はてなキーワード: いものとは
まだ宇野氏が「善良な市民」というHNを名乗り、ウェブサイトで萌えオタ批判に熱心だった頃、私は彼の言説と2ちゃんねらーの煽りとの区別がつかなかった。批評家っぽい言葉を使う2ちゃんねらーだな、と思っていた。その後、東浩紀批判を展開し、「東浩紀の劣化コピーがうんたらかんたら」と言っているときは単なる喧嘩屋だと思っていた。
今でも彼の言葉選びや論説には意地の悪さを感じるときがある。性格が悪いなあ、と思わず呆れる。
しかし、それでも彼とブログで息巻いているだけのほかの凡百の批評家気取りは違う。彼は「ゼロ年代は決断主義の時代だった」と主張し、その正当性は確かに認められ、コンテンツ批評の刷新に成功した。その際、展開したエロゲー批判、萌えオタ批判はいささか強引ではあったが、デスノートや仮面ライダーなどを俎上に上げ、「数字」という誰の目からも明らかな根拠でもって想像力の主流が変容したことを浸透させた。
また、批評の対象にジャニーズドラマやNHK連続小説を持ってきたことも見逃せない。これらの作品は大勢に受容されながらも、批評家たちのあいだでは「ないもの」とされてきた。コンテンツとしてまともに認識されてなかったのだ。宇野氏の活動が批評の対象を拡げたことは、確かな功績だ。
ほかの批評家気取りが有名な批評家の言葉を真似てしか語らないのと違い、彼は自分の言葉でほかの人間が語っていないことを文章にした。彼の作った言葉には「レイプファンタジー」「サークル貴族」などいまいちなコピーはあるが、「ゼロ年代」「サークルクラッシャー」は、これらの言葉が出てきたことでずいぶんと語りやすくなっただろう。そして、それら自分の言葉、自分の考えを雑誌にしたり、商業媒体に売り込んだりする努力を怠らなかった。
他人の容姿への侮辱はひんしゅくを買う醜悪な行為で、ひどいものは侮辱罪や名誉毀損罪、軽いものも条例などで規制すべき。モラルに任せていてはだめだ。数年前にデブ呼ばわりで禁錮喰らった市議が居たが、デブがだめでブスやブサがOKというのは矛盾。
幻覚だとは分かっていても、休んでいたのに疲れてしまうという逆効果が発生して日中のパフォーマンスに支障を来たしている。
夢の内容は、具体的には延々と侮辱されたりというもので肉体的であったり生命の危機に関するものは少ない。
トラウマというと大げさだが、過去に同じような経験をしたせいもあってあまり気分の良いものではなく、強制的に回想に耽ってしまって集中力が削がれる。
別の件で精神科に通院しているが、この事も話そうか迷っている。他人にとってはどうしようもない、或いはどうでもいい事で相談しても無意味なのかもしれないから。
やれSFだとかそれファンタジーだとかいけ魔法少女モノだとかまたゼロ年代だとかいう文脈で語られるまどか☆マギカ。
だけど私は思う、まどか☆マギカは徹底的なリアリズムだ、第三話以前と最終回を除いて。
もっとも、その除かれた物も、現実の只中にある視聴者が希求してやまないものだった。
一部の人間は日常の延長としての水着回を、あるいは美化された青春に永く留まっていたかった。
現実を突きつけられた視聴者は少女たちの救済を願って止まなかったし、事実それは達成された(視聴者の意図とはずれようとも)
少女たちは友人の死、避けられない宿命、隠されてきた歴史、対価と代償、資源枯渇の様々な現実を見せつけられ、翻弄された。
そしてそれは「よりよい終末」という政治的な解決(そしてそれは因果律を書き換えるほどの困難)によって救われる。
さて、なぜこれがリアリズムなのか。
数年前、蟹工船がブームになったのは、まだ記憶に新しいだろうか。
内容や当時の潮流などはさておいて、平成の世にまたブームが巻き起こるのは当然理由がある。
もちろんそれは今でも色褪せぬ現実がそこに描かれていたからにほかならない。まさに共感による再燃である。
つまり、文学的、思想的な背景は無視され、そこに描かれた現実のみが人を動かしたのである。
むろん、そこからの解釈は薄いと言わざるを得ない。表層的な一致が、ブームにつながったのだから。
しかしながら、それは今となっては関係がない。理解の程度はブームとは無縁なのは、バナナダイエットが示したとおりである。
さて、リバイバルヒットというのは、ときに悲しい事実さえも教えてくれる。現実は変わっていないということだ。
悪く言えば、成長していないということでもある。
いつか働かなくても生きていける社会が来ると、望んでは嘆き、を繰り返す。
そしてまた時が経って再評価されるのである。
いつか、まどか☆マギカが忘れられたときに再評価されるだろうか?
