はてなキーワード: お題目とは
役割はほぼ終えたと言っていいのかもしれない。もちろん一生見守るという誓いは守るわけだが、そうするために俺が為すべき行動は実際にはもうないのだろう。おそらく道筋はしっかりと見えていて、歩みが早まったり立ち停まったり一旦後戻りしたりするにせよ、彼女はきっと自分の居場所を取り戻していく。そしてその先には俺を嫉妬(なんと醜い)させるような華やかで栄光に満ちた人生が彼女を待っていて、俺は「見守る」という言葉をお題目のように唱えながら、声すらかけられず指をくわえてただ眺めているだけだろう。それはもちろん喜ばしいことだ。彼女の笑顔に優越する如何なる望みも俺にはなかった筈だ。俺が同じ場所に同じ顔で佇んでいることが彼女にとって何らかの支えになった時期があったとして(これもかなりの希望的観測だ)、相も変わらず一歩も進まず立ち停まっているだけの俺が動き始めた彼女にとってもはや価値がないのは当然で、付け焼き刃の知識で興味関心をひいたとしても、それはその場しのぎに過ぎず、むしろ俺と彼女にある隙間を強調するだけだ。もともとねじれの位置にあったものが、彼女が一度ぺしゃんこになったことで、同一平面で交われるかもという傲慢な期待をもったのは俺の愚かさでしかない。これからも心配はするだろうが、それを解消するためには、実際的で効果重視の行動だけが求められるべきだろう。つまりそこに俺の醜い欲は必要なく、彼女にそれを気づかせずに、問題を未然に防ぐ動きだけすればいい。これらすべてに納得していて、ここにある寂しさと手前勝手な喪失感も飲み込んで、なおこのような駄文を垂れ流している。区切りをつけなくてはならない。ただし人生は続く。彼女もそこにいる。明けて今夜は中秋の名月だ。句点の置き場所を、見つけられずにいる
国税庁の最終面接のことを思い出している。大学四年生の頃だ。今までの面接は、無機質な長机とパイプ椅子でのものだった。だがその時は、四角いどっかりとした檜机と、ふかふかの椅子だった。それでいて圧迫感のある面接であり、最後に「私達と一緒に働けますか?」と言われたのを憶えている。
「はい。私でよければ宜しくお願いします」といったことを告げると、その場で最終合格が遠回しな言い方で告げられた。内定通知は賃貸アパートに届いた。
こんなところに書くほどだから予想はつくだろうが、結構前に官僚を辞めている。仕事は大変キツかった(きっつー、というやつ)が、やりがいはあった。いつかは挑戦してみたい仕事もあった。
思えば、大学3年生の春からコツコツコツコツと勉強を重ねて、やっと第一志望のひとつだった官庁に合格できて、「やったー!」と無邪気に思っていた。案外こんなものだ。
国家公務員(課税部門)としての経験は20数年しかないが、せっかくのシルバーウィークだ。ちょっと語ってみたい。今は税務コンサルタントとして働いているが、夏前に大きな仕事が片付いた。今は仕事を少なくしてもらっている。
仕事のことを、はてな匿名ダイアリーに書いてる人を稀に見る。今回、私もやってみようと思った次第だ。企業との課税交渉の協議録とか、個人・法人の税額とかを載せない限りは大丈夫だろう。何かあったら責任は取るつもりだ。
高橋洋一や山口真由が自著で話している内容に比べれば、当日記はベジタブルのようなものだ。あの内容を出版して捕まらないなら、ここで書く内容など余裕でセーフだ。
なお、私ははてなユーザーの中では年寄り(フミコフミオさんと同い年)である。古い表現があってもお許し願いたい。
先に言っておくが、「霞が関に来なければ体験できなかったことは人生の財産」とか、「国のために働いている自負があった」とか、「苦しかったけどいい仕事ができて国民のためになった~」といったことはあまり書かない。
そんなに夢や理想のある官僚じゃなかった。僅かばかりはあったが。むしろ組織に負のイメージがあって、若い頃に限った語彙だと「こいつらクソ野郎だな」という感情を抱いていた。それで、40代になって数年後に転職した。再就職規制に引っかかる危険はあったが、グレーな方法で突破した。
当日記は、数パートに分かれている。できるだけ簡潔にまとめたい。以下、思い出を何点か挙げて回想する。
中学生の頃から、「税ってそもそも何ぞや?」という疑問があった。大学に入ってからは、税理士の資格を取るために勉強していたが、どれだけ勉強しても税への理解はイマイチだったし、全科目に合格した後も結局わからなかった。
※東大とか一橋大とか慶應とか早稲田とか、そういういい大学を出てるわけじゃない。偏差値50ちょっとの大学だ。たまたま会計学の講義を取ってみたら面白く、勉強にハマった。
税とは、一般的な説明だと、国や地方自治体が国家の維持や発展をめざして、民間では供給されにくい公共的なサービスを提供するにあたっての資金として「税金」を徴収している――ということになっている。
だが、おかしいと思っていた。だって、国はお金を自由に発行できる。地方自治体が言うのならわかる。あと、大昔だったら年貢を物納で納めてもらわないと国が維持できなかったはずだ。
だが、現代社会の国家がそんなことを言っても説得力はイマイチだ。税金をとらなくても、別にお金を刷ったらそれでいい。金本位制の時代を通り抜けて、今では発行された紙幣そのものに信用がある時代なのだ。お金というのは、それがお金であるがゆえにお金だ、というトートロジーである。
増田民の人も、わかってる人はわかってるだろう。税とは何かが。ここで答えは書かない。気になる人は、Yahoo!知恵袋とか、Quoraで求めれば賢い人が教えてくれる。
私が納得いかなかったのは、一応は国家公務員一種試験(昔だったら上級甲種試験)を通ってきたはずの人達が、入庁一年目だった私の質問に答えられなかったことだ。「そんな当たり前のことを聞くな」という人もいたし、「ここではちょっと…」と口を濁す人もいたし、「知らん。自分で調べろ」という人もいた。
