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はてなキーワード: お笑い番組とは

2021-10-03

最近お笑い番組いね

お笑いって色んな属性の人を小バカにするやん?つまり、増えれば増えればほど、どんどん小バカにされていく人が多くなる。

2021-10-02

そんな何時間もやってるお笑い番組

テレビにかじりついて見てる人を

かぶりつきで見てみたいなあ

2021-09-28

さまぁ~ず真骨頂

さまぁ~ずは「モヤさま」「Qさま」なんかが有名かもしれないが、

どうにもやらされてる番組が多い。

真骨頂大竹企画に参加する、良い意味クレイジーお笑い番組だと思うのだが、

ダウンタウンで言うところの「ガキの使い」みたいな、自由企画できる番組は、ここ最近無いのが残念だった。


と残念がってたところ、最近たまたま見たYouTubeチャンネルが、まさに見たかったモノで感動した。

さまぁ~ずチャンネル

https://www.youtube.com/channel/UC9GWh7Q2EbFMq3kqSSjNFRw



お笑い自分のやりたい事をやる場が、地上波からYouTubeアマプラに変わってしまったのかな。

2021-08-26

「笑い」と、苦痛暴力について

全体的なストーリーがある映画ドラマの中の一コマとして、登場人物フィクションとして痛い目にあうのは許容されるべきであると私は思う。

例えば、映画メリーに首ったけ』の冒頭で、主人公ズボンのファスナーに性器を挟んで大惨事になるという場面があるが、これはベン・スティラー本人が本当に性器を挟んで負傷しているわけではない。しかし、この場面は笑える。いや、下ネタが苦手な人は笑えないかもしれない。私が挙げた例が不適当だと思う人は、他の適当作品や場面に置き換えてもらいたい。

何を言いたいのかというと「本物の暴力苦痛演者に与えなくても、観客を笑わせることは可能である」ということである。これは、殺人事件を描いた物語を作ることで観客に感動を与えるために、本当の殺人を行なう必要は無いし、難病恋愛ドラマで観客に泣いてもらうために、俳優を本物の病気罹患させる必要は無い。それと同じことである映画マラソンマン』で、ハアハア言うために走ったダスティン・ホフマンは、ベテラン俳優から「何故、君は演技をしないのか?」と批判されたが、お笑い現場でも同じことが起きつつあるだけのことだ。

笑ってはいけない等の、本物の暴力苦痛演者に与えなければ笑いを取れないような、製作者の能力が低いお笑い番組は消えるだろうが、それは望ましいことである

anond:20210826163041

左翼暴力表現から影響を受けやすい。

お笑い番組漫画に影響されて同志をボコったり冬山に投げ込んだりしてきた。

よく分かってんの。

パチスロ依存症のやつらと違って自制心があるよね。

2021-08-24

久しぶりに録画で残っていた笑う犬の冒険を見た

不祥事でいなくなった芸人さんの事はともかく、毎週こんな上質なコントを楽しめた時代があったのかと。

しっとりしたシナリオからくっそくだらないバカコントまでギッシリ。

今のお笑い番組なんて茶化し笑いばっかり。

芸人といえばひな壇で用意された台本をさも自分知識のようにしゃべり、知性派みたいなキャラ付けをしてもらってる始末。

ホンモノの笑いを追求して行けよ。

あと、ネプチューンビビる大木全然変わらんな。びっくりしたわ。

2021-08-10

20代だが、エンタの神様が驚異的につまらなくなっていてガッカリした

夜に「エンタの神様」の特番がやっていて久しぶりに見たのだが、驚異的につまらなくてガッカリした。

レギュラー放送していた当時は小中学生で笑いの沸点が低かった+思い出補正が入ってると思うが、今の他のお笑い番組と比べても格段につまらなくないか

観ながら理由を探していたんだが、不自然カットが原因かと思った。

尺に収まるようにカットすること自体は他のお笑い番組でもやるだろうが、エンタの神様場合ネタをめちゃくちゃ細切れにした上でウケた所だけ抽出している。

エンタの神様で人気になったのはほとんどが一発芸系だったと思うが、一発芸はネタごとの区切りがハッキリしてるし、当然ウケないネタもあるだろうから、この細切れ方式は良いのだと思う。

だが、同じノリで漫才とかコントカットすれば、「観覧客は笑っているがお茶の間は置いてけぼり」みたいな状態を作り出してしまう。

というのも、漫才とかコント面白さは一個一個のボケツッコミの強さというより、繰り返し・対比・リズムといった流れ・構成による相乗効果みたいなのが大きいと思うんだが、細切れにすることでそれを見事にぶっ壊している。

ミルクボーイだって、一番ウケた1セットだけ取り出してみても何も面白くないが、何度も繰り返して見せられることで不思議とその1セットが面白く感じてしまう。

「ええかげんにせえよ!」の言葉一つでも、2回ボケられた後と10ボケられた後では、自然トーンも全く変わってくる。

ウケない時間も含めて面白さになっている。

芸人はそういうのを一生懸命考えてネタを練ってると思うんだが、それを承知の上だろうか、「観覧客の笑い声の音量が正義」と言わんばかりの編集をしている。

芸人の中では「憧れのエンタの神様に出られるなんて!」みたいな存在なのかもしれないが、むしろ今出たら「コイツつまんね」と思われるリスクの方が高いんじゃないかと思ってしまった。

......実は昔からこんな感じの番組だったのかな?

