はてなキーワード: いじられキャラとは
(パートナーの事を愛玩動物のように扱い怒らない事を勧めている参考記事:https://anond.hatelabo.jp/20240213115338)
夫のキャラクターが所謂「男版ぶりっ子」「いじられキャラ」なので、
「明日残業かも!職場で今日、明日の見学案内の仕事急に振られちゃってさ~、
みんな俺に『~ちゃんなら出来るでしょ』って振ってくるし、
今日も~~発表会の準備で忙しかったのに、ずっと周りが雑談を俺にばっか振ってきてさ~」
みたいなエピソードばかり報告してくる。
報告してくれる事は信頼されてる証で嬉しいんだけど、私は精神性が幼稚なので、
「え~、夫君の職場聞いてて思ったけど、前々から分かってる急ぎでない仕事を前日いきなり振ってくるって上司の仕事のやり方がまずいよね~。
夫君の職場が公務員だからかな?私の職場は直前の仕事は『部下がやるわけにはいかないしな~』って上司がやってくれたり、
そもそも急ぎでない日程が分かっている仕事は即座に上司が仕事を割り当てて、直前に仕事が行かないようにするよ~。
そんな仕事の振り方されてその年収だと辛いね。私の職場って恵まれてるんだ~って思っちゃった!」とかマウントしてしまう。
すると夫も一生懸命「いや、もしかしたら見学案内の仕事、前回俺だったから直前でも振れると思ったのかも、
上司の仕事の振り方は民間よりちゃんとしてるよ!」とか反論してくる。
そこで私も(夫が話して楽しくなる聞き方してあげないとなのに。夫の事は可愛い動物位に思わないと)と反省し、
「夫君が良い職場って思える職場なのは素敵だね~」と返して事なきを得るんだが、
また同じ場面が来ると、我慢できず、上記のマウントを繰り返してしまう。
友人や自分の職場の人にはこうしたマウントは取らないので、自分の人を選ぶ性格の悪さが出ている。
普段は喧嘩もしないし仲良しなので、マウント癖を改善出来れば、より強固な信頼関係を築けるんだろうな。
(パートナーの事を愛玩動物のように扱い怒らない事を勧めている参考記事:https://anond.hatelabo.jp/20240213115338)
趣味の繋がりで知り合った、35〜45歳前後の女性の仲良しグループの中に、そのおじさんは違和感なく入っている。
ノンケで恋愛対象は女性らしいが、行動も性格もどこか女子っぽくて、一緒に美味しいご飯を食べに行ったりカフェでスイーツを食べたりして、おじさんが一人混じっていても私達の集まりは女子会としか思えない。何と言うか、コミュニケーションのスタイルが女性っぽいのだ。おじさんとのおしゃべりはとっても楽しい。おじさんは天然ボケのいじられキャラである。
私達の間に恋愛感情は一切なく、誰一人おじさんのことを異性として意識していない。
おじさんはセンスが悪いので、一緒に買い物に行って、みんなで服を選んであげている。それをおじさんは私達に感謝してくれる。
みんなで旅行に行くこともある。イケメンでもないし金持ちでもない普通のおじさん一人+女性数人で旅行していると、周囲の人から非常に奇異な目で見られる。私達はすごく仲が良いけれどお互いに敬語で話す関係性だから、尚更不思議に思えるのだろう。
独身で、長年彼女もおらず、仕事も正社員ではなくて、決してお金に余裕があるわけではないおじさん。
おじさんに男友達がいるのかどうかは謎である。女友達の方が気が合うのではないかと思う。
同じような例を知ってたら教えてほしい。
最近、檜山さんの結婚報告が注目され、その件を通じて「弱者男性」というワードがとりわけSNSを賑わしている。
自身、24年間生きてきて、悲しいことに何となく自分の人生の終着点というか、限界がおぼろげながら見えてきて、私は弱者男性なのだ、と最近気づいてしまいました、、、
まぁ、、長い人生前向きに考えてセルフ弱者男性認定記念に「弱者男性」に対して私が思うことをつらつら書いていこうかなと思います。SNSでもよく挙げられる話題だしいいかなって。
24歳地方国立大学の大学院生。いわゆる限界大学院生というやつでして、日々精神すり減らしながら研究行っている感じです。就活は売り手市場と呼ばれる今年の中、7月に入ってもまだ内定先が決まっておらず、バイトでは高校生の同期に任されている仕事量で負けているという具合ですかね。
その中でも決定的だったのはお付き合いしている彼女の精神的なケアが全くできないこと。正直、仕事の愚痴や相談をされても自分のことでもう手一杯なのにそういう事言ってくるなよ。こっちも疲れてるんだからさぁ。みたいに思ってしまってすでに何回も喧嘩していく中でどうしようもなく自分は弱者男性なのだと思いましたね。
私が考える「強者男性」の最大値は華々しい学校を卒業し、名が通った会社に勤め、会社の激務をこなしながらもちろんいる彼女や妻の精神的支柱になりながらバリバリ家事育児もこなす。そんな感じですかね。これに比べたら自分は弱者男性といわざる得ないですよね。
ここまで読んでくださった皆様の中には ふざけるな!弱者男性をなめるな! と思われている方もいるかと思います。
なぜなら私は周りからの評価はクソ悪いものの、そこそこの大学の院生であり、彼女持ちだからです。これは私も肩書としてはそこまで悪くないし、弱者男性と言い張るには無理があるなと正直思います。下を見ればもっと“終わり”に近い男性もいるわけで、私が弱者男性の代表みたいな顔でネットにこんな書き込みをしてたら批判を受けるよねって思いますね。
