はてなキーワード: ことのはとは
・文字を外しても1文字の重さが1/26と大きいためそれが使用されていないという情報が後半のトライに及ぼす影響が大きい
・5文字の英単語という条件で存在する単語の数が多く解答自体は多くの人が知っているものになりやすい
・5文字の中で母音の使用数が1~3まであり使用できる単語の幅を実際以上に多く感じさせる
・トライ回数の少なさが「字の位置暴き」と「使用文字暴き」のパワーバランスを取っている
・50音+濁点+半濁点+小文字+伸ばし棒という馬鹿みたいな文字数のせいで1文字あたりのヒット率が異常に低い
・そのため位置あてのためにターンを使うメリットが大きくなりすぎてバランスが破綻している
・外来語を平気で解答に持ってくるため納得感が低い(「WORDLEの日本版」というイメージが強いため、解答は日本語版固有の単語でないと当てた時の気持ちよさがない。WORDLEでいいじゃんとなってしまう)
・日本語の特性上5文字だと4~5音の単語に偏ってしまうため単語の幅を感じにくい
・半端に音が長いため単語として成立してそうでしていない言葉がおおくなりがちで解答として拒否されたときに納得しづらい
まあ結局はさ、アイディア雑にパクっただけじゃ面白くならねえんだわ。
WORDLEはさじ加減が奇跡的だった。
ことのはたんごは「とりあえず10回トライ出来るようにしたわ」で終わらせたのが駄目だったね。
もうちょい色々出来たと思うよ。
いわゆる汚部屋の住人で、部屋の片付けがほぼできず服を積み重ねて地層のようにしてしまい、大事な書類も枕元とかに適当に置いている。
万年床で布団の上だけ自分が横たわれるスペースがあって、あとは本やペットボトル、一番上以外ほぼ着もしない大量の服で埋め尽くされている。
生ゴミとか食べ物が入っていたものなどは全部捨ててるけど自分の抜けた髪の毛とかはたまに拾って捨てる程度で放置しまくっている状態。
マスク必須社会だし人と話すことがほぼない仕事なのをいいことにもともとサボりがちだった歯磨きもほぼしなくなり最後にしたのがいつかもわからない。
さすがにマスクしててもこれだけ磨いていないと臭う可能性はかなりあるし人に迷惑をかけるし自分の歯がやばくなるかもしれないということもわかっているのになぜかできない。
そんな状態なのに気に入ったキャラもののグッズを発見しては衝動買いしてしまう。
買ったら満足して使うことも飾ることもせずに机の上(これまた本やペットボトルが積み上がってる)に潰れたりしないようにそっと置いておくだけ。
自分でも何がしたいかさっぱりだし終わってる自覚はあるのになんにもできない。
とりあえず今日は歯ブラシ買って歯磨きくらいはしようと思うけど本当にできるのかな。
できるのかなじゃなくてやらなきゃいけない当たり前のことのはずなんだけど
左の人が言いがちな、経済的成長は幸福をもたらさない、みたいな話にも近いというか、
集団がことなかれ主義に陥って、保守的になってるんだとも思える
つまり、実際の仕事が前進しているかはどうでもよくなっている可能性がある
文章内の攻撃的とか難しい人というのが、本当に仕事を妨害している人なのかは現場を見ないとわからない
だから、そういう抽象的な表現で、そういう人は邪魔だよね、排除した方が生産性が上がるよね、というのが寧ろ攻撃的に思える
個人的に思うのは、感情的な人が仮にいたとしても、寧ろそれに流されない方が良いのではないか、ということだ
感情的な人や攻撃的な人が悪というより、単にその感情的要素は無視すれば良い
そんなことより、仕事が前進してるかどうか、ということだけ考えればいい
そうすれば、相手が感情的であるかどうか、なんてことは、どーでもいいことのはずだ
ログミーの話は抽象的すぎるので置いておくとして、トゥギャッターの話は自分はモヤモヤする
「どうして〜なんですか?」
という疑問に返答しない、寧ろそれに苛立つ、という人の方が寧ろ感情的であり、攻撃的であるといえまいか
返答内容が、そう決まってるからそうなんです、でもいいではないか
サラッとそう流せばいい
相手がそれでも執拗に言ってきたとしても、そう流し続ければいい
どうして、それができないのか?
つまり、受け手側もその質問と同じ疑問、苛立ちを持っているとも考えられる
そういう風にしか思えないことが、仕事であれ日常生活であれよくあるように自分は思う
痛いところを突かれた、図星だ、そこから過剰な防衛反応に移行する
素朴な疑問を呈した人間は難しい人だ、
攻撃的な人、難しい人は生産性を下げるという論文がある(某メンタリストのような権威主義、恣意的な論文引用による正当化
自分が加害者でも被害者でも、そんな推論のハシゴをゆっくりなんてとっくにやってる
ゆっくり登ったって、論理的思考ができない人は圧倒的にできない
「なんで〜を選択したんですか?」
という問いに丹念にゆっくり、その推論のハシゴとかいうのを登ったところで、一番上に到達する前に相手が議論を放棄する
特に上司というか、仕事での権力の関係があれば、それは顕著になる
結論を最初に持ってくれば、それはそれで急ぎすぎだと言いつつ理解しようとしない
じゃあ、ゆっくり議論ができたらどうなのか?とできたとしても、そこには人間の思考としての意味で人種が違うという圧倒的な壁が出現する
あー、これは最初から会話にならないのに、自分は頑張ってたんだな、という徒労感だけが残る
仲良しクラブは成り立たないし、グーグルが心理的安全がどうこう言おうがクソ食らえだ
理不尽であれ、そんな丁寧な議論は、上から一蹴されるだけで終わる話なのだ
オチを考えずにだらだら書いてみたが、やはり思うのは、結局議論の意味なんてなくなるのである
これはマキャベリズムとして正しいし、意外とマキャベリズムは正しいことが多いのが現実である
ログミーなんか読むより、君主論読んだ方がいいのではないだろうか
理想的な、みんなが理解し合えるチームワークなんて絶対成り立たないことは、バカな自分でも長い人生経験で分かってる
単に目下の素朴な疑問を持つ人は、攻撃的だ、難しい人だ、で集団が追い出せばいい
いわゆる、イジメ、虐待の構図だが、それは集団社会では仕方がない面もある
