はてなキーワード: いのちの電話とは
1年くらい付き合いのある友人らとイベントに行ってきた。イベント経験者の人が企画や準備してくれたり、物品を貸してくれた。現地で準備や設営などもろもろしてイベント終了。
友人『物品を貸さない方がよかった?』
私『いやそんなことは…。』
友人『ありがとうが1度もなかった』
私『言ったつもりだった。』
友人『あなたに伝わらないしもう耐えれないので一旦距離を置こう。』
思い返すと、物品貸出以外の部分で、他の友人らは、『○○さん、ありがとう』のやりとりをよくしていた。私はその日はなぜかできてなかった。
他のコミュニティで、似たトラブルが過去にも起きたことがある。
私は、持病として、うつ病とADHDの傾向があり精神障害者手帳も持っている。あえて表では言わない。友人関係で表に出してもそれは言い訳にはならないと思っている。どうしようもない不安や眠気?が半端ない。小学校〜高校までいじめにあったり、大学の友人もほぼ音信不通。
新卒は、プログラム関係では行ったが8時〜1時のいわゆるブラック企業。有給休暇を帰省で書いたが帰省できず別の使い方をして解雇。次の会社で、うつ病診断。そして転職。今の職場でも、プログラム関係をしてたが、リモートになってコミュニケーションエラーでていのいいパワハラ左遷で雑務をしている。会社にパワハラ相談しても非該当。
部屋は片付けようとしてもすぐにちらかり汚部屋。
遠方の家族はうつ病は知ってるが無関心というか他のことでていっぱい。
弟は、県外へ。
心療内科の先生は、薬は出してくれるが、めげずにがんばろとしか言わない。
いや、そんなのはだめだの繰り返し。
有名人や日本一周するパワーのある人でも天国へ行ってしまうので仕方ないのではないだろうか。
いのちの電話番号が画面にでるが、聞いてもらってどうこうではないと考えてしまう。
周りは結婚していくが良い出会いもないし、病気や家族のことを含めると不良物件なので望みは薄い。
幸いなのは、障害者雇用ではないのでそれなりの給与がまだ貰えていること。減給もされてはいない。お金で孤独を紛らすことはできるが虚しさを感じる。
後から考えると自業自得なんだがその時にすぐに良い対応ができない。
『私の人生、人間関係ハードモードすぎる。もっと器用に生きたい。』
と思うがもっとつらい人もいるんだよな。。
文章が読みにくかったらごめんなさい。
30代女です。
PMS(生理の前になる体と心の不調)が年々ひどくなってきて、急に思い立ったように死んだりしないか怖いです。
主に、ほとんど、心の不調の方です。
一応婦人科に通っていて、漢方をもらって飲んでる。今年飲み始めた新しい漢方がすごく良く効いて、数ヶ月は人生ってこんなに幸せなものなんだ!この漢方に出会うのが遅れてもったいないことしたな!とか思いながら毎日ハッピーな日々を送ってた。
それが先月末くらいから効果が薄れてるのを感じて、昨日くらいからどん底状態。
今飲んでる漢方があれば、もうあんな思いをしなくていいんだって思ってたから余計にしんどい。
ピルは体質的に飲めないから合う漢方を数年前から探し続けて、漢方なんか効かないと思って諦めて通わなくなって、でも女性ホルモン値が低かったから今年から妊娠したいと思って婦人科に通い始めて、そしたらひどかったPMSが治って、本当に本当に嬉しかったのに。
これで妊娠もできなかったら、私はなんのためにこんなに人生苦しまないといけないの?
なんで1ヶ月の半分の夜を、なんの理由もなく泣いて過ごさないといけないんだ?
飲めば飲むほど効くなら一気飲みしたいくらいなんだけど先生によると量はあまり意味がないらしい。
じゃあどうすればいいの?また合う漢方や薬を見つけるためにずっと通わないといけないの?いつまで?いくらかかる?