この理論が私が自身を弱者男性だなと思う所以であり、私がこの文章の中で一番主張したいことなのです。
恋愛市場にいる女性から見た男性の評価というのは「強者男性」「弱者男性」、そして圧倒的多数の「視界にも入らない男性」という構造ではないかと思います。言い方が悪くなってしまいましたが「視界にも入らない男性」というのはいわゆる最初から恋愛対象として認識できない男性のことを指します。私達男性陣がある女性に選ばれるためにはまず”恋愛対象として受け入れられるスペック”を身につけてやっと強者・弱者という勝負の舞台に登れるわけで、この勝負の舞台に登れなかった人は「何物でもない存在」になってしまうわけです。
つまり、先程記載した “終わり”に近い男性 という「弱者男性」はあくまで男性の価値観であり、女性からしたら強者・弱者という認識ではなく「何物でもない存在」でしかないのです。
彼女がいる私は勝負の舞台に立ててはいるのですが、やはり自己紹介で記載した自分の現状を見るにどうしようもなく弱者男性であると思うのです。
一応若者である私から見た女性が男性を評価するポイントをまとめてみました。
①肩書
③オス力
順に解説すると、①は学歴・勤め先・年収・容姿などといったものになります。やはり女性は男性を自身と比べてどうか、を意識しますので①を重視する方は非常に多いと感じます。
②のコミュニケーション能力は言わずもがな、立ち位置というのはミクロな社会において男性がどんな扱いをされているのかの評価になります。例えば、企業において上司にゴマすりばかりする男性はたいていの場合多数に嫌われているので恋愛対象にならない、学校でいじられキャラの男性が恋愛対象になりにくい、などが挙げられるでしょう。つまり、立ち位置とは男性と女性自身のコミュニケーションではなく、男性と他者とのコミュニケーションがどのように行われているのか、それを端的に表す指標となり、立ち位置が良くない男性と恋仲になると自分の立ち位置も悪くなり、他者とのコミュニケーションに支障が出ちゃうかも、、という感じで女性は考えると思いますので重要な項目になります。
③のオス力はどれだけ性的に魅力であるかということです。頼りがいがある、身体機能が高い、女性をエスコートできる、エッチがうまい、発言力や社会的影響が高い(これは男女に限らず存在する)、などなど主に女性にはない側面で他の男性と比較して優れているかを評価していると思います。やはり人間も動物なわけで、性的に魅力、強い個体とつがいであることは女性にとって非常に大切なことであり、自己の肯定に大きくつながるので重要であると思います。個人的に、イケイケ系YouTuberやプロ級ナンパ師、Tinderヤリ目つよつよ勢などは圧倒的に③が優れているため女性から選ばれていると思います。(③が優れている男性は自然と自信を身につけていくので②もつよつよになっていきます。。)
個人的には、需要の伸びという点で④が一番であると思います。④は端的に言えば”理解がある彼君”であり”家事育児に積極的に取り組める精神的・体力的強者”であるかの指標です。時代が移ろい、女性の社会進出が一般的になるとやはり、女性もストレス社会にさらされるわけで(主婦にストレスがないとは全く思っていない)、その精神的な支えを彼氏・夫に求める、そして今まで女性が押し付けられてきた家事育児を男性にも求めるようになってきていると思います。SNS上でも④に関する話題は日常的に注目を集めていますし、自分の周りの女性も④に関して自分なりの理想を持っているように思います。④はこれまで女性は家に閉じこもって家事育児をし、常に男の顔を立てるべきという価値観の時代には全くない新しい概念ですので需要の伸びと注目度は非常に高いです。
①に関しては今は大学院生という肩書があるものの、就職先がないので非常に危うく、②に関してはコミュニケーションはまだしも、バイト先での立ち位置が終わっているので評価は低い。③はもう全くダメダメで、④は最初に決定的と書いたように自分のことで精一杯すぎて精神的支柱にも家事育児等の手伝いも録にできていない、将来的にできる自信(就職してはたらきながら家事育児に積極的に関われるバイタリティーに対する自信)もそんなにない。悲しいけどそんな感じです。
ここまでいろいろなことを書いてきて、やっぱり思うのは弱者男性から見て女性が男性を評価する社会であるということに加えて、近年評価の高度化がもうすごいところまできてしまっている。①は女性の社会進出とSNSによる超優秀層の可視化によってありえないハードルの高さに跳ね上がり、②③は大学・企業間を越えた交流やマッチングアプリなど不特定多数の男女の出会いが増えたことによって女性の目が肥え、もう一般男性レベルでは勝負できない。それに加えて新評価項目④が加わり、対応できない男性(家事育児や女性のケアの必要性を感じれない)、要領が悪い男性(家事育児や女性のケアにまで手が回らない)、精神的に余裕がない男性(家事育児や女性のケアを行う精神的なゆとりがない)がさらに脱落し、恋愛市場における男性がごく少数に限られてくる。
毎日女性の求めるレベルが上がり、「弱者男性」が「何物でもない存在」に脱落していくが、女性の目には決して入らないし、問題にならない。これが今の恋愛市場かなと。最初にも記載した、華々しい学校を卒業し、名が通った会社に勤め、会社の激務をこなしながらもちろんいる彼女や妻の精神的支柱になりながらバリバリ家事育児もこなす。こんな男性は少数だろうが確かに存在するし、そんな奴に私は逆立ちしたって勝てない。「強者男性」~超えられない壁~「弱者男性」である。
