「「鳥」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「鳥」とは

2023-12-24

アメリカインドネシア人が作った説

2023-10-05

anond:20231005150204

👮‍♂️「…北海道民ですね、焼「鳥」なのに豚肉でも頓着しないのは」

2023-07-15

anond:20230715201353

どうだろ、なんかなんでも監督と周辺環境に結びつける読み解き方もどうかと思うけど。(もちろん作り手の心理として、環境感情に影響を受けることは否定できないが。)

ヒッチコック「鳥」も、なぜ鳥が襲ってくるのか?自然や鳥自身人間への復讐なのか、疫病や闘争メタファー?とか色々な見方はできても答えはない。

君たちはどう生きるかでは、強いて映画から関連性を探すなら、主人公父親飛行機を作っている。もちろん戦争用、戦闘機用の飛行機。そして冒頭の火事は、たぶん空襲によるものだよね?こういうところから、鳥=飛行機=戦争・災いのメタファーと読んだ方が、作品読み解きとしては素直ではなかろうか。(思い返すと、風の谷のガンシップラピュタゴリアテ紅の豚飛行機地獄ハウル悪魔のような羽根風立ちぬ戦闘機……飛行は戦闘であり、あの世への接続なのかね)

2023-06-28

anond:20230626153542

「家焼き」「鳥」の話かなと思ったら「家」「焼き鳥」の話だった

2021-05-30

書いたな、俺の前で、劇団☆新感線の話を!!

タイトルやってみたかっただけ。あと他人話題にかこつけて自分の好きなものの話がしたいだけ。

あとトラバ演劇関係自意識過剰新感線が30年前? バーカ! 一生そこで半可知識したり顔しながらネチネチやってろ!

なお元増田は言いすぎで、一般教養とまでは言えないと思う。

さて、劇団☆新感線のことを初めて聞いた人が「2.5次元みたいなことですか?」というのは、当たらずとも遠からずではないかなと思う。

というか2.5次元舞台の多くは新感線の影響下にあるのではないか(数が多すぎるのですべてを把握してはいないが)。

あと、新感線は2.5ブームが来るはるか前に犬夜叉舞台化していたりするし、距離としてはそこそこ近いと思う。

共通点としては、宮村氏の言う通り、漫画アニメ世界観舞台の上でやろうとしてること。

これは話の筋立てや演出もそうだが、往年の漫画の熱気みたいなもの再現する美学みたいなもの共通していると思う。

新感線舞台は往々にしてかなり過剰にSEを使うのだが、漫画の描き文字再現と思うと納得がいく。

相違点としては、当たり前だが、漫画原作ではないこと。

漫画アニメ世界観、いいところ、を舞台でやろうとしていることは共通しているが、

すでにある漫画舞台の上に再現しようとする2.5次元と、

舞台のために漫画の良いところを抽出して作り上げるのではやはり出来上がるものが違う。

あとはまあ2.5次元企画ありきで役者を集める形式が多いのに対し、

劇団☆新感線は「所属劇団員」がいる。ほとんどの主役級は客演の有名役者がやるが、脇を固める劇団員安心感というのはある。

劇団☆新感線はどんな舞台をやっているのか

大きく分けて以下の3つ。

いのうえ歌舞伎

いのうえひでのり演出で上演される時代物。戦国時代モチーフ神話モチーフが多い。

ストーリー人間の業的なものを中心に据えたものが多く、人がバンバン死にがち。

「髑髏城の七人」、「アテルイ」、「阿修羅城の瞳」、「蛮幽鬼」、「蒼の乱」、「偽義経冥界歌」など。

もの

「Rシリーズ」が正式名称っぽい、ロックミュージカル色の強いもの

ストーリー内容は割と多岐にわたる。

五右衛門ロックシリーズ、「SIROH」、「メタルマクベス」、「Vamp Bamboo Burn」など。

ネタもの

「おポンチ」などと呼ばれ、ギャグに振り切ったシリーズ

パロディネタが多い。3系統の中では劇団員の占める割合が多い(他シリーズ客演が多い)。

轟天シリーズ、「花の紅天狗」、「レッツゴー!忍法帖」、「月影花之丞大逆転」など。

ただどれもギャグシーンは多いし、歌の多い「いのうえ歌舞伎」もあるし時代物の「音もの」「ネタもの」もある。

配信で観れるやつ(一部)

