名前を隠して楽しく日記。
仕事大好きの諸君もそろそろ気付いたんじゃない?人出不足で2人分の作業して、
パワハラや病気のリスク抱えながら12時間捧げて仕事してる割に給料が明らかに釣り合ってない事に。そう、生活費足りてるなら働かない方が得なのである。
なぜか日本は給料低くても働いてれば回りがとやかく言わない謎の風習があるのでいや働いてれば何でもいいんかい!と突っ込みたくなる。
ある日、待合室であまり見たくないものを見た。それから何度か見かけている
人気のある病院なので、わたしが行く時には、ほかにワンちゃんや猫ちゃんを連れてる飼い主の方がいる
動物を抱っこしている人もいれば、キャリーバッグに入れてる方もいる
それで……もう何度目かわからないけど、待合室で、顔が一部欠けてる猫を抱きかかえている飼い主の人がいる
顔の一部といっても、半分くらいないかもしれない。病気だろうけど、その猫は鼻のあたりまで顔がない
目の下あたりまで、顔の粘膜?が露出したみたいになってる。
その人は、待合室に何人も飼い主がいるのに、顔のない猫を抱っこしてる
実は、ほかの飼い主さんとも話したことがある。わたしが「あれどう思います? キャリーバッグに入れた方がいいですよね」と聞いたら、ほかの飼い主さんも「そうですね……」とうなづいていた
素人判断だけど、おそらくあの猫ちゃんは動物病院に連れてくるのではなく、天寿を全うさせてあげるのが正しいと思う
もう一度みかけることがあったら、勇気を出して注意してみようと考えている
もしよければだけど、教えてほしい
あの猫ちゃんの飼い主に、どんな言い方をすればいいのだろうか
一応わたしも猫の飼い主だから、自分の猫がかわいいのはわかる。猫への尊敬もある
それだけに、声のかけ方に迷っている
けど、世界観にひかれて、もう1回読もうかなってなってる
その星の現地民と主人公との会話
お互い、人種も文化も違うから理解できなかったり、新鮮な価値観でハッとさせられたりする
現地民の気のいいオジサンが、○○(なんか特殊な能力をもつ人種)はいつでも遠くにいる人とでも会話できるんでしょ?亡くなった自分の親とでも。すごいよね、羨ましいね、なんて言うシーンにぐっときたりする
え?なんか不都合でもあるの?
国木田独歩氏の『源おじ』は、妻を二人目の出産で失い、残された子を水難で失い、一人で舟渡しを営みつつ老境に至るところを、ある乞食の子との縁があり、我が子と思うように世話するも、乞食側からはさしたる恩も情も返されず、夢に出る内心では妻や実子に対する後ろめたさを抱えつつ、ついには乞食に去られ、舟も嵐で失い、生活にも仕事にも支えを失い、首を吊って死ぬという、救いのない話になっている。
だが、まさにこれこそ自然主義文学という感じもした。運命や宿命からはみ出ようとする人間の意志を容赦なく飲み込む決定論的世界観を感じさせる。
夏目漱石氏が言うところの「理想」を坂口安吾氏は「モラル」と呼んでいたが、それがないことに対する解釈の違いが興味深い。世間の潮流の移ろいに伴い、自然主義も興亡していったのであろう。
実はこれこれで、あなたの金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、
逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。
それでおしまいです。
最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます。
軽薄な巴里の社会の真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。
そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります。
よくせきの場合だから細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、
もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。
ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。
積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、
奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬をモーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまいます。
同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。
それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります。
この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。
同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります。
愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、
森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。
私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、
然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。
その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐な少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、
然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、
何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、
我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、
そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html
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真偽を確かめる為
目を閉じて3分間、記憶の中の風景をひとしきり散歩して、生前の祖母におはようと言って、祖母の家庭菜園に水をやる、りっぱなオクラが育っていた…そんな思い出……
ぱちりと目を開ける、ぼくは椅子に座っていて目の前にはモニターがある、ここは現実、さっきまでどこか遠い世界を旅してきたような、淡い錯覚に包まれる……
米国indeedの都市別求人に大きな変化があったというレポートを見た
アトランタ、ダラスなんかの田舎では求人率が上がっているのに、NYやSFなんかの都市部では大幅に下がってるらしい
既に置き換えは始まってるという話だった
かんたんなことしかする気力がなくひたすらキャンディクラッシュやっている。
40までヒキニートしてたって設定はどこいったんだ
かぜのなかのす〜ばる〜♪