しかし、「弱者男性」と「何物でもない存在」はそうではない。何か機会があれば一瞬で「何物でもない存在」に落ち得る、かつ、そうなると勝負の舞台に返り咲くのはなかなか難しい。例えば、私の場合、大学院を修了できなかったり、就職先が決まらなかったり、彼女に振られたらその時点で「弱者男性」ではいられない。これと「何物でもない存在」への救済のなさが昨今の恋愛率の低下・未婚率の増加につながってると思います。
総括すると女性から見た「強者男性」が不動の地位を確立し、大多数の女性から出会いを望まれる中で、「弱者男性」は高度化の波に飲まれながら疲弊し、「何物でもない存在」は勝負から降り始める。こんな感じかなと思いますね。なかなかにカオスかなと思います。
当たり前のことをつらつら、偉そうなことをつらつら(特に「何物でもない存在」とかは一体何様で言っているんだ、、)と書いてきたわけですが、恋愛市場のハードルが高いのはやはり若者にとってはしんどいですね。私自身が強者男性になる、または弱者男性のままで成功する努力をするべきなのですが、簡単な解決法としてイケイケつよつよ男性はできるだけSNSなどのメディアから退いてもらってハードルを下げてもらいたいというのが本音ですね。イケイケつよつよ男性の皆さん、日本の未来のためにどうかよろしくお願いします。
加えて、初投稿で至らない点多しなのですが、批判でも何でもいいのでコメントくださると嬉しいです。自己顕示欲満たすために書きこんでるところあるんで、よろしくお願いします。
「自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。
つまり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。
でも最近もしかしたら実は結構低いかもしれないと気づき始めてきた。
『ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公のぼっちちゃんはギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人の評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「本当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。
そんな成長エピソードがあるわけだ。
僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。
例えば僕がぼっちちゃんだったとして、ギターが上手いとしたら(別に僕自身はひけるわけではないが)、まずYoutubeに上げることがなかなか難しい。上手い人が出てきて、この演奏がダメだとかいわれるかもしれないし、ギターのことを全然わかっていない素人でも「プロの〇〇さんより全然下手ですねー」みたいなことを言われたりしたら立ち上がれなくなりそうなので、まず人に見せることはできない。
家族や友人でも無理だ。
きっとギターとかバンドとかやっていて、理解してくれる人ではないと見せられないだろうなと思う。
そして、そんなに悪意ある言葉を言う人って実は少ないとは思うけれども、でも社会は悪意に満ちているとどこかで思っている。
小学校の頃、信号のない横断歩道を渡るのが怖かった。車が減速することなく、むしろわざと加速して突っ込んでくるとおもったから。
免許証取りたてのころ、車線変更が怖かった。後方の車がわざと加速してぶつかってくると思ったから。
中学の頃学校が怖かった。教師が私生活を縛り付けようと宿題を多く出そうとすると思ったから。
大学の頃教授が怖かった。重箱の隅を突っついて単位をくれずに留年させるんじゃないかと思ったから。
学生の頃、就職が怖かった。私生活や趣味は悪で起きている時間をすべて労働に捧げるようにわざと上司が仕事を振ると思っていたから。
新入社員のころ、彼女がいることを会社にバレるのが怖かった。結婚など守るべきものがあると分かったとたんに逃げ場のない重労働部署に飛ばされるかと思ったから。
結婚したころ、町内会が怖かった。家庭への不当な干渉をするんじゃないかとおおもったから。
20代後半ともなれば、だんたんその不安は杞憂だったとわかるわけだが、生まれてからずっと他者が悪意を持っているとずっと思っていた。(そして今でもほんのりそれは思っている)
悪意は上司、先輩、社会、国家など権威あるものから不条理に降り注ぐと思っていた。
だからそれから身を守るために、大学にいったり、論理学を学び屁理屈で言いくるめようとしてくる人からの自衛をみにつけたり、歴史や外国語を学びちょっと頭がいい風を装ったりした。
まあこの文章を見て分かる通り、そんなに学が身についているわけではない。
僕がいわゆる『理解ある彼氏くん』枠で結婚したのも、妻が権威ある悪意から遠い弱い存在だったからかもしれない。
ただ妻は弱い人間ではなかった。苦手なことはあるが、それを打開するためにいろいろ挑戦している人だった。
悲しいとか辛いとか悔しいとかではなく、涙が止まらなかった。
