はてなキーワード: ことのはとは
ゼミでやらされながら短歌も俳句も自分にゃ無理だな!!!となった者だけれど,大事なことは古今和歌集仮名序が既に全部言ってるんだなあ……と思う今日この頃。
やまとうた(漢詩ではない、和歌)は人の心を種として,万のことのは(葉)とぞなれりける。
(やまと歌は、人の心の動きを元にして、様々な言葉になったものである)
世の中にある人事業しげき(繁き・繁樹)ものなれば,心におもふ事を,見るもの聞くものにつけてい言ひだせるなり。
(世のなかにある人は、事象が沢山あるので、心に思うことを、見るもの・聞こえるものに託して言葉に表しているのだ)
ざっくりと言えば,少なくとも心情を情景に託すことが出来ていないか,それが(なるべく初見で)読者に伝わらない句は駄目っぽい。
アリス:chatGPTさん、国民の民主的責任や政治監視について教えてください。政治に無関心な国民の国はどうなるのでしょう?
chatGPT:国民の民主的責任は、チェシャ猫の笑顔のようです。見えたり見えなかったりするものですが、なくてはならないものなのです。
マッドハッター:政治監視は、私のお茶会のようなものだよ。みんなで一緒に座って、おかしな話をするだけさ!
ドードー:国は caucus race をするだけになるね。みんなグルグル回って、どこへも行き着かないさ。
ハートの女王:政治リテラシーが低いだと?オフ・ウィズ・ヒズ・ヘッド!
アリス:ちょっと待ってください。政治は大事なことのはずですわ。
ヤマネ:政治なんて、ティーカップの中のお茶みたいなものさ。飲み干せばなくなるし、冷めれば味気ないものになる。
キンギョ:私たち魚には政治なんてわからないわ。泳いでいるだけで精一杯よ。
チェシャ猫:国民が政治に無関心だと、国はまるで不思議の国のようになるんだよ。でも、それってワクワクしない?
アリス:みなさんの話を聞いても、よくわからないわ。政治って本当に大事なのかしら?
くいしんぼうイモムシ:(もぐもぐ)政治なんて、葉っぱみたいなものさ。食べてしまえばなくなるけど、また新しい葉が出てくるのさ。
選挙ウサギ:おや、おや、遅刻遅刻!小選挙区は魔法の区画だよ。東京15区は見つからない幻の区画さ!
マッドハッター:それはねえ、お茶会の席順みたいなものさ!衆議院は下座、参議院は上座に座るんだ。でも、席順なんて気にしない方がいいよ!
あなた:じゃあ、選挙の仕組みを理解するには何をすればいいの?
チェシャ猫:公民の教科書を読むのも一つの手だけど、それじゃあ面白くないよね。わたしなら、候補者たちとクロケットをするね。
ハートの女王:選挙の仕組みなんて、オフ・ウィズ・ヒズ・ヘッド(首をはねろ)!
ドードー:そうだね。だから、みんなで caucus race(コーカス・レース)をしよう!走れば走るほど、選挙の仕組みが見えてくるはずさ!
ヤマネ:選挙の仕組みを理解する必要なんてないのかもしれないね。だって、世の中には理解できないことがいっぱいあるもの。
キンギョ:わたしたち魚にそんなこと考える頭なんてないしね。
アリス:確かに、世界は不思議なことだらけね。わからないこともあるけど、それでいいのかも。大切なのは、自分の心に従うことよ。
くいしんぼうイモムシ:(もぐもぐ)賛成。
これは常識。
そういうつもりで来たんだけど、なんだか気分にならなかったから、最初からそういうつもりじゃなかったことにしたんだよ。
お前がキモかったんかもしれんし、たまたま体調が悪かったのかもしれんし、観光地が想像より鄙びていたんかもしれん。まあだいたいは、現地に着きさえすれば気分アガるやろ~で来たけど、そうでもなかったということのはずだ。
自分が男をもてあそぶ不誠実なことをしたということにしないために、後づけで自分に「そういう気では最初からなかった」と自分に言い聞かせている。それが気まずいから、人間関係リセットするんだよね。
まあロクなもんではない。切れてよかったなその相手と。
もうタイトルの通りなのだが、結論から言うと小学生の頃から20年以上付き合いのある友達と連絡が付かなくなった。かつては毎日のようにLINEをしていたのに、今確認したら最後にLINEしてからもう2年経とうとしている。どちらが悪いのかと言えば私が悪いのだが、正直謝るにも時間が経ち過ぎており、どうしたものかと考え続けて今に至る。
この年齢で今からA子に変わる人に出会えるとはとても思えないが、この先誰かと友情を結ぶチャンスがもう一度私に訪れたら、その時は間違えないようにしたい。
ですよね? 結論から言っていないのに結論から言うとと書くのはまず止めましょうというかいくらなんでも文章を推敲してください。まあ増田なんかに書く文章を一々推敲しねえよというのもわからんではないんですけどね。
私→これを書いてる人。関東在住。28歳。少年漫画ジャンルや女性向けソシャゲを嗜む腐女子。
A子→今回主に登場する私の幼馴染。小学校の頃からの付き合い。同い年なので彼女も28歳。女性向けソシャゲの他、乙女ゲーや少女漫画も好む。腐女子。
色々と身バレ防止フェイク要素を入れてるんだろうとは思うんですが、ここで年齢を明記するのはなんなんですかね。
あなたの自称する執筆歴がガチだと、この辺のディティールについつい拘ってしまうみたいな話なんでしょうか。
もし万が一リアル年齢なら(そうでなくても)、端的に言ってあなたは自己顕示欲が高すぎです。何故なら年齢を明記する必要が以下一切無いからです。
●幼馴染との関係について
小学生の頃から幼馴染と作家の真似事のようなことをして遊んでいたが、それを本格的に一次創作として小説にしたりマンガにしたりし始めたのは中学生ぐらいからだったと思う。
最初、A子だけでなく同級生の友人5人ぐらいでやっていたのだが、年を重ねるに連れて一人、また一人と抜けていき結局最後に残ったのは私とA子だった。
