はてなキーワード: ある子供とは
8月30日に発売するっていうんで、カクヨムに載ってる作品を(話題になってたけど読んでなかったので)読んだんだけど。
まさにこの話の話題になってる「近畿地方」住まいの人間からいうと、この題名と「名前の伏せられた忌むべき地域」とか、寂れた団地・マンションとかの要素から、近畿地方の根深い地域差別を連想するのはさほど難しくないというか、それ意識してないわけないでしょ、って思っちゃう。
さすがに関東の方中心のTwitterでは https://twitter.com/atkyoudan/status/1640702253698011137 くらいしか指摘もなかったのだが。
いやでもこれ本当に「部落差別」っていうものの存在をまったく知らずに、意識せずに書かれたとは思えないんだよね。
どう考えても意識して「近畿地方」を取り上げて、揶揄してるでしょコレ。
ていうか、それだけじゃなくて、もっと「えええ・・・・・・・」って思っちゃったのが、WEB版のノート?にあるこの写真
https://kakuyomu.jp/users/sesuji/news/16817330654329836615
いやいやいやいや、これはさすがに言い逃れ不可でしょ。
あきらかに斜視とか口蓋裂とかの症状のある子供の写真を「気持ち悪いもの」「不気味なもの」「呪い」といったイメージに短絡させて描いてるよね。
もしかすると今はやりのAIとか使って描いてもらったものだから肖像権は問題ない、とかいうのかもしれないけど、ここまで直球で特定の病気や生得的な障害で生じた、身体的な特徴を揶揄する表現って、アリなの?
なんか告知を見たので読み始めたらすげえ地雷ふんじゃったよって感じなんだけど、これ出版するってときに、誰もこういうことを指摘しなかったのか?それか俺の考えすぎ?
末っ子だよなぁ
高齢出産の末のこれだとすると、まあ、子供のせいとして処理するのもなんかかわいそうな気がするな。
普通の人にはできることでも、障害があるとできないことってあるからな。
かと言って、一人のミスが全体のミスみたいになるチームプレーの場だと、ほかのメンバー的には納得いかないものがあるだろうし、まあ難しいよね。
そういう時にやるのが障害がある子供でもやれるように仕組みを整備する合理的配慮ってところなんだろうけれど、配慮するだけのコストが割けないなら、撤退する所なんだろうな。
いずれにしても、子供はまあ自分で選んだわけではないから我関せずでいいと思うんだが、親父のその態度はどうなのかなと思った。
親は大人として責任を取らないといけないんじゃないのか?可能な限り家の仕組みを変え、そういう子でも動けるように作るところじゃないのかな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR6H75DHR6HULFA02Z.html
子供に障害があると働けない?じゃあどうやって生活してるの?生活保護?絶対に違うよね
3号被保険者って事は、養ってくれる配偶者がいるという事はでしょ?
世の中にはシングルマザーで働きながらだったり生活保護のカツカツだったりで障害のある子供を育てている人だっていくらでもいるのに
養ってくれる相手がいて経済的に不自由しない生活が出来ていて、それなのに働けないから保険料支払えませーんってあまりにも甘ったれている。
別に誰もお前に働けとは言ってないんだよ
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
酒のツマミになる話最新回を見てて
「そういえば昔、行進の練習をしてる時に教師から『脚が上がってない!!』つって箒で脚ぶっ叩かれたことあったな」
数十年の時を越えても腸煮えくり返る所業よな
ありえない
まず口で注意しろよと。こっちは耳聴こえるし言葉理解出来るんだよ
当時はそんなことがまかり通っている時代だったけど、自分がそんな扱いを受けるなんて信じられず(とても真面目な生徒なので。トロくて運動音痴だけれども)
今は言うに及ばず、当時だってそんな遣り口は受け入れがたかったわ
恨み骨髄ですわ
あと、その教師はよく「話にならん」と言っていた
教育者の風上にもおけねえと思ったわ
でもね。そういう高圧的で恐れられている教師は他の教師やPTAから信頼が篤いのよ
「問題のある生徒(主に暴力方面)」を恐怖で支配しておとなしくさせられるからね
確かに面白い授業する先生だったけど(教師になるまでの経歴も異彩を放ってた。青年海外協力隊で紛争地域方面行ってたり。だから話は面白い)
でもやっぱり人としては認めがたいところも多々有ったね
ほんと未だに信じられないわ
そんな横紙破りが横行する、嫌な時代だったわ
情報は過多なくらい溢れているし
昔みたいに決まりきったことをやらなくても「人生なんとかなりそう」って思えるだろうな
(間違ってもyoutuberになりたいとかは思わないタイプだけどね)
…でもSNSとかですげえ陰湿なことされたりするのを考えると反吐が出そうだ
やっぱり嫌だわ
大人が良いわ
例えば知能が5歳児ぐらいでも12歳の六年生の中にいて体格は普通の子供の二倍以上の巨体
言葉を理解できない、ちょっとしたことでキレる。大声で叫ぶ。わがまま。
キレると巨大な体格を屈指して暴れ回って暴力を振るう
そういうのを注意する人は一人もいない
誰かに怪我を負わすぐらい暴れてるけど、これで何かあっても警察も司法も動かない。
「おともだち」として仲良くしなきゃいけないから
ガイジとか池沼とかパワー系って言葉が皮肉として流行ってるんだと思うけど
なんで言葉の通じない、わがままで暴れ回る巨体の治外法権と一緒に過ごしたら
もちろん他にも耳が聞こえないとか、四肢のどれかがないとか、自閉症とかもいるけど
耳が聞こえない子は発声が上手くないし、口の形も読めないから常にキレてたし。キレるとよく中指立ててたし。
もちろん中指立てちゃいけないとか誰も教えないよ!!
