はてなキーワード: かわいそうな子とは
「犯罪撲滅はゼロにするの意味だからそんなの無理だー」ってただのかわいそうな子じゃんw
言葉尻に拘って他人の主張を極論として解釈し、わざとらしく呆れてみせるメソッドに端的な名前はないのかな?
「まじでなんでなくせないの」は
現状、被害者の取りうるオプションは限られており、過重な自助が要求されていることについて「改善の方途はないか?」という問いであることは常識的な読解力があればわかる。
もちろんより厳密な至適な表現はあり得るがそんな辛口添削()にはこうした場でなんの意味もない。
また「まじで〜」の書きなぐりにすぐさま実施すべき水準の具体策が盛られていたらそっちのほうが驚く。
「“インセンティブがない”は、口は悪いけどコストのことを言ってるだけだよ」みたいなこまっしゃくれた講釈もあったが、笑わせる。現状払ってる治安コストの使途内訳に興味持ったことあるのか?
全体に2ちゃん時代の「ナマポ叩き」の精神と言うか行論の型を見る。つくづくはてな部落民は背伸びがしたいだけのインテリワナビだなと思いつつそこの詳論は面倒になった。
被害は中学の時。ネッ友と会ったら頭のおかしい女で、多目的トイレに押し込まれてそのまま…ていうまあよくある話なんじゃないかな。おいしい話に聞こえる人も多いかもだけど、俺は嫌だった。普通にブサイク女だったしね。女とはそれ以来音信不通。生中だったからもしかするとどっかで俺の子供が暮らしてたりしてな。
で、話はその後。俺はすぐ学校の友達中に触れ回った。「おいしい話」のテイで。自分を救うにはそうするしかなかったのね。親にはネットの人と会ってるなんて言えなかったし。自分が「かわいそうな子」になっちゃったって認めたくなかった。でも当然ちゃ当然だけど、誰も信じないよね。そんなエロ漫画みたいなことあるかって。それでもよかった。言いふらすことに意味があった。
困ったことにそれ以来、なんか不安なことや心配事があると言いふらす癖がついちゃって。困るのがこれ、本当に誰かれ構わずだから、舌禍に次ぐ舌禍を引き起こして人間関係をぐっちゃぐちゃにしていく。でも自分では止められない。
もちろん全部が被害のせいだとは思わない。正味2割ぐらいだと思う。もともと躁鬱っぽい気はあったし。だけど間違いなく大きかったと思う。
「男だけど」って書いたけど、別に女の人でもこういうことあるか。男のプライド的なものはもともとなかったって言うかへし折られてた(ブサイクだから)から特になかったな。
なんか一人で戦ってるみたいに神経張り詰めてて、いっつもネガティブで、こっちにはどうしようもないことで愚痴って結局嫌いな母親と同じ性格になってる、あの感じが嫌いだ。
ヒロイン面してる感じっていうのかな。視野が狭いまま育ったんだなってなるかんじ、無自覚な感じとか、現実見えてなくてバカみたい
あいつらはしかるべきところに相談しないでただの同級生に自分はこんなにかわいそうかわいそうって話を延々としてくる
お前はこっちの人生が公園の湖の足漕ぎボートだと思ってるんだろうけど、だれの人生も波乱万丈で嵐の中の船旅だよ
問題はこういう女のことを嫌いというとこちらが悪者になるということ。
私は過去に嫌いな女に、「増田ちゃんは恵まれてていいよね」と言われた
そういうところが嫌いだ。不幸アピールしてるのお前だけだよ
金持ちの傲慢だろと言われると思うけど、私自身はあんな女かわいそうだとも思わない
でも今コミュニティの中であーいう女が腫れ物になってる。被害者面しかしてこなかったから有象無象の中に放り込まれると立場失くすんだよね
私は親と仲が良い、。方から上京して今学生してるんだけどクリスマスとか年末普通に帰る。
このことを話たら、「それならクリスマス遊べないね」て言われた。
自惚れてんじゃねーよクソが。クリスマスはバイトだけど、おたくみたいに貧困な性根の人間と過ごすわけねーだろ社交辞令だわ、自分の基準にあてはめるなよ。
これって私悪くないよね?ふつーにあっちが嫌な女だよね?