主にスクエニ作品やテイルズシリーズにありがちなファンタジー系の世界観で、各々自分のキャラクターを考えて同じ世界の中で他メンのキャラと絡めたり、時にはカップリングにしたりといったことをしていた。
書いた作品はpixivにアップロードしており、共用でアカウントを運用していた。
A子はどちらかというと長い物語の脇で起こったサブシナリオや小話、アニメでいう日常回を考えるのが好きな人だった。
それも、どのキャラでも出来るわけでは無く、彼女の書く中ではレギュラーになっているキャラもいれば、上手く動かせなかったのか初登場から年単位で名前を聞かないキャラもいた。
逆に私はキャラクターの性格と特徴さえわかれば大体誰でも動かせるタイプなので、特に思い入れの無いキャラや出番の少ないキャラでも問題なく話を作ることが出来た。
シリーズ構成…私
と言う状態だった。
5人ぐらいでやっていた時は私の他にも大筋の話を書いてくれる人はいたのだからある程度分散して出来ていたのだけど、二人だけになったらそれはこうなる。仕方のないことだ。
一切申し訳ないと思っていないのに申し訳ないと書くのはやめましょう。
あなたの自称作家歴がマジなら読者に申し訳ないと思わせる(と書いた自分として感じる)くらいならちゃちゃっと文章を推敲すれば済む話だからです。
結論の話もそうなんですけど基本的にあなた一切申し訳ないと思ってないですよね。
●事の発端
正直なところ、私は鬱展開が好きだしエログロ性癖(グロ寄り)だ。痛そうな目に遭うキャラクターに興奮するし、キャラが憎いとかではなく辛くて痛くて可哀想なキャラに興奮を覚える。それが楽しい。
A子は鬱展開や過激表現に過敏なところがあったが、全くそれらを見られないわけでは無い。普通にゲームではニーア・オートマタとかバリバリ遊んでいるし、鬼滅や呪術にもしっかりハマっていた。なので、私も話の大筋に必要であれば鬱展開も書き、過激なエログロ表現(R-18G)を描くこともあった。
A子は当初自分のキャラのR-18G表現を描くことを許可していたものの、いざ書いてみるとあまり反応は良いとは言えなかった。
褒めてくれてはいるものの無理をして言っている気配すらあった。が、許可はあるし書かないでくれとも言われていないので、しばらくR-18G表現を含む作品の執筆をつづけた。
「反応は良いとは言えなかった」「無理をして言っている気配すらあった」ですか。そこで何で妙に遠回しな表現をするんですか?
「(今にして思えば)A子は嫌がっていた(んだと思う)」が、つまり正しい表現ですよね? あなたはA子が嫌がっていたことに気付いていたけど自分の好みを優先させたんですよね?
ファンの反応の良さはA子がそれを嫌がっていたのにあなたが好みを優先させたことを何ら正当化しません。
しかしある時、A子から「実はR-18G作品を見るのが辛い。出来れば私の子にはそういう目に遭わせないでほしい」と申し出があった。
本当に喜んでいたんですか?
思えば創作を始めた当時は小学生だったから当然と言えば当然なのだが、元々はグロ表現のない作品だった。元の正当派ファンタジー路線にこの機に戻すのも悪くないか……と思っていたその矢先。
私のプライベートでは祖母が認知症になり、深夜にウロチョロ徘徊する日々が始まった。
人は眠れないと物凄く正常な判断が出来なくなる。深夜の2時に家族にたたき起こされて近所を探しまくって、空がうっすら明るくなるような4時とか5時に家の縁側で発見した、みたいなこともザラにあった。日中はブラック企業で働いて、家に帰れば認知症を患った祖母の介護(月に数回脱走オプション付き)。
大変でしたね。
流石にストレスを発散する先がないとやっていけない。
それは仰るとおりですね。
5回目ぐらいの祖母捜索からの帰宅をした翌日、私はA子に泣きながら電話して、全てのストレスをぶちまけた。
仕事も家もストレスで、今は創作だけが心の拠り所で、正直に言うと自分の性癖を抑えないといけないのはかなり無理を感じるということ。
A子は黙ってうんうんと聞いてくれ「増田ちゃんの好きなように書いたらいいよ」「何かあったら相談してね、おばあちゃん探すのも手伝うから」と許してくれた。
この時点で何歳くらいの話なんですかね。全てのストレスをぶちまけるようなことを普通の大人はやりません。
というかこの時点であなたはA子に相当な恩義が発生しているのですが、正直なところ感謝している感じが文章からは全く伝わってこないのですが、受けた恩をどう思ってるんですか?
それからしばらく、私は辛い現実から逃避するように作品を書きまくっていた。
出来るだけA子の好きなキャラクターやA子が考えた子には危害を加えないよう考慮し、それでも話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない場合は「どの程度なら問題ないか」「もし無理そうであれば展開を変える」などの提案をしてA子の負担にならず、かつ自分の好きな表現が出来る創作を目指していた。
「話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない」
その展開を考え執筆しているのがあなたである以上、そんな必然性はあなたの心の中にしかありませんし、本当に配慮してるならそもそもそんな展開にしません。
あわよくば、私が自分のありったけの好きを込めて書いた作品を見て、A子の心が動いて、A子も私と同じものを好きになってくれればいいと思っていた。それがモチベーションだった。
世間でChatGPTや文章生成AIが出てくるようになったのは丁度この頃だった。
画像生成AIがまだメジャーじゃなかった当時、小説や詩を作るのに特化した文章生成AIが話題になっていた。
2年音信不通なんですよね? 文章生成AI自体はありましたけど、ChatGPTって2年前時点で一般ユーザーが使用可能でしたっけ?
