名前を隠して楽しく日記。
差別されてきた人たちを罵倒するような大っぴらに使ってはいけない差別用語を授業で知ったら、それを嬉々として使うし
今どきスマホかパソコン、なんならゲーム機でネット見れるから、そういう地域がどこかを調べてクラスメートが住んでる地域かを調べる
AIはすぐわかるって言うおじさんは
偉そうにAIは違和感が〜とかAIってすぐわかる〜って言うけど、それ言う意味あんの?
謎解きを答え見ながら余裕でわかったわ〜って言ってるようなもんだし何の自慢にもならんのだが。
また、人をだますために言う
うそ【×嘘】
1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽り。「嘘をつく」「この話に嘘はない」
2 正しくないこと。誤り。「嘘の字を書く」
3 適切でないこと。望ましくないこと。「ここで引き下がっては嘘だ」
30代前後で特に知能やコミュニケーション能力(生まれつきの能力ってことで後天的に勉強頑張ったことによる学力やコミュニケーションの知識の有無は除く)はあるのに子供っぽいとかだらしないとか気が利かないとかありのままでいたいみたいな人って20年くらい前?に当時テレビで流行ってた鬼のマナー講師のせいでは?
その鬼のマナー講師は今で言うパワハラみたいなキャラのマナー講師で、少しでもマナー(謎マナー含む)を間違えると子供を言葉で虐待する母親みたいな感じでめちゃくちゃネチネチ罵詈雑言を投げかけてくるみたいなのが定番の演出だった。
それがあったから当時の子供たちにはマナーってできないと叱られる!→マナーなんてクソ!って思ってしまった人が多いのではないのか?
自分がそう思ったのは10年くらい前、ちょうど今の30代が若者世代の時に、Twitter(現 X)でありのままみたいな生き方がめちゃくちゃ流行ったのを見たからだ。
ありのまま、という言葉はアナ雪で流行ったわけだけれど、そのちょっと前から人と違うことが生きづらいとか、人と同じや型にハマった奴なんてダサい!他人の意見なんて聞かず自分の考えを押し通して生きるのがかっこいい!みたいな考えをテレビや本やネットででしきりに見たのを覚えてる。
人と同じに出来なくて生きずらいっていうのは生まれつきの気質の人も多かったと思うけど、その「人と違って生きずらい」って人の中にはマナーがなってないから嫌われてるって人もかなり居たのではと思ってる。
昔は今では弱者と言われるような人でも結婚して子沢山なんて当たり前だから育ちが悪い子供なんて至る所にいたわけで、家庭でマナーをしつけられたことない人も沢山居たはず。
しかし鬼マナー講師によりマナーとかやってられるかー!ってなった人は就活でいい会社に落ち、異性にもてず、人から嫌われがちになり、結果いわゆるチー牛とか弱者みたいな人が量産されたのではないだろうか。
マナーって勉強してると実はテレビでよくやってたような「酒のラベルを上にして注ぐ」「とっくりの注ぎ口を使っては行けない(?)」みたいな細かいものは実は少なくて、身なりはだらしなくならないようにとか、敬語を正しく使うとか、報連相をしっかりするとかそういうのばかりだ。別に怖くない。
やろうと思えばできるし、むしろそういうことができてれば嫌がらせされたり悪口言われたりすることが激減する。
鬼のマナー講師がいなければ、学校や職場やデートでヨレヨレの服着て寝癖つきまくりみたいな人はもっと少なかったのではと思う。
そういうのをフラグって言うんだぞ
売れてまーす!悔しい?
好きな人変わりすぎだろって思ったがそれはさておき。
自分の場合はどうだったか考えてみたら、小中と私立男子校だったので学校での異性との出会いは皆無。
友達の兄弟とか、友達の友達とか、習い事とかでしか同じくらいの歳の異性を見たことなかったな。
友達の兄弟なら家がわかるけど、あとは家がわかる人誰もいないな。
そんな中でも一目惚れで好きになるみたいなのは無いわけではなかったけれど、記憶があいまいすぎてどんな顔だったのかすら出てこない。
...いや、あんまりにも女性に慣れてなさ過ぎて顔すら見てない予感もしてくる。
もう、塾の長者番付で女子の名前が横に並んでいるだけでご飯何杯も食べられるみたいな。名前が好みみたいなマニアックな世界だな。
後ろ姿が好きとか声が好きとかもう、そういうマニアックな世界だったから、顔わからないのか。