悲劇に酔った態度が悪いクソガキの白雪千夜、多分この後どっかのタイミングで、自分は無価値だから放っておいてほしかった〜なんて吐露して浄化されて、みんなのおかげでここにいていいって思えた〜とかで今までごめんなさいして、チョロいオタクPにかわいそうな千夜ちゃんよくがんばったねぇ😭(好感度爆上げ⤴︎)って褒めそやしてもらうとこまでが既定路線なんだろうね、知らんけど。さっさとそれやりなよ、神回😭とか言ってちょろいPが持ち上げてくれるよ。かわいそうなのも丸くなるのもエンタメだから、今まで毛嫌いしてた人たちも手のひら返してくれるんじゃない?選挙で大した結果出してなくてもクソ強限定連発して介護してくれるんだから、本当は選挙の結果なんて関係ないんだよね。そんでいよいよ順位上がってきたら今までの苦労が報われた〜みたいな雰囲気出すだろうから覚えておくといいよw
某何代目だかのシンデレラガールみたいにね!この界隈みんなちょろいからね!
あとFascinateコミュ、びっくりするほど全方向に愛がなくて笑っちゃった。Pに対してはもちろん、煽らせ役をさせるベルベロやちひろや声付きアイドルに対しても、声帯未実装アイドルに対しても、全てを侮辱しててこんなの世に出てくることあるんだ…って感じ。めちゃめちゃに悪い意味で本当にすごい。これに携わったスタッフはまだ会社にいるんだろうか。このゴミカスコミュごとこの世から消えてほしい。これがなかったことになるだけで、ベルベロのイメージは相当回復するよ。
blogは読んどらんが、母親がただのクソDQNだと思うんだよな。なぜ立ち往生する(子どもの安全が確保できない)状態になって開き直ることが出来るのか?
父親もおそらく同じレベルなのだろうし、親として不適格な人をバンバン通報>親権停止に出来るシステムが日本にできればいいんだけどなぁ
ただ現実はどんなに幼稚で親として不適格な人物であっても、事件が起こる前、明確な虐待がない場合は、通報できないので、
周囲が子どもを危険から守るために出来る事としたら、親に地方自治体がやっているベビーシッターサービスを勧めるくらいか
公費で毎月特定の時間まで無料で24/365で預けることが出来るので、
とかするといいと思います
一例↓↓↓
ベビーシッター利用支援事業(一時預かり利用支援) 東京都福祉保健局
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/hoiku/bs/bsitijiazukari.html
かわいそうな子どもを危険な目に遭わせないために、根性論ではなく、こういうサービスで積極的にフォローする必要はあるが、
DQN親を教育しないとマジでダメだぞ。萎縮させたらかわいそう><とか寝言言ってる場合じゃない
毒親に育てられた子どもは、無就業者になったり、最悪は犯罪者になるし、
ついさっきた篠房六郎先生が描いた、「百舌谷さん逆上する」を読んでしまって、その衝撃で吐き気が収まらない。
何もしてない男児が、「知能や他は問題ないのに、特定の相手にだけ加害性を抑えられない」という都合のいい病気にかかってる女児から、一方的に暴言を吐かれ暴行され、なのに周囲の大人は「彼女は病気でかわいそうな子だから」と加害者を隔離せず、被害者の男児を守ろうとせず暴行されるにまかせてる。
今まであった、「実在しない」児童への暴力表現は表現の自由の枠内で見逃しておくべきだ、という論点が全て吹き飛ぶ程のインパクトがそこにはあって、同様の作品が氾濫したら大変な事になる。マジで
あなたがこんな漫画が好きなら、オススメのほかの漫画はこれですよーというamazonの宣伝的な部分に、一例としてその漫画は貼られていたんだけど、そんな軽いノリで表に出していい漫画じゃない。
モラルのレベルがこれくらいだと、ごく近いうちに大事件が発生して社会問題化するのは間違いない
