はてなキーワード: あの頃のままとは
「――進級祝いだよ」
初夏も迎えていないのに油断すると汗がにじむ、春の陽気とはいい難い日だった。すこしだけ呆けていた私は、それが机上に鎮座したパソコンのことを指しているのだと気付くのに時間を要した。
「進級祝い?」
そう口にして、彼女と同じことを言っていると思った。気恥ずかしさを誤魔化すように、胸ポケットから煙草とライターを取り出す。火を点けると一瞬燐の燃えるつんとした匂いがした。
「うん、進級祝い」
そう言って彼女は愉快そうに笑った。
私は日記を書くことにした。
私のことに興味を抱く人間など希少だろうが、このはてな匿名ダイアリーという戦場では、何らかの記号がなければ、不特定多数の日々という奔流に押し流され、何事もなかったかのように埋もれてしまう。
彼女にそう言ったので、私は、ここで私のことを記そうと思う。
当時の私は大学生だった。自身の不徳から同級生より二、三、歳を重ねていたが、好きなものを持ち、夢を持ち、自由を持つ、有象無象の学生の一人だった。
大学生になる前は、モノ書きに憧れていた。
昔から文章を読み、書くのが好きだった。尤も、幼少より親交を深めていた文筆や長文という名の友人は、短文型SNSの流行によりに疎遠になってしまったことは否めない。
それでも私は期待していた。
大学生になれば、腐るほど時間を持て余すだろう。上質で心地よい文章に好きなだけ埋もれることができるだろう。そうしていつか、
だが、漠然とモラトリアムを信じていた私を迎えたのは、勉学や部活動やその他雑務に忙殺される、いかにも大学生らしい生活だった。これでは趣味を極める余裕などなかった。少なくとも私程度の容量では困難だった。
「忙しいって、充実してるってことでしょ」
「僕は忙しいなんて感情が、充実の証左たるわけがないと思う。多忙は絶対的に時間を圧迫するもので、人が創造する余地を奪い気力を追いやってしまう悪魔だよ。そんなものを充実と勘違いする奴らなんて、ハムスターにでも生まれ変わって回し車で走り続けてればいいんだ。きっと幸せだろうさ」
「でもごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ」
図や数式に意味を見出せず、記号として扱うことが出来ない。想像したものを、今見ているものでさえも、絵という形に還元できない。運動をする際にも、関節や筋肉の仕組みを文章で理解して、やっと思考と動作が一致する。生き辛い脳の作りをしていると思う。
彼女は違った。
図だろうが数式だろうが、そこにあるものをあるがままに扱った。スケッチが上手だった。空想の世界でさえ表現することができた。スポーツなんて、見ればすぐに何でもこなした。
――勘かなあ、と。
なんでもないことのように彼女は言った。それが心底恨めしく、心底羨ましかった。
「——私は君が羨ましいな」
彼女は言語を介した思考が苦手だと言った。映画の感想を聞けば楽しかった、という画一的な表現しかできなかった。ラインのやり取りは苦手だからと電話を好んだ。読書感想文なんて本を読む気も書く気も起こらず、コピペをして怒られたらしい。
多忙という悪魔に打ち勝って、彼女との差異を埋められるだけの、創造性を再獲得すると誓ったのである。
そうしてたくさん日記を書いた。何度も筆をとり、何度も筆を手放しそうになりながら、日記を書き続けた。
ブコメもたくさんついた。批判的なコメントも肯定的なコメントも数えきれないほどあった。
創造性を再獲得できたかはわからない。大学生だろうが社会人だろうが、忙しさは私を襲い続けた。私は今も悪魔と戦い続けている。
「ただいま」
「おかえり」
相変わらず彼女は直情的というか、動物的というか、あの頃のままそこにある。泣き、笑い、怒り、喜び、日々忙しそうだった。
胸ポケットから煙草を取り出した。ホルダーにセットすると、独特の酸味臭が鼻を突く。
画面をこちらに向けていた。
「これ、君でしょう」
――僕はその喜びを、未だに言語化することができない。
高校のとき付き合っていた彼氏とは、恋に恋して「オツキアイ」を楽しんでいただけだって、今なら思うけど、真剣だった。
私が受験に失敗して、私だけ浪人したのが歯車の狂い始め。先に大学生活を始める彼と、支え合うとか微塵も思いつかなかった。一年間会わなかった。それでも机に写真置いて、待ち受けにして、我慢して我慢しての最低限のメールで必死に恋してた。
一浪して予備校に行って、志望校が変わった。滑り止めに東京の大学が入った。それが二つ目の歯車。結局また第一志望に落ちて、上京することになった。そこで気持ちがぷつんと切れた。一年間彼を心の支えにしてたはずなのに、遠距離という現実を前に、一年間会わなくても大丈夫ならそんなに好きじゃなくなったんだと思い込んだ。お互いに、納得のいかない別れ方をした。まだ浪人生という中途半端な心のままの私と、もうすぐ大学二年生になる心の彼は、理解し合えていなかった。
東京に出ると、人が多くて、慌ただしくて、華やかで、楽しいことも苦しいこともたくさんあった。それで彼との別れは押し流されていった。でもたまに地元に帰ると、彼から連絡があって、復縁の話も度々出たかど、そんな気になれなかった。いつからか、「帰省するよ」ってSNSで言わないようにして、友だちだけに個別にLINEした。彼の大学の一年目を私のために棒に振らせたとか、私が二回も受験失敗したせいで別れることになったとか、変な負い目で、会いたくないのに直接会ったときは良い顔してしまった。どんどん彼からの連絡が負担になった。
新宿のサザンテラスにあるスペイン料理を、東京で出会った男の人と食べに行こうと二人で歩いていたとき、彼から珍しく電話が入った。男の人とデートするなんてほとんどないことなのに、なんで今?!ってすごくびっくりした。新宿にいるのに地元の元彼から電話がかかってくることが、すごく不自然で、気持ち悪い、おかしなことのように思えた。全く別だと思っていた物語世界が、実はつながっていたような気持ち。歩きながら電話をとると、なんにも緊急の話題はないようだった。なんの話だったか全然覚えていない。私が何を言ったか全然覚えていない。変な罪悪感を感じてすぐに切ったことだけ覚えてる。それで、ご飯食べて、家に帰ったら、元彼は事故に遭っていた。今ならそれが最初の自殺未遂だったと分かる。
自分と電話した後だったことに変な気持ち悪さはあった。でも考えないようにしていた。ある日高校時代の彼の友人で、ほとんど面識のない相手から「付き合ってる彼氏が事故にあったんだから、遠距離でも見舞いに来いよ」という旨の連絡が入った。心底ゾッとして、私は彼と彼の友人のLINEを両方ブロックした。
それからは彼と関わらず、大学生活を過ごして、二年生で人生二人目の彼氏ができて、卒業して、就職して、そして婚約した。
その間も、成人式や同窓会、高校の友人と会うたびに、ちょこちょこと彼の近況が耳に入った。「事故のあと大学に来ていない」「単位が足りなくて留年した」「大学を辞めた」「引きこもり」「バイトをしてる」「入院してる」……。
考えないように、考えないようにしていたけど、ずっと心の奥底に黒いものが積もっていた。
婚約してから仕事を辞めて、結婚までの間たびたび地元に帰ってくるようになった。ある日実家に帰ると、元彼から電話があって母親が話したと聞いた。実家に帰ってくる日を教えたと。その日の夜に彼は実家までやってきた。
