はてなキーワード: かのかとは
ただ会社に行くだけでも、楽に行ける男性と、女性専用車両までわざわざ行って通勤しなきゃいけない女性がいる。
これってそんなにおかしいことなんかな?男だって、セックスどころか貢いでもらえる男性もいれば、風俗で金払わなきゃセックスできない男もいるわけだ。金持ちの子供は親に大学の授業料を出してもらえるけど、貧乏な家の子供は奨学金を借りて、利子分多く払わなきゃいけない。
やっぱさ、同じことするにしても、そのコストは人によって違うのがこの世の中だと思うんだよな。理不尽だけど。今だと、誰でもジュース1本は100円で買えるから、ほかのかかるコストも同じだと思っちゃうけどさ。
会社通勤の話に戻ると、このかかるコストの不平等さはいずれ是正されることが望ましいものだけど、やっぱりそれを「今ほしい」なら、嫌々でも割高なコストを支払うしかないんじゃないかな…とは思う。
難民受け入れたら、もの凄く絶対おもしろいことあるんです。ほんで、なかなかね、苦しい状態がずっと続きますから、難民受け入れたらなかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます。で、パッとやめます。それなりの生活に戻ったら。だから、難民受け入れた時のその3カ月、3カ月は今まで『えっ?こんな子、入ってた?』っていうような人たちが絶対、入ってきますから。はい、だから今、我慢しましょう。今は本当に我慢して。はい、難民受け入れた時に、われわれ風俗野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう。そのために今、我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、そして、いろいろ仕事ない人もアレですけども、切り詰めて切り詰めて、その時の3カ月のために頑張って、今、歯食いしばって踏ん張りましょう。そうしたら、難民受け入れた時に、その3カ月、見てみ?行ってみ?『えっ?こんな子、入ってた?マジっすか』。でも3カ月やで、その子らも。パッてやって、パッとやめるから。それだけはもう、たぶんそうなんじゃないかと。僕は、僕はそれを信じて今、頑張っています
◆はじめに。
まず注意書きから。
この記事には気が狂うような文体や、現行のネットコンプライアンスに相応しくない描写が含まれています。
閲覧して数秒で受け流せる、忘れれると思えるという自信の無い方はここから先の閲覧をお控えください。
なお、この記事のイメージBGMはバハムートラグーンOPテーマ、ヨヨのテーマ、
ライブ・ア・ライブOP曲、SF編移動曲、中世編関連曲となっております。
「男タク向けのラブコメって、どうして男女間に容姿格差なんてあるのだろう。
俺はデブでもボサボサでも構わないと思ってるがそれなのに美人のヒロインと付き合えるとかどうだよ。」
というツイートに対する反応
めっっっっちゃわかる!ヒロインたちは基本的になぜかうっすら主人公を好きな設定(主人公の魅力がマジでわかはん)ついでに主人公は常に受け身なのに物語を引っ張っていくのはその美少女たちに任せっきりな感じ https://t.co/p3cy0fElJl
女オタク向けのそれでも99.9%女は容姿端麗だもんな、、男はイケメンだけどモラも多い、、
私が一昨年秋から男性向け男女間恋愛モノについて似たようなこと思っていました。
ようやく数日前閃いたことは、それが1つのポリティカル・コレクトネスみたいなことが無意識で少年漫画やラノベの特定男女間恋愛案件にて形成されてしまってる事だよ。
男性側がコンプレックスやルサンチマンになるのがいやだからわざと解像度低くして書いてるのか?って思ったよ。
作者の意思なのか?
それだけでなく12年前にアニメ化されたある青年漫画原作ラブコメ(名前非公開)も主人公の男の異様なオーラの無さに違和感を感じた…
昨年秋クールにあるキー局で放送されてた(作品の名前はあえて伏せる、分割2クールの1クール目でもある)も…
それに19年10月にどっかの野党派タカ派ヴェンゴシさんにポスターのこと標的にされた漫画でも…
その様な思ったことが1月後半、1人のネット民の発言により確信を得ることになった…。
の答えについて。
事実上私にとって新規で禁断の蜜となるコンテンツとなる資格の一つです。
「じゃあ男主人公の特技はどうしたらいいんだ?」
そりゃあ、
対戦車用ライフルや暗○拳の扱い(それは危ないッすよ…!スペクタクル路線になりますよぉ)
(欠番)
弱者男性配慮名目としたアリもしない勝手な無意識ポリコレで男主人公を低解像度または目つき悪いとかにしなきゃいけないような新規ラブコメの風潮に敵意を覚えていますよ、マジで。
それを言いたかったんです。
だけど結果は「貴方ののぞみを詰め込んだ禁断の蜜たる作品は出せてもスパン短くても一年に1作ぐらいでしょう」が現実となります。
業界様も数年先まで予約多数あるので。。
◆3章(ここでは2章は欠番) 青虐・奈央虐へのメス
ー青虐編ー
そんなことしたらかっこいいっていうのか?