まともなモラルを持つ男児の親ならみな気分を害すであろう作品で、出版・流通を止めて市中のものも回収して男児やその親を保護するに値いする。
https://anond.hatelabo.jp/20221231151128
そう。よくわかってるねこの人。
口だけは綺麗事が大好きなガチクズのはてな連中には叩かれそうだけら匿名でしか言えないけど
支援対象になってた女の子はまじでかわいそうな子なんかではなくてガチの屑みたいなのが多いんだよな。
馬鹿で倫理観がなくてそれでいて目先の損得に流されやすいから、自分でその気になったり人にそそのかされてすぐに人を売り飛ばしたりするぜ。
こういう女の子たちを支援したいならまず第一に考えるべきことは「信じない」ことだ。信じないでコントロールすること。
貧困女性向けのシェアハウスなんて搾取だって言ってる人いるけど、ぶっちゃけお互いがWin-Winなんだよ。女の子は別にそこまで損してない。損してるのは税金を払ってる都民だけだぞ。
あんまりこういうことは言いたくないけどColaboを「今頃になって告発しますとかいってのこのこ出てくる女」は明確に証拠を示さない限りはあまり信用しないほうが良いと思うがな。
暇空茜はそのあたりに引っかからないように気を付けてほしいわ。
https://twitter.com/big_lawfirm/status/1609163885633998848
仁藤さん自身が、支援してる女の子たちが嘘つくのは割とよくあるって認めてるしな
https://anond.hatelabo.jp/20230101013533
これ本当にそうで、はてなにいるようなキレイゴトの世界の人間にはわかんねーかな~。わかんねーだろーな。恵まれた人生送ってるくせに自分たちは弱者で被害者とか思ってそうだもんな
という名の自分語り。
面白かったは面白かったが、今作ヒロインのウタちゃんがどうにも好きになれなかった。
というのも、ウタちゃんの思考言動がどうしてもマルチに嵌った身内や反ワク等に染まった幼馴染を想起させるからだ。
それを狙って作られたキャラなのかどうなのかはしらないが、なんか雰囲気が似ている。と感じた。
こういう人を相手にしなきゃならんくなったときのつらさを思い出して、観てていたたまれなかった。
しかも身内や仲良かった幼馴染がそうなってしまうと、彼ら彼女らのことは嫌いになりたくないのに、嫌いになってしまいそうで、だからあまり関わらないようにしてきた。
劇中、ルフィさんがそっと距離を取りたがったのもすげーわかると思った。でもそれすらさせてくれないんだよなこういう人たちって。なんかグイグイくる。
だからと言って、お前らの信じているものは間違いだ!目を覚ませ!なんて言いたくないしさ。
何を信じてたって構わない、それで心が救われてるなら。ただそれをこちらに無理強いしないで欲しい。自分には自分の信じているものがあるから。
ウタちゃんがああなっちゃったのはそりゃ理由が色々あるのもわかるよ。基本的にはかわいそうな子だと思う。
でも観てたら上述のような個人的な事情でつらくなってしまったし、2回は見ないと思う。
巨乳でも「かわいそうな被害者」の枠内に留まってるうちは、寄りそって優しくかばってくれたりするんだけど、ひとたび人格を持った個人として、自分たちと違う意思表明をしようものなら、手のひら返して徹底的に冷酷に叩き始めるんだよね。
結局のところ、ナワバリを守る野犬の群れに過ぎなくて、「胸の大きなだけのかわいそうな子」が序列を無視して目立ったり、意思表示をすることが気に入らなくて、そうした子は自分たちとは違う群れの子であって、だから叩くんだろうね。
あ、あと勘違いしてほしくないんだけど、だからって女叩きしてるオタクたちが仲間ってことはありえないから。