彼は全然元気そうだった。気まずかったことにはまったく触れずに、高校のときに戻ったみたいに話した。不思議なくらい、あの頃のままで変わっていないと思った。もう10年近く経つのに。それで、「なんで今地元に帰ってんの?」という質問に、「専業主婦で暇だから」と答えた。「結婚したの?おめでとう」「まだ婚約だけどね、ありがとう」多分こういう会話だった。
その日のうちに彼は首を吊った。でも死ななかった。
そのあとは色んなことがあった。私の両親と元彼の両親が互いに土下座している姿を見た。高校のときに元彼の両親とは面識があった。制服を着たまま彼の家で彼の母が作った晩御飯を食べた。あのときのおじさんとおばさんが、すっかり老けて、痩せて、小さな身体を丸めるように土下座して、私と会えないと息子が死んでしまうと、助けてくれと言った。おばさんは泣いていた。
私は眠れなくなって、婚約者の待つ家にも帰れなくなって、元彼のお見舞いに行くこともできなくて、何が何だか分からないうちに婚約破棄をした。私が望んだことだけど、望んだことじゃない。
それから何年かたって、元彼のことを本当に死んでくれればよかったのにと恨んだこともあった。でももし本当に死んでいたら、私はもう重みに耐えかねて生きていけなかったかもしれない。私の人生の歯車が決定的に狂ったのはいつだったのか、今でも分からない。どこからやり直せばこうならなかったのか、何が正解だったのか。誰が悪いのか。
やっとまた地元から引っ越すことになって、昨日荷物を整理していた。元彼から貰ったものは全て捨てていたけれど、唯一受験の時にもらった学業成就のお守りだけは捨てていなかった。というか元彼からもらったことも忘れていて、単に捨てちゃいけないものとして保管していた。何を思ったのか、ふと魔が差して、お守りの中を開けて、それで元彼からのプレゼントだと思い出した。「頑張れ👍絶対受かる!」という汚い字のメッセージが入っていた。どこで誰が間違えたんだろう。
クリスマスだね。もうあれから丸四年以上経つんだなー。あの人はもうわたしのプレゼント捨てちゃったかな。わたしはまだ持ってるけどね。
今日は珍しくつぶやきがTLにないけど、彼女と一緒にいるのかな。絶対言わないもんな。そういうとこも好きだったよ。
あの人が覚えてないようなこと、わたし全部覚えてる自信ある。あの時のあの人に聞いたら、俺の方が好きだって言うと思うけど、絶対にわたしの方が好きだったよ。一度も言わなかったけどさ。
あの人の好みから逸れないように、髪型も体型も、あの頃のまま。今でもあの人のために生きてる。あの人の夢が叶ったらいいなぁって思うし、幸せになったらいいなぁって思うし、いつか歩き疲れたら戻って来られる場所でありたいと思ってる。もう会えないかも知れないのにな。馬鹿っぽくて嫌になる。でもやめないよ。今もまだどこかで好きなんだよね、たぶん。
今年もメリークリスマス。
直接言えたらよかったのに。
キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
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正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人の勝手な意見だから。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。
この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。
私はグループ内での信頼や絆、目標、価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。
どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。
また、ライブの演出や構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。
これから綴る文章はそんな私の個人的な意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。
私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。
1999年にデビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場の自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力とトーク力を兼ね備えた親しみやすいグループとして世の中に浸透していった。
そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣に仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。
嵐はアットホームな関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝の気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。
その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民的アイドルとまで上り詰めた。
ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せな空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。
しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。
まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。
また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。
二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファンは可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者の立場になってみて考えてほしい。
三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティだからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。
また、去年に続き今年もコンサートという場でファンにガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。
挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。
けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライトの演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか?演出に頼りすぎていないか?制御ライトの制御を強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年のデジタリアンで使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだもの。ステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライト(ファン=ライト)なのかもしれない。
このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。
更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。
・どんだけ売り上げ伸ばしたいねん
今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝の気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ。
実を言うと最新のアルバム、シングル共に売り上げが落ちている現状である。
◆嵐1stアルバム~現在「Are You Happy?」までの売上数
◆嵐シングル 2015年「Sakura」~現在「Power of the Paradise」までの売上数
原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道、ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループに担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。
そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。
更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。
11月のVS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。
だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。
そして、名場面集第一位はメンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。
去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報がファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。
そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。
毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者、関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかのプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。
・今更銀テの話
アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。
・回りくどいぜ兄さん
何でもかんでも遠回しに説教してくる。
例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまり、ネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループはファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーのネタバレは禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。
・調子乗りすぎ、自慢しすぎ
メンバーが特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。
嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。
肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲+定番曲(感謝カンゲキ、Love so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。
・本当に仲が良いのか
例えば2010年「君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバスで自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。
その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分の気持ち、意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。
去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰の意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。
今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。
他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。
アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。
それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。
もう疲れた。
どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。
どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。
こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。
どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。
苦しい。
変わってほしくなかった。
変わらずにいてほしかった。
ちゃんと愛してほしかった。
でも。もう既に心は決まっている。
さよならまであと少し。
って、映画がおれは好きだ。
屋上のシーンのゾンビが生徒達をぐちゃぐちゃにしちゃうクライマックスは何度見ても最高で毎回涙を流す。
※ ここまでわかんなかったら、これ以降見なくていいです。
んで、あんたは桐島で例えるならば前田君だったりキャプテンの人だったと思う。
絵を描くのがとにかく大好きで、誰にいわれるでもなくとにかく書き続けた結果、漫画家になった人だと思う。
普通のやつだったら、自分の好きなものなんか何もないからとりあえず大学受験して、大学入って、それでもやりたい事ないから、またとりあえず就活して別段好きでもない職種に就く。
んで、大人になっても好きな事無いから、キャバクラとか、風俗行って無理矢理満足してる。
俺はあんたがどんなに苦しいかはわからない。
でも、あんたは無理してでも胸張って生きてくれよ。
いつまでも、ずっと前田君やキャプテンのまんまでいてくれよ!!