それはわからない。
報われない彼女らと、報われない私を重ねて。
2年半付き合ってる今の彼女。
付き合い始めこそラブラブだったけど、いまやお互い忙しく、セックスしたのも最初の半年だけ。
お互い親にも会ってるし、結婚も意識していないわけではないけど、結婚観の相違とか、実家の家庭の都合とか、
そういうのが諸々あって現実味を帯びてこない状況。
というか、結婚は無理な気がする。
そこをあえて結婚するなら、今の遠恋のような、二か月に一度会うような、会ってもセックスしないような、そんな関係になるんだろうと思う。
そこで、きちんと話し合いを持ちたいのだけど、うちの彼女は将来について話す、とか、目先のことじゃないことを今考える、とか、
難しい問題に頭を悩ませる、とか、忙しいときに他のことに労力を割く、とか、他人に自分の考えについて意見される、とか、そういうのが大っ嫌い。
ゼロではないんだろうけど、絶対に避けたいものと思っている感じ。
でも、俺ももう27歳になっている。
お互いにそれなりに好きだし、親に挨拶した手前別れにくいし、二年半の情もあるし、別れたいって気持ちはないのだけど、そろそろ前向きになって、
好きでも別れるなら別れる、続けるならもっと具体的な将来を共有できるようになりたいって思う。
とにかく話し合いを持ちたい。
どうすれば、ああいう人と話し合いがきちっとできるようになるのかなって悩んでる。
別件だけど。
四月から引っ越してきたこの地で、いい感じになってる女の子がいる。
俺に彼女がいることを知ってるし、いい加減な関係になっても誰も幸せにならないので、そういうのはしないつもり。
だけど、彼女と3週間音信不通になったり、ケンカしたり、そういうのをあの子は知ってるし、相談のようなものもしたし、関係が破綻しているのは知ってる。
あの子は、彼女とはっきりさせるまで待つ、って言ってくれている。
彼女がいなければ、この人と付き合いたいなって思う。
でも、彼女を捨てて乗り換えるような覚悟もないし、それを思い切らせるほど深い何かを共有しているわけでもない。
彼女の好きなところはひとつもあげれないけど、嫌いなとこはいくらでも挙げられる。
こっちでのいい感じの人は、どちらもあげられない。
ただ、すごくいい子だし、家庭的だし、やっぱり目新しいものに興味あるし、彼女よりこの子のほうがいろいろ優れてる感じ。
いろいろ悩ましい。
そりゃそうだけど、早起きすると空気が美味しいよ、みたいなことを言われても...。そんなの振りかぶって言わなくても皆判ってるしねぇ。
いや、まあ、何というかその、捻りもなければ伝わってくるものも全然なくて。
どこの駅前に行っても似たようなアーケードで似たような店が並んでただけで、
歴史と言っても、殆どの店は長くてもせいぜい50年くらいしか歴史がない。
それこそ昔は、駅前に個人商店が集まってるわけでもなく、住宅街の中に酒屋も八百屋も魚屋も点在してて、
仕事も自宅近辺でやってたわけで、みんな自分の住む町内で生産活動も消費活動も完結してた。
「駅前商店街」という業態は、鉄道が整備されて地方から都会へ通勤することが当たり前になった時代に、
鉄道の客を目当てに計画的に作られた商店街であって、元々そんなに古いものではない。
なんかそのエントリやブコメを具体例で見せてもらわないとコメントのしようがないよ基本的には。
その反応や口ぶりから言って、
君のエントリに下された人物鑑定は肯定的なものではなかったのだろうけど
そういうのって本人が「はずれ!」とか「当たってない!」って言っても始まらなくねえか?