野犬の群れとナワバリバトルしてる性欲猿と仲良くしたがる女もいないから。
結論としては、犬も猿もどちらも山にお帰りください。
「高校鉄拳伝タフ」という格闘漫画に「いけーっ淫売の息子!!」というフレーズが登場する
この台詞を向けられているキャラクターは過去に母親に関するトラウマを背負っており、
母親を罵倒される怒りで自らの戦闘力をブーストさせるため、試合前に「勝利の呪文」として仲間に自分の母親を罵るよう求めるような人物である
冒頭の台詞は、自分のトラウマ・弱みを強さに変えて戦う男への愛あるエールであるといえる
登場人物のしずかちゃん(小学四年生)は、母親がキャバクラで働いていることを起点に壮絶ないじめを受けており
その辺の事情と、最近の話では初期から一転してしずかちゃんがノリノリになっていることから
Twitter上では冒頭の台詞をもじって「いけーっ淫売の娘!!」というエール(?)を送る人間が続出した
もともと、タフという漫画の台詞は「語録」扱いされており、隙あらば引用して使いたいファンが多いという事情もある
が、その光景がタフを知らないTwitter住民にマジのドン引きされてしまった
「こういうことを言うような奴らがいるから現実でかわいそうな子供が生まれる」など散々な言われようであった
何の前知識もなく見れば小学生のキャラクター相手にめちゃくちゃな罵声を浴びせているのは事実であり、
現実でキャバクラに勤めている人やその家族などに対しても失礼極まりない言動であろう
ただ、漫画の感想に他の漫画の台詞を引用して自分のアカウントで呟いただけの人間が
「現実の子供たちへの加害者」の烙印まで押されるのはどうも行き過ぎであると思う
それもこれもTwitterというツールに垣根が無さすぎることが不幸の原因である
タフ語録で遊ぶような人間と、それを見て眉を顰めるタイプの人間は本来なら同じコミュニティに居るような存在ではなかった
お互いのことを認識せず、余計な不快感も感じず、それぞれの世界で幸せに暮らしていけるはずだった
とあることをきっかけに、母とは事務的な会話しかしなくなった。
お迎えの時間、他のお友達は皆が母親に抱き上げられたり手をつないで楽しそうに帰っていく中で、わたしはいつも黙って母の後をついていくだけだった。
幼稚園であった沢山のことを母に聞いてほしくてずっと母の後頭部を見つめていたが、母が振り返ることはなかった。
何も会話がないままに、母は黙々とわたしの世話を繰り返した。
だから身の回りのことは言われるよりも先にやったし、怒らせないように何でも完璧にやろうとした。
ある日、母が起こしに来る前に自分で目覚めて身支度を始めてみた。
絶対に褒められる自信があったが、母はわたしの存在を確認すると何も言わずに振り返って自分の身支度を始めた。
父はわたしのことをこれでもかとかわいがったが、忙しいせいか家にいることはほとんどなかった。
母のことを相談しようとしたことがなかったわけではないが、わたしが眠っているときに普段の父からは想像ができないような剣幕で母に怒鳴りつけている姿を見てしまったことがあり、それを思い出すと躊躇してしまった。
泣きながら謝る母を前に怒りが収まらない様子で手当たりしだいにものを投げつける父の姿は、鬼にでも乗り移られてしまったかのように恐ろしく、心の深いところに爪痕になって残った。
小学校に上がっても、やはり母に褒められるようにと学校のことは何でも頑張った。
幼稚園では人と比べられることは少なかったが、これならわたしは誰よりも優れていることが証明できる。
いくら母だって認めざるを得ないだろう。今までで一番ワクワクした気持ちで家に帰った。
そして溢れんばかりの笑顔でこれまでにないテンションで両手に持った満点の答案用紙を母の前に広げて見せた。
その瞬間母は、まるで道端に轢かれた小動物を見るような目でわたしを見て、声を上げてえづき出した。