なに普通の事言ってんだよ!そんなだったらパーマとかと一緒じゃんか!
だから増田でくだまいてないで、あの頃のまま漫画書き続けてくれよ!
俺の好きな漫画で『鈴木先生』って漫画があってそのラストのクライマックスで小川蘇美がこんな事をいう。
中2とは思えない台詞だけど、あんたにはこれを常に思っておいて欲しい。
いつも、頭をなでなでしたり、耳たぶをハミハミしたりしていた。
合宿などに行ったら、風呂場で横に座ったときにチンコを握ったり、自分のチンコを背中に擦り付けたりしていたものだ。
後輩(仮にAとする)はいつも迷惑そうな顔をしていたが、周りの連中は微笑ましく見ていた。
何かイベントがあると、家が遠かった俺はいつもAの家に泊めてもらっていた。みんな心配していた。
「いつもAの家に泊めてもらって何してるの…」と恐る恐る聞いてくる。
「いろいろだよ」と答えていた。
実際には何もしていないが(した瞬間に理性が吹っ飛ぶ)、テキトウなことを言って周りの連中を不安がらせていた。
合宿のときには部屋に忍び込んで添い寝してあげたこともあるが、夜中に起きるとAはどこかに行ってしまっていた。
何でもずっとその辺で本を読んでいたそうだ。怖くて寝れないんだと。
こういうことをしていると、自然に湧いてくるのがホモ疑惑である。
俺は皆からガチホモだと思われた。しかし!いつも反論していた!
「俺はホモじゃない!ただAが好きなだけだ!」
「いや、それをホモと言うんじゃ…」
そうやって皆からホモだと思われていたのが俺の大学時代の黒歴史だ。
ちなみにAとは今でも仲がよい。10年以上経った今でも、年に1回くらいは家に泊めてもらう。
かわいさはあの頃のままだ。
私はよく夢をみる。夢とは不思議なもので、起きているときにはない臨場感があり、それはリアルな感覚を換気する。まるでどこかの二流ストーリテラーが仕立てたようなハチャメチャな物語の当事者になって、時に空を飛んでみたり、怖いものに追われてみたり、誰かとはしゃぎあったり、相思相愛になってみたり、結婚してみたりした。先日はかつて好きだった人が、なぜかイトーヨーカドーに漂流し椅子に腰かけていた私にたちはだかり、好きな人ができた、なんて言って去っていく夢だった。間もなく起きて、いいようのないショックに少し放心した。そんなどうしようもない夢それぞれを、一つでも多く集めてみようと夢日記を始めたのが4年ほど前になるだろうか。書いたり書かなかったりを続け、ノート1冊を書き終えた後、エバーノートへ移行した今も気の向くままに夢内容をログし続けている。私は「友達いっぱいいそうだよね」なんて言われることがある。実際にはゼロに等しく、ただ無意味に社交性を発揮した結果がそんな印象を与えたのかもしれない。そんなお粗末な私にも高校時代には親しいと思える友達が数人いた。ただはしゃぎあうだけで、一緒にいるだけで楽しく満たされていた。「これが一生の付き合いをする友達なのかな」なんて卒業してみると、ぱったり会わなくなった。いろいろやってみた結果として、大学進学に失敗した私は友達との一切の連絡を遮断した。「身を立てたら会いにいこう」。そう思って以降いくかの職場で働き、それぞれでいくつかの人と仲良くなったが、結局いまに至るまで関係は継続ならなかった。とある日、私が夢を記録していくなかであることに気づいた。ノートに記し続けた雑多な夢には、出てくる登場人物が限られているということだった。いままで出会ってきた全ての有象無象が混在する夢で、私が出会えるのは高校生の頃までの友達だった。小学生、中学生、高校生、みんな当時の姿で私よりも幼く、それがいちいち懐かしくて悲しかった。私は年をとりながらあの頃のまま、無意識がそう私に言ってるみたいだった。ずっと過去に生き続けるようなこの閉塞感を突破し、前進する実感を享受するには、様々な人と出会いを更新し続ける必要がある。できればそこに、親しくできる友達がいれば、きっといい夢がみれると思う。
草食系、いやそんなきれいなことばで飾れない、ようは子供の国民のみなさまを差し置いて、斬り合ってるわけですよ舶来の民は。
出会いがありません?出会えないのは、昔と違って、自由恋愛をしなければいけなくなったせいです??
