はてなキーワード: 「我が家」とは
こういう現象が続いたことが明治の廃仏毀釈に至ったわけで、その時代に各地で失われた多くの文化財のことを考えれば、放置すると仏教界だけでなく日本全体にとって不利益というのは分かる。ただ、「そういう目に遭ってもなお性懲りもなく同じことを繰り返す人々」なわけだよな。結局、体制自体を変えないとダメなんだろう。
地元の様子を考えるに、僧が寺を「我が家」のようにして後を継いでいくのが100%悪いとは思わないのだが、後を継ぐ肉親がいなくなった時点ですっぱり手放すという決断を自分でできないのが問題なのだと思う。知り合いのところも、子がダメなら孫、みたいな感じでなんとか後を継がせようとしてた。それは結局「自分が住み慣れた家(寺)から出て行きたくないから」なんだよね。
かといって、増田のあげた例で言うなら、「養子で入った新しい住職」の権利を強めると、今度は「信じて入れた養子に冷たく追い出された高齢の元住職夫妻(あるいは元住職が亡くなって、妻のみが追い出される等)」といった別な方向の修羅場が発生するだけのことだと思う。難しいね。
とりあえず、元住職夫妻限定で入れる素敵な養老院を、本山が出資して整備してみるとかそういう方向での解決はどうなんだろうかね。