はてなキーワード: おたふくとは
馬鹿がわざわざググってて草
「お前にとっては」オタフクのお好みソースがソースの代表ってだけだろ
お好みソース国内シェア。西は「オタフク」、東は「ブルドック」が圧倒的
では実際に、お好み焼きのソースシェア・エリア別のシェアはどうなっているのか。
まず、生産量ベースの調査となりますが、2017年度の日刊経済通信社の調査による「お好み焼きのソースランキング」を下記に記載します。
4位 キッコーマン:5.0%
5位 イカリソース:4.9%
1位はおたふくソースとなっていて、2位がブルドックとなっています。やはりこの2強が強く、2つの商品で約50%のシェアを占めています。
こちらは販売金額でのシェアとなりますが、2017年1月〜12月までのソース主要メーカー別販売金額シェアとなります。
出典:流通ニュース
綺麗に二つに分かれていますよね。
それも僅差というわけではなく、お互い圧倒的に差を広げてのシェア比率となります。
特に西日本でのブルドックに関しては、販売金額シェアが数%しかない状態となっており、オタフクかカゴメが圧倒的シェアとなっています。
どうりで西日本に住んでいる時、ブルドックソースの名前を聞かないわけですよね。販売はしていると思いますが、オタフクソースが圧倒的に強いので。
俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。
お家の家庭用洗濯機は濯ぐとき水が少なすぎるって言う著書をどっかで読んだのよね。
洗濯するとき濯ぎ1回モードとか神!って思ってた時代があったけど、
どうも剃れ眉唾らしいの。
洗いはともかく、
濯ぎはたっぷりの水を使った方が、
洗濯物の乾いたときの仕上がりがふんわり極上極まりないのよね。
濯ぎの水多目にしたら、
上手く行きそうなの。
で、
たとえ2回濯ぎだとしても、
足りないわけ!
で私は思ったんだけど、
どの他の洗濯機よりも勝てんような気がするし、
洗い→脱水→洗いモードで水マックスですすぎ→脱水→引き続き水マックスですすぎ2回モード→脱水
今のところね。
また次の課題でもあるし、
そもそもとして
すすぎが足りないという場合、
洗剤入れすぎ問題もあるのよ。
これちゃんと量って入れないと
洗濯が乾いたとき臭くなる原因の一つでもあるかもしれない科学なの。
まったくのそれ盲点だったと思わない?
適当に量っていなかった洗剤が、
濃いめのハイボールって言っとけばいいと思ってるのと同じ!
それはそれで別洗濯機時空科学研究所で時空を歪ませているというか、
あの研究所はいつか時空警察に嗅ぎつけられてお縄を頂戴されちゃいまくるに決まってるのよ!
私の方は
日清オイリオと日清製粉が同じ日清グループだと思ってたら大間違いなぐらい、
多少洗剤量を量り間違っても
もういい加減「すすぎ」と「濯ぎ」の表記の揺れはどうでもいいとして、
まずあなたが洗濯機の扉を開けて閉めて開けて閉めたら洗濯物が入れられなーいって
洗濯機の扉を開けるならば、
なんの著書かは忘れたけど、
きっと洗濯科学を研究している研究所が出してるに決まってるから、
でもあの一言!
そう洗濯濯ぎの時は水多目!って言うことだけを覚えているの。
1冊に長く書かれていた結論は
たった1行で結論出て笑っちゃったわ。
もうそんな本結局は買わなくていいじゃん!ってね。
うふふ。
昨日暇だったので、
お味噌汁つくりました。
なんか生臭いのよね!
これは一度母の作り方レシィピをお母さん衝動のファミリー的なマート食堂で
レシィパクってこようと思うわ。
お味噌汁ぐらい手間かけて作ったら本格的な感じがするじゃない。
手ー挙げてー!
てなもんよ。
ジンジャーとハチミツでジンジャーハチミツウォーラーにしました。
これはホッツでいただくべきよね。
と少し思いました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!