2021-08-01

また夏休みだよ。何もできない夏休みだよ。実家はみんなワクチン接種したけど、我が家はまだなので今年も帰省は断念。

自分在宅ワークなので、イライラが日々募る。

何もやる気を出さない我が子に、つい苛立ってしまう。今まで色んな習い事(自分からやりたがった/親が勧めた)はすべてやめた。強要はしたくない。

何か夢中になれることが見つかればいいなという気持ち

テレビでは立派な子供たちや若者活躍している映像。親も立派だ。

涙出てくる。自分の弱さのせいだけど、活力にはできない。

テレビつけたくないのに、家族がいると、つける。

つらいニュースも多く、しんどい

TVerで好きなお笑い番組だけ見ていたい。

2021-07-26

尊敬していたヲタク低学歴オッサン趣味になっていて辛かったって話

俺は学生時代からキョロ充だったし、今もそうだ。

1人で飯が食えないタイプだ。誰かと同じことをしていないと不安になってしま人間だ。

当時、全く面白くもない『ダウンタウン』のお笑い番組だとか『エンタの神様』だとか、興味もない『ミュージックステーション』を見て、クラスメイトと話を合わせていた世代だ。

トレンドで言うなら、何が楽しいのかわからないけどオリンピック金メダルすごいね!と語るタイプのつまらない人間が俺だ。

現代風に言うと、陰キャ。でも、人と話を合わせることで、なんとか立ち位置を獲得していた。

そんな俺も、アニメゲームは根元から、少し好きだった。

当時はハルヒコードギアス流行っていた。あとはスクールデイズだとか、ひぐらしだとか。とにかくそういうものが好きだった。今より少し、深夜アニメを見ていると公言するには恥ずかしかった時代だ。

そんな俺には、学生時代憧れていたヲタクがいた。

名前を仮にNとしよう。

Nは学活というものを極端に嫌うやつだった。合唱祭の練習だとか、文化祭の手伝いだとか。

「みんな積極的に出ようね」という空気はとにかく読まず、自由参加と銘打たれた活動に一切姿を現したことがなかった。

でも、頭はよかった。5教科の総合成績で、いつも1番か2番になっていた。特定を避けるために詳細は書かないが、とある学問分野で全国的表彰されたりもしていた。

からものすごく嫌われていたと思う。そして、多分Nも俺達のことが嫌いだった。給食時間だとかに、Nが口を開いているのを見たことがなかった。

Nはバラエティ番組の話を一切しなかった。オリンピックの話を一切しなかった。

大衆娯楽というやつを、Nはとにかく見下していたのだと思う。やつは二次元狂いだった。昼休みは常に図書室に籠って漫画ラノベを読んでいた。

なんでそんなことを知っているのかというと、一時期、俺も昼休み中二病にかかって、図書室でラノベを読みに通っていた時期があるからだ。

その行きと帰りの道で、必然一緒になって、Nと話す機会が何度かあった。教室に戻ると、Nはとにかくこちからしかけてもほとんど空返事しかしない男だったので、その道中で話すしかなかった。

Nは話してみると面白人間で、オールラウンダーなヲタクだった。

少しハルヒの話を振ると、Nは「ハルヒは嫌いだ」と前置きをした上で、元ネタSF小説の話を初心者にもわかりやすく、ジョークを交えて教えてくれたし、歴史系の話をすれば、聞いたこともない武将や各時代エピソードを色々と語ってくれた。

アニメ特撮についても勿論詳しくて、押井守批判だとか出﨑統のすばらしさを語って(今思うと彼も中二病だったのかも)、まんだらけに行って原画資料を眺めるのが楽しいと嬉しそうに話していた。

映画も大量にTSUTAYAで借りて見て、聞いたこともないような芸術雑誌文芸雑誌科学雑誌を何冊も買っているようなやつだった。(Nは俺がそれらのジャンルを知らないとわかると、一切その話をしなくなった)

ただ、Nにバラエティオリンピックの話をすると、途端にやつは不機嫌になった。俺は慌てて話題を変えたものだ。

その時に、Nは言っていた。「パチンコだとか競馬だとAKBだとか、ああい趣味にハマっている大人ダメだ。嫌いだ」と。

理由は「他人と同じでつまらいから」だと語っていた。

俺はなんとなく、鼻が高くなったのを覚えている。多分、俺はNの存在に救われていたのだと思う。

きっと、キョロ充である俺が到達するのは、そのような「つまらない大人」に違いないと諦めていたからだ。そして多分、俺もまた人とのコミュニケーションうんざりしていたからだ。

人と同調して中身のない会話をして、なにやら冗談を言って笑わせて。自分のためではなく他人のためのコミュニケーションが、俺は嫌いだった。

俺は無能だったし、人から孤立するのが怖かったから、キョロ充をしていた。でも嫌だった。N以外のクラス人間と話したり遊んだりするのが苦痛しかなかった。

でも、Nは違った。自分能力他人を黙らせて、好きな物だけ摂取して、自由に、生きたいように生きているように見えた。

他人に流されない、気高い孤高の男で、俺はいつかNみたいになりたいと思った。

ヲタクとして、Nはきっとクリエイター評論家になって、多くの人を唸らせるような、美しいもの表現するに違いないとすら当時の俺は確信していた。学生時代コイツ時間を共有したことをいつか誇ろうと算段していたのを覚えている。