しかし、これが上司、権力構造的に階層が上の方向に向けるなら話は別だ
これは日本でなくても、他の国でも変わらないように思う
端的に言えば、上司が難しい人、攻撃的、それが気に入らないなら辞めるしかない
不愉快な時間で人生を消耗するのもイヤだろうし、それが金銭的利益より優先されることもある
があって、まず3は避けたい、というのがあったように思う
それに対して、君主である自分は分からない、側近に相談しても側近も分からない、
これは当然避けるべきである
例えば、上司がその新しい技術を理解できない、これはまあいい、理解できないのは当たり前だが、
理解できる側近に騙されるのではないか、寝首をかかれるのではないか、
そういったことを考えているのだな、と思える上司、君主は非常に多いように思っている
マキャベリは、君主として自分が理解できないことがあり、側近には理解できることで側近に騙される、
そういったことに対して直感的ともいえる、側近のウソを正しく見抜く力、
そういう力がない君主は単に駄目なだけのように書いていた気がする
仮に側近が善意で行動したことでさえ、君主には理解されず粛清されることもよくある話だからである
側近を信じ切るような君主もバカであるが、疑いすぎる君主もバカであるし、
自分が理解できないことを側近が理解できることを恐れるばかりの君主は、いつしか敵に打ち負かされるであろう
自分より劣った側近を周囲に置いていないと安心しないからである
あー、書いてて思ったんで再度書くけど、
Googleがこう言ってる、
〜という論文がある、
とか、まあ、参考程度するのはいいけど、それが正しいという前提で話すとか、最近の「頭でっかち」の風潮が非常に不愉快なんだけど…
そもそも、人文科学というか、社会科学というか、研究や統計調査だって理系のものとは大分違うものだということを理解してほしい
特に「脳科学」の研究だの、そういう研究をしている、していたからって、
痴話喧嘩だの人生相談だののレベルに偉そうに口出しする女性とかがメディアに出ていたりするが、
まあ、まともに研究している人ならそんなことはしないわけで、
ソーシャルメディアというか、いわゆる「単なる目立ちたがり屋さん」に自分の人生を振り回されるの、馬鹿馬鹿しいと思うんだよなぁ…
それより、理系のこととか、法律とか、そういうことは揺らがないわけで、
というか、なんか最近の世の中は急ぎすぎてるんだか、その自分の判断だの悩むところを時間の無駄だと思ってないか?
一生結論なんてでなくていい、結論が出ないまま悩み続ければいいことに、一足飛びに答えを求める
その「単なる目立ちたがり屋さん」のYouTubeとかブログとかTwitterとかテレビとかに答えを求めて、そーだそーだ言ってる
なんか、そういうのって虚しい行為だと思うんだよね
でも、そういう虚しい行為をGoogleなり、キラキラした企業なり、起業家なりがやったり言ったりしてるんで、
それに飛びつきたくなる気持ちは分かる
そこに答えがあるんじゃないか、
いや、もう考えるの面倒だし、それが正解ってことでとりあえずやってけばいいんじゃないか、
みたいな風潮がやっぱりあると思うんだけど、
まあ、馬鹿げてると思うんだよね
人として
共産党の件で「キモオタ共は政党の政策や経済対策よりも自分のオナネタにしか興味がないのか!」みたいなご意見を時折見かける。少なくとも自分は完全にそう。
自分の両親はともに大した技能もない高卒・低賃金の人間で、しかし高卒同士のアホさゆえに結婚し、あろうことかロクな将来設計もせず子供を作りやがった。当然そんなんで生活がうまく行くはずもなかった。
サビ残・パワハラ上等のふざけた労働環境の中で精神をすり減らした両親が頻繁に喧嘩を繰り広げる家で育った自分は、奨学金に頼りつつ辛うじて底辺大学こそ出たものの、結局は低賃金の仕事にたどり着いた。
特に将来の目標も希望もなく、結婚したいとも子供を欲しいとも思わない。自分がそれをすれば両親と同じ、あるいはもっとひどい失敗を繰り返すだけなのは目に見えている。
今の自分はいわゆるオタクコンテンツだけを楽しみにどうにか生きている。ゲームやアニメ、漫画……昨今様々な争点になっている男性向けポルノコンテンツを含む……を消費し、僅かに供給することで、日々の生活を営んでいる。
趣味というのは本来日常の息抜きとしてあるべきなのだろうけど、貯蓄も将来設計も組みようがない状況では、趣味はどうにか日々を生きるための希望であり目標に他ならない。オタクコンテンツは自分の生活にとって文字通りの生命線だ。
そんな自分にとって、そこへの規制というのは文字通り生死に関わる事象であって、紛れもなく他の政策課題に比べて重視すべき問題だという事になる。政策がクソで経済がクソでも、それさえあれば辛うじて生きていける、その対象が自分にとってはオタクコンテンツなのだ。
思えば物心ついてから何度かの政権交代があって、自民党政権の期間においても、小泉改革やアベノミクス、その他色々な騒ぎがあった。国政に限らず、まさに地元の人間として小池都知事と都民ファーストの会が都政で勢力を伸ばしていく過程も見ていた。
しかし、事前に色々と魅力的な事を言っていた政党や政治家が、いざ選挙に勝ったところで、体感としてそれで景気が上向いたとか、生活が良くなったとか、そういう記憶はほとんどない。
お前とお前の家庭がクソなだけだと言われればそれまでの話だけど、選挙の結果によって何かが変わる、世の中が良くなる、というのはファンタジーに思える。歳を重ねるごとに、守られず、翻され、風化していった公約の印象ばかりが積み重なっていく。
選挙権を得てからは欠かさず投票に行き、極力政党を気にせず、可能な限り労働問題や若者向けの政策など掲げる候補を重視して投票してきた。自分のような人間が減る社会に近づくならそれは良いことのはずだと思っていた。
しかし、そうして選んでいった投票先はどうも泡沫同然の無所属候補になりがちで、彼らは大半爪痕すら残せず選挙戦を終える。彼らの主張や、そこに投票した自分の票は、どこにも反映されず消えていく。