作品出る事に青髪のキャラ出る度におちょくるとかしなければアニメオタクの称号得られないって言うのか?
青虐についてだが、
10年前に見た某アニメなんて青虐の元凶戦犯アニメだろ、どこが名作だ?
一方で同期に放送されたギルティクラウンやブラックロックシューターは不当な袋叩き受けたのに…
主人公の髪ボサで眼鏡の男が地球の女の子捨ててメガネの異星人の女に付いた、けどメガネの女は故郷の異星に連れ戻され、続編の予感すらなし。
「島崎信長」への強いトラウマを植え付ける原因になりましたよ。
その年の下手なバトル・ホラーアニメより胸くそ悪いものでしたよ
デップー侍世界のサノスさんはデビルーク星じゃなくてあのメガネの女の母星を粉砕して欲しかったのに。。
終始青展開なのにニャル子や氷菓など男女間恋愛強豪台頭と不当な批判のダブルパンチ…
なにがいけなかったんだよ?
コピペブログで青キャラおちょくる記事作られそれを見なくても界隈を淀ませてくれましたよ。
それだけじゃない、ネット上でその年の男女間恋愛アニメにて主人公と結ばれなかったヒロインを
滑り台の画像と合成して「クビを宣告された女たち」だとか悪趣味すぎるじゃねえか!!!
あと「おさ虐」ってのもあったようだな。
ー奈央虐編ー
業界様は今年2年ぶりに奈央虐の準備をしてるんだよな。。
下手なバトルアニメの鬱回・胸糞イベントよりもショックで昼ごはん食べたのは1時半より後になるほどの放心状態だった。
無論強いトラウマに…
ああ・・・
一昨年に「ぼくたちは勉強ができない」原作ラストを複数の編に分けて作りいろいろあったけどぼく勉の作者の取ったことがどれだけ正しかったのかが身に染みるよ。
◆5章(4章はここでは欠番) クリスマス・スクイズへの疑問。
思ったけどさあ、
なぜ毎年クリスマスシーズンのSchoolDays一挙放送に何の疑問も抱かない?
その時期だと男女間恋愛へのルサンチマンやコンプレックスが爆発するので歪んだ結末を迎えるものの方が気が安定するからなのかな?
たまには2日かけてでもいいから腐夢か百合一挙放送すればいいのに、ABEMAさんは。
無論バレンタインやホワイトデー、ジューンブライド、夏休み、狐の嫁入りでも言えることです。
◆6章 茶みらい氏の悲劇。そして批判しづらい世の中になっていく昨今
「出会った女子高生は幼なじみのガキ大将だった」シリーズを展開してたけれど
結婚とクライマックス迎えた最中に、一部のネット愉快犯の荒らしにより
私が今まで知ってきた男女間恋愛コンテンツで最も悲劇の作品ですよ…
状況や環境にもよる。
嬉しい人もいれば、緊張するからストレスになって嬉しくないという人もいる。
話しかける側は、必ずしも歓迎される場合ばかりではないことを念頭に置き、無用に相手を不快にさせないよう配慮する必要がある。
話しかけられる側も、話しかけられることを不快と感じるのなら、その旨を何らかのかたちで意思表示する必要がある、同様に相手を不快にさせないように。
私個人的には好まないが、得意な者はお互いがお互いのそのような雰囲気や意向を“察する”というのでもよいだろうか。
いずれにしても最も許しがたいのは、「せっかく話しかけてやったのにその反応は何だ気に入らない!!」という傲慢で押し付けがましい態度である。
相手に対する配慮がないことはもちろん、そもそも歓迎されるに値するだけのものかどうかを顧みようという精神が見受けられない。
政治家として自分を支持する人の意見を最大限に汲み取ろうとするから支持しない人をブロックするのはわかるの。
ただ国政の重要な、現大臣、さらに総理を目指そうってポジションにいるのに色々な意見を聞こうとしないってのはどうかのかなーって思うの。
せっかくオープンな場なのだから(どの意見を尊重するかは河野さんの意思に任せるとして)色々な意見が国民から直接届く場なのだし貴重なものなはずだから活用の方法としてはもったいないなーと思うの。
あくまで自分を支持する人達の意見を優先的に汲み取るって言うのであれば今のままでいいと思うの。
そうでなければ意見の取捨選択の労力は上がるけど、ブロックしない方が公平感は上がると思うの。
もしくはコメント欄は消すか、全ての人がコメントを打てる様にした方が公平感は上がると思うの。
結局何が言いたいのかって言うと、河野さんは国民に対するスタンスを言えばいいと思うの。
私は自分の政策を支持する人から選ばれた立場なので、賛成意見のみを聞くので反対意見にまで労力を割く事はできませんだからTwitterのブロックは問題ありません。って言えば角は立つけど納得は出来ると思うの。
増田のみんなはどう思う?
