名前を隠して楽しく日記。
親になると子供だけで川遊びや釣りに行くとかマンションや校舎の屋上に行くとか屋根に登るとか、どんだけ危ないことしてたんやってなる。自転車で遊びに行くのすら怖い
ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生に声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた
上司に話せば形ばかりの慰留され、さらに上に話が行けばまた慰留されて時間かかったり
上司に話した途端にパワハラのように「どこに行っても同じだぞ」って脅されたり
50代でも30年下の女と付き合えるかどうかは知らないが、
人を無闇に信じて弱い者を助けようと思うと、
上へ行けば行くほど、弱い者を蹴落としてナンボだと、
心の底から思っていないと生き残れなくなる
有利かもしれない
「将来の夢はパイロットです」どっちの性別で脳内再生された? どうせ男の子だろ。自分の中の差別意識に気付きましょう
…みたいなアレの何がダメか。
「現にパイロットは男が多いからそれが自然だ、差別意識のせいじゃない」とか、その手の反論は今ひとつ芯を食ってない。
差別を無くそうというのと差別意識を無くそうというのは全く別の話だ。
社会が目指すべきは後者であり、「意識」はもとより内心の自由に属する。
差別意識を人びとの脳から消し去るのが目標ラインではなく、一人ひとりが差別意識を理性の制御下に置くのが目標ラインである。
つまりは差別に関する公正さというのはセンスではなくセオリーなのだ。
では差別意識を取り除くことは不可能なのかといえば個人単位ではまあそうだ。ざっくりいえば。
確実に期待できるのは、人が死んで入れ替わることによる変化だけだ。
そうそうこれ
でも最近のネットだと詐欺的な療法とか明らかな誤情報(とその糾弾)が目に入るから「いちブログの記載を善意でも健康につながる情報として拡散していいのか…?」という考えがよぎるようになってしまったなぁと。