時にはマトモな政党の推薦をもらっている有力候補の主張を気に入って、首尾よくそいつが国政まで行ったこともあった。そいつがその後何か業績を残した覚えはないし、そいつの主張していた内容が何かに反映された記憶もない。
そんな事を繰り返した結果、今や自分が投票に行っているのは「オタクが・若者が、選挙にも行かずに偉そうに~」という意見の対象範囲になるのが気に障るというだけで、一票で政治が変わるとか、その手の若者向けメッセージはほとんど詐欺に近いと思っている。変わったことないし。
壺型と形容されるような日本の人口ピラミッドにあって、一番膨らんでいる高齢者層が一番票と金と権力を持っているのは当然の話で、今から多少なり若者の投票率が上がったところで、この状況がひっくり返る可能性はないんじゃないのかと思う。
そもそも、少子化対策とか若者への支援とかそういうのは大前提として国家運営上の重大問題のはずで、国の未来を考えるなら、若者の投票率の高低に関わらずもっと議論され争点として扱われて然るべき問題じゃないのか。
そういう各政党の争点選択のおかしさや政治的主張のズレみたいなものが、全て「若者が投票に行かないこと」に起因しているような主張は、それ自体が政治における若者軽視の姿勢の現れで、責任転嫁に他ならない……などと憤っていた時期もあった。正直今はもうどうでもいい。
自民も旧民主系も共産も、その他政党も色々言ってはいるが、どうせどこが何をやっても大して公約は守られないし、自分や両親の生活状況が良くなるわけでもない。そういう意味で、自分にとって大半の政策は、まあ部分的にでも実現するならいいかもね、程度の事項にすぎない。
しかし自分の生活に直結するオタクコンテンツへの規制だけは別だ。これも他の公約同様、適当に守られず立ち消えるの程度のものかもしれないが、万に一つでも規制強化の可能性が生まれるのなら、その意図を持つ政治家や政党に対して票を投じることはできない。
才能もなければ努力もせずになあなあと高校3年生きてきたくせにほんのちょっとやってたdtmに活路を見出して音感もないしピアノも弾けず中学時代吹奏楽部だったってだけなのに音大行こうかななんて大口叩いた自分が憎い
dtm自由にできるって建前といじめ受けず楽に生きたいって本音で受けた通信制ダラダラと通って真面目に勉強なんかしたことないのに意気込んじゃって結局試験一ヶ月切ってもなかなか机に向かわず一日一時間勉強するかしないかってレベルの自分が憎い
無能なら無能らしくハードル下げれば楽なのに見栄切った手前逃げられなくなってる自分が憎い
どう考えても受かった後のビジョンが見えないし結局のところ合格を最終ゴールにしている逃げの姿勢の自分が憎い
やるしかない
やるしかないのはわかっている
勉強も運動も人脈も何も積み重ねて来なかった俺がこうやって好きな道に進むチャンスを与えられていること自体ありがたいことのはずなんだ
やるしかないんだ俺は
自分は個人でゲームを作ってて、スマートフォンとPC向けにリリースもしてる。
売り上げも全くないなんてことはない。
ただ、プラットフォーム内での評価は★0だ。つまり、1件の評価だってもらえていない。
なんの反応もないのは、プロダクトの質が悪い証左だというのはそれはそうだと思うし、反省もする。
それを承知の上で、個人開発界隈で声の大きい奴らが言う「★5レビューを寄越せ」というような内容について愚痴をこぼさせてほしい。
具体例もあげたいんだけど、万が一特定されても面倒だし、適当にggってほしい。これを言ってるやつはいくらでもいる。うんざりする。我慢するのももう限界だ。
ユーザー目線に立って考えてほしい。声の大きい開発者が言う「★5レビューを寄越せ」という言葉を毎日のように目にしていたら、
正直★3くらいかなぁ……というようなゲームを遊んだ時にどうするか? ★5はつけがたいし放置するか……と、そうならないか? 俺はそうなると思う。
これで得するのは、既に「声が大きくなっている」開発者だけだ。自分の評価を高止まりさせつつ、俺が作ってるやつみたいな「本心なら★1~4かなくらいのゲーム」には★が一切つかないことになる。実際なってる。
新人の成り上がる道を一つ潰して蹴落としつつ、既得権を守るために発しつつユーザーのメリットをないがしろにすることでバカにする言動、
ライターであったりユーザーであったり立場が異なればわからんが、
少なくとも開発者の言う「★5レビューをしろ」という発言は概ねそういう性質を持っていると心得てほしい。
せめて好感度を下げるリスクがある、ってことを1人にでも多く知ってほしいし、そういう目でユーザーは冷ややかに見てやってほしい。
少なくとも俺はそう見てるし、俺がそう見てるってことは他にもそう思ってるやつはいるだろう。
匿名じゃない状態で声の大きいやつらに噛み付くリスクは高すぎて、誰も表立って同調しないとは思うが……。
実際のところは、★1だろうが★2だろうが3だろうが4だろうが5だろうが、評価ボタンを押すこと、コメントも残すこと、それはユーザー目線でひどく面倒なことのはずだ。
そうじゃないなら「★5レビューください」って言ってる人はさぞたくさんのアプリに★5とコメントを残していることだろうが、そういう開発者のレビュー記事みたいなのを見ることもあんまりない。
それをしたら相対的な自分の位置が下がるわけだからやるわけもないよな。
ひどく面倒なのにユーザーはなぜやるのか? と言えば、基本的にはユーザー同士の指標を共有するというのがメリットのはず。
だから「★5をつけろ」とアプリ内で言うのはリジェクトされる。(売り上げランキングもユーザーにとっての指針として有意だからこそ、最果てにバベったりすることは禁止もされてる)
つまり、本来ユーザーに「こういうレビューをつけてほしい」なんて言うことはダメなことなのだ。
なぜそれをSNSやブログだと大声で言ってしまうのか? 法人比であまりの遵法(規約的な意味や倫理的な意味も含めて)意識の低さ、ユーザーの人格や労力を軽く見すぎていることに吐き気がする。
実際、有力なゲーム会社で「★5をつけろ」なんて言ってる広報見たことがあるか? ないよな?
同じプラットフォームに上がっておいて、自分たちは個人なんでインディーなんでって逃げて恥ずかしくないのか?