前置きが長くなった。

卒業と同時に離れ離れになったNと、先日、俺達は東京で再会したのだ。偶然のことで、たまたま映画館で『閃光のハサウェイ』を観た時、横で限定版のBlu-rayと『夏への扉』のパンフレットを買っていたのが、Nだった。

Nに話しかけ、俺のことを覚えていると知った時、嬉しくなって、うっかり「飯でも食わないか?」と誘った。

しまった」と思った。

Nは、これからハサウェイのBlu-rayパンフレットを自宅に帰って観るのを何より大切にするような人物だと覚えていたからだ。

だが、Nは、「いいよ」とアッサリ快諾してくれた。

それから、近くの店で話して。俺は泣きたい気持ちになった。

Nが、ウマ娘の話を楽しそうにし始めたからだ。

俺もまた、ウマ娘をやっていたので、「推しタキオンなんだよ~」とか、中身のない会話を続けた。

Nは、俺とアイドルライブの話をした。BTSの話をした。オリンピックの話もした。

俺は勝手失望していた。Nは、きっとあの幼き日に、彼が嫌っていた大人のものになっているように見えた。

酒の話、サウナの話、競馬野球の話をする。全てNは自分体験談も交えて応じてくれた。

試しにパチンコの話をすると、ミリオンゴッドとかいうよくわからない機体の話をペラペラと話していた。

Nは、大衆に呑まれていた。低学歴オッサンが好むような、侮蔑するべき酒だのサウナだのパチンコだのアイドルだのの話をしていた。

一番やつが嫌いそうな、バラエティ番組にも、随分と詳しくなっているようだった。

どうしたのだと聞きたくなった。

お前は、俺とは違うんじゃなかったのか。

他人なんて気にせずに、自分の道に邁進して、人の顔色を伺うようなつまらないコミュニケーションは決してしない、そういう男ではなかったのか。

学生時代にお前が探求していたに違いない、美しいものは何処に行ってしまったんだ。キョロ充の俺とは違うんじゃなかったのかと。

孤高のヲタクは、どこにいってしまったのだ。俺は辛かった。そして、その辛ささえもあまり感じなくなっていた俺自身が、何よりも辛かった。

若い日の憧れも、時間社会経験によって、すっかりと洗い流されてしまっていたのだ。だから、きっとNもそうに違いないと思った。

社会は独りで生きていけるようにはできていない。今は特にそうだ。

1億総オタク社会だとか、1億総陰キャ時代だとか揶揄するやつがいるが、それは違う。

今は、『1億総キョロ充時代なのだSNSは、下らないキョロ充を量産するための装置に違いなかった。常にみんなが、人の顔色を伺ってコミュニケーションを取っている。

キョロ充だけれど、きっと充実しているのだろう。だからいいじゃないか、としたり顔大人達の声が聞こえてくるような時代だ。

から仕方のないことだと思った。Nも、「上手く他人と生きる」つまらない人間、否、正しい人間進化したのだと、自分を納得させた。

他人が見たい仮面必死に作るのが、正しい生き方でありコミュニケーション本質である。そして低学歴趣味とは、その本質にとって最高に都合のいい道具なのだから

でも、それでも俺はNに、お前、どうしたんだよと聞きたくなった。

聞きたくなったので、聞いた。正直に、「パチンコとか競馬とかバラエティとか、あと流行りのウマ娘とか、そういうの嫌いだと思ってた」と。

Nは、俺の顔を見て、笑って言った。

「当たり前じゃん。今言ったやつ、全部大嫌いだよ!」

Nの目はドス黒くて、世の中全てを見下していて、それでいて、とても楽しそうだった。

それは、あの日俺が憧れた、孤高の少年の姿そのままだった。

俺は、最高に嬉しかった。その後のことは、あまり覚えていない。とにかく、Nの職業が何なのかは、あえて聞かないで別れた。

何故なら、確信たからだ。やつはきっと、多くの人を唸らせるような、何かを創り上げているに違いないと。

勿論その日、NとLINEの交換はしなかった。

2021-07-16

コメントが求められてる。

ニコ生のような動画鑑賞スタイル

あり

のはずなのだ

日経新聞のようなものでも

記事に対する識者のコメントブコメ)みたいなの

つけてる時代

コンテンツは生のコンテンツとしてただけでは

成立せず、どのように評価するかイジるかも

合わせて提供することを求められている。

お笑い番組でも、芸を見ながらコメントをつける時代

常にコメントは求められる。

マンガなんかも作品ごと一話ごとではなく

ページごとの読者のコメントが読めて

あっ、このコマ好きだわ、とか

ここはおかしいよね、と書き込めても面白い

2021-06-15

TVあんまり本気で見なくなってきた頃

地震のころ、実家がある東北から離れていたこともあり

TVニュース一生懸命見ていたんだけど。

朝見ていたべっぴんさんがいっぱい出る朝の占いニュース番組が、

発生後1ヶ月もたっていないうちから

地震であったイイハナシ的なものをやり出して

何なんだこれ?もう終わった話なの?