元々物語を量産できるタイプでなかったA子は、ここから覚醒した。
アイデアを出すためにChatGPTを使い、出てきた案の中から面白そうなアイデアを文章生成AIを利用して書いていく、ということを始めたのだ。それまで1カ月に5,000字の話が一本書けたらいい方だったA子は、自分の考えたキャラの話を中心にポンポンと話を量産するようになった。
私も私で作業効率が上がったので、この頃は文章生成AIを使って新たな作品を書いていた。これは分割すると第1部、2部、3部…と大変長丁場になり、最初の2部までは私の推しキャラや推しカプを中心に話を進めていたのだが、3部からは過激な表現を極力抑えつつA子の推しキャラ達にもスポットを当てようと考えた。その旨を伝えるとA子は喜んでくれた。
しかし、実際に3部を書き始めた時のA子の反応は、予想以上に薄かった。
A子の推しやA子の推しカプを主軸に据えているにも関わらずである。本人は「語彙力ないから良い…としか言えない」とか言っているが嘘つけ。お前が書いているその長文小説はなんだ。
端的に言ってつまらなかったんでしょうね。
さて、そこで思った。
一度そう思ってしまうと段々とはらわたが煮えくり返って、自分でも抑えきれないほど黒い感情が湧きおこった。私は今までA子のために散々頑張ってきたというのに私の書いた物語はもう彼女にとって価値がないのか?文章生成AIの方が私よりも彼女を満足させるっていうのか?
あなたの作品がA子にとってつまらなかったという現実を認めるのが嫌でそういう理解に逃避したということですね。
私はA子とのさぎょイプ中にふっと我慢できなくなり、これまでの怒りをA子にぶちまけた。
ふっと我慢できなくなるような人は我慢できなくなるキッカケを探すものなので、まあくだらない何かがあったんでしょうね。
が、言ったことは大体こんな感じ。
A子が私の書いた作品を読んで楽しんでいるように見えない。
私はA子の好きなキャラクターを取り入れているのに、反応が薄い。
友達だと思ってる人からいきなりこんなガチギレされたら普通は泣いちゃいますよね。
ちなみに、あなたの文章からは泣かせたことに対する申し訳なさみたいなみたいなものを一切読み取れないので、別に申し訳ないと思ってないんですよね?
それでも私は感情が収まらず、追い打ちをかけるように「私が長編を書き終わったらA子の今書いている作品を見せるって言ってたけど、それって私への報酬のつもりなの?」「だったら私の推しカプ書いてよ、私だってA子の推したちを書いてるんだから」と、どんどん思ってもいないことを言って詰めていってしまった。
正直、お互いパニック状態に等しい状態だったのでこの後どうやって会話を終わらせたかあまり覚えていないが、流石に翌日になってマズいと思い、私はA子に謝った。
多分ですけどパニックだったのはあなただけでA子は「そんなこと言われても……」と困惑してたんだと思いますが。
てかここに至ってようやく「マズいと思い」とのことですが、「自分がマズいことをしたと思う」のと「相手に対し申し訳ないと思う」との間には雲泥の差がありますが、大丈夫ですか。
A子は気にしていないし、私が悪いからと許してくれた。
当たり前ですが、気にすべきなのはどう考えてもあなたの方ですよね。
●崩壊
最初の異変は、このさぎょイプから2カ月ほど経った頃に起きた。
A子が自分の好きだったキャラクターを自分の作品の中で酷い目に遭わせるようになった。あれだけ私が書いたグロてんこ盛り作品を苦手がっていたのに、自分からA子は自分のキャラ達ををぐちゃぐちゃにし始めた。ここに書くのは憚られるような内容だったので敢えて記載は避けるが、少なからず可愛がっていた己のキャラに対する仕打ちではなく、それなのにA子が物凄く楽しそうに自分の生み出した子たちを痛めつける作品の話をしているのが少し怖かった。
A子としてはあなたの方に寄せてみたわけですよね。それに対して内心としては「怖かった」。つまり芳しくない反応をあなたがしたんですよね?
そんな感じの事が3カ月ほど続いた後……A子はパッタリと新規の作品を発表しなくなった。
この頃には私も正直飽きが来ていたので、話作りの真似事を始めた頃から換算すると15年近くやってきたこの創作もそろそろ潮時だろうか、と思い始めていた。
この頃、A子と一緒にご飯を食べたり外出する機会も増えていた。このまま昔のように戻れるものだと、この時の私は思い込んでいた。
A子としては恐らくかなりの勇気であなたの方に寄せてみたら芳しくない反応されたんで、そりゃ嫌になって当たり前なのでは。
ある時、別ジャンルに行った友人から「これもしかしてA子?今も創作続けているんだね~」と言ってあるTwitterアカウントのスクショが送られてきた。見ると、アイコンはA子が好きだったキャラにそっくりだし、絵柄がどことなく特徴的で普段小説を書いているA子がごくたまに絵を描いたときのそれとそっくりだった。
他人の空似だと思い、そのスクショを見ながらTwitter垢にアクセスしようとしたが……
ブロックされていた。
見ず知らずの垢に。何の接点もないアカウントに。
は……?と思った。
この辺はA子が悪いというか迂闊でしたね。
そこで、サブ垢として持っていた垢でログインすると今度は普通に見ることが出来たので、現状のこの垢のツイートとメディア欄を確認出来る分は全て確認した。
ブロックされているアカウントのツイートを見ようとするのは既に異常者の行いなので猛省した方がいいですよ。
結論が遅くないですか。この流れで「結論から」と書くなら崩壊という小見出しの次では。
その瞬間、自分の中で何かが壊れたような気がして、とんでもない虚脱感に襲われた。
A子は私と創作するのをやめたばかりではなく、ご丁寧にブロックまでかまして自分だけのコミュニティを形成してのうのうと変わらず創作を楽しんでいたのだ。
これは正直気持ちがわからんでもないんですよね。そりゃ腹立ちますよね。
今までどれだけ時間を費やしたと思っているんだ。
当たり前の話なんですけど、共同創作を止めただけで友達は友達だとA子は思っていたわけですよね。
共同創作者であるということが友達の必須要件なわけないので、異常なのはあなたの感覚です。
私は自分のSNS、そしてA子と共同運営していたpixivのアカウントを全て削除した。
A子が認識できる限りインターネット上から姿を消し、A子の出方を待った。A子はまさか昔一緒に創作していた友人経由で自分のもう一つのアカウントがバレたとは夢にも思わなかったのだろう。
数日後、アカウント削除に気付いたA子は慌てた様子で連絡を寄越してきた。私はSNSを消したのは新しいジャンルを見つけて心機一転しようと思ったからであることと、pixivはここ最近生成AI問題であったり個人情報管理の面で心配だから一旦別サイトに移転させようと思って取り急ぎ削除した。相談無くやってしまい申し訳ないと伝えた。
A子は物凄く色々言いたいことがあっただろうが、それ以上何も問い詰めてこなかった。
A子の対応は迂闊なんですけど、それに対してカウンターでそんなことをしたあなたにはもうA子の対応を非難する権利はありません。
だが後日A子に会う機会があり、そこでA子はTwitterやpixivの削除について改めて尋ねてきた。当然だろう。私の個人アカウントはさておき、pixivに至ってはA子も共同で運用していたアカウントだ。普通に考えてA子にはこの事について物を言う権利はある。
私はA子にこう言った。
「人気が出て良かったね」
この時のA子の表情は多分私は一生忘れられない。多分犯罪を犯したり、絶対にバレないと思って不倫をしたり、そういう人は自分の悪事が一番知られたくない人にバレた時にこういう顔をするんだ、とどこか冷めた頭の中で思った。
A子を完全に一方的に悪者にして自分を正当化している言説なのですが、これは無意識なんですか? 意図的なんですか?