てめーのメンタルなんてユーザー的には知ったこっちゃないのよ。
それが大事ならそういうマーケ部分をアウトソーシングすりゃいいし、それができないなら黙って受け入れるのが筋で、ユーザー側に責任転嫁するのはちゃんちゃらおかしい。
ケータイ会社とかだって「5以外は査定に関係ないからとにかく5をつけろ」と販売員は言ってきたりするが、追々本社からくるメールで「こういう催促はなかったよね?」と確認されるし、そこであったと伝えてやれば相応の報いもあるのだろう。
ケータイ会社の販売員レベルのリスクすらなく、表だってそんなことを言ってしまうのはどうかと思うわけだ。
★1だろうが2だろうが「クソゲー」的な簡易な表現だろうが関係なく、ユーザー心象であったりといったことはマーケ的には本来お金払ってでも得たい貴重な情報なわけ。
俺は喉から手が出るほど欲しい。あるまとめサイトに載った時に「クソゲー」ってコメント欄にあって心底安心したもんだよ。遊んだやつがいるんだ、やっぱりクソゲーなんだ、がんばろう、わざわざコメントしてくれてありがたいな、って。
匿名のまとめサイトにはそういうコメントを書けるのにストアの評価欄には書くことが許されないような風潮、それが本当に腹立つし迷惑なんだ。八つ当たりだけど。
自分がユーザー心象を探しに行くのにメチャクチャ手間かけさせられてるのと同じことが、ユーザーからも言えるわけよ。
実際★1とか★5なんてのはだいたいが信者かアンチか社員かマーケ費用から出てると相場は決まっていてアテにならん。
最果てにバベった前例があるような業界がそのくらいの工作しない、ということも当然ないだろう? 表立って言わないだけ筋は通ってると思うが……。
だからユーザーとしての俺は★2~4のレビューしか見ないわけだけど、これのボリュームが少なすぎる。もっと書こうぜ、★2~4のレビュー。
結局ユーザーブログとか見てどんなゲームかな~って考えてから買って……って2度手間じゃん。本来その手間を省略してくれるのがストアのレビュー欄なんじゃねーの?
実際問題、例えばgooglePlayストアだとアカウント名が名前になるからコメントする心理的な障壁はすごい高いわけだよな。
googleアカウント複垢してアプリ管理してるやつのほうが稀だろうし。
そういう人たちが残してくれた評価やコメントは、それがたとえ開発側にとって理不尽内容であったとしても、
ありがとうございます! 感謝! のスタンスでいてやってくれよ。
もっと気軽にレビューしやすい風潮こそ、個人開発勢も含めたゲーム業界全体が作っていくべき空気感なんじゃないか?
結果的にユーザー的に不利益も被ってるわけだから、これはユーザーとしても噛み付いてほしいし、弱小個人開発勢としては何度も言うけどやっぱり腹立つのさ。
「クソゲー」の一言でも、★1であっても0よりはいい。救われる。
それを見て、そこまででもなかったんじゃないか? って感じたやつが4とか3とかつけていって最終的に2.5くらいで落ち着く……みたいな、そういう健全な空間であってほしいものだよ。
「★5以外はいらない」って声高にいってるやつらを見て、これまで正直に★1~4をつけてたやつも安心してほしい。お前は悪くない。声の大きい開発者全員がお前を責めたとしても、俺は味方だ。
本当、アカウントの信頼感というリスクを背負ってストアレビューしてくれる奴らは神なんだ。
ユーザー間でも積極的にやってくれてるやつは褒めてやってほしいし、開発側も「最高評価だから」褒める、嬉しいじゃなくて、
かまってくれただけで嬉しい、って対応してやろうぜ。誰もいなくなったらマジで最果てにバベる感じになっちまうぜ? 全部業者のレビュー欄なんて嫌じゃん。
いつか俺のやつも★0から1以上になってたらコレ以上嬉しいことはないよ。
女アイドルは、年取っておばさんになったらほとんどのファンが離れるから、ある意味まだいいよ。人生を取り戻せる。
いいオッサンなのに女性と食事しただけでプロの自覚がない!責任感皆無!とか言われるんだよ。
彼女らファンは二言目にはアイドルは自分で選んだ道なんだから自分で責任とれって言うんだけど、右も左もわからん子供の頃に軽い気持ちで決めたことに何十年縛られるんだよ。もう十分責務はまっとうしただろ。
じゃあ引退なり解散なりすりゃいいってことのはずなんだが、それだけはやめてくれと彼女らは騒ぐ。
ほんと地獄。
ほとんどの男アイドルは、女にモテたいって気持ちも大きな動機のひとつだったと思うよ。それがネットで情報流れる今、一般人の数倍、品行方正つらぬかなきゃいけなくなった。
ジャニーズが売れない子たちに定年制導入したらしいけど、英断だと思う。まぁ売れてる子にこそ考えてあげた方がいいんじゃないのとも思うけど。
だから男女平等だからと言って、トランスジェンダーを排除しちゃいけないよね、という話をしているわけ。国民の平等のために外国人を差別するのが良くないのと同じで、何かの平等を実現するために、別の差別をするのがよくないのは当たり前で。
そりゃわかるよ。トランスジェンダーの人が女性枠で出場して圧勝しまくることに、何の違和感も覚えないという人はいないと思うし、不公平感を訴える女性アスリートの意見もきわめて当然だと思う。だけど「反差別」というのは、そういう個別的な違和感を圧倒するほど優先されるべきことのはず。妥協点が難しいのはわかるけど、妥協点を探るために汗をかくのは個々のトランスジェンダーのアスリートではなく、競技の主催者の側のはずだ。
要は「トランスジェンダーの人は我慢して男性枠で出場すべき」という意見に対して、それが「差別」だと考える人と、そうは考えられない人の違いなのだろうと思う。
Oh yeah!、10年経っていません。
酔って溜めてた少クラを見返してたら聞き慣れた音楽が聞こえて泣いて急にはてなアカウントを、つくった女の話です。
アカウント登録がうまく行かなくて何回も消火栓や自動車の写真を選択したし、いつも使ってたパスワードはミスタイプしてたせいでログイン出来なくてパスワード設定しなおした、上で酔ってこれをかいてる
ことのはじまりは5月の1週だか2週目だかの少クラを消化してたら最後の最後でハイハイがoh yeahを歌い出した。bgmの入りで感きまって泣いた。
