名前を隠して楽しく日記。
外圧>女圧ってだけの話だよな
かーちゃんに作ってもらえ
さっきドラッグストアでお米が品切れだったわ
年齢 230歳
性格 嘘をつくことができない正直者
経歴
地元で農民として80年過ごし、故郷の顔馴染みが死に絶えた後に村を出る。
しばらく眠った後に上京。
受験生は両親が勉強に厳しく「このまま鳥になってどこかに飛んでいきたい」と言っていたので彼を鳥にしてあげて、代わりに身体をもらう。
お腹の子供は死にかけていたが夫婦はまだ気がついていなかったので、子供を楽にしてあげて代わりに自分が胎児になる。
ちょうど良い頃合いに出てきて、地元の少学校、中学校、高校を卒業。
兵学校時代ぶりに広島で過ごしたくなり、広島大学医学部に進学。
仲良くしてください
駒さんって共同親権反対派だったのか
引き出し少なすぎなだけやろ
逆に平均化されて案外まともになるんちゃうか
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB137Q50T10C24A5000000/
元々は人よりちょっとだけ音楽が好きな、石を投げればボコボコ当たる、そんなどこにでもある、よくある平凡な人生だった。
元々結婚に興味は無く、好きな人もそんなにできなくて、いちばんモテたのは学生時代と言う、異性とはほぼ無縁の人生だけどそれなりに満足していた。
障害者になるまでは。
転職して、1年経たずに過労で入院。色々あって高次脳機能障害になった。
ブスでデブで卑屈で、元々自己肯定感が底辺の私が心の拠り所にしていた唯一の取り柄、それが学生時代に勉強せずに成績が上がらない私に業を煮やした担任がこっそり教えてくれた、IQがクラストップだったと言う事実。
地元の進学校から東大や京大に行った同級生よりもIQが良かった、それだけが私が卑屈にならずに人と対等に話せる唯一の根拠だった。
職を転々とはしていたけれど、どこに行っても仕事ができる、仕事が早いとしか言われなかったし、愛想が良い方では無かったけれど、人は仕事ができれば自然と認めてくれるものだ。実際、特に好かれる努力をしなくてもすぐに新しい環境にも馴染めたし、いじめられることもなくやって来られたのは、勉強も仕事も人並み以上にできたからだ。
そして社会人になってからは、その「仕事ができる」と言う評価だけが自分の存在価値だった。
でも病気になり入院して障害を負い、それが全て根こそぎ失われた。
障害を一部にしか開示していない私は、とにかくミスをするのが怖くて何回も確認して時間がかかったり、念の為の確認を繰り返したり、事情を知らない人から見れば飲み込みが悪く、同じことを何回も聞く心配性の面倒なおばさんでしかなかったと思う。
復職してしばらくは問題なかった。けれど人事異動などで、時間の経過とともに私の実情を知る人は去っていった。
ソツなくこなしていたことが仇となり、仕事の量が増えて抱えきれなくなり、上司に相談しても暖簾に腕押し。
自分が以前の自分と違うことは、誰よりも自分が一番わかっている。
ミスが怖くて眠れなくなり、クリニックで薬を処方してもらった。夜は度々トイレに起き、朝は2時間も早く目が覚める。
病院の先生には手帳を取って障害者雇用を勧められたけれど、そんなお墨付きをもらうのは山より高いプライドが許さなかった。
結果、30代にしてようやく掴んだ直接雇用を自ら手放した。
私が葛藤して悩み苦しんでのたうち回っているその間に、友人はどんどん結婚して行った。
結婚が羨ましかったわけではない。私よりも仕事ができない、人生において何の苦労もしていない、何より入院して命からがら病院のベッドの上にいる私に「まだ結婚しないの〜?」と子供を腕にあっけらかんと言い放つような人間性の持ち主が何の苦労もせずにのうのうと暮らしている(ように見える)。
八方美人で職場の上司に気に入られ、派遣でポンポンと職を変え、最終的には派遣先の大企業正社員と結婚。なんの努力も苦労もせずそんなお気楽な人生を歩める人もいる。
なのに努力をしてやっとの思いで正規雇用を掴み、日を超えるまで働き、資格勉強で休日も削った、そんな私がなぜ障害を負うような目に合うのか。
なんで私だけ?
今までの人生で、こんな目に遭わなければならないほど悪い事をした覚えはない。
そしてわかったことは、「障害者雇用」とは、正しくは「身体障害者雇用」であると言うこと。
「高次脳機能障害」と言う障害名で、障害者雇用ですら書類選考で簡単に落ちる。私がいくら丁寧に障害の度合いを説明し、前職で健常者とほぼ同じ業務をこなしていたと説明しても、おそらく読まれてもいないのだろう。
先日、クローズで応募していた職に面接で呼ばれた。知名度もあり事業内容もとても憧れていた、入れたらそこで私の劣等感も全て拭えたかもしれない会社だった。でもおそらく面接で頓珍漢な応答をしたのだろう。先方の表情で、ダメだったとわかった。案の定だった。
障害を負ってから、緊張すると自分を客観的に見ることができなくなった。脳みそが停止してしまうのだ。舞い上がったようになる、と言えば分かり易いかもしれない。だから、その場に相応しい応答ができない。
そもそも書類で落ちまくるだけでもダメージを受けるのに、面接で落ちた時なんて、経歴人格外見立ち居振る舞い、つまり私と言う人間が丸ごと否定されたようで、本当に死にたくなる。
その連絡を受けた後に泣いて呼吸困難になり、手術の後遺症で喉にも難がある私は窒息しかけ、ああ私には泣くことすら許されないのか、とひたすら惨めになった。
田舎だから障害者雇用も碌な仕事はない。幸いにも障害年金を貰えていて、実家だから両親が健在のうちは野垂れ死ぬことは無さそうだけれど、自分の老後は「おにぎり食べたい」と書いて亡くなった老人のようになるだろうと思っている。
最近は自己責任論が声高に叫ばれているけれど、もちろん20代の時に悪戯に職歴を重ねた私にも一定の非はある。だけどそんな人ゴマンといるし、その後努力して正規雇用に就き、資格を取ろうと更に努力した挙句に入院して障害者になった私より、前述した元友人たちの方が幸せな人生を歩んでいるのは、私が悪いのだろうか。
私が知っている友人や知り合いの中で、私がダントツで人生ハードモードなのは何故なのだろう。障害を負ってから、本心から楽しかった事など一瞬もなく、この先もポンコツなまま醜い自分の顔と毎日向き合い、ボケてきた父親と病気の母親の面倒を見ながら、毎日お金の心配をして、圧倒的な劣等感を抱え続けて生きていかねばならないと思うと、あの時死んでいれば良かったと心底思う。
ちなみに前述した友人たちとは連絡先も全て消して数年経つけれど、多分向こうはそのことすら気付いていないはずだ。何故なら連絡しようとしなければ気付かないだろうから。
これから先顔を合わせる事は無いだろうし、向こうも年賀状を出す時以外には私の存在すら思い出す事はなくなるだろう。そのうち年賀状も来なくなるかもね。
ちなみに近くに親戚もいないので、私の葬式は執り行わない予定。
って吠えまくってたわ