はてなキーワード: あずまんがとは
恋愛要素がないとか何かのために戦うとかは「女性主人公のアニメでありがちでない」ことの例だから
そこも男性主人公でそのまま当てはめるとそりゃあるよという話になってしまう。
・自立して女性に依存しない、主体的に動く男性が主人公のアニメ
・男が平和に暮らしててかわいいのが見たい(例:けいおん、ひだまりスケッチ、らきすた、あずまんが日和、お仕事アニメでも可)
・ちびまる子ちゃんやサザエさんみたいに何かの為や世界の為に戦ったりしないというのが望ましい
・男相手に発情したり、口説き文句みたいなセリフが入るようなのは女性視点が入っているからダメ
・お色気要素が無い。あっても「男は結局エロが一番」みたいのではない
・男尊女卑が無い
・ドラえもんのような子供向けは「男性向け」ではないのでダメ。ハイターゲット向けのドラマCDや大人向けグッズが出ているアニメは女性ファンが多いからダメ
・メインターゲット層が女性ではない。「男性も楽しめる女性向け」アニメはダメ。
・女性原作者、女性制作者といった女性視点が一切入らない「男性が考える男性向けの男性主人公」でなければダメ。女性が考えた男性主人公は名誉女性主人公となるのでダメ
・腐向けの絵はだめ。「腐向け」の基準は機動戦士ガンダムUC、モブサイコ100、進撃の巨人、ばらかもんはOK。刀剣乱舞、ヒプノシスマイク、アイドリッシュセブンはNG
・「幼女戦記」のようなタイトルが気持ち悪いのはダメ。外見美少女だからダメ
・群像劇は男性主体ではないのでダメ。WORKINGはダメ。明確に男性主人公が良い。
・グルメものは趣味じゃないからダメ(孤独のグルメ、1日外出録ハンチョウなど)
・2クール以上あるのは長すぎて見る気がしないらしいので短めが良い
こんな感じかねえ
いつもなら次回予告してた部分で唐突に
原作漫画だったかDVDだったかの全巻セットを抽選で○名様にプレゼント…とか言うのがあって
以後あずまんが大王のキャラ人気投票みたいなのがあれば必ず香田晋が挙がるというネタができた
なぜ香田晋なのか…
2002年当時はまだあずまんが大王のような美少女漫画は犯罪者予備軍のヤベーやつが読むものって偏見が色濃く残ってた時代で
仮にも「中学時代に歌舞伎町の風俗全制覇したのに飽きたらずヤクザの女に手を出したのがバレて監禁暴行された」という、そんな中学生こえーよとしか言い様のない武勇伝をお持ちの方が間違ってもそんなオタク偏見の時代にあずまんが大王など知ってるはずもないのだ
あずまんが大王なんか知るはずもないし
香田晋だってとっくに芸能界引退してるので知らないだろうなと。
未だに影響を受けた漫画が次々出てくるってのはすげえなー。
あずまんが何かをやりきった様子で自画自賛を繰り返していたのでちょっと惹かれて買った。読んでる途中は面白かったよ。そこは評価したい。でも、最近「父」であることにこだわってるらしい氏のエゴが全開でちょっと鼻白んだ。
要するにこの本は何なのかってーと、人はあちこちで子種をばらまいて「誤配」された子どもを量産しながら生きろよ、っていうメッセージ。でまあ、氏はこれが世界を救う術だと思っちゃってるんで、自分の本からそういうムーブメントが起こって世界が救われて、するってーと俺は未来の人類の思想的な父になっちゃうんじゃね!? みたいな気分でいるわけ。
熱くなっちゃった感覚は伝わってくるけどさ、これであてられて絶賛してる人はなんつーか意識高い系学生みたいなおめでたさだなぁ、とは思う。
色々言いたいことはあるけど、あずまんはひとつ完全に勘違いしてるので俺が指摘してやろうと思う。現代社会の問題の根っこって実は「人間が人間大好きすぎる」ところにあるわけ。ルソーに対する読みは間違ってないと思うけど、一般的な人間について勘違いしてる。自身のことも勘違いしてるのかもね。あずまんも人間好きすぎるでしょ。人間がまだ未来をつくるつもりでいるからこういう本を書くのな。でも悲しいかな、人類ってこのスケールの社会を維持できる能力ないのよ。
PP251-252あたりでシンギュラリティ思想なんかにちらっと触れてるけど、これ、こんなにあっさり切り捨てられる話じゃないよね。いま「家族」の話するのに、ペットのたとえを出しておいてAIアシスタントやロボットについて熟考しないのはまずいでしょ。人間世界の仕組みについて考えるにしても、政治なんて複雑なゲーム、人間より人工知能の方がうまくなるに決まってるよね。「人間」のことばっかり考えて、人間は動物とは違う、とか思い込もうとして、現実から目を背けてんの、情けないの一言だろ。
せっかく「不能の父」なんてイカス(と思うよ)ワードを核にすえたんだから、そこはこう締めないとだめだった。もう人間は十分頑張った。ここからは子であるAIをきちんと産み落とすところに注力し、そこから先は不能の父として動物の生を生きよう、と。この期に及んで人間のことばっかり書いてるような言説は総じてクソってこった。
それはただ一つ、「かわいくあれ」ということだ。
『ゲンロン0』は、かわいさを巡る議論のように思えてしまってならない。
特に家族論。かわいいのは子どもだけではない。「誤配しちゃった」という親もかわいいのである。
というかむしろ、かわいくあるべきは子どもではなく親の方かもしれない。
ヘーゲルとかハイデガーのダメなところは、かわいくないところである(見た目の話ではない)。
ネットの交流が荒れがちなのは、それが言語ベースだからだ。言語はかわいくないのだ。
そもそも不気味さを避けるための発明が言語なのだから、不気味でない言語がかわいくあろうはずがない。