はてなキーワード: お好み焼き屋とは
みんなでお好み焼き食べに行きましょうって53人ぐらいで向かったんだけど、
席は一杯空いているんだけど、
1席1席開いてるのよね。
お客は入ってるんだけど、
なんとなく満員じゃないので賑やかさに欠ける
静かなお好み焼き屋さんねって感じだったわ。
なんか大騒ぎできないのもあるし、
まだまだ完全に気持ちまで解除になるには先なのかなって思っちゃったわ。
相変わらずの密避けモードって感じかしら
調子が戻るまでしばらくかかりそう。
そうそう!
バリ傘で思い出したけど、
折り畳み傘が壊れちゃったので、
何かいいものないかしら?ってデパートまでまた買いに行くのも面倒くさいなって思いつつ
避け密避けよろしく、
どっしよっかなって思ってたら
灯台下暗しってと借りぐらしのアリエッティって似てない?
そうね似てないわね。
そう思うほどアマゾンで傘買えばいいじゃない!って着眼点はアウトオブ眼中とは言わず、
褒めてほしいものよ。
うふふ。
牛乳切らしちゃったので、
お昼出たときに買いに行くわ。
無糖のヒーコーってあるんだけど、
無糖のヒーコーの牛乳入りって意外と無いからそういう時困っちゃうのよね。
ふとそのこと忘れてて食べたら痒くなるの直ってたみたい。
そう言うことってあるのかしら?
突然に。
体質変わったのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だがちょっと待って欲しい。
カツはコロッケの上位互換なのだろうか? もしカツが「質としては上位互換だが、価格的に代替できない」というだけなら、問題はどうやってカツをコロッケ並みの価格で提供するかということになるのだが。
これは、すなわちコロッケとは「肉が高価だった時代に、ミンチにした屑肉の味を染ませたポテトをほぼ廃棄物に近い肉脂(ラード)で揚げることにより、満足感あふれる一品にしたもの」である、という仮定に基づく。もし、仮に出発はそうであっても、もはやコロッケはカツで代替できないアイデンティティを備えるようになっている、というなら、改めてコロッケを再定義することが必要だろう。
ちなみに、同様の事情をもつのが「肉が高価だった時代に、脂多くて安い豚バラの薄切りから出た脂でいためたキャベツを食味を増すための小麦粉・卵で盛って、グレービーソースに似て香辛料多めのソースで味付けすることによって満腹感あふれる一品にした」お好み焼き、である。その場合、お好み焼きの上位互換はステーキということになりそうだが、こちらはもはや価格だけの問題ではなくなりつつあるようにも思う。実際、大体のお好み焼き屋のお好み焼きの値段は、そのへんのチェーンステーキ屋のステーキと大差ない。
当時学生で、ピアノを専攻していた私は、本業のピアノそっちのけで、徹夜で「マリオ」にハマリまくり(しかし、一度たりともクリアできたことはありません……涙)。
当時やりすぎで、肩凝りはヒドイわ、腱鞘炎になるわ、腕は疲れて上がらなくなるわ……。→ピアノが弾けない、→先生に怒られまくり、と、エライ学生生活になってしまいました。
だから、今回「マリオRPG」を担当という話になったときは、本当に嬉しかったです。
最初から頭にあったのは、従来のマリオシリーズのイメージをこわすことなく、且つ、とらわれることなく、自分自身のマリオワールドをいかに作るかということでした。
そこで、まずマリオシリーズの音楽を聴いてみることから始めました。コレがやっぱり、何度聴いても、すごくええんですわ。
シンプルで無理がなくって、押さえるツボはちゃんと押さえてあって、何よりも素晴らしいのは、聴いてる人を楽しませてくれることです。
ドキドキとワクワクがいっぱいつまってる。いやぁー、素晴らしい。
なーんて感心してる場合じゃないぞ。こりゃ大変だー、エライの引き受けちゃったな―、何か蒼くなってきてしまったりして。
そーだな、音楽の路線を似せてみるとか、単純にアレンジを多用するとか、似たよーな音色使ってみるとか……。
うーん、そんなんじゃないな。なんか、もっと、自然にやりたい。そーそー、理屈じゃないのよね、音楽って。
マリオRPGワールドを楽しんでもらいたい、曲を聴くとなんかちょっぴりシアワセになれるような。
楽しくってドキドキワクワク。あー、そっか、そーなんだー。うんうん。要は私が楽しめればいいんだ。
ハイ、「直情型」の出番です。私が楽しんで作って、私が自分で聴いて、ちょっぴり愉快な気分になれたら、それでいいに違いないっ!(ホンマか?)
