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名前を隠して楽しく日記。

2024-05-15

黒沢清蛇の道』(1998年)

自分がやってしまたこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。

前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。

さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。

[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖

[B]全く原因不明の恐怖

どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。

[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。

原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルス感染してしまたことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠禁忌を犯したという程度だ。

そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。

ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているかである

すなわち正当な復讐をする勧善懲悪物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。

では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。

それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである

観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷もの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。

黒沢清監督作品蛇の道』(1998年)はこのような映画である

いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。

この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしま行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。

かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。

それが、紛れもなく人間性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。

それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。

特筆すべき役者は(やはり)哀川翔である

この映画での哀川はほぼ、人間醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界物理学法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。

ともあれ、是非多くの人に見てもらいたい作品である

いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。

ヴィデオ化にあたり、『修羅極道 蛇の道』と改題された。

(この文章1999年8月下旬ごろ書かれた。)

(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)

anond:20240515225235

この辺りジレンマありそうだな

恋愛だったら気心の知れた相手だし別にファミレスでも良いのだけれど、婚活だと初見に近いので逆に許されにくい

なんというか婚活かい文化ちょっとずつ「ダサい」と思われてきている気がする今のアラフォーぐらいがピークなんじゃなかろうか

anond:20240512145508

知能が低いバカジャップコミュニケーションが不得意で容姿や上辺での繋がりしか持てず知的なやり取りに楽しみを見出せないかVtuberとかホストとか頂き女子にみんな頂かれてるってことな

anond:20240515221223

快活クラブって30分で470円なんじゃないの? 

それに、コンビニソフトクリームって、ファミマなら税込198円だし、セブンイレブンなら税込213円で、ローソンなら税込220円だぞ。 

それはさておき、不便な所に住んでるのに車が無いと大変だな。

anond:20240515071358

現金入れとくのおすすめですよ。あと油性マジックメモ帳テープ

かさばらないので、隙間にでも。

ああ、またきょうも

オナニーするげんきがない・・・

オナニーする元気よりも眠気が先にきてしま

あしたになったら晴れるといいなあ

標準的弱者男性が手遅れになるまでのモデルケース

25歳 気の合う友だちと気ままに遊ぶ

28友達結婚し始めて妻子持ちと話が噛み合わなくなる

32歳 趣味に生きることを決意する

38歳 趣味に飽きる。老後を乗り切れないことに気付く

40歳 子供が欲しくなって婚活開始。結婚相談所で10歳下に申し込みまくる

42歳 発狂

anond:20240515220152

若くておっぱいがでかい女以外価値ゼロから家庭的なブス、貧乳、おばさんは蹴って若いFカップ女選びます!みたいな

男の場合頭ちんぽとか言われるけど女のそれは頭まんこって言えばいいのかな

あらゆる物事遊園地アトラクションみたいに感じるね(もちろん漏れ身長制限に引っかかって楽しめてませんけどもね)

anond:20240515224815

自分場合ひとつゲームの中でいきなり違うメカニクスゲームをやらされたくないというのがある

たとえばステージクリアアクションで、平場のステージボス戦で求められる操作全然違うゲームは苦手だ。古いけどクラッシュ・バンディクーとかそうだった

FF7リバースミニゲーム祭りはもうやりすぎでそういう「芸」として楽しめたけど

anond:20240515224615

会話は即興

決め打ちで話題食ってくるやつと話すくらいつまらないことはない

anond:20240515200720

わざわざ試しでサイゼ連れてく男は賢い女性を求めてはいいかwin-winでは?

死ぬほど働いて、文字通り死ぬほど心身壊して入院してた

死ぬほど働かない奴は人生舐めてるだけ。甘えるな」的な言説に対して

「ああ、これは死ぬほど働いた事が無い恵まれ甘ったれ説教してるだけなんだろうな」というカウンターパンチ思考が出てくるようになった

顔色が悪すぎて30歳で末期癌の老人かと見間違えられる位のハードワークを経験をしていないやつは、「甘え」について語る資格は無い

anond:20240515130736

でもキモくて金のないおっさんとは試しのデートすらしてくれないんですよねわかります

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