名前を隠して楽しく日記。
プロが振り込んでも「これは降りられないから仕方ない」で終わり
そうやってプロがプロを養護していないと自分も放銃から逃れられないからね
麻雀の面白さは技術ではなく人間性。将棋もAIが名人を超えてからはその部分が増えてきた
って言ってたオタクが
アートってまずは自分のためじゃないと意味がない(承認欲求ばかりでやってても駄サイクルに陥るだけ)んだけど
でもそのままどこまでも自分のためにやっててもやっぱり意味を喪失していくと思うんだよなあ
なんかもう惰性でやめ時見失っただけじゃねえのっていうしまりのなさがある。
アート制作は自己救済の入口だろうが、自己完結するものではなくやはり他者と繋がらざるを得ない
関西のどっかで障害者施設でアート制作に取り組んでるところのドキュメンタリーで
障害者たちが 異様な情熱で異形の作品を作ってるんだけどそれはただのオナニーじゃなくてやっぱり「ここで完成」という瞬間があり「見て欲しい」という作品意識があるようだった。全員がそうとは限らないが
思ってないよ
どっちかというと「じゃあ他の店も入ったら購入必須にしなさいよ」って言ってる
居酒屋は席着いたら途中で出ないのにコンビニスーパー福屋雑貨屋etc…は店入ってウロウロして何も買わず出るとかやってる人だらけだからな
自らの行いの結果が返ってくるのは差別でもなんでもありませんよ