多分酒が入ってなかったら泣いてない。
私は嵐のオタクではない。ジャニのチャンネルのバランスはラノベ並みにバランス良いなと感じながらもメンバー揃ったあたりから見てないレベルのあるある茶の間嵐オタクだ。
あるある茶の間オタクなので嵐のことはよく分からんけど周りが気になる10代だったのでMステを毎週チェックしてた影響でLove so sweetは擦り切れるくらい聞いていた。当時の貧乏小中学生の精一杯は当時リリースされた嵐のニューアルバムTimeをレンタルしてソニックステージ(時代)に取り込むことだった。
初めてCDをレンタルして親のPCに取り込んでCDに焼いてコンボボックスで再生という経験を経て、当時の私は勉強中にTimeをひたすら流していた。シャッフルという知識を知らなかったので毎回馬鹿正直に1トラック目から再生していたので、目当てでレンタルしたLove so sweetよりもoh yeahを聞いていた。
嵐がサブスクしたおかげで今これを書きながらサブスクのTimeを垂れ流しながら聴いてる。(当時のデータはソニックステージに取り残されている)今となってはアルバムを取り込んでもシャッフルで再生してしまうのだが、あらためてTimeを垂れ流していると、曲と曲の繋がりが(勝手に)印象付いているんだなと感じた。Timeなら曲順明かされなくても1人メドレーできると思う。曲が進むたびに10数年前を思い出して泣いてる。
最初自分より10も下のアイドルを応援するようになって歳を取ったことを実感したり、今は名前が売れている人々は自分の推しの年齢の時点で既にデビューしていると知って衝撃を受けたり、自分は若い方だと思っていたけど確実に歳を取っていると感じることが多くなった。あれだけ夢中になって何度も繰り返し再生したTimeももう15年前の作品になろうとしている。youtubeやsnsが発達した今このような経験をする若者はいないのだろうなと思う。でも私が嵐のファンではないのに嵐の曲を聞いて涙を流してるように、私の推しが誰かの思い出として涙を流すような存在になるのならアイドルオタク冥利に尽きるなと思う。
自分が古いオタクなんだろうなと思った。今はビジュアルだカメラパフォーマンスだと言われるが私はやっぱりアイドルがあって、アイドルがあって、アルバムがすきだ。
正直15年近く経ってTimeのコンセプトは今アイドルオタクになった今よくわからない、あまりすきではない曲もある、が、アルバムを通して聴くと愛おしくて思い出深い曲だとかんじる。
Oh yeah!、10年経っていません。
酔って溜めてた少クラを見返してたら聞き慣れた音楽が聞こえて泣いて急にはてなアカウントを、つくった女の話です。
アカウント登録がうまく行かなくて何回も消火栓や自動車の写真を選択したし、いつも使ってたパスワードはミスタイプしてたせいでログイン出来なくてパスワード設定しなおした、上で酔ってこれをかいてる
ことのはじまりは5月の1週だか2週目だかの少クラを消化してたら最後の最後でハイハイがoh yeahを歌い出した。bgmの入りで感きまって泣いた。
多分酒が入ってなかったら泣いてない。
私は嵐のオタクではない。ジャニのチャンネルのバランスはラノベ並みにバランス良いなと感じながらもメンバー揃ったあたりから見てないレベルのあるある茶の間嵐オタクだ。
あるある茶の間オタクなので嵐のことはよく分からんけど周りが気になる10代だったのでMステを毎週チェックしてた影響でLove so sweetは擦り切れるくらい聞いていた。当時の貧乏小中学生の精一杯は当時リリースされた嵐のニューアルバムTimeをレンタルしてソニックステージ(時代)に取り込むことだった。
初めてCDをレンタルして親のPCに取り込んでCDに焼いてコンボボックスで再生という経験を経て、当時の私は勉強中にTimeをひたすら流していた。シャッフルという知識を知らなかったので毎回馬鹿正直に1トラック目から再生していたので、目当てでレンタルしたLove so sweetよりもoh yeahを聞いていた。
嵐がサブスクしたおかげで今これを書きながらサブスクのTimeを垂れ流しながら聴いてる。(当時のデータはソニックステージに取り残されている)今となってはアルバムを取り込んでもシャッフルで再生してしまうのだが、あらためてTimeを垂れ流していると、曲と曲の繋がりが(勝手に)印象付いているんだなと感じた。Timeなら曲順明かされなくても1人メドレーできると思う。曲が進むたびに10数年前を思い出して泣いてる。
最初自分より10も下のアイドルを応援するようになって歳を取ったことを実感したり、今は名前が売れている人々は自分の推しの年齢の時点で既にデビューしていると知って衝撃を受けたり、自分は若い方だと思っていたけど確実に歳を取っていると感じることが多くなった。あれだけ夢中になって何度も繰り返し再生したTimeももう15年前の作品になろうとしている。youtubeやsnsが発達した今このような経験をする若者はいないのだろうなと思う。でも私が嵐のファンではないのに嵐の曲を聞いて涙を流してるように、私の推しが誰かの思い出として涙を流すような存在になるのならアイドルオタク冥利に尽きるなと思う。
自分が古いオタクなんだろうなと思った。今はビジュアルだカメラパフォーマンスだと言われるが私はやっぱりアイドルがあって、アイドルがあって、アルバムがすきだ。
正直15年近く経ってTimeのコンセプトは今アイドルオタクになった今よくわからない、あまりすきではない曲もある、が、アルバムを通して聴くと愛おしくて思い出深い曲だとかんじる。
AとBが敵対していて、A側が論点をずらすと、B側もそれに釣られて先鋭化していくという話はよくあるけど、これもそういうパターンかなぁ。
冷静によく考えてみれば、「政治家に対する侮辱と、一般市民や属性に対する侮辱は、全く同等には語れない」というのは当たり前のことのはずなんだけど。(「政治家に対する侮辱は全て許される」という話になると、犯罪予告やアウティングなども許されることになってしまいそうで怖いので、そこは少し慎重になるとしても。)