演劇は高いだとか都市部でなければ見れないだとかと当たり前のように言う人もトラバ散見されるが、

劇団☆新感線に関して言えばゲキ×シネという全国映画館での上映を2004年から続けている。

実際の舞台撮影ではあるが、何台も仕掛けたカメラによるカット割りがされており映画として見やすくなっている。

(知ってて当然という話ではないが、彼らの不断努力を、「演劇全般へのルサンチマン発露のために勝手に無に帰すのはあまり勝手だなと思う)

なお、今は動画配信でかなり安価で観られるので下記に一部紹介しておく。


髑髏城の七人(NetflixサブスクAmazonプライムビデオ都度課金500円)

いのうえ歌舞伎代表作であり、劇団☆新感線代表作。

戦国時代の終わりかけ、死んだはずの信長異名第六天魔王」を名乗る男が現れたことによるあれこれ。

人情もつらい過去凄惨な戦いも少年漫画的な展開もしょうもね~ギャグも、全部乗っけ盛りの濃厚さ。

脚本は座付き作家中島かずきで、「グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」なんかの脚本の人と思えばなんとなく近い。

1990年の初演以来7年ごとに再演し、役者演出を大きく変えている。

初期は主人公の「捨之介」と悪役の「天魔王」の一人二役の演じ分けがみどころだったが、2011年の上演版以降はその二人を別人が演じることも増えた。

その代わり、「無界屋蘭兵衛」というキャラクターの注目度が高まっていて、

そのきっかけを作ったのはおそらく11年に蘭兵衛を演じた早乙女太一のあまりにも華麗な剣捌きだと思う。

配信で観れるのは2011年「ワカドクロ」と17~18年に連続上演した「花」「鳥」「風」「月」「極」。

初見ならばおすすめは「ワカドクロ」か「花」

個人的に好きなのは「鳥」で、森山未來早乙女太一身体能力オバケ二人による殺陣は鬼気迫るものがあるが、全体の流れから言うとキワモノなので2本目にお勧め


蛮幽鬼Netflixサブスク

いのうえ歌舞伎。「モンテ・クリスト伯」を翻案し、架空アジア世界舞台にした復讐譚。

主演は上川隆也堺雅人

上川隆也演じる主人公自分を落とし入れ親友を殺した相手復讐する話で、ずっと怒りに目を見開いており怖い。

堺雅人は「ニコニコ顔の最強の暗殺者」という完全に漫画キャラ立てなのだが、息をつかせぬストーリーの展開によりいつの間にか受け入れてしまう。

このころの中島かずきはこういうどうしようもない人の業により悲劇が加速するような話をやたらめったら書いているのだが、

その、己の業によりずたぼろになっていく人の描き方に容赦がない。

個人的新感線にはまるきっかけとなった作品なので思い入れが深い。

あと、この作品により稲森いずみが大好きになった。舞台初出演とのことで慣れてはいなかったのだろうがあの細い体で舞台を圧する瞬間に目を奪われた。


五右衛門ロックシリーズAmazonプライムビデオ都度課金500円)

音モノ。「五右衛門ロック」「薔薇サムライ五右衛門ロックⅡ」「ZIPANG PUNK五右衛門ロックⅢ」の三部作

古田新太演じる石川五右衛門が、どっかの島の危機を救ったり、スペインぽい国の危機を救ったり、帰ってきて宝探しをしたりする。

いのうえ歌舞伎的な陰惨さはある程度影を潜めているが、話は冷静に考えると割とヘビー。

ただ、どんなに悲惨な展開で善玉がひどい目に遭って悪者が高笑いしていても、最後に五右衛門かっこよく登場して何もかも解決するので最後はスカっとして終る。

明日から仕事かーみたいなときに観ると元気になれるのでよい。

新感線看板役者古田新太」というイメージの具現化みたいな作品だと思っている。決して二枚目ではなく飄々としていて最後に決める。

個人的に好きなのはⅡで、ⅢはⅡを踏まえたお祭り作品的。



anond:20210529215116

2021-04-08

進撃の巨人最終話(139話)の予想 ※最新話138話までの記載あり

タイトル予想】

「代償」「贖罪「鳥」「鳥籠」「あの景色」「この世界残酷で美しい」




ストーリー予想】




※ ※ ※ 138話までのネタバレあり ※ ※ ※




エレンの首が落とされたので、始祖・進撃・戦鎚が継承待機状態出産されるユミルの民待ち)。

始祖ユミル笑顔だったのは「道」での奴隷業をエレンと交代できるフラグが立った為。

 