普段、横向きしか見たことのないマリオは、いったいどんなリアクションをするんだろう。
当然、いろいろ町の人や仲間や、ともすればモンスター達ともお話するんだから、性格なんかもわかっちゃうかも。
うん、うー、なんか楽しそ―だぞ。あー、なんか、ワクワクしてきたなー。よし、いっぱい曲作っちゃお。
んで、やっぱし、昔のマリオの曲とか出てくると、「おおぉーっ!」とか思っちゃうんだろうな。うんうん。やっぱり懐かしーだろーなー。
そんな経緯で、今回何曲か、従来のマリオシリーズの音楽をアレンジして使わせていただきました。
なんでここでこの曲が……?とか思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、好きな曲で、雰囲気に合うなー、と思うものを、何曲か選んだだけです。
ごめんなさい。なんの計算もないかも……。アレンジは、原曲の持つ雰囲気をこわさないように、心を込めて行ったつもりです。いかがですか?
なんだか、今回、久しぶりに、自分の音楽の原点に戻ってきたような気がします。
最初、作曲を始めたときは、曲を作るのが楽しくって楽しくって、誰にも聴いてもらえなくてもいろいろ作ってました。
そして、画面に合わせて曲を作り、曲に合わせて画面が動き、自分の音楽をたくさんの人々に聴いてもらえるステージがあることが嬉しくって嬉しくって、有頂天になってました。
全然書けない曲のジャンルにチャレンジして、挫折したり、成功したり……。無謀なまでに、突っ走って、失敗も多かったな(今もかなり無謀かも……)。
そりゃあ、何年も曲作っていると、逃げ出したくなるくらいツライ事とかもあるんです。
あー、もー、ヤメちゃいたいっ、勘弁してーっ、って感じ。
でも、ホント、今まで続けてきて良かったな。これからも、続けていくんだろうな。
いろんな曲を書いて、得意な分野も磨いて、どんな種類の曲を書いても、どこかしら、私の曲だってわかる。そんな音楽屋になりたいな。
そうやって、自分自身を磨いていきたい。これからもずっと、私が曲を書いていたいと思う限り、直情型でいいじゃない、ねっ?
Thanks Mom & Dad, my brother, friends, and loved ones
All "SUPER MARIO RPG Original Sound Version" Staff,
I appreciate all those who provided me a big stage by name of the video-game.
I'm extremely greateful to all of my exciting experiences,
ocean, mountains, the earth, music, MARIO and also you who listen to my sound.
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MAKING OF "SUPER MARIO RPG" PLEASURE MUSIC
(COMPOSER YOKO SHIMOMURA)
●対 クッパ戦
この曲は、割と早い時期に作ったのですが、お気に入りの一つです。
原曲は、"SUPER MARIO BROS. 3"のクッパの曲。
今回は何曲か原曲をアレンジしてますけど、アレンジを織りまぜても上手くいきそうな自信が持てた曲です。
実はマリオ3の曲は結構使ってます。例えば、「Super Pipe House」(マリオの家)、
メロディはお馴染みの曲だけど、バッキングのフレーズはマリオ3から頂いちゃったんだな。
●森のキノコにご用心
この曲は、とても周りの人たちに好評でした。その理由を、サウンドエンジニアの菅原氏が分析してくれました。
「この曲だけ妙に叙情的だから。」 ……そーですか、[妙に]ですか。
だってだって、ここは一番最初は「精霊の森」って名前で、その次は「迷いの森」で、最後には「ハナちゃんの森」だもんなー。
最初は結構、このワールドの中では、異質な神秘さを持っている感じだったんですよー。ま、いっか、気に入ってるし。
●Docaty Mountain Railroad
ある時、会社近くのお好み焼き屋さんで、夕食をかっ食らっていた私は、そこでBGMとして流れていたカントリーに激しく心を奪われてしまった!
もー絶対、これは、トロッコをカントリーにしろ、という神様の思し召しなのだわっっっ!