人間誰しも自分の欠点を指摘されりゃ不愉快だし認めたがらないものだ。
その人物鑑定が本当にはずれてたのか、傷心の君が「はずれだ」と言い張ってるのか、
君の話を聞いてるだけではサッパリ判断不能だ。
他人にうすっぺらい心理分析をかますのを日課としながら
自分の心の中のなんらかの問題から逃げ続けるような人間も少なからずいるのは事実だが
増田にふつーに一本書いて、内容へのコメントより書いた人間の鑑定が始まっちゃうっつー場合
それはやっぱ文章がよほど変っつーか、異形の自意識が溢れ出したような文である場合が多いと思う。
俺は人物鑑定は普段やってないけど
この1行だけでも君が大変自意識過剰であること、負けず嫌いであること、ぐらいはわかってしまう。
こんなもん別に心理学でもなんでもなく、「すこし鼻毛が出てるよ」みたいな見たまんまの話だ。
君が前にやられた鑑定もそういうレベルのことであれば、そりゃ勘繰りというより見たまんまを書かれてるだけだぜ。
生い立ちまでわかるとか言い出したらレクター博士だけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20110609234509
前半は同意。そういうのは人それぞれだから。ぼくはたまたまキモイとは思わなかっただけ。相手にもよる。本質的なのは、釣り合いで評価したかどうかってこと。
いろいろな人がいろいろ言っているけど、結局僕のような人は死ぬまで周囲を気にし続けざるを得ない、と思っている。これでも中学生、高校生の頃よりは改善されているとは思うが、それでも僕の文章の端々に、いろいろな人が異常性を感じ取っているみたいだし、それはそうなんだと思う。人に言われると、それはそうなんだ・・・と思ってしまうこと自体の弱さってのも特徴かも。それでも有名なスヌーピーのセリフのように、与えられたカードで勝負するしかないわけで。キモオタとしてフィギュアだなんだに精一杯頑張ってる人っているけど、ああいう人は本当に自分の好きなことのために全力をかけている人なわけで、僕はうらやましい。周り気にしたら絶対あんな事出来ないし、よほど自分を強く持ってるんだろうなと思う。でも必ずしも全員がそれをできるわけじゃない。ただ、そのようなことの程度を小さくすることはできる。努力することはできるでしょう。
周囲の人の目を気にして、彼女との関係を釣り合いという観点でまず見てしまうのはおかしなことだと、僕はおもってるしわかってる。治さないとと思う。でもいざ実際にやってみるとうまくいかない。やっぱり釣り合いを気にしてしまう。あがり症の人と同じだ。出勤時に家の鍵が閉まっているかどうかを何十回も確認してしまう人と同じだ。精神科的には認知の問題とかいうらしい。これを、簡単に解決できるんだとしたら認知行動療法なんて存在しないわけでね。
海外については、単なる経験談だからあなたにとってどうなのかわからない。結局、勘違い組と同じことになるのか、と言われればそうなのかもしれない。でも、ちょっと違う気もする。
海外に出ると、周囲の視線そのものが消えてしまう。ていうか、ネイティブでもない限り外国語なんて究極的なところの機敏はわかんないので、外人の彼女を作らない限りは割と表層的な付き合いになって、そして読むべき空気も読めなくなる。日本では、読むべき空気を読んでいないこと自体が批判される対象になるが、外国では、それ自体は批判されない。そのかわり自己主張しないと無視されるけど。相手が、僕達釣り合ってると思ってるかどうか・・・なんてまったくわからんし、そのうちなんだろそれっていうくらいになる。そうこうするうちに、人生って割となにげなく無為に過ぎていくんだなって思えてくる。日本にいると、これをやるべきこと、あれをすべきでないこと、というのがどんどん情報として入ってきて、それを常に頭で整理して行動していて、オーバーヒート気味になると人に会いたくなくなるし、うまくいっているとうれしくもなった(まあ僕だけなんだろうけど!ブコメや増田のすごい人たちはそんなことないんだろうけど)。でも、これは外人として海外にいるからなのかもしれないが、「お前はこれをすべき、これをすべきでない」というのはなくなる。ただ自分がしたいことはするし、したくないことはやらない。したいことは、自分が主張して、これはやりたいんだ、というと、なんだかたいていやることはできる。相手がしてほしいことを僕がしないなら、別にいじめとかされないし刺すような目線もない、ただバイバイ。あるいはクビを切られる。あるいは単位を落とす。そうやっていると、自分が好きなことを好きなようにやっていないと、人生はただ単に何気なく過ぎて終わっていくことに気づく。死ぬまでの人生をなんとなく思い浮かべたりもする。