ミカサエレンの居場所を知ったのは多分「道」エレンと過ごした際に知ったから。

「道」の中の歴代の知性巨人と同様、首切られたエレン「道」にまだ存在する。

 

「道」エレン&始祖ユミルアルミンが交差。

アルミン、大ピンチの仲間を救う為、無知巨人の動きを止めるよう要求

エレンユミル拒否、団結してアルミンを攻撃・・・と見せかけて、エレンが「自由だ」とユミル奴隷解放宣言。ユミル対立

 

アルミンの頭脳戦やらなんやかやあって、光るムカデが敗北。ユミル無力化。

エレン完全死亡(死亡直前にアルミンと共に「未知の世界」を見たり、ヒストリアの赤子を抱き上げる)。

全ての巨人能力消滅し、13年の呪いが解ける。知性巨人巨人化した104期生も助かる。

座標と「道」は閉ざされる。進撃を含めた全ての巨人継承されない。

 

巨人消滅後、一度は手を取ろうとしたマーレ人たち非エルディア人はPTSD。エルディア人達巨人能力は失れてもトラウマは残る。戦争は続く。

この世界残酷で美しい。

2021-01-17

anond:20210116135017

俺も大嫌いだった田舎Uターンして、ガキの頃は気付かなかった魅力に触れて幸せに生きてるのでめっちゃ共感する。

当たり前にそこにありすぎて、昔は「草」とか「鳥」ってざっくり理解してたのが、よく見ると本当にいろんな種類があって、さらに季節によって全く違ってて、今では見飽きることがない。

子どもと一緒に散歩しながら季節の変化を探すの楽しすぎ。

2019-01-08

絶対ヤダッ!って新元号を考えてみた

ルール過去に1度以上使われた漢字使用する

優勝:中亀

準優勝:万化

3位:老感

4位:霊鳥

5位:王貞

6位:中吉

7位:白雲

8位:天国

9位:成吉

10位:大中

10回以上】

「永」29回、「元」27回、「天」27回、「治」21回、「応」20回、「正」19回、「長」19回、「文」19回、「和」19回、「安」17回、「延」16回、「暦」16回、「寛」15回、「徳」15回、「保」15回、「承」14回、「仁」13回、「嘉」12回、「平」12回、「康」10回、「宝」10

【9~2回】

「久」9回、「建」9回、「慶」9回、「享」8回、「弘」8回、「貞」8回、「明」7回、「禄」7回、「大」6回、「亀」5回、「寿」4回、「万」4回、「化」3回、「観」3回、「喜」3回、「神」3回、「政」3回、「中」3回、「養」3回、「雲」2回、「護」2回

【1回】

「乾」「感」「吉」「亨」「興」「景」「衡」「国」「斉」「至」「字」「朱」「授」「勝」「昌」「昭」「祥」「成」「泰」「鳥」「禎」「同」「銅」「白」「武」「福」「霊」「老」「祚」「雉」

2018-07-30

【衝撃】嶋って漢字の右側、「鳥」だった

ずっと島だと思ってた

2017-12-15

市町村名に用いられている生き物の漢字は全部で24種類

66の市町村確認できる。架空の生き物「竜」「龍」「鬼」を含めると27種類72市町村

最多は「鹿」の13。次いで「馬」「熊」「鶴」が6つ、「魚」が4つ。
「亀」「鷹」「鳥」「竜」「龍」がそれぞれ3つ、「猪」「牛」「貝」「鳩」がそれぞれ2つ。
1つの市町村しか用いられていない漢字は「鰺」「犬」「鬼」「蟹」「鴨」「烏」「鮭」「鯖」「鮫」「猿」「燕」「鷲」「鰐」。

2016-11-30

キッチン」って10回言って!

