名前を隠して楽しく日記。
知らないだろうけど&信じられないだろうけど
これ左翼が通った道なんだよね。
エロは女性のパワーである、ポルノは反体制と人間性解放の象徴であるって言ってたの。
もうだいぶ昔のことだけど。
でもそんなの結局、男社会を前提にそこにうまくアジャストしていくための寄生戦略でしかないって気づいてみんなアホらしくなって
なかったことになったんだよねw
女性もチー牛を育ててあげれば良いのにね
男湯の清掃におばちゃん入ってくるのもヤメテ
制限時間があることに同意して参加したのであれば、制限時間を守らない方が悪いということになる。しかし、水俣病に関心をもっていれば制限時間を過ぎても話を聞きたいと思うのも事実。大臣のスケジュールが分刻みだとしても予定をずらすことは可能。現に大臣は水俣病団体に謝罪をするために時間を作っている。この出来事の教訓は「ゴネたもの勝ち」ということ。
女だけど小さい頃、フジ子ちゃんとかキャッツアイとか大好きだった。
エロいって男の暴力に匹敵する、対抗できる、すごい力だと思うんだよね、
ただ、エロい力を認めると、同時に暴力も認めなければ非対称になるし、
現代では男に暴力を認めないから、女のエロい力も封じ込めなくては非対称になる。
暴力を認めないまま、エロい力だけが野放しだから、いただきリリちゃんが出てくる。
だからってエロを封じれば行き着く先はお坊さんみたいな、禁欲で平和な世界だわね、つまらん。
だって現実的には知力で殴られてる弱者は大勢いるわけじゃない。
それだって非対称だよね。
持論だけど、恋愛では、厳しいテストを重ねて理想の相手を探すのは大変だ。
どんなに急いでも1人選別するのに土日が潰れる。
まさしく、デートで相手の本質を見極めるのって難しい だと思う。
だからデートでパートナーを試すのは良くない。具体的にはコスパが悪い。
LEC東京リーガルマインドのプロヴィデンスの一番最初は法律の起こりはただ決めておくことで社会が安定するのだと書いてあった。しかし私がれっくに言っていたのははるか昔の話で
何にもならなかったので部屋にプロヴィを積んでますが読んでません。これを基づいて考えると現代法というのは、 古代法に比べて、技術的に高度に発達して構成されているので、
そらが何かといっても分からない。大体が教えている人がいない。会社法に江頭憲治郎、 民法3部の山に、ダットサンの内田貴ありと言われていたが彼らも何も解説していない。
なんでダットサンといってるかというと、内田貴の3個の本は、現代のダットサンと言われている。ダットサンは元々、戦後か明治の民法学者の我妻栄か何かの本をそう言っていた。内田貴の
民法は、現代のダットサンと言われている。この俺がその法学部で勉強していたことを否定すること自体が理解できないのだが。 内田貴は民法の 債権編のことを、 剣山のようになっとると
言っていた。 東大の民法第3部では、債権のことをまとめてやる。債権と不法行為をする。 しかし東大法学部では、技術のことは何も教えない。だから非常に退屈な講義となっており、
戦後の裁判官も、 法学部の債権の講義はつまらなかったと苦虫をつぶしている。同様に、債権に関する本を書いていた当時のがくしゃも、 債権なんぞを20歳の学部生が習うとき
まことにつまらない観を呈するだろう、しかし、社会に出てからはこれほど面白いものはない、というふうに変貌するのだ・・・ という記載があった。
佐藤って一発で仕止める力はあるんです。だから長打は早いカウントからが多い。一般的な強打者は皆そう。問題は追いこまれた時が、他と比べてあまりにモロい点。
その是正はそう簡単ではないと思います。見極めのポイントが早いからボールにも手が出る。でもそれはスイングとの関連でそうしなければストレートに遅れるって事でしょうから、それこそテクニック問題になってくる。
全て同じスイングが理想ではあるでしょうが、追いこまれたら変えられる引き出しは持っといて欲しいと思います。
落ちる球を見極める、カットで逃げるができないんで、昨年もストレート打率は300でも変化球打率は220。いかにボールになる変化球で打ちとられてるか数字が教えてる。