(小学生の同級生が教えるのは不可能だろヘレンケラーの先生じゃないんだから...)
ハンデがある子と一緒に過ごすって綺麗事じゃないんだよ、専門知識が何もない子供に押し付けられた、過酷な介護だよ
何されてもこっちはやられっぱなし大人は無視(まあ警察ですら無視だからな一般人には無理)
子供は障がいのある子供について大人が嘘ついたり綺麗事言ってるの知ってる。
扱いの難しい子供を、自分たちに押し付けて良い奴ぶりたいのもわかってる
だから皮肉としてのガイジとかそういう言葉って消えないと思うわ
怯える日々を過ごせばわかるんじゃないかな。
出生主義とは「産まないより産んで虐待する方がマシ」という思想である
にもかかわらず、そう認める人を見かけない。
だってそうでしょ。産んで、その内何割かが不幸になって、何割かが犯罪者になって、そうやって回ってきてるんでしょ社会は。
虐待被害者も犯罪者も障害者もみんな生まれてきて社会を回してる。犠牲者を出しながら。そういう世の中を持続させようという思想なんだから、「産んで死なない程度に虐待する親の方が産まないより偉い」とハッキリ言うべきなんじゃないの。
もし言われたら「ふざけんなテメーが虐待されてみやがれ」って思うけど。
でも、言わないんだよな。産まない女は苦しめとほざく、小山晃弘とか花つ葉とかのアンチフェミ系反出生。女は平気で敵に回して、少子化解決の為に女の人権を制限しろ、女子教育をなくせ、と言うくせに、子供に関しては「虐待されても仕方ない」とは決して言わない。むしろ虐待親を叩く。虐待親を擁護する女を叩く。小山晃弘は母親の虐待被害者だから尚更。
あいつら、「可哀想ランキングに立ち向かい、みんなが言いにくいこと、見ないふりをしている事にズバズバ切り込む反ポリコレ」を気取っておきながら、ダサいやつだなと思う。自分らだって都合の悪い事に切り込んでない。
あいつらは「可哀想ランキング上位」であるらしい女性のことは積極的に敵に回すし虐げる。そうすればミソジニー信者達が持て囃してくれるから。
一方、もっと可哀想ランキング上位である「子供」のことは虐げられないし、敵に回せない。虐待が増えてもいいから子供を産め、なんて言わない。誰もがかつては子供だったからな
子供の人権が重視される現代社会では、誰もがうっすら反出生だと思う。
虐待事件が起きれば、虐待するなら産むな、出産免許制にしろ、と騒がれる。そして虐待したくないから産まない、という人が出てくる。虐待親への刑罰が甘すぎる現状ですらこうなのだから、虐待親への刑罰が厳しくなったらもっと産まない人は増えるだろう
10代前半の出産、逆に60代とかの高齢出産、貧しい未婚女性の出産、DQNやメンヘラの出産、不倫や托卵の子の出産、障害者の出産に否定的な意見ばかりが溢れる。子供が不幸になる可能性が高いからだ。リベラルも保守派も。保守派は同性カップルの出産を子供が可哀想だと叩く。
ちなみに障害者の出産は、親が障害者のケースと子供が障害者のケース両方を指す。親が障害者だと子供がヤングケアラーにされると非難が殺到するし、発達障害者界隈では「発達障害で生きづらい、生まれてきたくなかった。障害のある子供を産まないで。産むことを美談にしないで」という声が大きい。「発達障害で生きづらい女性が理解ある彼くんを得て同じ障害を持つ子供を産みました」漫画の作者は、発達障害界隈に「発達障害者は子供を産むな!遺伝する!」と叩かれていた。
ともかく、子供が不幸になる可能性が高い出産は反出生主義者でなくとも反対する。「子供が不幸になる可能性が高いなら産まない方がいい」というのは「うっすら反出生」だと思う。反出生とは「この世に生まれた時点で不幸になる可能性が高い」というものだからだ。
そして、とにかく産め産め言う出生主義者達は、これらの出産、もっと悲惨な背景の出産も全て肯定できるのだろうか。
その結果生まれる不幸は全て、社会持続性のために仕方ないと言えるのだろうか。
悲惨な虐待の連鎖も、凶悪な毒親も、犯罪者に育ってしまう子供も社会持続性のために仕方ないのだと。
もっと言えば、旭川いじめ事件やコンクリ事件の被害者の苦しみすらも、社会持続性のために仕方ない、子供が被害者や加害者になってしまっても産まないよりマシだから産め、と言えるのか。