だが不可能だった。子どもがいるにもかかわらず、涙が止まらなかった。正直混乱した。
僕は相手から言質を取られないように遠回りに外堀を埋めてから話す癖があり、それは人によっては不快な思いをさせてしまう悪い癖だと思う。
夫婦喧嘩で〇〇を言った言わなかったから、過去の違う話まで掘り起こされて喧嘩がエスカレートすることもあるので、僕は議題を棚卸して何について話しているのかと責任の境界を決めたがる。
それは共感とは遠く、冷たい印象を与えることになるというのは僕は理解している。
だがそれは今回のこととはまた別なんだ
ただその冷たい印象を与えている僕に対するカウンターとして妻が言い放った「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という言葉を聞いて、いままのでの喧嘩の内容なんか吹き飛んで、ただ泣くことしかできなかった。
僕のクソ小さな自尊心は「中堅よりは上だけれどもハイレベルというわけではない」と言いたいが、世間ではそれほどでもないとは思われているだろう。
だが、妻は大学には行っていないので、大学に行く人というのは基礎能力が高いという素朴な期待を持っているようだ。
で、なんであの言葉で僕は泣いたのか。
あの言葉を受けた時、僕の脳内では幼いころの情景がフラッシュバックしてきた。
祖母が「あなたのお父さんはとても頭がいいから。あなたも頭が良いんだよ。おじいちゃんは〇〇賞もとったからあなたもすごいんだよ」とずっと言ってきて僕はそれが誇りだった。
クラスでは物知りで通っていたし、小学生ながら月刊ニュートンを読んでいたのはちょっとしたドヤれるポイントでもあった。
実際父はすごかったらしい。らしいというのは小学生に上がる前に亡くなったからよく知らない。
ただ僕が逆立ちしても入れないような大学にそれほど勉強せずに入ったそうだ。
高校時代にその研究をしたいがために当時の有名な教授がいる東京ではないがトップレベルの国立大に入るように勉強していたが下宿代が当時のうちの家計では出せなかったようで、都内のそれでもハイレベルな有名大学にはいった。(今にして思えば子離れできていない祖母が渋ったのではないかとも思うが、)
都内のハイレベル私大にはその国立大の先生と同じくらいにその分野で有名な人らしく、それで進学先を決めたようだ。3年の夏まで必死に勉強していたが、私大に進路を変えたのでそれからは遊んで暮らしたそうだが、ちゃんと合格したそうだ。結構な浪人生があこがれる私大だっつーのにね。
そして父は研究者になった。んだが、今の僕の年齢よりもずっと若い時分に死んだ。平成をたった数日しか生きられなかった。おそらく今も生きていたら教授とかになってたんだろうなとは思う。実際同僚の人はその大学で教授をやっているらしく、何回かテレビに出た時に母が父の友人だと教えてくれた。
祖父は自分の生業の分野でナントカ賞をとって有名な人とかと写真うつったりしていた。
そんなこんなでその嫡流の僕は変な期待と受けていた。父が若くして死んだこともあるのかもしれない。
人の偉業で褒められる。小さい頃は良かったが、ちょっと分別がつく頃には結構キツイものがある。僕がやったわけではないし、僕が今やっていることは何も評価されていないのだから。
母はそんな環境が嫌だったからかもしれない。だから引っ越したんだろう。
女手一つで僕と妹を育てた。とはいっても母も実家が太い系なので相当恵まれて育った。
母は大学を言っていない。研究者と事務の人という出会いで結婚したそうだ。
だから正直学がないというか、僕の勉強に対して口を出すことに自信がなかったんだと思う。だから僕の好きな分野、科学のことの話し相手になってくれなかったし、成果を評価してくれることもなかった。ただ「難しくてわからない」というだけだった。
僕は生まれてことこのかた賞状をもらったことがない。妹は絵画コンクールで、英語スピーチコンクールで、そして学校で選抜された海外派遣なんたらで数多くの栄誉を持っている。
僕は何ももらっていない。歯が綺麗で賞はもらった。絵もうまくない。楽器も弾けない。英語もできない。文章も書けない。ゲームもうまくないし、話もうまくない。モテない。バイト先ではいじられキャラだった。いじってほしくはなかったがただ「要領がわるい」ということでいじられキャラになった。
そう要領がわるいんだ。
妻は大学には行っていないが、絵が上手い。工作が上手い。それを作って売れるほどうまい。創作ができる。
「頭がいいはずなのになんでわからないの?」という妻が放った言葉で、これらの過去のこと家族のこと妻のこと今のことすべてが分かってしまった。
頭がいいわけないということを分かるのが怖かった。
僕は何者でもないといわれるのが非常に怖かった。僕のアイデンティティは「すごい祖父、すごい父から生まれた、すごい子」であり、それが解体されるというのが辛かった。でも僕が縋れるのはその祖父と祖母が言っていたそれしかなかった。
凡人であることを誤魔化すべく、頭でっかちな知識と、頭がいい風を装っていた。バイト先でいじられても「でもあいつらより偏差値高いし」って思って意識を保っていた。
自分がただ怖がっているだけなのに、相手が悪いことをしようとしていると思って、目上の人や教師や社会が不条理に僕に何かを強いると思っていた。
悪意が逆転していた。自分が向けていた敵意を僕は被害者意識を持っていただけだった。
根拠のない自信をもつことはある意味必要だと思うが、僕の場合はその程度が強すぎたのかもしれない。