というか、今胸の奥がズーンとしてるし涙でてくるし本当に辛いけど、PMSだから、別に特別悩みがあるわけでもないし聞いてほしい話もないんだよな
明確に悩みがあれば相談したりネット上にぶちまけたり日記に書いたりして発散できるし、最悪いのちの電話でもかけようとかなるんだけど、何もないこの状態の時はどうすればいいんだろ
みんなどうしてるんだろう。頼れる相手はいるはずなんだけど、彼氏や旦那と仲悪くなったりしない?なんの理由もなく悲しくなって寂しくなってそれで相手が疲れてるのに甘えちゃって怒らせてしまって反省して罪悪感もって更に地獄の状態になって、みたいな。
更なる地獄になるって何回学んでも脳みそが暴走して止められない、みたいな。
誰かに迷惑かけるのも嫌だし、でも治療をまた最初から始めるのも辛いし、いっそのこと…
とか思うけど生きてる両親のことを考えると、その言葉を出すことすらできないんだけど。
not for me って、元々苦手なものを強い言葉で否定しがちだったネット界隈で
「単に私の/貴方の好みに合わなかっただけ」というニュアンスを正しい強さで伝えられるフレーズとして
広まったように思うのだけど
最近は本当に単に合わなかっただけの人ではなく、苦手なものを否定する気満々の人たちが
安全に相手をこき下ろすための言葉としてnot for meの威を借りまくっている気がする
・ クソゲーオブザイヤーのような明らかに茶化す書き方で罵り倒してからの"not for me"
・ 作者に直接投げつける"not for me"(「単に合わなかっただけ」でも作者が傷つく、あるいは微妙な気持ちになることを分かってやっている)
・ いかに自分に合わなかったかをとうとうと語ってから決め台詞のように繰り出される"not for me"
・ for meだった人のことを全然考えていない"not for me"(例:あの映画not for meだった。好きという人の感性が信じられない)
・ 好き勝手に叩いた後に「あくまで個人の感想です~」と免罪符のように付け足される"not for me"
要は
>「単に私の/貴方の好みに合わなかっただけ」というニュアンスを正しい強さで伝えられるフレーズ
だったものを、
「やーいやーいおめーが苦労して作り上げた作品はnot for meでした!!!!」と正しくない強さでなじるために使う人や、
自殺報道記事の末尾に白々しく付け足されるいのちの電話のようにある種のポーズのためだけに多用する人や、
叩き批判をかわすための便利な予防線ワードとして濫用する人が増えているように感じる
自分は結構映画を見る方で、視聴履歴がわりにちょいちょい感想をツイートしているのだけど、
上記のような使い方が増えると「自分には合わなかったけどクオリティの高い作品」について触れる時に不便で困る。
どうにかならんかなー、やめてくれないかなー、というボヤき
上海の澎湃新聞の記者でもある曾穎さんが19日に昏睡状態で病院に入院していることがわかりました。
曾穎さんは安倍元首相が銃撃によって死亡したニュースを生放送で涙ながらに安倍氏が生前日中友情への貢献を寄与したことを称賛しつつ伝えた際に、中国のネット民の怒りを買いが大炎上し、謝罪に追い込まれていました。彼女のWeiboアカウントには「それでも中国人か」「中国人だったら安倍元首相の死を悲しんではいけない」「売国奴」等のコメントが最大で1日に数十万単位に集まっていたとのことです。
曾穎さんはWeiboアカウントに遺書のような文書を投稿したのを最後に連絡が取れなくなっていました。
▼ 曾穎さんは日本でコロナが猛威を振るう2020年に渋谷駅でマスクを配る活動もしていました。
マスク配り 恩返し 中国湖北省武漢の人たちへ=曾穎(そうえい)さん(30)
https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/2570
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1545386532592402433/pu/vid/1192x720/hsTbqgJ9lzkCwaQa.mp4
■相談窓口
https://www.inochinodenwa.org/
・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html
「イクイクンアーッ!」「ギャハハ!」
→延命
このスキームと何が違うの?
まぁ、依存する先が違うだけに思えるけどさ。そういう、いわゆる「いきがい」みたいな動画群に、オンナをひとつまみ・・・w って感じでしょ?
5万円スパチャするならその5万円握りしめてカウンセリングに行った方がいいと思うんですけど……。
心身健康で、生活に支障が出ない範囲でスパチャして応援してます! 楽しんでます! って層は好きにすればいいけど、まだまだ若くて、それどころか拠り所を探しているような心神耗弱者相手に性を餌にして数万円単位で絞りに行ってそれを良しとする会社さんサイドはそろそろ「いのちの電話」とか「のめり込みに注意しましょう」みたいなアリバイをどこかに差し込むフェーズに入ってると思うよ。
「いのちの電話をやっている人がいい他人」←これがそもそも存在しない。
お前は対人ゲームの対戦相手を「こんなクソゲーにログインして人の相手をしてくれるなんていい人たちだなあ」って感心するのか?