しかし、そこでかかっていた音楽はすごく古いもので、廃盤だそう。
気持ちが冷めてしまわぬうちにと、勢いで書いてしまった曲は、作曲に要した時間は30分でした。ま、そんなモンかも……。
これも当初のイメージと全然違ったんで、アワ食ったうちのひとつです。
「ブッキーの塔は、遊び好きのブッキーが、塔に来る人と遊ぶため(!?)仕掛けをいっぱいつくった、おもちゃ箱みたいなカンジ」と
聞いていたので、かわいくて賑々しいのを想像してたのですが、開けてビックリ「男のロマン」と言われてしまいました。どひゃー。
企画の人と、グラフィックの人の強い要望で、こういうノリになりましたが、濃ゆくてピッタシ。
これ、自分で言うのもナンなんですけど、ヘンな曲ですよね。後ろで鳴っているのは、もちろん、マルガリータの笑い声です。
サンプリングヴォイスは、サウンドエフェクツ部隊の「ちーちゃん」。普段、全然高飛車ではない彼女に、高飛車になってもらいました。
しかし、ヘンな曲だぁ~。笑い声がなければ、途端に普通になるんだけれど……。
●対 変身好きのカジオー戦
最近のご時世、必ず、ラスボスさんは変身してくださいます。(変身しないでくれたほうが曲数が減って助かるのに……)
今回は変身しない予定だったんですが、やっぱり、最後の最後に変身なさってしまいました。ガックシ。
もーどんな曲にしよーかとブチ切れてしまったので、こ~んな曲になってしまいました。
ちょっとだけ途中に出てくるレゲエノリのところが気に入っています。
タイトルまんま。
自分で言うのもなんだが、私は世間一般でいうハイスペック男性にモテる。
付き合ってくれ、結婚してくれ、と私に言ってきた男は上記の職業の男ばかり。
港区の低層マンションの最上階で、花を愛でたり凝った料理をこしらえたりしてのんびり幸せに暮らしている。
いろいろな人から、「なんであなたはハイスペックにばかりモテるの?」と聞かれてきた。
そのたびに「いい女だから、あはっ♪」と適当に流してきたが、今回真面目に考えてみたのでまあかるーくご参考に、もしくは暇つぶしに、または「虚言おつ」と嫉妬に狂ってみてほしい。
①テンプレの女にならないこと
彼らは内心港区女子、っていうのかな、とにかくハイスペックを捕まえるのに躍起になってる女を馬鹿にしてる。
今日はかわいい子の顔見ながらごはん食べたいな、とか、ちょっとお酒でバカやりたいな、というのにちょうどいいだけであって、真剣に恋する対象にはならない。
「こんな綺麗な女連れてる俺」「この地位まで来た俺」、そんな風に自分で自分をたたえるための道具でしかない。
淡い色のトップスに花柄のフレアスカート、みたいなテンプレ女、「そうなんですか、すごーい!」みたいに合コンさしすせそを連呼するいかにもな男受け狙い女は見飽きているし、魂胆も見え見え。
彼らは社内でも社外でも、あなたの思う以上にテンプレ女を見飽きていると思ったほうがいい。
逆にそういうテンプレがあふれかえっているからこそ、些細な「ハズシ」があるだけで「この女は違うな」と思わせることができる。
私のハズシは話し方・口調を気さくにして、ギャグをがんがん飛ばして彼らをドッカンドッカン笑わせることだった。意識はしてなかったけど。
男の会話に静かに相槌を打ち、「すごーい!」を連呼することはしてなかった。
②高級レストランに喜ぶな
彼らは金があるからいい店ばかり知っている。
ドレスアップしてエスコートしてもらい、夜景を見ながらシャンパン…
そんなのに喜んでいたらテンプレだ。
彼らは激務の一人暮らし。
彼らが本当に求めているのは高級レストランのディナーじゃなくて家での手料理だ。
リラックスだ。
「今日は家で鍋しよ!」
「今日はリラックスした服装で、スーパーで野菜とお肉買って料理しようよ。」とか。
付き合ってなくて家に行けないならば、薄汚い系のお好み焼き屋さんとか居酒屋さんとかに行きたいといえばいい。(付き合ってないのに家に行くなんてやめなよ)
これは①で述べたハズシにもつながる。
夫が私と結婚しようと決断した決め手は、自宅で彼に手料理のフルコースをふるまったこと。
夫の同僚(同スペック)が今の奥さんと結婚した決め手は、公園デートを提案されて、3段の手作り弁当を作ってきたこと。
手作り料理でアピールしろ、というのではなく、(むしろ付き合ってもないのに手作りは絶対にやるなよ)リラックスできる場を提供すること。
③躍起になるな、上下関係ができるぞ
彼らは必死な女を敏感にかぎ分ける。かぎなれてるから仕方ない。
別にこの人とダメでももっとハイスペックと結婚できるからいいし。
そのくらいの気持ちでいたほうがうまくいく。
媚を売る、自分からガンガンアピールする、それはやらないほうがいい。
この人以外にもいるし、くらいの気持ちでいると、彼らの不安を適度にあおることができる。
俺へのラインの返事が遅い。
俺の誘いを断った。
「この俺になぜこんな余裕のあるふるまいを?」と追いかけてくる。
付き合ったあとも同じで、別れ話とかされたときはすがるよりも「あっそう」とあっさり別れを承諾するほうがよりを戻しやすい。
「あっそう、今までありがとね」とあっさり承諾して、相手からやっぱやり直したい、と連絡がきたパターンは今のところ100%だ。
男は「無関心」に耐えられない。
関心を持ってもらうことに躍起になる。
だからこっちから必死になったり関心があるアピールをしまくってはいけない。
そこに行きつくまでがちょっと難しいだけで。
ハイスペックはプライドが高いし激務だから疲れてる、リラックスさせてあげろ
端的に言えばこうだ。
何でなんだろう?
