名前を隠して楽しく日記。
つばさの党は派手に街宣やるよりも、ひっそりと張り付いて暇空の顔面晒しをがんばれよ
ものすごくうっすらと支持してるだけの層はいまだに「えっあのひと男性だったの?」と名前とアイコンだけで騙されてる
顔面開示でひっぺがしてくれ
・言うほど儲かって無い説
成功者でもせいぜい年収1000万〜2000万程度で、そもそも大学に多額の寄付(億単位)なんてできないという説
・大学なんてどうでもいい説
愛校心あるようでいて実は無い説
他には?
男でも精製水以外使うと肌荒れする人居るのに知見の蓄積されてない人にそんな安易に勧めてええんか?
人は窮地に立たされると、自分で自分をコントロールできなくなり得たい結果とは真逆の結果となるケースがしばしばある。
子供を見ているとまさにそのような行動をとることがある。
おもちゃで遊びたいがために奇声を上げたり、ご飯で遊び始めたりするが親はそれを宥めるために早く食べてから遊びなさいと伝える。
その言葉を聞くとおもちゃで遊べないものだと思い行動が悪化する。
この場合子供はおもちゃで遊びたい、親は早くご飯を食べさせたいという両者の対決が生まれる。
子供をコントロールするためには、体罰や無理をさせることが必要という世論を唱える人もいる。
おれはその発想にも一定の理解がある。
親側も同じようなものだ。
早くご飯を食べさせて食器を洗いたいという願望があるからこそ、怒って子供に食事を強要させる。
返ってそれが行動の悪化を招いているのではあるのだが。
怒っている当の本人は知る由もないだろう。
人間が人間たらしめるのは理性や知性や【美学】、ポリシーなのではないかと思っている。
その数が少ければ少ないほど、自分の欲望に忠実になるしかないはず。
そして、感情に支配される人生を不本意な方向に歩むしかなくなるのではないか。
おれは仕事や育児、日常生活、食事、色々な場面に【美学】を持つようにしている。
そして、自分自身がその美学に反していたとしても受け入れるようにしている。
【美学】にこだわりすぎると、設定していた【美学】が自身に悪影響を及ぼすこともあるからだ。
しょせん【美学】は生きやすくするためのツールなのであってツールに支配されてはいけないと考える。
〜すべき、確定、マスト
という言葉は苦手だ。
次回は【克服】について記載したいと思う。
『ヴィンランド・サガ』のアシェラッド。これからクヌート王子の国盗り物語が始まるかとおもったらそれをバッサリ捨てちゃった。まあ「トルフィンがヴィンランドを目指す物語」なんだから仕方ないのだが…
女でも精製水以外使うと肌荒れする人居るのに知見の蓄積されてない男にそんな安易に勧めてええんか?
好きじゃないぞい!