1時間あたりの労働に対する対価が決まっているということは、その対価に見合った1時間あたりの労働が決まっているとういことです。いのちの電話はそこに届きません。それに給料を払うということは、最低賃金を下回るということ。最低賃金未満のお金を政府が払い出したら、民間はそれ見たことかと追従するでしょう。バイト代が最低賃金未満でも「いのちの電話と同じですよ?」と言い訳をする雇い主だらけの世界になります。
上記の状況への反論として「最低賃金レベルの労働が出来る人だけを雇えば良い」という考え方があるかも知れません。ですがいのちの電話を通してそのレベルの価値を生み出せる人は他の場所ではもっと価値のあることが出来ます。結果的に、優秀な人材にそれを活かせない労働をさせてはした金を払うという構図になります。これを聞きつけた世の雇い主は「いやー君は優秀かもしれないけど、この労働はその程度の価値しかないからねー」と専門家を安く扱うようになるでしょう。そして優秀な人材が海外に流れ出て日本は滅びます。
逆にボランティアをする人間からしても給料が出るというのはしんどいものです。お金を貰えばそれに見合った仕事をする必要がある。逆に言えばお金さえ貰わなければ好きなように仕事ができる。いのちの電話というのは結局のところは「誰かに説教をされたい人」と「誰かに説教をしたい人」、もしくは「誰かにとにかく何かをぶちまけたい人」と「話をうんうん頷いて聞くだけで何かをやった気になりたい人」をマッチングするサービスなんです。これの間にルックス要件を挟むとキャバクラやホストになるわけですが、いのちの電話はそれを求めない代わりに無料でお互いをマッチングさせています。いのちの電話を使ったことがない人は難しく考えすぎです。私はいのちの電話を使ったことがありますが、あんなのは鼻を噛むためのティッシュと同じです。私の知り合いに中の人間がいますが、その人は定年後に暇すぎて気が狂いそうだからいのちの電話で人の話を聞いていい暇つぶしになると言っています。結局ですね、本当に自殺を考えたこともない人、赤の他人からの自殺の相談を受けたこともない人が外野からワーワー言ってるだけなんですよ。いのちの電話は無給でオッケーです。設備投資ぐらいなら適当な人が寄付しときゃ良いです
どのようにできないかは本筋じゃないので書かないが、独り身のおっさんにとって安心した気持ちで吐き出せる場所がないのは確か。
家族 →これまでの人生で散々心配かけてきたからこれ以上心配を増やしたくない
職場 →迷惑かけてる人に吐き出しても「じゃあやれよ」って感じになる。迷惑かけてない人に吐き出しても困惑するだろう
友人 →みんな家庭を持ったりして悩み持ってるし独り身のおっさんに吐き出されても困るだろう
増田 →すぐ「発達障害」「アスペ」「ガイジ」などの強い言葉が飛んでくる
はてブ→「これだけの文章が書けるんだからきっとそんなことはないだろう」のような的外れな励ましが来てイライラする
その私が「なぜ芸能人の自殺を報道してはいけないか」を語ってみる。
自殺を考えたこともない友人は「芸能人のように輝いている人が自殺するなんて、輝いてない自分はもっとだめじゃん…って思うから後追い自殺するんじゃない?」と言っていて、私は違うなと思った。
自殺を考えておきながら、自殺できない時間があるのは、死ぬのが怖いからだ。単純に。
じゃあなんで自殺するんだ?怖いのに?と思うかもしれないが、私の場合「あ、今ならできるな」という瞬間というか、タイミングがあって、勢いでやってしまったのだ。
芸能人の自殺ニュースを見て「あ、今ならできるな!」とか「一緒にいこうかな!」と自殺を考えてる人の背中を押してしまうのだと、私は思っている。
「芸能人もやってるんだし、私も!」と自殺する勇気が出てしまうのだ。
昨今のバラエティー番組で「※絶対に真似しないでください」というテロップが出たりするが、それっていうのはやっぱり真似する視聴者が居るということだろう。
特に常に自殺を考えてる人に「いのちの電話」とか見てるのだろうか?死ぬことしか考えてないのに。
私自身は今は立ち直り、自殺から遠い場所に居れるが、もしも、毎日死ぬことだけを考えてたあの時に、芸能人の自殺ニュース見ていたらと自殺する勇気がもらえたと思う。
報道の自由があり、芸能人死去の理由を知りたい人たちがたくさん居る。
私も「なぜ死んだのか?」と死の理由を知りたい。だからニュースも見てしまう。
報道するのも仕方ないと思うが、同時に「※絶対に真似しないでください」というテロップのように、もっと訴えかける投げかけが要るのではないだろうか、とは思う。