しかしまあ、具体的な対象としては政治家個人を想定していたとしても、例えば「これだから女は」「これだから老人は」のような言葉遣いをすればそれは「属性に対する侮辱」の性質を帯びるわけで、そこを批判された時に「政治家に対する侮辱と~~」は言い訳にならない。そういう論点ずらしがまかり通ってきたツケなのかもな。(言葉遣いの問題以外にも、同種の構造はたくさんある。)
まあ、そういうことをやってきた(やってる)人達は、これを読んでも「自分が同じことをやってる」とは気付かないんだろうけど。
2020年12月にハワイに入るためにやる必要があったことのメモ。
2020年1月に仕事の都合で米国に行ってしまった恋人に会いに行く4月のチケットを購入したのは1月3週目のこと。その前週から中国で感染症が流行っているニュースが入りあれよあれよという間に予約したフライトが飛行しない事になり、日程変更の為にサポートに問い合わせどつながらず、アメリカのサポート経由で別の日のチケットを手に入れたのも束の間、出発18日前の3月26日よりハワイ州への入境が完全制限され、フライトも欠航が決行。
一晩失意で枕を涙で濡らしているのを、どこ吹く風の恋人に慰められつつ、在宅勤務でほとんど家に出ることないまま様子を見続けてやってきた秋9月の末。フライト自体はほとんどない状態、にも関わらず収束することを願って12月のチケットをゲット。この予約した羽田便も11月になる前の週にはキャンセルされたけれど、入境後の行動規制が出発72時間前に取得したPCR検査の陰性証明書を所持している人には免除され成田便は飛ばすことが分かったので、急いでハワイアンに電話して飛ぶ予定の便に切り替えました。
あとは12月に無事に飛ぶのを待つばかり。感染者数も抑えられてきているのでこのまま収束を超期待。(ここまでが10月末)
出国というか搭乗のためにPCR検査の陰性証明書が必要なのだけど、ハワイで14日間の自宅退避を免除するには別途指定機関で発行されたPCRの陰性証明書が取得が必要。
https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/certificate/
他の診断やってないんじゃないかって位小さなクリニックで、取得。ハワイの他、グアムと中国入国の両方の証明書を発行していた。ビジネス?
ハワイ・グアムが大体26000円で中国用のが30000円を超えていたと思う。
来客も英語を話す人か中国語を話す人で(勿論日本語も)受付の人はどうやら中国語と英語と日本語がわかる様子だった。
出発前々日の午後に仕事を早退して検査して、出発前日の終業後に発行された証明書を取りに来るスタイル。
三密をここ14日間避けていたか、外食14日していないか、狭い空間で人と話したりしていないか。等。リモート勤務で友達の存在すら危ぶまれているので楽勝。
検査にはパスポートとフライト番号、保険証を持っていけばOK。
次の日に受け取った陰性証明書は、前日の検査結果から陰性を証明する、と医者の手によって書かれたハワイ州の規定の紙が用意されていて、自筆で名前と住所と生年月日と出発日・フライト名を書く感じ。
出発日欄を間違えて生年月日で書きかけて、書き損じで再発行手数料500円が追加で取られた。
ハワイに来る人は前日の健康情報を所定のデータベースに登録する作業が義務付けられています。
https://travel.hawaii.gov/#/trip
オアフ島だけでいいかと思いきや、オアフから尋ねる離島までの間の登録も別途必要だった。
登録する来島理由について、再移住、トランジット、観光、友人・家族への来訪、エッセンシャルワーカー、航空機の乗務員、とあって、この場合は友人家族への来訪を選択。
ステイ先に、ホテル、ホステル、コンドミニアム、自宅、時間貸しスペース、B&B、友人親戚宅、の他にキャンプサイト・ビーチやシェアルームと言う選択肢があって、この状況下でビーチとかキャンプサイト選ぶ人いるのかなとか疑問に思ったり。
健康情報の登録では熱はないか、解熱剤は飲んでいないか、インフルエンザの予防接種は打ったか、どこか別の国から移動した14日間の自宅待機期間ではないか、14日の間にハワイ州以外の自国ではない所に旅行していないか、などの登録が必要。
フライトごとにこの健康情報の登録は必要。サイトにはPCR検査の文書も登録できる場所があって、ハワイ州認定の陰性証明書をpdfにしてアップロードされていると到着時に空港を出る時の手続き項目が減って非常に簡単に出られます。
これが終わるとQRコードが飛んでくるので、入国後空港から出る時の手続きで、パスポートと一緒に見せればよい様子。
これは通常のアメリカ入国でも必要。ちょうどパスポートを切り替えてESTAの登録も切れてしまってたので、再登録。
SNSの登録箇所が以前はTwitterとFacebookだったのに、LinkedInとInstagram が追加されてた。
当然この手の情報はどれも持っていないので登録していません。はてなは無かった。
ESTA登録後の初回は有人の審査も必要になるとかで、結局有人の入国審査もやりました。
どんなに万全を期しても罹ったら現地の医療機関を使わざる負えずなにかあった時の医療費が怖いのでとりあえず3000万まで保証してくれる会社のにしました。結構高いです。4500円。
※やらなきゃいけないことの詳細は
ここ(https://www.allhawaii.jp/covid19/prepare/)に全部書いてあった。
家の冷蔵庫の中身を減らして、残りは帰国後14日間外出しない間に食べられるものを残し、不織布のマスク(VFE99%)の上に布マスク(中に不織布フィルターが入れられる物)を重ね付けて出発。当初の予想も外れて東京の新規感染者数は増え続け、この日は250人弱。
この時期にわざわざハワイへ向かいたい人は、現地で生活がある極限状態の日本人の買い出しかビジネスか家族がいるかで持ち込み荷物の多さを感じるような人ばかりかと思いきや、小さなスーツケースで必要最小限の装備のカップルや、地方から出てきてホノルルで何をして遊ぶという話で盛り上がっている親子連れや、ゴルフに行く様子の人もいて、不要不急の出国をカジュアルに実行する為にPCR検査をする人が居るのに本当にびっくりした。私も引きこもる予定だけど、不要不急の出国者側の人間なんだろうなってここで気づいた。