私は極力感情的にならないように「リアルで接点のある人のアカウントをブロックすると、逆に特定に繋がるからやめた方がいいよ」とだけ伝え、その話題はそれきりにした。
こういう感じで自称する人はだいたい自分で思ってるよりよっぽど感情的に振舞っていますので気を付けてください。
文字数制限に引っかかったので続き→anond:20240125103028
ジャニーズとか宝塚とかをきっかけに「推し活」そのものにも批判的な目が向けられてる現状にちょっと言いたくて書く。
性犯罪とかパワハラとかが違法行為であって糾弾されるべきなのはそう。そこに異論はない。
ただ、歴戦のオタクとして、「推し活」そのもののあるべき姿みたいなのにはちょっと思うところがある。
具体的な年代は避けるけど、かつてオタクやってたときはまだ「推し」なんて言葉はなかったし、今よりずっと「オタク」もネガティブなイメージの言葉だった。
当時は某グループのオタク。バーチャル系ではなく実在のグループで、まあCD出したりグッズ売ったり、ライブやったりしてる感じ。まだ配信文化もなかった。
ツアーの全通(非オタク向け補足:ライブツアーなどに全公演参加すること)経験もある。チケ代交通費宿泊費グッズその他で数十万かかったけど、まあ楽しかった。
その後、主要メンバーの引退やら卒業やらで少しずつ離れていき、数年間の非オタク期間を経て、1年ほど前からまた別ジャンルのオタクをやってる。
年齢も人生経験もちょっとは積み重ねて、推し活に対するスタンスも固まってきた。別に正解があるわけじゃないが、推し活やるならこうしたらいいぞ、っていうオススメを書いておきたい。
一言でまとめると、「推しの人生は推し本人のもの、お前の人生はお前のもの」だ。
どうかなあと思うのは、自分の人生を推し活に注ぎ込みすぎてるパターン。それで結局推しの引退やらなんやらで、気がついたら年齢を重ねた自分と虚無感だけが残った、みたいなやつだ。
昔からそういうオタクを周囲でたくさん見てきた。それでもある期間は楽しかったんだからいいのだ、と割り切れるならまだいいが、そうでない人も多い。
ファンと結婚する芸能人、みたいなのに憧れがあるのもわかる。でもあれは、「もともと出会えるぐらいの距離感の関係性」だった対象が、たまたまファンだったというだけに過ぎない。もしくは、ちょっと知ってた、くらいの話を「昔からずっとファンでした」に脚色したほうがニュースバリューがあると判断した結果の演出だ。残念なことだが、この世界はそういうふうにできている。
ライブでファンサもらえたとしても、ラジオや配信でメールが読まれたとしても、それはお前の人生が推しの人生と重なったことにはならない。
推しは推しの人生という列車に乗っていて、お前の乗ってる列車の線路とは交わってないのだ。ライブやメールっていう接点は、あくまで車窓から見えた、程度のこと。
その景色が見えようと見えまいと、推しは推しの線路を進んでゆく。それはお前もそうなんだ。お互いが交わったと思いたい気持ちはわかる。でもそうではないということをまずは理解しよう。
じゃあどうしたらいいか。
お前は推し活をしている以上、推しから何らかの影響を受けているだろう。推しも、個別に一人ひとりを認識してはいないにしろ、ファンの反応には影響を受けているはず。そういう意味では、
お互いに影響しあっている。推しはファンのリアクションを受けて、活動を続けている。お前も、推しから受けた影響を「お前の人生」に活かせ。
お前が推しの人生を変えようとしても難しい。推しの人生は推し自身が自分で決めて進んでいくのだ。同様に、お前の人生を決められるのはお前だけなんだ。
ちょっと話は逸れるが、オタク歴が長くなって気づいた、ラジオなどでメールが読まれるコツみたいなものを伝えておく。
可愛い、かっこいい、歌やダンスが上手い、など推しに対してストレートに感情を伝えるメッセージは、それだけでは弱い。なぜなら、ある程度の活動をしている人はそういう言葉を浴びせられることに慣れているからだ。
「あなたの歌(orダンス、演技、etc...)からこんなことを感じて、自分も◯◯してみました、◯◯にチャレンジしています」などというように、
「推しの活動から影響を受けた自分がどのように変わったか」を書くんだ。
推し対象が何らかの芸能活動をしているのであれば、自分の生み出したコンテンツが誰かにプラスの影響を与えた、誰かの人生に作用したと思えることが嬉しくないはずはない。
どんな仕事でも、自分の仕事が世の中の役に立っている実感が得られるかどうかは、やりがいに直結するだろう。それと同じことだ。
自分は、いまの推し対象が音楽をいろいろ突き詰めているのをみて、楽器を始めた。もともと音楽は好きで楽器が演奏できることへのあこがれはあったが、推し活がきっかけになった形だ。
練習しているのはもちろん推しの楽曲だ。なんとか1曲弾けるようになって、推しの記念日に某所に演奏動画を上げたら、同ジャンルのオタクたちがリアクションくれてちょっと承認欲求が満たされた。推し本人が見てくれていたらいいなあと思う。
初級レベルを出るくらいまではきた自覚があるので、おそらく今の推しが引退とか活動休止したとしても、楽器は続けていくと思う。これは推しに出会わなかったらきっかけがなかった自分の人生の変化だ。
言い換えただけだが、自分の考える推し活のあるべき姿は「推しを力に変えてお前の人生を生きろ」だ。
お前がお前の人生を生きている限りは、グッズを山ほど買おうが、ツアー全通しようが、批判されるべきことではない。それを力に、お前の人生をより良い方向へ変えるには、と考えて進もうや。
蛇足だが、推し活のための借金はおすすめしない。それはお前の人生が担える範囲を超えているからだ。
推し活などに全く頼らなくても生きていける人も大勢いる。だが、我々のような人種は基本的に弱いんだと思う。だからその弱さを推しに補ってもらって、自分の人生を歩もう。そうやって良い方向へ自分のファンが変わっていくことは、推し本人にとっても喜ばしいことのはずだ。
(ごめん中身は読んでない。またいつものメンバーが争ってるんだろうし)