????
そうですか?上様から決められないともじもじして、できないのは大本営発表を信じてたあの頃のままですよ。
団体様でしか動けない日本人、団体になると、周りが見えなくなって色々できちゃうのに、
単独では何もできないご老人とか目をひん剥いて、見習ってほしいね。彼らを。
確かに、悲しい事件だが、あっぱれですよ。
個を出せないで団体行動しかできないじじー、ばばーより遙かに刻んで世を生きた。
そう思わんかね。
当時の自分はいろいろ未熟だったため、ごく普通の友達付き合いのみで、付き合うには至らなかった。
今は自分が28歳だから、10年近く会っていなかったことになる。
「昔好きだった」という思い出補正もあって、すごく輝いてた。
自分から話しかけて軽く世間話をしたが、人数も多かったためそれほど込み入った話もせず、
今度また飲もうね!と軽く約束を取り付けたくらいでその日は別れた。
後日、メールにて「飲みに行こうよ」と誘ってみたら、意外にもOKだった。
あの頃好きだった人と、サシで飲めるってだけでわくわくした。
約束を交わし、当日を待った。
当日。
彼女は相変わらず可愛かった。
当時好きだった人が目の前にいることに苦しかったわけではなく、
安定した職に就きたいと言って仕事に追われる日々を過ごしていた事実。
どこかしらで、初恋の人や長年好きだった人ってのは人生うまくやっていてほしい、
って自分の中で思っていたので、なんとも言えない気持ちになった。
知らない方が良かったのかもしれなかった。
1次会が終わって、彼女が手をつないできた。
次行く?と聞いてきたので、2次会にも行った。
なんのフラグかと思った。
2次会後も変わらず手を繋いできたので、
冗談で「連れて行くぞー」と言ったらまんざらでもなかったので、
とりあえず一緒にラブホテル行った。
久しぶりに出会って、すぐに体を許せるような人になっていた彼女。
自分も、ホテルに入ってからその事実がとても自分の中で消化できず、
自分から誘ったのにものすごく悩んだ。手を出していいかどうか。
やったら、もう二度とあの頃の気持ちには戻れないし、
彼女がそういう人だっていうことを信じなければいけない。そもそも浮気だし。
やらなかったら、好きな人を目の前にして何してんだと思うし、
何より、こんなシチュエーションもう二度とないだろう。
やってもやらなくても後悔する。
結局致した。
自分もくずだなぁと思う反面、何が彼女を変えたんだろうと思った。
何も知らない方が良かったのかもしれないが、
また一つ、複雑な思いを抱えて、自分も大人になったなぁと感じた。
いい機会だから俺のこと書いてみようかな。長文すいません。
独学でプログラミングなんかも始めて、
20くらいだったかな、この仕事始めたの。
もともとプログラマーやりたかったから、平行してwebプログラミングの勉強とかしてた。
最初の頃はそれなりに面白かったし、技術力うpも望めたし、それなりに未来に希望が持てた。
でも技術的に行き着くところまで行ったら、完全に作業になっちゃうんだよな。
そこには新しい発見とか、楽しさとかなかった。
まぁそれは当たり前の話で
もともとある仕様を忠実に再現してるだけだからね。
俺は段々飽きてきて、この仕事にどんな意味を求めたらいいのかわからなくなってきた。
それでもプログラミングが好きだと思ってたし、半分ヒッキーみたいな社会不適合者の俺には、
こんな形の社会参加が丁度いいのかもwとか思ってた。
段々プログラミングもやる気がなくなってきた。
仕事しながら2ch見たりいろんなサイト回ったりスロット打ちに行ったりゲームやったりな日々。
そんなある日、すっかり疎遠になってた昔のコンピュータ部の仲間にカラオケやらないかって誘われたの。笑ったよ
プログラマーやってた奴も諦めた奴もいたけど、みんなそれなりに人生を歩みだしてたのね。
一流企業の研究職だったり、プロのゲームプログラマーになったり、SEとしてそれなりに高給だったり。
俺だけがあの頃のままだった。
それがなんか恥ずかしいやら情けないやらで、俺はこの仕事を辞めた。
貯金が数百万あるけど、使い方がわからない。
お金を貯めて、何かをやろうとしてたと思うんだけど、俺は何がやりたかったんだろうって考えたら、
今度は鬱&不眠になった。考えたらニートみたいな状況だし、将来ホームレスになるんじゃねーかとか怯えた。