税を納めるのは当たり前のこと、ただ、その原理と言うか……そう、原理が大事だろう。何も考えずに常識を信じていいのは中級者までだ。上をめざすのであれば、身も蓋もない本質を疑う必要がある。
こういうことを私が言っても説得力がないので、ちょっと引用させていただく。
それぞれの原理を、その自然本性のかぎりで探求しようとしなければならないし、きちんと定義されるよう腐心しなければならない。というのも、原理はそのあとに続く事柄にとって、大きな影響をもっているからである。実際、原理は全体の半分以上であり、探求されているものの多くは、原理を経由することで明確になると思われるのである。 ニコマコス倫理学(上) P.62
なぜ国民から税金を取るのか、という新人職員の問いに答えられる職員は10人に1人ほどしかいなかった。思えば、この時から私はいつかここをやめようと思っていたのかもしれない。
実際、徴税は国民みんなから集めたお金を公共サービスに充てるため、というのはお題目だ。わかりやすく国民を納得させるための。本来の目的はほかにある。それに比べると、上の『お題目』はビックリマンチョコのおまけに近い。ウエハースだ。
トラブルになりかけた事例になる。詳細は端折って書く。専門用語は補足するか、日常的な言葉に言い換えている。
キャリア官僚は現場を体験しないイメージがあるかもしれないが、別にそんなことはない。入庁二年目からは普通に現場だったし、30才を過ぎて地方支局で働いてる人もいる。
当時は、北海道某所にある国税局に勤務していた。一応は税理士に必要な科目は残りふたつというところまで取っていたが、それでも実務は難しかった。勉強しないといけないことは山ほどあるし、一年目は税務の学校で学ばせてもらったが、実務に必要な知識の何割も身に付いていない。税務の世界は広いのだ。
最初の頃はひたすら、簡単な事務とか雑用とか、先輩が受けた税務相談の回答案作りとか、上位機関からの調査ものとか、庶務全般(文書収受~会議日程調整~飲み会手配まで含む)に、兎に角いろいろやった。
すべて勉強になるとは思ったが、正直これは臨時職員がやった方がいいのでは……と感じるものもあった。まあ、とにかく新人らしく何でもやった。
赴任して半年だった。とある先輩を経由して、それなりの事業規模の法人の税務申告を最初から最後までやらせてもらえることになった。同じ年代の職員(※省庁キャリア)の中では遅い方だった。資本金が結構ある機械メーカーだったかな。これまで当業務では、先輩方を手伝う立場として動いていたから、割とすんなりいくように思えた。
申告内容は当然精査するのだが、日本の課税制度は一応性善説でいっている。国民(法人含む)が嘘をついたりごまかしたりしない、ということを前提にしている。その企業も、過去に税務に関して更正処分(支払う税額が誤っていると判断した場合に○円払いなさい、という措置)関係のトラブルを起こしたことはない。
一応は提出書類を三周ほどしたところ、申告書類も、帳簿も、領収書や請求書や契約書(請書)も、通帳関係も問題なし……それで、さあ決裁だといった具合に伺いをスタートした。
先輩方の場合は、スルッと起案が通るようだったが、自分の場合はそうはいかなかった。新人に厳重なチェックが入るのは当然だった。
「不動産の項目がおかしい。取得した不動産価格が常軌を逸して安い。税をごまかそうとしているのでは?」
という、先輩及び直属の上司からのツッコミがあった。上司を納得させないと、次に進むことができない。思えば、あの先輩は、このことがわかっていて私に振ったのかもしれない。
当時の私の実力を超えた課題だった。頭を抱えたのを憶えている。あの時の思考過程を追っていこう。
かくして・・・
探求の旅は はじまった
まず何をすればいいかというと、不動産価格がしっかりしたものかを調べればいい。正当な根拠のある価格であればいいし、不適当な価格であれば……面倒なことになる。
不動産売買にかかる課税額は、比較的シンプルだ。普通の法人税と同じで基本は定率である(税額表を見ればいい)。ちょっと賢い中学生でも実務ができるだろう。
印紙税も、登録免許税も、不動産取得税(県税)も、固定資産税(市税)もそんな具合だ。不動産本体の価格については難しい計算が必要だが、焦る必要はない。市区町村にある固定資産税台帳には、固定資産税評価額が載っている。それを見れば、登録免許税の目安となる不動産価格がわかる。※固定資産税の納付書にも書いてある。
それを根拠に……と思ったが、そんなに単純な話ではない。ならば先輩も上司もツッコミを入れたりしない。イレギュラーなケースなのだ。
その物件は、なんと固定資産税台帳に載っていなかった。そういう土地だった。登記簿を見たところ、字名がとんでもないことになっていた。奥地にあって、大昔は栄えていたのかもしれないが、今では地域まるごと誰も手入れをしていない。そんな土地だった。しかし、幅4.0m以上の道路は通っている。江戸時代の人が整備したと思われる。
国税庁においても、外部公表している不動産価格の調べ方みたいなものはある(いわゆる路線価だが、当然奥地には路線価がない)。国でも地方自治体でも、不動産価格を求めるための要綱要領は具えているが、今回は通用しないのではないか。そういう案件だった。
若かりし日の私は思案しつつ、先輩にも相談して上司に2つの案を出したはずだ。懐かしい。
1. 比準価格(みなし計算のようなもの)を使って不動産価格を弾くと、今の数倍以上の価格になる
2. 今回は大した金額ではないため、相手方の税額を受け入れる
メリット…百万にも満たない税額差であり、費用対効果を考えるべき
結局、2.の案が採用された。それで、起案はあっさり通った。協議や相談をしたのは直属の上司までであり、決裁の責任者には上司が一声かけたくらいだ。それで新人職員の一件目である課税処分は通ってしまった。