「鳥」英語でなんて言う?

2016-08-12

鳥越投票した。ただし、支持はしておらず、投票したくはなかった。

ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏、惨敗都知事選を振り返る【独占インタビュー

http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2016/08/10/shuntaro-torigoe_n_11422752.html

ブコメで「鳥越投票した人の意見が聞きたい」というものが多くあるので、書こうと思う。以下、候補者知事敬称略

吾輩は「無党派層である支持政党はない。ただ、公明党支持者にしつこくされたことがあり、同党は論外だ。自民党も好きではない。猪瀬辞任後の前回の都知事選では、細川・舛添・宇都宮の三択で、宇都宮に入れた。細川は、演説を聞いて「これはダメだ」と思った。見栄っ張りで派手好きな舛添は以前から嫌いだった。このような消去法で宇都宮に入れた。消去法で宇都宮を消さないのだから、吾輩は「リベラル」と呼ばれ得るのかも知れない。

しかしながら、今回、2016年の都知事選で「リベラルが一致して担いだ神輿」には、心底、失望した。何しろ最初が「都政には興味がなかった」発言であるジャーナリストの「調べる」「人に伝える」という技能は、行政の手腕には関係がない。そもそも吾輩は、ジャーナリスト鳥越俊太郎に憧れのようなものは抱いていない。テレビで大きな声で堂々と喋る鳥越が、何かに優れた知見・洞察力を持っていると思えたことはない。逆に、「中学生レベルのことも知らないのか」と思ったことはある。なぜ鳥越が「勝てる候補」と看做されたのか、吾輩にはとうてい理解できなかった。

だが、文句を言ったところで、小池増田以外の選択肢は「野党統一候補」だけで、それが鳥越であるという現実は変えられない。

かくなる次第で、このほどの都知事選挙は、吾輩にとっても、他の多くの人々と同様に、小池増田鳥越の三択だった。率直に、どれも選びたくなかった。しかし、「選ばない」という選択肢はない。

真っ先に消去したのが増田である岩手県知事時代のひどい仕事ぶりについて書かれたネットメディア(吾輩の記憶が正確ならばBlogos)の記事を読んで出した結論だ。

次に消したのが小池であった。東京にとっては福祉が非常に重要問題だが、小池政策で、東京が吾輩や吾輩の家族・友人の暮らしよい街になるとは、まるで思えなかった。それに、小池は数年前、とんでもない電波を飛ばしていたことがある。この人を都知事なんかにしてはならない。ぜったいに。

かくして、吾輩に残された選択肢鳥越のみとなった。しかし、鳥越には入れたくなかった。「都政には関心がない」「私だってバカじゃないのだから、少し勉強すればわかる」と言い放つ無神経な大物にトップに座られても、現場が混乱するだけだ。しばらく、一度選択肢から消した増田小池発言見直しては、やはりダメだと結論を出すというようなことをしていた。そして、あの週刊誌報道がダメ押しになった。そのころには、新聞なども「小池リード」と報じていた。鳥越は、吾輩が投票しても、どうせ当選などしないだろうと吾輩は確信した。

その段階でも、実は、残る選択肢があった。即ち、棄権白票無効票である。だが、香港雨傘を掲げたデモ隊のことが思い出され、棄権絶対にできないと思った。

吾輩は、投票日当日まで悩んだ。いっそ、「泡沫」に入れるか? だが、「泡沫」も、今回は名前を書くのもためらわれるような面々だ。

当日。吾輩は投票所に到着するまで、一歩一歩歩きながら、「鳥越白票鳥越白票」と唱え、投票所に入ったときが「鳥越」か「白票」かで決めようと思っていた。だが、横断歩道信号が変わりそうになって走ったので、わからなくなってしまった。そうなると、「暑い中、せっかく投票所まで来たのだから、何か書くべきだ」という内なる声がしてくる。「何か書く」といっても「鳥越名前」以外にはないのだったが、投票用紙を受け取り、ブースに向かい鉛筆を持つまでの間に、「宇都宮名前」を書こうかなとも思った。あるいはいっそ「舛添の名前」でもいい。しかし「宇都宮」は下の名前が思い出せず(名字だけでもよいのだが)、「ますぞえ」は漢字がわからなかった(ひらがなで書いてもよいのだが)。吾輩は鉛筆を持ち、「鳥」という字を書き始めた。この時点で後戻りできなくなった。最後まで名前を書いた。