とそのチャンネルを見るのをやめた。

ここ1年ぐらいは、コロナにかかりたくないので

それでもちょこちょこ見るようにするんだけど

とっても世情に知見のありそうな、一般生活をしていないのに世間代弁者ができる多才な

お笑い芸人アイドルおかまの人が

感情的な事を、それなりにもっともらしく深刻っぽい顔で言っているだけなので

やっぱり見るのを控えるようになった。

ニュース番組とお笑い番組ちゃんとわけて明記した方が良いなと思った。

しかコロナ以前のニュース番組って、いったい何を報道してたんだろう。

2021-06-13

テレビが廃れた理由最近テレビについて

私は過去5年位テレビを見ていないので最近テレビがどのようなものになっているのか知らないが、テレビが廃れた原因を考察してみた。

結論としては、テレビ以外の娯楽が増えたことが根本的な原因で、そのせいで番組が更につまらなくなり、一部の人が更に離れたことが原因。

まず、テレビ以外の娯楽についてだが、Netflixアマゾンプライムを始めとした映像コンテンツのサブスクサービスが台頭した。

これにより、人々は好きなときに好きなコンテンツを消費できるようになった。

よって、己の好きなコンテンツを消費するために、その番組放送されるのを待つテレビというモデル存在価値のものがなくなってしまった。

更にYouTubeを始めとした素人情報発信が増えた結果、コンテンツ多様化し、より個人の好みににマッチしたコンテンツ享受することが可能になった。

その結果、それらのコンテンツを消費する時間が増えてしまったため、テレビを見るために時間を割くこともできなくなった。

では現在テレビは誰に見られているのか…

それは、2つあると考えた。

1. 家族など複数の人が集まる場所

2. サブカルなど特定カテゴリに興味がまだない幼稚園から小学生

これが現在テレビ消費者であると考えている。

まず1つ目複数人の人が集まる場所

複数人間が集まる場所ではNetflixなどの個人趣味に合わせた映像作品ではなく、テレビのようなランダム性のあるコンテンツ必要とされる。

なぜなら、複数人の中の1人がコンテンツ選択してしまうと不公平存在してしまう。不公平人間の間に溝を生じさせるので良くない。

そしてこれらの消費者向けの番組日本マンセー番組である

私がテレビを見なくなった頃、なぜあなた日本にいるのか外国人インタビューする番組や、日本の文化を紹介してすごいと出演者が口々に話す番組が増えたように思える。

なぜこのような番組が増えたかというと、人間は褒められることで快感を得ることができる生き物だからである。褒められて嫌がる人間はかなり少ないと考えられる。

我々日本人はほとんどが日本人という属性を持っている。

これらの番組日本人という属性を褒めることで、ほぼすべての視聴者に当てはまる日本人という属性を持った我々を気持ちよくしているのである

特に複数の人が同時に視聴する場ではできるだけ共通するものを褒める必要がある。それが日本人という属性なのである

しかしこれらの番組複数の人がいる場合に見られる程度で本当に日本好きな人右翼と呼ばれる人以外にはいないのである

特に日本人の20代までの若者政治に興味を持っていない割合が大きい。

よってこれらの番組を見たいとは思えなくなり、若者テレビ離れが更に進行したのである

次にメインの視聴者サブカルなど特定カテゴリに興味がまだない幼稚園から小学生になった。

テレビはこれらの子供をおとなしくするために安易有効手段である

この結果バラエティ番組にある変化をもたらしたと考えられる。

以前はエンタの神様レッドカーペットなど、ある程度の年齢からでなければ理解できないようなお笑い番組が多くあったが、

最近リアクションで笑いを取る番組が多くなったように思える。

例えば、アメトーーークのゴールデンでやっていた運動神経悪い芸人である

これは運動神経が悪い芸人運動させておかし動作で笑いを誘う番組である

小学生運動ができる人間カーストトップになり、運動ができない人間嘲笑対象になるのである

これは当たり前だが幼稚園児、小学生に受ける。

しかし、大人にとってはどうだろうか。

正直運動神経が悪い事で笑いを取るには限界があり、芸人が以下にしておかし動作をするかを試行錯誤しているようにしか見えない。

このような稚拙お笑い大人(一部を覗いて)は笑うことができない。必死面白い動作を考えて実行している姿はある意味滑稽だが、お笑いとは違うように感じる。

結果、大人視聴者が減少してしまったのである

現在これらの状態からどのように変わっているのかは知らないがテレビに将来性はないと考えている。

唯一需要があるのはニュース番組ではないだろうか。

事実を伝えるニュースについては正確性という点でネット情報凌駕していると考えられる。

ただ速度でいうとネットのほうがだいぶ早い。

それに最近民法ニュースYouTube生放送をしているのでわざわざテレビから見る若者は少ないだろう。

残念ながら、テレビ未来はない…

2021-06-04

現代芸人用語いかつい」「本域」「人(にん)」

元々在宅の仕事の上にコロナ禍の影響でますます自宅にいる時間が増えてしまった結果、なにかながら聴きのできる音楽以外のものがほしくなり

ここ一~二年で以前にも増して多数のお笑い芸人さんのラジオテレビ番組等をよく聴いたり見たりするようになりました

コロナ禍の暗い情勢の影響でみんな笑いたいのか、この数年でずいぶんお笑い番組が増えたような気がします(シソンヌがでかい画面で見られて嬉しい)