自信があることで身を守れると無意識で感じていて、自分に自信があると思い込ませていた。
妻に出会うまでは恋が多かった。
だが、モテなかった。
自分から行くタイプではない。ただ悶々と彼女が欲しいとずっと思っているような人だった。
今思えばただ自分を認めてくれる人が欲しかっただけかもしれない。
人の話を聞いてみるとそんなに好きな人が何人もずっといるというのは珍しいというのが分かった。
ティーンの頃の僕は恋に恋をしているに近かったが、自信があれば自律できていて、自分を肯定(好いて)してくれる人を必要以上に求めることもなかったのかもしれない。
僕はうちの子供には子供自身のことで褒めるように、そしてちゃんと成果をみて、子供興味あることをちゃんと調べて対等に接するようにしようと思う。
幸い子供にマウントを取るようなことはしなかった(とは思う。自分の中ではないと思う。わからない。不安だけど)
うちの子は昆虫とか生物とかいろんなことを僕に教えてくれるし、僕も飼育について聞いたりしている。
それでも人は怖い。
能無しとも思われたくないし、趣味に口も出されたくない。
でも実は友人が欲しい。
そんなこんなで引っ込み思案なまま大きくなってしまった。
ぼっちちゃんみたいに何か自己表現でもしたらまた何か変われるかもしれないな。
『理解ある彼氏くん枠』で結婚したということを話したが、つまり妻はある精神的なハンディキャップを背負っているので僕がいろいろサポートしているところがある。
ただ僕はいろいろ限界が来て喧嘩してしまうことも多々あるけれど、それでも日々は平和だ。
つきあっていたころのままの関係性が続いているし、手をつないだり、二人で出かけたり、一緒に遊んだりすることもあの頃のままだ。
だが、妻は僕に守ってほしいという気持ちが強く、僕が弱いところを見せてほしくないと思っているところがある。
僕があの日泣いたとき、なぜか怒られた。「泣いたら私が悪者じゃない!!」って
僕はさすがに謝罪した。「さっきの喧嘩の流れとは別の件でないている。あの話とは別なんだ。個人的な理由で泣いているだけなんだ。(まだ自分でもなんで泣いているのかもわからないので)なんかわからないけれど心の柔らかい場所が反応したような感じがして」とまあそんな感じで伝えたんだけれども
妻は毒親サバイバーでもある。だから過去の辛い話などを聴くこともあるし、その段階で妻が泣き出すこともあるので、そういう時は抱きしめたりして、そうすると落ち着いて、妻はそういう関係が好きらしい。
実は僕もそうしてもらいたいと思っているが、逆の立場にはしてくれないようだ。
僕も誰かに依存したいが、僕は生涯の伴侶は妻だけだし、妻以外に心を開くのはどこか浮気のように感じてしまい、正直無理だ。
そんな行き場のないこの気持ちを吐き出せるところはどこにもなく、
トイレの便器にはなしても/dev/nullに投げ出しても、どうしようもないので、ネットに放流して誰かに読まれることで慰めることにしよう。
皆、読んでくれてありがとうございます。
深夜のテンションで書いたものがホッテントリに上がっててびっくりしていたのと、
そしてまた悪い癖でこの世に悪意しかないとおもっていて、「絶対炎上している」「きっと、『お前は恵まれている癖に何いっちょ前に気取った悩み装ってるんだよ』みたいなコメントがたくさんあるんだ」と思って開くことができませんでした。
でも100件以上ついたら、気になって仕方ないので思い切って開いてみたら、なんとまあ善意ある方が多いこと。
これだったらあまりに悲しすぎる
3
・衝動性ありプラス他人の気持ちが理解出来ないので組織で生きるということがわからない 運動神経は良い
天然キャラと思われてるけど特性のせいなだけで至って普通のつもりだから笑われるのは嫌い
・努力すれば色々できるが忙しいので時間がなくていっぱいいっぱい そして今いじられキャラで笑われることが辛い
・お世話係 でも昔からずっとADHDパニ障の相方と付き合ってきたから付き合い方がわかってて発達たちに好かれてる
残った方は定型同士 (片方昔アスペ気味と言われてたけど違うと思う)
定型二人が「大人になれっていい加減」って何度言ってもピーターパンのエースには通じない
発達二人は夢を追いかけたいのに何で一緒にやってくれないのか?その他のことは理解できないのでその一心で純粋に行動しようとするし定型二人に憤りすら感じてる
お世話係は全部わかってたけど今さら発達二人の才能なしでは続けられないのも知ってた
現実世界でもあるあるやけど、かわいこちゃんキャラ、いじられキャラって一回なっちゃうと距離感間違えるアホが無限にこいつにやったらなにやってもええってなりがちだからな
アクシア本人だけの範囲で収まってればここまでになってなくて、コラボの時とかにコラボ相手に対してもアクシアにやってる延長線上みたいなムーブしまくる奴が増えすぎて活動に支障が出るようになったってのが今回の顛末や
ちょっと前にエロ同人作家でVtuberやってる伊東ライフも同じようにファンがコラボ相手に好き勝手なムーブしまくってコラボ相手からクレームがついてお気持ち&謝罪配信してそれ以前の人間関係ほとんど切った状態で活動しとる
そこで、お祝いだとボトルを入れる人がいて「増田はいれないの?」と店主が聞いてきた
自分が「えー」と嫌そうにしたが、周りの何人かが「お祝いだよ?」と言ってくる