しばらくして呼吸が落ち着いてきた母が、喉のそこから絞り出すような声で一言「あてつけか?」と言った。
何のことかさっぱりわからないわたしは、黙って立っていることしかできなかった。
「あてつけなのか!私が母親としてあんたに接せられないことに対するあてつけなのか!」
「わたしはあんたが嫌いだ。でも、死なれたら困るから世話を続けてきた。頼むから余計なことはしないでくれ。あんたが嬉しそうに近づいてくる度に、わたしは胸が苦しくなって死にそうになる。」
現実にまったくついていけていない自分を、視界のずっと奥から見つめているような不思議な感覚だった。
わたしというかわいそうな子を別のわたしになって頭の中から覗いているような感覚で、わたしというかわいそうな子が表情も変えずに立ちすくんだままただひたすらに涙を流している様子を、別のわたしとして頭の中からずっと眺め続けていた。
母が原因で涙を流したのは、今まで生きてきた中ではこれが最初で最後だった。
この日を堺に、わたしは母が嫌いになった。
わたしを嫌いだという母を、どうしたって好きになることはできなかった。
母が理由で道を踏み外すことも違うと思ったわたしは、思春期に湧き上がる特有の苛立ちも、母に見下されたくないという理由で自力でねじ伏せた。
母を見返したいという気持ちはなかった。
ただ、趣味や習い事に時間を使うことで、母よりも劣っていると思われることだけは嫌だった。
その結果、自分に残されていたのは誰のためでもなく黙々と勉強を続けることだけだった。
母はわたしに無関心な代わりに、わたしが持っていくお願いについては基本的に何でも聞き入れてくれた。
そうはいっても父の金であるが、予備校も受験費用も私立の学費も、渋られたことは一度もなかったおかげで、割と良い大学まで進むことができた。
大学に入ったら家を出る。
忘れることが許すことなのかも知れない。母の顔にモヤがかかるように記憶から薄れていくのと同時に母からの呪縛から解き放たれるような気がした。
年に数回、父からの連絡があるついでに思い出す以外、母のことは考えなくなった。
そんなわたしも、人並みに恋をして結婚してもいいと思える人に出会った。
しかし、そう思えたと同時に、突然心の底の方から恐怖が湧き上がってきた。
「もし娘が生まれたときに、わたしは母と違って娘を愛することができるのだろうか。」
その瞬間わたしは、あのとき頭の奥に押し込んだわたしに、再び覗き込まれているような感覚に陥った。
そんな目で見ないでくれ。
わたしだって嫌われたくて嫌われたわけではないのだから、嫌いたくて嫌うのではないかも知れないなじゃないか。
そのことを彼には相談できないでいた。それが理由で手に入れた幸せを手放さなくてはならなくなることが怖くて仕方なかったからだ。
その日からというもの、わたしはいつも頭の奥からわたしに覗かれているような感覚が消えなくなった。
不安を抱えながらも、話は順調に進んでいった。
実家への挨拶をどうしようかと父に連絡をしてみると、わたしが聞くより先に父が一人で東京に出てくると言い出してくれた。
母は今どうしているのか聞こうとも思ったが、父からも何も母の話がでない中で切り出せないままに会話は終わった。
もともと友達の少ないことを理由に親を呼ばずに数人の友達と二人だけでの挙式をしたいと彼に願い出た。
普段からこだわりのない彼は特に抵抗もなく、わたしにすべてを任せてくれた。
妊娠がわかったのは挙式の少し前だった。
その嬉しさが、今までの人生の苦しみから、ほんの少しだけ開放してくれた気がした。
相変わらず不安は大きく残っている。でも、少しでも嬉しさを実感できたことは自分にとって大きな救いになった。
式も滞り無く終わり、写真を持って彼の両親に報告に行ったときに、あわせて妊娠を報告した。