様々な芸人ラジオを聴いていると芸人同士の横や縦のつながりがどんどんわかるようになり面白い

逆につながっていないこともわかったりしてこれも面白い

radikoという便利なものがあるので作業料理中食事中お風呂中寝る前等々耳さえ空いていればいつでも縦横無尽に色々な芸人さんのラジオを聴いています

今聞いているのは「ナイツラジオショー(箕輪はるかさんの喋りがとても良い)(安藤なつさんは地下芸人に詳しい)」

中川家ラジオショー(ラジオで一番好き ツヨメロちゃんかわいい 東島衣里さんの本当に「そういうキャラクター」に対して

 接しているような喋り口調がとてもよくてめっちゃええレシピ加藤美弥子先生も最高にいい)」

ハライチのターン!(ものすごくおもしろい)」「爆笑問題カーボーイ」「問わず語りの神田伯山」

「#むかいの喋り方(エピソードトーク構成うまいラジオの申し子だなこの人 沼袋くんの声は落ち着いている)」

オードリーオールナイトニッポン安心して聴ける)」「又吉・向井児玉のあとはもう寝るだけの時間」「シソンヌのばばあの罠(おもしろいし長谷川の声がいい)」

ぺこぱ/マヂカルラブリーオールナイトニッポン0」「蛙亭オールナイトニッポンi」「霜降り明星オールナイトニッポン(コーナーがおもしろい)」

空気階段の踊り場(めちゃくちゃにおもしろい)」「ミルクボーイ煩悩の塊(30分があっという間に感じる、とてもおもしろい)」あたりで

たまに単発のオールナイトニッポン0(トムブラウン錦鯉、またぜひ聴きたい)とかバナナマンダイアンラジオとかも聴いてます あと芸人じゃないけど日曜天国

様々な番組を聴き続けてしばらくしてから芸人世界での共通言語のようなものがどうやらあるらしいことに気がつきました

中でもよく聞く言葉が「いかつい」「本域」「人(にん)」の三つです

「本域」は所属事務所、年齢に関わらずかなり多くの芸人さんが使っているので

「板(舞台の事)」や「がなり(ネタ前に芸人舞台で紹介する際の文言、それを叫ぶこと)」「出囃子(登場時の音楽)」のように古い用語なのかもしれない

これは結構どの世代どの事務所芸人さんの番組でも耳にすることがある

いかつい」は本来用法からかなり広げられた意味合いで使われており

流行言葉のようなものかなと思う、若手や吉本芸人ラジオ動画等でよく聞くので

劇場テレビ現場仕事を共にする芸人たちの界隈で広まって通じるようになった言葉なのだろう

特にパンサー向井「#むかいの喋り方」「蛙亭オールナイトニッポンi」を聴いているとよく耳にすることができる(岩倉さんの「いかちい~!」がとても好きだ)

逆に40~50代以上の芸人、他事務所東京芸人番組ではあまり耳にすることがない

ハライチのターン!」も若いノリのある番組だし岩井さんは向井さんと交流があるがあまり聞かない気がする

このへんは芸風やその人の言葉の使い方のスタイルにも関わりがあるのかもしれない

「人(にん)」を初めて聞いたのは「#むかいの喋り方」か「オードリーオールナイトニッポン」だったような気がするが

最初なんのことを言っているかからなくて(「仁」だと思っていた 使われる際の用法としてこのニュアンスを含んでいる場合もあるような気がする)

困惑した覚えがあるが、要するにその人の人柄や人としての有りようのことを指しているらしい

向井さんが若林さんに多大な影響を受けていることはラジオを聴いていても明らかなので若林向井という順番なのかもしれないが

最近よく見る言い換え文化人財とかああいう)に通じるニュアンスがあり個人的な印象としてはちょっと気持ちが悪い

お昼の「ナイツラジオショー」は毎日様々な芸人さんをゲストに呼んで話をするのだが

その中で呼ばれた(どなただったか失念)中堅芸人さんが「人(ニン)」という用法で別の芸人を指して当たり前のように話し始めたところ

塙(オードリーとほぼ同期でつながりもある)には「人(ニン)」が通じず流れが滞ったことがあった

当の中堅芸人解説しようとするがうまく言い換えることがなかなかできないようだったので

特別一般的用法ではないがある界隈では十分通じている、独特のニュアンスを含んだちょっと特殊単語だという感じがする ただ使われ方は結構カジュアルである

これは「いかつい」よりも多分使う側の人間好き嫌いが影響する用法のような気がする


だいたいこうなのかな、と理解している気になっている各単語意味はこんな感じ


いかつい」

ストロングスタイルお笑いをやってるなこいつ!尖ってるな、攻めてるな!とんでもねえ角度からきたな!単純にただただ面白さが強い!等々

スタイルやそのネタに対するポジティブ賞賛意味で使われているっぽい

あととんでもねえな!とか信じられん!みたいな驚きのニュアンスときもある

かなりニュアンス(「ニュアンス」もよく使われている単語ひとつだ)が個々人によってある気がするし

まれているもの結構多様な気がするが(それゆえに便利なのだろう)