性被害のトラウマにより異性との性行為ができず子供を産めない女は子供のいる性犯罪者より蔑まれるべきだと、
そう言えるのか。
言ってみてよ。
さあ。
世の中普通じゃない人、少数派な人は割とほぼ病気扱いしてくれて公共の福祉で保護してくれる日本で、同性愛者だけ愛がどうとか好きになる人が同性なだけとかフワッとした言葉で誤魔化すの良くないよ。
自然界でも同性同士のカップルは存在するって言うけど、それが多数派じゃないから種の保存がされてて同性愛者の命そのものが異性愛者にフリーライドしてるだけであって…
今話題の同性婚だって、「愛」とか「好きになった人が同性なだけ」なので異性愛者用の制度をどうしても利用したい同性愛者は特例として認めたらいいと思う。
結婚制度なんて愛がなくても好きじゃなくても家同士のものでしかないのにそこを理解してなくて、目に見えない「愛」を主張してそれに執着して公的に「愛」を認めてもらいたがる人ってちょっと変だと思う。
同性婚を認めたら、独身の異性愛者にしわ寄せが行くわけですが同性愛者の方々は自分たちだけが幸せならそれでいいんでしょうか…
子供についても男女じゃないと絶対できないものなのに、どちらかの血のつながりだけがある子供を欲しがるっていう歪みを解消する制度が必要だと思う
「愛し合う2人」を主張する割に片方としか血が繋がっていない子供を設ける歪み
自然の摂理に逆らって生まれた子供は、どういうアイデンティティで生きていくのか
女2人もしくは男2人で育ててるカップルはたくさんいる?
自分は発達障がいについて勉強しているわけでないので発達障がいについて特別な知識のない素人が書いた文章である
Twitterで男性が発達障害の診断書の画像を載せて命をたっていた
そのとき自分は「えっ発達障害というだけで死んでしまうん?肉体的に苦しんでいるわけではないのに?」と思った
とある発達障害がある子供の母親が自分の子供に体罰をしていて、他人がいくら体罰をやめろと母親に言っても体罰をやめなかった。母親には母親の体罰をしなければならない正義があり、外野が「発達障害の子供に体罰をいくらしても躾にならないからやめろ」と言っても無駄だった
ある発達障害の男性が、発達障害の妊婦に「発達障害が遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?自分は子供が苦しむのがいやで子供を持つことを諦めました」と聞いていた。外野が「妊婦にたいして失礼だからそんなこと聞くな」と男性に言っても
男性は「自分は発達障害の人は子供を産むなと言ってるんじゃない。聞きたいことをきいているだけだ!なにも悪いことをしていない!勝手に勘違いするな!」とキレた
妊娠ってお祝いごとだし、妊婦に不吉なことを言ってはいけないのに……
「発達障害が遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?」は「これから産まれてくるあなたの子供は不幸になるかもしれませんよ」と同義でとてつもなく失礼な質問なのに
男性は自分はただ疑問に思ったことを妊婦に聞いただけなのに何が悪いんだと主張している
これは、生きづらすぎるぞと他人ながら思った
最初のTwitterに診断書を載せて自殺した男性は生きてて全然楽しくなかったんだろうなと(当たり前なんだけど)私は思った
他人の気持ちが想像することができない。失礼なことを言いたいわけじゃないのに、自分の発言で相手を怒らせてしまう
つらすぎる。健常者でも自分が好きな相手と仲良くなるのはそれなりの技術、経験、努力が必要なのに
発達障害の人は他人の気持ちを想像してみたくても、障害のせいで想像すらできなかったりするのだ
知的障害、発達障害を持つ娘の母親が「私の娘は誰かのためにだれかに好かれるような行動をすることができないよね」と嘆いていた
発達障害を持つ人の中にももちろん「毎日楽しくて仕方ない!ハッピー!!」という人もいる。健常者でも生活が苦しくて自殺する人もいる。
私は発達障害を抱えた人の生きづらさをどうやったら解消できるのか知りたい。なにかの本に書いてあるのか?勉強すれば答えが見つかるのか?いや、そう簡単には答えは見つからない。簡単に答えが見つかるなら日本の自殺者はもっと少ない。