もちろん友人の祝い事で別に出し渋ったりはしないが、奢れる金額にはある程度は限度がある
この店でボトルは1万以上する
店に集まる人は好きだが、実は店主はそこまで好きではない
なのに、周りも店主も「みんな入れてるよ」とか「お祝いなんだからさ」と言ってくる
最終的には店主が「ありがとうございます!」と勝手にいれた
私が「ちょっとー!」というと、店主は「え?ダメっていってないじゃん」と言ってきた
断れる雰囲気ではない
完全にカツアゲだろこれ
私が明確にNoといえないことにつけいった、善意のカツアゲだろ
結果、別に好きでもない酒で1万も使わされて、気分も最悪だ
それからこの店に行く回数はぐんと減った
https://anond.hatelabo.jp/20220614121244
https://anond.hatelabo.jp/20220613133321
先の2人に比べると、ロースペックやから、別パターンとして楽しんでや。
総額45万円といったところ。婚活関係なく服も買うし、美容院にも行くからそれも含まればもっとあるかも。
デートは付き合う前は基本的にちょっとお高めのカフェに行くことが多かった。とはいえ、基本的にカフェなので、大したことはなかった。
同年代またはちょっと年上の人と付き合うことが多かったので、割り勘の場合も多かった。
結婚した後に住むところは絶対に揉めると友人から聞いていたこともあるので、元から住んでいる場所が近いというのは結構重視した点。
社会人になってからはほぼ出会いがゼロ……というわけではないけども、変に職場の人と付き合った場合、色々面倒そうで嫌だなというのがあった。
かといって、他に出会いがあるのかと言われると、そんなこともなく、淡々と20代が過ぎる。30代になって、そろそろ婚活を考える必要があるかと、何度か街コンやその他婚活パーティーに参加してみたけど、これがものの見事に成果ゼロ。
考えてみれば、婚活パーティーのマッチングというのは人気投票なわけで、10人参加していた場合、人気が2、3人に集中するんだから、俺みたいなブサ面が何となく参加したって、その人気投票に食い込めるわけあらへん。
顔じゃなくて、中身で勝負!って考えるだろ?でもさ、10分くらいしか話さないのにどうやって、その中身で勝負するんだと。
その辺に気が付き、やっぱり結婚相談所で紹介してもらった方が出会える確率が高いかと考えたわけで。
ちなみに、今はマッチングアプリで出会う人も多いだろうけど、俺の世代は出会い系サイトはヤバい!ネットの出会いは気を付けろ!と中高時代にメチャクチャ刷り込まれているので、マッチングアプリを使う発想は全くなかった。
話は逸れるが、正直、あれだけ叩かれまくってた出会い系サイトがマッチングアプリと名を変え、大手を振ってCMしているのは今でも違和感がある。時代が変わったと言われればそれまでだろうけど。
開始月に2人とマッチング。そのうち、2人と何度か会い、Aさんと仲良くなったので開始から3か月目くらいに正式に付き合うことに。付き合った場合は、休会することで月会費は維持費の500円だけになる。
言ってしまうと、このAさんが人生の初彼女なわけで、当時めちゃくちゃ舞い上がっていたと思う。半年くらい結婚を考えずに普通に付き合っていた。
ただ、そこは結婚相談所で知り合った人だから、相談所側からもそろそろ結婚に関する話し合いをせいやと、催促されるわけ。で、結婚についてどう考えているのか、真面目に話し合ったところ、どうもAさんは結婚への願望がそもそもない、とのことだった。
そして、その後、別れ話を切り出されることに……。泣くわ。
そもそも、何で結婚への願望がないのに、結婚相談所へ登録していたのか? 親への言い訳として登録するような人は結構いるとネットニュースの記事を見たが、たぶんそれなんだろうな。高い月額を払う必要があるのに。
その後、活動を再開。結婚相談所のシステムとしては毎月6人まで希望条件に合う人を紹介してくれて、それとは別に自分からアプローチをすることもできる。
なので希望条件に合う人にメッセージを送り、自分からも探しているうちに、Bさんと仲良くなり、何度か会うところまでこぎ着けた。で、告白したけども撃沈。4回も会ったのに、それでもダメなときはダメか。
三度活動を再開。色々とマッチングしているうちにCさんと出会う。
このCさんは自分に対してメチャクチャ好意を持ってくれて積極的に構ってくれて、どちらかといえば受け身の人が多い結婚相談所の女性陣の中ではかなり異色だったと思う。ただし、告白はこちらからしたけども。
Aさんとの件もあったので、相手は自分じゃなかったとしても、結婚そのものには前向きであるか、ということもちゃんと確認を取っておいた。
3か月ほど付き合い、結婚に関する具体的な話をし始めると、どうもCさんは子供が欲しくないとのこと(DINKSってやつ?)。
自分としては結婚するからには子供が欲しいと考えていたが、どうにもその部分の摺り合わせができず、結局別れることに……。悲しいなあ。
結婚相談所はゴールが結婚であることが決まっている以上、ダラダラ付き合うわけにもいかないのよ。
失意の中、再び活動を再開。今までのように結婚相談所からの紹介や、自分からアプローチして見たものの、なかなかマッチングしない。
会うところまでこぎ着けても、1度会うだけで2回目に続かない。半年くらいこの状態が続いていたので、割と心が折れそうだった。