使う芸人さんたちの間では一定コンテクストがあって通じ合えている感じがある

吉本芸人、他事務所でも若手がよく使っているようだ

吉本でも年配の芸人では使ってない人もいるようだし

事務所ベテランではほとんど聞いたことがない


「本域」

本気の、本番と同じ声量や動き、心構えでネタをやること またその本番自体を指す 本気とほぼ同義

これはかなり昔からある言葉なのかもしれない

ナイツ中川家の口からも聞いたことがある

音声だけでこの単語を聴いていた頃「本意気」という字を当てているのだと思っていたが

「あちこちオードリー」での字幕で「本域」と当てられていたのでこれが正確なのだろう


「人(にん)」

人と書いて「にん・ニン」と読ませる 話題によっては「仁」とかけている雰囲気もあるように感じる

その人の人格雰囲気、芸風や有りようなど要するに人柄・人となりのことを指しているようだが

なぜ「にん」と呼んでいるのかはよくわからない 一応web辞書で引いてみるとそのように読んで使うこともそう不自然ではないようだが

なぜ芸人の界隈でそれが流行っているのかはよくわからない

少しスピリチュアルな考え方や浪花節任侠自己啓発的な概念エピソード世界と相性がいいというか、そういうニュアンスが含まれエピソードで使われることが多いように思う

オードリー若林がこのような用法で使っていてなんだか意外な気がしたが著書をあれこれ読んだ後だとそう不思議でもなくなった

パンサー向井ラジオの中でこの用法で使っていたが同時に占い風水的な話題が語られることがあり正直少し引いてしまう部分もある、

ものすごく面白い話で笑い転げたのだが(ネタとして言ってるだけだとは思う)

あと最近芸人界隈で「ひろゆき」がブームっぽいのも芸人さん同士の横のつながりを感じさせる

やはり劇場営業でよく顔を合わせるだろうし数も圧倒的に多い吉本芸人界隈からこういう言葉概念流行というのは広まっていくのだろうなという印象

漫才協会やワタナベ、タイタン独自の島というか、良くも悪くもマイペースさがあり(若手に限ってはそうではないだろうが)

他の芸人やそのネタに対して貪欲で見識も広く深い塙さんが芸人界隈での流行語(のようなもの)には疎いのが意外な感じもするがその証左かもしれない

ナイツラジオショー」でアンガールズ山根ゲストピンチヒッターパーソナリティだったかの際

占い芸人話題になったとき少し不条理だったり非科学的だったりする考え方に対して

批判的な態度をとっていたのを見て(芸風だろうしもちろんネタとして面白おかしくしゃべっていたのだが)

この人も「人(ニン)」使わないタイプの人なのではとなんとなく思された(使ってるかもしれない、使ってたらごめん)

知らない、使わない人もいるしネタや芸や仕事自体に直接関わってくるものではないのだろうがその世界一定数で通じる概念流行がある世界

を外側から見ることの面白さをラジオを聴き始めてから強く感じています

どのラジオ番組もどの芸人さんもそれぞれ面白い、あといわゆる「ハガキネタ職人」の個別認識ができるようになり

地方も局も番組もまたいで投稿しているのを見るとどのラジオ番組がそれらの人に支持されているのかわかったり、

逆に一つの番組に根強くついているファン存在やそうさせるラジオ番組のあることもわかりラジオ番組の「有りよう」も様々なのだと思わされて面白い



あれこれ書いたが急にお笑い世界に近づいたのがなにぶんこの一、二年のことでtwitterもやっていないので

芸人界隈のコンテクストについては全然詳しくないけどファンには自明のことだったりそれは間違った認識だ許せん、と思われるとこもたくさんあるだろう、

詳しい人はてなにいたら「書いたな!俺の前で!」をぜひやってくれないかなあと思う

2021-05-12

そもそも何でみんな吉本お笑い芸人面白いって言ってるのかわからない

いや普通にからいか

前に弟がお笑い番組DVDを片っ端から見てるので

「なにが面白いの?」と聞いたらお笑い文脈なのだと言ったがそれ以上の説得力を感じなかった

文脈オンリーということは一見さんお断りたまたまTVで見てもちっとも面白くないのは当然ということ?

くそんなん見てられるなあと

ゲームアニメも確かに文脈は高度化してるけど、それでもまあチュートリアル試行錯誤したり

根源的なとこをガンって殴ってくる新作は5年か10年に1回は出たりと頑張ってると思ってるが

吉本芸人のやつ時々見ても刺激的には見えない。若い芸人笑点の老人レベルだがそういうもんなのか

なんかのタイミングで見た横山やすし過去ビートたけしの刺激のがずっとすごくて

今の吉本芸人って何のためにいるの? てのがサッパシわからん

放映してない小屋に行ったらもう少しマシなの?

いちど浅草演芸場に親のつきそいで入ってつまらなくて途中からスマホいじってたんだが

あの程度のを我慢して見続けて当たりを探さないといけないの?

