名前を隠して楽しく日記。
個人を特定しない職業全体で批判するならそういうの好きなのもいるかもしれないが
特に何も悪い事してないグラドル個人に「お前と私を混同してる『はるかぜちゃんがグラドルになった』と書いてる奴に裁判起こしたいから負担を折半しろ」って迫ってたのは受けないだろ
🥀<冷たい水をください できたら愛してください
それが本当なら、想像以上にやばすぎて腹が立つより呆れるな。
そんなことしておいて、
なんでトランス女性が行動した結果女性スペースを使えるようになったっていうのがフェミニストに対する煽りや批判になるのかさっぱりわからない
とか言ってたのかよ
サイコパスにもほどがあるだろ
逆もまた然りってことでOK?
素直に羨ましい
本質的にトランス女性は未手術でパス度が低くても女性スペース使う権利があるって主張しまくったのと、フリー素材使ってトランス女性の中でもラディカルな意見であるトランス女性は未手術でパス度が低くても女湯を使う権利があるっていうイラスト作って拡散させたな
後トランス差別を行ってるバカフェミにトランス差別反対のカウンターを行う過程で性被害や女性差別の経験を茶化しまくってより悪化させた
俺はそれが怖くてたまらないんだが
俺は今カタツムリみたいに生きたとしても、100年後の世界が見たいんだが
もっと言うと、1000年後の世界が見たいし、1万年後の世界が見たいんだが
わがままは言わない
干渉出来なくていい
ただ見たいんだ
みんなは本当に何も思ってないの?
男が増えて得をする人がいるのかもしれないね
レビューサイト、ミニブログ、コメント欄、掲示板、そういった所で必死にいいねを集めようとしている時、そしてそれが成功した時の感覚はやはり現実逃避なんだろう。
スターやリツイートがたくさんつくとなんだか自分が本当は凄い人間であるかのような気がしてしまうんだよな。
パチンコで大当たりを引いても、風俗で当たりを引いても、それを自分の戦略眼のなせる技だと思えるのはせいぜい数時間程度。
でもSNSでバズるとフワフワとした「たまたま今まで出力する方法に接続できてなかっただけで、俺は実は結構凄い奴なのだ」感が一ヶ月ぐらい続くし、数年ぐらいしてふとその時の書き込みと反応をエゴサするとその感覚がまた蘇ってくる。
学生時代の放課後にごくごく狭い子供社会の中「お前マジすげーじゃん」と言われたことに有頂天になり、日本全体の中でも自分が凄いんじゃないかと思ったあの気持が、勘違いでしなかったことをもうとっくに思い知らされているのにだ。
この感覚をまた得たくてネットのあちこちでトップコメントなんかを求めてしまう行為が現実逃避なのはきっと間違いないのだ。
子供の頃信じていた「日本全体の規模でも凄い自分」という感覚を、真っ当なやり方で取り戻すことを諦め、極めて少人数で繰り広げられるランキング戦の中で上位を狙うのが逃避でなくてなんなのか。
サラリーマン川柳や深夜ラジオなんかに一人で何十何百と作品を送りつける人なんかは、きっとこの「俺は実は凄いんだ」を味わいたくてしょうがないんだろう。
ほんの数十や数百程度の文字の中でなら、何度も何度もサイコロを振ればいつかは傑作にたどり着けるんじゃないかと願い、そしてライバルが決して多くないような少しマニアックな番組や企画を狙ったりするわけだ。
そうして選ばれると、それが極めて限定的な場での束の間の勝利でしかないことを都合よく忘れて、自分は今この世界における上澄みに属する何者かなのだと脳が錯覚するままに気持ちよくなってしまう。
俺達、増田もまたそういった感覚を得たくて何個も何個も投稿を続けているのだ。
ブログを書いてるすべての人、はてブにいるすべての人がそうではないのかも知れないが、多くの人が、きっと多くの人が、限定的な世界での小さな勝利によって、自分という人間の持つ才能や実力を過大評価することで、現実の自分の小ささを忘れられる瞬間を得たくて必死なんだろうなと。
だって、辛いだろ?自分が実際には大したことがない人間で、しょーもない給料で雇われたり、みっともない奴らの人間関係に束縛されたり、社会全体で見たらどうでもいい人間でしかなかったり、およそこの世界のありとあらゆる歴史と呼べるものには関わりがなかったり、そういう現実の中にずっといるのは。
寝ている間やゲームをしている時でさえ、どこかで薄っすらと自覚しているその現実を忘れられるような何かを求めてしまうんだよ。定期的に俺は本当は凄いんじゃないかって勘違いしてないと苦しいんだよ。生きることは。