はてなキーワード: いまちとは
だいたいまちの駅じゃないのか
9/1
最初にすいませんが、年はフェイクを入れました。もう少しだけ若いです...
悪いことをしてるとは思ってましたが、厳しいコメントを見て改めて感じました
ひとつずつ読んでいってます。時間はかかるかもしれませんが全部読みます
本当にありがとうございます
また報告します
9/6
今日、本人にはっきり伝えました
・お互いのためにならないので、こういうのは二度とやめてほしい
・付き合っている人がいる(嘘ついてごめんなさい)
どうなるかはわかりませんが、コメントをすべて読ませていただき、自分で決めました
ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。
期待しないでほしいのだが、私は若くはない。昭和でも平成でも行き遅れに近い年齢だ。異性に声をかけられることも少ない。
いまちょっと、本気になっていいのかわからない人がいるので、主に男性の意見が聞きたい。
その人は優秀な方だと思う。おんなじ職場じゃないから確信はないけど。
堂々としてるし、頭の回転も速いと思うし、接客もうまい。私は事務方の職なんだけど、かつて弱輩だった私がクレーマーの対応に苦慮した時もその人が助けてくれた。
体格はけっこう大きい。30代半ばで、声はYouTuberの稲葉百万鉄さんに似ている。本当にそっくりだ。落ち着いていて、トーンが効いていて聞き取りやすい。それでいてさわやかだ。愛嬌がすごい。
明確に好き、というわけじゃないと思う。こちらを見ているかもしれないと思うと緊張したり、目をあわせられなかったりするけど、その一方で、この人はなにか変だ、信用できないとも感じる。
他の人に声をかければいいのに、という場面でも私に仕事の依頼をするし、重たい物を持ちあげる時に、向こうからわざとらしく手を触れてきたり。
ラインのIDも聞かれた(代わりに電話番号を教えた)。昨年末の最後の勤務日は、二人しか居ない時にもっとはっきりわかるようなアプローチもあった。
じゃあなんでここで書いてるのというと、その先輩が既婚だからだ。薬指に指輪をつけている。
私に対しては、廊下で合ったら話すし、頭をなでられたこともあるし、ご飯にも誘われる。でも、体目当てかもしれないって思うと気が重くなる。
既婚なのにそんなことをして、という感はもちろんある。からかっているとしたら相当タチが悪い。でも、悪い人に見えない。ちょっとこわい時もあるけど、仕事で必要だから仮面を被ってるのだと信じたい。
先日、機会が訪れた。先輩から食事に誘われて行った時、私に対して本気みたいなことを伝えてきた。すべてを信用したわけじゃないけど。
もっとたくさん話をしたら、本当のところがわかるのかもしれない。でも、ひと月に数回しか話をする機会がない。遠くの部署だし、私がそこに異動する可能性もゼロ。
ずっと頭の中がぐるぐるしている。いわゆる喪だから相談できる人も少ない。同じ会社の人には絶対できないし。どうしたらいいんだろう。
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
さかえちょう
栄町 (桐生市) – 群馬県桐生市の旧地名。現在の浜松町 (桐生市)の一部。
栄町 (千葉市) – 千葉県千葉市中央区の地名。またこの地域に存在する風俗街のことを指す。→栄町駅 (千葉県)
栄町 (東京都北区) – 東京都北区の地名。付近には都電荒川線の駅栄町停留場 (東京都)もある。
栄町 (横浜市) – 神奈川県横浜市神奈川区の地名。ポートサイド地区の一部。
さかえまち
栄町 (福島市) – 福島県福島市の地名。市の中心街にあたる。
栄町 (会津若松市) – 福島県会津若松市の地名。会津若松市市街地の一部地域。
……。
……。
…………。
いかん、わけもわからない最初の3分試し撮りでフィルム代500円相応が吹っ飛んだ
低解像度とかインスタントアナログとかチェキはそういうもんだとかの前のレベルではないか
脇締めろ息止めろ揺らさず押せとかそういうやつか
強制フラッシュカメラで部屋のアナログ時計なんて撮るのが悪い?そうねいやこの部屋撮るものなくて
あ、自撮りはした夜も髭剃って痩せたい
…アイドルがチェキ売るのとそれを買って収集品としたくなるのは、サイズと質感的になんとなくわかる気が、ちょっとする
これネットで放流交換とかできないかな角メンコみたいな、画像プリント対応のチェキプリンタ買え?いやあれ正直いまちょっと欲しい
残り4枚…
昔、一時期ネトウヨになりかけてたんだけど、自分が何もできない、何者でもなくてもとりあえず「日本はすごい」って思う(思い込む?信じる?)だけでなんか自分もすごい、とまではいかんけど、幸せというか日本に住めてるだけで自分はお得だしラッキーと思えた。
あとウヨってる状態のときは国(政府・自民党)が国民に対してひどいことするはずない!日本はすごいからいまちょっと理解ないやつから文句とか言われてるけどきっと数十年後に実は正しかった!と、評価されるはずなのだ!みたいに思えてたし、そういう感じの話する黒瀬深みたいなやつの言うことを信じてたし得意げに内面化してたわ。
なんていうか、言われたことそのまま信じて、何もしなくても良かったんだよね。
弱者(障害者、貧困家庭、その他諸々)とかも理解してやってる風にしてあとは当事者の努力不足みたいなことにしてれば良くて。
ほんと、楽だった。
楽だったからこういう不平等があるとかなんか面倒なこと言うやつらがいると楽にさせてくれないから邪魔で邪魔で今思うと明らかに無理筋な論理にも飛びついてたわ。
だから今、表現の自由戦士(笑)が明らかに無理筋な論理を高らかに話しておっぱい揺らしたがる感じなのとか、自己主張する女とか障害者とか叩いてるのとかも過去の自分を思い出してすごい恥ずかしくなる。