空港はこのハワイ便に乗る人と他の便待ちの人がいるくらいで、全く人がいなかった。旅行代理店のエリアの座席のところは前の方に空港職員の人がお弁当広げて食べている位、誰も居なかった。三密は全く無いけどレストラン街もほぼしまってて(土産屋もしまっている)いつも入るお店もやってない。出国手続きをした先の免税店もレストランも一切閉まっており、自販機で買った乳酸菌飲料の糖分でかろうじて空腹感をごまかす。おにぎりを食べている集団に羨ましくなりながら、搭乗待ちの間に携帯にアメリカのeSIMを設定したりしてた。
もともと間引きでの座席の提供。大体半分くらいは予約不可席で選べなくなっています。隣の四人席には人が一人しかいなく、気がついたら4席使って横たわって寝てた。
当初は機内食は食べるのをやめようと思ってたけど、機内の空気の循環は良いことや、空腹でおかしくなりそうだったので、ありがたく与えられた糧をいただく。
食後は、前の席にいる老人夫婦(多分片方別の席)がたまに咳をする(喘息っぽい音)上に時折マスクを外す。読書灯つけっぱなしで席移動して寝る、など普通に迷惑な人達なので映画を見て過ごす。目の前の座席が咳したあたりで、ダブルマスクの上にプラスチックのフェースカバーを付けてた。流石に読書灯つけっぱなしで移動されたのが鬱陶しかったので注意したら、装着してたマスクを外して謝ろうとし始めた。やめてほしい。
オアフ島から別の島に移らないといけないので乗り換え。入国審査と入境時健康検査(熱はないか、喉は痛くないか、などの口頭アンケートとQRコードの提出)してから一旦国際線ターミナルを出て国内線へ。米国人もマスクしているし、地面にはこれでもかというほどキープディスタンスを守らせるためのシールが貼られていた。時期をずらしてバカンスにきてたっぽい米国内の人がちらほら居た。結構普通に国内を動いているメリケン。
国内線の搭乗検査で身分証明書(旅券)とマスク外して顔を見せるなどをして無事次の便に。食事をしようと思ったけれどホノルル空港内の飲食店はほとんど動いておらず、BURGER KINGもこの日はやってなくて、スタバでカロリー高そうな飲み物を頼んだ。土産物屋は一軒のみ営業してたけど、ほとんどお客さんは入っておらず。
離島到着。軍服着た人に囲まれながら、再度事前登録のQRコード見せて健康状態のアンケートを受けて、やっと空港の外へ!
あーよかった。きてよかった。生きててよかった!
1年ぶりに会う恋人に狂喜乱舞エキサイティングしつつ、恋人の家で居候。しあわせ。恋人とのご飯。しあわせ。
最初数日間は様子を見ていたけれど特にコロナの初期症状もないので、たまにスーパーに買い物に行ったり散歩に行ったりドライブして海を見たりしてました。
一回だけガラガラの店内でご飯食べた以外は周りの人と距離非常に保たれたアウトドアか家でご飯。飛沫感染リスクかなり低め。
それ以外は延々と仕事する恋人の後ろでゲームしたりお茶のんだり仕事のメール読んだりしてた。完全に邪魔してた。休暇とってよかった。
(後編 anond:20201231031222 に続く)
読むと人生の何分かが無駄になる、本当にくだらないオタクの戯言である。
同じファンにはわかっちゃうと思うけど、一応固有名詞はイニシャルにする。
ちょうどオカ◯ラさんとコラボとかしていた頃にハマったから、グループ自体が大衆向けに認知を広めていったタイミングでファンになった大勢のうちの1人だった。いわゆる第二章からのファンだ。
忘れもしない、LOVEのアルバムのDVD映像。友達の家で見たそれには、サングラスに剃り込み頭のいかつい見た目で涙を流すAさんが映っていた。ギャップに弱い当時中学生のクソ単純娘、そこで即落ち。その後のオカ◯イル映像で見せられた無邪気な笑顔でさらなる沼にドボン。
その日から頭の中はEXのことばかり。CDを買いライブDVDを買い、ファンクラブに入会し新曲が発表されれば出演する歌番組を隈なくチェックし。録画して、それを比喩じゃなくテープが擦り切れるまで何度も見た。
そして、それだけ熱心に追いかけていればたどり着いてしまうのが第一章のこと。
私はもちろん、Tさんのことも大好きだった。Aさんの見た目がど刺さりしてるような嗜好の女だから、見た目に関しては別に「綺麗な顔やなあ」くらいの感想だったけど、彼の、グループに対する想いが一番好きだった。多分、彼も元ファンだったから、共感しやすいってのもあったと思う。メンバーをリスペクトして、Aさんに憧れて、少しでも追いつこうと懸命にもがく彼の姿に勝手に感情移入して、大好きになっていた。
でも一章の曲を聴いて、愕然とした。全然違う。こんな歌声には到底敵わない。
もちろん、勝ち負けじゃないと思う。どっちが上とか下とか、比べる必要もないと思う。というか、比べちゃいけないと思う。
でもさ、同じ曲を歌うんだもん。しかも何曲も。私が喜んで買ってたCD、再録祭りだったんだもん。
それを毎日毎日聴きこんだ状態で一章の曲を聴いたら気づいちゃうよ。どこがどう違うか。
正直、歌のうまさ云々だけの話じゃないと思う。世間の評価も、あまり関係ない。声の質の相性が、ライブで歌うときの彼ら2人の表情が、圧倒的に”良い”と思った。いや良い悪いじゃないからこの表現は正しくないね。圧倒的に、”私個人にぶっ刺さって”しまった。
Tさんが好きだし、Tさんと歌うAさんが好きだし、2人を見ていたいし応援したいという気持ちは嘘じゃない。絶対に本心だった。でも、それ以上にSさんの声と合わさるAさんの声に、100%の笑顔で心底楽しそうに歌うAさんに惹かれてしまった。
ちょうどその頃から、彼らを見るのが苦しくなってきた。(当時の)新生EXの7人でいる時の彼らを見るのは楽しかったけど、金◯マとかその他ドキュメンタリーで、ちょっとでもSさんの話をしようとするとすぐに涙をこぼすAさんや、バラエティの嘘発見機に座ったAさんに「正直僕のことが嫌いだ」と冗談めかして聞くTさんを見て、心が痛んだ。背景を知ってから彼らを見ると色々と気持ちがわかっちゃう気がしてこっちまで泣きそうになった。わかった気になってるだけだって言われたらそれまでなんだけど。