投票所を出るとき、吾輩は、かつてないほど悪い事に手を染めたような気がしていた。道徳的に、許されないことをしたような気がしていた。横断歩道の向こうにあるコンビニトイレ直行して、石鹸で手を洗った。

こうして吾輩は、130万票の1票になったのである。吾輩のような有権者は、他にもいるであろう。ハフポのインタビューへのブコメのいくつかで「ご愁傷様です」と言われ、吾輩は思わずぺこりと頭を下げている。

2016-05-23

『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)

『レヴェナント』はめちゃくちゃ難解なんですが、ポイントを押さえれば、イニャリトゥ監督過去作品と大してテーマは変わんねぇことが分かります

ポイント1 テーマって何よ?

イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』までひたすら「親子」をテーマ映画を撮り続けてきた監督です。なので『レヴェナント』でもテーマは「親子」です(インタビューでもそう言っています)。もうちょい言うと、『レヴェナント』では「親の子に対する愛がいかに深いか」ということを描いてます

ポイント2 何でそうだと分かるの?

主人公グラス(ディカプリオ)の台詞ちょっと考えてみれば分かります

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

これはグラスが救出された後にヘンリーに語った言葉ですが、この2つの台詞から分かることは、①グラスにとって息子ホークは生きる意味のものであったこと、②グラスは物語のどっかで既に死んでいて、それにもかかわらず基地までたどり着いたということです。

ポイント3 え、グラス死んでなくね?

死んでます。具体的にはフィッツジェラルドにより埋葬された後、息子ホークの死亡を確認した時点で力尽きています。通常、熊に襲われて、内蔵が見えてしまっていて、脚は複雑骨折、その上発熱していて、ろくな治療を受けられないまま生き埋めにされたら(さらに生きがいであった息子が殺されたら)、それは死ぬだろ、と思いませんか。

ポイント4 は?じゃあその後立ち上がるのは何よ?

あれは肉体が死亡していながら精神の力(息子を愛する力)だけで動くゾンビみたいなもんです。ジョジョを読んでる人は、ボスにぶっ殺された後のブチャラティみたいなもんだと思ってください。

ポイント5 あまりにもオカルト解釈すぎない?

小難しい話になりますが、イニャリトゥ監督は前作『バードマン』で死と再生の話を描いていて、映画では好んで用いられるモチーフです(『鏡』、『8 1/2』など)。主人公が死んで復活するというのは映画では珍しい話ではありません。

加えて、本作のタイトルが"Revenant"(つまり「死から蘇った者」〔someone who has returned from the dead〕)であることもこの説を補強します。

ポイント6 するとあの超回復力は何?

解釈問題になりますが、海外サイトの中には、グラスは死にそうになるたびに、野生動物に生まれ変わった(死と再生)のだとする説がありました。

最初は熊です。これはグラスが熊の毛皮を着て、熊の爪のネックレスを身につけ、川で魚を手づかみにし(木彫りの熊ですね)、それを生のままかじり付いていた点に表れています

次は狼です。これはインディアンバッファローの肉を求める際、四つん這いに這いつくばって、人にへつらっていたことと、投げられた肉を生のまま貪りついていたこから分かります

その次は馬です。これは文字通り馬の腹から這い出てきたことから分かります

最後になんかの肉食獣です。これは最後の戦いでわざわざ銃を捨てて、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることから分かります

グラスはこれらの野生動物に生まれ変わる過程回復していったと見ることができます

ポイント7 何でそんなことができんの?

愛です。

ポイント8 まあ愛の力だとして、人間の姿に生まれ変わらなかったのはなぜ?

ここも解釈ですが、息子を失って生きる意味を失った以上、野生動物と同然の存在に成り下がったと見られるのではないでしょうか。

ポイント9 では、場面を移して、ラストバトルで言ってた「復讐神の手にある」って何なの?

