はてなキーワード: 「69」とは
一読して、同性愛をめぐる主題の取り扱いの薄さが気になったのだが、筒井亮太の解題に指摘があった。
「[...]実のところ、サリヴァン個人のセクシュアリティの部分は、後続する類書(本書もその例外ではない)において巧妙に回避され、正面きって論じられることが少ない。その点を鋭く指摘したブレッシュナー(Blechner 2005)は、サリヴァンの病棟管理実践をはじめとするさまざまな着想の背景には彼個人の同性愛(とその社会的苦境)が大きく関わっていると言う。ゲイを公言しているブレッシュナーのもとには、サリヴァンが記述しているような患者が多く訪れており、患者たちは周囲の「ホモフォビア」によって傷つき苦しんでいた。その臨床経験も含めて、彼は、サリヴァンの対人関係論を理解する上で、性欲同や同性愛の側面を除外せず、考慮するように強く主張している」(313 f.)
訳者はこの点(巧妙に回避されていること)をどのようにとらえているのだろうと思った(「ゲイを公言しているブレッシュナー」という書きぶり・・・)。
Mark J. Blechnerの論文は、ウェブ上で入手でき、『精神病理学私記』を読み解くのに有益な情報がいくつかあり面白く読んだ。
The gay Harry Stack Sullivan: Interactions between his life, clinical work, and theory
http://www.wawhite.org/uploads/PDF/E1F_2%20Blechner_M_TGHSS.pdf
同性パートナー、Michael Allenによれば街娼であった、を養子としたことや、相互フェラチオ、いわゆる「69」への着目の背景、意味(サリヴァンの著作表紙にみられる陰陽図を模したような白と黒の馬の頭部の図柄)等の下りが特に興味深かった。
調べると訳者はTwitterのアカウントを運用している様子。明らかに個人が特定されうる投稿内容なのだが、同氏を含め特定可能な仕方でSNS運用する心理臨床家は、自己開示をめぐる職業倫理についてどのようにとらえているのだろう。
実写化イヤだというのなら、誰ならこの案件を承諾して批判にさらされても監督してくれるか予想
漫画原作実写化経験:あり(るろうに剣心、3月のライオン、秘密など)
多くの実写化を手がけており、成功しているし、いわゆるファンが見たいものをクオリティ高く提供できる、原作が読みたくなるものを作れる監督という印象がある
北の零年などでアイヌ文化映画を作ったこともあるし(北の零年の評判はさておき)実写化経験、知名度もあるため本命 気持ちの動きや美しい風景が得意なため、ゴールデンカムイを実写化するならどこかのエピソードのみになりそう
以下大穴だけどみたい
とにかくうまいので見たい
「69」と「怒り」を足して割った雰囲気がゴールデンカムイだと思ってるのですがどうですか
原作ファン以外を集客できる上に「まぁよかったな〜」までまとめて仕上げられるのはすごい 弱虫ペダルではちゃんと自転車こいでたのもすごい
個人的に見てみたい
恋愛ものが多いが監督のファンも多く、このメンバーだと1番の若手で実力があるのでここらで、大きいヒット作手がけてほしさもある
日本では「ロックンロール」を略して「ロック」と言う。それを語呂合わせにして「69」と書くことがある。
音楽シーンで「69」を見たら、大抵は『ロック』と読んで、特に言及することなく過ぎ去る事が多いと思う。
Oh...チンポ
日本人は何も疑問に思わないで当然のように「69」と表記してしまう。立ち止まらず振り向かない様がまさにロックである。
当然ながら外国人は日本語の語呂合わせができない。けどもロックの文化を輸入している日本が、そこだけ「知らなかった」と言うのも選り好みである。
ポケモンをしているアメリカ人相手に「ポケットモンスター!」と言うぐらい同じことをしているのである。
と、ここまで書いたが
語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあり、1950年代はじめには「バカ騒ぎ」や「ダンス」という意味もあった。
ロックンロール - Wikipedia
「69」がある意味2つの意味を包括して かつ、文化を帰属しているように見える。
つまり、たった6と9の2文字で、アメリカの音楽文化からスラングまで仄めかしているのだ!
小型化が得意な日本、恐るべし。
しかし、「『ロックンロール』に本来の『69』という意味は無いから厳密には違うだろ」と思うかもしれない。
ただ、ここはそれぞれの国でお互いさまのような所がある。
「変態」という言葉を西洋が輸入した際「Hentai 」となり、西洋でのその意味が「エロアニメ・エロ2次絵」を示す言葉となってしまったのである。
ここまで、「69って書くのやめよう」と書いたものの、別に国内向けなら問題は無く、
その「69」という表記をすることの影響・海外の人から見られるような事が多い場合、そういう考慮が頭に入っていればいい話である。
外国人にそういうイヤらしい目で見られないように見られたくないなら、「69」表記を避ければいい話である。
(あえて「69」表記にした結果、外国人にとってファンキーに見えて注目を浴びるとか、偶然それが良い方向に転がるかもしれないが。)
今の日本で洋楽を聴くことなど普通だが、それは欧米の音楽に限った話であり、エジプトの、しかもインディーズ音楽を聴こうと思ったら大変だ。
まず情報収集。ググったところでネットにも情報は少なく、あっても英語である。四苦八苦しながら基本情報をゲットする。
金もかかる。TSUTAYAでレンタルなどできないから、失敗しないよう吟味した上で、覚悟をもって購入する。
自分の好きな音楽の傾向が分かってきて類似アーティストを開拓しようと思えば、また英語サイトの巡回である。
大変だったが、「苦労して欲しいものを手に入れる」プロセス自体を楽しんでいる自分もいた。苦労して手に入れた曲には、TUTAYAでまとめ借りしたアルバムにはない、不思議な輝きがある気がした。
舞台は60年代の二本、主人公の高校生が片思いする女子がサイモンandガーファンクルか何かのファンで、主人公はその子の前で「最新のアルバム持ってるよ!」と見栄を張ってしまう。その後、主人公は慌てて友人という友人を当たり、サイモンandガーファンクルファンの友人を見つけ、LPを無理矢理借りて、少女に自分のものと偽って又貸しするのである。
ググればいくらでも情報が手に入り、youtubeで違法ダウンロードできる現代とは違う。S&Gクラスのビッグネームであっても、アルバム一枚入手するのにそれだけ苦労する時代が有ったのだ。それは確かに不便だが、どこか羨ましくも感じる情景である。LP一枚手に入れる間にも、情緒が有り、ドラマが有る。
そんな風に苦労してエジプトのアーティストの音楽を楽しむ日々が少し続いた後、アップルミュージックがリリースされた。アプリが履歴から俺の嗜好を分析してエジプトだろうが中東だろうが異国のアーティストの音楽をどんどんおすすめし、高音質な音源が全て定額で聴き放題。
俺はすぐにその利便性に溺れた。