Sさんが脱退してから、Aさんはどこか寂しそうだと思っていた。それは、表情がとか声色が、とかじゃなくて、一章の時の映像と比較してなんとなく感じたこと。メンバーと笑いあってる時もふざけあってるときも、以前ほどテンションが高くないように見えた。年齢を重ねて大人になっているから、という見方もできるかもだけど、私にはなんとなくそれが、”好きな人たちと好きなことをする”時のテンションから”仕事”のテンションに変わったように見えたんだ。
で、その原因は、やりたいことをやれていないからなんじゃないかと思うようになった。彼は歌に対して狂っている人だと思う。これは褒め言葉で、歌うことが狂気的に好きだって意味なのだけど。ただの、その辺の、「歌が好き」という人とは比べものにならないほど、異常なレベルで歌を愛しているのだと思う。
そんな人が、当時のEXの環境を、「最高!絶対ずっとここにいたい!」と思っているとは思えなかった。
もちろん、「嫌だ、いますぐ抜けたい」と思っていたわけでもないと思う。でも多分彼はこの頃から、自分の好きな歌を自分のやり方で極めたくなってきていたんじゃないかと思う。そしてそれは、グループの方向性とは違うものだった。
その予想は、彼のソロライブを見に行ってより濃いものになった。本当に楽しそうなのだ。EXで歌っている時以上に。だからさ、近い未来Aさんが脱退することになっても仕方ないなと思ってたんだよ。だって、いちファンとして一番に願うのは彼の幸せだから。彼が心から楽しいと思って、本当にやりたいと思えることをやってくれるのが一番嬉しいから。
これが、2011年くらいに思ったこと。でも彼は、それから9年もグループにいてくれた。途中留学したりソロ活動が拡大したりはあったけど、いてくれた。グループに居続けたのは彼の希望というより、周りへの恩返しやいろいろな事情という側面が大きいんじゃないかという気がする。
だから本当に、ありがとうございましたとは思うんだ。EXというグループを背負って、引っ張って、守ってきてくれてありがとうって。
でもね、それなら。
勇退ライブくらいやってもよかったんじゃないの?って思う。小規模でも、ライブ配信で一、二曲でもいいから。全員に囲まれての勇退にしてもよかったんじゃないの?って気持ちが消えない。
彼は十分にやってくれたのに、これからやりたいことをやるのは素晴らしいことのはずなのに、なんでそんなに暗い雰囲気で伝えるんだろうって。言葉の端々に言い訳っぽさが滲むんだろうって。
Aさん、コロナというきっかけもあって色々考えて……みたいなこと言ってたけど、その直後に「Hさんがツアーやって組み立ててくって話もあったんですけど」って、それコロナ前に出てた話じゃん……とか。
ああ、でも、コロナ前にAさんはHさんに相談してて、ツアー組み立ててて、でもコロナでできなくなって、このまま後回しにしてたらどんどんソロの開始遅れちゃうからもう発表するしかないね、ってなったのかな……。でも年明けにライブやるよね?そこじゃダメだったの?とも思うしなあ。
それに自分の40歳じゃなくて、EXの20周年を節目にするってのはなかったの?みたいなことも思わんでもないし……うーん。
でもまあ、ソロ活動はいいんだ、別に。それで彼のやりたいことなら素晴らしいと思う。ただ、もっと明るく送り出してあげてよ……って思うだけで。(コロナ後に改めてツアーとか考えてるんだったら申し訳ないけども)
でも一個、どうしても気になっちゃうのはTさんのことなんだよなあ。
メンバーが倍増した2009年当時、個人的には本当にショックだったんだけど、「メンバー全員がそうしたいなら」と思って無理やり納得したんだよね。
Hさんの「EXというDNAを残していきたいから」という言い分には、「はあ!?私が好きなのはEXという名前でも、そういうテイストの服着た人でもそういうテイストの歌歌うひとでもなくて、この7人で構成されているグループが好きなだけなんですけど!?」って思ったけど。でも全員がそれで幸せならいいかと思ったんだ。無理やり。だってどうしようもなかったし。
でもさ、こないだのユーチューブのAとTの対談で、TさんがHさんから人数倍増させる計画を聞いたのは加入後半年も経ってない頃だって言ってたやん。
ええ……って。別にTさんだって、倍増がめちゃくちゃ嫌だとは思ってないはずだけど、そう信じたいけど、でもその状態でその立場の人間が、万が一嫌だと思っても言えるわけないじゃんって思っちゃって。それが「もうちょっと末っ子でいれると思ってた」ってセリフに全部詰まってる気がしちゃって。辛かったなあ。勝手に感情移入してるからなんだけどね。
なんか彼は、いやでも比べられる立ち位置にいて、しかもその比べられる相手はすごい人で、自分が世間からどう見られてるかとか、どう言われてるかとか全部わかっちゃう時代の中で、必死に頑張っていたわけじゃん。
スランプが10年くらいあったって言ってたけど、そんな状態で想像できないほどのプレッシャー背負って、でも酒に女にも薬にも走らず(そんなのわかんないだろって言われたら何も言えんけど、少なくともスキャンダルは出さず)、14年くらい頑張ってきてくれたわけじゃないですか。
その結果、憧れだった相方に、「一生一緒に歌ってく」って言ってくれた人に、やめられてしまうのはなあ。1万人の中から必死でその場所を勝ち取ったのになあ。
ていうか、
を決めるという名目で開かれたオーディションで1万人分の1を勝ち取ったのに、半年後に「あのオーディションで落ちた人もボーカルになるよ」って言われて、5年後くらいから相方がソロ活動に精を出し始め、最終的にその相方に卒業されるのヤバイな。これはほんとにTさんがなんとも思ってないことを祈るばかり。
結局Aさんも、Tさんと歌いながらずっとSさんが忘れられなかったんじゃないかなとか、もし相方がずっとSさんだったら、脱退なんて選択肢選ばなかったんじゃないのかなとか、そんな邪推はしたくないけど。
でも今後ソロになったAさんはSさんをまたライブに呼んで、ボロボロ泣きながらコラボとかしちゃうんだろうなあ。それを複雑に思う自分と、めちゃめちゃ見たい聴きたいと思う自分がいて頭が痛い。
せめてその時には、同時にTさんもゲストで呼んでくれないかなあ。3人で楽しそうに歌う姿が見れたら、この上なく幸せな気がする。はあ、情緒も文ぐちゃぐちゃ。おわり。