名前を隠して楽しく日記。
もう30になるけど、ふと昔を思い返すと結構死にたがってたなというのを思い出した。
高校生からただひたすらに厳しい教師にさらされて、友人もうまく作れなくて、ただ毎日を耐えるみたいな日々を送ってた。
いつの間にか卒業して、大学に入学してからは自由になったけど「お前みたいなやつ社会では通用しないぞ」っていう言葉が呪いみたいに脳みそにずっと残ってた。
在学中はとにかく自分みたいな社会不適合者が生きていくすべはないか探して、ライター業みたいなのを始めた。
自分は大したセンスはなかったけど、それなりに必死さがあったせいか、大学卒業するぐらいには個人で食っていけるぐらいにはなった。
お客さんとの連絡はあったけど、それでも「自分が社会に出たらまた高校生の頃のつらい日々がやってくるんだ」と、それに比べたら天国だなと嫌々ながらコミュニケーションをやってた。
コロナが始まって、取引先が次々と規模縮小をし始めた。コロナだったらIT系ジャンルは伸びそうなものだけど、現実問題としてそうなったのだからそうなったのだ。
収入が減り始め、毎月の家計は赤字になり、貯金がどんどん減るさまを見て「詰んだんだなぁ」と思った。
社会に出れば辛い毎日が待ってるだろう、かといって目の前の現実も十分辛い、逃げ出そうにも金がない、逃げ場がない。
どんどん精神的に気が滅入ってきて、ベッドに入るとナイフが自分に降ってくる。刺さるとそこからじんわりとした痛みと温かみを感じる、罪悪感から少し開放される。全部脳内でしかない出来事なのだが。
ある日、もう限界という状態になって、なんだか全部どうでも良くなって、なんとなく興味はあったけどやってなかったプログラミングをやってみようかなと思った。
インターネット中毒者みたいな自分にとっては、IT業界はとにかくツラいというイメージがあった。
でも同時に社会不適合者の自分が生きていくならいいのかもしれないという気もした。なによりどうでもよかったのだ、他人の言葉も、今後の自分も
ギリギリのラインを攻めるならあと2ヶ月は勉強できそうだったから、適当にリサーチして勉強して、そこから就活を始めた。
明らかにやばいんだろうなという会社から仮内定とか謎の通知を送りつけられて、営業から電話がかかってくる。
「ああ、大丈夫ですよ、未経験でも教えるって先方言ってますから」
本当か?と思いつつも、それならと了承し、なけなしのお金をはたいて書店で入門書を買った。
面接の期日が近づいてきたけれど、連絡が来ない。
不安になってこちらから嫌々ながら連絡を取ると「ああ、その話もう他の人にあげちゃいました」だと。
色んな感情がない混ぜになりながら「ああ、そうですか」と絞り出して通話を切った。
なんだか部屋にいたくなくなり外に出た。
雲一つない晴天の中、住宅街を歩いていると情けなくて涙が出てきた。成人男性なのにと思うと尚更涙が出た。休憩中の工事現場のおっさんが見えて、声を押し殺して俯いて泣きながら通り過ぎた。
笑い声が聞こえた。自分のことを笑ったわけではないだろうと思うけれど、クラスの片隅で笑い声を聞くたびに、自分のことだろうかと思った日々を思い出して、気分が悪くなった。
突き刺さる日差しを背に、顔をクシャクシャにしながら、平日真昼間の住宅街をトボトボと歩いた。
帰宅して一眠りしたあと、このままじゃだめだろうともう一社だけ頑張ろうとエントリした。
小さなビルに19:00訪れると、人事の人が玄関で待っていた。
「社長が来ないんですよw」
「そうなんですか……」
どうやら鍵がないらしい。
一言二言交わしていたら、ごめんごめんと遅れて社長がやってきた。
志望動機でも聞かれるのかと思ったら、履歴書を確認した後言われたのが「君面白いね」だった
個人事業をやっていたことをとても褒められたのを覚えている、ライター業ってどういう風に働くの?とも根掘り葉掘り聞かれた。
終わり際には社長と人事の人がどちらの猫のほうが可愛いかを議論し始めた。変な会社だ
面接が終わり1週間ほど経った後、採用通知が来て、契約書的なものが届いた。
給与が書かれていたのだけど、それは非常に安いものだった。詳細は省くけど、年収100~200万のどっかだ。
足元を見られてるとか、未経験なんだから仕方ないとか、でも求人の内容と違うじゃないかとか色々思って、承諾した。
初めての出勤日まではただ漠然と何をしたらいいかもわからず、Laravelというフレームワークの使い方を学んでいた。
気づけば出勤日当日で、初めて出社というものをした。
社長の言われるがまま環境構築を行い、指示されたエラー文言の修正を行った。「君やるね」褒められた。
退勤して帰路についた頃、ああ社会人になったんだなと思った。
「お前みたいなやつ社会人でやっていけない」、ああ言われた日から自分が変わったとは思えなかった、むしろ悪くなったと思っているけど、どうやらやっていけそうだと安心したのを覚えている。
それからは必死に働いた。わからないことがあれば勉強して、ただひたすら目の前の課題に取り組んでた。
自分にナイフが降ってくることはここ2年はないような気がする。死にたいと思うことはたまーにあるけど、嫌なことから逃避したい程度のもので、体温が感じられないような、体が凍りつくような、表現しづらいあの感覚は特にない。
社長とは仲良くやっている、業務の愚痴を聞いてもらうことすらある、色々ルーズな人だが優しい人で助かってる。
給料も上げてもらった、高いとは言い難いが、十分に生きていける。
死にたくて辛かったあの日々は喉元を過ぎた何かになりつつあって、今日ふと死にたいとかいうエントリを見て思い出して書いた。
「生きてたらいいことあるさ」なんて言うやつがいたら、脳内で顔面ズタボロになるまでぶん殴っていただろう当時からすると信じられないが、現状だけを客観的に見るとどうやら自分は「生きてたらいいことがあった」みたいだ。
人に生き方を強要したり、アドバイスしたり、そんな事ができるほど偉い人間でも賢い人間でもない。
ただこういう人生があった、ということを書き残せたらということで書いた。
DOAとかで男女が殴りあったり投げや関節技やってるのを見ると物凄く激しいセックスしてるようで子供の頃から興奮していた
てか調べたらあってたし
三省堂国語辞典は、この「的を得る」という表現を長らく誤用として扱ってきたが、改版にあたり再検証を実施、その結果、「得る」の字義を「うまく捉える」の意と捉えれば「的を得る」も誤用とは当たらないと結論づけ、《「的を得る」は「的を射る」の誤り》という従来の記述を撤回している。
何が珍説なんですか?
変換そのまま載っけちゃいました
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%8C%E3%81%B0%E3%81%8C%E3%81%B0/
ここには載ってるんだよなぁ。