人間の本能的な営みだしなんていうか根本的に人類にとってはポジティブ?なものと言えると思う。
死、恐怖、病、怪我、血飛沫…こうしたものは生物にとってネガティブなことのはず。
ホラー自体が怖くて嫌だしホラーというネガティブなものを好きな人がいることも正直怖い。
ホラー好きを公言する人は多いけど本来はムチで叩かれて喜ぶような隠すべき変態特殊性癖なんじゃないだろうか。
そりゃ一番ショッキングな場面やグロテスクな表現は見せないようにしてると思うけど映画館でもテレビでも普通にホラー映画の予告があるし(目を閉じて終わるのを待つ)ポスターもどこでも目に入る。
ビクッとするし嫌な気分になる。
街中にあふれかえる黒、オレンジ、紫の毒々しい色とガイコツやお化けやお墓のイラスト。
可愛らしくデフォルメされても死や恐怖のネガティブなイメージは付きまとうしリアル寄りのディスプレイが目に入ってビビったりする。
TwitterもといXでも流血メイクやら頭に刺さった釘やら血糊のついた包丁やらのコスプレ写真が流れてくるのがきつい。
ハロウィンは定着してほしくなかった……。
理解はできないけど消えろと言ってるわけじゃないです。
いや本音を言うと消えてほしいということになるんだろうけど、やっぱり表現の自由って大事だと思うし人の好きなものを尊重しないなら自分の好きなものも尊重してもらえないよねって打算的な意味もある。
お互いちょっとずつ許してもらってるって思えたらいいよね。
祝!今年のハロウィン終了!🥳🎉
今日は注射薬が効きすぎてだるいので勉強はしませんでした...
フォロワー数2万のTwitterアカウントを買って、blueにも登録しましたが、ツイート一回あたりのインプレッションはフォロワー0人のアカウントと変わりませんでした。
何か有益なコンテンツを作ってチヤホヤされたいのですが、私の発言は地味なので誰かに注目されることはありません。
Youtubeで発信しようとも考えているのですが、私の性格だと途中で馬鹿らしくなって辞めてしまうような気がするのです。
というのも私が過去に自然言語処理のブログを書いていた時はそれなりのアクセスを獲得しましたが、一部の人から「ネット上にゴミを増やすな」などと言われているような被害妄想に陥って辞めてしまったのです。
「Youtuberになりたい」という欲求は、夢に出てきたことさえあります。しかし、本当に高品質のコンテンツを作るために意識的な努力をしなければやっても無意味です。
コンテンツの質について自信が持てるようになるためには、それだけの時間・金をかける必要があると思います。
アテンションの獲得のために熾烈な競争をしている社会で、私ごときが発信する物事には何の価値も見出されないでしょう。
それともアクセス数やサブスクライバ数など気にせず、自己満足の世界で発信し続ければ良いでしょうか。
おそらく、私は身近に家族や友人がいることにもっと感謝するべきでしょう。大切な人がいるなら、インターネット上の関係やちやほやされることなど、どうでもいいことのはずです。
なんとかこの難局を乗り切ることしか考えていないという態度を隠そうともしないのが恐ろしい。
見え見えじゃないか。
おそらく、犯人が生きていたほうが話は単純だったのだ。
もちろん組織として犯罪行為に加担していた部分もあるはずなので、
であるなら、残された者たちがその罪を償うとすれば、
それでもって、はじめて、忌むべき犯罪行為の償いとなるはずなのだ。
しかし、一連の発表を見ていると、
なんとかジャニーズ事務所を存続させること、
そして本当に驚くべきなのは、
こうした局面に至っても、ジャニーズに対しての不買運動がジャニーズ支持層で本格的に起こらないことだ。
それは、結局犯人の犯罪行為を容認しているのと同じことのはずだ。
まったく呆れる限りだ。
オレも別にいいと思うよ。
一度でもAVに出演した人は教育関係の仕事に従事してはならん、なんて暴論がまかり通るわけないのは理屈で考えればわかることだけど、それと同じくらい、「自分の子供が性産業従事者に日常的に触れ合うのは感覚的に嫌だ」と思う人はいるだろうし、内心の自由だからそれは止められない。
結果、そんな人が教えてる教室には子供を通わすのは止めよう、という人が出てくることは容易に想像できるし、そうなれば商売でやってる以上「ちょっとうちでは雇えないです」となることも出てくる。
もちろんそれ自体はとても良くないことだと思うけど、実際に起こり得るよね、っていう話ね。
でも、AVを始めそうした性産業のギャラがその労働時間や労力に対し比較的高く設定されているのは、正しくそうしたリスクや、周りからそういう目で見られることを含んでのことのはず。
グラビア撮影会中止ついでに話すカメコのポートレート撮影術というエントリを投稿した増田です。
水着撮影イベントと「あいちトリエンナーレ」は違う? 不勉強なのは津田大介さんだったな のブコメページで気になるブコメがあったので引用します。
これね、水着の撮影を阻止するのは戦略が間違いです。表現の自由が盾だと潰せないもん。価値を潰す間接アプローチ戦略の案件です。LGBTに配慮し、男女並んでの撮影が必須と立法すればカメオタは泣いて引っ込みます。
結論から言ってしまえば「引っ込まないだろうな」というのが正直な感想。単に男女一緒に撮影するだけ。
カメラってシャッターを切れば切るほど、構図を考えれば考えるほど、レンズを工夫すれば工夫するほど、様々なシチュエーションを探れば探るほど上手くなるのよ。
プロやハイアマチュアなんて年間数万枚を撮影して作品として公開するのが数万枚の中の数%ってだけなんだ。
世の中には作品として公開するため関係者の同意が事実上必要なシチュエーションの撮影環境ってのがある。
著作権法的に写真は撮影者が著作者なわけで編集・加工・修正・公開なども撮影者が自由に行えるのだけれど、肖像権の視点もあり撮影した作品を撮影者が完全なフリーハンドで自由に扱えるのか?と言えばそうじゃない。