それで、彼女を深く愛していることに気づいた。ちょっとしたきっかけでバラの花束を買って帰ったりもする。日本ではそんなことしたことなかった。二人で喜び、楽しみ、悲しんでいるときに、周囲とか釣り合いだとかが意識に上ることはなくなっていた。彼女と一緒にしたいことを考えて、喜んだり喜ばせてもらったり、あとただ単に一緒にいたりする。それはなんでなんだろう。環境が変わったからなんだろう。
もうひとつは、僕はこういうことしてるんだー、こんな彼女いるんだー、とか周りの人に言いたい(もしくは隠したい)気持ちもなくなってきた。勘違い組の人たちって、ちょっとこの「周りに言いたい」「周りから隠したい」感があるように思うんだけどネ。それとは違うことになるような。自分は自分。自分の人生をいきている。所詮生まれて生きて死ぬだけだから。
・・・と、えらそうに言ってはいるものの、まだまだ昔よりずっとよくなったってだけで、どこかで日本人にあったらすぐにお互いの服装チェックとかしちゃってんだけどね。
もちろん日本にいるだけでこう言うことをちゃんとやれちゃう人、最初っからわかってる人はいっぱいいるはず。僕は日本より欧米が上だとかそんなことは全く思わないので(生活レベル日本のほうが上だし)。でも人はそれぞれ持っているカードが違うので(これほんといい言葉だ)、そのカードに合っているデッキもそれぞれ違うんだろう。
病院行けとか簡単に言ってる人いたけど、まずそれで治るのかを考えるべき。最初に書いた二つかそこらの病気以外で、精神科医が確実に何とかできる病気はそう多くない。失敗されると、よくいるメンヘラのように薬漬けになる。そうなる前に為すべきことは山ほどあるし、あと、そんなレベルの障害とかじゃないでしょうにこれ。みんな心に弱いものを抱えながら、他の人と比べたらちょっと異常性を持ちながら、人間は生きてんだよ。なんか問題あれば病院行けってんなら日本人全員精神科送りだよ。そんなことしたって何かが変わる人はほとんどいないし、そんなことしたら本当に精神科医療が必要な人に、医療が行き渡らないんだぜ。防げる自殺を防げなくなるんだぜ。パニック障害起きたときに誰がみるんだい。
喫煙歴が長い人、教えて下さい。
私の場合は大学時代の「吸えない奴はカッコ悪い」みたいな風潮にはほだされなかったので、そのまま非喫煙者として数年生きてるんですけど、中年の人と接していると本当に喫煙率が高い!会社の外の喫煙コーナーにまで集まってたりして逆に感心します。
私の感覚だと、タバコ吸い続けてる人って高校時代とかに悪ぶった仕草とかに憧れちゃってて煙草に変に高尚なイメージ持ってたり、反抗期から脱却できずにいる(「悪はいつでもカッコいいものだ、いくつになっても悪ぶっていたい」というような)成長できない人なんじゃないのかなぁって失礼ながら思ってますが、中年の方たちはそもそも「喫煙=カッコいい」ってまだ思ってたりするんですかね?
言語(含む英語)はコミュニケーションのためのもの、リア充でないならば、コミュニケーションは不要、なら言語(含む英語)はいらない、いらないものは身につかない。
仕事で必要なので勉強しています。TOEIC280点で海外の事務所に放り込まれました。コミュニケーションは全部英語です。でもリア充じゃないですし、勉強はしてますが英語でスラスラ喋れるかというと全くです。
自分がどのぐらいできないかきちんと説明した上でアドバイスを求めたの…?
大雑把に「どうすれば英語が上達しますかね」とか訊かれたら、大抵の人はごく単純に自分が一番効果を実感できた学習法を言うと思うよ。
詳しい情報がない段階で、相手を初心者と勝手にみなして助言してくる人はむしろやばいだろ。
何となく訊ねた相手が悪いようなタイトルだけど、訊ねる増田もひどいなと思った。
自分に基礎がないと分かっているなら他人に世話を焼かせず黙って基礎をやれよ。
基礎ばっかりやってますが、やっぱり基礎やらずに身に着く魔法のような勉強法があればいいなと思って訊ねてしまいました。そんなものはないのでしょうが…。訊ねた相手はかなりの英語上級者か同じ事務所の外人(ノンネイティブ)です。確かに訊ね方が悪かったですね。ちゃんと自分の英語レベルを伝えたうえで「超初級者が最初にやるトレーニングで効率の良いものはありますか?」といった訊ね方をすべきでした。
いや、「海外ドラマや映画の聞き取り」って中級者どころかかなりの上級者でないと普通無理だから。
多少読み書きが出来ても、ネイティブ英語に慣れてない人は海外の幼児番組だって聞き取れないのが普通だよ。