男性の性を社会でどう受け止めるかということに社会全体で取り組まないといけないよね
主に男性の性を汚らわしいものとして臭いものに蓋のように扱っているけれど
以前、知人が「いのちの電話」の相談員をやっていて、内部事情を多少聞く機会があった。「いのちの電話」の相談員が無償どころか持ち出しのボランティアで、それが可能な主婦とか年金生活者とかが多数を占めるというのはその通り。それゆえに相談員側に世間知らず的な傾向があり、来談者との感覚のずれが生じやすいというのもそうだろうと思う。その知人も私から見てそういうところはあり、真面目で善意の人ではあるのだが、そのずれによって無自覚に相手を刺激していた可能性はある。
しかし補足しておくと、「いのちの電話」の研修は臨床心理学のプロが基本的なカウンセリング技術をかなりみっちり教えていていて、真面目にそれを守っている限りさほど無茶な対応をする相談員にはならないように思えた。「一方的に説教」というようなのは当然やってはいけないこととして教えられている。知人は慣れないうちはとにかく相槌だけ打って聴き続けろと教えられたそうだ。「○○なんです」と言われれば、「○○なんですね」と返すようなのが基本。自分の意見を押しつけるような応答は禁じられている。とはいえ、相談員も慣れてくると自我が出てきたり、後に書くような来談者側の問題もあって、相手に圧力を感じさせるような応答をする場合もあるだろう。
医師やカウンセラーでもそうだが、こういう人間がやることにはどうしても当たり外れや相性の問題がある。「いのちの電話」のボランティアが無償であるべきかにはいろいろ意見があるだろうが、有償にすることで相談員の質及び来談者の満足度が飛躍的に上がるかは個人的には疑問である。有償で高度な資格を持つはずの医師や臨床心理士にも「ひどい対応をされた」という不満の声はよく聞くからだ。
で、ここからが本題なのだが、「いのちの電話」と聞いて相談員は自殺相談の深刻な電話ばかり受けていると思うのはどうも違うらしいよ、ということ。「いのちの電話」の回線がいつもつながらないというのも、自殺相談で埋まっているわけでは全くないらしい。
では何が多いかというと、知人が言っていたのは、女性の声と聞くと「テレフォンセックス」を始めたがる常連。最初は一応「死にたいんです」などと言ったりするらしいが、間もなく「ところでどんな下着を着ていらっしゃいますか」「パンツは何色でしょうか」などと言いだす。この手の電話は非常に多いそうで、相談員側にもマニュアル的なものがあってなるべく早く切り上げるよう誘導するのだが、相談員の側からガチャ切りするわけにもいかないのでしばらくは付き合わざるを得ないようだ。
女性とみると性的な話を始める常連来談者というのは「いのちの電話」に限らずよくいるらしい。別の電話相談を受けていた別の知人も「あー、いるいる」と言っていた。企業のコールセンターで働いていたりしても経験するのだろう。ちなみにそういう常連は男性の声と判断すると一瞬で切ることが多いが、そもそも電話相談員やコールセンター係に女性が多いので、何度かかけ直せばすぐ女性が出てしまう。
知人が頻繁に相談員をしていた頃はダイヤルQ2というものが流行っていたのだが、その頃の常連の一人はダイヤルQ2でいつも生活費を使い果たしてしまうので、家族から「いのちの電話ならタダだからそっちにかけろ」(!)と言い含められていたそうだ。「いのちの電話」は確かに無料で、通常の電話料金すらいらない。
こういう事例は生活困窮者を「いのちの電話」が間接的に救っていると言えなくもないのだが、外部の人がイメージする「自殺防止のボランティア」とは少し違うのではないだろうか。相談員には守秘義務があるので具体的な相談内容はほとんど聞いたことがないが、典型的ないかにも自殺相談というようなものは頻度としてはかなり低いとのことだった。しかし、一見ただの愚痴であったり、さらにはセクハラであったりするような内容の電話でも、「いのちの電話」に吐き出すことでバランスを保っている人が一定数いるのであれば、それは「いのちの電話」の目的に適っているようにも思う。
「いのちの電話」の相談員はさぞメンタルをやられるだろうと言う時、今にも死にそうな人からの自殺相談を想像している人が多いだろう。しかし実際の現場はそのイメージとはかなり違って、メンタルをやられるとすれば常連のしつこいセクハラやひたすら堂々巡りする愚痴に付き合い続ける消耗が大きいかもしれない、というのが知人から断片的に事情を聞いての感想だった。