グラスが一匹狼のインディアンから教わった言葉です。「神の手」というのが直接的には川下に居たインディアンリーさん)だったため、海外サイトではリーさんは神の復讐の代行者であると言う人が多かったです。「インディアンあんなに近くに居るのに川に流したら殺されるに決まってるだろ」と言う人も居ますが、個人的には死と再生を繰り返したグラスさんの聖人パワーでリーさんを引き寄せたと思っています。つまり愛の力です。

ポイント10 戦いを終えた後、グラスさんがこっちをじーっと見るけどあれは何?

あの表情には元ネタがありますタルコフスキーの『僕の村は戦場だった』のイワン君(12歳)の表情です(https://vimeo.com/153979733ラスト)。どういうときの表情かというと、まずイワン君はソ連少年兵なのですが、ナチスに母と妹を殺されています。そんで夜中に1人でナチス軍に対する戦いをシミュレーションしている最中にあの表情をします。つまり純粋さと愛にあふれた少年の心が、ナチスに対する復讐心で壊れかかっているときの表情です。これをグラスに類推するなら、あの表情は、復讐を終えたことで(生きる意味を再び失ったことで)グラスの精神が壊れかかっている(もしくは壊れてしまった)ことを意味しているのではないでしょうか。

ポイント11 エンドロールがはじまってもグラスの吐息の音が聞こえるんだけど、あれは何?

あの吐息音をめぐって、海外掲示板では「グラスは死んだのか否か」について熱い議論が交わされています。これは監督の前作『バードマン』でもあった論争で、そこでの論争が、主人公は生きているという決着で終わったため、今回もグラスは生きているだろうという説が有力です。ただ、私の考えとしては、グラスは精神力(愛の力)だけで動くゾンビ状態なので、その精神崩壊した以上、グラスは真の意味で死亡したと思っていますジョジョを読んでる人はシルバー・チャリオッツレクイエム出現後のブチャラティを(略

ポイント12 結局『レヴェナント』ってどういう話なの?

愛する息子を殺され、肉体的に死亡した主人公が、愛の力で死と再生を繰り返し、敵に神罰を与えて、やっと死ぬ話です。つまりテーマは親の子に対する深い愛です。

ポイント13 ごちゃごちゃ言ってるけどテーマとかどうでもよくて、ディカプリオにアカデミー賞取らせたかっただけなんじゃないの?

ちょっと違いますが、そういう側面があった可能性が高いです。というのは、イニャリトゥ監督が今回の撮影目標とした映画というのが、①黒澤明デルス・ウザーラ』、②コッポラ地獄の黙示録』、③タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』、④ヘルツォークフィッツカラルド』、⑤ヘルツォークアギーレ/神の怒り』だからです。映画ファンであればすぐ分かるのですが、これらは映画史上最も撮影が困難だった映画群です。例えば④の『フィッツカラルド』なんかは巨大な蒸気船を滑車を使って実際に山越えさせています。つまり監督映画史に残る過酷映画撮影がやりたかったところに、アカデミー賞がどうしても欲しかったディカプリオと利害が一致した、というのが真相なのではないかと思っています

ポイント14 大体分かったけど、残ってる謎とかあるの?

掘り起こそうと思えばたくさんあります。例えば『レヴェナント』では上記の表情以外にもタルコフスキー作品から引用が多い(「宙に浮く女性」、「貧しい人にご飯を分け与える姿」、「鳥」、「隕石」)のですが、それがただタルコフスキーの真似をしたかっただけなのか、意味があるのかがよく分かりません。それとフィッツジェラルドが神について2回話すシーンがあるのですが、その意味がよく分かりません。

それと、作中何度も繰り返される"As long as you can still grab a breath, you fight."という台詞意味が実はまだよく分かっていません。特にエンドロールが始まってからも聞こえる吐息音を考え合わせると、グラスが生きている説も導き出せるため、重要な要素である可能性があります。何か思いついたり新情報が出たらこっそりこの記事を訂正するかもしれません。



「『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)」(http://anond.hatelabo.jp/20160524110234)に続く

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん