名前を隠して楽しく日記。
しゃーない、ワイが救って差し上げるやで
32歳以降が違うな
慣れないなりに女の子に気に入られようとしたり誘ったりするけどキモくてひたすら断られ続ける
時間だけが過ぎ、一応見た目や中身がまともになった頃には40過ぎててゲームオーバー
これがワイや!
それはただのアイス
オタクとか文化系はすぐに自分を特別な何かだと思い込みたがる。
人間はみんな最初から言葉を喋るわけではないんだから、「言語で思考する」方が後天的に学習したものであることなんて馬鹿でも分かれよ。
言語が後天的なもの、学習を要するもの、環境や教育で差がつくものなことなんて常識だろ。
言語能力に劣るのは個性でも何でもないの。お前が教育を受けてないってだけの話なの。
それを何「言語に頼るのは能力が低いから」みたいにすり替えようとしてるの? 頭悪過ぎでしょ。
狭い意味の中二病だよまさに。自分には超能力があるとか思うのと何も変わらない。特別な思考タイプがあるなんて妄想。
診断もされてないのにADHDを自称したがるとか、統合失調症を自称したがるとか、鬱だ繊細さんだって。
お前らは何万遍おんなじような妄想に逃げて逃げて逃げ続けるのか。
お前は何も特別な存在じゃない。ただの「環境、教育、遺伝」のブレの範囲内の普通の人間。
救われるわけでもないのに痛みに耐えているのはなんでだろー
自分がやってしまったこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。
前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。
さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。
[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖
と
[B]全く原因不明の恐怖
どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。
[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。
原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルスに感染してしまったことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠な禁忌を犯したという程度だ。
そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入/同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。
ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているからである。
すなわち正当な復讐をする勧善懲悪の物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。
では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。
それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである。
観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷なもの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。
黒沢清監督作品『蛇の道』(1998年)はこのような映画である。
いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。
この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしまう行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。
かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。
それが、紛れもなく人間の性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。
それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。
この映画での哀川はほぼ、人間の醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界の物理学的法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。
いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的「大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品の存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。
(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)
この辺りジレンマありそうだな
恋愛だったら気心の知れた相手だし別にファミレスでも良いのだけれど、婚活だと初見に近いので逆に許されにくい
なんというか婚活とかいう文化がちょっとずつ「ダサい」と思われてきている気がする今のアラフォーぐらいがピークなんじゃなかろうか
知能が低いバカジャップはコミュニケーションが不得意で容姿や上辺での繋がりしか持てず知的なやり取りに楽しみを見出せないからVtuberとかホストとか頂き女子にみんな頂かれてるってことな
あるでござるの巻