アホか。著作権も「公式の商売を邪魔」するものを規制するためにあるから、その上位概念を理解しろって言ってるんだよ。
商売の邪魔になる二次創作を見つけた公式は、著作権侵害で訴えることができそうならそうするし、商標権侵害でいけるならそっちで訴える。不正競争防止法に抵触するならその線で行くし、パブリシティ権や肖像権の侵害を主張できるならそれで訴える。なんなら民事訴訟という手段もある。公式の手札は著作権だけじゃないんだよ。
だから、著作権侵害にあたるかどうかを素人が必死で精査するのもいいけど、著作権さえ侵害していなければオッケーというわけでもないので、なんらかのかたちで公式の商売を邪魔してるかどうかを考える方が合理的ということ。そしてその方が公式の心証や公式がとる行動を予測しやすいということ。
八、鳥を捕とる人
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。
それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛かけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶あいさつしました。その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物をゆっくり網棚あみだなにのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまってその影が大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りました。
赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊ききました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵かぎを腰こしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。ところがその人は別に怒おこったでもなく、頬ほほをぴくぴくしながら返事しました。
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」
「何鳥ですか。」
「鶴や雁がんです。さぎも白鳥もです。」
「鶴はたくさんいますか。」
「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」
「いいえ。」
「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴きいてごらんなさい。」
二人は眼めを挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧わくような音が聞えて来るのでした。
「鶴、どうしてとるんですか。」
「鶴ですか、それとも鷺さぎですか。」
「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝こごって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚あしをこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押おさえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」
「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」
「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫さけびました。まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑つぶった眼にさわりました。頭の上の槍やりのような白い毛もちゃんとついていました。
「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷ふろしきを重ねて、またくるくると包んで紐ひもでくくりました。誰たれがいったいここらで鷺なんぞ喰たべるだろうとジョバンニは思いながら訊きました。
「鷺はおいしいんですか。」
「ええ、毎日注文があります。しかし雁がんの方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がらがいいし、第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃そろえて、少し扁ひらべったくなって、ならんでいました。
「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「ええ、ありがとう。」と云いって遠慮えんりょしましたら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、鍵かぎをもった人に出しました。
「いや、商売ものを貰もらっちゃすみませんな。」その人は、帽子ぼうしをとりました。
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡わたり鳥どりの景気は。」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日おとといの第二限ころなんか、なぜ燈台の灯ひを、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方とほうもなく細い大将へやれって、斯こう云ってやりましたがね、はっは。」
すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射さして来ました。
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊こうと思っていたのです。
「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。
「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そうでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるようになるよ。」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋たずねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。
「どこへ行ったんだろう。」
