はてなキーワード: うさんくさいとは
一人はネット上での問題発言が多すぎて干された売れない女優 顔は並
もう一人は有名バンドの既婚メンバーとの不倫がバレて干された売れないモデル 美人
コメント欄はモデルちゃん可愛いモデルちゃん素敵みたいなのばかりだった
容姿格差が歴然としているのもあるが、女優がアンチ多いからあてこすりもあったのかもしれない
モデルはドールガチ勢で前からその界隈では有名で実際番組内で手慣れた様子を見せるが女優はかじってる程度なのも影響か
二人で公開生収録をやる日に女優は体調不良になったとドタキャンしたのだがうさんくさい
生でモデルと比べられたくなかったのだろう
三人目は声優で、人気作のサブキャラに抜擢されたりもしたがイマイチ伸び悩んでいる 顔はちょいブサ
モデルの誕生日は無視するのに声優の誕生日は祝い、声優との収録の日は楽しいと言う
女優はアイドルユニットを組むとか言い出しているが、そのメンバーもちょいブサとガチブサで構成されている
絶対人気は出ずに地下だけで終わると断言できる
うちのカーチャンが俺(ファッション好き)を見て「私も久々にオシャレしたりしようかしら☺️」って言い出した
そしてカーチャンが「ネット広告で見つけたこの通販、好みに合ってて良さそう☺️」と見せてきたサイト
「森ガール」って書いてた
なんとなく今「森ガール」で画像検索したら何が出てくるのか気になって調べたらなんか凄いガーリーなやつが結構出てきた、こういうのじゃないんだよ
それはともかくその通販サイトが凄くうさんくさかったので辞めとけと言っておいた
普段自分が服を見る時は好きなブランドの公式通販か楽天・ZOZOばかり見てたから知らなかったけど結構こういううさんくさいファッション通販出てきてるんだね最近は
とりあえず代わりの通販サイト探してあげたんだけど今は「ナチュラル系」って言うのかな?ああいう系統は
個人的にはそんな嫌いじゃないけどこういう格好してるのって味の素嫌ってそうな人達が多そうという勝手なイメージがあるので、カーチャンがそういう風に見られないかが心配だ
うちのカーチャンはそういう思想ないし一応人の好みに変なイメージつけたら可哀想なんで何も言ってないがね
そういう「ナチュラル系」を主に取り扱うところ、大体ライフスタイル系の記事とかも書いてて大体ターゲット層が40〜60代の女性なのなんか面白い
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
女だけの集まりに男が参加しようとしても排除されて当たり前なのに、なんで明らかに男が男同士のコミュニケーションで盛り上がってるところに女アピールしながら入って行けると思うんだ?
その理屈がさっぱりわからないんだよ「2chから排除されるのは女性差別」とか言う奴って。
2chなんてもともと、ひろゆきが作った陰キャ男子大学生のためのサイトだろ。
「ネオ麦茶」で有名になった、匿名の犯罪予告とうさんくさい誹謗中傷が売りのサイトに、なんで「女性差別されずに入りたい」とか言い出せるわけ?
マジで「倫理観の優先順位」が意味不明なんだよあの手の「フェミ」って。
「犯罪予告」や「匿名の誹謗中傷」を自分がしたいのは当たり前で、そこのコミュニティから「女として排除される」のは許されない差別??????
