり、完全に完璧な状態として認識されることができる。
そこが、異世界ものって、自己愛性パーソナリティ障害の妄想だよね、とハッキリ思うところである。
だからまあ、異世界もんにハマるやつは、気を付けておいた方がいい。
あ、ちなみに、自己愛性だからわりぃ、ということはない。別に開き直って一人で暮らしているが、持ち前の自己愛性でまわりにうまく好かれて、うまくやってるやつもいる。
ただ、「人一人と深く関わることが絶対にできない」、いわば、「最後は一人になる」ということだけ、自覚して生きるのならよいと思う。
恋愛脳で、いい年して噂話と女子会好きで話題貧困で低能、論理よりも感情優先見栄え優先で、そこそこ外見よくても腹黒さがみえかくれする、多分教室でいじめがあったらプークスクスして端っこの方でいじめ側に加担してるような、今は適当な腰掛仕事をこなしつつ、婚活と称して規制相手を探すのが当面の人生の目的であるような、Twitterとインスタを四つか五つぐらい使い分けてる『女子』」
「こんな『女子』」って書いたやで? 「こんな」にもカッコがついとるで?
もう少し丁寧に言えば
「元の書き手が<語り手>として想定してるような、恋愛脳で、いい年して噂話と女子会好きで話題貧困で低能、論理よりも感情優先見栄え優先で、そこそこ外見よくても腹黒さがみえかくれする、多分教室でいじめがあったらプークスクスして端っこの方でいじめ側に加担してるような、今は適当な腰掛仕事をこなしつつ、婚活と称して寄生相手を探すのが当面の人生の目的であるような、Twitterとインスタを四つか五つぐらい使い分けてる『女子』」
という意味やが。
こんな奴が「増田」みたいなサッパリして見栄えのしないいかにも理系ギーク好みの、そんで自分になんの見返りもない日記サイトに常駐してるとは思えないんやが?
「仕事にて」
多少関わりがある他部署の上司がとった行動について自分は部外者だからタイミング悪かったなと思うことにしたが、他の人だったら違ってただろう。
まあ、傍観していたらその上司も部署の皆に不平等にならないようにと必死さがみえた。嫌われたら大変だ。
「習い事にて」
3人レッスン本格始動
新しく入ったBさん、本を沢山読む人なのだろう。語彙力や話し方、知的さを感じた。偏差値高く先生と気が合いそう。
またレベルアップするだろう。
今までとは雰囲気もがらりと変わった。
Bさんはあまりにも低レベルな言動が可笑しかったのかこちらが発言したら笑っていた。
「買い物中にて」
置いてけぼりだと痛切に感じた。
事もないだろうが、自分には何もない。
今まで思いたくも
受け入れたくもなかったが
勿体無い時間を過ごしてきたんだな
パンパンに泣き腫らした目で友人がそう感想をいうので、同じくパンパンに泣き腫らした目で私は
「すごいすごいすごいすごい良かった...」と言った。
大学の授業を抜け出して二人で行った映画は私たち含め四組のお客さんしかいなかったけれど、アニメ映画「若おかみは小学生!」は私が今年一番、みんなにも見て欲しいと思った映画だった。
見たものとしてはやはり、内容に関して無勉の状態で行って欲しい感情がある。
これから見る人に先入観を抱かせたり、見る前の穏やかな気持ちに干渉したくない。
まず、映画「若おかみ」の監督はアニメ映画「茄子アンダルシアの夏」の監督を勤めた高坂希太郎さんであり
脚本はアニメ作品だと「けいおん!」、「ガルパン」アニメ映画だと「デジモン僕らのウォーゲーム」「猫の恩返し」「リズと青い鳥」「ルーのうた」などの脚本を勤めた吉田玲子さんだ。
(これを書くに至って調べたら本当にいろんな作品を手がけていてすごい...)