例えば盗撮なんかはこれらを語る上で参考になる事例と考えることができ、盗撮は撮影者・著作者自身による作品の利用という行為が法の制限下にあることを意味する。犯罪指定による作品利用制限ってわけだ。
もちろんコレは撮影のモデルとなり自身を作品として表現する被写体自身にも掛かる制限がある。
いわゆる公然わいせつと呼ばれるもので、表現者は社会一般においてフリーハンドで自由な服装もとより裸体でいることはできず、法の制限下にあるわけだな。
もしも水着撮影という行為が社会一般において犯罪もしくは犯罪に類似し、社会通念上の倫理に反し、水着を撮影した者に責任が問われるとしたならば被写体の水着と水着姿やポージングも責任が問われるものとなり、水着撮影に関わった共同責任者という立場となる。
だからこそ写真撮影会という関係各所が相互に合意をもって安心して撮影及び作品利用ができるシチュエーションを用意するという結論に至った。
被写体のモデルは撮影者が安心して作品利用できる水着そのものやポージングを選択する責任があり、撮影者は自身が作品利用ができるように配慮して撮影する必要があり、それらをもって合意が成されている。
これは撮影者と被写体モデル双方が犯罪者にならないための合意であるわけだ。
ポートレート撮影というものを実践的に修練を積める相互に安心した環境が様々な撮影会なのだ。
そもそも公然わいせつというものは物凄く恣意的な解釈が可能な概念で、もしも今回の水着撮影会の件で勢いのまま規制をしたら影響する範囲は正直に言って予想が付かない。
例えばアイドル界隈にも撮影会は存在する。チェキ会などと呼ばれるもので、アイドル界隈の中にいわゆる地下アイドルやメン地下も含まれる。
アイドル撮影会にはハグや頬にキスなどの"オプション"の存在がアイドル界隈では認知されているけれども、これらは水着撮影の件から勢いのまま規制に走るとおそらくは影響してくる。
当然ながら撮影のシチュエーションとしては男女揃った状態であり、水着でもないし勢いのまま規制を明文化するとアイドル界隈は"レギュレーションに準拠した撮影会"を企画する。これが明るみになった場合、倫理上の問題で裁かれるのは当然ながら推しのアイドルとチェキを依頼したファンだ。共同責任者だからね。
今ある自由を制限するときは本当に慎重な議論が必要だし、もしも誤った解釈で冤罪の憂き目にあった場合の保障も必要だと考えている。誤った解釈で急な中止になった場合の補填とか。
そしてこのエントリを作った者として訴えておくけれど、件のブコメの人を非難しないししたくはない。あのブコメがなければエントリ書いてなかったから。
老若男女が犯罪者にならないで済むことは我々が愛する自由への開放へ繋がることだと思うよ。フェミニストだろうが表自戦士だろうが急に犯罪者にならないことは良いことのはずだ。
※長めの追記あり
けっこう忘れ去られてる事実かもしれないが、ちょっと昔は、左翼は「不謹慎万歳」だった。
ポルノは体制の抑圧に抗する人間性解放の象徴だとして称揚していた。
「不健全な表現は存在してはならない」なんて、宗教右派か特高警察かみたいなこと言ってる現在とは正反対だ。
「昔の左翼はえらかった」などという話ではない。だってあんまりメンツ入れ替わってないからな。共産党の主たる票田は昔も今も団塊世代だろう。
いかに左翼の正義が何にでも結合するのかということだ。無農薬野菜にも反原発にも、エログロにもポルノ廃絶にも、アニメにもオタクバッシングにも、反戦にも戦争賛美にも、宗教にも宗教弾圧にも、何にでも取り憑いて寄生してしまう。
まあそれはそうなんだけど。もっともな動機に根ざした暴走こそタチ悪いというのもあるし。
のもその通り。
いわゆる保守・体制側は、締め付けるにしても緩めるにしても風向き次第・エライサンの胸先三寸というところが元来有る。
本邦において左翼に期待される役割は、そういうヌルヌルの動きに要所で釘を刺すことのはずだ。
保守は伝統と呼ばれる暗黙知をベースに共有してる(ことになっている)からなんとなくで動いてもいいんだ。
左翼はそうであってはいけない。理屈で動かないと意味がない。でももう「戦後」ももはや「歴史」になり、左翼にもなんとなく感覚的に依拠できてしまう「伝統」が生じてしまったんだろうな。
もちろんここで左翼とか保守とか雑語りしてるのは「敢えて」なんで、細かいツッコミは無視で。
結局のところ「日本社会って変だね」という話ではある。ウヨサヨ相克史という切り口からはむしろその変さは整理できないだろう。
ところで「けしからん表現の取り扱い」については欧米もたいがいわけのわからない紆余曲折を経てきており、それが本邦の国内状況に混乱を添えている。
そこで保守に期待される役割は「うちにはうちのルールがある」という毅然たる態度のはずだがおとうさんもうふにゃふにゃだからな。
その辺のディテールは言わなくても知ってる同士(というか世代)での書き方しかしてないからな。ちなみに78年生まれで愛のコリーダだののリアタイ世代ではない。
表現規制とかセックス・ジェンダー関係の話ってウヨサヨヘイトプロレスのネタとして消費されやすい。
別にただちに生き死にに直結する話でもなし、まともな人は火の粉をかぶらないよう距離をとることが分別ではないか、基地外と踊るべきではない、そのように受け取られがちだ。
でもそうじゃあないんだね。こういうのをグダグダのままにしておいたら我々はクソみたいな「戦後」の文化言論空間をどこまでも(団塊の死後も)ズルズルひきずることになる。
売れないkpop系アイドルのファンをしていた。そして、たった今そのファンクラブをやめた。どうしてやめてしまったのか、自分の思考の整理のために書こうと思う。
まず第一に、私ら人気のあるものが好きだ。人の目を気にする性質もあってか、人気のあるもの=いいものだと認識している。いわゆるミーハー。熱しやすく冷めやすい。一つのものをずっと愛し続けてる人に憧れはあるが、どうしても続かないので仕方ないのだと思っている。