前に食べる所がなかなか見つからなくて、やっとお好み焼き屋を見つけて入ったら、お好み焼き居酒屋だった。
値段は大体千円超えで、普通のお好み焼き屋より少し割高だった。
お冷を頼むと、ムッとした感じで「うち居酒屋ですのでこれで最後にして下さい」と言われた。
入ったものは仕方ないので急いで食べて出たけど、普通のお好み焼きより割高な金出して、普通のお好み焼きクオリティで、お冷すら気持ちよく出してくれないって何なの?
居酒屋は客が酒を飲まないと儲からないと聞くけど、普通のお好み焼き屋儲かってるじゃん。
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
おそらく散文になると思うけどなんとなく残しておこうと思う。雨だし、帰り道1時間ほど歩きながら暇なので一発書きする。
母は器用であったが、欲のない人だった。おそらく高卒(大学に行ったと言う話を聞いた事がないのでそうなのだと思う)で働き出し、その後父と紹介婚(これも謎、お見合いではないらしい)し、私と私の兄を育て、今は犬二頭と父とで隠居生活のようなものをしている。ど田舎の山の中に小屋つきの別荘を買えるほどの生活レベルだ。
両親は昔に比べるとさらに仲が良く、昔家庭崩壊していたことがまるでなかったことのように思う。家庭崩壊は、両親の問題ではなく、私たち兄弟が荒れていたためだ。
今の私はと言うと、妻を貰い、もうすぐ30になるが子どもはなく、忙しくも充実した日々を過ごしている。
子どもを持つ年齢/環境になって、考えるのは私の両親の話で、その中でも父のことは話を聞く機会が多かったのか、たまに学生時代の話を聞かされたのを覚えている。さらに言うと、「おそらくこう言う人生だったのではないか」と言うのが、私にも想像がつくものであるため、父の人生を不思議に思うことはなかった。
一方で母のことについて考えてみると、いかんせん分からないことが多く、母は一体何者なんだろうか。
断片的な情報からの推測であるが、高卒で就職し、のちに父と出会い、25歳ほどで遅めの結婚し、その後車の免許を取り名古屋での生活に備え(出身は京都)、私の兄を身ごもり、私が幼いころにはパッチワークをしていて、家のものがそれ風のカバーやシートでいっぱいで、家に帰るとよくミシンを動かしていたと思う。私が5歳の頃には既にあったパッチワークのカバーは隠居先の別荘にて今も使われている。
のち、小学校高学年くらいにはアルバイト(お好み焼き屋)を始め、のち天丼屋に代わり、私が中学くらいにはなぜか漢検二級くらいを取り、高校生になる頃には介護の仕事を始め、ヘルパーの資格を取ったりしていた。
この時の私は、母がアルバイトを始めたこと、検定や資格を取っていることに何も感じなかったが、今改めて考えると不思議なことに思う。
彼女の何がそれをさせたのだろう。当時の父の月収を知っているが、家庭的には裕福で金銭的にも余裕はあったはずで、今の私が同等くらい稼ぐのはかなり厳しい思うくらいだ。
学歴からのコンプレックスか、手に職をつけるためだろうか、はたまたただ単に暇だったからなのだろうか。母が飲食のバイトを始め1〜2年ほどで辞めたのは、何か嫌な事があったのだろうか。その経験から資格などに目を向けたのだろうか。
本を買う時はほとんど古本で、資格の本もほとんど古本でもで揃えていた。元々、おそらく本を読む人ではないため、家にある本はオレンジページやよく分からない流行った本(五体不満足など)しかなかった。歴史書や辞典など、自宅にあった本は殆ど父のものだった。母は幼い頃に両親の離婚(私から見たら祖母と祖父)を経験していることから、家族への執着が強くなっているようにも推測できるし、70年前の離婚は今と印象が違うだろう。子どもの頃は決して裕福ではなかったらしいし、その経験からなのかほとんど贅沢をしない人だった。日曜に父と映画を2本借り、父と共に途中で寝るような人だった。
私の母はおそらく打たれ強く、色んな物事に欲がなく、家族が全てのように振る舞い、難しいことはよく分からないが口癖で、残り物を晩御飯として食べ、たまに恋愛ドラマをみてそのままソファで寝て、父の背広にアイロンをかけ、私や兄が勉強をするとよく褒めてくれた。私は今書きながら泣いてしまった。料理が得意で私はご飯をたくさん食べた。たまに父のことをお父さんではなく、◯◯ちゃん(トシノリならトシちゃんなど)と呼んでいた事もあった。髪の毛を乾かすのはドライヤーでなく扇風機だった。私や兄の些細なことでも、さも大層なことのように人に自慢した。
私は私の母のことを理解出来ない。私は矮小で利己主義で打算的な人間で、友達も少なく、自分の話をするのが苦手で、人と喋る時は嘘の自分が自分の代わりに喋っているようにしないと他人と喋れない、嘘つきの惨めなマザコン人間だ。さらに言うと私は父も好きだからマザコンとファザコンを併発しているとも言える。
と、ここまで両親を賛美した上で、私の妻と言う存在に触れると、私は自らの過去に存在する母と父を尊敬しているだけで、今は妻が世界で一番大切なので、全ての物事の中で妻を優先しており、両親と妻の命が天秤に掛かれば迷わず妻を取るくらいだ。
1年生は私とM君、あと2年生のS先輩とO先輩。
私はM君がずっと好きなんだ。
ちょっとくせ毛の黒髪も、たれ目がちな目も、そんなに長くない指も、無愛想に見えて本当は優しいところも、全部、全部好き。
高校に入ったら告白するぞーって思って、ダイエットも頑張ったし、ニキビも治したし、化粧はできないけど色付きリップとか使ってみたり、眉毛整えたり結構頑張った方だと思う。
でも最近気付いた。M君はS先輩のことが好き。S先輩は美人だし、清潔感あるし、サバサバしてるし、明るいし、後輩の面倒見もいいし、いいところがいっぱいある。
それで4人でお好み焼き食べながら部活とか先生の話してたら、いきなりO先輩が、
突然でテンパっちゃって「M君が好きです」ってうっかり言っちゃった。
隣に座ってたM君の顔は長いくせ毛のせいで全然分からなかった。
当然M君に矛先がいって「Mどうする〜?増田ちゃんお前のこと好きだって!付き合っちゃえば?」ってO先輩がずっと言ってて、M君はやんわりとかわしてたけど、O先輩がしつこく言うからM君も限界だったのかな。
「俺はS先輩が気になってます」
あーあ。
S先輩はM君の気持ちを知ってたみたいで、
「ありがとう!でも私今恋愛したくないんだー」って軽い感じで流してた。
さっき食べた豚玉がぎゅっと胃の中で重くなって、その後のことはあんまりよく覚えてない。たぶんいつも通り会計していつも通り家に帰ってきた。
家についたら振られた実感が湧いてきて、ベッドで1人で泣いてた。そのまま寝落ちしちゃって起きたらこんな時間だったから増田に書きなぐってみた。
ラーメン屋なんて嫌というほどあるのに
なぜ焼きそばの店はないんだ
お好み焼き屋などに行けばおまけ程度でついてるがそうじゃない
ラーメン屋のように店ごとに種類がいろいろあってほしい
大阪や広島みたいな有名なところはともかく他だと探しても近場には全然ないことだってある
トップブコメは不正解を書き込むって言ってるけど、嘘じゃねーよリアルだよ!
電車などで普段の生活圏外に行きでもしないと焼きそば売ってる店なんてないよ
当たり前のように焼きそば屋があるって一体どこ住んでんだよ、それは自慢なのか・・・
都会行ったときでもラーメン店なら探さなくてもブラブラしてたらいっぱい目にするけど、
具体的な場所教えてくれた増田とブクマカ達ありがとう、気軽に行けるところじゃないけど、
旅行とかで行く機会があったら参考にしてみるよ