氏のうとか思ったけどなんとか踏みとどまって、考えた末今はコンビニ店員やってる。
高校生とか、主婦とか、店長、マネージャーとか、今までの俺じゃ100%出会うわけない人種ね。
そしたらさ、マジすげー大変なのね。いい年してコンビニ店員とかどうなんだよって話だけど。
シフト空いてるところ全部入ってる俺も俺だけど
女子高生とマジ何話したらいいのかわかんねーし
でもさ、給料超安いし、辛いんだけど、なんか少しだけ人の心を取り戻してきたよ
未来は見えないけど、カラオケとかギャンブル一色だったときよりはマシかなって思ってる。
みんなもあんまりひきこもるなよ
脳は他人から刺激を受けないと鬱になるからな
僕はたぶん非モテで非コミュで、それでいて、たぶんとか関係無しに間違いなく童貞である。
だが、生まれてから一度も彼女がいなかったわけではない。相思相愛という関係を体験した事がある点では、彼女いない歴=年齢ではない。つまり中途半端。
その彼女というやつが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女であったかどうかは怪しい。僕にとってその女の子の事を彼女と認識したことはないし、きっと向こうも僕のことを彼氏と認識しては……いや、向こうのことはわからない。女の子は早熟であるし、恋愛というものに憧れるかもしれないので、その子の中では彼氏という言葉を感じていたかもしない。
まず年齢。ガキのお遊びであったとも言いがたいが、思春期という言葉を使うには早すぎるし、当時僕は勃起なんかした事なかったし、性についてはおぼろげにしかしらなかった。そんな年齢だった。
狭い世界で僕らはお互い好きだった。好きという気持ちも、どんな好きだったかはわからない。吊り橋効果に近い、密室効果があっただけなのかもしれない。そんな言葉あんの?でもなんとなくわかるだろ、そんな感じだ。
デートみたいな事はしたかもしれない。プレゼント交換なんてのはした。バレンタインは貰ってない。あとなんかあったっけ?なにもしてない。キスなんて想像も、きっとあの頃の僕にはなかった。あの子にはあったかもしれないけど。もしそうだとしたら、ごめんね。
だから僕はその子のことが、一般的に恋人関係として使われる言葉の彼女ってやつであったかどうかはわからない。でも、実際には相思相愛だったわけだから。うーん、わからない。うん、多分何もわからない。これはあれか、シュレーディンガーの彼女か。そういうタイトルのライトノベルとか、あってもおかしくはないかもしれない。つかっていいよ。
1年ほどでその子との関係は自然消滅した。その頃から、全部、全部わかんなくなった。性欲も良くわかんないし、好きとかも良くわかんないし、彼女が欲しい気持ちも生まれたことはなかった。ただそれでも僕は単なるヘテロだし、その辺の大多数の人間と変わりないよ。まーそんなわけで10で神童だった僕は、こんなんが理由ってわけでもないけど、よくわからんうちにただのニートに成り下がった。頭はずっとあの頃のまま変わらなかった。
その自然消滅とやらから15年ぐらい経ち、こんな僕にも、生まれて初めてリアルで本気で好きな女の子が出来た。寝ても冷めてもその子のことしか考えられない。すげぇ、こんな世界があるんだなって思って泣いたりオナニーしたり苦しんだり温かい気持ちになった。非コミュなりに、俺の命!とか思って無理して色々頑張った。就職もした。それだけのパワーが、この恋ってやつにはあった。
でもその子、心が男の子だった。そっか、そうなんだ。彼女がいるらしい。なんかね運命らしいよ。そっかー。んで、良かったね、そういう人がいて。って言ったら、うんっていってた。かわいいなぁ。でも男なのか。そうかー。
僕はその子の幸せを祈る事にした。運命を引き裂くなんてとんでもない。それに、僕は男で、その子は実は男で、僕は女の子が好きで、その子は女の子が好きで、つまり何も噛み合わない。だからどうなんだ、とも思う。もちろん誰が悪いなんてこともない。そして多分これ以上何もないのだ。あの時の彼女のように、何もないのだ。これでいいんだ。このままで。
ただ未来が少しだけ、自分にとって明るいもののような気がしているのは、その恋によって磨かれた自分が、ここにいるからなのだ。思い込みかもしれないけど、そう思い込めるようになっただけでも……いいのかな。