お義父さんは無神経に「絶対に男で頼む!」などと要らぬプレッシャーをかけて来たが、わたしも内心男の子を生みたいと思っていた。
娘だとわかったときに、妊娠した嬉しさごと消えてしまう恐怖が、まだ心の底の方にあったからだ。
産婦人科医も最近では聞かれるまで性別を答えないらしく、知るための選択権はわたし一人に委ねられていた。
いよいよお腹も大きくなって、もう準備を始めないと間に合わないという段階になって、意を決して聞くことにした。
断定はできないと前置きされた上で、「おそらく女の子ですね」と言われた。
心臓が大きく一度どくんと脈を打った。
喉の乾きを感じたが、うまくつばを飲み込めずに喉の入り口に痛みが走った。
遠のきそうになる意識の中で、必死の思いでお腹に手を当ててみる。
涙が溢れた。
大丈夫。わたしはこの子を愛することができる。心からそう思えた。
突然の涙に驚いたのか、何かを言おうとして喉をつまらせている夫がいた。
やがて涙目になって抱きしめてきた。わたしの気持ちも知らないで声を上げて泣き始めた夫を見て、少し冷静さを取り戻した。
後で聞いたところ、夫は娘が欲しくてたまらなかったらしい。
それが言い出せないままここまできて、わたしが嬉しそうに泣いているのをみて堪えられなくなってしまったそうだ。
彼も彼で抱えているものがあったのだ。そう思うとおかしくなってきて、バツの悪そうな彼を前に大きな声で笑ってしまった。
「そんな大きな声で笑うことがあったんだね」
驚きと喜びが混じったような不思議そうな彼の顔がおかしくて、さらに大きな声で笑いだしてしまった。
その瞬間、まさに雷に打たれたかのように、わたしは自分が母を許せたかのように思えた。
母は、何も自分から好き好んでわたしを嫌っていたのではないのかも知れない。
母がわたしを好きになる努力をしたかどうかはわからないけど、好きになれなかった自分を誰よりも責めていたのは母本人かも知れない。そう思えたのだ。
好きも嫌いも、自分の意思でありながら、自分ではどうすることもできないときがある。
わたしはたまたま自分の娘に愛情を感じることができただけで、それが当たり前かどうかなんて誰にも決めることはできないはずだ。
それならば、わたしはわたしが嫌いだという理由だけで、母を嫌う必要はなかったのではないか。
わたしを嫌いだという母を、そのままの姿で受け入れることだってできたはずではないか。
これは決して同情ではなく、そして、娘を愛することができた自分からの優越感でもない。
あのときの自分がそれに気がつけなかったことを責めるつもりはない。
今、わたしはそれに気づくことができて、許すことができた。ただそれだけの話だ。
わたしは、わたしを嫌いだと言った母を嫌いと思った日から、母を嫌ってしまったわたしを許せていなかったのだ。
娘を嫌う母以上に、母を嫌う娘が許せなかった。嫌われていることを言い訳に、嫌うことを正当化する自分が、誰よりも許せていなかったのだ。
もちろん嫌わないに越したことはない。
でも、何かの手違いや神のいたずらで嫌ってしまう可能性がゼロではない以上、それが許されない世の中ではあまりにも窮屈だ。
それと同時に、母から嫌われてしまった子供が不幸だなんて、誰一人として決めつけることはできないはずだ。
この日を堺に、わたしはわたしを嫌いである母とも、普通に接することができるようになった。
久々に見た母はただただ老けていた。でも、命あるうちに気がつくことができてよかった。
孫娘を抱く母の顔は、わたしが一度も見ることのなかった嬉しそうな顔をしていた。
その顔を見たとき、頭の奥から覗き込んでいるわたしと、今ここに立っているわたしが一緒になれたような気がした。
母を許せたことで母が許されたことを実感できたと同時に、自分自信も許されたような気がしたのだ。
何かを許さないということは、その何かから許されないことと同じなのだろう。