ジャニーズに対する梯子外しがひどいとか、今までわかって使ってたくせにとか、そういうことをおっしゃってる方にお聞きしたいのですが、
では「企業は、今までどおりに変わらずにこれからもジャニーズのタレントさんたちを使って行くべき」っていうことなんでしょうか。
その場合、その企業が国際社会から問われたり、商品が買われなくなったり、非難されたりする可能性もあるのですが(国内でも)
それは会社の自己責任だから知らない、関係ない、会社はそのままジャニーズタレントさんを起用したままで運営していけ、ということなのでしょうか。
売り上げがもし減っても、今までジャニーズのおかげ?で売れていたんだし、知ってて使ってたんだから、自己責任の面もあるし、企業は甘んじてそれを受け入れるべき、ということなのでしょうか。
まあもし売り上げが減ってしまったら、広告も打てなくなるかもしれませんが…(売り上げが減るかどうかはわかりませんけどね。使っていたほうが売り上げが上がる可能性だって普通にありますし)
そこらへんを「タレントに罪はない」「梯子外しがひどい」と怒ってらっしゃる方にお聞きしたいです。
国際的な非難など関係なく、タレント自身に罪はないんだから、企業が非難されたり他企業から取引されなくなる可能性があっても、変わらず使用するべき、ということでしょうか。
同じように、「被害者の会がうさんくさい」、「お金目当てだ」、とおしっしゃってる方も、それは「物的証拠はない、性被害はなかった、でっちあげだ」もしくは「もう起こるはずがない(加害者は亡くなったから)済んだことだ、時効だ」ということで、
「被害を受けたという人間に賠償はする必要はない」ということなのでしょうか。
それとも、お金以外でなにか賠償したらいい、ということなのでしょうか…(加害者が亡くなってるので、お金以外で賠償することって何があるのか思いつきませんが)
すいません、周囲のジャニーズファンの知り合いの方には聞きずらいのでこちらで聞かせてもらえると嬉しいです。
単に知りたいだけで、だからジャニーズファンはどうとか言うつもりはありません。
結局、最終的にはどうしてほしいのかというか、どういうことを言いたいのかな、と思っただけです。
・泣いた
オトナ帝国とか天カス学園位のレジェンドではないけど「クレヨンしんちゃん」というコンテンツは大人から子供まで読み手に寄り添って励ましてくれるというメッセージを勝手に感じて泣いた
・視聴理由→試写の感想で「けっこうシビア」と聞いて気になった
・3Dアニメ、違和感が心配だったけど、オープニングの追いかけっこシーンから3Dアニメの「すごさ」を感じさせて頂いた 超能力の波動?とかオブジェクト?が浮く影の感じとか車の逃げるシーンとかが3Dアニメにピッタリで良かった
・ネタバレ極力回避して観たからみつる君の造形が色々生々しくてビビった 眼鏡とかもだけど尖った唇とか細い顎とか生っ白い肌の色とか的確にチー牛すぎ
あと生きにくさを推しに縋ってるとことか自分じゃん…とかスマホ爆破の「見せる幸せがない」とか他人事じゃなさすぎて痛ェ…ってなった
・幼稚園立て籠もりの中継画面の生々しさ
・みつる君、エスパーお姉さんと安易に恋愛フラグたたんでよかった 「やはり恋愛救済エンドか」ってならんでよかった エンディングの手巻き寿司でちょっと顔を赤らめる位がいいんじゃ
・「食うに困らない大人」のメッセージ性が読み取りきれず己の読解力の不足を感じる
・着地点とかはネットで言われてたみたいな「モニョり」は無くはなかったけどまあ子供向けやしこんなもんやろ むしろ子供向け映画で「景気が悪い」とか「少子高齢化」「上の世代は逃げ切ることしか考えてない」とかあたりに触れたのが「こんなしんしちゃん見たこと無い」ってなった
・子連れ多いわりに上映中に子供の笑い声とかあんまりしなくて「子供的にはつまらないか…?」と勝手にひやひやした でも見終わった小学生位の子供が「楽しかった〜」って言ってたからホッとした
・みつる君に感情移入する心とひろしは「今の尺度で見るとかなりの強者」だけどそもそもファーストコンタクトでみのる君に手を差し伸べられる「いい人」だなあという心と心がいっぱいあった
・東京郊外×うさんくさい団体×超能力でモブサイコ少し思い出した
オカ研のムーを読んで共に高校時代を過ごして50〜60位のあの関係のおじさん2人、萌えでしょ…
画面の端っこでちょいちょいお互い助けあってるの良
・オトナ帝国の逆襲の令和レスポンスやりたいんだろうなのわりに着地点が「がんばれ」「人を幸せに〜」なのはちょっとそこはレスポンスとしては弱くない?と思わなくは無いけどまあ結局は自分の人生自分で奮起してやってくしかねえもんな…となった
・ちょいちょいガンダムがよぎってた
ガンダム未履修だが間接接種の頻度が高くガンダムの偉大さを感じさせられる
・エンディング、良すぎる
あの絵柄のサンボマスター、良