でも自分の良いところというか、悪いところというか、コンコルド効果的な考えを持つことが多いので(損切りできない)、ここで婚活をやめるとこれまで使った金がもったいないという考えが出てくるのよ。
そんな感じでめげずに婚活していると、Dさんと知り合い、お付き合いを重ねて告白し、プロポーズという流れになった。
結婚相談所に登録してから、結婚が決まるまで2年数か月ってところか。
ニートから派遣社員やってお金コツコツ貯めて歯列矯正したんだけどそこで大分顔が変わった。
俺の歯並びは乱杭歯っていって顎の小ささに対して歯が大きいのが原因でガチャ歯になるタイプだった。尚且つ俺は出っ歯だった。
歯列矯正が取るこの歯並びへのアプローチとして、第一小臼歯(前から四番目の歯)を抜く。そうするとそこにスペースが出来る。残りの前歯(計六本)を少しずつ後ろに移動させていき、そのスペースを埋める。
そうすると、横顔にEラインが出来る。上唇も薄くなる。俺は親知らずも含めて計8本抜歯したせいか、顔がだいぶ小さくなった。(骨格は変わらないはずなので、かみ合わせが改善されたことによって顎にかかる力が分散されて、エラを張る筋肉が小さくなったものと思われる)
何よりも歯を出して笑えることが人間関係にも自分自身にも大きな良い影響を与えた。
まともな歯並びになると、比較的人間的な顔になれる。歯並びの悪い不細工が許容されることは少ないが、歯並びのいい不細工はまあまあ許される事も分かった。歯列矯正を完了しただけで、清潔感があると言われるようになった。
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次に顔へのコンプレックスが緩和された俺は、次第に髪型を気にするようになった。髪型というのは顔の印象を大分変える。
俺は剛毛のテンパ(硬くて酷い縮れ毛でどこの美容室に行っても「くせのレベルはトップクラス」「これは大変だね」と言われた)で、ネットでは「坊主にする」とか「髪質を活かす」とかいうアドバイスが溢れていた。
癖毛専門店みたいな美容室にいって短くしたが、どれもこれも酷い状態にされた。(今思うと俺の髪質が酷いだけだったので、美容師も最善を尽くしてくれたのかもしれない)
ある日、初めていく美容室で癖毛の扱いについて悩んでる事を伝えたところ、顔周り矯正を進められた。耳より前にあるエリアの髪に縮毛矯正をかける施術のことだ。
これが功を奏した。
縮毛矯正をかけていない所とかけてるところの境界を曖昧にするために、少し癖が残るように縮毛矯正をかけてくれたので、比較的ナチュラルな髪型になった。
カットは前髪を少し長めにとり、他は短く。被せるツーブロックにすることで髪質の硬い襟足の癖や、すぐに膨らむ耳周りのボリュームも誤魔化せる。
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「人間が大事なのは中身だ」というが、あれは少し言葉足らずで、正しくは「人間が大事なのは中身だが、見た目がないと中身を見てもらえる土俵にも立てない」という事。
不細工なだけで見下してくる人間っていうのは男女問わず、社会に出てからも一定多数必ずどこにでもいる。彼らが悪いんじゃない。人間の本能なんだと思う。それを理性で良くないと思える人とそうじゃない人の二種類がいるんだと思う。
不細工だからお笑いキャラや明るさに極振りしていじられキャラに徹するなど、いろんな人を見てきたが、あれはあんまり良しとされる環境が俺は好きじゃない。芸人だって金貰ってやってるのに、なぜ不細工なだけで無償で芸人のような立ち位置が求められそれ以外のルートが許されないのか。
俺はずっとずっと静かに過ごしたかったし、人と付き合うなら言葉と言葉でゆっくり会話したかった。新卒の頃はそれが出来なかった、何よりも同期から馬鹿にされたり不細工コンプレックスが日々脳のメモリーを圧迫し、次第にまともな会話もできなくなり、仕事が全く頭に入らなかった。家に帰ると翌日の仕事が不安だった。職場に行きたくなくて、夜中の2時頃にいつも目を覚ました。目を覚ますとき、いつも酷い動悸に襲われた。髪もボサボサで、目が死んでて、仕事も覚えられず、まともな会話ができない。そんな俺は発達障害扱いされるようになり、精神科で検査したら社交不安障害の診断を受けた。もう職場に説明する気力も残っていなかった。職場の人と話すのが死ぬほど怖かった。俺が話してる所を他の人に見られるのも怖かった。もう限界だと感じた俺は仕事をバックレ退職した。
あの日からだいぶ立つが、見た目を変える努力をして本当に良かったと思ってる。ぶっちゃけ俺は今でも不細工なほうだが、周りから良くしてもらえることが増えたし、周りの人を大事にしようと思えるようになった。歯を見せて笑顔を作れるようになったことは大きな影響だと思う。
生きてると本当につらい事とか地獄のように思えたこともあったし、今もその渦中にいる人もいるかもしれないけど、お互いなんとかやっていきましょう。
私の実家がある地域では、成人の日の前日、日曜に成人式が開かれる。それなりにこだわって選んだ振袖と、それなりに調べて決めたヘアスタイルで、成人式に出た。コロナ禍とはいえ、それなりに盛り上がったように思う。二次会の飲み会は“自粛”の名の下に日付が変わるくらいまでで終わった。友達同士で三次会に繰り出すグループもあったけれど、私は優等生、つまり「クソつまらない真面目グループ」の人間だったので、二次会で帰ってきた。