思えば、先輩や上司からすれば、最初から2.一択だったのだ。今の私の判断もそうだ。課税額の差として百万円にも満たない金額のために、そこまでの手間はかけられない。もっとほかに、日本の税務行政のためにやらないといけないことが山ほどある。
一応弁護しておくと、現場で働く公務員には、「法適用の裁量」と「エネルギー振り分けの裁量」がある。現場的な要素が強い職種だと、上司の指揮監督を受けるのが望ましくない場合がある。極端な例だが、警察官が凶悪犯をパトカーで追っている最中に、スピード違反や信号無視をしている者を放っておくのはやむを得ない、といった観点だ。
余談になるが、国税局職員が県税や市税の脱税を見つけた場合も、人や状況によって対応が変わる。情報提供する場合もあれば、見なかったことにする場合もある。
それこそ昔の話だが、飲み会でとある話を聞いた。ある個人納税者から地方税務署に相談があったという。要約すると「1年前に出した赤字決算の申告書だが、実は黒字で、税金を納めないといけないことがわかった。どうすればいいか」ということだった。追加で納付すべき税額は、約30円のようだ。このままでは脱税者になってしまうと焦っていたらしい。
その相談を受けた税務署員はこう答えたという。「実は、ボールペンとか消しゴムとか、事務用品を買っていたのを申告書に書いてないんじゃないですか? だったら、納付すべき税額はやはり赤字では? 問題ないですよ」と。※以後の話は不明
課税処分はもちろん、どのような行政処分であっても費用対効果という観点が重視される。税収1万円増のために2~3万円をかけるのは議論の余地があるにしても、20~30万円をかけるのは明らかに不合理だろう。
テレビやネットメディアやはてなブログでは、公務員は何も考えずに税金を支出しているイメージがあるかもしれないが、ちゃんと考えている人が多数派である。そこは信じてほしい。
数年後、私は北海道から霞が関に戻ることになった。それから退職するまで、ずっと法人課税部門にいた。
Part2/3
いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。
小さいころから家に仏壇があって、母親と祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。
母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親も母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃんと神社に参拝したような始末。だから、一般的な人間と自分の宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。
高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。
割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的な認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教の団体に所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。
高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分の所属してるとこ以外も含めた宗教全般のアンチだった。
今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会いに感謝してる。
ここまでが前置き。すまんね長くて。
まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。
それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーもへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。
かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい。
そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想を高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。
やれって圧を掛けられて、今渋々試験の勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法でしかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。
そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助にしろよな!」的なものだから、自力でメンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだから、しんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。
その上で、何もかもを宗教に依存して、生きてくための目的そのものを宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。
確かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってときに病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。
でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか?自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかったこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。
そもそも、他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。
と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。
ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分は政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの????正気か???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治と宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制の投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方からも生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離の法則死んでないか?
これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。
今から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りからの偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。
今しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかいい方法あったら教えてくれ。
マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう。自販機でジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。
追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから、仏教を学ばされるんだよ…だからです。
まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮とかいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったものを信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強の動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?
自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間だから、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ちが落とし穴だとは思うのでね!科学的思考大事。すごく苦手だけど。
バービーはもともと見る気はなかったジャンルではあり、ケチつけてもしょうがないのだが、
ああ子供向けコンテンツで幅広い層の興味を引きつつ型どおりのポリティカルお作法を繰り返すタイプのアレね、ディズニーアニメとマーベルのいつものやつの真似ね、
だいたい内容わかったなという判断が入ったので、なおさら見る必要なくなったなとは思った
気になったら見とくかぐらいの頻度で見る人間の判断基準としては、ポリコレが鼻につくというより、ワンパターンで飽きたのでいいや、という感覚のほうです
少数派の尊重というお題目なら、そもそも近代以降のフィクションって「世間一般の常識や日常と違う体験や視点」を見せるものだし、
それを型にはめてパターン化、量産化されたら、そりゃ飽きるよね以外の話ではない
あともうひとつ、スーサイドスクワッド(2作目)と「華麗なる覚醒」でのハーレイ・クイン役がめちゃくちゃ良かったマーゴット・ロビーだし見とくかぐらいはあったかもしれないが、
今しがたマーゴット・ロビーをググったらgoogleがピンクの花火みたいな過剰演出をブラウザ全面でおっぱじめやがったので「ぜったい見ない」にランクチェンジした
一方、オッペンハイマーのほうは、騒動でだいぶ見る気なくなったのでネガティブ効果はかなりあった
ノーランはいちおうそこそこ見てる(メメント、インソムニア、プレステージ、バットマン3部作、インセプション、インターステラー、テネット、ダンケルク)
何も話題にならなかったら事前情報を仕入れず流れで見てたはずで、なんとなく内容知っちゃったので「じゃあ、いいか」ってなった感じ
ノーラン、作風としてメメントやインセプションみたいな精神内部の話を組み立てる人であり、現実を観察する人ではないと評価してるので、
ダンケルクみたいに「イギリスは大変だけど頑張れ」みたいな頑張れソングを作るならまだしも、現実の複雑さそのものな原爆開発をテーマにするとか無理だろと思ってる
オッペンハイマー個人の伝記の形にするのも、現実じゃなくてオッペンハイマー個人の内面に寄り添う形でしか作れないんだろうな、と予想
プレステージみたいに原作から逸脱してファンタジーでダークな結末になってたら想定外なので見るかもしれないが、
そういう物議をかもす内容じゃないのは、アメリカでの興収がいいって時点でわかったので、
つまりダンケルクみたいな「がんばれ科学者、がんばれ核兵器」ってことだろ? と、見ないで感想を書いて終わりにしていいんじゃないかな