そんな私が売れないkpopアイドルを応援していたのは、オーディション番組で推しを見つけたからだ。そのオーディション番組というのは例により流行っていたから見てみたのだが、番組に出ていた一人にハマってしまった。だが、残念ながら推しはデビューに至らず、落選者の集まりであるセカンドグループに所属することになった。これが売れないアイドルグループを応援するはじまりだった。
推しも推しのグループもデビュー組に比べたら勿論人気がなかったが、私はそれでも好きだった。だから推しの所属するセカンドグループがもっと大きくなってほしかったし、CDも買ったし、Twitterで宣伝活動もした。
供給はそれなりにあって、最初は推しが見られるだけで楽しかった。だがいつまで経っても人気は出なくて、デビュー組との差はどんどん開いていった。
私にとってはこんなに素敵なグループなのに、どうして売れないんだろう。こんなに応援してるのに、ファンの数が増えないのはどうしてだろう。もっと宣伝しなきゃ。頑張らなきゃ。動画も回そう。フォロワー数増えないな。あっちは人気があっていいな。どうしたらもっと人気になってくれるんだろう。
ただの一ファンである自分の無力さを思い知ると同時に、楽しかった応援が苦痛へと変わっていった。
「今は売れないって言われることもあるけど、必ず大きくなります。だから応援よろしくお願いします」
うん、そっか。頑張って応援するね。推しくんの努力はすごく伝わってるよ。でも今は売れないって本人も思っちゃってるんだね。無力でごめんね。これからほんとに売れるのかな。ただでさえアイドルは若い方が売れるのに……。
要は、私が推しを信じきれなかった。絶対売れるって信じてあげられなかった。アイドルの応援は楽しいことのはずなのに、売れないことが自分にとっても辛いことだと認識してしまった。そして思ってしまった。こんな辛い思いやめてしまいたい、と。
私情だが私はリアルの方でも生活が上手くいかなくなっていて、それでいて「娯楽」であるはずのアイドルの推し活が辛いものになってしまうことに耐えられなかった。今でも推しのことが好きだけど、「好き」の気持ちより「売れさせてあげられなくてごめん」の気持ちが大きくなってしまった。ただのファンが何様?って感じだ。売れないのは私だけのせいではない。でも、人気のないグループを応援する自分に我慢できなくなってしまった。
もっと人目を気にしない性格ならよかった。自分の好きなものは好きと言える性格だったらよかった。そしたら、人気もフォロワー数もライブ会場の埋まり具合も気にせず、ただアイドルがくれる幸せを享受していただろう。でも私はやっぱり人気グループを応援したい。ファンが痛々しく盛り上げようと頑張るグループじゃなく、頑張らなくてもどんどん人気になってくグループがいい。気付いたら大人気グループになってて欲しかった。ごめん、私そこまで頑張れない。
かくして、私はファンをやめた。
決して嫌いになったわけじゃない。けど、しばらくは離れようと思う。
いや、やめなくてもいいんだけどね。面白いから。タイトルはあまり気にしないで。
ただ「なんでみんなこんなにおごり奢られ論争が好きなんだろう?」って一歩引いた目で見ているのは事実。
だって「そんなんケースバイケースすぎん?」としか思えないから。
たとえば先輩が後輩をご飯に誘うケースなら性別関係なく先輩が後輩に奢るのはまあ自然に思えるじゃん?
先輩後輩でもさほど年齢や収入に差がないと思われる場合は割り勘もありじゃん?
差があってもしょっちゅう飲み食いする間柄なら「今日はごめん、割り勘でいい?」とか「先輩、いつも悪いんで今日は僕が出しますよ」って日があったっていいじゃん?
いろいろだと思うんだよね。
よくある炎上は男女間の「おごりおごられ」なのでそっちの話もしよう。
ネットとかで美人ぽい女が割り勘て言われて「奢れよw」ってキレてるのはいろいろな意味で「いやそれ公には言わんほうがええんちゃう?」とは思うけど、歓心を惹きたい側が奢るって考え自体は見当外れなものではない。男→女でも、女→男でも。男女じゃないけどビジネスでも。
ただ同じ男女の話でも、たとえばある男が気になる同期の女をメシに誘って奢ろうとしたならば、「いやなんで同格のお前におごられなあかんねん」と気分を害す可能性はある。上で「歓心を惹きたい側が奢るって考え自体は見当外れなものではない」といいつつ、裏目に出るケースも全然あるということ。難しいよね。
気分を害すまでいかなくとも、もう少しフラットに「いやいいよ。自分の分は払うよ」という反応は普通だろうし、「ありがとう、じゃあ次は私がおごるね!」なんていう理想的な展開となる可能性もある。反応は女が男女平等主義者かどうかによっても変わるし、男への好感度によっても変わるし、昨日ネットで見た「おごり奢られ炎上騒動ニュース」によっても変わる。正解などない。ケースバイケースである。
いわゆる「同格」じゃない場合はどうだろうか。
男か女かを問わず、収入も年齢も上の人間が異性を「そういう目的」で誘うならまずは「奢る」ベースで臨む場合が多いように感じるが、仮に何かの話のはずみで相手が割り勘主義者だと察したならば割り勘を提案することでみごと歓心を惹くことができるかもしれないし、裏目にでて「ケチ」と評価を落とすかもしれない。やっぱりこれもケースバイケースである。
はたまた、男女対等論者の男でも、「今日は無理言って付き合ってもらっちゃったから奢らせて!」と言いたくなることはあるだろうし、男女対等論者の女でも(ふむ。じゃあ奢られることでイーブンか)となって素直に「ありがとう」するかもしれない(しないかもしれない)。別に矛盾していない。ケースバイケースである。
まとめ代わりに私見を少し書かせてもらうと、あまり奢るとか割り勘とか、自分の主義を持ちすぎないほうがいいんじゃなかろうか。
精神衛生的には男女ともに「いつでもおごるよー」という気持ちを内に秘めつつ(たぶんヨッピー氏もそうなんだろう)、状況と相手の出方次第というスタンスが良さそうに思う。
婚活もそのスタンスなら「なんで男が奢るのがデフォやねん」「なんで女だからって奢られなあかんねん」と憤ることもないと思うんだよね。結婚が目的なのにそんなところで躓いてるのもったいないじゃん。