息抜き娯楽にそこまで努力要求されなきゃいけないの? 謎すぎる

2021-05-10

防具着て徹底的に殴り合う競技が見たいな。流血や骨折がないか安心して見られる

anond:20210510152851

レスラー同士の乱闘が見たい

負傷者が出ないように機動隊みたいな重装備をして5vs5でこん棒で殴り合うような競技

20年位前にお笑い番組で侍がしりとりを間違えたら棒で殴られる番組があったはずなんだよ

あれをレスラーに防具着てやってほしい

2021-03-22

過去過去として水に流そうよ

渡辺直美 容姿侮辱問題で「黒塗りメイクコント発掘騒動理不尽

https://friday.kodansha.co.jp/article/170425

しかし襖から登場すると、顔を黒塗りにしてMCハマーのような髪型をした渡辺が登場。すると、小藪は「うわー!!!」と叫ぶのだ。

AKBじゃなくてR&Bや!」

渡辺をいじり会場は爆笑の渦に。渡辺の両親は栃木茨城出身という設定だったが、途中でゴスペル風の変な歌を歌うなど数々の笑いをとった。

「2人でネタ合わせをして考えていると思うので、渡辺さんの意見も少なからず入っていると考えるのが自然でしょう。容姿侮辱問題被害者だったはずの渡辺さんが、実は過去に黒塗りメイクをしてネタをしていたことに、ネット上では少なからず疑問の声が上がっているんです。無論、渡辺さんには差別する気などなく、親近感があってやったことでしょう。悪意などみじんもないはずです。ですが『当時も心中穏やかじゃない人もいたのでは…』という指摘が出ている。容姿侮辱問題が出たからこそ、過去映像も発掘されてしまった。彼女にとってはまさに“もらい事故状態でしょう」(スポーツ紙記者

コロナ禍で全公演中止になりましたが、渡辺さんが主演で‘20年に上演予定だったミュージカルヘアスプレー』は、黒人役のキャストもあったのですが、“黒塗りメイク”しないことを決断し、話題になりました。今の渡辺さんは、すべてを理解しているのでしょう。時代によってコンプライアンス世間意識というのは変化しますので、過去画像などで『あれもあった』『こんなのもあった』と一概に非難するというのは、ある意味では危険なことだと思います」(テレビ局関係者

今回の騒動に乗じて、渡辺過去動画までネットで蒸し返されることになってしまった。過去動画を発掘してきて「この時はどうだったのか」と指摘することが、建設的な議論につながればいいが、実際はそうはならないのが実情だ。

1年前のLINE書き込み程度なら理解できるが、何年も前の内輪のツイートお笑い番組まで掘り起こして、バッシング合戦を始めたい人達

人の意識は数年で変わる。

人は成長し、アップデートされる。

誰もが暮らしやす社会を作っていく事こそが必要なのであって、誰かを叩くだけが目的行為には生産性がない。

生産性がない事は、止めよう。

互いの意見聞き、試練乗り越えよう。

過去の誤りにも、ある程度寛容になろうよ。

2021-02-20

お笑い番組に出る芸人は男ばかり

政党や団体や企業における女性比率が騒がれてるけど、テレビ番組はこれでいいのかね?

2021-02-04

「グッとラック!」みたいな朝の情報番組お笑いタレントコメンテーターにしている点でまともなコメントなんて期待できないしちゃんお笑い番組として愉快な話題だけやればいいのになあと思うの

2021-01-04

コロナが気になってお笑いが全く笑えない

年末に山程お笑い番組を録画して順番に見てるんだけど、コロナにノーガード過ぎて全く笑えない。

コロナが始まってから時間が経つにつれてコンビは至近距離でも大丈夫みたいな感じになってきてたのも気になってたけど、年末になってコンビ関係なし、そもそもマスクもつけず至近距離で大声で怒鳴り合うのが当たり前になってる。

テレビ中の人マスクつけたら死んじゃう病気なの?

口元が見えないならテロップで補えばいいじゃない。

透明のマウスマスクつけてれば大丈夫みたいな空気を醸し出すのはもうやめてほしい。

あー。今相手に飛沫がかかってる。あー。いまエアロゾル発生するような大声出してる。そんなことばかり気になってネタトークも一切頭に入ってこない。

コロナ忘れさせてくれようとしたのかわからないけど、むしろコロナが気になって本当に全然笑えなかった。

それで同じ局のニュース感染拡大に歯止めがかからない。政府は何やってんだみたいなの流されても、どうしろと。

今、コロナに一番の悪影響を与えてるのってテレビだと思うのだけどどうなんだろう。

彼らが当たり前にマスクを付けた姿を見せて、その上でネタやら歌やらを、ちゃんと伝えるような努力を一番にしてほしい。

芸人歌手が入り混じってカラオケバトルみたいなのが一番めまいがした。

そんなので絶対コロナストレス吹っ飛ばないよ。むしろ不安になるばっかり。

震災ときもそうだったけど、結局心の平穏を取り戻すにはテレビを消すしかないんだよな。

日本テレビはもうとっくに限界が来てると思うよ。

日本で一番コロナ対応できていない産業はどこかと聞かれたら間違いなくテレビと答えるね。

2021-01-01

正月お笑い番組

漫才コントだけ見せろや!

って思うのは、自分だけ?

2020-12-27

浅草、いつもどこ見てる?

【要約】

浅草デートってみんないつも何まわってんの?