二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸のびあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云った途端とたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞まいおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片かたっ端ぱしから押えて、布の袋ふくろの中に入れるのでした。すると鷺は、蛍ほたるのように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天あまの川がわの砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見ていると、足が砂へつくや否いなや、まるで雪の融とけるように、縮ちぢまって扁ひらべったくなって、間もなく熔鉱炉ようこうろから出た銅の汁しるのように、砂や砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
鳥捕りは二十疋ぴきばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾てっぽうだまにあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却かえって、
「ああせいせいした。どうもからだに恰度ちょうど合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな。」というききおぼえのある声が、ジョバンニの隣となりにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。
「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。
コロナが蔓延したら、もの凄く絶対おもしろいことあるんです。ほんで、なかなかね、苦しい状態がずっと続いてますから。コロナで風俗嬢のなかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがアダルト動画に出演します。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは。これ、僕3カ月やと思っています。苦しいの、3カ月やと思います。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういう動画にパッと出演して働きます。で、パッとやめます。それなりの生活に戻ったら。だから、コロナで風俗店営業自粛中は今まで『えっ?こんな子、出演してた?』っていうような人たちが絶対、入ってきますから。はい、だから今、FC2の有料会員になりましょう。今は本当に全力で。はい、コロナ自粛期間中に、われわれエロ動画野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月を目安に全力で課金しましょう。そのために今、風俗に行くお金をアダルト動画に、そして、いろいろ仕事ない人もアレですけども、切り詰めて切り詰めて、今からの3カ月のために頑張って、今、歯食いしばって踏ん張りましょう。そうしたら、コロナ明けた時に、その3カ月でダウンロードした動画、見てみ?『えっ?こんな子、出演してた?マジっすか』。でも3カ月やで、その子らも。パッと撮影して、パッとやめるから。それだけはもう、たぶんそうなんじゃないかと。僕は、僕はそれを信じて今、全力でFC2コンテンツマーケットに課金してます。
私の父とは、もう20年は会っていないだろうか
中学生の頃、母とお金のことで喧嘩をしている父の姿が思い出される
いや、正確ではない
だって、私が直接両親が喧嘩している現場を見ていた記憶はないのだから
それでも、その場面が、そのイメージがこびり付いているのは、ひとえに母からの話や周りからの伝聞なのだろう
父と祖母に、母についていくことを伝えに行った際
私は父に対して、母を苦しめたことなどを詰った覚えがある
激高した父にその場で掴み掛られ、床に押し倒されたことを覚えている
祖母は、父の名前("○○ちゃん"という小さい子供に対するような呼び方で)呼びかけるだけで、強くは止めなかった
そのような姿を、当時の私はぼんやりと眺めていた覚えがある
では、でもどうなのだろう
私にとって、では母のことを除いて父にどのような感情を抱いているのだろうか
やはりそれでも、父のことは好きになれない
父はふとしたことですぐに機嫌を損ねたので、幼少期の私は酷く怖かった覚えがある
直接的な暴力(押さえ付けられて睾丸を握られた思い出が強くあるが)や暴言こそないものの、「大人が機嫌を悪くして怒る」ということが非常に怖かった
今思い返せば(というより当時母からも言われていたが)、私自身の言葉遣いや態度にも問題がある部分も大いにあった
それでも父に対して「理不尽」「暴力」という印象が残ってしまう
そんな父も、年齢的にはいつ亡くなっても良い年齢になっている
きっと、当時思っていたより小さくなっているだろう
「父はこんなに小さかったのか」と思うだろう、実際に会えばそのちっぽけさに驚くのだろう
「父には父の苦悩があったのではないか」という事実に考えが及ぶのだろう
あるいは、これまで生きてきた私自身の人生と照らし合わせて、少なからず通底する部分に驚きや共感を覚えるのだろう
小さく、老いて病んだ父にどのような言葉を掛けて良いか分からない
母と別れた後、あなたはどのように生きてきたのですか
私や母のことを思い出したことはあるのですか
自分の選択に後悔したことや、やり直したいと思ったことはないのですか
「結婚するべきではなかった、子供など作るんじゃなかった」と感じたことや思ったことはありませんでしたか
今、私と話したいことはありますか
疑問ばかりが沸いてきて、でもきっとそれらは果たされず、その機会すら与えられずに消えていくと思う
父は間違いなく、死ぬ
何でもないある日、きっと私は電話を受ける、あるいは手紙や電報かも知れない
「父が死ぬかもしれない、今、病院で」といった言葉で私は現実を突きつけられる
「そうか、父も死ぬのか、私が死ぬまで生きているなんてことはないんだ」と
私はきっと悩み、迷うだろう
父に会うべきなのか、何か話すべきかのか、言葉を交わすべきなのか
感情的になってしまうかも知れない、不必要に互いを傷付けあってしまうだけかも知れない
あるいは、父と会う事でこれまでの自分自身が揺らいでしまうことを恐れているのかも知れない
それでも、父はある日突然死ぬ
現実は変えられない
それは、明日かも知れない
人は誰しも心や頭の中で色々なことを思い、感じ、考える。
ただ、常にそれを言葉や態度など何らかのかたちで意思表示をするわけではない。
意思表示しない、できない、したくない、させてもらえない、etc.様々な事情や状況、判断がある。
いずれにしてもそれを選択したのは本人であり、どんなに思い、感じ、考えていても、それが表に出てこなければはじめからなかったのと同じである。
日本には「察する」という都合のいい概念があるが、エスパーや魔法使いでもあるまいし、他人の心や頭の中のことを過不足なく把握することは不可能。
むしろそのような相手任せの主体性に乏しいコミュニケーションは極めて脆弱なものであると私は考える。
もっと積極的に主体的に意思表示してよい私は考えるし、意思表示しない、できない、したくない、させてもらえない、etc.様々な事情や状況、判断があるのであれば、はじめからなかったのと同じ結果になるということについての責任を認識した上でその選択をする必要があると考える。