「クソつまらない真面目グループ」の面々は、都会暮らしをして垢抜けてる子も、高校デビューか大学デビューを済ませ少し派手になっている子もいたけれど、「地元」の中ではまったくかたなしで、おしゃれにしているはずの着物姿の向こうに、当時の地味な彼女等の姿がオーバーラップしてみえた。たぶん、「それなり」のよそおいはできていたはずの私の向こうにも、耳の下で馬鹿みたいに量の多い髪を箒みたいに括っていたダサい芋女が映っていただろう。
いじめられるほどの哀れさも、いじられキャラに躍り出るような強さもなかった私は、同じ中学出身者が誰も受けない高校を受けた。真面目グループのひっそりしたマウントの取り合いにも疲れたから、誰にも相談しなかった。高校ではそこそこのポジションで、なんとか過ごし切ることができた。でも、何か満たされなかった。都内に住むためだけに受けた滑り止めの滑り止めの大学に進学しても、やっぱり満たされない。
満たされなさの理由に気がついたのは、オンライン塾講師の面接を受けていたときのことだ。面接官とは名ばかりのヘラヘラした先輩講師からかけられた「ところで◯◯大ってことは、◯◯サークルあるでしょ?俺、そこのOBなんだよ〜、立ち上げからやってさ〜。楽しいから入りなよ笑」という言葉がきっかけだった。面接だしニコニコしておくか、と思った私は、ひたすら「そうですか、いやあ私どうにも出不精で」と断る方法に話を進めつつ相槌を打った。その後しばらく話してようやく、私を「アルバイト志望の学生」ではなく「ヤれそうな女」として話している、と気がついた。「てか結構おっぱい大きいよね笑 やべ、セクハラだよね笑」とまで言われてからだったが。
私はそこで、目の覚める思いがした。そうか、私がかけられたかった言葉はこれなのか、と。電車通学をしていた高校生の頃は、何度か痴漢にあい電車を変えたりしていた。痴漢にあうのはムカつく以上に怖いので、ひたすら恐怖と戦っていた。「性的な目で見られる」ことは不快なことで、恐ろしいこと、だったはずだ。それなのに、私はどこかでカースト上位のちやほやされるために生きているような同級生には憧れていた。服装検査で引っ掛かる以上のメイクと、校則で禁止されたリュックを背負って、彼氏の話ばかりしている子たち。私はといえば、高二の冬に一度彼氏ができたけど、たった一度キスしただけで別れてしまった。それからは、ダサい人間に落ちないように過ごしただけだ。
私はそれまで、満たされなさの理由を、「彼氏が欲しいから」だと思っていた。周りに自慢できる、顔が良くて優しい素敵な彼氏がいたら、それはそれで満たされるだろう。でも、現実問題そこまで高望みできない。だから、青天の霹靂だった。「てか結構おっぱい大きいよね笑」そうだ、私は、おっぱいが、大きいんだ。そして、おっぱいは、手っ取り早いセックスの代替だ。そこにあるだけで、(そこそこの数の男性は)ニヤニヤした目つきを私だけに向けてくれる。
アンダー75のGカップ。Gカップなんて、ネットの世界では、有象無象に近い、どうでもいいサイズだと思う。それに加えて、アンダー75は正直デブだ。運動部に入ろうと思ったことすらない私は、我ながら締まりのない体をしている。でも、自撮りならおっぱいだけ写せばいい。もっとびっくりするほど大きいおっぱいの女の子や、アニメキャラみたいなスタイルのいい女の子も自撮りをアップしているけれど、おっぱいだけを撮影している限り、それでも私(のおっぱい)を褒めてくれるのだ。ダルダルにふにゃけた体だって、ぽっちゃりです、と言ってネットにあげれば、「ぽっちゃり好きです」なんて褒め言葉が飛んでくる。みんな私を承認欲求を満たすために気軽に乳を晒すバカな女、としてちやほやしてくれる。
私はおっぱいを晒しながら、今も(リアル男性を対象とした)処女であり続けている。私の膣に挿入されたことがあるのは、ひとり暮らしを始めてからAmazonで取り寄せたピンクローターとスティックローター、そして無数のポスカくらいのものだ。別に大事に取っておきたいわけなんかではなくて、小心者なだけだ。根っこは今も、「クソつまらない真面目グループ」の半端者だ。死ぬ程セックスはしたいけれど、危険を冒す勇気はない。ネットで知り合った男性は、みんな私をナマで犯し、中出しして、要らない子供を産ませようとしていると思う。それか、ホテルで私に薬を飲ませ、刺し殺すかも。
だから、私はネットにおっぱいを晒す。成人式でさもそれなりの大学生活を送っているかのような話をした飲み屋のトイレで撮影したおっぱいを、晒す。オナニーだってそこそこ気持ちいいし、何より安全だ。これまで「それなり」で生きてきた私にとっては、いろんな人におっぱいを褒められて、ローターを挿れて、AVで喘ぎ声を聴きながらイくことができているだけでほぼほぼセックスだ。
顔を晒して叩かれたら立ち直れないから、晒すのはおっぱいだけ。でも、みなさん私をちやほやしてくれる。いつかちやほやされなくなる日までに、処女を捨ててめくるめくセックスライフを享受できるようになればいいんだけど。そうは言っても、そのための努力より、手軽に得られる「えっちだね」「ペロペロしたい」なんて言葉の方が、やっぱり手軽だ。安全なセックスが手軽に得られるようになればいいのに、そんなことを思いながら、成人式の夜を終えようとしている。名前も朧げなかつてのクラスメイトのおちんちんには、やっぱりとうとう縁がなかったみたいだ。