相手のレベルを知らないのに「相手は(英語ドラマ映画の聞き取りが出来るくらい)上級者である」と言う前提で会話を始めるのはおかしい。
そうなんですね。英語できない自分からするとスラスラ話せているだけで超上級者に見えてしまいますが、実際は聞き取れてなかったりするんでしょうか。
上のような意見をいただいて思い返したのですが、やはりボクが訊ねたほとんどの人は映画やドラマをおすすめしてきたように思います。「どんな勉強した?」「ドラマいっぱい見たよ」というのは聞き取れてるわけじゃないけどとりあえず見たということなのかな。
ちなみに現状ですが、文法や単語以外の音読なども含めると400時間ちょっと勉強しました。TOEICはとりあえず当初の倍くらいにはなりましたが、全然足りてませんね。ひたすら文法、単語、音読、瞬間英作文の日々です。何か他に良い勉強法があれば教えてください。ドラマを見る以外で。
「同じような人はたくさんいるから病院に行かなくても良い」だなんて、本当に同調圧力に毒されてるんだな。
とある病気に罹る人が増えてきたら、その病気は病院に行くに値しないものになるのか?別にならないだろ。
多数いる=普通、大したことない、おかしくないって考え方はやめなよ。
どんだけ多数いたって異常は異常だろ。
煙草って嗜好品なわけでしょ。 吸うと気持ちよくなったり気持ちが落ち着いたりする。
そうでなくても、とにかく吸わないと落ち着かなくてイライラする。そういうものなんだろ。
すると気持ちいいし、しないとイライラ。 しかし人のいるところでやると迷惑かかる。と共通点が多い。
・常にしないと気がすまないため、路上でも人前でも憚らずにオナニーをするものがでてくる
特急などの長時間乗車を要するものは、オナニストに配慮しオナニー席が作られる
・ファミレスに入ると、ウェイトレスに「オナニー席とオナ禁席がございますが?」と聞かれる
・日中、オナニーが我慢できないもののために駅にはオナニーエリアが作られる
・オナニーが周囲の人間に与える影響を考慮し、職場や公共施設内では原則オナニー禁止
配慮されオナニー室が作られる。我慢できなくなったオナニストはここで一抜きする
・歩きオナニーが問題に。ザーメンの飛ぶ高さはちょうど子供の目の高さ
・オナニー後のティッシュをポイ捨てする者が続出。街には吸殻と同じだけのザーメンティッシュが転がる
ポイ捨て防止のために携帯用オナホールと携帯用ザーメンティッシュ入れを推奨
・オナニー喫茶ではオナニー愛好家らが各自オナニーしながら会話を楽しむ
・オナニー中毒患者のためにオナニー中毒離脱診療が健康保険適応に
・「だが私にオナ禁しろと言うのは、死ねと言う事」オナ禁の病室で愛姫県知事がオナニー
・杉村大蔵議員が「臭い、汚い、気持ち悪い」の「オナニー3K」発言
これに対してヘビーオナニストの小谷廼敦氏(43)が「差別だ、精神的に傷つけられた」と損害賠償請求
・「俺、もう2年も抜いてないぜ」
よくわからないものを安易に使っているからこんなおかしな国になるんだよー。
せめて、何が危険かくらいはきちんと見えるようにしておいた方がいい。
でも、それをやられると困る人達がいるから逆撫でしないように気をつけないと潰される悲しさ。
例えば、ヤリチンは女性を食い物にしているけど、そうしないと生きていけないんだから仕方ない。
だから、この場合はヤリチンも寂しい女性も両方が問題を解決する案を出さないといけない。
でも、このご時勢に女性ひとりを愛し続けるなんて、長い時間をかけて作り上げた心構えがないと無理。
きちんとしたご両親に育てられた方なら自然に出来るかもしれないけれど。
メルトスルーについて政府が認めたことについて、現状や今後を含めて状況を全く報道しない糞メディアにはがっかりした。
爆破弁♪の頃はものすごい騒いでいたのに、最近は福島第一原発の所長さんを英雄視する茶番劇が堂々と放送されている。
例えば "汚染された地域に早く戻れるように・・・・・・" と自治体の長がテレビで主張したりするんだが、
気持ちはわかるけど、移住レベルに汚染されているところもあって、今の世代は諦めなければならないはずなのに、
政府もごにょごにょだし、糞メディアは悲劇をネタに不可能なことを応援したりする。
メルトスルーの件だって朝から晩まで特番組んで流すネタなんだが、そんなことをする局は無く、話題にさえも触れない始末。
誰も体験したことのない未知のレベルに入っているのはわかるが、わからないから報道しないのはいつもの糞メディアらしくない。
学者先生も姿をくらましたし、まぁヤバすぎて話せないのかもしれないが、無責任だわなぁ。