名前を隠して楽しく日記。
背幅にして6cmとか、ページ数にして1,000pとか、そういう規模の本だ。
私自身、同人誌を作り続けて10年以上であることもあり、それだけの本を作るのがいかに大変かはよくよく理解している。
文字数は10万字を軽く超えるのだし、装丁や校正にだって労力がかかる。
だけど私は印刷所や、作った本人が自慢げにTwitter(X)で鈍器本の紹介をしていると、どうしてももやもやしてしまう。
理由は主に2点だ。
・背割れについて
・重さについて
本はもちろん、手に取って読むのである。
重くないだろうか。
読むのに疲れる以前に、手が疲れるのは本末転倒だ。
総合すると、『読む人のこと、考えてる?』と言いたい。
手に持って、何分読めるだろうか。
重さを気にせず、物語に没頭して楽しめるだろうか。
確かに厚い本は映える。
見た目からして迫力がある。
でも本はあくまでも、人に読まれることで価値が生まれるのではないだろうか。
上記2点の問題から、私は鈍器本が本として優れているかをだいぶ疑問に思っている。
鈍器本を買った人の何割が読破しているかどうか、統計を知りたいくらいだ。
すごく個人的な意見を述べれば、鈍器本1冊分の文字量は、300pの文庫本3冊という形で出してほしい。
読むのも保存も、格段に楽になると思う。
私はただページ数と厚みが増えるよりも、手に取ってくれた人が、その本の中にある物語を心から楽しんでくれるほうが、ずっと嬉しい。
俺のプロテイン、どうよ?
元記事を今初めて読んでみたけど、ここの部分だけは本当に意味不明
差別とは、歴史的な構造のなかで、ある特定の属性を持ってきた人たちに対して社会が不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。
まるで被差別ゴロと偽フェミニスト以外は差別に当たらないとして、弱者男性への差別を合理化するかのような物言いになってしまっている。
「排除」は社会の統合作用であり、秩序・序列形成作用として内在される「仕組み・構造」である。
「差別」は社会の中で特定の人々に不利益を押し付けられることであり、社会不和を引き起こす問題である。と、
分けて論ずるべきだという意見なら解る。
「広範な支援をいただくため、」って書いてあるでしょ
お茶味のプロテインが紹介されてる記事に飲んでるプロテインの話をしてるブクマカが結構居たけど、最近ダイエットし始めてたんぱく質を気にするようになったからみんなのおすすめのプロテインが知りたい。
私はこの国、日本に生を受け、そして育ちました。
つまり自分は歌いたいし聴いて欲しいのでその欲望を満たすためにみんなを集めるけど
ただでは盛り上げてもらえないから代償として他人の歌を聴いて盛り上げる集まりってことだよね
じゃなきゃ1人でカラオケ行くよね
必須アモト酸足りてなさそう