そして監督含め、美術監督、作画監督、美術設定はスタジオジブリ出身のすごい方達が揃っている。
ぼんやりとだけでも、す、すごい。。。
「若おかみは小学生!」は良い映画なんだろうな、等身大の子供や大人が描かれているんだろうな、という事がわかってもらえたと思います。
私も見る前まではtwitterなどを見ても全く評判が回ってこなかった。(私のTLのゾーニングがすごいだけかもしれない)
私は茄子アンダルシアの夏がすごく好きだったので行ってみただけで、原作の名前は知っていても(若おかみは小学生!の原作は世代の方なら言わずと知れる児童文学作品)
読んだことはなかった。小学生が若おかみをする話で、予告がすごくいい!しか印象はなかった。
しかし見終わってから調べると色んな人が良いとおっしゃっている。私はあまりにも出遅れていた。
twitterで若おかみ良かった!と言っていた著名人は多々いるが、わかりやすい例として映画監督の新海誠さん
イラストレーターのヒョーゴノスケさん(映画ドラえもん〜カチコチ〜のポスターの人)がいる。
そして何と言っても、原作者の令丈ヒロ子さんが「シナリオ段階から映画に関わってきたのに完成を見て泣いてしまった」(一部ツイートを省略しています)とおっしゃっていた。
これって素晴らしいことじゃないですか?!!?!?!!?みんな幸せな気持ちで応援できる作品じゃん。
(しかしその評判とは裏腹に、興行収入などは駆け出しがあまり良くないらしい。そんなの、悲しい、、、、)
□個人的に見てもらいたい人。
アニメ映画「若おかみは小学生!」は仕草や動き、演出でキャラクターの感情や個性、想いを表現しているアニメだ。
それに加えて、そのキャラクターたちがいる舞台も繊細にキャラクターに寄り添うように描かれている。
もう一度言う。「若おかみは小学生!」は 小説において会話文ではない、情景描写に作品としての深みや魅力を感じるように、
語らずとも動きや演出、キャラクター同士、キャラクターと土地との距離感を描くことで作品に深みを生み出している。
そういう丁寧な作品だ。クリエイター関係の方が多く評価していらっしゃったのにも頷ける。
(聞くところによると制作に三年かかっているらしい。ドヒャー)
だからそういう丁寧さに価値を感じたり、感情を汲み取ったりしやすい人に見て欲しい。
(そういう人の方が面白いと感じやすいかもしれない、というだけで本当はみんなに見て欲しい)(強欲)
□最後に
結局のところ、私は「若おかみは小学生!」というアニメ映画が素晴らしいということを知っているのに、何もしないまま、多くの人が認知できないまま時が過ぎさり、この丁寧さがなおざりにされたお金しか生まれないかもしれない、というのに我慢できなかった、という話だ。
そして、今、「若おかみは小学生!」という作品は実際に上映数が少なくなっている。
朝、一日一回の上映で終わってしまうのだ。昨日一昨日見たばかりのどこでもいるような大学生だが、
子供が地団駄をするようにそんなのおかしい!と純粋に思ってしまった。
私はもう一度おっこ(主人公)に会いたいし、また劇場に足を運ぶつもりだが、正直みんなが見やすい、予定が合いやすいのはこの土日しかない。
どうか予定が合う方はこの作品、「若おかみは小学生!」を一度劇場で見て欲しい。本当に、見て欲しい。
(追記、一回だけではないところもあるみたいだ。でも昼までのところがほとんどらしい。昼までだとどのみち社会人には厳しいのだが今後どうなるかもわからないので(ポジティブ)ぜひご自身で調べて見て欲しい。)
私はこういう推奨文ないし匿名ダイアリーに文章を書くのは初めてのことだが、なんだかすがるような気持ちになってしまった。
この作品の純粋さがみなさんの胸にストンと落ちることを心より願っています。(公式予告映像https://youtu.be/oqWEY1pVACM)
(誤字脱字、文章読みにくいなどあったらごめんね!)