以上、世の中におごり奢られに関する絶対の正解などなく、ケースバイケースとしか言えないよねという話。
余談。
ちなそのケースバイケースというのを踏まえると、「下心チラつかせたおっさんが女性誘ってからの初手で割り勘」という、しばしば炎上するケース。俺が女でもやっぱり「いやそこは奢らんのかいw」って心の中で突っ込んじゃうと思う。SNSでは言わないけど。
真面目な話
https://anond.hatelabo.jp/20230215180746#
の返しをしてくるこいつはおそらく数学ができる人間側に帰属意識を持ってるはずだ。
それに対して
https://anond.hatelabo.jp/20230215181123#
はむしろ理系でもこの点では同じぐらいの可能性で知識を持ってると言っている。ヨイショしてるわけだ。
それなのにまぜっかえして反論を続けるのは自分で自分を否定してるようなもの。もっと大きな論理を見据えて戦ってるのかもしれないが、それは(数学が出来る人と丸山を知ってる人の対立構造であることが真か否か)どっちであろうとそいつには関係ないことのはず。
二頭を追う者一頭も得ず。なんでそこまでこだわるのか理解できないってわけだ。
とても丁寧に女性労働者の視点で自動車製造工程の現実を説明してくれたことについて先ず増田女史の労をねぎらいたい。文章も分りやすく明快で、知的な女性がこれを書いているという印象を持った。
発想が近視眼的になっている。標準男性の体格体力でないと不利なラインはいかに花形扱いしようが給与をあげようが働き手の絶対数が足りない未来では人手不足になる。ヤマトはダンボールのサイズと重量規格を見直した
「近視眼的」などという批判を彼女に向けるのは間違っているのではないか。彼女の文章は現状の報告である。先ずそこを受け入れるべきであろう。そのうえで将来的展望や改善策、それに向けての具体的な案、計画、そういうものを語るべきだろう。ブコメの文字数でそのようなことが記述できるとは思えないが、いきなり批判の言葉を投げつけるのは不躾であるとしか思えない。そして彼女の文章は現状を嘆く愚痴のようなものではなく、丁寧な現状報告であり、その現実がどこからきているのかを分析してもいて
ハッキリと言ってしまえば自動車製造業というノウハウ自体が男性が中心となって蓄積してきた仕事のため、自動車製造は女性ができるようにはなっていない
と明確に記述している。現状の報告と原因の分析もなされている。そして
とも書いている。具体的に皆で考えようと提案してくれているのだ。そのような内容であるにも関わらず「近視眼的」という批判はあまりにも増田女史に対する評価として厳しすぎると言わざるを得ない。
まだある。
"自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。"ここだけ主張すれば十分。
その結論に至るまでに現状の報告があるのではないか。このような軽薄で冷笑的な態度は何も建設的なアクションを産まないことを知るべきだ。自分のほうが賢明であることを気取っているようだが、貴様に増田女史と同じレベルの文章が書けるか考えてみるべきだ。
もうひとつ
女性が増えれば女性が働くにはどうすればいいか現場改革も進むのでは。国会議事堂のバリアフリーは車椅子議員が当選して初めて急激に進んだ。当事者が現場にいて困ることから始まる
本文を読んだのだろうか。増田女史は
自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。
まずは副ラインを女だらけにしよう!
と書いている。これは先ず副ラインから女性の数を増やし、やがて主ラインでも女性が働けるような環境に持っていこう!という高らかな宣言ではないか。すでに本文で宣言されていることを再提案するブコメの意味は何なのだ?
そしてブコメでは「女性が増えれば」と書かれているが、増田女史は「女でも老人でも」と書いている。フェミニズムの本来の目標は女性解放だけではなく、全ての人々が公平で平等な世界を作ることのはずだ。本来のフェミニズムの目的を理解しているのはブクマカではなく増田女史の方であることは明らかだ。
まだあるぞ。
一体何と戦ってるんだ。自動車工場がどうだろうと、体力は関係ない高給取りの管理職の女性割合が少ないことには変わりあるまい。
増田女史の文章を読んで何と戦っているのか読み取れないのか?文盲か?彼女が今の職場で戦っていることが理解できないのか?
「高給取りの管理職の女性割合が少ないこと」も改善していかなければならない課題だが、工場で働く女性労働者の問題が提示されその改善を訴えることは無駄なことか?すべての改善が必要な場で改革が行われなければならないのではないか?「自動車工場がどうだろうと」といった特定の労働者を置き去りにしてもいいという考え方には職業差別が自身の中に内包されていることに気付くべきだ。
腐すばかりでは能がないので、良いブコメも取り上げておこう。
高身長の人だけが働く場所ならドアも作業台も高いだろうし、逆なら全部低いだろうし、そんな風に全部が男性基準で出来上がっちゃってるんだから最初から不利なんよ。男並を求めるのがもう間違ってんの。
増田女史の文意を読み取った適正な反応と言わざるを得ない。増田女史の文章は「男性基準で出来上がっちゃってる」ことの報告そのものであるし「男並を求めるのがもう間違ってんの」ということが女性進出への障害になっていることも示している。そのことをきちんと理解して100文字制限の中で端的に現している。このようなブコメが人気コメントに入っていることに救いを感じる。
賛同が必要だとか批判するなと言っているのではない。しかしブクマカたちは批判することが文章を提示した者よりも高位であると勘違いしていて、何が何でも批判しようとしているのではないか?必要であれば批判するべきだが、必要でない批判はするべきではない。ましてや筋違いの批判などもってのほかである。ブクマカたちは文章を提示した者よりも自身が賢明であることを誇示するために批判しようとしていないか?よく考え直せ。