【詳細】

年始(1/5~6or7)に彼氏東京に来るんだが、まともなデートプランが思い付かん

助けて増田

『(料理が好きだからかっぱ橋を見たい。他は...東京ようわからんしなあ、案内してや(関西弁)』

1泊2日か2泊3日の3日目半日、という滞在予定。

とりあえず1日目は、かっぱ橋とあわせて浅草でお参りしよう、と思うも、浅草ってどこ回ればいいのか、何度か行ってるのにも関わらず、あまりよくわかっていないのだ。

行っても雰囲気で終わっていて、あまり噛み締められていない。

だいたいの友達と行く浅草パターンはこれだ。

雷門集合

仲見世通りを覗きながら浅草寺参る

浅草寺を背中に右側を散歩。だいたいメンチカツ食べるぐらいしかしてない。浅草寺を背中に左側を散歩。だいたいイタリア(漢字)屋のジェラート食べるぐらいしかしてない。

・冬じゃなければ隅田川を下って浜離宮に出る遊覧船に乗る。

これぐらいしかしたことないんだけど、どうなん??????

お笑いとか見た方がいいの??私笑いのツボ深すぎて大抵のお笑い番組笑えんのだが... 

2日目以降については未定である

東京丸の内ぐらいは見せた方がいいとは思っている。が、他は。。。


メモ

プラン1】

10:00 新宿駅 感動の再会

10:45 浅草


ご飯系】

駒形どぜう(浅草南)

浅草むぎとろ(浅草南)

レモンパイ(浅草西)(イートインありません!その通りです!)

観光

合羽橋(浅草)

プラネタリウム(スカイツリー)

検討

国会図書館(桜田門)(料理系の評論同人誌を見たいが怪しい 下見無しには採用できない)

ミステリーサーカス(新宿)

忍者からくり屋敷(新宿)(いやーどうかな...)

【またいつか】

東大(コロナのため入校不可)

ペリメニキッチン(幡ヶ谷)(正月休み)

2020-12-21

anond:20201221180812

カテゴリとしては「テレビ」と「雑誌」が同格で

お笑い番組」と「マンガ雑誌」が同格で

M-1」と「ジャンプ」が同格だろ。

ジャンプ読んでたら漫画オタク」は

M-1見てたらお笑いオタク」に置き換えられる。

2020-12-20

M-1を見たことがない

最初の数年のM-1普通にタイミングが合わず見れなかった

そうこうしてるうちに気がつくとドラマとか、スポーツみたいに継続性や予備知識必要番組になってるような雰囲気を感じ、もう完全にタイミングを逃してる

そんなこんなで他のお笑いコンテスト番組も一度も見ていない

そういう番組じゃなくても、ネタコンテストありきで作りこみすぎてたり肩に力が入ってるように見えて、なんかシンドいからもうほぼお笑い番組を見る機会はがない

たまに見るゴッドタンくらいがちょうどいいんだけど

2020-12-04

宅八郎」と「保毛尾田保毛男

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]

上記宅八郎についてのブクマ

ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメがあって、ちょっと思うところがあったか

ブコメブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。

侮蔑語としての平仮名おたく

おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的意味に転じた言葉

「クイア (Queer)」がある。


「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、

当事者が、強い意志を持って、ポジティブ意味付与し、

性的マイノリティーの権利獲得の旗印として使用したのに対し、

オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者意思意識とは関係なく、

経産省やその界隈、メディアの都合でメジャー舞台に引き上げられ、なんとなく、

つの間にか、片仮名表記が定着したということ。

(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)


したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、

ゲイプライド文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、

侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツカテゴリーとしての「オタク」の用法は、

なし崩し的にゴッチャになっている。


というか、役所メディア勝手でっち上げメジャー舞台に乗せられてるという自覚がない

今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然

という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした

不満を募らせている (らしい)。というのは…


ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメから保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、

オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。


それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、

明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的意味もつオタク」に読み替えて、

それを世間に認めさせたらいいじゃないの?


萌えキャラや、乳袋や、スカート股間の謎の影がそんなに大事なら、

世間と戦ってプライドを勝ち取ればいい。


…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…

おまけ

ブクマされたスレッド

しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


というのは所謂オタク第 2 世代として感慨深い。


知らない人のために説明すると、「おたくオタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる

ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代80年代、90 年代思春期を過ごした

世代と思ってもらって差し支えないと思う。


第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって

おたく」という侮蔑語発明され、エヴァシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤事件によって

おたく」という言葉世間にひろく知られるようになり、お笑い番組宅八郎ネタとしてイジられたり、

オウム真理教布教アニメ作ったり、秋葉原PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら

十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。


いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫宮崎駿クラス巨匠でも

アニメ漫画なんて下らない。なぜならアニメ漫画からだ」という評価をされる風潮がまだあった。

(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)


そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的自称しないけど)

(1) 「おたくから卒業して、世間的に認められやす映画文学などの周辺領域流れる

(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ

(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う

の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。


そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が

自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…


しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである宅八郎」をもって、

昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような

不思議感覚がある。


冒頭のブコメは、もしかするとこっちのニュアンスかも知れないね

2020-11-28

anond:20201128022302

これもな

お笑い番組の真似だなと思えればそれで市民権なんて言う感覚を与えてしま悟性についての反省も無しに絡みはじめたお前さんが謝る番なのは明らかにしておく

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